春まだ来たらずの頃。
世界はまるで災厄のように降りかかった先年の「惨劇」による爪痕深く、今だ立ち直れないでいる。恐らく・・・今日のような寒さに凍えて死ぬ者は想像を超える数だろう。
そう、思わせるほどにその日は一段と冷え込みが厳しかったが樊瑞の屋敷、特にその一室はよく暖められ、普段はそこまでしないはずなのに十分に加湿もされていた。
「サニーは本当によく笑う子だ」
樊瑞はアルベルトから預かってかれこれ二ヶ月になる乳飲み子のサニーを見る。
産籠の傍によって赤く色づいた頬を指の背で撫でればそれは実に柔らかい。
無骨で骨ばり、幾多の血を流してきた自分の手であるはずなのに・・・サニーは心地良さそうに受け入れてくれ笑う。
それは・・・二ヶ月前初めて腕に抱いた時と同じ微笑み。
「泣くことも多いがそれ以上にとにかくよく笑う」
自分も知らず微笑んでいることも気づかず樊瑞は藤でできた産籠からサニーを取り出した。優しく丁寧に、逞しい腕で抱き広い胸に寄せてみる。最初は恐々(こわごわ)であったはずなのに今ではすっかり様になっていた。
茶を口にしつつその様子を見守っていたカワラザキは「まるで本当の親子のようじゃな」と苦笑する。血の繋がらない情愛の存在を知る老兵は2人に目を細めた。
「しかし、アルベルトは何故この子を手放したのだ・・・子を養うことを毛嫌いしたか?」
「さて・・・のう・・・セルバンテスから話を聞けばサニーとの親子の縁は腹にいる時から既に切ったらしいが」
「なに!!!?」
樊瑞は思わぬ事実に目を見開いて大きな声を上げてしまい、腕にいるサニーがぐずりだす。慌ててあやしながら言葉を続ける。
「親子の縁を切るなどと・・・何を考えているのだあの男は。しかも腹にいる時点でなどと」
勝手な奴だ、と口に出そうになったが・・・あの嵐の夜、預かった時の事を思い出しつぐんだ。口や態度には出さないが子への想いがまったく無いわけではない。しかし・・・ぐずるのを止め再び笑い出したサニーを見ると余計に「どうして」というやり切れない気持ちが湧き上がる。
自分は今この子を手放せと言われたら・・・もう、できないだろう。
なのに親であるはずのアルベルトは・・・手放した。
「切った理由は本人しかわからん。子を疎んじたか、それとも・・・我々が勝手に想像してもキリが無い。だがサニーをこの先養育するお主は知っておいた方が良いとワシは思うが・・・なんなら任務から戻り次第アルベルト本人に確かめてみたらどうだ樊瑞」
カワラザキは飲み干した湯飲みをテーブルに置いた。
「・・・もっとも聞いたところで話すような男とは思えぬが・・・」
「だからといって私を呼び出さなくてもいいじゃあないか」
翌日。
セルバンテスは不機嫌そうに屋敷の来客用のテーブルに頬杖を付き、アーモンドスライスが乗ったクッキーを口に放り込んだ。早朝に任務が終わって一息つけると思った矢先、樊瑞に彼の屋敷に呼び出されてしまったのだ。
「お主なら知っておるのだろう?何故アルベルトが親子の縁を切ったのかを」
「親子の事情まで私が口にするべき事では無いと思うが」
不機嫌をそのままにクッキーを噛み砕く。
「そう言うな、私がアルベルトに聞いたところで無視されるのがオチなのはお主もわかるだろうが。しかし私はサニーの後見人だ。この先サニーを見守っていくにあたって実の親子の関係を私は知る権利はあるはずだが?なぁサニー」
「いやぁサニーちゃん!久しぶりだねぇセルバンテスのおじ様だよ~」
「おいセルバンテス、話を聞けっ!・・・ああ!サニー」
抱かれていたサニーの姿を確認するや否や手にあった二枚目のクッキーを放り投げ、樊瑞の腕から半ばひったくるように奪ってしまった。ゴーグルを取り去り嬉しそうに彼はサニーの顔を覗きこむ。そしてだいぶ伸びたサニーのロイヤルミルクの巻き髪を優しく撫でてあの柔らかい頬をくすぐってやった。
「手袋でカサカサするかい?すまないねぇ手袋したままで・・・おじ様今ちょっとお手手が汚れてて・・・」
そう優しく語り掛けるセルバンテスが遂行した任務の最終日は派手な破壊活動で仕上がったはず。それに巻き込まれた一般人を含む死傷者が相当数出たが・・・張本人は今こうして穏やかな眼差しで小さな命に微笑みかけ、その手をサニーは笑顔で受け入れている。
「・・・・・・・・・・・・」
その現実に樊瑞は例えようも無い気持ちになった。
「お父さんはあと二週間すれば帰ってくるよ?ふふふ彼は元気だから安心したまえ」
アルベルトもまた・・・ビッグ・ファイアの名の下、多くの破壊と死を築く。遂行中の作戦が成功すれば無差別に百単位の死者がでるのは確実で・・・それは彼が生きている以上、飽くことなく営みのように行われる・・・それもやはり現実だった。
そしてそれは自分も何ら変わりは無い。
ビッグファイアのご意志であれば明日にでも血の鉄槌を世に振り下ろすべく赴くであろう。その鉄槌に手心は存在しない、ボスの名の下であればたとえサニーのような赤子であろうと・・・
「ミルクはいっぱい飲んでるかい?んん、サニーちゃんまた笑った、はははは」
多くの命を刈り取ったその手でひとつの小さな命を慈しみ
頬を撫で
赤子は無垢な笑顔を向ける。
あまりにも矛盾している現実。何かがおかしい、歪んでいるはずなのに、何もおかしくなく、そして当然のように存在する現実。その現実の一部としている自分の中で「こんなことがあっていいのだろうか」ともう一人の自分が囁きかて・・・樊瑞は自然と口にした。
「私たちのような者がサニーを慈しんで・・・育てていいのだろうか・・・いや、許されることなのか?セルバンテス」
「おや、珍しいな。朴念仁の魔王がセンチになるなんて」
「わ、私とて・・・!私はただこうして我々のような者たちに囲まれるサニーが、何も知らぬうちにこのBF団にいることを・・・その・・・不憫だと思うのだ」
セルバンテスは自らも微笑んだままサニーの額に口付けをして丁寧に産籠に戻す。
「ふむ・・・許されることかどうか・・・か。じゃあ誰が許さないというのかね?神様か?君も私も含めてここにいる人間はそんなもの誰も信じちゃあいないのに?」
「別にそういった許しなどではない、ただ・・・自分自身が許さぬのだ・・・」
「そうかね・・・自分自身がか・・・・」
苦笑が混じった溜め息をもらし、おもむろに手袋に覆われた自身の手を見つめる。
外せなかった手袋は洗い立てのように汚れ一つ無い。
「・・・・・・・・・・・・」
何を考えているのかそのまま無言であったが彼はようやく口を開いた。
「私の口からアルベルトが我が子と縁を切った理由など聞くまでもない。なぜなら今そう想う心がある君がアルベルトと同じ立場であったならば、やはり腹にいる時点で親子の縁を切るからだ。私はそう確信するが・・・違うだろうか?混世魔王樊瑞」
「私が・・・・」
我が子である事実は変わりなくとも、自分のような人間を父とする罪悪。
罪というものがどういうものなのか、麻痺して久しい自分たちでも、確かにそれは罪だとわかる。人の子であっても腕に抱き、何を求めるわけでもなくただ自分に微笑み温もりを与えてくれるのをかけがえなく愛しいと思ってしまった自分だから、わかる。
樊瑞は目が覚めたような顔をセルバンテスに向け。
セルバンテスは笑みを潜めた顔を樊瑞に向ける。
「それと・・・私は不憫と思って欲しくない。それはサニーちゃんがアルベルトの娘であること自体が不幸だと言っているようなものではないかね」
「すまん」
あっさりと謝る十傑集がリーダーにセルバンテスは肩をすくめて笑い再びゴーグルを掛けなおす。「それじゃ、サニーちゃんをくれぐれもよろしく」と一言残しクフィーヤの裾を軽やかにして彼は屋敷を後にした。
「サニー、お前が不幸か不幸でないかどうか決めるのは私ではなかったな」
一人部屋に残った彼は産籠の中で寝息をたてるサニーを覗き込む。
父親が縁を切り、こうして自分のような男に預け、また同じ男たちに囲まれて・・・己の意思ではなく親の因果でこのBF団という場所に存在することを幸か不幸か・・・
「その答えははいつか自分で出すのだサニー」
眠るサニーの頬を触ればやはり拒むことなく柔らかく受け止めてくれる。
「お前が出す答えを・・・きっとアルベルトがそうするように、この私も甘んじて受けよう」
それは春まだ来たらずの頃。
「その日までお前を見守り、お前が微笑み絶やさぬのを願うのを・・・許す私を許してくれ」
懺悔のように膝を折り、彼はサニーの頬から伝わる温もりを指先に受け取る。
眠るサニーは何の夢を見ているのか、彼のその言葉に微笑みで返した。
END
世界はまるで災厄のように降りかかった先年の「惨劇」による爪痕深く、今だ立ち直れないでいる。恐らく・・・今日のような寒さに凍えて死ぬ者は想像を超える数だろう。
そう、思わせるほどにその日は一段と冷え込みが厳しかったが樊瑞の屋敷、特にその一室はよく暖められ、普段はそこまでしないはずなのに十分に加湿もされていた。
「サニーは本当によく笑う子だ」
樊瑞はアルベルトから預かってかれこれ二ヶ月になる乳飲み子のサニーを見る。
産籠の傍によって赤く色づいた頬を指の背で撫でればそれは実に柔らかい。
無骨で骨ばり、幾多の血を流してきた自分の手であるはずなのに・・・サニーは心地良さそうに受け入れてくれ笑う。
それは・・・二ヶ月前初めて腕に抱いた時と同じ微笑み。
「泣くことも多いがそれ以上にとにかくよく笑う」
自分も知らず微笑んでいることも気づかず樊瑞は藤でできた産籠からサニーを取り出した。優しく丁寧に、逞しい腕で抱き広い胸に寄せてみる。最初は恐々(こわごわ)であったはずなのに今ではすっかり様になっていた。
茶を口にしつつその様子を見守っていたカワラザキは「まるで本当の親子のようじゃな」と苦笑する。血の繋がらない情愛の存在を知る老兵は2人に目を細めた。
「しかし、アルベルトは何故この子を手放したのだ・・・子を養うことを毛嫌いしたか?」
「さて・・・のう・・・セルバンテスから話を聞けばサニーとの親子の縁は腹にいる時から既に切ったらしいが」
「なに!!!?」
樊瑞は思わぬ事実に目を見開いて大きな声を上げてしまい、腕にいるサニーがぐずりだす。慌ててあやしながら言葉を続ける。
「親子の縁を切るなどと・・・何を考えているのだあの男は。しかも腹にいる時点でなどと」
勝手な奴だ、と口に出そうになったが・・・あの嵐の夜、預かった時の事を思い出しつぐんだ。口や態度には出さないが子への想いがまったく無いわけではない。しかし・・・ぐずるのを止め再び笑い出したサニーを見ると余計に「どうして」というやり切れない気持ちが湧き上がる。
自分は今この子を手放せと言われたら・・・もう、できないだろう。
なのに親であるはずのアルベルトは・・・手放した。
「切った理由は本人しかわからん。子を疎んじたか、それとも・・・我々が勝手に想像してもキリが無い。だがサニーをこの先養育するお主は知っておいた方が良いとワシは思うが・・・なんなら任務から戻り次第アルベルト本人に確かめてみたらどうだ樊瑞」
カワラザキは飲み干した湯飲みをテーブルに置いた。
「・・・もっとも聞いたところで話すような男とは思えぬが・・・」
「だからといって私を呼び出さなくてもいいじゃあないか」
翌日。
セルバンテスは不機嫌そうに屋敷の来客用のテーブルに頬杖を付き、アーモンドスライスが乗ったクッキーを口に放り込んだ。早朝に任務が終わって一息つけると思った矢先、樊瑞に彼の屋敷に呼び出されてしまったのだ。
「お主なら知っておるのだろう?何故アルベルトが親子の縁を切ったのかを」
「親子の事情まで私が口にするべき事では無いと思うが」
不機嫌をそのままにクッキーを噛み砕く。
「そう言うな、私がアルベルトに聞いたところで無視されるのがオチなのはお主もわかるだろうが。しかし私はサニーの後見人だ。この先サニーを見守っていくにあたって実の親子の関係を私は知る権利はあるはずだが?なぁサニー」
「いやぁサニーちゃん!久しぶりだねぇセルバンテスのおじ様だよ~」
「おいセルバンテス、話を聞けっ!・・・ああ!サニー」
抱かれていたサニーの姿を確認するや否や手にあった二枚目のクッキーを放り投げ、樊瑞の腕から半ばひったくるように奪ってしまった。ゴーグルを取り去り嬉しそうに彼はサニーの顔を覗きこむ。そしてだいぶ伸びたサニーのロイヤルミルクの巻き髪を優しく撫でてあの柔らかい頬をくすぐってやった。
「手袋でカサカサするかい?すまないねぇ手袋したままで・・・おじ様今ちょっとお手手が汚れてて・・・」
そう優しく語り掛けるセルバンテスが遂行した任務の最終日は派手な破壊活動で仕上がったはず。それに巻き込まれた一般人を含む死傷者が相当数出たが・・・張本人は今こうして穏やかな眼差しで小さな命に微笑みかけ、その手をサニーは笑顔で受け入れている。
「・・・・・・・・・・・・」
その現実に樊瑞は例えようも無い気持ちになった。
「お父さんはあと二週間すれば帰ってくるよ?ふふふ彼は元気だから安心したまえ」
アルベルトもまた・・・ビッグ・ファイアの名の下、多くの破壊と死を築く。遂行中の作戦が成功すれば無差別に百単位の死者がでるのは確実で・・・それは彼が生きている以上、飽くことなく営みのように行われる・・・それもやはり現実だった。
そしてそれは自分も何ら変わりは無い。
ビッグファイアのご意志であれば明日にでも血の鉄槌を世に振り下ろすべく赴くであろう。その鉄槌に手心は存在しない、ボスの名の下であればたとえサニーのような赤子であろうと・・・
「ミルクはいっぱい飲んでるかい?んん、サニーちゃんまた笑った、はははは」
多くの命を刈り取ったその手でひとつの小さな命を慈しみ
頬を撫で
赤子は無垢な笑顔を向ける。
あまりにも矛盾している現実。何かがおかしい、歪んでいるはずなのに、何もおかしくなく、そして当然のように存在する現実。その現実の一部としている自分の中で「こんなことがあっていいのだろうか」ともう一人の自分が囁きかて・・・樊瑞は自然と口にした。
「私たちのような者がサニーを慈しんで・・・育てていいのだろうか・・・いや、許されることなのか?セルバンテス」
「おや、珍しいな。朴念仁の魔王がセンチになるなんて」
「わ、私とて・・・!私はただこうして我々のような者たちに囲まれるサニーが、何も知らぬうちにこのBF団にいることを・・・その・・・不憫だと思うのだ」
セルバンテスは自らも微笑んだままサニーの額に口付けをして丁寧に産籠に戻す。
「ふむ・・・許されることかどうか・・・か。じゃあ誰が許さないというのかね?神様か?君も私も含めてここにいる人間はそんなもの誰も信じちゃあいないのに?」
「別にそういった許しなどではない、ただ・・・自分自身が許さぬのだ・・・」
「そうかね・・・自分自身がか・・・・」
苦笑が混じった溜め息をもらし、おもむろに手袋に覆われた自身の手を見つめる。
外せなかった手袋は洗い立てのように汚れ一つ無い。
「・・・・・・・・・・・・」
何を考えているのかそのまま無言であったが彼はようやく口を開いた。
「私の口からアルベルトが我が子と縁を切った理由など聞くまでもない。なぜなら今そう想う心がある君がアルベルトと同じ立場であったならば、やはり腹にいる時点で親子の縁を切るからだ。私はそう確信するが・・・違うだろうか?混世魔王樊瑞」
「私が・・・・」
我が子である事実は変わりなくとも、自分のような人間を父とする罪悪。
罪というものがどういうものなのか、麻痺して久しい自分たちでも、確かにそれは罪だとわかる。人の子であっても腕に抱き、何を求めるわけでもなくただ自分に微笑み温もりを与えてくれるのをかけがえなく愛しいと思ってしまった自分だから、わかる。
樊瑞は目が覚めたような顔をセルバンテスに向け。
セルバンテスは笑みを潜めた顔を樊瑞に向ける。
「それと・・・私は不憫と思って欲しくない。それはサニーちゃんがアルベルトの娘であること自体が不幸だと言っているようなものではないかね」
「すまん」
あっさりと謝る十傑集がリーダーにセルバンテスは肩をすくめて笑い再びゴーグルを掛けなおす。「それじゃ、サニーちゃんをくれぐれもよろしく」と一言残しクフィーヤの裾を軽やかにして彼は屋敷を後にした。
「サニー、お前が不幸か不幸でないかどうか決めるのは私ではなかったな」
一人部屋に残った彼は産籠の中で寝息をたてるサニーを覗き込む。
父親が縁を切り、こうして自分のような男に預け、また同じ男たちに囲まれて・・・己の意思ではなく親の因果でこのBF団という場所に存在することを幸か不幸か・・・
「その答えははいつか自分で出すのだサニー」
眠るサニーの頬を触ればやはり拒むことなく柔らかく受け止めてくれる。
「お前が出す答えを・・・きっとアルベルトがそうするように、この私も甘んじて受けよう」
それは春まだ来たらずの頃。
「その日までお前を見守り、お前が微笑み絶やさぬのを願うのを・・・許す私を許してくれ」
懺悔のように膝を折り、彼はサニーの頬から伝わる温もりを指先に受け取る。
眠るサニーは何の夢を見ているのか、彼のその言葉に微笑みで返した。
END
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契約。
「…サニー、サニー、サニーちゃぁん?」
豪奢なソファに凭れた白いクフィーヤの男は妙な節を付けて傍らの少女に声を掛ける…が、そんな男に目をやる事もなく---少女は花を活けていた。
大輪の、少女の瞳と同じ深紅の薔薇。
「…まだ、怒っているのかい?」
その言葉にぴくりと肩を震わせて、ようやく少女は男に向き直る。
「いいえ。わたくし怒ってなどいませんわ、セルバンテスのおじさま」
「…そうかい?」
顎下で指を組んで肘掛けに肘をつき、その男には珍しく----本当に珍しい事だが----困ったような顔で少女に微笑み掛けた。
「確かに…アルがパーティーに参加出来なかったのは残念だったけどね。
でも、プレゼントは呉れただろう?」
ボンボン・ショコラのアソートボックスだっけ?いつものだけれど----
「…わたくし、もうお菓子を戴いて喜んでいるような子供ではありませんわ」
つん、と少し拗ねたように視線を外した少女が子供っぽくて。
男は声を立てて笑った。
「解っているよ。
…私の差し上げたベルジャン・レースのハンカチは…気に入って貰えただろうね?」
「ええ、それは」
勿論。
少し慌てたように向き直る。そんな少女に男はにこやかに笑い掛ける。
「…では、もう赦してやってお呉れ。
急な任務で、適任者はアルしか居なかった」
仕方なかったのだよ-----
「でも」
少女は、俯いて唇を噛む。
「あの日、父様はお休みだったのですわ。
前日…プレゼントは何が欲しいと仰って---」
急な問いに詰まった少女を見て、父親は珍しく、こう提案した。
---急には決まらんか。ならば、明日見に行くか。
天にも昇る気持ちだった。
多忙で…些かワーカホリック気味な父が、自分に目を向けて呉れた事が嬉しかった。
楽しみで楽しみで寝付かれない程で------翌日。
目を覚ますと、父親は出動した後だった。
「仕方が無い事なのは、解っているのですわ…でも」
でも。
パーティーが終わり、夜も更けて------明方。
やっと戻った父親は、全身に傷を負い大量の出血をし、輸血されながらストレッチャーの上----だった。
「…死んでしまうかと…思っ……」
ぼろぼろと、大粒の涙が少女の頬を伝う。
「…おいで」
男に促されるままに、少女は男の肩口に顔を押し付けた。
少女の柔らかな髪を梳きながら、男は宥めるように少女に話し掛ける。
「…サニー、大丈夫だよ。
アルは…私達は十傑集だ。そう簡単には死にはしないよ」
頑丈だからね。
「安心していい---そう、我がBF団の医療班は国警よりもずっと技術が上なんだ」
元より紅い目をもっと紅くして、少女はくすんと鼻を鳴らした。
「…本当ですか」
「勿論だとも!」
詐欺師の微笑みで男は少女の涙をそっと拭い取る。
「それにね、アルは本当に強いんだ」
今回はちょっぴり不覚をとったけれど------
「それはそれは、強くて。見ていて嬉しくなる位なんだよ」
男は目を細めて実に楽しそうに、嬉しそうに笑う。
「いつか、君にも見せてあげたいな----アルの闘いはとても素晴しいからねぇ。
そう、君がもっと…自分の力を上手くコントロール出来るように成ったら」
連れていってあげるよ。
くすりと、泣き顔のままで少女も微笑む。
「…狡いわ」
「うん?」
「だって、おじさまったら----」
本当に父様の事お好きなんですもの。
「あぁ、そうだねぇ。好きだねぇ---
取りあえず、会って無かったら此処には居ないかなって位には好きかなぁ?」
それはBF団に、と云う事か---それともこの世に、と云う事なのか。
物騒な事を云って、男はあははと笑った。
「だからね、サニー」
約束しよう。
「私が生きている限り、アルを死なせたりはしないよ」
男の思いも掛けぬ真剣な眼差しに、少女も知らず顔を引き締める。
「…本当ですか」
「誓おう」
そして、しめやかに契約は成されたのであった。
*****************************************************
「サニー」
おじさま…
「契約は果たされたよ」
ええ。
「しかし、済まないな。
もう、この契約を更新してあげる事は出来ないんだ」
ええ。
「済まないな…」
いいえ、いいえ…!
ありがとう、ございました。
*****************************************************
そして、微笑みの気配を残して白い残像は、晴れた空に消えた。
思出。
今も、思い出す。
北京基地は賑やかな酒宴の真っ最中であった。ヨーロッパの支部に出向していた鉄牛が数年ぶりに帰国したからである。
「おぅ、大作ぅ!呑んでるかぁ!!」
ばしんと盛大に背中を叩かれて、大作は思いきり咽せた。
「~~鉄牛さん、一応ぼくまだ未成年…」
「気にすんなぃ!呑め!!」
なんですけど、という台詞を言い終わるのも待たずに、鉄牛は大作のグラスにがばがばと酒を注いでしまった。出来上がったのは得体の知れないチャンポンで、度数だけは矢鱈と高そうな仕上がりである。途方にくれたような顔で大作は助けを求めて周囲を見回したが、逆にその妖し気な酒を飲み干すのを期待している顔に出会うばかりだ。
…ダメな大人ばっかりだ。
諦めた大作は、ままよとばかりにそのグラスを一気に飲み干した。
当然、無茶である。
鉄牛は喉を焼くアルコールに咳き込む大作の背を、豪快にがははと笑いながら摩ってやった。
「よーし、いい飲みっぷりじゃねーか!おめぇももう大人だな!!
---好きなオンナの一人も出来たかよ?」
兄貴風を吹かしてウインクしてみせる鉄牛に、大作は増々咳き込む。
「おいおい鉄牛~!お子さまに絡むなよ?
大作はまだまだネンネちゃん(死語)だからな。
オンナノコと遊ぶより、まだまだロボが一番なのさ!」
花栄である。
口では鉄牛を諌めるふりをして、見るからに面白がっていると云った態だ。
「…子供扱いしないで下さいよ」
漸く咳の治まった大作は、歪んでしまった襟元を直しながら兄貴分達の面白がるような顔をじろりと睨付ける。
「ぼくにだって、女の子を好きになった事ぐらいあります」
『何ィ?!』
興味津々の花栄と、自分でふっておいて驚愕している鉄牛のユニゾンが宴会場に谺した。
「…声が大きいですよ…」
二人の大声に照れて視線を落とした大作の顔を、にやにやと花栄は覗き込む。
「どんな子だ?」
訊ねられて益々大作は赤くなり、
「どんな子って、そりゃあ…すっごく可愛い子ですよ。
茶色の巻き毛で、ちょっと垂れ目で…」
呟いて、懐かしむような色を帯びた目を閉じた。
「もう、会えませんけど」
「え…?」
「何でだ?」
口々に云いつのる不審げな二人にちょっと笑ってみせる。
「…ロボの研究所で、会った子なんです」
その意味に思い当たって、花栄と鉄牛は絶句する。
「やっぱり酔ったみたいだな。…ぼく、ちょっと風にあたってきます」
明るく云って大作はひとり、宴会場を抜け出した。
*****************************************************
あの頃、父さんとぼくはロボの研究所の宿舎に住んでいた。
宿舎とは云ってもなかなか洒落た作りで、プライベートビーチのある立派な建物だった。今思えば、あれはBF団の施設だったのだけれど…白い砂浜に青い海が良く映えて、とてもキレイな所だった。多分、セルバンテスさんの趣味だったんだと思う。
セルバンテスさんは、陽気な人だった。手品が上手で、ぼくの相手をしてくれる数少ない大人だったので----ぼくは、セルバンテスさんが大好きだった。
あの夏の日、いつにもましてセルバンテスさんは上機嫌だった。
「なにかいい事でもあったんですか?」
と訊ねると、ぼくの頭に優しく手を置いて、セルバンテスさんはにっこり笑った。
「私の一番大切な人が、視察を兼ねてここへ来て呉れる事になったんだよ」
休暇が取れたそうでね----
「そう、彼は娘を連れてくると云っていたから楽しみにしておいで。
確か君と同じくらいの歳だったはずだし---とても、可愛い子だからね」
そして、ぼくは彼女に会った。
***
「大作くん、サニーだよ。仲良くしてやってお暮れ?」
セルバンテスさんと黒い服の紳士(彼がセルバンテスさんの“大切な人”だったらしい)に連れられて、彼女は現れた。彼女は、びっくりする程可愛い女の子だった。
ぼくが「海に行くんだけど…一緒に行く?」と聞くと、彼女はおずおずと頷いて。引っ込み思案な子だなと思ったけれど、波打ち際で足を濡らした彼女が「冷たい」と云って笑ったのを切っ掛けに、急速に彼女とぼくは打ち解けた。日が暮れる迄、二人で波打ち際や岩場で遊んだ。沢山の貝殻を拾って、流木をひっくり返し、ヤドカリや小さな魚を手で掬っては、二人ではしゃいだ。
ふとした拍子にお互い母親が居ないと云う事が分ったのも、仲良くなった理由の一つだ。「おんなじだね」と、ちょっとした秘密を分け合うように二人、顔を見合わせて笑った。
そんな日が何日か過ぎて----ある日、ちょっとした騒動が持ち上がった。
***
「酷いじゃないか!」
セルバンテスさんの良く響く声が聞こえて、ぼくは朝食もそこそこに宿舎を飛び出した。
「この休みは私に暮れると云っていただろう?!」
「休暇は終わりだ。致し方あるまい?----文句は孔明に云え」
ヘリポートへと向う小道を靴音も高らかに通り抜けながら、厳しい顔で黒い服の紳士が言い放ち、セルバンテスさんは酷く口惜しげな様子だった。
仲の良いはずの二人の口論に面喰らい立ち止まってしまったぼくは、小道と中庭を隔てる植え込みの脇で立ち聞きをする形になってしまった。
「---君は、少し…働き過ぎだと思うが?
先の任務だって終わったばかりで----」
「其れは、貴様の決める事ではない」
ぴしゃりと遮る様に黒い服の紳士は吐き捨てると、ふと、何かに気付いたように足を止めた。ぼくは、見つかってしまったのだろうか?と首を竦めた。
「サニー」
「はい」
ぎくりと振り返ると、彼女が立っていた。
「後で、迎えを寄越す」
それだけ云うと、黒い服の紳士は後も振り返らずに行ってしまった。
遠くで「早く切り上げて君が自分で来給えよ!」という、セルバンテスさん荒い声が聞こえたが---それが聞き入れられたかどうかは分らなかった。
多分、ぼくは酷く吃驚したような、困惑気味の顔をしていたのだと思う。
彼女は困った様にちょっと笑って、ぼくに云った。
「…父様はお忙しい方なの」
「でも………寂しく、ないの?」
咄嗟に、出た言葉だった。
ぼくは、父さんが忙しくて構って貰えない日が続くと、寂しくて仕方が無かったから。
でも、
彼女は首を横に振って。
「いいえ、寂しくなんか、無いわ」
それは自分に言い聞かすような口調だった。
そして、少し悪戯っぽい仕種で、
「…これはね、内緒なのよ?」
そっとぼくの耳へと唇を寄せ、
「私と父様はね、テレパシィで繋がっているの」
ゆっくりと囁いた。
「だからね、いつもどこにいても、一緒にいるのと同じなのよ」
そしてまた、ぼくの顔を覗き込む様にして微笑んだ。
それは、言葉とは裏腹に、少し寂しい微笑みだった。
そしてその時ぼくは初めて、母さんより綺麗な人を見たと、そう思った。
とてもとても、綺麗な微笑みだった。
***
その後間もなくして、父さんはBF団を裏切り、命を落とした。
そしてぼくはロボと供に国警の保護下に入り、国警の一員となった。
もう二度と、彼女には会えないのだと、もし会えたとしても、その時は敵同士なのだと。
気がついたのは、かなり後になってからだった。
*****************************************************
今も、思い出すのは、波打ち際で揺れるサンドレス。
寂しそうに笑った赤い瞳と、柔らかな茶色い巻き毛を、
今もただ懐かしく、遠く愛おしく思い出す。
赤い窓の奥からのぞく目は、いつもたいして楽しそうにしていない。
それでもセルバンテスはいつもなにかしらに興味の目を光らせているから、どちらを信用
していいものかアルベルトはわからなくなる。
娘のサニーは、そういったところをうまく見ないようにする能力に長けていて、物好きで
飽きやすい小父にもうまく対応しているらしい。たいして父親らしいこともしていないのに、
器用に育ってくれたものだと感心する。
「ちくちくというかね、ヂクっとするんだよこれが」
痛みにつられているせいか、左目をきっとつむったままでセルバンテスは言う。革張りの
ソファにぐったりと横になり、しきりに左のこめかみをさすっている。
「虫歯なんて、まったくロクなもんじゃあない。君、なったことあるかい?」
「記憶にないな」
アルベルトは、そこらじゅうに置かれた家具にごつごつと体をぶつけながらセルバンテス
に近寄った。ソファが四つ、大小のテーブルがあわせて五つ、形から材質から、何もかも
揃っていない椅子が十脚ちかく、かるく見渡すだけでこの数である。
使う使わないに関わらず、セルバンテスが置きたい調度品を置きたい場所に並べた結果が
この部屋であり、これがまた結構な気に入りの場所だった。ここのソファで寝起きをする
こともある程の入れ込みようらしい。絨毯のようなぶ厚いカーテンに仕切られた、部屋の向こう
半分もまた、おそらく調度品で埋まっているのだろう。
「あれは気をつけたほうがいいよ。伊達なケガよりよっぽどひどい目にあうから」
セルバンテスは、手の中でくるくると躍らせていたカプセル薬を口の中に放り込む。
そのまま手近なテーブルに手をかけると、置いてあるロックグラスを手に取った。何かを
吹き払うようにふっと中を吹いたあと、これもまた手近に置いてあるボトルから赤黒い液体を
だぶだぶと注ぐ。
この部屋の調度はすべて、置いてある、のではなく、置いたままにしてあるのだった。
「歯に穴開けて治療するなんて、古臭いにも程があるよまったく」
中身を一気に呷ろうとした瞬間、グラスはセルバンテスの手を抜けて、アルベルトの左手
に収まった。入れ替わりに、ミネラルウォーターのグラスが押し付けられる。色のない水が、
セルバンテスの胸元でゆわんと揺れる。叱られた子どもの視線と、いたずらにあきれ果てた
父親の視線が、ふたつのグラスの間でからまった。
「薬を酒で流すな」
「そうなのかい?」
「前にも言ったはずだが」
セルバンテスはそうだったっけ、と一人つぶやき、アルベルトの手の中のグラスを見つめ
た。グラスもその中身も、アルベルトの一部になってしまったようにカチンと固まっている。
揺れることなく、決められた形を保つ。セルバンテスの瞳は楽しそうに縮まる。
「じゃあそっちは君が飲んでくれたまえ」
「ふざけるな、午後の仕事が残っている」
「私だって同じだよ。そうでなきゃこんなとこ来るわけないじゃないか」
でも私は済ませなきゃならないことが山程あって、そのためには鎮痛剤のひとつも飲まな
くてはならなくて、痛みはおさまるかもしれないけれど頭はぼんやりするだろうし眠くなる
かもしれないし、それでも仕事は残っているし。
「君はフラフラの私を放っておいて、一人でガチャガチャ仕事をすませるのかい?」
「貸してみろ」
赤黒い液体をくっと喉に流す友の姿に満足して、セルバンテスはグラスの水を飲み干した。
不味い。まあそういうのもいいか、と思う。
「さすがはアルベルト君だ」
「これで満足か?さっさと仕事に」
「おっ、サニーちゃんおじさんとバドミントンしないかい?」
するりと抜けてかけてゆく戦友に、アルベルトはため息をつくことをしない。使わない家
具を部屋に置くことも、人の話を聞かない事も、とうの昔に諦めてしまった。家具のあい
だをひらひらと、小さな歩幅で抜ける娘は、赤い瞳をちぢませて笑っている。苦々しい父の顔を
ちらりと確認して、また笑う。
「あ、それからアルベルト」
クフィーヤをふわりとさせて、セルバンテスは全身でターンする。
「それはむしろ、キミが父親らしいことをしてこなかったからだと私は思うよ」
眩惑術ではない。そんな曖昧なものではなく、もっと単純に見抜かれているだけなのだ。
幼い彼女の手は
「サニーちゃ~ん、セルバンテスおじさんだよ~。」
樊瑞の部屋へ唐突にやってきたのはセルバンテスだった。
といってもこの男の場合、唐突でなくやってくることはないのだが。
「セルバンテス…仕事はどうした?つい先ほど孔明に何か言われてはいなかったか?」
「んー、そんなことは忘れたねぇ。」
部屋の片隅に置かれているゆりかごへ男は躊躇なく進んでいく。
そうして、そっと中にいる赤ん坊を抱えた。
「セルバンテス?」
「…いやね、アルベルトが一ヶ月ほど任務で帰ってこないらしくてね。」
珍しいな、と言って樊瑞は自分のあごひげを撫でた。
長期の任務というものは、自分たち十傑集には滅多とないことだった。
十傑集にかかってしまえば時間をかけずとも終わらせることの出来るものがほとんどだったからである。
「そういうわけでね、」
「うむ。」
「その間に私のことを“パパ”と呼ばせられないかと思案中なのだよ。」
「…何をしようとしてるんだ貴様は。」
思わず頭を押さえる魔王。対して、あっはっはと笑う眩惑。
そしてさらに魔王は頭を押さえた。
「サニーはまだ喋れんのだぞ!?それにもし、お前を“パパ”なんて万が一呼ぶようになってしまったら…!……私は恐ろしくてアルベルトの前に姿を見せられん。」
「ふふ、アルベルトはびっくりするだろうね~。サニーちゃんが私のことを“パパ!”って呼ぶんだもんね~。樊瑞ならまだしも、私だもんね~。」
にやにやと至極楽しそうに、セルバンテスはサニーを眺めている。
でもなかなかドッキリとしては楽しいと思わないかい?と彼は赤ん坊に話しかけた。妻も子供もいない自分に、“パパ”と呼びかける存在を作る。そんなおかしくて馬鹿馬鹿しくてどうしようもなく滑稽なことをしたら、
…なんて、幸せだろうか。
『…あの子供は、まだ何の能力も表してはいないのですね?』
ついさっきの策士の言葉が頭に響く。
『なにかありましたら、必ず知らせてください。あの子供もいずれ、ビッグファイア様のために命をかけることになるでしょうから。』
訓練はなるべく早いうちからのほうがいいでしょう――そう言いながら去っていった策士。
分かっていたはずなのだ。この子もいずれ、自分たちと同じ運命を辿ると。
生まれながらにしてのBF団員なのだ。
これは必然であると。
「選択肢は、作ってあげたいがね…」
「ん?何のだ?」
「“パパ”と呼ばれるのが、私か君かアルベルトかっていう選・択・肢v」
今度こそがっくりと、魔王は頭を抱えた。
セルバンテスは赤ん坊を己が手で抱いたまま、じっと彼女の顔を眺めている。
なんとも幸せそうな平和な寝顔を晒しながら、赤ん坊は起きることもなくすやすや寝ている。
なあサニーちゃん。
おじさんとして、おじさんは目一杯、君が幸せに暮らせるように頑張るよ。
だから、幸せにおなり。