華
昼間は、暇だったりする。
沙耶は学校。
かといって無職連中と同じ様に公園でぼんやりするのも、自宅でぼんやりするのもつまらない。
伊達はもてあました暇をどうしたものか…と、コートをはおった。
こういう時、向かう場所は決まっている。
「桐生でもからかいにいくか…」
桐生を遥がらみの事でからかう事が、生きがいになりつつあることを、まだ本人は気づいていない。
最近がたがきはじめている車を転がして、桐生の家に向かう途中…商店街の一角に見慣れた姿を見つけた。
「遥!」
常時から声のでかい伊達だ。
遥だけでなく、通りすがりの通行人までが驚いて歩みを止める。
だが伊達はそれらを無視して、遥の隣に車を寄せた。
「あ、伊達のおじさん」
「よう、今帰りか?」
真っ赤なランドセルを揺らし、にこにことする様子はごく普通の小学生だ。
当たり前のことだが、伊達はほっとした。
「これからお前ん家に行くんだ。乗せってやろうか?」
「ほんと!?乗る!」
遥は後部座席ではなく、助手席に回り込む。
いかにも慣れた仕草に、アクセルを踏みながら伊達はいぶかしむ。
桐生は車を持っておらず、いつも自分の車を使っていた。その時は遥と桐生、並んで後部座席に座るから助手席には乗せたことがない。
「桐生の奴、車買ったのか?」
「ううん?買ってないけど?」
「の、わりにはなんか慣れてねぇか?」
「ああ、真島のおじさんによく乗せてもらってるから」
思わず、アクセルとブレーキを踏み間違えた。
ガクンと車が揺れ、後ろからクラクションが鳴った。
「おじさん?」
「い、いや、すまん。ていうか真島の奴と交流があるのか?!お前!」
声が荒くなる。
刑事の性だ。
「うん、よく遊びに来るの。桐生のおじさんが好きなんだよね、真島のおじさん」
へらへらと笑う遥は、緊張感の欠片もない。
だが伊達としては心中穏やかではなかった。
なにせ、真島組構成員に撃たれた過去があるくらいだ。
それに遥は真島に拐われたはず。
それなのに、よく平然と…前から思っていたことだが、遥は神経が図太い。
「桐生は…何も言わないんだな?」
「うん。まだ苦手みたいだけどね」
「……なら、いいか」
少なくとも、桐生は危険を感じていない。なら放っておこう。
薮蛇は、避けれるなら避けるにこしたことはない。
「あ、晩ご飯の買い物しなくちゃいけないから、途中でスーパー寄ってね」
「あ?あ、ああ。そうか、家事は遥がやってるんだったな」
「おじさん、苦手だからね。適材適所、だよ」
下手に大人びた言葉とその中に込められた皮肉に、伊達は吹き出した。
「あいつの適所ってどこだよ」
「喧嘩くらいしかないよねぇ、やっぱり」
「違いねぇ」
この子は、きっと化ける。
今はまだ道端のすみれのような少女だが、きっと今に大輪の華を咲かせるだろう。
優しく、大人びた彼女が化けた時…桐生はいったいどんな反応を示すだろうか。
それを思うと、笑いがこみあげてくる。
喉の奥で笑う伊達に、スーパーへの道を示していた遥きょとん、と首を傾げた。
PR
受験の朝に
満員電車を乗り越え、着いた駅は毎朝高校へと向かう駅とは違った。
遥は今年、十八歳になる。
桐生と家族になってもうすぐ十年だ。
「はやく、来すぎたかな…?」
疑問符をつける必要もなく、早すぎた。
集合時間までまだ一時間以上もある。用心のため、早く来すぎたのだ。
「仕方ない…喫茶店にでもはいるかな」
時間潰しにはなるだろう。
けれど、一人ではいる喫茶店は寂しいものだった。
いつもは桐生が一緒だし、桐生がいない時には真島が向かいにいた。時には伊達がいたりと…寂しい、なんておもうわけないメンバー。
「親離れできてないなぁ」
苦笑した。
一応、参考書なんかを開いて勉強の振りをして…アイスティを飲んで…街ゆく人たちを眺めてみる。
忙しく歩いていく人たちのなかに、いま会いたい人はいなかった。
(おじさん…いま何してるのかな)
寂しい時には、いつも桐生の顔が浮かぶ。
好きでしかたない、あの優しい笑顔が。
「おーい」
声を掛けられ振り向くと、ショウウインドウ越しに眼帯と凄まじい迫力の笑顔があった。
ゴンゴンとショウウインドウを叩き、店内の客たちがざわめいた。
見るからに危ない人間が女子高生に声をかければ、まぁ当然の反応だ。
しかし、この眼帯男と遥随分と長い知り合いだ。
「真島のおじさん」
真島は躊躇うことなく遥の前に座る。
「おはようさん」
「おはよう。珍しいね、こんなとこで会うの。朝からお仕事?」
遥の言う仕事というのは主に借金回収などの事を差すのだが、真島は首を横に振る。
「朝っぱらからそんなんせぇへんよ。ワシ、早起き苦手やねん」
「そっか」
じゃあなぜ朝の早くから行動しているのか。
遥も大人になったので、下手なことは聞かない。
「私、これから受験なの。第一志望だから緊張してるんだ」
「さよか、大変やなぁ。ワシなんか中学卒業したら極道に入ったもんやから、まったくそないな苦労してへんねん」
きょうびの学生は大変やなぁ。
真島は肩をすくめて言った。
「ほんなら、こないなとこで時間潰しててええの?」
「うん。早く来すぎたみたい」
遥は照れた様に頭をかく。
その時、遥があっと言う前に真島の頭に拳が降っていた。
「真島、お前なんでここにいる」
拳を振り下ろしたのは、伊達だった。
伊達は、十年前とあまりかわらないヨレたコート。険しい顔付きも変わらない。
いきなり叩かれた真島は伊達を見た途端機嫌が悪くなり、ドスのきいた声をだす。
「なにすんねん」
伊達は真島を無視すると、遥へ声を掛けた。
「遥、こんな奴とつるむな。おじさんが心配するぞ」
「あー…うん、まぁ、確かにそうだけど…でも真島のおじさんいい人だよ?」
桐生がまだ真島と遥を並ばせるのに抵抗を感じているのは知っている。だが、遥はいつキレるかわからない危険人物である真島を気に入っていた。
遥のいい人発言に気を良くした真島は、未だに敵視する伊達をにらみつける。
「ほら、遥ちゃんは嫌がってないんや。あんたはさっさとどっか行きぃ」
「残念ながら、元誘拐犯の組長なんかと遥を二人きりにさせることはできんな」
「…うっさいわ。とっととハローワークにでも行きぃや。無職が」
「今はちゃんと働いている!」
十年前に警視庁をクビになったことをほじくりかえされ、伊達の声が自然と荒くなる。
流石に痛い会話になってきたな…と、遥は周りが気になってくる。
店内から客が消え始め、残っている客からはひそひそと声が。
「おじさんたち、もうやめ…」
「うっさいわ!」
「遥は黙ってろ!」
二人して言われ、遥はため息をつく。
これはもう、諦めたほうがいい。
こんな状態をなんとかできるのは、桐生くらいなものだ。
キィキィとうるさい真島と伊達を見物しながら、アイスティを一すすり。
なんだか、妙に気分が落ち着いていることに気づく。
(あれ、なんかもう、平気かも)
緊張とか、寂しいとかが…消えていた。
「あはは!」
おかしかった。
馬鹿みたいに。
「なんだ、遥どうした」
「…遥ちゃん?」
きょとんとするおじさん二人がおかしくて、遥は目じりに溜った涙を拭いながらうつ向く。
「な、なんでもないよ。ありがと。なんか元気でたよ」
時間はちょうど、いいころあいで。
遥は伝票を手に立ち上がった。
「さて、もう行きますか。受験に遅れちゃう」
「もうそんな時間かいな。ハローワークがこぉへんかったらもっとしやべれたんに」
「だからハローワークは止めろ!…そうか、そういえば桐生が今日、遥の受験だとか言ってたな」
伊達もいま思い出したらしく、真島との喧嘩を忘れて柔らかく微笑む。
だが、伊達の言葉に真島は眉を吊り上げた。
「なんや!桐生ワシには電話してくれへんのに、ハローワークにはしとんのかいな!?」
「ああ、おもに遥のことに対する相談だがな。娘がいるから、なにかと頼ってくる」
「こんなんより、ワシのがずっと頼りになんのに!」
「喧嘩だけ、だろうが」
「………そやけど」
二人は、案外仲がいいんじゃないかと遥は思う。
元警察官である伊達が真島を警戒しているのは無理ないことだが、息はあっている。わだかまりが解ければ、桐生の仲介がなくても仲良くできるのではないか。
遥はそんなことを思いながら、会計を済ませる。
「じゃあ行ってきます。おじさんたち、お店に迷惑掛けないうちに出るんだよ」
日常の守りの中、自分は確かにいる。
それだけで…寂しくない。
そう、遥は笑った。
弱点
今日は選挙があるせいで、見れる番組がないと遥が言い出した。
しかしそれは桐生にも覚えがあることで、選挙なんかに行かないし、政治家が当選を喜ぶ姿を見る趣味もない。
「ビデオ借りに行こうよ。つまんない」
「そうだな。じゃあ行くか」
「ほんならワシ、車出したるわ」
うんざりした。
どこからわいた、ボウフラかと酷い事を考えながら、にこにこと座っている真島を冷ややかな目で見つめる。
「あ、真島のおじさん!来てたんだ!」
遥は嬉しそうに真島に駆け寄った。
玄関が開いているが、鍵は閉めたはずだ。どうやって入ったかと考えたが…そういえば、合鍵が二本あったのだが一本、どこかにいっていた。
この男が持っていたのか。
「…真島の兄さん、組の仕事はいいんですか」
「ああ、舎弟どもにまかせてきたから心配せんでいいよ。ワシの優先順位は桐生ちゃん、遥ちゃん、んで組の仕事やから」
組長の地位を何だと思っているのか。
こんなんでは直ぐに組長の座を若い者に奪われてしまうのでは…だが実際、そんなことは有り得ない。
遥の前では善良な悪党を演じる真島だが、一度組長に戻ると、『狂犬』と呼ばれるほどのイカレっぷりを見せる。
真島組の舎弟たちは、狂犬に噛みつかれることの恐ろしさを身に染みて知っているのだ。
「ほな行こ。はよせぇへんと、遥ちゃんの見たいん無くなるで」
世の中似たような考えが多いから、と真島は指に引っ掛けた車のキーをくるくると回して笑う。
キーホルダーにスポンジのキャラクターのマスコットがついているのが気になったが、やはりそこには我が家の鍵が光っていた。
真島の愛車、ムスタングのその名の通り荒い運転に何度か恐ろしい目にあったが、なんとか三人は無事に近くのレンタルビデオショップについた。
遥は真島のジェットコースターのような運転が気に入ったらしいが、神室町にいたころからこれに付き合っていた桐生は帰りのことを思うだけで憂鬱だ。
「遥ちゃんは何見たいん?やっぱりアニメか?」
「ドラえもんかなぁ…劇場版のやつ」
「そら懐かしいチョイスや」
「あとは、適当に決めるよ」
遥はそう言って子供用の棚の向こうに消えていった。
真島はそれを見送ると…怪しい微笑みで桐生の脇腹をつつく。
「ワシらは、大人のビデオでもみるかいな?」
「…嫌ではじゃないですね」
こそこそとした桐生を見て、子供と同居は大変だと真島は哀れんだ。
自分はまだ子供はいらないと思いつつ…
「ハリウッド系しか借りちゃ駄目だからね」
しっかりと釘を刺しにきた遥に、参ったと肩をすくめた。
「私がいっちば~ん!」
大人二人を押さえ付けた遥は、DVDを入れる。
ビデオを借りに行こうと言ったが、今じゃDVDが主流。しかし今の時代になかなかついていけない桐生のため、遥の言葉にはアナログが入る。
十年の歳月は大きいと感じるのはこういう時だ。
「へへvv友達同士で流行ってるんだよね」
「なんちゅうシリーズや?」
「本当にあった怖い話シリーズ」
無邪気な答えに、桐生は嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
いま遥は、なんと言った?
「怖いって評判だから、おじさんたちがいるときじゃないと見れないよ」
「さよか。そりゃあ楽しみやね。なぁ、桐生ちゃん」
「………」
「おじさん?」
真っ青な桐生に二人は顔を見合わせる。
まさか、桐生は以外と…
そう考えると、二人の中に黒いいたずら心が宿る。
「遥ちゃん、ボリューム上げ」
「了解vv」
近所迷惑にならないギリギリの音量まで上げると、真島は桐生を後ろから羽交い締めにした。
桐生は息を飲んで抵抗するが、体勢が悪い。力が入らなかった。
「兄さん!」
「遥ちゃん、知っとるか?こういうモンは怖がりがいてはじめてオモロイんやで」
意地の悪い真島は、遥と共に笑う。
それから一週間、遥が桐生の部屋で寝ることになったのを真島だけが知っていた。
あなたの側には
夕飯の席で、遥は桐生のお代わりをよそおうと茶碗を受けとり…
桐生の胸元に光ったチェーンに、そっと目をそらした。
チェーンについた、母親の指輪。
あの日から桐生は肌身離さず由美の指輪を身につけていた。
「どうした?」
「えっ!?な、なんでもない!おじさんよく食べるなぁって思って」
これは、あながち嘘の発言ではない。
桐生は遥の作る食事は毎回よく食べた。がっしりした体格は、それなりの栄養のおかげだろう。
「あ?ああ、遥の飯は旨いからな。また腕を上げたんじゃないか?」
「うん、調理実習でも先生に褒められたよ。先生よりも上手くできてるって」
「そうか。それは凄いな」
遥が褒められたことは、父親がわりの桐生にとっても嬉しいことだ。
嬉しそうに頭を撫でてくれる桐生が、遥も嬉しい。
けれど、そのたびに光るチェーンが遥の胸を痛ませた。
(お母さん…)
桐生のただ一人の、想い人。
そして遥の母親。
(おじさんはお母さんがずっと好きで、お母さんは死ぬまでおじさんが好きだった)
(それはこれからも変わらない事実)
(でも…敵わないよね)
この想いがひと欠片だって溢れないように、山盛りの茶碗を笑顔で差し出す。
「おじさんは成長期だもんね」
「馬鹿、それはお前だろ」
(あなたは私の、ただ一人の想い人)
(だから)
せめて、暖かな食卓をあなたに。
はからずも
「おじさん、あーん」
差し出されたものに、桐生は素直に口を開けることはしなかった。
町角の、小さな喫茶店。二人は買い物ついでに、ちょっとお茶でも…とやってきたのだが。
「遥、俺にそれはないだろう?」
細長いパフェ用スプーンにすくわれた、甘い甘い生クリーム。その上には大きな苺がのっている。遥が注文したパフェの天辺にのっていたものだ。
女の子が天辺の苺を差し出すという行為。
その意味を四十に近い男が理解するはずもなく。
「甘いものは苦手なんだ」
お前が食べろ。そう言ってにこりと笑った。
もちろん意図をまったく汲み取ってくれない桐生に遥は頬を膨らませるが、極道上がりに理解しろというほうが無理だ。
それに、おとなしく『あーん』とやらをやる桐生は気持ち悪い。
遥も想像して諦めた。
「ねぇ、スーパーのタイムサービスまで、まだ時間あるよね」
「そうだな」
最近主婦じみてきたな…と桐生は微妙な気持ちだ。
子供らしく何も考えないでいいのに、家事の苦手な桐生の為に学校へ行きながら家事全般を担ってくれている。
人間的な生活をおくれているのも、遥があってのことだ。
「じゃあさ、ゲームセンターに寄ってもいい?」
「ああ、いいぞ」
「やったー!プリクラ撮ろうね!」
「…あれは苦手だ」
「駄目だよ。友達におじさんとのプリクラを見せるって約束したんだから」
仕方ない…桐生は黙って頷く。
遥は嬉しそうに笑うと、ジャンボパフェを掻き込み始める。
急がなくても桐生は待っててくれるのだが…直ぐに行きたい遥は猛スピードで器を空にして一息つく。
それを微笑ましく見ていた桐生は不意に手を伸ばし…
「付いてるぞ」
ひょい、と頬に付いていたクリームをすくいとり口に入れた。
甘さに顔をしかめる桐生に、事の重大さに真っ赤になる遥。
「さ、行くか」
何もわかっていない桐生はジャケットを肩にかけ、席を立つ。
遥の顔の熱りは、プリクラを撮るまでにとれるだろうか。