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Dh1
関東極道の総本山。東城会の本部前に車が横付けされ、運転手が扉を開けた。
 降り立ったのは小さな赤い靴。
 元気に地面に降り立って、トテトテと覚束ない足取りで門を潜る。
 その背中に、威勢のいい声が投げられた。
「ああ、皐月ちゃん。走ったら転ぶよ。走らないで歩いてお行き」
 軽く叱る言葉は、けれども優しい。
 極道の総本部にはとうてい似つかわしくない赤い靴の少女は、その声に、勢い良く振り返った。手には真っ白な兎のぬいぐるみをしっかり抱き締めて。
「だいじょうぶだもん!さつき、かけっことくいだもん!!」
 幼児特有の舌足らずな発音。黒髪は真っ直ぐで艶やかだ。目は黒目がちで大きく、涙が溢れていないにも拘らずいつでも潤んでいる様に見える。
 ただ、難点を言えば目の力が強すぎるところだろうか。野生の光を宿したその目は、意志の強さをはっきりと表していた。
 皐月と呼ばれた少女は、そう言うとまた駆け出した。
 車から降りた弥生は、やれやれと言わんばかりに小さく溜め息を吐いた。


「こんにちは」
 とある扉の前まで来て、皐月はそこに立っている男に挨拶をする。
 目の前の扉は皐月には大きくて、手を伸ばしてもドアノブに届かないのだ。
「今日は何処かに行ってらっしゃっていたんですか?」
 幼児に対して敬語を使う男に、皐月は特に疑問も持たず満面の笑みでうんと頷いた。
「きょうはね、おばあちゃんといっしょにお買い物に行ったの。うさちゃん買ってもらっちゃった」
 そう言って、腕に抱いている白兎を誇らしげに見せた。
 組員は大きく頷いて、ドアノブに手を掛けた。
「それは良かったですね」
「うん!パパにも早く見せたいの」
 無邪気に早く開けろとせがまれ、組員は苦笑いを浮かべた。そして、軽くノックをした後、中から了承の声を聞いてから扉を開けた。
 扉が全て開くのがもどかしいのか、皐月はその前に既に小さな身を僅かな隙間に滑り込ませる様にして、中へと入ってしまった。
「パパーーッ!!」
 中では二人の男が話し合いながら、書類に目を通していた。が、場に似合わない高い幼児の声に、ふと顔を上げ、声の先へと視線を送る。
「おや?皐月ちゃんじゃないか?」
「こんにちは、柏木のおじいちゃん」
 スカートの裾を持って、おしゃまな素振りで挨拶をする。その姿に柏木は相好を崩した。
 が、それに反して椅子に座っている男は仏頂面である。
「何しに来たんだ、お前は?」
「こら、大吾。子供に向かってそんな事を言うんじゃない」
 ぶっきらぼうに言うのを柏木が慌てて嗜めるが、皐月は臆することなく、トコトコと机を回って男の前へやって来ると、両手を懸命に伸ばし、抱っこをせがむ。
「お前なぁ……」
 嘆息しつつも、取り合えず脇の下に手を入れ、膝の上に抱いてやる。
「あのね、これね。きょう、おばあちゃんが買ってくれたの。それとね、パパにわすれ物もって来たの」
「忘れ物だぁ?」
「そうなの」
 皐月は神妙な顔で頷く。
 そして、不意に大吾の頬に手を伸ばすと、精一杯に伸びをして頬に軽く口を付けた。
「だぁぁぁ!!何するんだ、お前は!!」
 慌ててひっぺがえそうとして、バランスを崩す。と、膝の上に乗った皐月もコロンッと落ちそうになり、慌てて体勢を整えた。
「朝ね、行ってらっしゃいのチューしてなかったの。でも、まだダメなの。これはさつきの分なの。でも、ママの分がまだなの」
「分った。分ったから、もういい。つーか、止めてくれ」
「なんだ大吾。熱烈に愛されているじゃないか、もっと素直に喜んだらどうだ?」
 この勢いでは更に、家庭内の事情を暴露されそうだ。冗談じゃないと言いたげに大吾は低く呻き、頭を抱えた。
 その時、会長室の扉が再度開かれた。中に入って来たのは弥生。
 皐月はその姿を確認するや否や、大吾の膝の上からピョンッと飛び降りて、弥生の許へ駆け、その足に纏わりつく。
「だめだろ、皐月ちゃん。走ったら危ないって、私は言ったじゃないか。転んで怪我したら泣くのは皐月ちゃんだよ」
「さつき、泣かないもん」
 きっぱりと言い切る皐月に弥生は首を振った。
「やれやれ、誰に似たのだか。まったく、頑固な子だよ」
「頑固な所は大吾に似たんじゃないのか?」
「はぁ?」
「さつき、パパに似ているの?ママじゃないの?」
 大人達のとりとめのない会話に、皐月は俄かに不安気な顔をする。
 どうやら、パパ似よりもママ似と言われた方が嬉しいようだ。
「皐月ちゃんはママ似がいいのかい?」
「うん」
「どうして?」
「だってぇ……」
 皐月は俯き、足で床にのの字を書いた。
「まじまのおじいちゃんが、『ママがきれいでええなぁ~。さつきちゃんもきれいなママで自慢できてええやろ~』って言うの……。さつきもママに似ていれば、きれいになれるでしょ?」
 あのジジイ。と、大吾は口の中で罵る。
 それに、皐月の口真似がかなり特徴を掴んでいる。これはもしかしたら、結構頻繁に会っているんじゃなかろうか?
 俄かに湧き立つ不安を抑えつつ、大吾は努めて冷静に問い掛ける。
「皐月、お前。俺に内緒で真島さんに会っているんじゃないだろうな?」
「え~~」
「桐生さんにも止められているだろ?真島さんにはなるべく会うなって」
「でも~~」
「でもじゃない。今度、内緒で会ったらお尻ペンペンだからな!」
 条件反射で皐月はお尻に手を当てた。
 どうやら、大吾は日頃から厳しく躾けているらしい。
 それにしても、今の今まで東城会六代目を崩さないように努力をしていた彼なのに、娘が危険人物に会っていると知るや否や父親の顔になったのには、柏木も驚いた。
 つっけんどうな態度をしていても、やはり一人娘は可愛いのだろう。無理に怖い顔を作ってみせているせいか、口許が微かに痙攣を起こし始めている。
 柏木は短く『休憩だ』と言って、部屋を出て行った。
「柏木のおじいちゃん、行っちゃうの?」
 名残惜しげな皐月の目と声に、後ろ髪を引かれる思いはかなりあったが、これ以上、ここにいたら大吾の顔がおかしな事になる。絶対に。
――それは、困るからな。
 肩越しに振り返ると、親子三代水入らずの光景が柏木の目に飛び込んで来た。
 組員に暫くはここに近付かないよう言い残して、静かに扉を閉めた。
PR
dh
徒然 玉石混淆
記事の内容
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何て呼べばいいの?~龍が如く~
2008/01/16 14:22
 事件もようやく解決の方向に歩き出した。
 東城会の六代目を襲名した大吾もこれから本格的に忙しくなる。
 謂わば腕の見せ所というところだ。
 まだ慣れない会長の椅子に座りながら、大吾は雑務の合間のほんの一時に、紫煙を燻らせその先が天井に昇る様をぼんやりと目で追いかけていた。
 まだ何となく実感がない。
 こうしてこの椅子に座っている自分が。
 あの事件の一番の功労者は間違いなくあの男である筈なのに、自分はその男と比べるとまだまだヒヨッコなのに……。グルグルと答えのない問いを頭の中で巡らせながら、大吾は背もたれに体重を掛けた。
 椅子はギィッと悲鳴を上げた。

 
 その時、軽いノックの後、戸惑い気に会長室の扉が開いた。
 見ればそこには少女がポツンと立っていた。
 本部のしかも会長室である。こんな所に、少女がいるのはおかしい。吸い始めたばかりの煙草を灰皿に押し付け、思わず大吾は己の目を擦った。
 が、依然少女はそこにいる。夢ではない。
 組員達の趣味の悪い悪戯か何かかといぶかしんでいると、それはトコトコと躊躇いもなく自分に近付いて来るではないか。
 昨今の玩具は良く出来ていて、ついこの間もニュースで接客の仕事を手伝うロボット等というがやっていたような気がする。
 ついに東城会にもそんな物を導入する日が来たのかと、大吾は思ったが、幾らなんでも少女のロボットは趣味が悪いだろうと自分自身に突っ込みを入れた。
「こんにちは、えっと……大吾さん?」
 少女は屈託のない笑顔を向けて来た。
「あぁ……。えーっと、おま……どちら様だ?」
 声を荒げる事はさすがに憚られて、大吾は極めて丁寧に問い掛けた。
 少女の目が大きく見開かれた。
 自分の事を知らないと言われたのが、余程ショックだったようだ。
「澤村遥です。桐生のおじさんに大吾さんにもちゃんとお礼を言って来なさいって言われて」
「ああ」
 そこで初めて大吾は合点がいった。
 そういえば、いつも桐生の後ろに隠れるようにして小さな女の子がいた事を大吾はようやく思い出すことが出来た。
 面識はなかったが、こうして改めて見るとなるほど柏木達が言っていた言葉があながち嘘ではない事が分かった。
『桐生は、遥が大事だからな。ありゃ、嫁に出す時は大変だな。泣くぞ、アイツ』
 からかい半分、羨望半分。と言った所だろうか。
 が、それもこの子を前にしてみれば頷ける。今はまだ幼いが、長ずれば絶対に美人になる。
そう言えば、この子の母親に自分の父親は手を出そうとしたのだっけ……。
 若くて美人な女が特に大好きだった父。
 この子を見れば、母親がどれだけだったか容易に想像が出来るというものだ。
「大吾さん、今回はありがとうございました」
 大吾が逡巡している側で、遥は行儀良く頭を下げた。
「おじさんも無事に助かりました。本当にありがとうございました」
 気のせいか少し涙声になっていないだろうか?
「いや、俺がやった事は少ない。礼を言われる筋はないぜ」
「ううん。大吾さんがおじさんに腕のいいお医者さんを付けてくれたんでしょ?柏木のおじさんから聞いたよ」
「それだけだ」
「そんなことないよ!そのお陰で、おじさん助かったんだもん!!大吾さんには何回お礼を言っても足りないよ。本当に、本当に、ありがとうございました」
 そう言って、何度も何度も頭を下げる。
 さっきまでは微かだったが、今では紛れもなく涙声になってしまっている。
 大吾は乱暴に頭を掻いた。
 こういった場合、どういう風にしたらいいのかまるっきり分からない。ましてや相手は少女だ。子供との接し方だなんてものは、柏木からも弥生からも教わっていない。
「あーーー。まぁ、なんだ。桐生さん生きてて良かったな」
 がばっと遥の頭が勢い良く上がった。
 上げられたその顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
(オイオイ、本気で泣いてやがったのかよ)
 まるで自分が泣かせていたようで、居心地悪い。
「うん。大吾さんのお陰だよ」
 頬の筋肉全てを緩ませての笑顔になった。
 泣いたり笑ったりと忙しい事だ。と、半ば呆れながらもその涙で濡れた頬をポケットから取り出したハンカチで乱暴に拭ってやる。
「ああ、もう泣くな」
「い、痛い、痛いよ!」
 小さな頭、小さな手。
 大人の自分のそれとは明らかに違う体のパーツに、戸惑いながら大吾は自分なりには優しく拭いてやっていたつもりだったが、遥には些か力が強かったらしい。途端に非難の声が上がった。
「何だよ人の好意を……ったく、これだからガキは」
「ガキじゃないもん、遥だもん。大吾さんにはちゃんと大吾さんって名前で呼んでいるでしょ!?」
 だから自分の事も名前で呼べと言うことらしいのだが。
 何だか、こんな少女に自分の事を『大吾さん』と呼ばれることに、物凄く抵抗がある。抵抗というか、何というか……。
「うっせーな。ガキはガキだろ。すぐピーピー泣きやがるし」
 取り繕う事も忘れて、大吾はつい本音を零した。こういったところが、まだま子供だと柏木から言われる所以なのだろうが、本人は気付いていない。
「違うもん、遥だもん」
「あーはいはい。んじゃ、チビ」
「酷い!!」
 遥は頬を膨らませ大吾に抗議する。
 キッと睨み付けるが、真っ赤になった目で凄まれてもまったく怖くない。
「大吾さん……」
「それ」
「え?」
「それその『大吾さん』止めろ。お前みたいなチビガキに『さん付け』で呼ばれると調子狂う。つーか、気持ち悪ぃ」
「じゃあ、なんて呼べば言いの?」
 遥は首を傾げる。
 大吾は意地悪い笑み浮かべると、その小さな頭を軽く叩いた。
「知らね。自分で考えな」
 腕を組み、うーん、うーんと悩む遥を机に頬杖を付いて大吾は見守る。本気で悩む様が何だかとても面白い。
 遥はそれからややあってパァッと顔を輝かせ、真っ直ぐに大吾を見上げた。
「『大吾おじさん』!!」
 瞬間、頬杖が崩れた。
 よりにもよってそれかよ。
 しかも柏木・桐生と同じラインだ。
「俺はまだ30だ!」
「えー?30って立派なおじさんだよ?」
「うっさい、却下だ。却下」
「じゃあ、『六代目』」
「お前はいつ東城会に入ったんだ?」
「じゃあ、『兄貴』」
「お前と盃交わした覚えはねーぞ!」
(絶対に、桐生さんの教育間違っている)
 男として惚れはするものの、教育に関しては賛同出来ないな、と大吾は心の底から思った。
「もう、大吾さん我儘過ぎ!!」
 とうとう遥が痺れを切らした。
 両手で握り拳を作り、大吾ににじり寄る。
「じゃあもうおじさんと一緒に、『大吾』って呼んじゃうんだからね」
「年上を少しは敬え、チビ」
 額を指で軽く弾くと、両手でその部分を覆いまたもや、抗議の声が上がった。
 もう出し尽くしたのか、遥は部屋を出て行こうとする。
「何だ、もう帰るのか?」
「うー……。桐生のおじさんが心配しているから……」
「そうか。気を付けて帰れよ。チビ」
「チビじゃないもん!」
 しっかりと抗議の声を上げた後、大吾に背を向けて扉のノブに手を掛ける。
 そのまま帰ってしまうかに見えた遥だったが、不意に何を思ったのか振り向きざまに、
「お兄ちゃん、ありがとう。バイバイ」
 満面の笑みで、扉の外へと消えて行く遥。
 大吾は思いも寄らなかった不意打ちに、しばし呆然とした。
『お兄ちゃん』
 その甘ったるくもくすぐったい響きは、暫く大吾の耳奥に残響した。
 
khh

Sun-Day


先週の月曜だったか。
「おじさん、はいっ」
遥が、小学校で貰ったプリントを出して意味ありげに笑った。
目を通してみれば、藁半紙に教師が印刷した「おたより」である。
上の方には手書きで「カゼに注意!」「帰ったら、手洗い・うがい」などの文字が大きく踊っている。
~今月2組で一度も欠席しなかったのは、勇人君と遥ちゃんでした。元気に小学校に通ってくれました。~
そこまで目を通して視線を上げる。
「よく頑張ったな」
「えへへ。…おじさん、下の方も読んで」
再び視線を落とすと「保護者の方へのお知らせ」として、何やら文章が綴られている。
『次回の授業参観は、来週の日曜日に行います。休日ですので父兄の方もどうぞ参観下さい』
少し面食らって、再び頭を上げた。
「おじさん、来てくれるよね!」
遥は握った手を口に当てて、期待の目で桐生を見つめた。
だが、桐生は自分が元極道者である事に引け目を感じていた。
もちろん、いつかは親として進路相談やらに出席せねばならなくなるだろう。
しかし、今回は授業参観だ。参加を強制されるものではないし、他の親達に混じれば、自分は確実に浮くのではないか。
自分の為に遥が今後いじめられるような事にならないだろうか。
「俺が行っても、いいのか?」
「おじさんが来てくれなかったら、もうご飯作ってあげないよ」
「えっ」
「洗濯物もおじさんが畳んでよ」
それは、不器用な桐生が最も苦手とする家事だった。
「…」
「おじさんに、見に来て欲しいの!」
遥が少しふくれて言った。
…かわいい。
桐生は素直に思った。
「わかった。日曜の昼だな」
遥の頭をなでてやると、目を輝かせて喜んだ。



あっという間に日は過ぎて、参観当日。
遥は、いつものように8時前に小学校に向かった。
今日一日は通常授業を行い、月曜日が代休になる、と言う事らしい。
彼が子供の頃は、父兄参観の日が大嫌いだった。大抵父親は来なかったし、急に前触れもなく現れたと思えば、派手なアロハシャツにサングラスをかけ、いかにもヤクザといった風体で周りの父兄を怖がらせた。
だが、遥は自分に来て欲しいと言ってくれた。
桐生は嬉しい反面、今までになく緊張していた。
とりあえず、できるだけ真面目そうに見える服装で行こうと考えたが、タンスに入っている服は派手なシャツや上着ばかり。
そういうデザインが子供の頃から好きだったのだ。
比較的地味な服と言うと、パジャマ兼用のスウェットの上下くらいしかなかった。
「参ったな」
さすがに寝間着姿で授業参観には行けない。
桐生はふと、ファンシーケースのファスナーを引いた。
見なれた白いスーツと、黒い喪服用のスーツに挟まれて、渋いグレーのスーツが架かっている。
それは組に入ってしばらく経った頃、風間に贈られたものだった。
「お前もいつか、こういったスーツを着なきゃならねえ事もあるだろう」
当時桐生はまだ若く、回収やカチコミの時も派手な格好で繰り出していたので、風間がどうしてこんなに地味な服を贈ってくれたのか理解できなかった。
だが、風間が贈ってくれたスーツである。殆ど着る事はなかったが、大切に保管していた。
将来組を背負って立つ時の事を、すでに風間は考えていたのかもしれない。
それとも、今のように桐生が組を辞め、真っ当な人間に戻った時を考えたのか。
まさか娘(のような少女)の授業参観で着られる事になるとは思ってもいなかっただろう。

洗面台の鏡に向かい、ネクタイを締めた。
居間に戻ってスーツに腕を通すと、少し袖の丈が短く、腕回りや脚周りも少し窮屈に感じたが、気にするほどでもない程度だ。
一時期、警察から身を隠す為に買った黒縁のメガネを掛けて鏡を覗くと、すっかり一般的なサラリーマンに見えた。
(実際はあまりにがっしりとした体躯と鋭い目つきのせいで、やはりどこか違和感が残っていたが、桐生自身が気付くはずもなかった)
一人で鏡に向かって頷き、桐生はアパートを後にした。



小学校の門をくぐると、桐生と同様、授業を見に来た父兄の姿が散見された。
母親と父親、揃って参観に来ているケースも多い。
ここに由美がいれば、遥の両親としてここに来るような事もあり得たのだろうか。
いや、両親と言う事はつまり…。
自分の考えている事に気付いて顔を振り、そのまま早足で遥の教室に向かう。
いきなり顔をぶんぶん振り回す行動に、周囲から奇異の目で見られているとは遂に気付かないままだった。

教室に着いたのは授業が始まるギリギリの時間で、既に殆どの父兄が顔を揃えているようだった。
教室の後ろには入りきらず、桐生は窓からそっと中を覗き見た。
遥は窓際で友達と話をしているようだったが、こちらに気付いて嬉しそうに笑った。
桐生も小さく手を振った。
そのまま遥は友人らしき少女とこちらを見ながら何か話をしている。
少し照れくさくなって桐生は目線を外し、周囲を見回した。
やけにラフな格好の父兄が目に付いた。Tシャツ、ポロシャツにジーンズ姿が多い。
ジャージのような服を着た父親までいる。
どういう事だろう。
そこに教師が姿を現した。まだ若そうな女性の教師だ。
「本日は、お忙しいところをお子様方の授業参観に足を運んで下さり、ありがとうございます…今日は、いい天気ですので、運動場で体育の授業を行います」
桐生は壁に貼られた「おたより」を改めて読んだ。『授業参観のお知らせ』の後ろの方に、小さく
『当日は動きやすい服装で参集下さい』
とある。プリントを貰った時は、そこまで読んでいなかった。
よく見れば、遥たちも体操服姿だ。
「先に父兄の皆さんは運動場の方へ…子供達と父兄の皆さんで対抗リレーをしようと思います」
桐生は天を仰いだ。

リレーは生徒のチームが1つと、父兄チームが2つの3チームで競うと言う事になった。
生徒チームは運動場を半周ずつ走り、父兄達は一人一周ずつでバトンを渡す。
桐生は、父兄チーム1のアンカーに任命された。
「いや、俺…じゃなくて私は、こんな服装ですから」
そう一旦は断ったのだが、どうもアンカーと言うのは他の父兄も避けたいものらしく、結局引受ける事になった。
あれよあれよと言う間に、リレーがスタートした。
遥は第一走者で、周りの大人の男性に引けを取らない速さの、軽やかな走りだった。
自分の役目を無事終えて、遥がほっとしたような表情でこちらを見た。
桐生は誇らしいような気持ちだった。
しかし、間もなく自分の出番だと思うと、少し気が重くなった。
リレーはいい具合に緊迫したレース展開で、生徒のチームが僅かにリードしていたが、父兄のチームは抜きつ抜かれつ、といった具合だった。
次がアンカーの出番だ。
相手チームの父兄は、年齢は近そうだが色黒で、いかにも元スポーツマンといった風体の男性だった。
こちらを見ながら屈伸などをして自信ありげな表情に、桐生は急に火が点いた。
コイツには負けられん。
ネクタイを緩めてメガネを外し、スーツのジャケットを脱ぎ捨てた。
運動場に立つ。
生徒達が思い思いに声援をかける。
桐生達に向かって一つ前の走者が近付いてくる。
バトンタッチはほぼ同時だ。
駆け出した桐生の背中に、
「お父さん頑張って!」
と言う遥の声が、聞こえた、気がした。



帰り道。桐生はくたくたになって歩いていた。
スーツは右手で肩に掛け、ネクタイはシャツの胸ポケットにねじ込んでいる。
シャツのボタンは2番目まで外して、襟は立てていた。
左手にはコーラの缶を2つ握っている。
「おじさーん」
遥が走って追いかけて来た。汗一つかいていない。
「子供は元気だな」
「私、子供じゃないよ」
口を尖らせる姿が子供らしいと思うが口には出さずにおいた。
「喉、かわいただろ」
「わぁ、コーラ!」
遥はコーラの缶を受け取って、一口飲んだ。
「…ふぅ。五臓六腑に染み渡るよー」
こういう物言いは、やけに年寄りじみていると、いつも桐生は思う。
何度かコーラに口を付けてから遥がこちらを見上げた。
「おじさん、かっこ良かったよ!」
「…」
照れくさくて目を外した。頭上には雲一つない青空が広がっている。
「ホントだよ!友達も、かっこいいって言ってたんだから!」
「そうか」
ついぶっきらぼうに答えてしまう。
「そうだよ!それに…なんか今日のおじさんは、普通のお父さんみたいだった」
思わず遥の顔を見つめた。
「いつものおじさんもいいんだけど!」
慌てたように付け足す。
桐生は口の端を上げた。この服装も悪くはなかったらしい。
「遥は明日、学校休みだったな」
「うん」
「俺の服、明日は遥が選んでくれないか?」
「うん!」
遥は「おじさん」の腕に抱きついた。桐生はその腕を上げて、遥を宙に浮かせ、そのまま家に続く坂を登っていく。
二人の影はアパートに吸い込まれるまで、離れる事はなかった。






「Sun-day」 了




kh

2006/01/31

天気予報では曇りと言われていたのに、今夜は冷たい雨が降った。
午後11時半。街灯がぽつりぽつりとついている以外、あたりは暗闇である。
雨の中傘もささず、桐生は一人家路についていた。
行く先に、小さなアパートが見える。
二階…遥の待つ部屋の灯りがついているのを見て、桐生は安堵した。
そして小さく首を振り、足を速めた。

鉄製の階段を登り、二番目の扉が二人の住処の入り口だった。
「ただいま」
「おかえりなさい、おじさん!」
桐生が帰ってきたのに気付いて、遥は弾けるように立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。ピンク色のパジャマは、少々サイズが大きいようで少しダブついている。
「遥…俺のことは待たなくていい。10時には寝ろって、いつも言ってるだろう」
「だってぇ」
「子供は早寝早起きだ」
わざとらしく顔をしかめて見せる。
「えー、嫌だよー」
途端に遥は頬を膨らませた。
つい一ヶ月ほど前…目の前の少女と神室町で出逢い、共に過ごしていた頃。
桐生は遥に、年齢の割に大人びた子供だという印象を持っていたが、
あの事件が終わり、二人田舎の町で暮らすようになってからは、すっかり子供らしさを取り戻していた。
神室町では周りの人間は大人ばかりで、緊張していたのだろう。
つい先頃からは小学校にも行き始め、少しずつクラスにも馴染んでいっているようだった。

「おじさん、ごはんとお風呂、どっちが先?」
「なんだ、それは」
いきなりの質問に、我ながらおかしな返事をしたと桐生は思ったが、遥は気にするでもなく詰め寄った。
「もー、答えてよ。どっち?」
両腕を腰に当てて、顔を寄せてくる。こちらを真っ直ぐ見つめる瞳。
その輝きは、平凡な日常を取り戻した今でも、あの頃と変わっていなかった。
少し考えてから桐生は答えた。
「メシにしようか」
「ブッブー」
「えっ?」
「ごはんはまだダメ!おじさんがお風呂に入ってる間に用意するんだから」
「じゃあ、どのみち風呂しか選べないじゃないか」
自分に聞いた意味がない。
「だって、一度言ってみたかったんだもん。『あなたー、ごはんとお風呂、どっちにする?』」
桐生は頭がクラクラした。そんな台詞を、どこで覚えてくるのだろう。
「それにおじさん、びしょ濡れだもん!身体温めなきゃダメだよ」
今思いついた風に遥は付け足して、台所に立った。
どちらが風呂を勧めてきた本当の理由なのか、桐生には分からなかった。両方かも知れない。
女の考えることは分からん。
相手が例え、自分より30歳近く年下の少女でも。
桐生はしみじみと思った。


風呂に浸かると、雨に濡れて冷え切った身体に熱がじんと染みた。
湯と共に疲れも流れて消えて行くような気がする。
雨音が小さく、風呂場にまで聞こえてきた。
…あの日も雨だった。
改めて桐生は思った。
雷鳴轟く夜、稲光に照り返す血の海。銃を持ったままだった錦。現場に落ちていた由美の指輪。
親殺しとして過ごした10年、消えた100億、それを巡って巻き起こった様々な事件。
遥との出逢い。
この静かな町にいると、全てが夢のように思えた。
ドラマの中の出来事のようだと思う。

だが今、俺は遥と共に暮らしている。
一生、命かけても遥を護ると決めたのだ。
神室町で過ごして出会ってきたこと全てを、忘れてはならない。

犬の遠吠えが聞こえた。



首に掛けたタオルの端で髪を拭きながら風呂場を出る。
「メシは出来たのか、遥…」
返事はない。
「遥?」
座ったままちゃぶ台にもたれて、少女は安らかな寝息を立てていた。
大きな茶碗へ山盛りによそわれたごはんと、不格好だが丁寧に作られたハンバーグが湯気を立てている。
時計を見れば既に日付が変わっていた。
桐生は黙って手を合わせ、肉をこね足りなかったのか最初から半分に割れているハンバーグを口に運んだ。
「…うまいな」
眠る少女に向かって感想を述べた。味ももちろんだが、一生懸命作ってくれた気持ちが何より嬉しい。
彼の声が聞こえているのかどうか、遥は笑みを浮かべているように見えた。
ハンバーグはあっという間に無くなった。

桐生は手早く食器を片づけ、布団を敷いた。
そして布団の上に白い小さな枕と、大きな枕を並べた。
「遥」
小さな声で呼んでみたが、彼女は起きる気配もない。
桐生は軽々と少女を抱き上げ、布団に運び、寝かせてやった。
電気を消し、自分も隣へ横になる。


「おやすみ」
そう言って目を閉じる。


いつの間にか雨はやみ、雲間から薄い月が覗いていた。





「2006/01/31」 了



one-peace


未だわずかに夕焼けの余韻を残す空の下。
普段より少し早く、桐生は自宅の扉を開いた。
待ちかねたように遥がこちらに駆けてくる。
晩ご飯、ちょうど今できたところだよ。早く一緒に食べようよ。
そう言いながら少女は男の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張った。
古いちゃぶ台を囲み、出来たばかりの夕食を二人で食べる。
白いごはんと豆腐のお味噌汁。それに焼き魚。
おかわりもあるからね、と身を乗り出して遥が言う。
少女はいつも食事をしながら、その日学校で起きた他愛もない出来事を楽しそうに話す。新しくできた友達の話、体育の授業でマラソンをがんばっていること、次の学年からはクラブ活動が始まるけれど、どのクラブに入ろうか迷っているという話。小学生の、よくある世間話だ。
しかし桐生は、遥の話を聞くのが好きだった。
くるくる変わる表情を見ているのも好きだった。
ちょっとした事でこぼれる彼女の笑顔を見るのが、一番の幸せだった。
桐生がごはんのお代わりを頼むと、遥がいそいそと山盛りによそってくれる。
自分の娘のような年の少女と、どこにでもいる親子のように、ごく当たり前の、ごく平凡な生活を送る。それだけの事が彼にとっては何もかもが夢のようだった。

もう忘れてしまいそうなくらい昔ーーそう、遥と同じくらいの年の頃は、彼もそれなりに平凡な生活を送っていた。但し親父は怠惰なチンピラで、稼ぎはほとんど無く、年中外で飲んだくれていた。代わりに母親が毎日働き、時折思い出したように戻ってくる父親に金を渡していた。一馬少年にとって父は憎むべき男だったが、父を憎む以上に母が好きだった。
毎日休まず朝早くから夜遅くまで外で働いていた母と話が出来るのは、大抵夕食の時だけだった。母親は大人しい女性で、一馬の腕白に少し困った顔をしながらも、息子の武勇伝をいつも楽しそうに聞いてくれた。

今は自分が親の役割だな。
娘のような少女を見ながら一馬は思った。遥の今の境遇は昔の自分に似ている。そして遥の過去は当時の自分など比べ物にならぬほど過酷な物だった。そんな彼女が今、楽しそうに自分に微笑みかけてくれる事が嬉しい。
遥を二度と悲しませたくない。ずっと笑顔でいて欲しいと、心からそう思う。
いつの間にか、食事を進める手をとめて、深く考え込んでしまっていたらしい。
「おじさん、怖い顔してるよ…お魚、生焼けだった?それとも焦げてたかなぁ」
目の前の少女が首をかしげた。長い髪がさらりと揺れる。大きな瞳がこちらを見ている。
「あ、あぁ、なんでもない」
桐生は、自分の考えを見透かされたような気がして急に気恥ずかしくなり、あわててごはんをかきこんだ。
そして、むせた。
「おじさん、大丈夫!?」
なかなか咳がおさまらない桐生の背中を、遥が一生懸命さすってくれる。
「…すまない」
桐生は少し情けない気分だった。
少女は『おじさん』の様子が落ち着いてきたのを見て炊事場に走り、水を汲んできてくれた。
それを飲んで、ようやく一息つく。
「もー、私がいなきゃ全然ダメなんだから!」
人さし指を立てて、いたずらっぽく微笑んだ。
「そうかもしれないな」
そして顔を見合わせて、声をあげて笑った。

食事を終え、洗い物や風呂も済ませ、ゆったりとした時間が流れる。
新聞を読んでいた桐生に遥が話しかけた。
「おじさん。今度のお休み、忙しい?」
「いや。…どこか行きたいところがあるのか?」
「おかずが少なくなったから、スーパーに行きたいの」
それくらい、俺が買ってくると答えたが、遥は大きくかぶりを振った。
「いいの、おじさんと一緒に行きたいの」
「なら、それは帰りにしよう」
「?」
遥はきょとんとしている。
「ほかに行きたいところはないか?」
どこでも好きなところに連れていってやる。そう続けると、遥が目を大きく見開いた。
「本当?」
「本当に決まってるだろう」
「やったぁ!」
遥は満面に笑みを浮かべて、しばらくあそこでもない、ここでもないと一人考えていたが、急に何か思い付いたらしく顔をこちら向けた。
「…あのね、私、おじさんと一緒に映画を見たい!」
「映画か…長い間見てないな」
神室町にも映画館はあったはずだが、全く、気にも留めた事がなかった。
「友達がね、この間家族で初めて映画館に行ってね、おーっきな画面で、すーっごく面白かったんだって!」
画面の大きさをあらわすように腕を広げ、目をキラキラ輝かせて力説した。余程うらやましかったらしい。
「じゃあ、今度の休みはどれでも遥の好きな映画を見に行こうか」
「ありがとう、おじさん!」
遥はバンザイして跳ね上がらんばかりに喜んだ。
その様子を見ていると、桐生まで心が躍り出すのを感じた。
「じゃあ、今度の日曜日、ね!」
壁にかけたカレンダーに、遥がペンで大きく赤丸をつけた。
下に『えい画』と書いてからこちらに振り向き、「約束だよー」と言って、笑った。
「もちろんだ」
「指切り!」

右手の小指を絡ませて指を切ってから、しばらく自分の指を見つめた。
指切りなんてするのは、いつ以来だろう。
なんでもないような、小さな約束に胸を躍らせていたのは、いつ頃までだったろう。
過去の記憶をたぐりながらふと目線を移せば、遥はもう休みの日に着る服を選んでいる様子だった。
薄い水色のワンピースを胸に当てている。
「遥は気が早いな」
「だって楽しみで、楽しみで待ちきれないんだもん!」
「そうだな…」
自然と口がほころぶ。俺も楽しみだ、と心の中でつぶやいた。
ずっと、この幸せが続けばいい。
毎日がありきたりで穏やかに、つつがなく続けば。
それは、自分には大それた願いかもしれないとも思いながら。






「one-piece」 了




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