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うろほろぞ
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 迎え火は、死者が道を迷わない為に焚かれる。
 お盆最初の日、弥生は一人だけ朝早くに墓参りを済ませ、門の前で焙烙の上でおがらを燃やした。
 あの人が道に迷わないよう。
 どうか、一時の安らぎをこの家で得られますよう。
 そう願っているのかどうか分からないが、おがらの煙を追い掛けるその横顔はどこか寂しげだ。煙はどこまでも高く昇って行く。まるで、天上に真っ直ぐ伸びる白い道の様に。
「今日は、いい子にしているのよ?ママ達はお客様の相手をしなくちゃいけないんだから」
 遥の言葉に皐月は心外だと言わんばかりに、ぷぅっと頬を膨らます。
「さつき、『きょうも』いい子だもん!」
「はいはい。皐月はいつもいい子よね?」
「そうなの」
 ややぞんざいに相槌を打つも、皐月はさして気にしない様子で大きく頷いた。
「冷蔵庫にね、麦茶もジュースもあるから。あ、でも飲み過ぎはダメよ。お腹痛い痛いになっちゃうんだからね?」
「きょうの朝のパパみたく?」
 大吾は昨夜、関係する組同士の付き合いとかで夜遅くまで飲んで帰って来た。そんな彼は只今、二日酔いの真っ最中である。布団に潜り、うんうん唸っている。暫く、出て来る気配はない。
 遥は皐月の言葉に苦笑いを零しながら、小さく頷いた。
「ええ、そう。皐月はパパみたくなりたい?」
「なりたくない」
 間髪入れずに返事をする。
「そうね、皐月はいい子だもんね?」
 頭を優しく撫でると、皐月はくすぐったそうに目を細めた。

 言われた通り、皐月はいい子で一人で遊んでいる。
 折角の天気がいい日に家の中で遊んでいるのも勿体無くって、つい先日、大吾にデパートで買って貰った麦藁帽子を被って外で遊んでいる。
「ああ、ここだ。ここだ」
 皐月が家の前で遊んでいると、俄かに前が騒がしくなった。ついさっきまでは、人の気配はおろか車だって一台も見当たらなかったと言うのに。
 皐月はキョロキョロと辺りを見渡した。
 やっぱり、人の気配はしない。が、声だけはざわざわと複数の人数が話し合う声が聞こえる。
 そして、その声は間違いなく皐月の家の前を目指している。
「少し、遅くなっちまったが」
「仕方ありません。この時期はどこも混んでいるんですから」
 はっきりと声が聞こえた。
 その瞬間、皐月の目に7人の男の姿が飛び込んで来た。見た事のない人達だった。
 『お客様が来たら、ママ達に教えるのよ?』言われた事を思い出し、持っていた石を放り投げて皐月は眼前に迫る男達へと向かって行った。
「こんにちは、なの」
 皐月は礼儀正しく、お辞儀をする。その瞬間、男達は話をピタリと止めた。そして、皐月に聞こえない様、ヒソヒソ話を始める。
「まさか……」
「見えているんでしょうか?」
「そんな訳あるか、ガキが驚かせやがって」
「おじいちゃん達、おきゃくさまなの?おきゃくさまは、ママに言わないといけないの。どちらさまですか?」
 男達はまたもや黙った。が、皐月は特に不審がるわけでもなく、屈託ない笑顔を向けて返答を待っている。
「おいおい、マジでワシらん事見えてるらしいで。このガキ」
「どこのガキだ?」
「ガキ?ガキじゃないの。さつきなの!」
 男達の話が耳に入ったのか、皐月は頬を膨らませ猛然と抗議する。どうやら、洩れ聞こえて来た『ガキ』という自分を卑下する言葉に、不快感を覚えたらしい。
 可愛らしい顔に、眉間の皺をグググッと寄せ、男達をキッと睨み据える。 ギュッと握り締めた拳は、怒りの為か微かに震えている。
「……悪かったね」
 顔を見合わせていた男達の一人が動いた。
 皐月の前まで出て、膝を折り目線を合わせる。皐月の眉間の皺はそれでも取れそうにない。
「そうだね、君にはちゃんとした名前がある。それを『ガキ』だなんて言うのは失礼だったね」
 物腰柔らかな男の言い方に、僅かに溜飲を下げたらしく、皐月は握っていた拳を下げ大きく頷いた。
「そうなの。とってもしつれいなの。さつきには『さつき』っていうおなまえがあるのよ。おばあちゃんが付けてくれたんだから!」
「そうかい。とっても素敵な名前だね」
 その言葉に、皐月の顔が輝く。
「そうなの!!とってもとってもすてきなのよ。おばあちゃんのなまえからもらったんだって、ママが言ってたの」
「それじゃあ、皐月ちゃんのおばあちゃんはとっても素敵な人なんだね?」
「とってもとってもすてきなの!おまけに、すっごくびじんさんなんだから」
 エヘンッと小さな胸を反らして、得意気に皐月は言い切った。家族の事を褒められ、悪い気がしないのだろう。眉間の皺もいつしか、綺麗に消えてしまっていた。
「……それで、おじいちゃん達はどちらさまなの?おなまえきかないと、ママに怒られちゃうの」
 その問いに、男達は顔を見合わせた。
 正直に言って良いものかどうか、悩む。が、正直に言って、その事を皐月が家族に言ったところで信じては貰えないであろう。それは、皐月が可哀相だった。
 どうしようかと思案気にしている中で、男達の一人が皐月の前に立った。
 周りの男達よりは幾分柔和な面差しな彼は、優しい笑みを浮かべ、口許に指を当てた。
「……実は、私達は遠い国から来たんだけどね。ここの家の人達をビックリさせようと思って、内緒で来たんだよ。だから、私達の事はママやおばあちゃんには内緒にしておいてくれないかな?」
「じゃあ、シィーッしないとダメなのね?」
「ああ、そうだな。シィーッしてくれるかい?」
「うん、さつきいい子なの。だから、できるよ」
 そう言って神妙に頷く。その様子が、大人ぶっていて男は思わず苦笑いした。
 皐月の案内で、男達は静かに門を潜る。
 門の隅で、もう消えてしまったおがらの屑が音もなく、崩れた。
 
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 『超ディープなこれが大阪やっちゅーもんを皐月に嫌って言うほど味あわせたる!!』
 そう、龍二が大見得切ったのは、一時間前の事だった。
 『これが大阪』だと言う。関東生まれで、家から遠くに出掛けた事のない皐月にとって、違う土地の様々な文化に触れる事は、とても心浮かれる事だった。
 瞳を輝かせ、龍二の肩に乗りながら、『きゃあっ』と黄色い歓声を上げたのも無理はない事だった。

 しかし、龍二の言う『これが大阪』を前に、皐月は押し黙る。
 口をへの字にし、眉間には沢山の皺を寄せ、不満気な顔で隣に座る龍二を見上げた。
「どないしたんや、皐月。食わんのか?」
 皐月は、小さく頭を振る。
 目の前には、ホカホカの湯気を上げる球体の食べ物が8つ、竹の皮で出来た船に行儀良く並んでいる。
 その上には、鰹節と青海苔が色よく飾られていた。
「ここのが大阪でいっとう、美味いんや。遠慮せんと食べや」
 別に遠慮をしている訳ではない。暫くそれを眺めていた皐月だったが、意を決し、一つ口に放り込んだ。
 瞬間、口の中が大火事に見舞われた。
 口を金魚の様にパクパクと忙しなく動かし、口の中に新しい空気を入れようと頑張る。まさか口の中に入れた物を出す訳にもいかず、皐月は文字通り七転八倒する。
 その様子を隣で眺めていた龍二は、腹を抱えて哄笑する。
 遥から水を手渡され、水を飲む事で熱いその物体をようやく腹の中へ収める事が出来た。皐月の目は涙目だ。
 口の中は、大火傷で物凄く痛い。
 自分の事を見て笑った龍二を恨みがましい目で睨みながら、皐月はコップに入った残りの水を飲み干す。
「どうや?美味いやろ?」
 龍二はどこか得意気だ。目に溜まった水を拭いながら、満面の笑みで尋ねる。
「おいしくないもん!あついんだもん!!」
「そりゃ、皐月が悪い。熱いもんを食べる時は、ふうふうせんとあかんやろ。それをせんかった皐月の失敗や」
 龍二はそう言って、皐月の額を小突く。
 こんな時、皐月の周りの大人達は、黙っていても熱いものは冷まして、食べ難い物は食べ易いようにして皐月に食べさせてくれる。それがごくごく、当然のものと思っていた皐月は、龍二の馬鹿にした物言いにあからさまに不機嫌になる。
「……大吾はえらく甘やかしておるんやな」
「え!?」
「自分の事位、自分で出来んなんてな。まだ小さいからそれもまたしょうがないかもしれんが……」
 龍二は不意に声を落とした。
「警戒心もまるでない。自分とこの周りの大人は皆、味方やと思うとる。これは、ちぃっと危険やな」
 遥は静かに頷いた。
 それは、遥も大吾も弥生も危惧していることだ。
 言葉にこそ出さないが、面と向かって言葉に出されて言われるとその不安は途端に色を帯び、真実味を増す。
 皆が皆いい人ばかりでないのが、世の常だ。
 皐月は確かに警戒心がない。まるで、生まれて来る時にどこかに落として来たかのようだ。人懐こいと言えば聞こえはいいが、その実、それは大変に危ういと言う事を遥は嫌と言うほど知っている。
「それは……」
「おじちゃん、はい。こんどはちゃんとふうふうしたよ。おじちゃん、あーんしてなの」
「わしに食わせてくれるんか?」
「そうなの。はい、あーん」
 爪楊枝の先にたこ焼きを一つ付けたものを、龍二に突き出す。
 こんな事、して貰った事は当然なく少しだけ躊躇する。が、柔らかいたこ焼きは、爪楊枝の先にやっとの思いで乗っている状態だ。
 少しだけ恥ずかしく思いながらも、龍二は差し出されたたこ焼きを口に入れる。
 その瞬間、ニヤリと皐月が子供らしからぬ笑みを浮かべたのを龍二は見逃さなかった。
――何や?
 思った時には既に遅かった。口の中が大火事だ。
 皐月は嘘を吐いたのだ。冷ましてなんか、いなかったのだ。
 おまけに、口の中が痛い。熱のせいの痛みではなく、物理的に痛いのだ。
 龍二は慌てて水を飲みながら、皐月の側にある薬味入れに目を向けた。そこに、蓋が開いてある薬味入れが一つだけあった。
 よくよく、目を凝らして見てみれば『一味』と書かれた文字が目に飛び込んで来た。
 どうやら、一服盛られたらしい。
「皐月、おんどれ……」
「おじちゃん、どうしたの?あついものを食べる時は、ふうふうするのよ。あついあついなんだから」
 龍二の頬が微かに痙攣を始める。
 先程の龍二の言葉が、皐月の小さな矜持を傷付けたのか、彼女なりのそれは復讐であったようだ。
 皐月は、知らん顔で残りのたこ焼きをきちんと冷ましながら食べている。その横顔が、小憎たらしい。
 龍二は、飲み干したコップを勢い良くテーブルに叩き付けた。
「遥!」
「は、はい」
「前言撤回や。皐月、ええ根性しとる」
 大吾にそっくりや。と忌々しそうに言い放ち、龍二は皐月の小さな頭をまた小突いた。
 

 とうとう男の口からは十を数えられる事はなかった。
 机の下に潜っていた皐月は、遥の手によって引き摺り出された。
 民代が言う、『大阪のお爺ちゃん』こと郷田龍二は、皐月と遥を交互に見比べた後、肩を震わせ豪快に笑った。
 曰く、『行動パターンっちゅうか、肝が据わっているとこなんかまんま遥やないけ』らしい。
 ここでも遥に似ていると公言された皐月は、得意気に胸を反らす。

「橋本さんも、林さんも、山田さんもいないから、どうやって説明しようかと思っちゃった」
「なんや、そないなこと。わしの女や!言うとけ」
「ダメだよ。そんな事言ったら、大吾さんに怒られちゃうよ」
「まだあんなんと連れ添ってるんかいな。ホンマ、遥は忍耐強いっちゅーか、お人好しっちゅーか」
 そう言って、龍二は頭を掻いた。
 場所は郷龍会会長室。
 そこで、皐月は『大阪のお爺ちゃん』こと『郷田龍二』の膝の上で、お菓子を食べている。因みに、龍二が率先して皐月を抱き上げた訳ではない。龍二が椅子に座ると同時に、皐月の方から抱っこをせがみ無理矢理膝の上に乗ったのだ。
 関西一大組織である近江連合の会長である龍二に臆することなく抱っこをせがむ皐月は、やはり大物と呻らざるを得ないであろう。
「ところで……。どうして、わしがここにいるって分ったんや?」
 本来なら本部にいる筈の人間である。自分で立ち上げた組にしろ、いつまでも近江連合会長の龍二が、古巣である郷龍会にいるなんて誰も思いもしないであろうに。
 遥は、少しだけ考えたが、
「何となく。何となくなんだけど、龍二さんは本部の堅苦しい椅子に座っているのに飽きて、息抜きにこっちに来ているんじゃないかな?って思ったの」
「ほう、遥はエスパーやな」
「え?当たっていた?うそ?」
「ま、半分半分っちゅーとこや」
 龍二はそう言い、笑って、背凭れに体を預けた。
 実際、本部は息が詰まる事が多い。頂点を目指し、がむしゃらに駆け回っていた方がなんぼか楽か分らない。
 重い重責、幹部達の突き刺さる視線、外交、どれも己の舵取り一つで暗礁に乗るし、漂流もする。何事もなく順風満帆にエルドラドに着くなんて、夢の又夢の話だ。
「おじいちゃん、おつかれなの?いたいいたいなの?」
 ふと、小さな手が頬に当たった。
 それは確かな温もりを伴って、龍二の肌に触れた。
「ちゃう、わしは疲れてなんか」
「おつかれのときは、おふろにはいるといいの。あとはぐっすりねるの。あとは、あとは、たのしいことをするの。そうすると疲れなんかとんじゃうの」
 子供らしい発想だ。
 龍二は苦笑いを浮かべた。そして、皐月の頭に手を置いて、乱暴に撫で付ける。
 小さな頭は、龍二の手により右に左に動いた。
「そうかぁ。そんなら、今度皐月の言うとおりにしてみよか」
「そうなの!そしたら、おじいちゃんきっとげんきになるの!」
 皐月は満面の笑みで答える。と、不意に、龍二が声を落とした。
「どうでもええんけどな。その『おじいちゃん』はナシや。わしは皐月んとこの親父と同い年なんやで、幾らなんでも『おじいちゃん』はないやろ、『おじいちゃん』は」
 その声音は凄みがある。お茶のお代わりをと、部屋に入って来た組員がうっかりそれを聞いてしまい、身を竦ませた瞬間に盆をひっくり返してしまった位である。
 が、皐月は何処吹く風で、キョトンと龍二を見上げた。
 そして、
「じゃあ、おじちゃんにする」
「お兄ちゃんにまからんか?」
「龍二さん、薫さんと同じ事言ってる」
「……おじちゃんで、ええ」
 地獄の底から這い出る様な声を出し、ガックリと肩を落とした龍二が背中に混沌を背負いながら皐月に初黒星を決めた瞬間であった。

「ほな、今回は皐月の初の遠出の旅行っちゅう訳か」
「そうなの!パパに言ったらね、『たのしんでこい』って」
「言ってないでしょ!何、勝手に捏造してるの!!」
 大吾は出掛ける直前までずっと渋い顔をしていた。その大吾が『楽しんで来い』等言う訳がない。どういう幻聴を聞いてしまったのか、どんな耳をしているのか、一度、皐月を耳鼻科に連れて行く必要がある。
「あはは。そうかあ、ほんなら。ちょっと、わしも皐月の楽しい旅行のお手伝いしよか」
「え?龍二さん?」
 遥は嫌な予感がして、慌てて席を立った。
 龍二は皐月を軽々と腕に抱き、
「今から、わしが超ディープなこれが大阪やっちゅーもんを皐月に嫌って言うほど味あわせたる!!」
 声高らかに叫んだ。
 それを聞いて、遥はこの先巻き起こるであろう騒動を想像出来る範囲内で想像すると、ソファーに力なく崩れ落ちた。
 『旅行中はいい子でいること』はいつの間にか、『問題を起こさないようにすること』という目標に代わっていた。
 

「おおさかのおじいちゃん?さつき、あってみたいの!」
 民代から『大阪のお爺ちゃん』の存在を知らされてからと言うもの、皐月はこの調子だ。遥の体を揺すり、懸命にお願いをする。
「待って、待って。急にそんな事を言われても。ママだって、誰が『大阪のお爺ちゃん』か分らないよ」
 かたや、遥は真剣に悩んでいる。
 大阪に知り合いなんていない筈だ。否、いる事はいるが、あれは『大阪のお爺ちゃん』と可愛らしい言葉で片付けられる者ではない筈だ。
 しかし……。
 思い付くものは全て思い付き、そして結論に行き当たる。
 まさか!という思いが当然の如く込み上げて来たが、自分の推測と民代が言っている事が外れている事を願いつつ、恐る恐る顔を上げ民代を窺う。
 視線があうと、民代はニヤリと笑った。
 その瞬間、遥は声にならない声を上げて、カウンターの机に突っ伏したのである。
『行って、顔見せて来ぃや。きっと、喜ぶで』
 民代の言葉に背中を押され、遥は皐月と連れ立ってある場所へと向かう。
 皐月は『大阪のお爺ちゃん』に期待に胸を膨らましているらしく、向かう足取りも軽やかだ。
 遥は一つ息を落とした。
 そして、その場所が近付くに連れ足が鉛の様に重くなる。
 遥だとて、会いたくない訳ではない。否、寧ろこれを口実に会いたい。何といっても、久し振りだし。六代目姐(自分はそういった気はサラサラないが)になってしまってからは、正直会い難い。こう、精神的に。
 それに、問題は皐月だ。チラリと視線を動かせば、皐月は鼻歌交じりでご機嫌だ。この皐月の口の軽さが、心配なのだ。
 いつもは素っ気無い態度の大吾だが、その裏、皐月を溺愛しているのを遥は知っている。それなのに、その皐月が彼と会った事をベラベラと喋ったりなんかしたら……。考えただけで、遥はゾッとする。
 その目的の場所に着くという時になって、遥は突然立ち止まり皐月と視線を合わす為、しゃがみこんだ。
 そして、出来る限り怖い顔をして、
「い~い?皐月。これから会う人の事、パパやおばあちゃんに言っちゃダメだからね?」
「どうして?」
「いいから、ダメなの!『うん』ってしないと、連れて行かないからね」
「うん、わかった。さつき、しゃべらない」
 あっさりと皐月は承諾したが、果たしてその約束は、帰るまで覚えててくれるのか?一抹の不安を胸に抱きつつ、遥は扉を開けた。

「こんばんは、会長さんいらっしゃいますか?」
 遥が扉を開けると、中にいる男達が一斉に振り返った。
 普通の女だったら、否、男だって、その迫力に身を竦ませ、踵を返し、死に物狂いで走り去るという状況なのだが、遥はニッコリと笑って一歩中へと足を踏み込んだ。
 事務所の中をクルリと一周見渡す。
――困ったな。
 遥は、見渡した中に自分を見知っている組員がいない事に、僅かに落胆していた。
 自分がお邪魔していない間に、新しい人間がかなり入ったらしい。彼の人となりを思えば、それは当たり前の様にも感じるが。こういった時は、そのカリスマ性を呪いたくもなる。
「会長は、出とりますが。会長とはどういったご関係で」
 一人の男が遥に近付く。
 その言葉は柔らかいが、声音は厳しい。
――どういった、ご関係?
 そこで遥は頭を悩ます。
 誰か一人くらい、顔見知りがいると高を括っていただけに、そう尋ねられるとは思いもしなかった。どうやって、返答したらいいのか分らない。
 昔の知人です。は余りにも陳腐だし、妹です。は明らかに嘘だとばれる。
 遥がどう答えようかと悩んでいると、足元から元気な声がした。
「さつきのおじいちゃんなの!!おじいちゃんにあいにきたの!!」
 遥はギョッとして視線を落とす。
 皐月は大人同士のもどかしい遣り取りに痺れを切らしたのか、トテトテと軽い足音を立て、一直線に奥の扉へ小走りに駆け寄る。
「お、おい!ちょ、待てや。こんガキ!!」
「さ、皐月!戻りなさい!」
「会長に孫?つー事は、テメー……いえ、貴方様は会長の娘さまで?」
「ち、違います!」
 慌てて遥は首を振った。
 『いい子にしてること』と約束したのに……。体中から力という力が抜けて行くのが分る。
 皐月は、こういった所は詳しいのか。そういった人がいるのは大抵、奥の部屋と知っているらしく、迷うことなく会長室と書かれた部屋の扉を勢い良くノックする。俄かに騒ぎ立つ後ろを尻目に皐月は声を張り上げた。
「おじいちゃん、おおさかのおじいちゃん。さつきだよ、あそびに来たよ。あそぼーよ!」
「うっさいんじゃ!ボケェ!!」
 瞬間、扉が勢い良く開かれ、中から金髪で体格のいい男が現れた。
「しかも、誰や!わしの事、『おじいちゃん』なんぞ呼ぶアホは!!」
 一瞬で、静まり返る事務所内。
 が、やはりその中でただ一人、
「おじいちゃん、かくれんぼしてたの?」
 無邪気な声を上げる者がいた。
 頓狂な声に、そこで始めて男は皐月の存在に気付いたらしく、その小さな存在を認めた。
「あ?」
「さつきが見つけたから、つぎはおじいちゃんがおにさんね?」
「さ、皐月!」
 慌てて声を掛ける遥。と、またそこで始めて遥の存在に気付く。
「……遥、か?」
「あはは、ご無沙汰してます」
「つーことは、このガキは……」
 そこでマジマジと男は皐月を見つめた。
 皐月はニコリと笑い、
「さつき、かくれるから。十かぞえてね」
 そう言って、いそいそと近くにある机の下に隠れた。
 隠れるも何も、もう見てるっつーの!という皆の視線を浴びながら、皐月はウキウキと男が十数えるのを待っていた。
 
Dhh

 事の発端は、皐月の我儘だ。
 足をばたつかせ、幼児だけの特権である駄々を皐月はやったのだ。
「あそびにいきたいの!」
「お前はいつも遊んでるだろ?」
「とおくにあそびにいきたいの!」
「この間、桐生のおじいちゃんのとこに泊まりに行ったでしょ?」
「とおくにあそびにいきたいの!」
「皐月ちゃん。そんなに足を乱暴にしていると、踵が痛くなるよ」
「あそびにいきたいんだもん!!ぅえーーん」
 終いにはとうとう泣き出した。
 畳に突っ伏し、えーんえーんと、声を張り上げ泣きじゃくる。
 その様子を、大人達三人は困った様に見下ろしていた。
 そんな事があった3日後、皐月は新幹線の中にいた。椅子からはみ出した足をプラプラさせ、窓の外を食い入るように眺めている。
 そんな皐月の顔はどこか得意気だ。
 念願叶って、遠出の旅行が決まったのだ。嬉しくないわけがない。
 さっき車内販売のお姉さんから買ったアイスを食べながら、満面の笑顔で振り向く。
「ママ、りょこうたのしみね」
 もう、何回口にしたか分らないその言葉を、皐月は飽きもせず口にする。
 遥は微笑んで、小さく頷いた。
 皐月の口の周りのアイスをウェットティッシュで拭きとってやりながら、
「この旅行の間は絶対に、いい子でいること。分っているわね?」
「うん!さつき、いい子にしてる!」
 間髪いれずに、力強く頼もしい返事が返って来たが、遥はやっぱり不安でならない。
 美味しそうに、アイスを頬張る我が子の横顔を見ながら、分らないようにそっと小さく溜め息を吐くのだった。

「ふわぁ」
 目的地に降り立って、皐月はそう一声上げたかと思うと、口をあんぐりと開けたまま呆けた様に辺りを見渡した。
 色取り取りの看板、雑多な建物、道歩く人が発する言葉は異国の言葉の様に皐月の耳に届く。何処からともなく何かが焼けるいい匂いに、皐月の小さな足は自然匂いの元を辿りそうになる。
 その背中に、
「皐月!」
 小さな叱責を受けて、皐月は渋々遥の隣に戻る。
 今回の旅の約束事は、
『いい子にしていること』
 思い出し、少しだけしょげる。
 折角、見たことも嗅いだ事もない食べ物が食べられるのに。
 小さく俯いた皐月の頭に、優しい温もりが落ちた。見上げると、遥がニコリと笑って皐月を見下ろしていた。
 そして、手を伸ばし皐月の小さな手を取って歩く。
 人混みの中に紛れるようにして、二人の小さな影は見えなくなった。
「こんにちは」
「あら?遥ちゃんやないの、久し振りやねぇ」
 カウンターの奥で、洗い物をしていた女が声を聞いて出て来た。
「こんにちわぁ」
 その隣で、皐月も遥に習って挨拶をする。
 女は、視線を落とすと人のいい笑みを浮かべて、
「はい、こんにちは。はじめましてやねぇ、皐月ちゃん」
「さつきのことしってるの!?」
「知ってるもなにも、うちは一回皐月ちゃんに会うているんよ。皐月ちゃんが赤ちゃんだった時にね」
 目を丸くして驚く皐月に、女は笑顔になった。
 冷蔵庫から烏龍茶とジュースを出し、カウンターに乗せて、椅子に座るように勧める。遥は短く礼を言って皐月を椅子に座らせてから、隣に自分が座り、出されたお茶を一口飲んだ。
「ほんまに、あんたの小さい頃そっくりやね。この子は」
「そうかな?薫さんは大吾さんに似ているって言うし、桐生のおじさんは私に似ているって言うし、どっちに似ているのか、実際の所良く分らないんだけど」
「あはは。そりゃそうや。子供は両親のどっちにも似るもんや。どっちかだけなんてあらへん。――せやけど、そうやね。どちらか言うたら、遥ちゃんやないん?」
「さつき、ママに似ているの?」
「そっくりや」
「わぁい!!おばあちゃん、ありがとうなの!!」
 余程、その一言が嬉しかったのか皐月は椅子から飛び降りて、クルクル回って踊りだした。
「おばあちゃん、か」
「あ、あの。すみません」
 民代が小さく呟いたのを、遥は聞き逃さなかった。
 慌てて、平謝りをする。けれども、民代がそれを制した。
「あんたは、桐生さんとこの娘や。ちゅうことは、桐生さんとこに嫁いだ薫の娘でもある。あの子は、うちの孫で間違いない、ね?」
「民代さん」
「おばあちゃんは、薫おねえちゃんのママなの?」
 それまでクルクル回っていた皐月が、動きを止め、民代を見上げた。
「『薫お姉ちゃん』?」
 民代は首を傾げた。
 桐生の娘の子なら、薫を『おばあちゃん』か『おばちゃん』と呼ぶべきではなかろうか?何故、それよりも下になる『おねえちゃん』と呼ぶのか?
 思案気にしていると、遥が言い難そうに俯きながら訳を話した。
「あ、あの……、最初『おばちゃん』って呼んだんですけど、薫さんそう呼ばれた瞬間、凍ってしまって……。それでその、それ以降、皐月には薫さんのことは『おねえちゃん』って呼ぶように言い聞かせているんです……」
 遥の説明に、民代はほとほと呆れたと言う様に首を振った。
「まったく、あの子は……。そやで、皐月ちゃん。うちは薫のママで、皐月ちゃんのおばあちゃんや。いや、待ちい。薫がお婆ちゃんにあたるんやろ。そうしたら、うちは……。うちは『曾婆ちゃん』かい!」
 恐ろしい現実を突きつけられて、民代は思わず絶句する。
 孫をスキップで飛ばし、いきなり曾孫とご対面とは。
「ギネス更新やな」
「え?」
「こんなに若い曾ばあちゃんやなんて、そりゃ、ギネスもビックリの若さやろ」
 そう言って、民代は軽く片目を瞑って見せた。
 そして、次の瞬間何かを思い出したかの様な顔になり、意地の悪い笑顔を一瞬だけ、その頬に乗せた。
「さつきね、おばあちゃんは、弥生おばあちゃんだけだと思っていたから、すっごくうれしいの」
「良かったねぇ、皐月」
「そうそう、遥ちゃん」
 民代は微笑ましい遣り取りを目にしながら、満面の笑顔でこう尋ねた。
「もう一人の、大阪のお爺ちゃんには会うて行かへんの?」
「もう一人の?」
「おおさかのおじいちゃん?」
 皐月と遥はその言葉に、訳が分らず顔を見合わせた。 
 
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