受験の朝に
満員電車を乗り越え、着いた駅は毎朝高校へと向かう駅とは違った。
遥は今年、十八歳になる。
桐生と家族になってもうすぐ十年だ。
「はやく、来すぎたかな…?」
疑問符をつける必要もなく、早すぎた。
集合時間までまだ一時間以上もある。用心のため、早く来すぎたのだ。
「仕方ない…喫茶店にでもはいるかな」
時間潰しにはなるだろう。
けれど、一人ではいる喫茶店は寂しいものだった。
いつもは桐生が一緒だし、桐生がいない時には真島が向かいにいた。時には伊達がいたりと…寂しい、なんておもうわけないメンバー。
「親離れできてないなぁ」
苦笑した。
一応、参考書なんかを開いて勉強の振りをして…アイスティを飲んで…街ゆく人たちを眺めてみる。
忙しく歩いていく人たちのなかに、いま会いたい人はいなかった。
(おじさん…いま何してるのかな)
寂しい時には、いつも桐生の顔が浮かぶ。
好きでしかたない、あの優しい笑顔が。
「おーい」
声を掛けられ振り向くと、ショウウインドウ越しに眼帯と凄まじい迫力の笑顔があった。
ゴンゴンとショウウインドウを叩き、店内の客たちがざわめいた。
見るからに危ない人間が女子高生に声をかければ、まぁ当然の反応だ。
しかし、この眼帯男と遥随分と長い知り合いだ。
「真島のおじさん」
真島は躊躇うことなく遥の前に座る。
「おはようさん」
「おはよう。珍しいね、こんなとこで会うの。朝からお仕事?」
遥の言う仕事というのは主に借金回収などの事を差すのだが、真島は首を横に振る。
「朝っぱらからそんなんせぇへんよ。ワシ、早起き苦手やねん」
「そっか」
じゃあなぜ朝の早くから行動しているのか。
遥も大人になったので、下手なことは聞かない。
「私、これから受験なの。第一志望だから緊張してるんだ」
「さよか、大変やなぁ。ワシなんか中学卒業したら極道に入ったもんやから、まったくそないな苦労してへんねん」
きょうびの学生は大変やなぁ。
真島は肩をすくめて言った。
「ほんなら、こないなとこで時間潰しててええの?」
「うん。早く来すぎたみたい」
遥は照れた様に頭をかく。
その時、遥があっと言う前に真島の頭に拳が降っていた。
「真島、お前なんでここにいる」
拳を振り下ろしたのは、伊達だった。
伊達は、十年前とあまりかわらないヨレたコート。険しい顔付きも変わらない。
いきなり叩かれた真島は伊達を見た途端機嫌が悪くなり、ドスのきいた声をだす。
「なにすんねん」
伊達は真島を無視すると、遥へ声を掛けた。
「遥、こんな奴とつるむな。おじさんが心配するぞ」
「あー…うん、まぁ、確かにそうだけど…でも真島のおじさんいい人だよ?」
桐生がまだ真島と遥を並ばせるのに抵抗を感じているのは知っている。だが、遥はいつキレるかわからない危険人物である真島を気に入っていた。
遥のいい人発言に気を良くした真島は、未だに敵視する伊達をにらみつける。
「ほら、遥ちゃんは嫌がってないんや。あんたはさっさとどっか行きぃ」
「残念ながら、元誘拐犯の組長なんかと遥を二人きりにさせることはできんな」
「…うっさいわ。とっととハローワークにでも行きぃや。無職が」
「今はちゃんと働いている!」
十年前に警視庁をクビになったことをほじくりかえされ、伊達の声が自然と荒くなる。
流石に痛い会話になってきたな…と、遥は周りが気になってくる。
店内から客が消え始め、残っている客からはひそひそと声が。
「おじさんたち、もうやめ…」
「うっさいわ!」
「遥は黙ってろ!」
二人して言われ、遥はため息をつく。
これはもう、諦めたほうがいい。
こんな状態をなんとかできるのは、桐生くらいなものだ。
キィキィとうるさい真島と伊達を見物しながら、アイスティを一すすり。
なんだか、妙に気分が落ち着いていることに気づく。
(あれ、なんかもう、平気かも)
緊張とか、寂しいとかが…消えていた。
「あはは!」
おかしかった。
馬鹿みたいに。
「なんだ、遥どうした」
「…遥ちゃん?」
きょとんとするおじさん二人がおかしくて、遥は目じりに溜った涙を拭いながらうつ向く。
「な、なんでもないよ。ありがと。なんか元気でたよ」
時間はちょうど、いいころあいで。
遥は伝票を手に立ち上がった。
「さて、もう行きますか。受験に遅れちゃう」
「もうそんな時間かいな。ハローワークがこぉへんかったらもっとしやべれたんに」
「だからハローワークは止めろ!…そうか、そういえば桐生が今日、遥の受験だとか言ってたな」
伊達もいま思い出したらしく、真島との喧嘩を忘れて柔らかく微笑む。
だが、伊達の言葉に真島は眉を吊り上げた。
「なんや!桐生ワシには電話してくれへんのに、ハローワークにはしとんのかいな!?」
「ああ、おもに遥のことに対する相談だがな。娘がいるから、なにかと頼ってくる」
「こんなんより、ワシのがずっと頼りになんのに!」
「喧嘩だけ、だろうが」
「………そやけど」
二人は、案外仲がいいんじゃないかと遥は思う。
元警察官である伊達が真島を警戒しているのは無理ないことだが、息はあっている。わだかまりが解ければ、桐生の仲介がなくても仲良くできるのではないか。
遥はそんなことを思いながら、会計を済ませる。
「じゃあ行ってきます。おじさんたち、お店に迷惑掛けないうちに出るんだよ」
日常の守りの中、自分は確かにいる。
それだけで…寂しくない。
そう、遥は笑った。
PR