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うろほろぞ
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思出。
 

今も、思い出す。

北京基地は賑やかな酒宴の真っ最中であった。ヨーロッパの支部に出向していた鉄牛が数年ぶりに帰国したからである。

「おぅ、大作ぅ!呑んでるかぁ!!」

ばしんと盛大に背中を叩かれて、大作は思いきり咽せた。

「~~鉄牛さん、一応ぼくまだ未成年…」

「気にすんなぃ!呑め!!」

なんですけど、という台詞を言い終わるのも待たずに、鉄牛は大作のグラスにがばがばと酒を注いでしまった。出来上がったのは得体の知れないチャンポンで、度数だけは矢鱈と高そうな仕上がりである。途方にくれたような顔で大作は助けを求めて周囲を見回したが、逆にその妖し気な酒を飲み干すのを期待している顔に出会うばかりだ。

…ダメな大人ばっかりだ。

諦めた大作は、ままよとばかりにそのグラスを一気に飲み干した。
当然、無茶である。
鉄牛は喉を焼くアルコールに咳き込む大作の背を、豪快にがははと笑いながら摩ってやった。

「よーし、いい飲みっぷりじゃねーか!おめぇももう大人だな!!
 ---好きなオンナの一人も出来たかよ?」

兄貴風を吹かしてウインクしてみせる鉄牛に、大作は増々咳き込む。

「おいおい鉄牛~!お子さまに絡むなよ?
 大作はまだまだネンネちゃん(死語)だからな。
 オンナノコと遊ぶより、まだまだロボが一番なのさ!」

花栄である。
口では鉄牛を諌めるふりをして、見るからに面白がっていると云った態だ。

「…子供扱いしないで下さいよ」

漸く咳の治まった大作は、歪んでしまった襟元を直しながら兄貴分達の面白がるような顔をじろりと睨付ける。

「ぼくにだって、女の子を好きになった事ぐらいあります」

『何ィ?!』

興味津々の花栄と、自分でふっておいて驚愕している鉄牛のユニゾンが宴会場に谺した。

「…声が大きいですよ…」

二人の大声に照れて視線を落とした大作の顔を、にやにやと花栄は覗き込む。

「どんな子だ?」

訊ねられて益々大作は赤くなり、

「どんな子って、そりゃあ…すっごく可愛い子ですよ。
 茶色の巻き毛で、ちょっと垂れ目で…」

呟いて、懐かしむような色を帯びた目を閉じた。

「もう、会えませんけど」

「え…?」

「何でだ?」

口々に云いつのる不審げな二人にちょっと笑ってみせる。

「…ロボの研究所で、会った子なんです」

その意味に思い当たって、花栄と鉄牛は絶句する。

「やっぱり酔ったみたいだな。…ぼく、ちょっと風にあたってきます」

明るく云って大作はひとり、宴会場を抜け出した。

 


***************************************************** 

 

あの頃、父さんとぼくはロボの研究所の宿舎に住んでいた。
宿舎とは云ってもなかなか洒落た作りで、プライベートビーチのある立派な建物だった。今思えば、あれはBF団の施設だったのだけれど…白い砂浜に青い海が良く映えて、とてもキレイな所だった。多分、セルバンテスさんの趣味だったんだと思う。

セルバンテスさんは、陽気な人だった。手品が上手で、ぼくの相手をしてくれる数少ない大人だったので----ぼくは、セルバンテスさんが大好きだった。

あの夏の日、いつにもましてセルバンテスさんは上機嫌だった。

「なにかいい事でもあったんですか?」

と訊ねると、ぼくの頭に優しく手を置いて、セルバンテスさんはにっこり笑った。

「私の一番大切な人が、視察を兼ねてここへ来て呉れる事になったんだよ」

休暇が取れたそうでね----

「そう、彼は娘を連れてくると云っていたから楽しみにしておいで。
 確か君と同じくらいの歳だったはずだし---とても、可愛い子だからね」

そして、ぼくは彼女に会った。

 


***

 

「大作くん、サニーだよ。仲良くしてやってお暮れ?」

セルバンテスさんと黒い服の紳士(彼がセルバンテスさんの“大切な人”だったらしい)に連れられて、彼女は現れた。彼女は、びっくりする程可愛い女の子だった。
ぼくが「海に行くんだけど…一緒に行く?」と聞くと、彼女はおずおずと頷いて。引っ込み思案な子だなと思ったけれど、波打ち際で足を濡らした彼女が「冷たい」と云って笑ったのを切っ掛けに、急速に彼女とぼくは打ち解けた。日が暮れる迄、二人で波打ち際や岩場で遊んだ。沢山の貝殻を拾って、流木をひっくり返し、ヤドカリや小さな魚を手で掬っては、二人ではしゃいだ。
ふとした拍子にお互い母親が居ないと云う事が分ったのも、仲良くなった理由の一つだ。「おんなじだね」と、ちょっとした秘密を分け合うように二人、顔を見合わせて笑った。

そんな日が何日か過ぎて----ある日、ちょっとした騒動が持ち上がった。

 


***

 

「酷いじゃないか!」

セルバンテスさんの良く響く声が聞こえて、ぼくは朝食もそこそこに宿舎を飛び出した。

「この休みは私に暮れると云っていただろう?!」

「休暇は終わりだ。致し方あるまい?----文句は孔明に云え」

ヘリポートへと向う小道を靴音も高らかに通り抜けながら、厳しい顔で黒い服の紳士が言い放ち、セルバンテスさんは酷く口惜しげな様子だった。
仲の良いはずの二人の口論に面喰らい立ち止まってしまったぼくは、小道と中庭を隔てる植え込みの脇で立ち聞きをする形になってしまった。

「---君は、少し…働き過ぎだと思うが?
 先の任務だって終わったばかりで----」

「其れは、貴様の決める事ではない」

ぴしゃりと遮る様に黒い服の紳士は吐き捨てると、ふと、何かに気付いたように足を止めた。ぼくは、見つかってしまったのだろうか?と首を竦めた。

「サニー」

「はい」

ぎくりと振り返ると、彼女が立っていた。

「後で、迎えを寄越す」

それだけ云うと、黒い服の紳士は後も振り返らずに行ってしまった。
遠くで「早く切り上げて君が自分で来給えよ!」という、セルバンテスさん荒い声が聞こえたが---それが聞き入れられたかどうかは分らなかった。

多分、ぼくは酷く吃驚したような、困惑気味の顔をしていたのだと思う。
彼女は困った様にちょっと笑って、ぼくに云った。

「…父様はお忙しい方なの」

「でも………寂しく、ないの?」

咄嗟に、出た言葉だった。
ぼくは、父さんが忙しくて構って貰えない日が続くと、寂しくて仕方が無かったから。

でも、

彼女は首を横に振って。

「いいえ、寂しくなんか、無いわ」

それは自分に言い聞かすような口調だった。
そして、少し悪戯っぽい仕種で、

「…これはね、内緒なのよ?」

そっとぼくの耳へと唇を寄せ、

「私と父様はね、テレパシィで繋がっているの」

ゆっくりと囁いた。

「だからね、いつもどこにいても、一緒にいるのと同じなのよ」

そしてまた、ぼくの顔を覗き込む様にして微笑んだ。
それは、言葉とは裏腹に、少し寂しい微笑みだった。

そしてその時ぼくは初めて、母さんより綺麗な人を見たと、そう思った。

とてもとても、綺麗な微笑みだった。

 


***


 

その後間もなくして、父さんはBF団を裏切り、命を落とした。
そしてぼくはロボと供に国警の保護下に入り、国警の一員となった。

もう二度と、彼女には会えないのだと、もし会えたとしても、その時は敵同士なのだと。
気がついたのは、かなり後になってからだった。

 


*****************************************************

 

今も、思い出すのは、波打ち際で揺れるサンドレス。

寂しそうに笑った赤い瞳と、柔らかな茶色い巻き毛を、

今もただ懐かしく、遠く愛おしく思い出す。

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赤い窓の奥からのぞく目は、いつもたいして楽しそうにしていない。
それでもセルバンテスはいつもなにかしらに興味の目を光らせているから、どちらを信用
していいものかアルベルトはわからなくなる。
娘のサニーは、そういったところをうまく見ないようにする能力に長けていて、物好きで
飽きやすい小父にもうまく対応しているらしい。たいして父親らしいこともしていないのに、
器用に育ってくれたものだと感心する。


「ちくちくというかね、ヂクっとするんだよこれが」


痛みにつられているせいか、左目をきっとつむったままでセルバンテスは言う。革張りの
ソファにぐったりと横になり、しきりに左のこめかみをさすっている。


「虫歯なんて、まったくロクなもんじゃあない。君、なったことあるかい?」
「記憶にないな」


アルベルトは、そこらじゅうに置かれた家具にごつごつと体をぶつけながらセルバンテス
に近寄った。ソファが四つ、大小のテーブルがあわせて五つ、形から材質から、何もかも
揃っていない椅子が十脚ちかく、かるく見渡すだけでこの数である。
使う使わないに関わらず、セルバンテスが置きたい調度品を置きたい場所に並べた結果が
この部屋であり、これがまた結構な気に入りの場所だった。ここのソファで寝起きをする
こともある程の入れ込みようらしい。絨毯のようなぶ厚いカーテンに仕切られた、部屋の向こう
半分もまた、おそらく調度品で埋まっているのだろう。


「あれは気をつけたほうがいいよ。伊達なケガよりよっぽどひどい目にあうから」


セルバンテスは、手の中でくるくると躍らせていたカプセル薬を口の中に放り込む。
そのまま手近なテーブルに手をかけると、置いてあるロックグラスを手に取った。何かを
吹き払うようにふっと中を吹いたあと、これもまた手近に置いてあるボトルから赤黒い液体を
だぶだぶと注ぐ。
この部屋の調度はすべて、置いてある、のではなく、置いたままにしてあるのだった。


「歯に穴開けて治療するなんて、古臭いにも程があるよまったく」


中身を一気に呷ろうとした瞬間、グラスはセルバンテスの手を抜けて、アルベルトの左手
に収まった。入れ替わりに、ミネラルウォーターのグラスが押し付けられる。色のない水が、
セルバンテスの胸元でゆわんと揺れる。叱られた子どもの視線と、いたずらにあきれ果てた
父親の視線が、ふたつのグラスの間でからまった。


「薬を酒で流すな」
「そうなのかい?」
「前にも言ったはずだが」


セルバンテスはそうだったっけ、と一人つぶやき、アルベルトの手の中のグラスを見つめ
た。グラスもその中身も、アルベルトの一部になってしまったようにカチンと固まっている。
揺れることなく、決められた形を保つ。セルバンテスの瞳は楽しそうに縮まる。


「じゃあそっちは君が飲んでくれたまえ」
「ふざけるな、午後の仕事が残っている」
「私だって同じだよ。そうでなきゃこんなとこ来るわけないじゃないか」


でも私は済ませなきゃならないことが山程あって、そのためには鎮痛剤のひとつも飲まな
くてはならなくて、痛みはおさまるかもしれないけれど頭はぼんやりするだろうし眠くなる
かもしれないし、それでも仕事は残っているし。


「君はフラフラの私を放っておいて、一人でガチャガチャ仕事をすませるのかい?」
「貸してみろ」


赤黒い液体をくっと喉に流す友の姿に満足して、セルバンテスはグラスの水を飲み干した。
不味い。まあそういうのもいいか、と思う。


「さすがはアルベルト君だ」
「これで満足か?さっさと仕事に」
「おっ、サニーちゃんおじさんとバドミントンしないかい?」


するりと抜けてかけてゆく戦友に、アルベルトはため息をつくことをしない。使わない家
具を部屋に置くことも、人の話を聞かない事も、とうの昔に諦めてしまった。家具のあい
だをひらひらと、小さな歩幅で抜ける娘は、赤い瞳をちぢませて笑っている。苦々しい父の顔を
ちらりと確認して、また笑う。


「あ、それからアルベルト」


クフィーヤをふわりとさせて、セルバンテスは全身でターンする。


「それはむしろ、キミが父親らしいことをしてこなかったからだと私は思うよ」


眩惑術ではない。そんな曖昧なものではなく、もっと単純に見抜かれているだけなのだ。










幼い彼女の手は


「サニーちゃ~ん、セルバンテスおじさんだよ~。」

樊瑞の部屋へ唐突にやってきたのはセルバンテスだった。
といってもこの男の場合、唐突でなくやってくることはないのだが。

「セルバンテス…仕事はどうした?つい先ほど孔明に何か言われてはいなかったか?」
「んー、そんなことは忘れたねぇ。」

部屋の片隅に置かれているゆりかごへ男は躊躇なく進んでいく。
そうして、そっと中にいる赤ん坊を抱えた。

「セルバンテス?」
「…いやね、アルベルトが一ヶ月ほど任務で帰ってこないらしくてね。」

珍しいな、と言って樊瑞は自分のあごひげを撫でた。
長期の任務というものは、自分たち十傑集には滅多とないことだった。
十傑集にかかってしまえば時間をかけずとも終わらせることの出来るものがほとんどだったからである。

「そういうわけでね、」
「うむ。」
「その間に私のことを“パパ”と呼ばせられないかと思案中なのだよ。」
「…何をしようとしてるんだ貴様は。」

思わず頭を押さえる魔王。対して、あっはっはと笑う眩惑。
そしてさらに魔王は頭を押さえた。

「サニーはまだ喋れんのだぞ!?それにもし、お前を“パパ”なんて万が一呼ぶようになってしまったら…!……私は恐ろしくてアルベルトの前に姿を見せられん。」
「ふふ、アルベルトはびっくりするだろうね~。サニーちゃんが私のことを“パパ!”って呼ぶんだもんね~。樊瑞ならまだしも、私だもんね~。」

にやにやと至極楽しそうに、セルバンテスはサニーを眺めている。
でもなかなかドッキリとしては楽しいと思わないかい?と彼は赤ん坊に話しかけた。妻も子供もいない自分に、“パパ”と呼びかける存在を作る。そんなおかしくて馬鹿馬鹿しくてどうしようもなく滑稽なことをしたら、
…なんて、幸せだろうか。


『…あの子供は、まだ何の能力も表してはいないのですね?』

ついさっきの策士の言葉が頭に響く。

『なにかありましたら、必ず知らせてください。あの子供もいずれ、ビッグファイア様のために命をかけることになるでしょうから。』

訓練はなるべく早いうちからのほうがいいでしょう――そう言いながら去っていった策士。
分かっていたはずなのだ。この子もいずれ、自分たちと同じ運命を辿ると。
生まれながらにしてのBF団員なのだ。
これは必然であると。


「選択肢は、作ってあげたいがね…」
「ん?何のだ?」
「“パパ”と呼ばれるのが、私か君かアルベルトかっていう選・択・肢v」

今度こそがっくりと、魔王は頭を抱えた。


セルバンテスは赤ん坊を己が手で抱いたまま、じっと彼女の顔を眺めている。
なんとも幸せそうな平和な寝顔を晒しながら、赤ん坊は起きることもなくすやすや寝ている。

なあサニーちゃん。
おじさんとして、おじさんは目一杯、君が幸せに暮らせるように頑張るよ。
だから、幸せにおなり。

誰もサニーにそれを告げなかった。
サニーも何ひとつ尋ねなかった。
その時を見ていた訳ではない。それでも分かったのだ―――


日の光が眩しくて、サニーは俯いた。
足元の草原に咲く花もどこかで歌う小鳥の声にも、何も感じない。
晴れ渡る空を吹く穏やかな風も―――全てが遠いもののように感じられるのだった。
覚束ない足取りで木陰に辿り着き、ぼんやりと佇む。
どれぐらいそうしていたのか分からない。
「サニー」
深くて静かな声がした。
「おじ様」
振り返ったサニーは樊瑞の表情を見て、上手く笑うのに失敗したと悟る。
「…泣いていたのか」
「いいえ」
サニーは顔を上げた。
「泣いてはおりませんわ、おじ様」
だからそんな傷ましいものを見る目でみられるのは辛い、とサニーは思う。
「そうか…」
「はい」
悲しいのだろうか。悲しむべきなのだろうかとサニーは躊躇う。
―――父は笑っていたのに?
「サニー」
「何でしょう、おじ様」
サニーには自分が今どんな顔をしているのかが分からない。
「…良いのだぞ」
樊瑞は見詰めるサニーの前で片膝をついた。
「儂の前では―――泣いても良いのだぞ」
大きくて温かい手が頬に触れ、その余りの変わりなさにサニーは思わず微笑んでいた。
「サニー」
ゆっくりと抱き締められて、サニーは目を見開いた。少し息苦しい程の力。拒むでもなく、応えるでもなく、立ち尽くしながら肩越しの空を見詰める。綺麗だと思った―――他人事のように。
「…泣きません」
声は震えなかった。
「…そうか」
「はい」
この人は優しい。この広い胸は温かくて、まるで―――
思いがけない唐突さで、サニーの視界が滲んだ。
ああ、と樊瑞は溜息をつく。
「悲しい…空だな」
サニーは答えなかった。
晴れ渡る空に吹く穏やかな風。それのどこが悲しいのだろうか。
そう思うのに涙が零れるのがなぜなのか、それだけが分からなかった。




『結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。
今考えると、あのとき食べておけばよかった。
                               アーサー・ゴッドフリー』





招かれざる客にテーブルはない





カップから上がる湯気を軽く吹きながら、死んじゃったんだ、とぽつり洩らした。葉巻を吸っていたアルベルトが静かに視線を寄せてきた。その表情から、どうも説明不足だったようだと思い、言葉を付け足す。
「妻と子がね、いっぺんに」
言葉と共に溜息が出てゆき、入れ替わりにコーヒーが入ってくる。これがまた再度溜息を吐きたくなるほど美味しい。
「んー、でもまだ甘さが足りないかな」
「飽和量ぎりぎりまで入れてまだ言うか」
アルベルトが忌々しげに言う。彼はカップに角砂糖を投入する度実に嫌そうな顔をしていた。甘い匂いに気分が悪くなるそうだ。
「・・・それで、」
「ん?」
「死んだと言ったろう」
「・・・うん、残念ながらオチはなくてね。死んだのは間違いなく愛する我が妻と、生れてすらいない我が子。子供の方はまだ男か女かも分からないほどなんだよ。小さすぎて」
「・・・ああ、お前の口から子が出来たらしいと聞いて、まだ二月と経っていないからな」
「うん」
テラスから遠く離れた庭に目を向ける。子供が二人遊んでいる。サニーと大作だ。花を付けた木々の間を走り抜け、あれは追いかけっこだろうか、陽気がいいから蝶の遊びにも見える。楽しそうだ。
カップを空けたら構いに行こう、と思った。
「確か5人目の妻だと」
「そう、内縁を含めないとね。まだ若かった。幼いと言ってもいいくらいで、それが何より悔やまれるよ」
「幾つだ?」
「16」
「・・・そんな年齢だったか?」
「大人っぽい子だったから」
アルベルトが無言のままコーヒーを飲み込んだ。柔らかい風がカップから立つ湯気を乱していった。
「よい娘だったんだよ、本当に。子が出来たんだって笑った貌はそりゃもう綺麗だった。きっと私にはそれが綺麗すぎたんだね・・・・・・まさか泣くなんて思わなかった。あの時の自分の行動が不思議でならないよ――」
「・・・・・・」
馬鹿みたいに砂糖を入れたコーヒーを飲み下す。可笑しいかな、子が出来たと分かったときより、死んだときの方が喋ることが沢山あるなんて。
「・・・知っての通り、彼女にとってもだが、私にとっても初めての子供だったわけだ」
私の精子には殆んど生命力ってものがないからね・・・と何処へでもなく視線を投げる。
「あ、勿論妻を疑ったりはしなかったさ。彼女が言うんだから私の子だろう。けれどね、いざ私の子だって言われると、俄かには信じがたいんだよ。はいこれが宇宙人です、って連れて来られるくらい信じがたい。動揺したんだ、これでも。・・・うん・・・だからあんなふうに言ったのかも知れないな・・・」
「――あれか」
「君は他人事みたいな口ぶりだと言ってたね」
「生むのか、ではな。小娘が泣いたのも頷けるというものだ。お前らしくもない」
「だから自分でもどうかしてたって言ってるじゃないか・・・。それに、彼女が泣いたのは言葉よりも私の腹の内を読んだからだろうと思う。まあそちらの方がよほど私らしくないと言えばそうだがね」
「違いない」
残り少なくなってきたカップの中に、年若い妻の顔がふと浮かぶ。
アーモンド形の黒く潤んだ瞳、果実みたいに赤くて柔らかい唇。長い髪は、抱きしめるといい匂いがした。成長の終っていない体は痩せ過ぎなくらいで、時には物足りなさを感じたものだったが、そういえばこの頃は少しふっくらしていた覚えがある。
何より頭のいい子だった。そこに一番惹かれた。遭って直ぐに自分が殺されることを理解したのだ、極めて社交的に振舞ったというのに。それで妻に迎えることにした。
「・・・・・・」
瞼を閉じる。薄い肉の幕越しにも日差しと視線は感じられる。涙を零した妻の姿も、ぐちゃぐちゃになった我が子も見える。目を閉じれば何も見えなくなるなんていうのは嘘もいいところだ。だから目を開けてカップを煽る。コーヒーの最後の一口は、砂糖の溶け残りでざらざらしていた。これでどうして甘くないのか。
溜息が出そうだった。
「二週間ぶりに会った妻は白のワンピースを着ていたよ。花のコサージュを着けてね、まだ外見に変化もないから、胎の中にもう一人いるって知らなきゃ同じ年頃の子たちとそう変わらない。挨拶のキスをしてから膝間付いて、胎に耳を当てた。勿論、まだ何も聞こえるはずないんだが。愛してるふりがしたくて抱きしめたんだ」
両手を広げ抱きしめる真似をする・・・その途中で腕を下ろした。
「私が其処から去った夜、彼女は飛び出した。胎の子を伴って。そして真っ暗な道路で車に撥ねられた」
「・・・・・・」
アルベルトの反応は微かなものだ。眉を顰め、私の目を透して遠くを見る。眩しいものがそこにあるかのように。その薄い反応が意味するのは、意外にも、沈痛のそれだった。
写真でしか見たことのない相手に対してこんな表情が出来る男だったろうか。それとも私を気遣って?
「アハ」
「――それでどうしてお前が笑う」
「だって君が珍しい顔を見せてくれたから」
「はッ。いいから先を言え」
言いながら、葉巻を灰皿に押し付ける。
「今度はオチもあるのだろう?」
「・・・鋭いねえ」
まだ話を聞いてくれるつもりらしいと知り、嬉しさと同時にコーヒーを飲みきってしまったことを少し後悔した。
「――彼女たちの死はまるで完璧な事故死のようだけど。けれど私達が見詰め合っていたことを死体は語らない。何を見て、何を思っていたのか、誰にも分からない」
「お前にもか」
「そう・・・、そうだよ、私にももう知る術はない。推測くらいは出来るが・・・私が子に向けた感情が何であれ、結局それが引き金になったのは間違いないからね。まさか『彼女ごと』失う羽目になるとは思わなかったが」
「母親は子供を連れて逃げようとした」
「多分。妻から母になる彼女を私は見抜けなかった、私は子に負けというわけ。・・・はぁ・・・それとも、眩惑術でそのへんも含めてやっちゃったのかなぁ・・・覚えはないんだけど」
「なに?」
「無意識にやったかもしれない。本能的な部分で」
「待て、有り得るのかそんなことが。事実なら問題だぞ」
「どうかな。何せ事は無意識下で行われたか否かだから・・・でも、もしそうだったら凄いじゃないか」
ああ、また他人事みたいな口ぶりだと言われそうだ。
「生物は自らの遺伝子を残すために永いこと進化してきた。子孫を残すことは生き物としての本能だ、そうだろう?だのにそれを、私は同じく本能で拒否したことになる。どれだけ自分の遺伝子を残したくないんだか」
言ってて笑えてきた。やっぱりこんな遺伝子は一代限りにすべきだ。人類の為にも。引いては目の前で頭を押えている盟友の、子孫繁栄の為にも。
「セルバンテス」
呼ばれて、視界に映った顔は眉間のあたりが固かった。瞬間、閃きのようなものが走った。・・・彼は案外、子供の為に死んだりするのかもしれない。
言葉を返すことはせず、席を立つ。後ろで再度呼ぶ声がするけど気にしない。
石畳のテラスから下りると庭は緑の柔らかい草に覆われ、一歩踏み出すごと楽しい気分にさせてくれる。子供たちは遊び疲れたのか木陰で休んでいた。薄ピンクの花の下でクスクスと笑う様子に絆され、こちらの頬も思わず緩む。
「やあサニーちゃん、大作くん」
子供が二人、同時に顔を上げる。「何をしていたんだい?」
問えば、秘密を教えようか、どうしようか?と微笑みの会話交わされ、頷き、答えが返って来た。
『結婚式ごっこ!』








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