思出。
今も、思い出す。
北京基地は賑やかな酒宴の真っ最中であった。ヨーロッパの支部に出向していた鉄牛が数年ぶりに帰国したからである。
「おぅ、大作ぅ!呑んでるかぁ!!」
ばしんと盛大に背中を叩かれて、大作は思いきり咽せた。
「~~鉄牛さん、一応ぼくまだ未成年…」
「気にすんなぃ!呑め!!」
なんですけど、という台詞を言い終わるのも待たずに、鉄牛は大作のグラスにがばがばと酒を注いでしまった。出来上がったのは得体の知れないチャンポンで、度数だけは矢鱈と高そうな仕上がりである。途方にくれたような顔で大作は助けを求めて周囲を見回したが、逆にその妖し気な酒を飲み干すのを期待している顔に出会うばかりだ。
…ダメな大人ばっかりだ。
諦めた大作は、ままよとばかりにそのグラスを一気に飲み干した。
当然、無茶である。
鉄牛は喉を焼くアルコールに咳き込む大作の背を、豪快にがははと笑いながら摩ってやった。
「よーし、いい飲みっぷりじゃねーか!おめぇももう大人だな!!
---好きなオンナの一人も出来たかよ?」
兄貴風を吹かしてウインクしてみせる鉄牛に、大作は増々咳き込む。
「おいおい鉄牛~!お子さまに絡むなよ?
大作はまだまだネンネちゃん(死語)だからな。
オンナノコと遊ぶより、まだまだロボが一番なのさ!」
花栄である。
口では鉄牛を諌めるふりをして、見るからに面白がっていると云った態だ。
「…子供扱いしないで下さいよ」
漸く咳の治まった大作は、歪んでしまった襟元を直しながら兄貴分達の面白がるような顔をじろりと睨付ける。
「ぼくにだって、女の子を好きになった事ぐらいあります」
『何ィ?!』
興味津々の花栄と、自分でふっておいて驚愕している鉄牛のユニゾンが宴会場に谺した。
「…声が大きいですよ…」
二人の大声に照れて視線を落とした大作の顔を、にやにやと花栄は覗き込む。
「どんな子だ?」
訊ねられて益々大作は赤くなり、
「どんな子って、そりゃあ…すっごく可愛い子ですよ。
茶色の巻き毛で、ちょっと垂れ目で…」
呟いて、懐かしむような色を帯びた目を閉じた。
「もう、会えませんけど」
「え…?」
「何でだ?」
口々に云いつのる不審げな二人にちょっと笑ってみせる。
「…ロボの研究所で、会った子なんです」
その意味に思い当たって、花栄と鉄牛は絶句する。
「やっぱり酔ったみたいだな。…ぼく、ちょっと風にあたってきます」
明るく云って大作はひとり、宴会場を抜け出した。
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あの頃、父さんとぼくはロボの研究所の宿舎に住んでいた。
宿舎とは云ってもなかなか洒落た作りで、プライベートビーチのある立派な建物だった。今思えば、あれはBF団の施設だったのだけれど…白い砂浜に青い海が良く映えて、とてもキレイな所だった。多分、セルバンテスさんの趣味だったんだと思う。
セルバンテスさんは、陽気な人だった。手品が上手で、ぼくの相手をしてくれる数少ない大人だったので----ぼくは、セルバンテスさんが大好きだった。
あの夏の日、いつにもましてセルバンテスさんは上機嫌だった。
「なにかいい事でもあったんですか?」
と訊ねると、ぼくの頭に優しく手を置いて、セルバンテスさんはにっこり笑った。
「私の一番大切な人が、視察を兼ねてここへ来て呉れる事になったんだよ」
休暇が取れたそうでね----
「そう、彼は娘を連れてくると云っていたから楽しみにしておいで。
確か君と同じくらいの歳だったはずだし---とても、可愛い子だからね」
そして、ぼくは彼女に会った。
***
「大作くん、サニーだよ。仲良くしてやってお暮れ?」
セルバンテスさんと黒い服の紳士(彼がセルバンテスさんの“大切な人”だったらしい)に連れられて、彼女は現れた。彼女は、びっくりする程可愛い女の子だった。
ぼくが「海に行くんだけど…一緒に行く?」と聞くと、彼女はおずおずと頷いて。引っ込み思案な子だなと思ったけれど、波打ち際で足を濡らした彼女が「冷たい」と云って笑ったのを切っ掛けに、急速に彼女とぼくは打ち解けた。日が暮れる迄、二人で波打ち際や岩場で遊んだ。沢山の貝殻を拾って、流木をひっくり返し、ヤドカリや小さな魚を手で掬っては、二人ではしゃいだ。
ふとした拍子にお互い母親が居ないと云う事が分ったのも、仲良くなった理由の一つだ。「おんなじだね」と、ちょっとした秘密を分け合うように二人、顔を見合わせて笑った。
そんな日が何日か過ぎて----ある日、ちょっとした騒動が持ち上がった。
***
「酷いじゃないか!」
セルバンテスさんの良く響く声が聞こえて、ぼくは朝食もそこそこに宿舎を飛び出した。
「この休みは私に暮れると云っていただろう?!」
「休暇は終わりだ。致し方あるまい?----文句は孔明に云え」
ヘリポートへと向う小道を靴音も高らかに通り抜けながら、厳しい顔で黒い服の紳士が言い放ち、セルバンテスさんは酷く口惜しげな様子だった。
仲の良いはずの二人の口論に面喰らい立ち止まってしまったぼくは、小道と中庭を隔てる植え込みの脇で立ち聞きをする形になってしまった。
「---君は、少し…働き過ぎだと思うが?
先の任務だって終わったばかりで----」
「其れは、貴様の決める事ではない」
ぴしゃりと遮る様に黒い服の紳士は吐き捨てると、ふと、何かに気付いたように足を止めた。ぼくは、見つかってしまったのだろうか?と首を竦めた。
「サニー」
「はい」
ぎくりと振り返ると、彼女が立っていた。
「後で、迎えを寄越す」
それだけ云うと、黒い服の紳士は後も振り返らずに行ってしまった。
遠くで「早く切り上げて君が自分で来給えよ!」という、セルバンテスさん荒い声が聞こえたが---それが聞き入れられたかどうかは分らなかった。
多分、ぼくは酷く吃驚したような、困惑気味の顔をしていたのだと思う。
彼女は困った様にちょっと笑って、ぼくに云った。
「…父様はお忙しい方なの」
「でも………寂しく、ないの?」
咄嗟に、出た言葉だった。
ぼくは、父さんが忙しくて構って貰えない日が続くと、寂しくて仕方が無かったから。
でも、
彼女は首を横に振って。
「いいえ、寂しくなんか、無いわ」
それは自分に言い聞かすような口調だった。
そして、少し悪戯っぽい仕種で、
「…これはね、内緒なのよ?」
そっとぼくの耳へと唇を寄せ、
「私と父様はね、テレパシィで繋がっているの」
ゆっくりと囁いた。
「だからね、いつもどこにいても、一緒にいるのと同じなのよ」
そしてまた、ぼくの顔を覗き込む様にして微笑んだ。
それは、言葉とは裏腹に、少し寂しい微笑みだった。
そしてその時ぼくは初めて、母さんより綺麗な人を見たと、そう思った。
とてもとても、綺麗な微笑みだった。
***
その後間もなくして、父さんはBF団を裏切り、命を落とした。
そしてぼくはロボと供に国警の保護下に入り、国警の一員となった。
もう二度と、彼女には会えないのだと、もし会えたとしても、その時は敵同士なのだと。
気がついたのは、かなり後になってからだった。
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今も、思い出すのは、波打ち際で揺れるサンドレス。
寂しそうに笑った赤い瞳と、柔らかな茶色い巻き毛を、
今もただ懐かしく、遠く愛おしく思い出す。
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