東の研究棟での視察を終え、パイプ状の連絡通路を通り抜けて本部の大回廊へと向かう途中だった。彼、残月はそこに存在するはずの無いモノを目にしてしまい、思わず立ち止まってしまう。
「・・・・・・・・・・・・ん?」
回廊へ繋がるT字路の影からこちらを窺うような視線。ひょっこりと顔を覗かせ、それは綺麗な正三角形の耳をピンと立てて・・・
にゃあ
と小さく鳴いた。
どこをどう見てもそれは「猫」だ。
どこかの街角か港町であれば景色に溶け込み少しも違和感を感じず、そのまま通り過ぎるところだが、しかしここはBF団の本部、さらに言えばその中心内部。ここ絶海の孤島は地図にも記載されない唯一の領土であり、その位置は超極秘。かつてここを探り当てようと何人かの諜報部員や国際警察機構のスパイが潜り込もうとしたが、全員が海の藻屑となった。物理的で無い呪術的な力で生み出された式神であろうと、千里眼能力者による透視であろうと全て未然に防いでいる。このように恐ろしく厳重で高度なセキュリティで管理された・・・そんな場所に一匹の猫である。
実験用が逃げ出した?
報告は無いし研究棟の管理は本部でも随一、ありえぬ事だ。
野良?何をバカな。
ならば誰かがこっそり飼っているペット?
いや、そんなものは上層部の許可無しには・・・・無断は処罰の対象だ。
残月はあれこれ猫がどうしてここに居るのか理由を考えていた。しかしどう考えても合点がいく理由は考え付かない。ならば自分がすべきことはただ一つ、万が一を危ぶんでここで始末すべきだろう。
ところが、一瞬過ぎったその考えは猫の姿を見直して消えてしまった。
にゃあ・・・
おずおずとT字路の影から身体を見せ、こちらへ歩み寄ってくる。成猫と子猫の間といった大きさと体つきだ。短毛でミルクティを思わせる淡く艶ある毛色、スラリとした四足はそこだけ長く白いソックスをに履いているようにみえる。長く細い尻尾を立ち上げる様は美しく気品があるが、目はまだ丸くそこだけ幼さがしっかりと残っていた。何よりも目を引いたのは猫の瞳で、鮮烈な紅さが際立っていた。
「むぅ・・・・・・?」
にゃあ
猫は彼の足元で止まった。白いソックスを履いた四足を上品に揃え、窺うような眼差しを上に向けてきて猫自身どうすべきか迷っているようにも見える。
対するのは覆面の下から否応が無しにも感じる強烈な視線。猫は残月からの何かを見定めるようなその視線を一身に浴びて緊張し、尻尾をピンと立てて固まる。完全に格上を前にして飲まれているようだ。
しばし『一匹』と『一人』の間に流れる緊張と沈黙だった、しかし
「さっさと私の前から去るがいい」
ふと視線が切れたかと思った瞬間、残月はまるで何も見なかったかのように再び歩みだした。どんどん彼は歩き行き、離れていく。
にゃあっ?
猫は慌てたように彼の後を追いすがった。
----------
ようやく立ち止まった先は彼の執務室。当然そこは彼は目的地であるからそのドアを開け、中に入ろうとした。猫もまるで当然の流れのように・・・・
「何故付いてくる、ここは猫禁止だ」
突然立ち止まった足に猫はぶつかってしまう。見上げれば覆面が見下ろしており、猫は再び尻尾を高く立たせて固まった。
「立ち入ることは許さんぞ」
上から投げかけられる言葉は甘くは無い。三角の耳を寝かせて、尻尾を下げて猫は戸惑い「にぃ」と小さく漏らす。その様を見つめていた彼だったが、いじらしさに負けたのか小さく溜め息をつくと
「本を爪とぎにしないと約束するのであれば・・・」
ドアは大きく開けられた。
跳ねるように入っていく後を残月もまた執務室に入り、スーツの上着を脱ぐと無造作に来客用ソファに投げて彼はいつものデスクに鎮座した。
猫はどこにいるべきか迷っているのかキョロキョロしている。彼と来客用ソファとを見比べるように何度も見ていたが、残月の覆面に隠された表情を窺いながら遠慮がちに来客用ソファに飛び乗り座った。脱ぎ捨てられたスーツに脚がかかったことに気づき慌てたように彼を見た。当然それを見逃さない、合わさった視線に萎縮しソファから飛び降り、そして小さくなって床に腰を下ろしてしまう。
「ほお、私のスーツを寝床扱いとは・・・」
その言葉に猫は一層身を小さくする。
「ふ・・・しかしそこで満足するのか?ここはどうだ?」
指先でデスクの上を軽く叩けば三角の耳がぷるりと反応し
「不満か?」
元気良く鳴くと、猫はしなやかな動きを見せ音もなくデスクに飛び上がる。書類や浮き上がる光彩モニターにかすめないよう、ステップを踏むように慎重に歩けば彼の右前に腰を下ろした。紅い瞳をキラキラさせて、長いヒゲが喜びにヒクヒク踊る。
しょげたり喜んだり、ころころと面白いほどに変わる表情に「やれやれ」と苦笑してしまう。もはやこの猫が「あやしい」などと思えない。彼は猫のいる前で仕事に取り掛かることにした。
最中に猫が鳴くようなことはなく、動き回って邪魔することもない。ただジィと彼が執務をこなす様子を見つめ、時折嬉しそうに尻尾の先を揺らすだけ。
テキパキと無駄ない動きで執務を執り行い1時間、残月はようやく仕事に集中していた意識を解放して猫に視線を移した。猫はいつの間にやら丸まって寝ており、身体が呼吸で浅く上下していた。
「・・・・・・さて」
200年前から時を刻み続ける置時計を見れば丁度ティータイム。猫を起こさぬよう静かにデスクから立ち上がり、煙管を手に打ちつける。すると一部の床が円柱状に音もなくせり上がり、円柱内部のガラスケースの中には彼愛用の揃いのティーセット。茶葉や気分に合わせて選べるよう最低でも20客、茶葉に至っては常時30種という彼のこだわりだ。
「今日は祁門(キーマン)にするつもりであったが」
眠る猫の姿を見ながら、彼はケースの前で手を彷徨わせアッサムの缶を掴んだ。ポットには適温の湯と適温のミルク。アッサムとミルクが出会い、セーブルのカップに注がれた高貴でまろやかな色合いは眠る猫と同じ。それを当然のように2人分淹れた。
片方だけに角砂糖を一つ、そして香りを堪能しながら眠る猫の寝顔を眺めながら彼は5分待つ。猫の前に猫舌でも飲めるほどに冷まされた甘いロイヤルミルクを差し出して、眠る猫の背を撫でて静かに起こした。
にゃ・・・・?
「猫がこのような物を口にするかは知らぬが、これがお前に最も相応しいと思ってな。ご所望ならばメープルマフィンも出してやっても良いが?」
肩を揺らして彼は笑った。
----------
舌を器用に使って飲んでいる猫を、テーブルに片腕をついて残月はじっくり観察していた。ちなみに彼は犬や猫の類いは特に嫌いではないがかといって好きと言えるほどでもない。根本的に興味は無いが目の前に居る猫は別のようだ。
「おまえは誰ぞの飼い猫であろう?」
直感的に思いついた確信を彼は訊いてみた。
彼からの問いに猫は耳をプルっと振るわせて小首をかしげる仕草を取った。ややあって猫は「にぃ」と肯定と思わしき鳴き声を上げ、再びロイヤルミルクに舌を突き出す。
「ふふ、なるほど飼い猫とはな・・・しかし、それにしては肝心のモノが無いようだが?」
にゃあ!?
彼は猫の身体に両手を伸ばすと抱え上げ、自分の膝の上に乗せてしまった。猫は丸い瞳をさらに丸くさせ緊張しているのか毛が少し逆立っているようだ。彼はそんなことお構いなしに猫のしなやかな背中に手袋で覆われた手を乗せるとゆっくりと撫で始めた。
「首輪がなければ野良だと間違われるであろうに、違うか?」
長い尻尾に向かってそのまま手を沿わせる、先の先まで丹念に。そして再び耳の先から始まり尻尾で終わる、その繰り返しを受けていつしか逆立っていた毛はなだめられ、猫は完全にされるがままの状態となりすっかり力が抜け切ってしまっていた。
「お前もそう思うであろう?」
今度は広い胸に抱きかかえ、顔を覗きこんでそう猫に同意を求めた。人差し指で猫の喉元をくすぐってやれば、猫は目を細め実に心地良さそうな表情を取る。そして残月に問われても言われるがままに完全に溶けきった声で鳴くだけ。
「ならば私に案がある」
猫が頭を乗せている位置にある胸元のスカーフを、彼はしゅるりと抜き取った。何事かと頭を上げた猫にそれを巻きつけながら
「さて、どうるす。こうすれば飼い猫らしくはなるが、お前は飼い主を替えなければならなくなるぞ?」
そう猫に言いつける覆面下の眉は、おそらく片側だけが愉快そうに上がっているだろう。口元に浮かぶ笑みから推測できる。
猫の首には真っ白いシルクスカーフが巻かれ、大きなリボンで最後は締めくくられた。まるでちょっとした贈答品にも見えないことは無い。
「私がお前の飼い主では不足か?」
微動だにせず残月の覆面越しの目をまっすぐ見つめる猫は、返答に困っていた。
残月にもそれがわかったのか
「ふ・・・よほど今の飼い主に愛されているらしい。何、戯言だ気にするな」
まるで幼子をあやすように残月は再び猫を抱えなおし、身体を優しく撫でた。
ティータイムが終わり、再び執務に取り掛かる残月を猫はまたあの定位置に座り見つめていた。首には真っ白い首輪で、その滑らかなシルクの手触りが心地よいらしくたまに顔を寄せていたりした。しかし卓上の置時計が4時半を指しているのに気づいて猫は急にソワソワし始めた。
にゃ・・・
猫は何度かソワソワを続け、置時計と残月と執務室のドア、その三つに視線を往復させる。残月も猫の奇妙な行動に気づいたのか
「ん?どうした」
猫は音もなく飛び降りてドアに駆け寄って残月に振り返った。それがどういう意味か、考えるまでもない。彼もドアに歩み寄り、そして開けてやった。
「人に見つからぬように帰るがいい」
にゃあ・・・・
「そのスカーフはお前にやろう、気に入らねば今の飼い主にちゃんとした首輪をつけてもらうのだな」
首元をくすぐる残月の手に頬擦りをして、名残惜しげに猫は去っていった。
----------
猫は言われた通り人に見つからないよう慎重に、そして『門限』に遅れないように大急ぎで駆けた。本部から抜け出し幹部の私邸が集合する区画へ向かう。その時だった、猫の背中に一枚の呪符が浮かび上がりそれはあっという間に塵と化した、そして人気の無い通りに差し掛かったところでで猫が輝き始め、まるで鱗が剥がれ落ちるように輝きの粒を撒き散らし・・・
「おじ様、ただいま戻りました」
「おお、サニーお帰り。そういえば先ほど用があって十常寺に会ってな」
「あ・・・十常寺のおじさまに・・・」
「うむ、お前に札(ふだ)を渡したそうだが・・・何の札を、あ!おいサニー!話はまだ」
慌てて二階に駆け上がってサニーは自分の部屋に逃げ込んだ。
これ以上話を続けると・・・
今日あったことがバレて首輪をつけられてしまうかもしれないからだ。
「ふう・・・」
部屋で一息ついてみたが胸の高鳴りはまだ止みそうに無い。
サニーは首元にまだ巻かれている白いスカーフに手を添えると
外すことなく丁寧に整えた。
END
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お約束のにゃんこネタ
「・・・・・・・・・・・・ん?」
回廊へ繋がるT字路の影からこちらを窺うような視線。ひょっこりと顔を覗かせ、それは綺麗な正三角形の耳をピンと立てて・・・
にゃあ
と小さく鳴いた。
どこをどう見てもそれは「猫」だ。
どこかの街角か港町であれば景色に溶け込み少しも違和感を感じず、そのまま通り過ぎるところだが、しかしここはBF団の本部、さらに言えばその中心内部。ここ絶海の孤島は地図にも記載されない唯一の領土であり、その位置は超極秘。かつてここを探り当てようと何人かの諜報部員や国際警察機構のスパイが潜り込もうとしたが、全員が海の藻屑となった。物理的で無い呪術的な力で生み出された式神であろうと、千里眼能力者による透視であろうと全て未然に防いでいる。このように恐ろしく厳重で高度なセキュリティで管理された・・・そんな場所に一匹の猫である。
実験用が逃げ出した?
報告は無いし研究棟の管理は本部でも随一、ありえぬ事だ。
野良?何をバカな。
ならば誰かがこっそり飼っているペット?
いや、そんなものは上層部の許可無しには・・・・無断は処罰の対象だ。
残月はあれこれ猫がどうしてここに居るのか理由を考えていた。しかしどう考えても合点がいく理由は考え付かない。ならば自分がすべきことはただ一つ、万が一を危ぶんでここで始末すべきだろう。
ところが、一瞬過ぎったその考えは猫の姿を見直して消えてしまった。
にゃあ・・・
おずおずとT字路の影から身体を見せ、こちらへ歩み寄ってくる。成猫と子猫の間といった大きさと体つきだ。短毛でミルクティを思わせる淡く艶ある毛色、スラリとした四足はそこだけ長く白いソックスをに履いているようにみえる。長く細い尻尾を立ち上げる様は美しく気品があるが、目はまだ丸くそこだけ幼さがしっかりと残っていた。何よりも目を引いたのは猫の瞳で、鮮烈な紅さが際立っていた。
「むぅ・・・・・・?」
にゃあ
猫は彼の足元で止まった。白いソックスを履いた四足を上品に揃え、窺うような眼差しを上に向けてきて猫自身どうすべきか迷っているようにも見える。
対するのは覆面の下から否応が無しにも感じる強烈な視線。猫は残月からの何かを見定めるようなその視線を一身に浴びて緊張し、尻尾をピンと立てて固まる。完全に格上を前にして飲まれているようだ。
しばし『一匹』と『一人』の間に流れる緊張と沈黙だった、しかし
「さっさと私の前から去るがいい」
ふと視線が切れたかと思った瞬間、残月はまるで何も見なかったかのように再び歩みだした。どんどん彼は歩き行き、離れていく。
にゃあっ?
猫は慌てたように彼の後を追いすがった。
----------
ようやく立ち止まった先は彼の執務室。当然そこは彼は目的地であるからそのドアを開け、中に入ろうとした。猫もまるで当然の流れのように・・・・
「何故付いてくる、ここは猫禁止だ」
突然立ち止まった足に猫はぶつかってしまう。見上げれば覆面が見下ろしており、猫は再び尻尾を高く立たせて固まった。
「立ち入ることは許さんぞ」
上から投げかけられる言葉は甘くは無い。三角の耳を寝かせて、尻尾を下げて猫は戸惑い「にぃ」と小さく漏らす。その様を見つめていた彼だったが、いじらしさに負けたのか小さく溜め息をつくと
「本を爪とぎにしないと約束するのであれば・・・」
ドアは大きく開けられた。
跳ねるように入っていく後を残月もまた執務室に入り、スーツの上着を脱ぐと無造作に来客用ソファに投げて彼はいつものデスクに鎮座した。
猫はどこにいるべきか迷っているのかキョロキョロしている。彼と来客用ソファとを見比べるように何度も見ていたが、残月の覆面に隠された表情を窺いながら遠慮がちに来客用ソファに飛び乗り座った。脱ぎ捨てられたスーツに脚がかかったことに気づき慌てたように彼を見た。当然それを見逃さない、合わさった視線に萎縮しソファから飛び降り、そして小さくなって床に腰を下ろしてしまう。
「ほお、私のスーツを寝床扱いとは・・・」
その言葉に猫は一層身を小さくする。
「ふ・・・しかしそこで満足するのか?ここはどうだ?」
指先でデスクの上を軽く叩けば三角の耳がぷるりと反応し
「不満か?」
元気良く鳴くと、猫はしなやかな動きを見せ音もなくデスクに飛び上がる。書類や浮き上がる光彩モニターにかすめないよう、ステップを踏むように慎重に歩けば彼の右前に腰を下ろした。紅い瞳をキラキラさせて、長いヒゲが喜びにヒクヒク踊る。
しょげたり喜んだり、ころころと面白いほどに変わる表情に「やれやれ」と苦笑してしまう。もはやこの猫が「あやしい」などと思えない。彼は猫のいる前で仕事に取り掛かることにした。
最中に猫が鳴くようなことはなく、動き回って邪魔することもない。ただジィと彼が執務をこなす様子を見つめ、時折嬉しそうに尻尾の先を揺らすだけ。
テキパキと無駄ない動きで執務を執り行い1時間、残月はようやく仕事に集中していた意識を解放して猫に視線を移した。猫はいつの間にやら丸まって寝ており、身体が呼吸で浅く上下していた。
「・・・・・・さて」
200年前から時を刻み続ける置時計を見れば丁度ティータイム。猫を起こさぬよう静かにデスクから立ち上がり、煙管を手に打ちつける。すると一部の床が円柱状に音もなくせり上がり、円柱内部のガラスケースの中には彼愛用の揃いのティーセット。茶葉や気分に合わせて選べるよう最低でも20客、茶葉に至っては常時30種という彼のこだわりだ。
「今日は祁門(キーマン)にするつもりであったが」
眠る猫の姿を見ながら、彼はケースの前で手を彷徨わせアッサムの缶を掴んだ。ポットには適温の湯と適温のミルク。アッサムとミルクが出会い、セーブルのカップに注がれた高貴でまろやかな色合いは眠る猫と同じ。それを当然のように2人分淹れた。
片方だけに角砂糖を一つ、そして香りを堪能しながら眠る猫の寝顔を眺めながら彼は5分待つ。猫の前に猫舌でも飲めるほどに冷まされた甘いロイヤルミルクを差し出して、眠る猫の背を撫でて静かに起こした。
にゃ・・・・?
「猫がこのような物を口にするかは知らぬが、これがお前に最も相応しいと思ってな。ご所望ならばメープルマフィンも出してやっても良いが?」
肩を揺らして彼は笑った。
----------
舌を器用に使って飲んでいる猫を、テーブルに片腕をついて残月はじっくり観察していた。ちなみに彼は犬や猫の類いは特に嫌いではないがかといって好きと言えるほどでもない。根本的に興味は無いが目の前に居る猫は別のようだ。
「おまえは誰ぞの飼い猫であろう?」
直感的に思いついた確信を彼は訊いてみた。
彼からの問いに猫は耳をプルっと振るわせて小首をかしげる仕草を取った。ややあって猫は「にぃ」と肯定と思わしき鳴き声を上げ、再びロイヤルミルクに舌を突き出す。
「ふふ、なるほど飼い猫とはな・・・しかし、それにしては肝心のモノが無いようだが?」
にゃあ!?
彼は猫の身体に両手を伸ばすと抱え上げ、自分の膝の上に乗せてしまった。猫は丸い瞳をさらに丸くさせ緊張しているのか毛が少し逆立っているようだ。彼はそんなことお構いなしに猫のしなやかな背中に手袋で覆われた手を乗せるとゆっくりと撫で始めた。
「首輪がなければ野良だと間違われるであろうに、違うか?」
長い尻尾に向かってそのまま手を沿わせる、先の先まで丹念に。そして再び耳の先から始まり尻尾で終わる、その繰り返しを受けていつしか逆立っていた毛はなだめられ、猫は完全にされるがままの状態となりすっかり力が抜け切ってしまっていた。
「お前もそう思うであろう?」
今度は広い胸に抱きかかえ、顔を覗きこんでそう猫に同意を求めた。人差し指で猫の喉元をくすぐってやれば、猫は目を細め実に心地良さそうな表情を取る。そして残月に問われても言われるがままに完全に溶けきった声で鳴くだけ。
「ならば私に案がある」
猫が頭を乗せている位置にある胸元のスカーフを、彼はしゅるりと抜き取った。何事かと頭を上げた猫にそれを巻きつけながら
「さて、どうるす。こうすれば飼い猫らしくはなるが、お前は飼い主を替えなければならなくなるぞ?」
そう猫に言いつける覆面下の眉は、おそらく片側だけが愉快そうに上がっているだろう。口元に浮かぶ笑みから推測できる。
猫の首には真っ白いシルクスカーフが巻かれ、大きなリボンで最後は締めくくられた。まるでちょっとした贈答品にも見えないことは無い。
「私がお前の飼い主では不足か?」
微動だにせず残月の覆面越しの目をまっすぐ見つめる猫は、返答に困っていた。
残月にもそれがわかったのか
「ふ・・・よほど今の飼い主に愛されているらしい。何、戯言だ気にするな」
まるで幼子をあやすように残月は再び猫を抱えなおし、身体を優しく撫でた。
ティータイムが終わり、再び執務に取り掛かる残月を猫はまたあの定位置に座り見つめていた。首には真っ白い首輪で、その滑らかなシルクの手触りが心地よいらしくたまに顔を寄せていたりした。しかし卓上の置時計が4時半を指しているのに気づいて猫は急にソワソワし始めた。
にゃ・・・
猫は何度かソワソワを続け、置時計と残月と執務室のドア、その三つに視線を往復させる。残月も猫の奇妙な行動に気づいたのか
「ん?どうした」
猫は音もなく飛び降りてドアに駆け寄って残月に振り返った。それがどういう意味か、考えるまでもない。彼もドアに歩み寄り、そして開けてやった。
「人に見つからぬように帰るがいい」
にゃあ・・・・
「そのスカーフはお前にやろう、気に入らねば今の飼い主にちゃんとした首輪をつけてもらうのだな」
首元をくすぐる残月の手に頬擦りをして、名残惜しげに猫は去っていった。
----------
猫は言われた通り人に見つからないよう慎重に、そして『門限』に遅れないように大急ぎで駆けた。本部から抜け出し幹部の私邸が集合する区画へ向かう。その時だった、猫の背中に一枚の呪符が浮かび上がりそれはあっという間に塵と化した、そして人気の無い通りに差し掛かったところでで猫が輝き始め、まるで鱗が剥がれ落ちるように輝きの粒を撒き散らし・・・
「おじ様、ただいま戻りました」
「おお、サニーお帰り。そういえば先ほど用があって十常寺に会ってな」
「あ・・・十常寺のおじさまに・・・」
「うむ、お前に札(ふだ)を渡したそうだが・・・何の札を、あ!おいサニー!話はまだ」
慌てて二階に駆け上がってサニーは自分の部屋に逃げ込んだ。
これ以上話を続けると・・・
今日あったことがバレて首輪をつけられてしまうかもしれないからだ。
「ふう・・・」
部屋で一息ついてみたが胸の高鳴りはまだ止みそうに無い。
サニーは首元にまだ巻かれている白いスカーフに手を添えると
外すことなく丁寧に整えた。
END
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お約束のにゃんこネタ
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