蒿里
夜の金波宮。人影が露台へと出る。
目の前に広がる雲海。
鼻腔をくすぐる潮の香り。
髪を流す潮風。
李斎はその中にただ独り居た。
髪は風のいいようにし、
上着は煽られる。
それでも彼女は一歩たりとも動かない。
雲海の北をただじっと見つめるのみ。
蒿里誰家地
聚斂魂魄無賢愚
鬼伯一何相催促
人命不得少踟厨
―蒿里は誰家(いずれ)の地ぞ
魂魄を聚斂(しゅうれん)して賢愚無し。
鬼伯 一に何ぞ相催促する、
人命 少(しばら)くも踟厨(ちちゅう)するを得ず―
「死後の世界の歌、か…」
ふと李斎は思う。
今の戴は蒿里だ―と。
人々の苦しい生活。
それは死で無く何か。
王、台輔共に不在および行方知れずは
如何なる事か―と。
やがて李斎は帯の切れ端を胸元に引き寄せた。
―驍宗殿、今何処に。
―独りは寒いのです。
―戴を、私をいつも暖めて下さったあなたは何処に。
李斎は独り嗚咽を漏らした。
FIN.
※作中の漢詩「蒿里」は中国名詩選(上)91、編者松枝茂夫 岩波書店より抜粋しました。
また、踟厨(ちちゅう)のちゅうは本来、足偏に厨の字ですが常用漢字ではないため表示できませんでした。
―あとがき―
李斎は強い人間であり女性なので決して人前では弱音は吐かないと思います。
そして夜、独りでこっそりとため息をついてそうです。
しかも、自分のことで泣くほかの人のためを思っての。
(黄昏の岸~は李斎が自分のこと(自分の国の事)しか考えてなかったという感じの話ですが。)
「蒿里」という詩は中三のときテーマを決めて詩のアンソロジーを作りなさいという宿題が出まして。
その時見つけた詩です。
驍宗が作中で「蒿里とは死者の世界の名だが…いっそ不吉で返って良いことが起こるだろう」と
言っていましたから、こうピーンときました。
少佐さんに贈らせていただきます。
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