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うろほろぞ
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待受画面

静かな会長室にシャッター音が響いた。ふと大吾が顔を上げると、遥が笑っている。
「おい、何やってんだよ」
「なんでもなーい」
そう言うと、遥は携帯を後ろに隠した。大吾はそれを見逃さない。
「勝手に人の写真撮るんじゃねえよ」
「えー、駄目?」
彼は首を振る。隠し撮りなど冗談じゃない。
「駄目だ、消せ」
「ちぇ、けちー」
遥は素直にボタンを押している。ちゃんと削除しているらしい。彼女に携帯を与えたのはほんの数日前だ。今までにも何度か
危ない目にあったことで、緊急時に連絡するツールが必要だと弥生が渡したのだ。これは、東城会の組員にも持たせてる
仕事用携帯の一つで、桐生にもその旨は伝えてある。桐生も必要性を感じていたようで、今は利用金額の半分を会に支払っている。
 一方遥は、初めて手にした携帯電話が嬉しくて仕方がないらしい。通話はあまりしないが、メールや写真などちょくちょくしているのを
見かける。最近は、大吾にもメールが届くことが多かった。
「それじゃ、行くね。邪魔してごめんなさい」
遥は小さく手を振り、部屋を出て行く。どことなく寂しげだったのは気のせいだろうか。その時、彼女と入れ違いに柏木が入ってきた。
「遥は携帯電話に夢中だな」
「写真やらメールやら、いい玩具になってるぞ。やるんじゃなかった」
肩を竦める大吾に、柏木は声を上げて笑った。
「いいじゃないか、楽しそうなんだから。本来の目的のために使われるよりかは余程いい」
「まあな」
苦笑しつつ、大吾は再び書類に目を通し始める。柏木はふと思い出したように告げた。
「そういや、遥の待ち受けについて下の奴らが騒いでたな」
「なんだよ、それ」
「今一番遥が好きな人間が、待ち受け画面になってるんだそうだ。しかし、それが時たま変わるらしくてな。いつ自分の写真が
 使われるかって、いい年した奴らが心待ちにしてるって話だ」
「……くだらねえ」
大吾は呆れたように呟く。柏木はそれを楽しげに眺めた。
「ま、お前も遥に撮られとくんだな。いつか待ち受けになるかもしれないぞ」
「うるせえな。そんなの興味ねえよ」
素っ気無く答える大吾に、彼は肩を竦めた。
「素直じゃないなあ」
「興味、ねえ!」
意地になって叫ぶ大吾に、柏木はくすりと笑い、仕事の話を始めた。大吾は仕事を再開しながら、ぼんやりと思考をめぐらせた。
――遥が一番好きな奴、か。大方桐生さんじゃないのか?


 休憩時間になり、大吾は外の空気を吸おうと一階を歩いていた。すると、遥が玄関の方でなにやら撮っているのが見える。
まだやってんのか、彼は苦笑しながら彼女に歩み寄った。
「おい、そこのカメラマン。調子はどうだ」
遥は大吾に気付き、嬉しそうにかけてくる。
「大吾お兄ちゃん。今休憩?」
「ああ、まあな。まだやってんのか、充電なくなるぞ」
携帯を指差され、遥は頷いた。
「うん、もうそろそろ充電しなきゃ」
どれだけ撮ってんだ、大吾は苦笑する。遥は彼を見上げていたが、ふと小さく両手を合わせた
「ね、お兄ちゃんのこと撮りたいんだけど、だめ?」
「ああ?」
大吾は驚き、片手で顔を覆う。あまり写真を撮られるのは好きなほうではない。それに、先ほどの柏木の話が思い出された。
なんか、待ち受けにしてもらいたいみたいじゃねえか。そう考えるとなんだか気恥ずかしい。
ちらりと遥を見ると、彼女は上目遣いに大吾を見ている。その視線には、弱い。
「しょうがねえな、一枚だけだぞ」
遥の顔が輝く。彼女はいそいそと携帯を開き、大吾に向けた。
「いくよー」
彼女の掛け声と共に、電子音がする。遥は画面を見て満足そうにうん、と頷くと慎重に保存していた。
「ありがとう!お兄ちゃん!」
満面の笑顔を向けられ、大吾はわずかに表情を和らげた。こんなに喜ぶのなら、もっと早く応じてやればよかった。
「なあ、ちょっと見せろよ」
冗談まじりに問う大吾に、遥は大きく首を振った。
「駄目!恥ずかしいもん」
彼女はいそいそとポケットに携帯を収め、彼に手を振った。
「私、やることあったんだ。またね、お兄ちゃん」
「ああ、またな」
遥がかけていくのを、大吾は目を細めて眺めた。まったく、彼女のやることにはいつも振り回される。

 それから数時間後、今日の仕事も終え大吾は会長室を出た。廊下を歩いていくと、構成員の詰め所の前を通りかかる。
今は誰も出払っているのか、人影はない。ふと隅に目をやると、見慣れたストラップの携帯電話が目に入った。これは間違いなく
遥のものだ。それはひっそりと充電器に繋がれている。
「そういや、充電するとか言ってたな」
大吾は携帯電話を前にして、しばらく立ち尽くす。今これを開けば彼女の一番好きな人間がわかるわけだが。見ていいものだろうか。
今日撮られたこともあって、いつもなら携帯など気にもしない大吾が考え込む。勝手に見るのはよくない、でもああ言われたらなんだか
気になる。
「見るなら今なんだよな……」
少女の携帯を覗いているところなど、他の人間に見られたら赤恥だ。かといって、遥に頼み込むのも格好が悪い。
大吾は辺りを見回し、意を決したように遥の携帯電話を手に取った。
もう一度周囲を確認し、ゆっくり開く。明るくなった画面に映った待ち受け画面を見て、大吾は低く呻いた。
「…………柏木さん?!」
そこにはいつになく穏やかな微笑を浮かべる柏木の顔があった。想像もしない人物の待ち受けに、大吾は首を振った。
「一番好きな…人間?」
確かに、遥は柏木になついてはいるが…大吾が携帯を閉じ、元あったところに戻した瞬間、遥の声が上がった。
「あー!大吾お兄ちゃん!私の携帯見た?!」
心臓が止まりそうになるとはこのことだ。彼は思わずその場から身を引くと、首を振った。
「み、見てねえよ!」
その様子に遥は怪訝な顔で近付いてくる。
「本当に~?」
「本当だって!失礼な奴だな」
本当に失礼なのは大吾の方なのだが。遥は携帯を充電器から取り上げ、大切そうに握り締めた。
「それならいいや。お兄ちゃん、今から帰る?ね、一緒に帰ろう!」
遥は笑顔を浮かべ、彼の先に立って歩き出す。大吾はほっとしたように胸をなでおろした。


珍しく夕食を自宅でとリ、弥生は自室に戻る。大吾は雑誌を見るともなく眺め、遥に問いかけた。
「なあ、お前、東城会の奴らは好きか」
卓を拭く手を止めず、遥は大きく頷いた。
「うん、好きだよ~皆さん優しいもん」
「そうか……」
大吾は頁をめくる手を止める。しかし、なんで待ちうけが柏木なんだろう。大吾はちらりと彼女を見た。
「柏木さんと、仲いいんだな、お前」
遥は驚いたように顔を上げた。
「そうかな。あ、でも前に相談に乗ってもらったりしたよ。いい人だもんね、柏木のおじさん」
「相談?」
問い返され、彼女は少し慌てる。そういえば、その相談も大吾のことだった。その時たしか東城会に関わるなと言われていたのだった。
「あ、ちょっとしたことだよ。何でもないの、うん」
「……そうか」
大吾は首を傾げる。遥は曖昧に笑い、足早に居間を出て行った。その慌てぶりが、大吾には更に疑惑を呼ぶ。
「やっぱり、柏木さんの言ってたことは、本当なのか?しかし……」
考え込んでふと我に帰る。子供のやっていることに、なに真剣になってるんだ。彼は溜息をつき、ふと自分の携帯を取り出した。
「遥」
「え?」
振り向きざま、大吾は遥の顔を撮る。遥は驚いた顔をしながら彼に駆け寄ると、彼の携帯電話を取り上げようとした。
「ふりむき写真なんてひどいよ~!消して、消して!」
「いいだろ、お前だって隠し撮りしたじゃねえか!」
「私ちゃんと消したもん!言ってくれれば、私もちゃんと撮らせてあげるよ!」
むくれる遥に大吾はわかったわかった、と画像を消去し、それを彼女に確認させた。
「それじゃ、撮っていいよ」
嬉しそうに微笑む遥を大吾はしばらく眺める。ふと、彼は彼女を引き寄せると、右手を伸ばし自分と遥にファインダーを合わせた。
「撮るぞ」
「え、あ…うん!」
軽いシャッター音がし、画面には二人が綺麗におさまっていた。それを見て、遥は笑顔を浮かべる。
「あ、いいな~!お兄ちゃん、私にもその写真ちょうだい!」
「駄目だ。お前に渡すと誰に見られるかわかんねえだろ」
大吾は携帯をポケットに入れてしまう。遥は不満そうに抗議した。
「え~!そんなのずるいよ~!ねえ、誰にも見せないから~!」
「却下」
言い捨て、大吾は席を立つ。遥は頬を膨らませた。
「意地悪!けちー!」
彼女の罵声を背に受け、大吾は居間を出て行く。彼は写真をもう一度眺めると、わずかに笑みを浮かべ、携帯を閉じた。


宿題も終え、就寝前に遥はふと自分の携帯を開く。そして思い出したように声を上げた。
「あ、そういえば、今日待ち受け変えるのすっかり忘れてた!」
遥は嬉しそうに画像データからひとつの写真を選ぶと、それを待ち受けに変えた。
「今日やっと撮らせてくれたから、やっと待ち受けにできるよ~」
遥は横になりながらしばらく画面を眺め、やがて携帯を閉じることも忘れ、そのまま寝息をたて始めた。
そこに映っていたのは、今日撮ったばかりのぎこちない笑みを浮かべる大吾。このことは、彼女以外誰も気付くことはない。
遥の携帯の待ち受け画面は、当分変わることはないだろう。きっと。 

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威風堂々

 大吾が遥を助けた一件から数ヶ月、東城会では再度彼の会長就任に対する承認会議が行われた。無期延期とはしていたが
正直東城会としても代行である弥生より、会長の肩書きを持つ象徴となるべき人物が必要だったと思われる。
そのことに関しても、まだ若い大吾に不信を抱くものや、慎重派はもう少し待つべきだという要望もあったのだが、柏木の
「頭が決まらずごたついていれば、下の人間も浮き足立ってしまう。会長が決まらないことにより、いらぬ野心を抱くものを阻止する為
 承認だけでも取っておきたい」
との意見には誰も異論を唱えなかった。ここでまた内輪もめが起きれば、その時は間違いなく東城会が崩壊することになるだろう。
今は第一に会の建て直しが必要なのは、誰もがよく知っていた。
 遥といえば、前の事件も記憶に新しいため、この日は必ず本部に詰めているようにと弥生から厳命があった。彼女自身もあの時の
ような思いは二度としたくなかったし、ここで大吾の足を引っ張るわけにもいかない。素直にその指示に従った。
「あ、大吾お兄ちゃん」
彼女が二階の廊下に顔を覗かせると、大吾が煙草を燻らせ立っていた。あの日と同じ、黒いスーツに身を包んだ大吾は、窮屈そうに
首まわりを気にしながら遥に視線を向けた。
「お前か、今日は面倒起こすなよ」
「起こさないもん」
「どうだかな」
彼は会議前だからか、シングルの上着のボタンを外して楽な格好をしている。その表情はわずかに硬い、流石に緊張は隠せないの
だろう。ふと大吾は遥に問いかけた。
「今日は桐生さんいないんだって?」
「うん……寺田のおじさんも亡くなったし、行かなくていいの?って言ったんだけど…おじさん『もう東城会に俺が出る必要はない』って
 東京から出て行っちゃった」
遥は少し寂しそうだ。だからこそここに彼女がいるのだが。
 実は以前桐生から話があった。前のこともあるため、今日遥を大阪に連れて行くと言うのだ。しかし、それを大吾は断っている。
ここで遥が大阪にいけば、彼女は狭山の存在で、いらぬ孤独感や焦燥を否応なしに感じることになるのはわかっていた。
彼女の桐生に対する思いを知っているだけに、たとえ少々煩わしくても大吾は彼女を本部で預かることが遥のためになると思ったのだ。
しかし、遥はそのことを知らない。いや、知らなくていい。彼は苦笑を浮かべた。
「あの人らしいぜ」
「……ごめんね、お兄ちゃん。私、邪魔でしょ?」
申し訳なさそうに見上げる遥を見つめ、彼はおもむろに彼女の額を人差し指で弾いた。
「あ、痛!何するの~?」
額を押さえ、睨む遥に、大吾は意地悪く笑った。
「今更なに凹んでんだよ。らしくねえぞ」
遥は怒ったように頬をふくらませ、そっぽを向いた。
「もう!私だって、今自分が邪魔かどうかわかるもん。お兄ちゃんの意地悪!」
大吾は煙を吐き出し、視線を落とした。
「前に言っただろ、一人にしないって」
思わず遥が彼を見た時、構成員が彼を呼びに来た。
「大吾さん、会議室にどうぞ」
「ああ、今行く」
頷き、大吾は煙草を近くの灰皿で揉み消す。彼女はふと気付いたように彼に声をかけた。
「お兄ちゃん、ネクタイピンは?ちゃんと用意しておいたのに!」
大吾はネクタイを見る。そういえば、あったような気もするが、会議のことで頭が一杯で忘れてきたようだ。
俺としたことが結構緊張してんだな、苦笑を浮かべて彼は首を振った。
「どうだったか忘れた。大丈夫だろ。誰も見ねえよ」
「駄目だよ!服装の乱れは心の乱れだって弥生さんも言ってたのに~私誰かから借りてくる!」
慌てて駆け出そうとする遥を、大吾は腕を伸ばして止めた。
「ああ、もういいから。静かにしてろ」
「でも…」
不満げに呟く遥を眺め、大吾は彼女の頭に手を伸ばした。
「しょうがねえな、これ借りるぞ」
「……え」
大吾は彼女のいつも髪に止めている赤い髪留めを一つ外すと、それでネクタイを止めた。
「上着、前留めてりゃわかんないだろ。後で返す」
驚いている彼女に告げ、大吾は踵を返す。遥はしばらく彼の後姿を見送っていたが、やがて微笑を浮かべ、髪留めを触ると詰め所に
戻って行った。
 会議室の前まで来て大吾は上着のボタンをかけようとする。そこでふと彼女の髪留めが目に入った。彼はわずかに表情を和らげ
そっとそれに触れた。
「行くか」
呟き、彼はボタンを留め表情を引き締めた。会議室の扉が開き、眼前に幹部達が並び立つ。大吾は中に進み出ると凛々たる声で
皆に告げた。
「堂島大吾です、失礼します」

//

Shall We Dance?

「あれー?」
体育の授業中、遥は首を傾げる。運動は苦手ではない遥に、周囲の女子児童も首をかしげた。
「あれ、できないの?」
「うん……」
困惑したように頷く彼女に、横にいた少女は驚いた顔をした。
「結構簡単だよ。遥にしては珍しいね」
遥は何度も繰り返しその動作を繰り返し、ぴんと来ない顔をする。やがて終業のチャイムが鳴った。彼女は心配している少女達に
ぎこちない笑顔を向けた。
「ごめん、家で練習してくるね」


 本部でも遥は、空いてる部屋を見つけ、体育でやっていたことと同じ動きを繰り返していた。その一連の動きが彼女にはどうも
身に付かないようだ。困った顔で彼女は考え込むと、またそれを繰り返す。当分それを繰り返していた時、構成員がやってきた。
「何やってんですか」
「んー、練習」
「練習?」
遥は頷き、困った顔をした。
「体育がフォークダンスだったの。どうも上手くいかなくて、練習してたんだ」
ダンスねえ、と構成員は考え込む。遥は手を叩いた。
「そうだ、ちょっと付き合って!」
急に白羽の矢が立ち、男は慌てて首を振った。
「お、俺ですか?ダメダメ、そんなの無理ですよ!」
「ちょっと手を取ってくれるだけでいいの、お願い!」
懇願され、断れるわけもなく男は練習に付き合うことになった。遥は笑顔で礼を言い、練習を再開した。
「でね、ここがこうなって……ああ、違うよ~」
「え、こうですか?それとも……」
もたもたと慣れない動きをする構成員は、彼女の足を引っ張るばかりだ。その賑やかな様子に、他の構成員達も集まってきた。
「なにやってんだ、お前」
「ダンスだよ」
「ダンス!お前が?!」
顔を覗かせた男達はお腹を抱えて笑い出す。遥の手を取る男は、自分でも似合わないことをしていると知っているのだろう。
複雑な表情で彼らに怒鳴った。
「仕方ねえだろ!遥さんが困ってんだから!言っとくが、えらく難しいんだからな。お前らやってみろ!」
「そうだよ~難しいんだよ」
遥が彼らを無理やり引き込む。一から彼らに動きを教え、彼女はまた踊り始めた。
「こうでしょ…で、こう。ここまではいいの。ここでくるっと回ると……駄目、音楽に合わないよ~」
「なんだかえらいことになってきたな……」
ぼやきつつ、構成員達は奇妙なダンスを繰り広げている。いかつい男達が手に手を取り合って真剣にダンスをしている様はどこか
滑稽だ。その騒ぎを聞きつけ、更に男達は集まる。
「なんだなんだ」
「フォークダンスだってよ」
「下手くそだな、おめーは」
「しょうがないだろ、初めてなんだからよ!」
ある者は見物に回り囃し立て、ある者は輪の中に無理やり引っ張り込まれ、広かった部屋は何故か構成員達で溢れかえっている。
遥が気づいた時には、部屋の中は男達でひしめき合っていた。
「あれ、人がいっぱい……」
ぽかんとしたようにその異常な光景を眺めていた時、人垣の向こうで怒声が響いた。
「てめえら、こんな所でさぼってないで持ち場に戻れ!」
蜘蛛の子を散らすように、構成員達は部屋から出て行く。残された遥は部屋の外で腕を組んでいる男と目が合った。
「何やってんだ、お前は。仕事の邪魔すんじゃねえよ」
「大吾お兄ちゃん」
彼らを蹴散らしたのは、大吾だった。彼は遥に歩み寄り、不機嫌そうに見下ろす。
「……ごめんなさい。ダンスがうまくいかなかくて」
「ダンス?」
大吾は目を丸くする。遥は頷き、経緯を説明した。学校でダンスの授業があり、その振り付けが上手くいかないこと。そのテストが
明日あって、失敗すれば班全体の減点になること。それに構成員達を付き合わせてしまったこと。
それまで黙って聞いていた大吾は溜息をついた。
「そんなことは家でやれ」
「だよね……ごめんなさい」
遥はしょんぼりしながら頭を下げる。大吾は弱ったように頭をかき、彼女を促した。
「ちょっとやってみろ」
「え?う、うん」
驚いた顔してしていたが、彼女は音楽を口ずさみ、たどたどしく踊っていく。そして、ある部分にさしかかって彼女は動きを止めた。
「あ、また失敗。ここで音楽と合わなくなるの」
「…もう一度、見せてみろよ」
大吾に言われ、彼女は素直にやってみせる。しかし、それもまたいままでと変わりはない。また失敗する、と遥が思った瞬間
彼は遥の手を取った。
「ここだろ」
言い放ち、大吾は彼女をくるりと回す。驚くことに、そのタイミングで彼女の口ずさんでいた音楽に、きちんとおさまった。
「あれ……」
狐につままれたような顔の遥を、大吾は冷ややかに見下ろした。
「とろくさいな、お前」
遥は大吾に詰め寄り、彼の手を引いた。
「え、え、なんで?大吾お兄ちゃん、もう一回!最初から!」
「ああ?さっきのでわかったんじゃねえのかよ。あとは自分で考えろって」
「お願い!もう一度だけ!」
必死で頼みこむ彼女に、大吾は面倒くさそうに溜息をついた。
「やっかいなことに巻き込まれちまったな……」
今度は最初から彼女の手を取って大吾はリードしてやる。彼女の鼻歌に合わせて、何度か踊っているとコツがわかったらしい。
遥は大吾を嬉しそうに見上げた。
「だんだんわかってきた!」
「そうか」
大吾は苦笑しながら遥を眺める。彼女は、先ほどのたどたどしい動きが嘘のように彼の腕の中で楽しそうに踊っている。
元々リズム感は悪くないらしい。
「もういいだろ」
疲れたように大吾が手を離そうとすると、遥は首を振った。
「やだ、もう少しだけ」
「俺にもやることがあるんだよ」
大吾に言い聞かせられ、彼女は渋々手を離す。軽く手を上げて部屋を出ようとする彼に、遥は声をかけた。
「ね、また踊ってくれる?」
彼は立ち止まると、苦笑を浮かべ振り返った。
「なら、10年後にな」
もう、と頬を膨らませ、遥は彼の後を追う。大吾と遥は踊るようにじゃれあいながら、長い廊下を歩いて行った。
10年後に彼女は彼の手を取るだろうか、二人のダンスがまた見られるかどうかは、今はまだ知る由もない。

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春眠暁を覚えず

 桜の季節も終わりかけ、毎日好天が続いている。遥はふと思い立ち、本部の庭園に向かった。そこでは4人の構成員達が
侵入者防止のため見張りに立っている。彼らは遥が庭園に立ち入ったことを咎めもせず笑顔で迎えた。
「こちらまで来られるのは珍しいですね、遥さん」
「うん、和室を掃除しようと思って。ここから上がっていい?」
「どうぞ」
遥は庭に面した縁側から和室に上がる。男達はくるくるとよく働く遥を微笑ましく眺めていた。箒がけ、乾拭き、床の間のはたきがけ…
彼女の小さな体では、たっぷり2時間はかかっただろうか。最後に座布団を陽に当たる縁側に干し、遥は一息ついた。
「ご苦労様です」
近くの構成員が彼女に微笑む。遥は縁側に腰掛け、足をぶらぶらさせた。
「いい天気だね。暖かくてよかった」
「そうですね」
他愛のない会話をしていたが、彼は一旦持ち場を離れる。残された遥はふいに欠伸をした。
「ふかふかの座布団って、気持ちいい……」
よく干された座布団は、彼女が体を乗せると優しく包み込む。掃除で疲れたのか、彼女はいつしか眠り込んでしまった。
「……おい」
離れたところにいた構成員達三人が顔を見合わせ、遥のところにやってくる。彼女は彼らの砂利を踏む足音にも起きることなく
よく眠っていた。
「起こすか?」
「でもなあ、せっかく寝てんのに、可哀想じゃねえか」
「でも、まだ風は少し冷たいぞ」
彼らはひそひそと相談をし、意見がまとまったらしい。彼らは上着を脱ぎ、彼女にかけてやった。やがて、先ほど彼女と話していた
男が帰ってくる。
「お前ら、なにしてんだ」
遥を見ていた一人が人差し指を立てた
「静かにしろよ。起きちまう」
男は遥を見、驚いたように声を潜めた。
「……ああ、すまん」
「じゃ、俺達戻るから」
三人はめいめいに庭園に散る。残された構成員は少し考え、彼女の近くに立った。
 風が木々を揺らし、池の水が流れる音が心地よく響く。彼らは遥の様子を気にしながら持ち場を守っていた。すると、突然塀の向こう
から、賑やかな重機の音が聞こえてきた。彼らは驚いて顔を塀の向こうに向けた。
「おい」
一人が手招きすると、構成員達は集まってくる。手招きした男は眉をひそめた。
「外、うるせえな。なんなんだ?」
「そういや、今日は道路工事があるって言ってたな」
「それじゃ、ここも賑やかになっちまうなあ……」
彼らは眠る遥を眺め、溜息をつく。これ以上うるさくなれば、彼女も起きてしまうだろう。
「……俺、ちょっと行ってくる」
「頼んだ」
一人が通用門に歩いて行く。皆はまた持ち場に戻り、心配そうに塀の外を眺めた。

ちょうど庭園の塀を挟んで反対側では、作業員が今まさに工事を始めようとしていた。構成員は彼らに歩み寄ると静かに告げた。
「申し訳ないんだが、ちぃと工事を遅らせてもらえませんかね」
「ええ?困るよ。こっちだって予定があるんだからねえ」
丁寧に頼む男を見もせず、作業員はぞんざいに答える。構成員は作業員の肩を掴むと、自分の方を向かせ、鋭い目を向けた。
「1時間でいいんで……お願いしますよ」
そこで初めて作業員は、誰に頼まれてたかを知る。そういえば、この塀の向こうは東城会だ。彼は冷や汗を流し、上ずった声を上げた。
「い、1時間でいいですか?よろこんで!」
構成員は手を離し、深々と頭を下げる。
「迷惑かけます。では」
颯爽と歩いていってしまう彼を、作業員達は怯えたように見送った。道路工事は作業員の好意(?)で1時間遅れるらしい。

「どうだったんだ?」
心配そうに尋ねる彼らに、外から戻ってきた構成員は親指を立てた。
「問題ない」
「よし、よくやった」
皆は安心したように持ち場に戻る。そしてまた、庭園は静けさを取り戻した。遥は相変わらず安らかな寝息をたてている。
彼らは幾分穏やかな表情で彼女を見守った。
 午後の陽光は、春先といえど直接当たれば厳しい。近くにいた男は少し移動した。すると、彼の影が彼女の顔の辺りに伸びる。
それまで少しまぶしそうだった遥の表情は、穏やかに戻った。男はわずかに微笑んだ。
「誰か、いるかい」
遠くで弥生の声がする。その場にいた一人が慌てたように庭から出て行った。彼を見かけると弥生は頷いた。
「遥が見当たらないから、見つけたら伝えて。今から出かけるけど、夕方までには帰るってね。あと、その間大吾がさぼらないように
 見張っておいておくれ。それだけ言っておいて」
「はい」
彼は礼儀正しく頭を下げる。弥生はふと構成員を眺め、手に持っていたバッグで彼の頭を叩いた。
「上着はどうしたんだい。見張りだからって気は抜くんじゃないよ。まがりなりにも本部詰めなんだから、いつも服装はしっかりしておきな」
「はい!」
姿勢を正して返事をする男を不思議そうに見つめ、弥生は首を傾げる。男は叱られたのにも関わらず、どこか誇らしげに見えたのだ。
彼女はそれ以上考えるのを止め、襟元を直しながら踵を返した。
「それじゃ、たのんだよ」
構成員は深々と頭を下げ、弥生を送り出す。彼女の姿が見えなくなると、彼は持ち場に戻った。
「姐さん、なんだって?」
そばにいた男が問いかける。帰ってきた構成員は首を振った。
「いや、特になんでもねえ」
皆はまた見張りに戻った。空は晴れ、所々に雲が流れている。時折、池の鯉が水音を立てた。陽光は陰ることなく、暖かく彼らを
照らしている。
 構成員達は眠る遥を時折眺める。彼女は黒い上着に包まれて、心地良さそうに見えた。決して褒められたことをして来たわけではない
彼らだったが、今はただ、一人の少女の眠りを守ることができることを、心から誇りに思っていた。
「うん……」
やがて、遥が目を覚まそうとする。近くにいた構成員は慌てて彼女から三人分の上着を取り、体の後ろに隠した。
「あれ…寝ちゃったんだ」
寝ぼけたように呟く遥を、彼らは微笑んで眺めた。
「風邪ひきますよ。中に戻ってください」
「うん、そうするね。また座布団しまいに来るから」
遥は大きく伸びをする。男は優しい顔で首を振った。
「いいですよ、自分がやっておきます」
「でも…」
申し訳なさそうに見上げる彼女に、遠くから男が声をかけた。
「そうだ、姐さんから伝言です。これから出かけるけど、夕方までには帰る、それまで大吾さんをさぼらないように見張っておいて。
 だそうですよ」
「はーい。それじゃ、行くね。これ、お願いします」
皆は穏やかに彼女を見送る。彼女は庭を出る前にもう一度振り向き、笑顔で手を振った。男達は手を振り返し、そのうちの三人は
上着を着なおした。それはほのかに日向の匂いがした。
「何やってんだかな、俺ら」
「ガラにもねえことしちまったなあ」
「ま、いいんじゃねえか。たまには」
「ああ、今日は何もなく平和な一日だった」
4人は顔を見合わせ、声を上げて笑う。やがて1時間経ったらしく、工事が始まった。騒がしくなるぞ、と彼らはめいめいに肩などを回し
ながら、また持ち場に戻って行った。その表情は、先ほどとなんら変わりない。しかし、どこか嬉しそうに見えた。

@2

そして彼は彼女の手を離す(完)

「桐生さん、この度は申し訳ありませんでした」
遥のいない平日の昼間、大吾は突然桐生の家を訪れ、おもむろに深々と頭を下げた。自分の不注意で彼女に怪我を負わせた。
そのけじめはつけなければならない。しかし、桐生は彼の行動が出来ていないらしい。顔を曇らせ、腕を組んだ。
「急に、何の真似だ」
「遥に、怪我をさせたことについてです」
「怪我をさせた……だと?」
桐生の反応は悪い。大吾は怪訝な顔で彼を見た。複雑な表情から、桐生は明らかに困惑しているのがわかった。
「遥は…何も?」
思わず問いかけると、桐生は苦笑を浮かべた。
「残念ながらな。だが、怪我をしていたのは知ってる。俺には、かけっこで転んだと言っていたんだ。やっぱり、何かあったみたいだな
 ……話してみろ」
彼の声は、決して怒りに満ちたものではない。桐生自身遥の言動に違和感を持っていたのだろう、そのわけを解明しようという思いが
見て取れた。
 大吾は彼女に起こったことを話して聞かせた。何もごまかさず、ありのままを。桐生は口を挟まず、ただ黙って聞いている。
話が遥に起きたことをに及んだ時、流石に眉をひそめた。しかし、それでも最後まで彼の話を聞き続けた。
「……話はわかった。それで、お前はこの件に対してどうケジメをつける気だ」
大吾が話し終えるのを待ち、桐生は静かに告げる。大吾は桐生を真直ぐに見、はっきりと答えた。
「遥には、俺と東城会に関わらないように言いました。俺自身、あいつとはもう会わないつもりです。堂島家で預かるのも、今後
 控えようかと。お袋にもそう話すつもりです。それ以上は……桐生さんにお任せします」
「そうやって、遥の手を離すのか」
意外な言葉に、大吾は目を丸くする。桐生の目は穏やかだが、その表情は大吾の内心を推し量っているように見える。
そして、桐生の物言いが冷静であればあるほど、その言葉が重く感じられた。大吾は苛立たしげに顔をゆがめた。
「何が言いたいんだ」
大きく溜息をつき、桐生は遠くを見た。
「俺はお前のケジメを当然だと思っているし、そうしたい気持ちでいっぱいだ。今すぐお前を叩き出して二度と顔を見せるなと
 言ったって構わないとも思っている。遥という女の子の親としてはな。だが、遥はお前を慕っている。今回のことも、遥なりにお前を
 気遣って俺に言わなかったんだろう。それだけお前を大切に思っているあいつに対して、それが最善の方法かどうか考えたら
 ……俺は違うと思う」
「あんた、さっき聞いただろう!あの時、遥がどんな目にあったか。全部俺のせいだ、俺の近くにいるからあいつは
 負わなくていい傷を負っちまった。体だけじゃねえ、心にもだ。もし桐生さんなら、あいつを完璧に守ってやれた。現に今まで
 どんなときでも遥を守ってきたじゃねえか。でも、俺には無理なんだよ。自分のことで精一杯で、あいつのことまで考えて
 やれねえんだよ!」
吐き捨てるように話す大吾に、黙っていた桐生が口を開いた。
「2万5000だ、大吾」
「……あ?」
「東城会は巨大な組織だ。構成員の数、2万5000。いや、今は少し減ったか。それでも、これだけの規模は関東では他にない。
 そうだな?」
「そんなこと、よく知ってる」
うんざりしたように呟く彼に、桐生は真直ぐ見据えた。
「小さな女の子一人守れねえ奴に、東城会の奴らをまとめられるか」
大吾は彼を見返す。桐生は話を続けた。
「お前が一声かければ手足のように動く奴らだが、そいつらだって遥と同じ人間なんだ。撃たれりゃ痛いし死ぬのも恐れる。
 それでも会長という一人の男に命を賭けるのは、会長が、ひいては東城会が自分の守りたいもん守ってくれると信じてるからだろ。
 今のお前にはそいつらの思いを託すことなんてできない。お前には誰も守れないさ、大吾」
言葉に詰まる大吾に、桐生はぽつりと呟いた。
「俺だって、あいつをちゃんと守ってきたなんて、今でも思ってやしない」
大吾は信じられないような面持ちで何度か首を横に振った。
「冗談だろ、あんたはいつだって遥のそばにいたじゃねえか。遥もあんたがいたから今まで来れたんだろう」
桐生は、煙草に火をつけ、自嘲の笑みを浮かべた。
「俺もまた、あいつの手を離しちまったのさ」
大吾は静かに桐生を見つめる。彼は煙草の灰をそっと落とした。
「龍司とやりあった後、俺は正直死を覚悟した。前までの俺なら、どんなことをしても遥の為に生きようとしただろう。でも俺は
 あいつじゃなくて、別の女の手を取った。そいつに言われて『ああ、俺は遥を裏切ったんだな』と思ったよ。
 遥が、自分から堂島の家に行くと言い出したときも、当然だと思った」
「桐生さん……」
そんなことがあったとは、初めて聞いた。遥も何も言わなかった。初めて会ったときに聞いた『自分の思いから逃げちゃって』という
言葉は、もしかして桐生への思いからなのではないか。今何かが符合した気がする。大吾は桐生を静かに眺めた。
桐生は勢いよく煙を吐く。その様は、溜息を隠しているように見えた。
「お前と会ってから、遥は変わったよ。関西との一件以来、俺に向けるのはどこか寂しそうな笑顔だった。だが、最近はお前のことを
 話すときは、出会った頃の素直な笑顔だった。ずっと見ていられたらいいと思っていたが……残念だ」
桐生はまだ吸いきっていない煙草の火を消し、顔を上げた。
「お前の言いたいことはわかった、金輪際遥は東城会及び堂島家には関わらない。これでいいな」
「……はい」
大吾は再び深々と頭を下げ、桐生の部屋を出た。これでいい、遥にとってこの方法こそが最良なのだと大吾は思うことにした。
しかし、なぜこんなにも空虚なのだろう。気がつくと大吾はシャツの胸の辺りを握り締めていた。

 その日の夜、夕食を終えた桐生は、遥を呼び目の前に座らせた。遥は異変を感じ取っているのか、落ち着きなく視線を泳がせる。
やがて桐生は静かに告げた。
「足の怪我のことを、なんで正直に言わない」
「え……」
遥は明らかに動揺する。しかし、言い訳も出来ないことがわかったのか、彼女は恐る恐る桐生に問い返した。
「誰に聞いたの?」
「大吾本人にだ。今日そのことで謝りに来てな」
彼女は思わず顔を上げた。
「大吾お兄ちゃん来たの?私のこと、何か言ってた?おじさん、お兄ちゃん怒ったの?」
矢継ぎ早に質問する遥を押さえ、桐生は顔をしかめた。
「まず、質問に答えろ。どうして怪我のことを言わなかったんだ」
遥は一瞬言葉を詰まらせ、やがて消え入りそうな声で告げた。
「……大吾お兄ちゃんが、怒られるかと思って」
「やっぱりな」
桐生は溜息をつく。彼の浮かない表情を見て申し訳なく思ったのか、遥は表情を暗くした。そんな彼女に、これから話すことは気が重い。
「大吾は恐らくお前に言ったことと同じ事を俺に言ってきた」
遥は彼を心配そうに見上げる。これから言い渡されることを恐れているのだろう。桐生は彼女の目を見つめた。
「……俺もそれに賛成した」
「おじさん!」
「遥はもう堂島家にも、東城会本部にも近付いたら駄目だ。もちろん大吾にもだ。そのかわり、俺は当分関東から離れない。遥は今まで
 通りここから学校に通うこと。いいな」
「そんなのひどい!せっかく皆さんと仲良くなったのに!おねがい、今度は気をつけるから、そんなこと言わないで!」
悲痛な叫びは予想していたが、いざ聞くとやはり辛い。桐生はゆっくりと首を振った。
「駄目だ。あそこは子供の出入りする場所じゃない」
遥も首を何度も振る。ここで引くわけにはいかない。そんな顔だ。
「おじさん、今までどんな所でも連れて行ってくれたじゃない!今更おかしいよ」
「今回はわけが違うんだ。聞き分けてくれ、遥」
遥は押し黙り、ゆっくり立ち上がる。そしてぽつりと呟いた、
「私、どれだけ聞き分けたらいいの……?」
言葉に詰まる桐生を残し、遥は自室に入って行った。桐生は困り果てたように右手で頭を抱え、溜息をついた。


 数ヵ月後、学校が終わると遥は神室町に来ていた。長い間月に何日か東城会などで忙しくしていたため、家に帰ってもつまらないのだ。
早く帰っても、桐生はいないのだし家に帰りたくない。遥は街を歩き回り、ミレニアムタワーの前まで来ていた。彼女はタワーの中の
企業名を眺め、やがて思い切ったようにビルに入って行った。
「親父……その、お客様です」
風間組の一室に、組員が顔を覗かせる。奥で仕事をしていた柏木はゆっくり顔を上げた。
「今日は来客の予定はないが…誰だ?」
「それが、ちっちゃい客なんで」
「ちっちゃい客?」
困惑する柏木が待っていると、組員の後ろから遥が顔を覗かせる。その表情はいつもの元気で明るい彼女ではない。
遥は礼儀正しく頭を下げ、心配そうに告げた。
「ごめんなさい。急に……あ、ここも東城会なんだっけ。怒られちゃうかな」
逡巡する彼女に、柏木は微笑んだ。
「大丈夫だよ、私が黙っていればわからないさ。お前らも、この子のことはたとえ会長でも他言無用だ。いいな」
確かめるように視線を向けると、近くに居た組員は無言で頷き、遥に微笑んで去った。遥は安心したように柏木に近付いた。
「忙しかった、ですか?」
「いや、今日でなくても構わない仕事だ。どうした?今日は」
遥は俯いて黙りこくる。理由はなんとなく分かっている。柏木は苦笑して彼女の肩を叩いた。
「まあ、そこに座りなさい。お茶でも入れさせよう」
しばらくして組員が彼女に煎茶と上品な和菓子を持ってきてくれる。遥が恐縮すると、組員は笑った。
「いつも本部に行くと、遥さんがお茶いれてくれたでしょう。そのお返しでさ」
柏木は目の前のソファに腰かけ、足を組んだ。
「いいから、食べなさい。子供が遠慮するもんじゃない」
遥は組員と柏木に礼を言い、嬉しそうに菓子を食べ始めた。その様子に組員は安心し、部屋を出て行った。
「おいしいです」
「そうか。それはよかった」
菓子を食べ終わりお茶を飲んでいた遥は、ふと茶碗を茶托に置いた。
「……大吾お兄ちゃん、どうしてますか?」
やはりその話か。彼は優しく微笑んだ。
「元気でやってるよ。前より真面目になってるって、姐さんも喜んでるよ」
「そう、ですか」
何かもの言いたげな遥を見つめ、柏木は静かに問いかけた。
「大吾は桐生に謝りに行ったみたいだね」
遥は思わず顔を上げ、表情を歪ませた。
「……桐生のおじさんに言われました。東城会に行っちゃ駄目だって。お兄ちゃんにも、会ったら駄目だって」
そうか、と柏木は苦笑する。その決断は間違ってはいない。遥にそれを命じた桐生は勇気が要っただろう。
「遥は、極道に関わらない方が幸せになれるさ」
「柏木のおじさんも、そう言うの?」
今にも泣きそうな目を真直ぐに向けられ、彼は困ったように遥を眺める。彼女は唇をかんだ。
「みんな、なんで私の幸せを私を無視して決めるんですか。大吾お兄ちゃんも、私のことなのに勝手に考えて勝手に決めたんですよ」
「遥が大切だからじゃないか。遥を危険な目にあわせないためには当然だろう?」
納得できない顔で黙りこくる遥に、柏木は静かに話し出した。
「男は守りたいものが沢山あってね、特に極道という生き方は守るものばかりだ。組、親、舎弟、面子…そして女。それを全て守りたいと
 思いながら毎日肩肘張って生きてる。ましてや、大吾は跡目だ。あいつには更に何万という構成員達も守るものに加わる。
 しかし、大吾はまだまだ未熟だ。その全てを見渡せるようになる為には、長い時間をかけ、神経を張り詰めて生きなければならないだろう。
 そして、大吾の守りたいものの中にはきっと遥もいる。しかし、さっきも言ったように、今のあいつには遥まで守るほどの力はない。
 だから自分から遠ざけた。遥がもう同じ目にあわないようにね。わかってやってくれないかな」
「……そんなの勝手だよ」
静かに聞いていた遥が、口を開く。それは、少し怒っているようでもあった。柏木が驚いていると、遥は彼を見上げた。
「勝手に守るとか、守れないとか、決めないでほしいんです。お兄ちゃんは傲慢です!」
「傲慢……」
彼女の口から思わぬ言葉が出て、柏木は言葉を詰まらせる。遥は誰に言うともなく話を続けた。
「そうだよ、だいたいお兄ちゃんは自己中なんだから。お兄ちゃんが勝手にするなら、私だって勝手にするもん!」
「は、遥……?」
自分の中で考えが固まったのか、遥はおもむろに立ち上がって柏木に頭を下げた。
「柏木のおじさん、話を聞いてくれてありがとうございました。私、ワガママになります!」
「あ、おい!」
言うが早いか、遥は足早に部屋を出て行く。しばらく呆然としていた柏木は、やがて心底面白そうに笑い声を上げた。
「ワガママになります、か。さて、大吾はどうするかな」

 引継ぎ書類を放り出したまま、大吾は椅子に深く腰掛け煙草をふかしていた。あれから何ヶ月経っただろう、いつもそのあたりを
せわしなく走り回っていた少女の影はなく、構成員達も彼女の話をするものはいなくなった。もしかしたら、彼のいないところでは
話しているのだろうが、大吾の前ではそんなそぶりは見せることもない。
「足、治ったかな。あいつ」
ぽつりと呟き、大吾は苦笑した。今更、何を思い出す必要があるというのか。そこまで考え、ふと扉の向こうが騒がしいことに気付く。
大吾が煙草を消し、怪訝な顔をした時だった。勢いよく扉が開いた。
「お前……!」
大吾は思わず立ち上がる。そこには遥が立っていた。開け放した扉の向こうでは、構成員達が困惑した顔で何人も立ちつくしている。
「お前ら、ガキ一人追い返せないのか!連れて行け!」
声を荒げる大吾と、笑顔も浮かべない遥を交互に眺め、男達は逡巡している。彼らにとって遥は知らない人間でもないが、これが
退けられないというのは、あまりに情けなさすぎる。大吾は遥に歩み寄ると部屋の外に押し出そうとした。
「ここはガキの来るところじゃねえ、出て行け」
「ちょっ……待ってよ!お兄ちゃん、話を聞いて!」
「誰がお兄ちゃんだ。おい、お前ら。こいつをなんとかしろ」
「嫌!今私を追い出したら、皆さん一生恨むから!化けて出てやる~!」
遥を捕まえようとした男達は、彼女の言葉に思わず手を引っ込める。そしてしばらく考えた末、おもむろに彼女を部屋に押し込むと
扉を閉めた。驚いて大吾がノブを回すが、それはびくともしない。
「お、おい!てめえら!」
「申し訳ありません!自分は遥さんに一生恨まれたくないんです!」
「右に同じです!」
「左に……」
口々に決意を述べる構成員達に、大吾は扉を叩き怒声を上げた。
「ふざけんな!開けろこらー!」
扉はびくともしない。大吾は呻くように呟いた。
「あいつら…こんなガキにほだされやがって……覚えてろ」
「……大吾お兄ちゃん」
振り向くと、遥は真直ぐに彼を見つめていた。大吾は溜息をつきつつ扉を諦め、奥に戻った。
「もう、近付くなって言ったろ。俺は俺のことで精一杯なんだ。また同じことがあって、守ってやれる保障はどこにもないんだぞ」
「あのね、お兄ちゃん…」
「危ない目に遭わないうちにお前は家に帰れ。そんで普通に暮らせ。それが人並みの幸せってやつだろ」
「ねえ…」
「俺がいなくても、桐生さんがちゃんと守ってくれるから。わかったな」
全く取り合わない大吾に、遥は静かに怒りをあらわにした。
「……いいかげんにしてよ」
「遥?」
いつもと違う雰囲気の彼女に、大吾は戸惑う。遥は両手を握り締め、大吾を見据えた。
「勝手に私を守ろうとして、勝手に諦めて、お兄ちゃん身勝手すぎるよ!それに、私の幸せは私のものだもん。何もわかってないくせに
 お兄ちゃんは勝手なこと言わないで!」
大吾は驚いたように彼女を見つめている。遥は彼に歩み寄った。
「私の今の幸せは、大切な人と毎日楽しく過ごすことだよ。それを取り上げる権利なんて誰にもないはずだよ。違うの?」
「だから、さっきから言ってるだろ。大切な人と楽しく生きたかったら、桐生さんと一緒に普通に暮らせって。でないと、お前が俺や
 東城会の近くにいると危険なんだ。迷惑なんだよ!」
怒鳴り散らされても遥は怯まない。彼女はしっかりとした声で告げた。
「だったら、自分のことは自分で守る。どうやったらいいかまだわからないけど、そうなれるように頑張る。迷惑もかけない。
 お兄ちゃんにいっぱい守るものがあるなら、私が大吾お兄ちゃんを守る。力じゃ無理だけど、他の全てを守ってあげる。
 だからお願い。お兄ちゃんの傍にいさせて。前でも後ろでもない、大吾お兄ちゃんの隣に」
大吾は思わず遥を見つめた。こんな小さな体で、自分の何を守るというのだろう。そこまでして自分の傍らにいることを望むのは
何故なのか、彼にはいくら考えてもわからなかった。
「お前どうして……」
彼の言わんとしている事がわかったのか、遥は声を震わせた。
「もう、嫌なの。大切な人が私の手を離して行ってしまうのが。みんなみんな、私を置いて行っちゃう。私を忘れちゃう。
 ワガママだって、わかってる。お兄ちゃんに迷惑かけてる事も。でも、聞き分けよくするの、もうやだよ。
 私は、お兄ちゃんが大切だよ。だから、大吾お兄ちゃんの手を離したくない」
「遥……」
「一人に、しないで」
大きく綺麗な瞳に、涙が浮かぶ。大吾は大きく溜息をついた。遥は自分のワガママに愛想を尽かされたのかと身を竦ませる。
彼は遥に歩み寄り、腕を組んだ。
「……ったく、お前は。どこからそんな言葉覚えてきやがるんだ」
「お兄ちゃん……?」
彼は苦笑を浮かべ、体をかがめると真直ぐに遥を見つめた。
「俺といると命がいくつあっても足りねえぞ」
「うん」
「怖い思いもするからな」
「うん」
「悲しいことも多いぞ」
「うん…」
そこまで言い、大吾は身を起こした。そして彼女に右手を差し出し、迷いのない声で告げた。
「その覚悟ができるなら、俺の手を取れ。かわりに俺は、お前を一人にさせない。何があっても」
その手を見つめ、遥はためらうことなく大吾の手を取った。彼は微笑み、遥を抱き上げる。急に頭一つ分高くなった遥は、彼を微笑んで
見下ろした。
「ここにいていいの?」
大吾は彼女を見つめ、呆れたように溜息をついた。
「しょうがないだろ、お前は目を離すとすぐに攫われちまう」
「ありがとう!お兄ちゃん!」
遥は歓声を上げて彼の首に抱きつく。そして、これからよろしくね、と彼女は大吾の髪に唇を寄せた。大吾は驚いたように遥を見上げる。
そんな彼に、いつもと変わらない笑顔を見せながら遥は問いかけた。
「ね、大吾お兄ちゃん」
「なんだよ」
「『俺の女』ってどういう意味?」
大吾はとたんに狼狽する。やがて2、3度咳払いをすると、彼女を見ないようにしながら告げた。
「忘れろ」
「なんで?」
「いいから忘れろっての!」
「えー、ずっと気になってたのに!教えてよー」
足をばたつかせてしつこく問いかける遥に、大吾は勘弁してくれ、と耳をふさいだ。その時、慌てた声と共に忙しなく扉がノックされる。
「大吾!遥ちゃん来てるって本当かい?!」
弥生の声だ。思わず大吾は彼女から手を離す。と、同時に扉が開いた。
「あんたどうして…って、遥ちゃん!なに尻餅ついてるの!」
「いったあ~い!大吾お兄ちゃん酷いよ~」
急に彼の腕から落下した遥は、強かに打った腰を押さえ、不満の声を上げる。大吾は腕を組みそっぽを向いた。
「自分の身は自分で守るんだろ。ったく、どんくさいな」
「やっぱり大吾お兄ちゃん意地悪だ!横暴!傲慢~!」
騒ぐ遥と大吾を交互に眺め、弥生はわけが分からないという風に首を傾げる。しかし、いつしか大吾と遥が前のような二人でいることに
気付き、優しく微笑んだ。
「……で、遥ちゃんはこれからどうするんだい?実は遥ちゃんがいなくなってからうちのお茶は不味くなったって評判でね。
 遥ちゃんに来てもらえると、もっと円滑な人間関係が築けるのだけど」
遥は大吾をちらりと見、彼が笑みを浮かべるのを確かめて手を上げた。
「やりまーす!頑張ってお手伝いします!」
「大吾は、いいんだね?」
「勝手にしろ」
ぶっきらぼうに言っているが、表情は柔らかい。弥生は溜息をつき、二人に告げた。
「まったく、それならまた桐生に言っておかなきゃ。大吾は拳骨の一つや二つ、覚悟しておくこと。遥ちゃんはお説教かもね。わかった?」
二人は揃って肩を落とし、返事をする。弥生はよし、と頷き遥を送り届けるために外へと促した。
「また来るね。皆さんもありがとう!」
満面の笑顔で手を振る彼女に、構成員達はつられて手を振る。それを見ていた大吾は彼らに冷たく告げた。
「……ちょっと来い。さっきのことで話がある」
男達は顔をこわばらせ、会長室に入って行った。その後の彼らがどうなったか、遥は知らない。
 その後、弥生と共に家に帰った遥は、桐生に延々と叱られ、一ヶ月の外出禁止を命じられた。彼女の罰がそれだけで済んだのは
弥生のとりなしがあってこそだろう。逆に、大吾は桐生に呼び出され、説教の後3発ほど彼の拳を食らうことになる。
 それで今回の騒動は終止符が打たれることとなった。遥は、桐生の不安をよそに、相変わらず堂島家で世話になっている。
東城会本部では再び美味しいお茶が飲めるようになり、密かに歓喜の声を上げた者が少なくなかったという。

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