遥、大阪に行く
「おじさん、お願いがあるの」
夕食後ののんびりとした一時、遥は横になる桐生の前に座り、両手を合わせた。最近は遥もおねだりをしなくなり、桐生も少しだけ
寂しく思っていた。それだけに、何でも聞いてやろうと彼は起き上がって微笑を浮かべた。
「何だ?言ってみろ」
「あのね、今度大阪に行く時に一緒に連れて行って欲しいの」
予想外の願いに桐生は驚く。彼女にとって大阪にいい思い出があるとは思わなかった。今まで大阪でのことを話すこともなかったし
桐生もあえて話そうとしなかった。それなのに、突然大阪に連れて行けとはどういうことなのだろう。
「大阪に…急にどうした」
「行きたいところと、会いたい人と、知りたいことがあるの」
「それを話してくれるか?」
優しく問うが、遥は重い口を開こうとしない。今まで大阪に知り合いがいるとは聞いてなかったが…彼は悩む。
しかし、久しぶりに桐生へ申し出たおねだりだ。いつも狭山が『つれてきたらええのに』と言ってくれていたことだし、観光がてらいいかも
しれない。桐生はそれ以上何も聞かずに大きく頷いた。
「遥も冬休みだしな。来週になるけどいいか?」
「ありがとう!おじさん!」
遥は先ほどとはうってかわり、満面の笑顔を浮かべる。桐生は満足げに彼女の喜ぶ様を眺めていた。
久しぶりの旅行、といっても前の大阪行きは血生臭い殺伐としたものだった。遥との本格的な旅行は初めてかもしれない。
新幹線の中で、遥は嬉しそうにはしゃいではいたが、時折ひどく心配そうな顔をした。
蒼天堀に着き、仕事の終わった狭山と合流する。遥は礼儀正しく頭を下げた。
「薫さん、お久しぶりです」
「遥ちゃん!ホンマに久しぶり。今日は色々案内するね」
狭山は彼女に目線を合わせて優しく微笑む。が、遥は申し訳なさそうに首を振った。
「あの、私のことはいいんです。薫さんはおじさんと過ごして」
「ええ?どうして?遥ちゃんはどうするの」
狭山は驚いたように桐生を見るが、桐生も思わぬ反応だったらしい、彼女に首を振って見せた。
「私、気になることがあって…行かなきゃ。後で合流するから、一人で行動させてください」
「遥、子供のお前を、知らない土地で自由にさせるわけにはいかない。一緒に行ってやるから、言え」
「大丈夫、道はちゃんと調べたし、すぐに帰るから。お願い!」
二人は困ったように顔を見合わせる。こうなったら、遥は何を言ってもきかないことは桐生にもわかっている。
どうしたものかと首を捻っていると、思いついたように狭山は彼女に提案した。
「それじゃ、遥ちゃんこうしよう。一馬の携帯を持って行ったらどう?それで、一時間ごとに私の携帯に大丈夫かどうかメールして。
メールの仕方、わかる?」
「うん!」
遥は大きく頷く。困惑している桐生に狭山は苦笑した。
「どうしても、言いたくないことを言わせるのは気い悪いし。これで定時連絡怠ったら遥ちゃんの冒険は即終了ってことで」
「……気は乗らないが、遥はそれでいいのか?」
遥は、いいでーす!と元気に右手をあげる。桐生は彼女の前にしゃがみ、携帯と紙幣を差し出した。
「じゃ、携帯な。金はあるか?これも持って行け。危ないことはするなよ、道に迷ったらすぐ電話しろ」
遥は携帯を鞄にしまい、声を上げて笑った。
「わかってる。心配しないでいいよ。私のことは気にしないで、おじさんは薫さんと楽しく過ごして」
「いいか?遅くても5時までには蒼天堀に戻って来い。着いたら連絡。いいか?」
「はい!それじゃ、行くね!」
遥は大きく手を振り、駅の方にかけていった。見送る桐生はひどく心配そうだ。
「一馬どうするん?」
「どうするって…」
狭山は意地悪く笑った。
「尾行、してもいいねんで」
桐生はしばらく考えていたが、やがて首を振った。
「遥を裏切るわけにはいかない。待つさ」
「もし前みたいに攫われたりしたら?」
彼の顔を覗き込む狭山に、桐生は苦笑した。
「助けに行くさ。何度でも」
遥は電車を乗り継ぎ、道を確認しながらとある場所にたどり着いた。木々に囲まれた巨大な建物。その外観はまさに城だった。
「大阪の城…あった」
かつて遥が囚われていた場所で、千石組の本拠地「大阪の城」だ。注意深く近づくが、人気は全くない。扉は硬く閉ざされ、主の
いなくなった城は傷みも目立ち、かつての華やかさは見る影もない。
「やっぱり、誰もいないよね…どうしよう」
悲しげに目を細めた時、後ろから声がかかった。
「ここは遊園地やないで、お嬢ちゃん。怖いオッサンが来るかもしれへんから、とっととウチ帰り」
振り向くと、遥は目を丸くする。この人物を自分は良く知っている。
「郷田、龍司さん!」
「ああん?」
そこにいたのは郷田龍司だった。突然名を呼ばれ、困惑したように遥を眺め回した。
「ワシにガキの知り合いなんておれへんはずやけどな…今までにつきあったオンナの隠し子か?」
「違うよ~!私は…」
説明しようとした時だった。辺りから複数の足音が迫ってくる。何が起こったのか遥が見回している間に、二人を黒服の男達が取り囲んだ。
「自分ら、なんやねん」
龍司が鋭い目で睨みつける。男達の一人が声を上げた。
「郷田龍司ぃ!千石の親父殺した恨み忘れてへんで!」
「ああ、気付かんかったわ。千石組のもんか」
龍司は心底面倒くさそうに首を回す。それが気に障ったらしく、別の男がドスを抜いた。
「どこの馬の骨か知らん奴らと、近江メチャメチャにしよって。それが責任も取らんと大きな顔すんなや!」
「そんなこと知らんがな。自分ら今日は鎧着いひんでええのんか?ワシとやる気なら…それくらいしてこいや」
挑発的な笑みを浮かべた龍司は、この窮地でも余裕の態度だ。それがまた彼らの怒りに火をつけたらしい、全員が武器を手にした。
「往生せいや!」
男達は一斉に飛びかかる。龍司は遥を突き飛ばした。
「隠れとけ、ガキ!」
「郷田さん!」
男達の標的は龍司だけだ。一人のドスが龍司の頬をかすめる。龍司は刃を受け流して拳を顔面に叩き込み、振り向きざまに背後の
男に肘鉄をくらわせた。間をおかず、左右の男達は同時に切りかかってくる。彼は二人の腕を取り、目の前に引きずってくるなり互いの
顔面を叩きつけた。次の瞬間、二人はあっけなく地面に崩れ落ちた。
「いい気になんなや!」
一人が銃を抜いた。龍司は倒れている男のドスを手に取ると、ゆっくり身を起こし額を指でさした。
「ここや」
「……あ?」
「ここ狙わんと、ワシは死なへんで。もし逸れたら、死ぬんはお前や」
「くっ…な、なめよって」
龍司は間合いを詰める。銃は不慣れなのか、男の手がわずかに震えていた。
「この稼業やっとって、生きるか死ぬかの瀬戸際に立ったんは初めてか。ぼやぼやしとったら、もうすぐワシの間合いに入るで」
男は、完全に龍司の気迫におされている。震えをおさめるため、男は銃を持つ手に力を込めた。
「死ねやああああ!」
同時に、破裂音が森に響き渡る。龍司の髪が一束飛び散った。
「外れや、残念やったな」
言うが早いか、ドスを男の手めがけ投げつける。刃は逸れることなく銃を持った手に深々と刺さる。男は思わず膝をつき、苦悶の表情を
浮かべ叫んだ。
「龍司…千石組はお前のやったことを絶対忘れへんで。この恩知らずが!地獄へ落ちろや!」
龍司は何も言わず、男のみぞおちを蹴りつける。男達が動きを止めたのを見届けると静かに告げた。
「地獄?上等じゃ。そんなもん、親父に刃を向けた時から覚悟しとるわ……あほが」
「親父!」
「郷田さん!」
その時、郷龍組の男達と遥がやってくる。遥が外で待たせていた彼らを連れてきたらしい。
「ガキの割に機転の利くお嬢ちゃんや」
龍司は呟き、手を振った。
「ワシは大丈夫や。こいつら千石組やな」
「どうします?」
部下に問われ、龍司は首を振った。
「ほっとけ。今日やることは終わったし、今日はもう帰ろか」
「あの……ここ、中にはもう誰もいない?」
遥が不安げに尋ねる。龍司は思い出したように声を上げた。
「そうやそうや、お嬢ちゃん、誰や?でもどっかで見たことあるんやけどな…」
「親父、この子桐生の…」
覚えのいい男が耳打ちする。そこでやっと龍司は思い出した。勢いよく手を叩き、声を上げた。
「思い出した!あんとき千石が捕まえたお嬢やな。名前は…遥やったかな。で、遥は何でこんなところにおんねん。また攫われたんか?」
「違うの、ここに用があったの。ね、郷田さん。ここにいた子達、知ってる?」
「ああ、もう龍司でええ。しかし、ここにいた子達…?何のことや。ここにはもう誰もおれへんで」
遥はそれを聞き、途端に泣きそうな顔になる。龍司はぎょっとして彼女の前にしゃがみこんだ。
「ど、どうした?頼むから泣かんといてくれや。ワシがいじめたみたいやんか。腹減ったんか?どっか痛いんか?」
「やっぱりあの子達死んじゃったんだ。おじさんがいっぱいぶったりしちゃったから。言うことをよく聞くいい子だったのに」
「死んだぁ!?誰か子供を桐生はんが殺したんか?せやけど、そんな人やったかな…」
慌てているうちにも遥の目から涙がこぼれそうだ。彼女はしゃくりあげている。
「あの時…つれて帰ってあげたらよかった。でもうちは狭いから二匹も無理…」
「二匹…?それってもしかして…」
遥は思い出して我慢できなくなったのか、龍司に飛びついて泣き叫んだ。
「うわーん!虎さん達が死んじゃったああああ!」
「……やっぱり、な」
龍司は脱力したようにうなだれ、彼女の背中をやさしく叩いてやる。優しい遥の涙は当分止まりそうにない。
遥は龍司に連れられ、市街地から少し離れた場所に来ていた。龍司は車から降りると、遥についてくるよう促した。
「今日あの城行ったんはちょっとした理由があってな」
二人の歩く先には高いフェンスに囲まれた広大な敷地が見えた。その隅には建物のようなものも見える。
「最近やっとここが完成したんや。あるもんを移動させてんけど、どうもそいつらがここに慣れんらしくてな、城に残っとった遊び道具
やらなんやらを今日取りに行っとったんや。これでやっと引越し完了や」
「引越し…?」
龍司は部下に指示して何やら建物に運び込む。龍司に手招きされ建物に入っていくと、遥は顔を輝かせた。
「あ!あの子達!」
そこには城で見た虎の姿があった。彼女が手を振ると、二匹は珍しそうに寄ってきた。
「千石組は解体して、世話する奴がおれへんくなったからこいつら弱っとったんや。ワシが引き取ってここに移動させたったら大分
元気になってな。今はワシになついとる。どや?安心したか?」
「うん、うん!よかった。ね、近くに行ってもいい?」
龍司が頷くと、遥は二匹の頭をそっと撫でた。
「あの時はごめんね、痛かったよね。でも、おじさんも必死だったんだ。許してね」
二匹は子猫のように遥に擦り寄る。大きな虎に囲まれ遥の姿が見えないほどだ。龍司は声を上げて笑った。
「遥は優しいのう。こいつらも、ようなついとるわ」
「攫われてきた時、この子達の檻と同じ部屋に閉じ込められたの。そこを出されるまでこの子達はずっと私の近くにいてくれたんだ。
全然唸ったり威嚇したりしなかったよ。だからいい子だって思ったの」
そうやったんか、龍司は驚いたように遥を見る。二匹に母性というものがあると思えないが、何か遥に感じるものがあったのだろうか。
猛獣まで味方につけるなんて大物や。感心していると、遥が笑顔で尋ねた。
「名前決まってる?」
「おう。右がアカホシに左がカネモトや」
「……え?」
遥が首をかしげると龍司が虎を撫でた。
「右がアカホシで、左がカネモトや。なんや、野球知らんのかい」
それを聞いて遥は合点がいったようだ。右手をあげて嬉しそうに告げた。
「六甲おろし!」
「それや!」
二人は声を上げて笑う。遥は二匹に抱きついた。
「よかったね、アカホシ、カネモト。幸せになってね」
しかし、何故苗字なのか。龍司のネーミングセンスがよくわからない。
その頃、桐生と狭山はやきもきして連絡を待っていた。
「遅いな、遥。何やってんだ」
「一時間過ぎてるなあ、電話かけてみよか…」
狭山が携帯を取り出したとき、着信メロディが鳴った、
「あれ、なんやこんな時に…あ、この番号、お兄ちゃん?」
「龍司か?」
彼女は通話ボタンを押す。と、突然そこから遥の声に似た悲鳴が聞こえてきた。
『きゃあああ!や、やめて、やめてよー!』
狭山も横で聞いていた桐生も血の気が引く。一体何があったというのだ。
「は、遥ちゃん?遥ちゃんなん?!どうしてん!ちょっとお兄ちゃん!どういうことなん?」
「おい龍司!遥をどうした!」
『うるさいのう、誤解すんなや。遥はちょっと色々あってな、今ワシとおるわ。あいつが連絡しなアカン言うから代わってしただけのことや。』
面倒そうに話す龍司に狭山は混乱する。遥が何故龍司と?しかもあの悲鳴は?
「遥ちゃんはどうしてるの?あの悲鳴はなに?」
『ああ、遥は今アカホシ達と遊んどるんや。今はカネモトの背中に乗っけてもらっとる』
「からかわんといて!なんで野球選手のアカホシやカネモトがお兄ちゃんと一緒におんねん!」
『ああ、説明すんの面倒や。今から遥、蒼天堀につれてくわ。後でな』
一方的に話して切られ、狭山はぽかんとした顔で携帯を見ている。心配顔の桐生が彼女を見つめた。
「龍司は…?」
「わかれへん。一応ここに遥ちゃん連れてくるみたいやけど、今遥ちゃん野球選手の背中に乗っけてもらってるて」
桐生は狭山より更に困惑した表情で首をかしげた。一体遥はどこで何をしているんだろう。
二時間後、4人は「葵」にいた。龍司は事の顛末を二人に話して聞かせた。
「いや、何も説明せんと悪かったな。堪忍。」
「まさか、アカホシが虎やったなんて…」
やっと謎が解けて合点がいったのか、狭山は安心したように溜息をつく。視線の先には今日の冒険で疲れたのか、遥が龍司のコート
の下で眠っていた。
「まさか、遥があの虎を心配してたなんて思わなかった。隠すようなことでもないだろうに」
桐生は眠る遥の髪を撫でる。龍司はスコッチを口にすると苦笑した。
「桐生はんが自分を助けるために倒した虎の心配するんは、やっぱり申し訳ないと思ったん違うか?下手に言うたらまるであんたを
責めてるみたいやんか。許してやりや」
「…そういえば、遥『行きたい所と会いたい人と知りたい事がある』って言ってたが…城のことだったのか。知りたい事は虎の安否か?」
狭山は首をかしげる。
「それじゃ、会いたい人って誰なんやろ…虎は人やないし」
「さあな。まあええやんか、遥には遥の考えがあるんやろ。それじゃ、お邪魔しても悪いしワシはそろそろ行くわ」
龍司は残った酒を飲み干し、立ち上がった。
「ママ、悪いけど遥が起きたらコート預かっといてや」
「ああ、まかしとき」
民代は頷く。龍司は金を置き、小さく手を振り店を出た。
「……ん…あれ、龍司お兄ちゃんは?」
ほどなくして遥が目を覚ます。狭山は肩をすくめた。
「ついさっき出てったわ。邪魔したら悪いやて、今更何言うてんのって…遥ちゃん?」
遥は弾けるように立ち上がると、彼のコートを抱いて店をかけ出す。まだ龍司には言ってないことがある。急がなければ。
「親父、用事は済んだんでっか?あれ…コートはどないしたんです?」
車のドアを開けた男が首をかしげる。龍司はふん、と小さく笑った。
「ガラにもないことしてもうたわ。気にせんでええ」
「は、はい」
龍司が車に乗り込もうとした時、遠くで誰かが呼んだような気がした。乗るのをやめ見回す。しかし人が行き交うばかりでもう何も
聞こえない。
「気のせいか」
改めて車に乗り込み、ひとつ息を吐く。今日はいろんなことがあった日だった。特に遥、あんな小さいのに怖いことがあった場所へもう
一度来るとは度胸があるというか、なんというか。小さく笑い、龍司が動き出した風景を見たときだった。
「うわっ!なんだ!?」
突然車が停止し、運転手が声を上げる。目の前に子供が立ちふさがったのだ。
「なにしとんねんガキ!どけや!」
声を荒げる運転手を龍司が制した。
「……待て」
「ですが、親父」
「よく見いや、来るとき乗せた子や」
「あ、そういわれたら…」
龍司は車から降りる。すると、遥がやってきた。走ってきたのだろう、息を切らしている。
「なんや、起きたんか?」
「ご、ごめんなさい。これ…」
遥はコートを差し出す。龍司は呆れたような顔でそれを受け取った。
「ママに預けときゃええのに。おおきに」
龍司はコートを羽織る。遥は彼を見上げた
「龍司お兄ちゃん、今日はありがとう。それと、千石さんに攫われた時、助けてくれたでしょ。ずっとお礼言ってなかったから」
ああ、と龍司は彼女の前にしゃがみこんだ。
「あんときは遥にえげつない所見せたな。ワシ、あいつのやり口に頭に血ぃのぼっとってん。かんにんな」
「いいの。あのときね、すごく怖くて動けなかったの、龍司お兄ちゃん気付いてくれてたんだよね。すぐ近くだったのに、抱き上げて
おじさんの所まで連れてってくれたでしょ?あの時すごく嬉しかったの」
「ええよ、もう。ワシもあいつらに協力しとったからこれでチャラや。気にせんとき」
龍司はゆっくり立ち上がる。遥はにっこり笑い、彼の手を取った。
「良かった。これで目的全部達成しちゃった。大阪に来るまで、龍司お兄ちゃんに会うにはどうしたらいいのかずっと悩んでたの!」
驚いたように龍司は遥を見下ろす。さっき桐生が言ってたことが思い出された。
「そんじゃ、大阪で会いたい人ってのは…」
「ん?何?」
聞き取れなかったのか、首をかしげる遥に龍司は微笑んで首を振った。
「いや、なんでもない。遥、また大阪に遊びに来いや。歓迎するで」
「うん!虎さん達にも会わせてね!」
龍司はそっと彼女の頭を撫でる。遥は両手を後ろで組み、にっこり笑った。
「それじゃ、桐生はんと仲ようやりや」
「またね、龍司お兄ちゃん」
龍司は車に乗り込み、その場を後にした。ミラーを覗くと、遥がずっと手を振っていた。
「礼を言われるんも、悪ないな…」
誰に言うともなく呟き、龍司は目を閉じる。コートにはまだ遥の暖かさが残っていて、それは龍司の背中を柔らかく包んだ。
車はネオンの海を真直ぐに走りぬけ、夜の闇へと消えた。
その頃、桐生と狭山は、遠くから遥の様子を眺め、気の抜けた顔をしていた。
「遥ちゃんの会いたい人って、お兄ちゃんだったんや」
「一体、何話してたんだ?遥…」
落ち着かない桐生を見、狭山は苦笑して溜息をついた。
「これから遥ちゃんと大阪に来る時は、二人一緒にいてもらわなあかんわ。一馬、今日一日中上の空なんやもん」
「そ、そうか?」
慌てる桐生を笑い、狭山は戻ってきた遥を優しく迎えた。
「おじさん達ごめんね。もう用事は全部済んだから」
「そう、なら明日は遥ちゃんが私につきあうこと。三人で遊園地行こうか!」
「うん!」
遥は嬉しそうに桐生と狭山の間に立って二人と手をつないだ。こうして長い長い遥の一日はこうして終わった。
東京に戻ってから、当分遥が虎を欲しがったのは言うまでもない。
-終-
(2007・1・20)
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