The Midnight Pleasure vol.1
『CHARISMA OF THE ICE』
どれほどの力でもそれは決して手に入らないモノだった
それをつかもうとするあまり 時に人は犯してはならない領域に踏み込み
決して許されない過ちに手を染める
そして 後悔した時にはもう遅い
後はただ ”業”という奈落に落ちていくだけ
いつ明けるともしれない 無限の闇の中で
氷の微笑と 獣の咆吼をあげながら
森を疾走する二つの影があった。
二つの影は互いに離れることなく一定の距離を保ちながら、疾風の如き速さで、月の光届かぬ深淵の闇の中を駆けている。
「くそっ!まだ追ってくるぞ!」影の一つが、そう叫んだ。
「恨みを買ってるのはよく知ってるつもりだがね!まさか人外にそれをやられるとは思わなかった!」
もう一方の影がおどけた調子でそう叫ぶと、二つの影は呼応したかの様に瞬時に二手に分かれた。
右手に逃げた影はそこから一気に加速して、追撃してくる気配を振り切ろうとした。が、行く手にまた気配が生まれる。感じるものは--後ろの奴らと同じモノだった。
「チッ!そう易々と逃がしちゃくれねぇか」
影は、蠢く気配達の動きを注意深く読みながら、進路を変えた。
常人には闇だけが映るはずのその視界を、ソイツは大木の位置から地面の僅かな起伏までを完全に把握していた。
「……ここいらで十分か」
ソレはそう呟くと、ちょっとした大木の木陰に身を潜める。
影の中で息を潜めるソレは、あきらかに人間ではない。四本の足で大地に立ち、鋭い牙を闇の向こうに向けて構えるそれはまさに狼のソレだった。
「ギギギ……」
歯車をこすりあわせたような、耳障りな声とも音ともとれるものが、鋭敏な聴覚に引っかかる。闇の中で時折いくつかのプラズマがうなりを上げている。全て気配のする方から。
「ポンコツ如きに狙われるとはな……フェンリルの名も墜ちたもんだ…」
そう言った狼--フェンリルを覆う全身の毛が徐々に逆立ち始める。ソレと共に、周囲の空気すらも鉛のように重たくなり…何よりフェンリルと呼ばれたモノのシルエットが漆黒の闇の中で徐々に変貌してゆく。
「見せてやるぁ!禁獣の力をなぁ!!」
ルゴォォォォォォォォォ!!!
漆黒を切り裂く野獣の咆吼が、森全体を震撼させた。
一方、もう一つの影は葉の生い茂る大木の上で、静かに身を潜めていた。
「ギギギ……ブラックアウト……サーモスタッド……イジョウナシ……レーザーカイセキ…イジョウナシ…」
普段から着ている青いコートで全身を覆う様にして、人の形をした気配は静かに追撃者の動向に目を光らせていた。
見下ろす闇の中で、いくつかの光が時折迸っている。
”青いプラズマ……神器の…封雷剣か?……となると持ち主は聖騎士団団長のカイ=キスクだが……”
「ギギギ…」
”……変な気でも起こらねぇかぎり、あんな事言わないだろうな……とすると……やはり奴らか…”
影の口元で、嘲るような小さな笑みがこぼれた。刹那、影は弾ける様な速さで一気に木の下へ降りていく!
「お探しの人は私かな?」
「ギギ…!」
ドゴォッ!
影の右腕から放たれた何かが、凄まじい破砕音と共に気配の体を貫通した。
刹那、凄まじい数の気配達がこちらに殺到する!
「そうそう…寄ってきてくれよ…こちとら時間かけたくないんでな……」
「ギギギ……イングウェイ=ヘイレン……オトナシクトウコウシロ…」
明らかに人のモノではない声がそう言った。その手に青白い雷光をたたえる剣を携えて。
影はまた笑った。
勝ち誇った、勝者の笑みを。
「悪りぃがまだつかまらねぇよ!---イオニズム!!」
影---イングウェイと呼ばれた男の叫びと共に、凍てついた絶対零度の疾風が気配達を絶対的な死へと誘う!
カラン
酒場のドアが開かれて、一人の男が入ってきた。
「いらっしゃい」
マスターがグラスを磨きながら機械的に出迎える。
男は赤いヘッドギアからもれた前髪でうっすらと表情を隠したまま、静かにカウンターに着くと、
「…ジンを…ストレートで」
手に持っていた布づつみをカウンターに置きながら低い声で静かにそう言った。沈黙だけで鬱蒼としていた周囲を沈黙に変える程に、この男の雰囲気はどこか人のソレとは違っていた。
男の前にグラスが出され、その中に透明の液体がなみなみと注がれていく。
すっ…とボトルがひかれると、男は黙ってグラスを手に取り、一気に飲み干した。
「……同じのを…」
トン、とグラスを置いてから、独り言のようにそう言った。
ボトルを傾ければ、液体は自然にグラスに注がれていく。
それはとてもありふれた、そしてごく当たり前の光景だ。何の不純物もない液体が、空のグラスの中に何の抵抗もなく入っていく様はとても素直なものだと思う。
その素直な光景、素直な出来事を男は未だ受け入れる事ができない。
いや、受け入れたくないと、絶えず思い続けている。
水は上から下へと落ちていく。それは自然な事だ。
では今の自分は?
それは自然な事なのか?
”……ガラでもねぇ……”
男は軽く頭を振って思考を飛ばした。
考えたところで、でてくる答えなど分かり切っている事だ。今更、何をしようというのだろうか。
そう、自分に言い聞かせてから男はまたグラスを一口に傾けた。
カラン
「いらっしゃい」
マスターはさっきと同じ様に出迎えた。
「マスター、俺もジンを。ただしロックでね」
そう言って、青いコートがヘッドギアの男の視界の端に広がった。
「………」
「久しぶりだな。…あ、ここは煙草いいんだっけ?」
どうぞ、とマスターの声がかかると銀髪の男---イングウェイはいそいそと懐から煙草とマッチをとりだす。整った顔立ちには不相応な海の底を射抜くような、深く鋭い目。黙っていれば、そこそこに男前だろう。
「おまえもいるか?」
と、隣の男に一本差しすと、男は黙ってその一本を抜き取った。
イングウェイは素早く自分の煙草に火をつけると、すっ…と隣に残り火を差し出した。
男は何も言わずにその火でくわえた煙草に火をつける。
「…最後に会ったのは…2年前のグラナダだったか?」
灰皿にマッチの燃えかすをいれ、酒を片手に紫煙を吐くイングウェイ。
「……案の定生きてやっがたか」
男はそれだけ言った。
「まぁな…どっかの背徳の炎より根性が悪いんだよ、俺は」
くくっ、と含み笑いをしながらイングウェイはそう言った。
「…ま、何にせよ久しぶりに会ったんだ。景気よく乾杯といこうじゃねぇか、Mr.バッドガイ」
自分のグラスをソルのグラスに軽く打ちつけると、ソルと同じく、一口に飲み干した。
「ふぅ……いや、上手いな。暴れた後の酒はまた格別だ」
「…女でも抱いたか?」
「いや、ついさっきまで模造品に追いかけられててね。相棒と二人で、ようやっと片づけた所だ」
「…模造品だぁ?」
はじめて、ソルはイングウェイの方を向いた。
「ああ……最近の流行ってヤツかな?…顔の方は似ても似つかぬ代物だったが、技の方はまぁそっくりだったぜ?……大したもんだよ、元聖騎士団団長のコピーは……」
ふぅ、とため息をつきながらイングウェイは言った。
「……そのコピー、全部破壊したのか?」
「ああ。どうせ出所はわかってる」
肩をすくめながらそう言って、イングウェイは再び注がれたジンを飲み干した。
「………」
ソルの睨み付ける様な視線にもイングウェイは涼しげな表情を見せている。
「ま、そうすごむな。遅かれ早かれ、オマエにも接触してくるだろ」
「……ちっ」
ソルは舌打ちしながら、ジンをもう一杯追加した。
「それより知ってたか?あの悪魔の森のギアが破壊されたって話」
「……ああ」
にやけながらそう言うイングウェイに、ソルは軽い殺意を覚えた。
「どこぞの賞金稼ぎに破壊されたって話だが……本当かね…」
「……破壊されたってんならそれでいいだろ…うざってぇ」
「……ま、そうなんだがな」
くくくっ、と笑みをこぼしながらイングウェイは紫煙をこぼす。
「それじゃ俺が見たのは気のせいだな。こないだ、どっかの空賊団でそれらしきギアを見たんだが……そうか、破壊されたんじゃあ、んな所にいるわけねぇな」
「………何が言いたい?」
ソルの明らかな殺気のこもった視線がイングウェイに突き刺さる。
「別に。ただ、どっかの誰かさんは心配でしょうがねぇんじゃねぇかと思ってな……ま、それならいいか」
言って、イングウェイは吸いかけの煙草を灰皿にすりつぶし、五枚ほどの金貨をその場においた。
「じゃ、俺はそろそろいくぜ」
「……とっとと失せろ」
ソルの低い声にも全く動じる事なく、イングウェイは手をひらひらさせながら席を立つ。
「……あ、一つ言い忘れてた」
「…あん?」
「三日ほど前の話だ。紅い、奇妙な帽子を被った女楽士が”ソル”って男を捜してたぜ」
「……!!」
とたん、ソルの表情が戦慄の色に変わる。
「西の方の街で聞いた話だが……ま、もしかしたらどっかのソル=バッドガイかもしれないしな」
くくっ、と不敵な笑みをこぼしながら、イングウェイは酒場を後にした。
いつの間にか酒場からはソル以外の客が消えていた。金がつきたのか、それとも二人の間に漂う一種独特な空気に気圧されて酒を楽しむどころではなくなったのか。
「……イングウェイか……過去の遺物が今更何しようってんだ」
ソルはそう呟いてぐっとジンを飲み干した。
そこにはもはや一杯目の体の中まで透き通るような感覚は残っていない。ただ、喉を焼くアルコールの感触だけがわずかに残っていた。
通りを行き交う人々の好奇の視線がいいかげんにうざったくなった。
ソレは白銀の毛並みを靡かせながら、いかにもだるそうな感じで地にふせっていた。
別に野良というわけではない。はたから見れば忠犬ともおぼしきそれは、ぎらついた獣の目をたぎらせながら酒場の前で
ただじっと、そこにいるだけだった。
「待たせたなぁ」
イングウェイが酒場から出てくると一番最初に相棒に声をかけた。
酒場の前で大人しく座っていた、犬とも狼ともとれる動物が獲物を見る様な目つきでイングウェイの方を見やる。
「遅せぇよ」
不快そうにソレは確かにそう言った。鳴き声や遠吠えではなく、明らかな人語を発したのだ。
「アイツにあっちまってな」
「アイツ?」
「背徳の炎」
とたん、狼らしきモノの目つきが苦々しげになる。
「…ソル=バッドガイか」
「力むなフェンリル。今はそーゆー時じゃない」
口の前で指をふりながらフェンリルと呼んだ狼にウインクした。
「けっ…てめぇこそ殺りあいたくてうずうずしてんじゃねぇのか?」
「……ま、いいじゃねぇか」
相棒の詮索をさらりとかわしながら、行こうぜ、とフェンリルを促すとイングウェイは鼻歌を歌いながら歩き出した。
フン、とその背中を鼻先で笑ってやるとフェンリルの視線が閉ざされた酒場のドアへと向けられた。
「……せいぜい生き恥をさらしてんだな」
美しき白狼のつぶやきは、夜の雑踏の中にかき消されていった。
数日後―――
イングウェイ達は次の街へと続く街道をのんびりとした歩調で歩いていた。
「……平和だねぇ」
口に煙草をくわえながら、イングウェイは暇そうにそう呟いた。傍らを歩くフェンリルにとってもそれは同意見だった。
特にこれといったこともなく続く旅路は別に珍しい事ではない。むしろ、それが当たり前だった。ここ十年近くずっとこんな旅の繰り返しである。刺激のない毎日が無意味に過ぎてゆく日々---あの時求めていた日々が今たしかにここにあるというのに、今の自分はもうこんな生活に飽きている。
”俺もなかなか…現金なヤツだな”
フェンリルは心の底で、そう自嘲した。争いがあるときは静寂を求め、平穏を手に入れれば今度は残酷な衝動を求める……酷く単純かついかにも人間的な思考が、何度フェンリルの頭の中で反芻された事だろう。
「……いいじゃねぇか。平和でよ」
投げ出すような言葉でフェンリルが言った。
「まぁな。…賞金稼ぎもそろそろ飽きたな…転職するか?大道芸人あたりでこう…喋る犬!とかよ」
「……おい」
ドスをきかせた低い声がフェンリルから漏れる。明らかな殺気が籠もっていた。
イングウェイは苦笑しながら言う。
「冗談だって……だがいい加減腕の方も鈍っちま……」
ドゴォォォォォッ!!
イングウェイの言葉をかき消すかのような凄まじい爆裂音。
「…おい」
「わかってる。っちの方だな!」
言って、くわえ煙草を吐き捨てながらイングウェイは砂煙のあがっている方へ駆けだした。その顔には冒険心に満ちあふれた子供の様な表情が浮かんでいる。
「…また悪い癖がではじめやがった……」
ガキの様に走り去る相棒にため息一つつきながら、フェンリルは静かにその後を追った。
「くぅ!流石に人ならざるモノだな!今の攻撃を耐えるとは…しかしだからこそいい実験台になりうるというもの!」
不気味なほどに伸びた前髪に描かれているのは封印とも呪いともとれるような開かれた目の文様。
鮮やかな銀髪が風になびく度に、宙に浮くボールが無限の軌道を描いて目標えと突き進む!
「もうやめてくださいっ!!」
複雑な軌道から飛んでくる魔球を、生み出した氷柱で防ぎながら少女は相手に叫んだ。
森の少し開けた場所で、一組の男女が戦いを続けていた。
一方は目が描かれた独特の髪型をした、キューを持つ銀髪の男。
もう一方は、その背に白と黒の羽を持ち、その腰からは爬虫類のそれにも似た黒い尾をはやした”人あらざる”青い髪の少女。
「い、いったい何なんですか!?」
少女は先ほどから防戦一方だった。反撃らしい反撃を全くしないままに、ただ男の放つ攻撃を避ける事に徹していた。
争いを好まない穏やかな少女は、自分を狙う者の命すら傷つける事を恐れていた。
「言ったろう!人ならざる者を討つ為のこれは実験だ!…戦闘兵器たるギアならばアイツに最も近い存在!!…さぁ!己の存在意義たる戦いがここにあるのだ!君もギアならば己の破壊衝動に身をまかせてみろ!!」
空中に二つのボールを生み出すと、ビリヤードのごとき突きでそれらを打ち出す。
「私はもう昔の私じゃありません!!力にはもう振り回されたくないんです!」
拒絶しながら、少女はそれらの軌道を慎重に読みながら鮮やかに避けていく。
「戦いなきギアがどうしてギアでいられる!君自身知っているはずだ!その背のものはただ”破壊”を求める為だけに存在しうる事を!」
「それは……!」
俊敏に動いていた少女の足が一瞬、かげりを見せる。
男はそれを見逃さなかった。
「ハァッ!」
男が打ち出した魔球の動きに一瞬対応が遅れる。
「くぅっ!」
交わせずに防いだその刹那、僅かなスキが生まれる!
「ダブルヘッドモービットォォッ!!」
男の手の中で高速回転するキューが少女の腹にえぐり込んだ!
「けふっ……!」
思わずたたらをふんで交代した刹那、少女の呼吸が止まった。そして少女の動きも完全に止まってしまった。
その瞬間、男は心の中で勝利を確信した。
「ハァァァッ!ダークエンジェル!!」
巨大な紫色のエネルギー体が邪悪な破壊の化身とかして少女めがけて突き進む。
「しまっ…!」
意識を取り戻した瞬間、少女の見上げたその視界が闇に染まる!
ガァァァァァァァッ!!
「キャァァァァァァァァ!!!」
容赦なく打ち込まれたエネルギー体が確実に少女の身を削っていく!
「ハッハッハ!!これで!これであの男を討つ事ができる!もはや異種であろうとも恐れる者ではない!!」
狂気にもにた笑い声が森の中に響き渡った。
”ごめんね……みんな……わたし……もう……だ……め………”
少女の頭の中で僅かな間の思い出達が走馬燈の様に駆けめぐる。
森をでて僅かな間だったけど確かにあの日々は充実していた。
初めて”人”という暖かさにふれた。
孤独に染まっていた傷の舐めあいの様な森での生活。
絶望に染まりはてたあの生活から勇気を持って踏み出した人の地で出会った、大切な”家族”。
ちっぽけな満足感に身をゆだねながら意識を手放しそうになる瞬間、記憶の中で奇妙な既視感に囚われた。
”……前にも……私は同じこと…を…言った?”
思い出の中の声がふと聞こえた気がした。
『あきらめたって何もかわらないよディズィー!寂しいなら寂しさから抜け出す方法を考えなくちゃ!どんなにツライ事があってもくじけちゃだめだよ!ボクも…最後まであきらめないから!!』
舌っ足らずな少女の言葉が、今はとても頼もしく感じられる。
”…ああ…そうだ…あきらめたら……メイ…怒るよね……”
記憶の中の少女が---大切な家族が光り輝く様にみえた。
土壇場で遠く離れた意識を取り戻すと背にたたえる羽に呼びかけた。
あきらめちゃダメだ。あの時…人の世界に行こうと決心したとき、自分にそう決めたじゃないか。
生きなきゃ。最後まで生きなきゃ、”家族”に嫌われちゃう。
”ネクロ!ウンディーネ!少しでいいの!少しで良いから私に力を……勇気をちょうだい!”
ぐん、と体に力がみなぎってきた。
---まだ立てる。
---まだつかめる。
私はまだ生きているんだ。
少女はその場に立ち上がった。狂気につかれた男の方を気丈に睨み付けながら。
「……ネクロ!ウンディーネ!おねがい!」
少女はそう叫ぶと、勢いよく両手をかざした!
「ほう…まだ動けるのか。まぁいい…これでとどめだ!!」
カッ!
男の打ち出した魔球が少女にめがけて容赦なく突き進む。
「私は…生きたいのっ!」
その叫びが天にこだまする。
瞬間、少女の目の前で凄まじい火柱がうなりを上げた!
火柱は荒れ狂う龍の様に地を這いながら男をめがけて突き進む!
「何っ!?」
男の放った魔球を簡単に消し炭にしながら火柱はなおも男をめがけて突き進む。
「しまった!」
勝ち誇るあまり、構えすら忘れていた男に逃げられる術はない。
ドゴォォォォォッ!!
「グオォォォォォォォォッ!!」
肉をえぐる凄まじい激痛が男を包み込む!男はそのまま火柱にはじき飛ばされながら木々の向こうへと吹き飛ばされていった。
「……みんな……私……あきらめなかったよ……生きた……よ……」
渾身の力を使った少女は、満足げな笑みをたたえながらその場に崩れ落ちる……はずだった。
ぽふっ
少女は意識を手放す瞬間、自分を抱く暖かな感触と共に覚えないの男の声を確かに聞いた気がした。
「よく頑張ったな。上出来だぜ、おじさんがご褒美をやろう」
「ちっ…こいつギアじゃねぇか。助けるのかよ?」
フェンリルが苦々しく言った。ギアは自分たちが滅するべき敵、だ。
「噂の…人を殺めないギアだろう?」
イングウェイが羽の生えた少女を抱きかかえながら諭すように言う。
「…どのみちギアなら俺達の敵じゃねぇか」
「…聞いたか?…”生きたい”ってよ」
「あん?それがどうしたよ」
「…もしかしたら、変えてくれるかもしれねぇよ…俺達みたいな存在をな」
くくっ、とおどけるように笑って言った。
「……ちっバカバカしい…」
「…さ、とりあえず人目のつかない所に運ぼうか」
イングウェイが適当にあたりを見回す。鬱蒼とした森の中で落ち着いた場所、というのもなかなか難しいものがある。さっきの男の事も考えると、少しでも身を隠せる場所が欲しかった。
”…ちっ、あのバカが…ガキに手ぇだすほど餓えてんのか?”
「…フェンリル、近くになんかなんかないか?」
イングウェイがそういうと、フェンリルがあたりを注意深く見回し始めた。
「……東の方、1キロほど先に小さな小屋があるぜ」
「サンキュー。じゃ、ひとっ走りしますか」
「……揺らすなよ。頭にイクぜ」
舌打ちしながら森の奥へと消えていく相棒を見ながらイングウェイはガラにもなく苦笑した。
「……素直じゃないねぇ、どうにも」
「よっ…と。とりあえずはこんなものか」
フェンリルが見つけた一軒の小さな小屋の中で、少女をテーブルの上に寝かせて、手持ちの包帯を使ってとりあえずは出血している箇所を止血してやる。ギア細胞の驚異的な回復力でふさがりかけてはいるが、箇所によってはふさがりきれていない傷もあった。技の直撃を受けたのだから骨の一つも折れているのかと思ったが、驚くべきというか人外故の必然というか内臓器官や骨といった箇所にはほとんど以上が見られない。見るからにか弱そうなこの体のどこに、これほどの耐久力が秘められているのだろうか。
「はん…力の使いすぎでぶっ倒れるとは……こいつ、バカか?」
部屋の隅で暇そうにしているフェンリルがつまらなそうに言う。
「力を抑制する方で結構エネルギーを使ったんだろ。最後の一発だって土壇場だったんだろうな」
「ギアにしちゃあエネルギーポテンシャルの小せぇやろうだな」
「……あるいは戦いなれしてなくてエネルギーの使い方が未熟なのかな?まだ体の中にゃパワーがたんまり蓄積されてるのかもしれねぇな」
だったらこんなに丈夫なのもうなずける、とイングウェイはつけたした。
「…さぁ、応急処置はこんなもんだろ。後はゆっくりとお迎えを待ちましょう」
携帯用の治療具を腰のポーチにしまい、自分の来ていた青いコートをそっと少女にかけてやるとイングウェイは手近な椅子にどっかりと腰を落とした。黒いシャツはバランスのとれた逞しい肉体に押し上げられてその見事なラインを浮き彫りにしている。
「お迎え?」
「ああ、お前は留守番してたんだっけか?少し前に名前も知らねぇ商人の輸送船護衛をしただろ?そん時に襲ってきた空賊の奴らに確かこんな娘がいたぜ」
「随分と物覚えがいいな」
「巷で有名な”ジェリーフィッシュ快賊団”だったからな。…それに羽根付きにしっぽありって風貌は嫌でも忘れねぇよ」
その時の事を思い出しながらイングウェイはくくっと笑った。
そういえばあの時、すれ違いざまに居合い抜きを放ってきた黒いコートの男がいた。その一撃はあきらかに牽制のものだったが、速さも重みも並ではなかった。肩越しに薄笑いを浮かべながら去っていった男の事もまた鮮明に思い出した。
「……あれが”ジョニー”だったか」
裏世界にいる者ならば誰でも知っている名だ。賞金首としても、一人の剣士としても間違いなく超一流の男だろう。
「…思い出で興奮するんじゃねぇよ、変態」
「戦りあうだけでタッちまう様な男は、今まで背徳の炎かあの吸血鬼オヤジくらいだと思ったが……俺もまだまだ見聞が狭いな」
言って、もう一度くくくっ、と笑った。そして、その笑みがふと止まる。
イングウェイの鋭敏な感覚が何かを捉えたのだ。
「…弱っちいな。ヴェノムか?」
椅子から離れ、閉ざされたドア越しにそちらの方を見やる。
「ちょっと見てくらぁ」
「コートは?」
「いらん。使う程のヤツじゃないとみた」
ここを頼む、と言い残してイングウェイは外に出ていった。
後にはおとぎ話の姫よろしく静かに眠っているギアの少女と、くそったれとドアの向こうの相棒に向かって吐き捨てる白い狼が取り残された。
まだ昼も始めという時間帯にも関わらず、鬱蒼とした森の中はその天の恵みさえ受け入れない。
イングウェイは生い茂る木々の間をすりぬけながら、気配の方に向かっていた。
「…そろそろ、のはずだが…」
気配はすぐそばまで来ている。小屋を出たときとあまり変わらない、ほとんど半病人に近い気配ではあるが、生来の用心深さというか第六感とでもいうべきものが、頭の中で静かに警鐘をならしている。最初のウチはヴェノムだろうと思っていたが、微妙にヤツのものとも違う。
”この藪の向こうだ…な”
イングウェイは一呼吸して、静かにその茂みを潜り抜けた。…刹那、鼻腔をかすかにくすぐる血の匂い。
そして次に見えたものは、鮮やかな金髪。
一瞬イングウェイが呆然としていると、腰まで伸びている鮮やかな金髪が僅かに動いた。
はっ、としてイングウェイはやっと状況を理解する。
森の中で少し開けた所、金髪の女が脇腹あたりから血を流してうつぶせにぶっ倒れている。
イングウェイは動揺した自分を内心で罵りながら、女の方に近寄る。
「おい、大丈夫か?」
返事はない。何度か声をかけてみるが、それでも返事はない。
「おい、しっかりしろ!俺の目の前で死ぬんじゃねぇぞ!」
死体処理するのはごめん被る。
イングウェイは静かに彼女の体を抱き起こした。
腰に手を当てようとのばした左手が、僅かに傷口付近をかすめる。
「―――う」
うめくような声が顔を隠す金髪の間から聞こえた。
「おい!」
邪魔な前髪を掻き分けてやり、その顔を覗いてみる。
端正な顔立ちにややつりあがりぎみの鋭い瞳―――男ならば間違いなく見ほれる美貌である、が。
元来、純白を誇るであろう艶やかな肌が今は血色を失って青みをましてきている。
「…ぐふ……」
「…急所ははずしてる…か。だがまずいな」
腰にとりつけたポーチから包帯をとりだすと、止血の為に腰のあたりをしばってやり、無用な衝撃を与えないようゆっくりと抱きかかえる。
「……おまえさん、どこかであったか?」
不意にそんな言葉が漏れた。昔、どこかで会った気がしたが……思い出せない。
「と、今は運ぶ方が先か」
とん、と音もなく跳躍すると、茂みを飛び越えてから一気に加速する。木の根が入り組んでいる複雑な地形にも関わらず、来たときはまるで逆のスピードで小屋を目指す。
「…ったく、今日はけが人が多いな…ここらへんにギアでもいるのか?」
「―――ザトー……」
不意にそんな言葉が聞こえた。
”ザトー?……!…確かザトーが拾った小娘がいたな………アングラをかけて自分の部下にしたって話だったが……”
そういえば、小屋が近づくにつれて自分の中の”力”がにわかに騒ぎ始めている。
まさか…この女がそうなのか?
記憶の片隅で、苦虫をツブしたような味が広がる。
『何だ?その小娘は?』
不意に、そんな言葉が頭の中に響いた。何千、何万と聞いたことのある相棒の声。
『しらん、行ったら倒れていた。…お迎えは来たか?』
『…それらしき気配が二つほど、この小屋へ向かってる』
『俺が行くまでそいつらを足止めしといてくれ』
『その小娘を預けるのか?』
『あっちの嬢ちゃんはギアだったが、こっちの嬢ちゃんは生身だ。急所ははずしてるんだが、だいぶ出血しててかなり弱ってる』
『もたねぇんじゃねぇのか?』
『もしかしたらザトーに関係あるヤツかもしれない。死なせるわけにはいかないんだ』
『……来たようだ。どのくらいでつく?』
『あと5分ほど、だな』
『1分で来い』
そうささやくなり、相棒は一方的に”念”を断ち切ってしまった。
「…こっちのベースは人間なんだぜ?…ったく、これだから禁獣ってやつは…」
言いながら、イングウェイは更にスピードをあげた。
闇に響く笛の音が 血に飢えた獣たちを騒ぎ立てる
心さえ自由にできないその体で 獣たちは餓えた牙と爪をとぎすまし
いつ果てるともしれない 月夜を喰らって今日もまた罪を重ねる―――
ーーーーーーーーー
The Midnight Pleasure vol.2
『IN THE BEGININNG』
過ちは償えない
過去は消えない
罪は忘れられない
ならば自分はどうするべきなのか
過ちを後悔しながら生きていくのか
過去に苦悩しながら生きていくのか
あるいは――
あるいは罪に身を滅ぼされながら
それでもなお現世を生き続けるのか
人はいつも運命によって生死を裁かれている
逃れることもあらがうこともできないその運命の輪は
あたかもメビウスの輪の様に裏もなければ表もない
ただ一つ ”事実”という慈悲とも残酷ともとれる刃を突きつける
旅は終わらない
いつか―――
いつか――――
いつか 運命に裁かれるその日まで
自分の旅は 終わらない
「さぁて…もう少しであの火柱のあったところだが……」
「ディズィー…大丈夫かなぁ……」
深い森の中を黒コートの長身の男とそ傍らにいる中型飛空船用の大きな錨を担いだ海賊風のなりをした少女が二人、あたりを丁寧に見渡しながら、自分たちの大切なクルーの身を案じていた。 男の名をジョニー、といい少女の名をメイ、と言った。
「……にしてもあのアサシン組織め……今度あったらとっちめてやる……」
ジョニーは穏やかな口調の中に、静かな怒りをこめながらそうい言い放った。
事の始めは今から9時間ほど前だった。
たまたまこのあたりを飛行していた空賊団”ジェリーフィッシュ快賊団”の一団は、かねてから折り合いの悪かったアサシン組織達の待ち伏せにはまり、一時期乱戦状態となってしまった。
その戦闘の際、アサシン組織から集中的に狙われていたディズィーは団の中でも最年少のマーチをかばおうとして、自らが高度5000メートルから落ちてしまったのだ。
からくもアサシン組織達を退けた快賊団だったが、ディズィー墜落という思わぬアクシデントにあい、その捜索隊として最小数精鋭たる団長であるジョニーと5番艦船長・メイの二人が地上に降り立った。 高度5000メートルという高さからの墜落だったため、風向きから割り出した位置でこの森の近くである、という事まではかろうじて割り出したのだが、そこから先は完全に二人の勘と判断力に頼るしかない。 骨が折れる作業ではあったが、ディズィーは大事なクルーであり何より”家族”だ。二人ともここまでは一切の休憩もとらずに森の中をかけずり回ってきた。
「……ふぅ」
メイが思わずため息を吐いた。
「疲れたか?」
「う、ううん!ボクはまだまだ大丈夫だよ!」
平気平気!、と力瘤を作ってみせるが、先ほどの戦闘からほとんどノンストップで来たのだ。
いかにメイとはいえ、さすがにその小さな体には少々無理がある。 そんなメイにふっ、と苦笑を交えつつ、ジョニーは相変わらずの優しい笑みを浮かべる。
「我慢しなさんな。…このままじゃあ、俺達もツブれっちまう。…もう少し歩いて、適当な場所があったら休もうか」
「ジョニー……」
いつもは眼を輝かせて言うはずの、愛しい名もこのときばかりはその気の優しさが苦痛に思えた。
メイはディズィーが落ちた事に、内心ではかなりの責任を感じていた。
孤独にさいなまれ、森の奥で度重なる人間達の暴挙に絶望しかけていたディズィーに希望を与えたのに、それに応えるどころかこんな事になってしまった。
子供から大人への成長過程にある彼女にとっては、自分自身の責任、という事について過敏になりはじめる時期にさしかかっていた。
今にも泣きそうな眼をしながら、前を見つめる少女の頭をくしゃり、となでてやりながら、ジョニーは優しく言葉をかけてやった。
「メイ、もしおまえさんが負い目を感じているのなら、ディズィーにきちんと謝ることだぁ。…無事に見つけて、そして心を込めてあやまれば、ディズィーもきっとわかってくれるさ」
「ジョニー…」
「大丈夫、ディズィーはああ見えてもしっかりしてるからなぁ。きっとどこかをほっつき歩いてるさ」
うん、と笑顔を取り戻した顔を見ながら、ジョニーは心の内で自分のふがいなさを呪った。
“パーフェクト……か……”
「あ、ジョニー、あんな所に小屋があるよ」
メイが指さした方に、見ると、木々の間からみすぼらしい一軒の小屋が眼に飛び込んできた。
「それじゃあ、ちょいと一休みしますかぁ」
小屋に入った二人は思わず我が目を疑った。
これは運命の女神の導きだろうか?
それともただの偶然か?
いた。
彼女は目の前にいた。
所々を包帯で巻かれながら、小屋の隅にある小さなベッドの上で静かな吐息を立てながら彼女――ディズィーはいた。
まるで神に召された聖女の様に、静かに横たわったその姿はジョニーの目には一瞬、本当に天使か女神の様に思えた。
「ディズィー!!!」
数瞬の間あっけに捕られるも、最初に立ち直ったメイが真っ先にディズィーに駆け寄った。
「ディズィー!ディズィー!!目を開けてよ!ディズィー!!」
「…………………」
「ディズィー!ディズィーったらぁ!…お願いだから目をあけてよぉ!!」
顔をくしゃくしゃにしながら、メイはディズィーに向かって何度も呼びかけた。
「……ん……」
やがてディズィーの口から僅かに声がもれる。
「ディズィー!」
「……メ…イ…?」
うっすらと開けられた赤い瞳に最初に映ったものは、少女の涙だった。
「ディズィー!…うう…っく…よか…ったぁ…」
メイはそのまま倒れ込むようにして、ディズィーに抱きついた。
「っく…ごめんね…ごめんね……」
「メイ……」
耳元でひたすら謝り続ける少女の黒い髪を優しくなでてやりながらディズィーは偽りのない笑みを浮かべた。
「メイ、来てくれたのね。……ありがとう」
「うぅ……でぃずぃ~……」
普段は自信に満ちた最高の笑顔を浮かべている少女が、今はあまりにも小さく見えた。触れれば音を立てて崩れてしまいそうな程に、今の彼女は脆いのかもしれない。
…むしろ、今こうして泣きじゃくる顔こそが本来の“メイ”なのかもしれない。
ディズィーは嬉しかった。
自分の為にここまでしてくれる人が、こんなにも側にいる事が。
自分の為にこんなにも涙を流してくれる人がいる事が。
やっぱり、私はここがいい。
もう一人は嫌だ。
寂しさだけを糧にして生きていくのも嫌だ。
太陽の下で、体の鼓動を感じ、翼を一杯に広げて、大切な”家族”と共に生きていく今の生活がいい。
―――――ああ
―――――あったかいなぁ
―――――やっぱりあきらめないでよかった
―――――私はここにいたいんだ
―――――こんなにも素敵な”家族”の中で、私は泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりしたいんだ
―――――嬉しいんだもの
―――――心の底からこうやって“嬉しい”って思えることが
「もう大丈夫だから、ね?泣かないで」
「ぐすっ……」
まるでお姉さんになったみたいだな、と思いつつメイを抱きしめる。
服ごしに伝わる鼓動と体温が、最高に嬉しい。
「…大丈夫かい?」
いつの間にか傍らにジョニーが立っていた。サングラスから漏れる視線には穏やかなものが含まれている。
「はい。ご心配をおかけしました」
「いや…おまえさんを守ってやれなかった俺がわる~いのさ…すまないなぁ」
最後の一言は深い響きをもっていた。
「いえ、あの時マーチを助けてようとしたのは私ですから…あ、マーチは…みなさんは無事ですか?」
「ああ、みんなしておまえさんを待ってるよ」
「…そうですか」
その言葉を聞いてほっとした。
今は何より、みんなの顔が見たい。
「…ところで、おまえさん、誰かに助けてもらったようだが……?」
ちらりと青いコートに目をやりながらジョニーが行った。
「え?…あ、ほんとうに…」
言われて初めて、自分の体に巻かれた包帯と青いコートに気がついた。誰かに巻かれたであろう包帯は傷口にしっかりと巻かれている。巻き方も、まるでお医者さんがやるように、正しい巻き方をしている。医者か…そうでなければそういった経験のあるかなり手慣れている人かもしれない。
そして何より自分を守ってくれた青いコート。
まるで生きているみたいに、そのコートは暖かかった。
「わたし、ずっと気を失っていたから…」
「ふむ…うちのレイディを助けてもらったんだぁ…礼の一つもしたいんだがなぁ…」
その時、ふと背後から視線を感じた。
ジョニーが素早く振り向くと、開け放たれた入り口の前に一匹の白銀の狼がじっとこちらを見つめていた。
「…あなたは?」
ディズィーがまるで呼びかけられたように声をあげた。
「……おまえさんが…助けてくれたのかい?」
ジョニーは別段警戒するでもなくゆっくりとそちらに歩み寄る。狼の目には戦意というか、敵意みたいなものを感じなかった。大抵この種の肉食獣は餓えていようものなら、人間といわずお構いなしに襲いかかってくるものなのだが。
狼は、威嚇するでも襲うでもなく、まるで待ち人の様に、ただじっとそこにいるだけだった。
ジョニーが近づくと、狼はゆっくりと外に向かって歩き出した。まるで導くかのように、その足取りはゆっくりとしたものだった。
「…?」
罠か?と、片手の愛刀に心持ち手をかけながら、ジョニーはゆっくりとその後をついていった。
外は誰もいない。
ただ一匹の狼が、森の向こうの闇をじっと見据えるだけ。
「………」
ジョニーは不思議な感覚に囚われていた。
まるで知らない誰かに呼びかけられているような、もどかしくて…それでいてどこか懐かしい感覚―――
と、突然狼の見据える森の奥に気配を感じた。
殺気―――はない。敵意はもっていないようだ。…いや、むしろどちらかと言えば白旗を持ってこちらに近づいてくる哀れな負傷兵といった感じだ。
内心ではホッとしつつも、居合いの構えをより深くして気配に備える。
気配が近づくとともに、草木が揺れる音と大地を蹴る音が同時に聞こえてくる。
近い。
あと60――50――40――30――20――10――
「おいおい、仮にも命の恩人に刃をむけるのがジェリーフィッシュ快賊団のやることかい?」
そんな軽口が草むらの向こうから聞こえてきた。やや年期の入ったような低い声。
そして、その気配はゆっくりと姿を現した。
全身を黒い服で固め、金属の様な銀髪とやや濁ったブルーの目。声とはギャップのある若い顔が不敵な笑みを浮かべ、その背にうなだれた女性を背負いながらその男はなおも言葉を紡いだ。
「こっちは怪我人かかえて大変なんだからよ…喧嘩売るにしても時と場所を考えてくれよ」
そういって、ちらりと自分の背負っている女性に目を向けた。
「…いやぁ、そいつは悪かった。なんせ、ついさっきまでちとヤりあってたもんでねぇ」
「あの娘を見ればだいたいはわかるよ」
「…うちのレイディを助けてくれたのはアンタかい?」
銀髪の男は、ジョニーの向こうにある小屋を前髪の間からちらりと一瞥して、
「まぁ、都合そうなったな」
「ありがとうよ…恩にきるぜ」
ジョニーは帽子をとり、深々と頭をたれた。見かけよりもずっと真面目な人間だな、と男は内心で苦笑した。
「いいさ。人間、困った時はお互い様ってな。古い言葉だが、俺は好きだぜ、結構」
そういって、頬をかこうとした男の手が不意に止まる。
「あ!そうだ!なぁ、持ち帰るついでにコレも頼めるか?」
そう言って、背負っていた女性を見せる。
「怪我ぁしてるのかい?」
「ああ、薬草をとりに森に入ったら偶然見つけてね。どうやら誰かと激しく戦ったらしいんだが…急所ははずしてるが、少し出血しすぎたかもしれない。あいにくとここじゃ輸血できないんでな。…天下のジェリーフィッシュ団ならなんとかならんか?」
薬草などとりにいってはいないが、変に話すとかえって怪しまれるだろう。
「そいつぁ構わないが……っとぉ、こぉれはこれは…また奇遇なものだ。こんなところでぇ出会うたぁなぁ…」
金髪の女の顔をのぞき込んだ瞬間、ジョニーに僅かな動揺が浮かんだ。
「知り合いか?」
「まぁ、ちょっとなぁ…よし、そうと決まればすぐに呼び寄せなきゃなぁ」
「呼び寄せる?飛行艇をか?」
「い~やいや…医者を…さ」
チッチッチ、と口先で指を振ってみせる。
「医者って……んなコンビニエンスな…」
はぁ?といった顔をするイングウェイ。
常識で考えて――こんな深い森の奥に居着くような物好きな医者でもいるのだろうか。
そう思えるほどに、ジョニーの口調はあっけらかんとしたものだった。
「これが不思議な医者でなぁ…まぁ、見ていてくれ」
そう言って、ジョニーは懐からとりだした携帯用通信機に話し始めた。
男はわけがわからず、言われた通りにその場に立ちつくしてしまう。
「?」
「さぁて、とりあえず小屋に入ろうか」
通信を終えたジョニーがパァフェクト(自称)な笑みを浮かべて、男にそう言った。
『CHARISMA OF THE ICE』
どれほどの力でもそれは決して手に入らないモノだった
それをつかもうとするあまり 時に人は犯してはならない領域に踏み込み
決して許されない過ちに手を染める
そして 後悔した時にはもう遅い
後はただ ”業”という奈落に落ちていくだけ
いつ明けるともしれない 無限の闇の中で
氷の微笑と 獣の咆吼をあげながら
森を疾走する二つの影があった。
二つの影は互いに離れることなく一定の距離を保ちながら、疾風の如き速さで、月の光届かぬ深淵の闇の中を駆けている。
「くそっ!まだ追ってくるぞ!」影の一つが、そう叫んだ。
「恨みを買ってるのはよく知ってるつもりだがね!まさか人外にそれをやられるとは思わなかった!」
もう一方の影がおどけた調子でそう叫ぶと、二つの影は呼応したかの様に瞬時に二手に分かれた。
右手に逃げた影はそこから一気に加速して、追撃してくる気配を振り切ろうとした。が、行く手にまた気配が生まれる。感じるものは--後ろの奴らと同じモノだった。
「チッ!そう易々と逃がしちゃくれねぇか」
影は、蠢く気配達の動きを注意深く読みながら、進路を変えた。
常人には闇だけが映るはずのその視界を、ソイツは大木の位置から地面の僅かな起伏までを完全に把握していた。
「……ここいらで十分か」
ソレはそう呟くと、ちょっとした大木の木陰に身を潜める。
影の中で息を潜めるソレは、あきらかに人間ではない。四本の足で大地に立ち、鋭い牙を闇の向こうに向けて構えるそれはまさに狼のソレだった。
「ギギギ……」
歯車をこすりあわせたような、耳障りな声とも音ともとれるものが、鋭敏な聴覚に引っかかる。闇の中で時折いくつかのプラズマがうなりを上げている。全て気配のする方から。
「ポンコツ如きに狙われるとはな……フェンリルの名も墜ちたもんだ…」
そう言った狼--フェンリルを覆う全身の毛が徐々に逆立ち始める。ソレと共に、周囲の空気すらも鉛のように重たくなり…何よりフェンリルと呼ばれたモノのシルエットが漆黒の闇の中で徐々に変貌してゆく。
「見せてやるぁ!禁獣の力をなぁ!!」
ルゴォォォォォォォォォ!!!
漆黒を切り裂く野獣の咆吼が、森全体を震撼させた。
一方、もう一つの影は葉の生い茂る大木の上で、静かに身を潜めていた。
「ギギギ……ブラックアウト……サーモスタッド……イジョウナシ……レーザーカイセキ…イジョウナシ…」
普段から着ている青いコートで全身を覆う様にして、人の形をした気配は静かに追撃者の動向に目を光らせていた。
見下ろす闇の中で、いくつかの光が時折迸っている。
”青いプラズマ……神器の…封雷剣か?……となると持ち主は聖騎士団団長のカイ=キスクだが……”
「ギギギ…」
”……変な気でも起こらねぇかぎり、あんな事言わないだろうな……とすると……やはり奴らか…”
影の口元で、嘲るような小さな笑みがこぼれた。刹那、影は弾ける様な速さで一気に木の下へ降りていく!
「お探しの人は私かな?」
「ギギ…!」
ドゴォッ!
影の右腕から放たれた何かが、凄まじい破砕音と共に気配の体を貫通した。
刹那、凄まじい数の気配達がこちらに殺到する!
「そうそう…寄ってきてくれよ…こちとら時間かけたくないんでな……」
「ギギギ……イングウェイ=ヘイレン……オトナシクトウコウシロ…」
明らかに人のモノではない声がそう言った。その手に青白い雷光をたたえる剣を携えて。
影はまた笑った。
勝ち誇った、勝者の笑みを。
「悪りぃがまだつかまらねぇよ!---イオニズム!!」
影---イングウェイと呼ばれた男の叫びと共に、凍てついた絶対零度の疾風が気配達を絶対的な死へと誘う!
カラン
酒場のドアが開かれて、一人の男が入ってきた。
「いらっしゃい」
マスターがグラスを磨きながら機械的に出迎える。
男は赤いヘッドギアからもれた前髪でうっすらと表情を隠したまま、静かにカウンターに着くと、
「…ジンを…ストレートで」
手に持っていた布づつみをカウンターに置きながら低い声で静かにそう言った。沈黙だけで鬱蒼としていた周囲を沈黙に変える程に、この男の雰囲気はどこか人のソレとは違っていた。
男の前にグラスが出され、その中に透明の液体がなみなみと注がれていく。
すっ…とボトルがひかれると、男は黙ってグラスを手に取り、一気に飲み干した。
「……同じのを…」
トン、とグラスを置いてから、独り言のようにそう言った。
ボトルを傾ければ、液体は自然にグラスに注がれていく。
それはとてもありふれた、そしてごく当たり前の光景だ。何の不純物もない液体が、空のグラスの中に何の抵抗もなく入っていく様はとても素直なものだと思う。
その素直な光景、素直な出来事を男は未だ受け入れる事ができない。
いや、受け入れたくないと、絶えず思い続けている。
水は上から下へと落ちていく。それは自然な事だ。
では今の自分は?
それは自然な事なのか?
”……ガラでもねぇ……”
男は軽く頭を振って思考を飛ばした。
考えたところで、でてくる答えなど分かり切っている事だ。今更、何をしようというのだろうか。
そう、自分に言い聞かせてから男はまたグラスを一口に傾けた。
カラン
「いらっしゃい」
マスターはさっきと同じ様に出迎えた。
「マスター、俺もジンを。ただしロックでね」
そう言って、青いコートがヘッドギアの男の視界の端に広がった。
「………」
「久しぶりだな。…あ、ここは煙草いいんだっけ?」
どうぞ、とマスターの声がかかると銀髪の男---イングウェイはいそいそと懐から煙草とマッチをとりだす。整った顔立ちには不相応な海の底を射抜くような、深く鋭い目。黙っていれば、そこそこに男前だろう。
「おまえもいるか?」
と、隣の男に一本差しすと、男は黙ってその一本を抜き取った。
イングウェイは素早く自分の煙草に火をつけると、すっ…と隣に残り火を差し出した。
男は何も言わずにその火でくわえた煙草に火をつける。
「…最後に会ったのは…2年前のグラナダだったか?」
灰皿にマッチの燃えかすをいれ、酒を片手に紫煙を吐くイングウェイ。
「……案の定生きてやっがたか」
男はそれだけ言った。
「まぁな…どっかの背徳の炎より根性が悪いんだよ、俺は」
くくっ、と含み笑いをしながらイングウェイはそう言った。
「…ま、何にせよ久しぶりに会ったんだ。景気よく乾杯といこうじゃねぇか、Mr.バッドガイ」
自分のグラスをソルのグラスに軽く打ちつけると、ソルと同じく、一口に飲み干した。
「ふぅ……いや、上手いな。暴れた後の酒はまた格別だ」
「…女でも抱いたか?」
「いや、ついさっきまで模造品に追いかけられててね。相棒と二人で、ようやっと片づけた所だ」
「…模造品だぁ?」
はじめて、ソルはイングウェイの方を向いた。
「ああ……最近の流行ってヤツかな?…顔の方は似ても似つかぬ代物だったが、技の方はまぁそっくりだったぜ?……大したもんだよ、元聖騎士団団長のコピーは……」
ふぅ、とため息をつきながらイングウェイは言った。
「……そのコピー、全部破壊したのか?」
「ああ。どうせ出所はわかってる」
肩をすくめながらそう言って、イングウェイは再び注がれたジンを飲み干した。
「………」
ソルの睨み付ける様な視線にもイングウェイは涼しげな表情を見せている。
「ま、そうすごむな。遅かれ早かれ、オマエにも接触してくるだろ」
「……ちっ」
ソルは舌打ちしながら、ジンをもう一杯追加した。
「それより知ってたか?あの悪魔の森のギアが破壊されたって話」
「……ああ」
にやけながらそう言うイングウェイに、ソルは軽い殺意を覚えた。
「どこぞの賞金稼ぎに破壊されたって話だが……本当かね…」
「……破壊されたってんならそれでいいだろ…うざってぇ」
「……ま、そうなんだがな」
くくくっ、と笑みをこぼしながらイングウェイは紫煙をこぼす。
「それじゃ俺が見たのは気のせいだな。こないだ、どっかの空賊団でそれらしきギアを見たんだが……そうか、破壊されたんじゃあ、んな所にいるわけねぇな」
「………何が言いたい?」
ソルの明らかな殺気のこもった視線がイングウェイに突き刺さる。
「別に。ただ、どっかの誰かさんは心配でしょうがねぇんじゃねぇかと思ってな……ま、それならいいか」
言って、イングウェイは吸いかけの煙草を灰皿にすりつぶし、五枚ほどの金貨をその場においた。
「じゃ、俺はそろそろいくぜ」
「……とっとと失せろ」
ソルの低い声にも全く動じる事なく、イングウェイは手をひらひらさせながら席を立つ。
「……あ、一つ言い忘れてた」
「…あん?」
「三日ほど前の話だ。紅い、奇妙な帽子を被った女楽士が”ソル”って男を捜してたぜ」
「……!!」
とたん、ソルの表情が戦慄の色に変わる。
「西の方の街で聞いた話だが……ま、もしかしたらどっかのソル=バッドガイかもしれないしな」
くくっ、と不敵な笑みをこぼしながら、イングウェイは酒場を後にした。
いつの間にか酒場からはソル以外の客が消えていた。金がつきたのか、それとも二人の間に漂う一種独特な空気に気圧されて酒を楽しむどころではなくなったのか。
「……イングウェイか……過去の遺物が今更何しようってんだ」
ソルはそう呟いてぐっとジンを飲み干した。
そこにはもはや一杯目の体の中まで透き通るような感覚は残っていない。ただ、喉を焼くアルコールの感触だけがわずかに残っていた。
通りを行き交う人々の好奇の視線がいいかげんにうざったくなった。
ソレは白銀の毛並みを靡かせながら、いかにもだるそうな感じで地にふせっていた。
別に野良というわけではない。はたから見れば忠犬ともおぼしきそれは、ぎらついた獣の目をたぎらせながら酒場の前で
ただじっと、そこにいるだけだった。
「待たせたなぁ」
イングウェイが酒場から出てくると一番最初に相棒に声をかけた。
酒場の前で大人しく座っていた、犬とも狼ともとれる動物が獲物を見る様な目つきでイングウェイの方を見やる。
「遅せぇよ」
不快そうにソレは確かにそう言った。鳴き声や遠吠えではなく、明らかな人語を発したのだ。
「アイツにあっちまってな」
「アイツ?」
「背徳の炎」
とたん、狼らしきモノの目つきが苦々しげになる。
「…ソル=バッドガイか」
「力むなフェンリル。今はそーゆー時じゃない」
口の前で指をふりながらフェンリルと呼んだ狼にウインクした。
「けっ…てめぇこそ殺りあいたくてうずうずしてんじゃねぇのか?」
「……ま、いいじゃねぇか」
相棒の詮索をさらりとかわしながら、行こうぜ、とフェンリルを促すとイングウェイは鼻歌を歌いながら歩き出した。
フン、とその背中を鼻先で笑ってやるとフェンリルの視線が閉ざされた酒場のドアへと向けられた。
「……せいぜい生き恥をさらしてんだな」
美しき白狼のつぶやきは、夜の雑踏の中にかき消されていった。
数日後―――
イングウェイ達は次の街へと続く街道をのんびりとした歩調で歩いていた。
「……平和だねぇ」
口に煙草をくわえながら、イングウェイは暇そうにそう呟いた。傍らを歩くフェンリルにとってもそれは同意見だった。
特にこれといったこともなく続く旅路は別に珍しい事ではない。むしろ、それが当たり前だった。ここ十年近くずっとこんな旅の繰り返しである。刺激のない毎日が無意味に過ぎてゆく日々---あの時求めていた日々が今たしかにここにあるというのに、今の自分はもうこんな生活に飽きている。
”俺もなかなか…現金なヤツだな”
フェンリルは心の底で、そう自嘲した。争いがあるときは静寂を求め、平穏を手に入れれば今度は残酷な衝動を求める……酷く単純かついかにも人間的な思考が、何度フェンリルの頭の中で反芻された事だろう。
「……いいじゃねぇか。平和でよ」
投げ出すような言葉でフェンリルが言った。
「まぁな。…賞金稼ぎもそろそろ飽きたな…転職するか?大道芸人あたりでこう…喋る犬!とかよ」
「……おい」
ドスをきかせた低い声がフェンリルから漏れる。明らかな殺気が籠もっていた。
イングウェイは苦笑しながら言う。
「冗談だって……だがいい加減腕の方も鈍っちま……」
ドゴォォォォォッ!!
イングウェイの言葉をかき消すかのような凄まじい爆裂音。
「…おい」
「わかってる。っちの方だな!」
言って、くわえ煙草を吐き捨てながらイングウェイは砂煙のあがっている方へ駆けだした。その顔には冒険心に満ちあふれた子供の様な表情が浮かんでいる。
「…また悪い癖がではじめやがった……」
ガキの様に走り去る相棒にため息一つつきながら、フェンリルは静かにその後を追った。
「くぅ!流石に人ならざるモノだな!今の攻撃を耐えるとは…しかしだからこそいい実験台になりうるというもの!」
不気味なほどに伸びた前髪に描かれているのは封印とも呪いともとれるような開かれた目の文様。
鮮やかな銀髪が風になびく度に、宙に浮くボールが無限の軌道を描いて目標えと突き進む!
「もうやめてくださいっ!!」
複雑な軌道から飛んでくる魔球を、生み出した氷柱で防ぎながら少女は相手に叫んだ。
森の少し開けた場所で、一組の男女が戦いを続けていた。
一方は目が描かれた独特の髪型をした、キューを持つ銀髪の男。
もう一方は、その背に白と黒の羽を持ち、その腰からは爬虫類のそれにも似た黒い尾をはやした”人あらざる”青い髪の少女。
「い、いったい何なんですか!?」
少女は先ほどから防戦一方だった。反撃らしい反撃を全くしないままに、ただ男の放つ攻撃を避ける事に徹していた。
争いを好まない穏やかな少女は、自分を狙う者の命すら傷つける事を恐れていた。
「言ったろう!人ならざる者を討つ為のこれは実験だ!…戦闘兵器たるギアならばアイツに最も近い存在!!…さぁ!己の存在意義たる戦いがここにあるのだ!君もギアならば己の破壊衝動に身をまかせてみろ!!」
空中に二つのボールを生み出すと、ビリヤードのごとき突きでそれらを打ち出す。
「私はもう昔の私じゃありません!!力にはもう振り回されたくないんです!」
拒絶しながら、少女はそれらの軌道を慎重に読みながら鮮やかに避けていく。
「戦いなきギアがどうしてギアでいられる!君自身知っているはずだ!その背のものはただ”破壊”を求める為だけに存在しうる事を!」
「それは……!」
俊敏に動いていた少女の足が一瞬、かげりを見せる。
男はそれを見逃さなかった。
「ハァッ!」
男が打ち出した魔球の動きに一瞬対応が遅れる。
「くぅっ!」
交わせずに防いだその刹那、僅かなスキが生まれる!
「ダブルヘッドモービットォォッ!!」
男の手の中で高速回転するキューが少女の腹にえぐり込んだ!
「けふっ……!」
思わずたたらをふんで交代した刹那、少女の呼吸が止まった。そして少女の動きも完全に止まってしまった。
その瞬間、男は心の中で勝利を確信した。
「ハァァァッ!ダークエンジェル!!」
巨大な紫色のエネルギー体が邪悪な破壊の化身とかして少女めがけて突き進む。
「しまっ…!」
意識を取り戻した瞬間、少女の見上げたその視界が闇に染まる!
ガァァァァァァァッ!!
「キャァァァァァァァァ!!!」
容赦なく打ち込まれたエネルギー体が確実に少女の身を削っていく!
「ハッハッハ!!これで!これであの男を討つ事ができる!もはや異種であろうとも恐れる者ではない!!」
狂気にもにた笑い声が森の中に響き渡った。
”ごめんね……みんな……わたし……もう……だ……め………”
少女の頭の中で僅かな間の思い出達が走馬燈の様に駆けめぐる。
森をでて僅かな間だったけど確かにあの日々は充実していた。
初めて”人”という暖かさにふれた。
孤独に染まっていた傷の舐めあいの様な森での生活。
絶望に染まりはてたあの生活から勇気を持って踏み出した人の地で出会った、大切な”家族”。
ちっぽけな満足感に身をゆだねながら意識を手放しそうになる瞬間、記憶の中で奇妙な既視感に囚われた。
”……前にも……私は同じこと…を…言った?”
思い出の中の声がふと聞こえた気がした。
『あきらめたって何もかわらないよディズィー!寂しいなら寂しさから抜け出す方法を考えなくちゃ!どんなにツライ事があってもくじけちゃだめだよ!ボクも…最後まであきらめないから!!』
舌っ足らずな少女の言葉が、今はとても頼もしく感じられる。
”…ああ…そうだ…あきらめたら……メイ…怒るよね……”
記憶の中の少女が---大切な家族が光り輝く様にみえた。
土壇場で遠く離れた意識を取り戻すと背にたたえる羽に呼びかけた。
あきらめちゃダメだ。あの時…人の世界に行こうと決心したとき、自分にそう決めたじゃないか。
生きなきゃ。最後まで生きなきゃ、”家族”に嫌われちゃう。
”ネクロ!ウンディーネ!少しでいいの!少しで良いから私に力を……勇気をちょうだい!”
ぐん、と体に力がみなぎってきた。
---まだ立てる。
---まだつかめる。
私はまだ生きているんだ。
少女はその場に立ち上がった。狂気につかれた男の方を気丈に睨み付けながら。
「……ネクロ!ウンディーネ!おねがい!」
少女はそう叫ぶと、勢いよく両手をかざした!
「ほう…まだ動けるのか。まぁいい…これでとどめだ!!」
カッ!
男の打ち出した魔球が少女にめがけて容赦なく突き進む。
「私は…生きたいのっ!」
その叫びが天にこだまする。
瞬間、少女の目の前で凄まじい火柱がうなりを上げた!
火柱は荒れ狂う龍の様に地を這いながら男をめがけて突き進む!
「何っ!?」
男の放った魔球を簡単に消し炭にしながら火柱はなおも男をめがけて突き進む。
「しまった!」
勝ち誇るあまり、構えすら忘れていた男に逃げられる術はない。
ドゴォォォォォッ!!
「グオォォォォォォォォッ!!」
肉をえぐる凄まじい激痛が男を包み込む!男はそのまま火柱にはじき飛ばされながら木々の向こうへと吹き飛ばされていった。
「……みんな……私……あきらめなかったよ……生きた……よ……」
渾身の力を使った少女は、満足げな笑みをたたえながらその場に崩れ落ちる……はずだった。
ぽふっ
少女は意識を手放す瞬間、自分を抱く暖かな感触と共に覚えないの男の声を確かに聞いた気がした。
「よく頑張ったな。上出来だぜ、おじさんがご褒美をやろう」
「ちっ…こいつギアじゃねぇか。助けるのかよ?」
フェンリルが苦々しく言った。ギアは自分たちが滅するべき敵、だ。
「噂の…人を殺めないギアだろう?」
イングウェイが羽の生えた少女を抱きかかえながら諭すように言う。
「…どのみちギアなら俺達の敵じゃねぇか」
「…聞いたか?…”生きたい”ってよ」
「あん?それがどうしたよ」
「…もしかしたら、変えてくれるかもしれねぇよ…俺達みたいな存在をな」
くくっ、とおどけるように笑って言った。
「……ちっバカバカしい…」
「…さ、とりあえず人目のつかない所に運ぼうか」
イングウェイが適当にあたりを見回す。鬱蒼とした森の中で落ち着いた場所、というのもなかなか難しいものがある。さっきの男の事も考えると、少しでも身を隠せる場所が欲しかった。
”…ちっ、あのバカが…ガキに手ぇだすほど餓えてんのか?”
「…フェンリル、近くになんかなんかないか?」
イングウェイがそういうと、フェンリルがあたりを注意深く見回し始めた。
「……東の方、1キロほど先に小さな小屋があるぜ」
「サンキュー。じゃ、ひとっ走りしますか」
「……揺らすなよ。頭にイクぜ」
舌打ちしながら森の奥へと消えていく相棒を見ながらイングウェイはガラにもなく苦笑した。
「……素直じゃないねぇ、どうにも」
「よっ…と。とりあえずはこんなものか」
フェンリルが見つけた一軒の小さな小屋の中で、少女をテーブルの上に寝かせて、手持ちの包帯を使ってとりあえずは出血している箇所を止血してやる。ギア細胞の驚異的な回復力でふさがりかけてはいるが、箇所によってはふさがりきれていない傷もあった。技の直撃を受けたのだから骨の一つも折れているのかと思ったが、驚くべきというか人外故の必然というか内臓器官や骨といった箇所にはほとんど以上が見られない。見るからにか弱そうなこの体のどこに、これほどの耐久力が秘められているのだろうか。
「はん…力の使いすぎでぶっ倒れるとは……こいつ、バカか?」
部屋の隅で暇そうにしているフェンリルがつまらなそうに言う。
「力を抑制する方で結構エネルギーを使ったんだろ。最後の一発だって土壇場だったんだろうな」
「ギアにしちゃあエネルギーポテンシャルの小せぇやろうだな」
「……あるいは戦いなれしてなくてエネルギーの使い方が未熟なのかな?まだ体の中にゃパワーがたんまり蓄積されてるのかもしれねぇな」
だったらこんなに丈夫なのもうなずける、とイングウェイはつけたした。
「…さぁ、応急処置はこんなもんだろ。後はゆっくりとお迎えを待ちましょう」
携帯用の治療具を腰のポーチにしまい、自分の来ていた青いコートをそっと少女にかけてやるとイングウェイは手近な椅子にどっかりと腰を落とした。黒いシャツはバランスのとれた逞しい肉体に押し上げられてその見事なラインを浮き彫りにしている。
「お迎え?」
「ああ、お前は留守番してたんだっけか?少し前に名前も知らねぇ商人の輸送船護衛をしただろ?そん時に襲ってきた空賊の奴らに確かこんな娘がいたぜ」
「随分と物覚えがいいな」
「巷で有名な”ジェリーフィッシュ快賊団”だったからな。…それに羽根付きにしっぽありって風貌は嫌でも忘れねぇよ」
その時の事を思い出しながらイングウェイはくくっと笑った。
そういえばあの時、すれ違いざまに居合い抜きを放ってきた黒いコートの男がいた。その一撃はあきらかに牽制のものだったが、速さも重みも並ではなかった。肩越しに薄笑いを浮かべながら去っていった男の事もまた鮮明に思い出した。
「……あれが”ジョニー”だったか」
裏世界にいる者ならば誰でも知っている名だ。賞金首としても、一人の剣士としても間違いなく超一流の男だろう。
「…思い出で興奮するんじゃねぇよ、変態」
「戦りあうだけでタッちまう様な男は、今まで背徳の炎かあの吸血鬼オヤジくらいだと思ったが……俺もまだまだ見聞が狭いな」
言って、もう一度くくくっ、と笑った。そして、その笑みがふと止まる。
イングウェイの鋭敏な感覚が何かを捉えたのだ。
「…弱っちいな。ヴェノムか?」
椅子から離れ、閉ざされたドア越しにそちらの方を見やる。
「ちょっと見てくらぁ」
「コートは?」
「いらん。使う程のヤツじゃないとみた」
ここを頼む、と言い残してイングウェイは外に出ていった。
後にはおとぎ話の姫よろしく静かに眠っているギアの少女と、くそったれとドアの向こうの相棒に向かって吐き捨てる白い狼が取り残された。
まだ昼も始めという時間帯にも関わらず、鬱蒼とした森の中はその天の恵みさえ受け入れない。
イングウェイは生い茂る木々の間をすりぬけながら、気配の方に向かっていた。
「…そろそろ、のはずだが…」
気配はすぐそばまで来ている。小屋を出たときとあまり変わらない、ほとんど半病人に近い気配ではあるが、生来の用心深さというか第六感とでもいうべきものが、頭の中で静かに警鐘をならしている。最初のウチはヴェノムだろうと思っていたが、微妙にヤツのものとも違う。
”この藪の向こうだ…な”
イングウェイは一呼吸して、静かにその茂みを潜り抜けた。…刹那、鼻腔をかすかにくすぐる血の匂い。
そして次に見えたものは、鮮やかな金髪。
一瞬イングウェイが呆然としていると、腰まで伸びている鮮やかな金髪が僅かに動いた。
はっ、としてイングウェイはやっと状況を理解する。
森の中で少し開けた所、金髪の女が脇腹あたりから血を流してうつぶせにぶっ倒れている。
イングウェイは動揺した自分を内心で罵りながら、女の方に近寄る。
「おい、大丈夫か?」
返事はない。何度か声をかけてみるが、それでも返事はない。
「おい、しっかりしろ!俺の目の前で死ぬんじゃねぇぞ!」
死体処理するのはごめん被る。
イングウェイは静かに彼女の体を抱き起こした。
腰に手を当てようとのばした左手が、僅かに傷口付近をかすめる。
「―――う」
うめくような声が顔を隠す金髪の間から聞こえた。
「おい!」
邪魔な前髪を掻き分けてやり、その顔を覗いてみる。
端正な顔立ちにややつりあがりぎみの鋭い瞳―――男ならば間違いなく見ほれる美貌である、が。
元来、純白を誇るであろう艶やかな肌が今は血色を失って青みをましてきている。
「…ぐふ……」
「…急所ははずしてる…か。だがまずいな」
腰にとりつけたポーチから包帯をとりだすと、止血の為に腰のあたりをしばってやり、無用な衝撃を与えないようゆっくりと抱きかかえる。
「……おまえさん、どこかであったか?」
不意にそんな言葉が漏れた。昔、どこかで会った気がしたが……思い出せない。
「と、今は運ぶ方が先か」
とん、と音もなく跳躍すると、茂みを飛び越えてから一気に加速する。木の根が入り組んでいる複雑な地形にも関わらず、来たときはまるで逆のスピードで小屋を目指す。
「…ったく、今日はけが人が多いな…ここらへんにギアでもいるのか?」
「―――ザトー……」
不意にそんな言葉が聞こえた。
”ザトー?……!…確かザトーが拾った小娘がいたな………アングラをかけて自分の部下にしたって話だったが……”
そういえば、小屋が近づくにつれて自分の中の”力”がにわかに騒ぎ始めている。
まさか…この女がそうなのか?
記憶の片隅で、苦虫をツブしたような味が広がる。
『何だ?その小娘は?』
不意に、そんな言葉が頭の中に響いた。何千、何万と聞いたことのある相棒の声。
『しらん、行ったら倒れていた。…お迎えは来たか?』
『…それらしき気配が二つほど、この小屋へ向かってる』
『俺が行くまでそいつらを足止めしといてくれ』
『その小娘を預けるのか?』
『あっちの嬢ちゃんはギアだったが、こっちの嬢ちゃんは生身だ。急所ははずしてるんだが、だいぶ出血しててかなり弱ってる』
『もたねぇんじゃねぇのか?』
『もしかしたらザトーに関係あるヤツかもしれない。死なせるわけにはいかないんだ』
『……来たようだ。どのくらいでつく?』
『あと5分ほど、だな』
『1分で来い』
そうささやくなり、相棒は一方的に”念”を断ち切ってしまった。
「…こっちのベースは人間なんだぜ?…ったく、これだから禁獣ってやつは…」
言いながら、イングウェイは更にスピードをあげた。
闇に響く笛の音が 血に飢えた獣たちを騒ぎ立てる
心さえ自由にできないその体で 獣たちは餓えた牙と爪をとぎすまし
いつ果てるともしれない 月夜を喰らって今日もまた罪を重ねる―――
ーーーーーーーーー
The Midnight Pleasure vol.2
『IN THE BEGININNG』
過ちは償えない
過去は消えない
罪は忘れられない
ならば自分はどうするべきなのか
過ちを後悔しながら生きていくのか
過去に苦悩しながら生きていくのか
あるいは――
あるいは罪に身を滅ぼされながら
それでもなお現世を生き続けるのか
人はいつも運命によって生死を裁かれている
逃れることもあらがうこともできないその運命の輪は
あたかもメビウスの輪の様に裏もなければ表もない
ただ一つ ”事実”という慈悲とも残酷ともとれる刃を突きつける
旅は終わらない
いつか―――
いつか――――
いつか 運命に裁かれるその日まで
自分の旅は 終わらない
「さぁて…もう少しであの火柱のあったところだが……」
「ディズィー…大丈夫かなぁ……」
深い森の中を黒コートの長身の男とそ傍らにいる中型飛空船用の大きな錨を担いだ海賊風のなりをした少女が二人、あたりを丁寧に見渡しながら、自分たちの大切なクルーの身を案じていた。 男の名をジョニー、といい少女の名をメイ、と言った。
「……にしてもあのアサシン組織め……今度あったらとっちめてやる……」
ジョニーは穏やかな口調の中に、静かな怒りをこめながらそうい言い放った。
事の始めは今から9時間ほど前だった。
たまたまこのあたりを飛行していた空賊団”ジェリーフィッシュ快賊団”の一団は、かねてから折り合いの悪かったアサシン組織達の待ち伏せにはまり、一時期乱戦状態となってしまった。
その戦闘の際、アサシン組織から集中的に狙われていたディズィーは団の中でも最年少のマーチをかばおうとして、自らが高度5000メートルから落ちてしまったのだ。
からくもアサシン組織達を退けた快賊団だったが、ディズィー墜落という思わぬアクシデントにあい、その捜索隊として最小数精鋭たる団長であるジョニーと5番艦船長・メイの二人が地上に降り立った。 高度5000メートルという高さからの墜落だったため、風向きから割り出した位置でこの森の近くである、という事まではかろうじて割り出したのだが、そこから先は完全に二人の勘と判断力に頼るしかない。 骨が折れる作業ではあったが、ディズィーは大事なクルーであり何より”家族”だ。二人ともここまでは一切の休憩もとらずに森の中をかけずり回ってきた。
「……ふぅ」
メイが思わずため息を吐いた。
「疲れたか?」
「う、ううん!ボクはまだまだ大丈夫だよ!」
平気平気!、と力瘤を作ってみせるが、先ほどの戦闘からほとんどノンストップで来たのだ。
いかにメイとはいえ、さすがにその小さな体には少々無理がある。 そんなメイにふっ、と苦笑を交えつつ、ジョニーは相変わらずの優しい笑みを浮かべる。
「我慢しなさんな。…このままじゃあ、俺達もツブれっちまう。…もう少し歩いて、適当な場所があったら休もうか」
「ジョニー……」
いつもは眼を輝かせて言うはずの、愛しい名もこのときばかりはその気の優しさが苦痛に思えた。
メイはディズィーが落ちた事に、内心ではかなりの責任を感じていた。
孤独にさいなまれ、森の奥で度重なる人間達の暴挙に絶望しかけていたディズィーに希望を与えたのに、それに応えるどころかこんな事になってしまった。
子供から大人への成長過程にある彼女にとっては、自分自身の責任、という事について過敏になりはじめる時期にさしかかっていた。
今にも泣きそうな眼をしながら、前を見つめる少女の頭をくしゃり、となでてやりながら、ジョニーは優しく言葉をかけてやった。
「メイ、もしおまえさんが負い目を感じているのなら、ディズィーにきちんと謝ることだぁ。…無事に見つけて、そして心を込めてあやまれば、ディズィーもきっとわかってくれるさ」
「ジョニー…」
「大丈夫、ディズィーはああ見えてもしっかりしてるからなぁ。きっとどこかをほっつき歩いてるさ」
うん、と笑顔を取り戻した顔を見ながら、ジョニーは心の内で自分のふがいなさを呪った。
“パーフェクト……か……”
「あ、ジョニー、あんな所に小屋があるよ」
メイが指さした方に、見ると、木々の間からみすぼらしい一軒の小屋が眼に飛び込んできた。
「それじゃあ、ちょいと一休みしますかぁ」
小屋に入った二人は思わず我が目を疑った。
これは運命の女神の導きだろうか?
それともただの偶然か?
いた。
彼女は目の前にいた。
所々を包帯で巻かれながら、小屋の隅にある小さなベッドの上で静かな吐息を立てながら彼女――ディズィーはいた。
まるで神に召された聖女の様に、静かに横たわったその姿はジョニーの目には一瞬、本当に天使か女神の様に思えた。
「ディズィー!!!」
数瞬の間あっけに捕られるも、最初に立ち直ったメイが真っ先にディズィーに駆け寄った。
「ディズィー!ディズィー!!目を開けてよ!ディズィー!!」
「…………………」
「ディズィー!ディズィーったらぁ!…お願いだから目をあけてよぉ!!」
顔をくしゃくしゃにしながら、メイはディズィーに向かって何度も呼びかけた。
「……ん……」
やがてディズィーの口から僅かに声がもれる。
「ディズィー!」
「……メ…イ…?」
うっすらと開けられた赤い瞳に最初に映ったものは、少女の涙だった。
「ディズィー!…うう…っく…よか…ったぁ…」
メイはそのまま倒れ込むようにして、ディズィーに抱きついた。
「っく…ごめんね…ごめんね……」
「メイ……」
耳元でひたすら謝り続ける少女の黒い髪を優しくなでてやりながらディズィーは偽りのない笑みを浮かべた。
「メイ、来てくれたのね。……ありがとう」
「うぅ……でぃずぃ~……」
普段は自信に満ちた最高の笑顔を浮かべている少女が、今はあまりにも小さく見えた。触れれば音を立てて崩れてしまいそうな程に、今の彼女は脆いのかもしれない。
…むしろ、今こうして泣きじゃくる顔こそが本来の“メイ”なのかもしれない。
ディズィーは嬉しかった。
自分の為にここまでしてくれる人が、こんなにも側にいる事が。
自分の為にこんなにも涙を流してくれる人がいる事が。
やっぱり、私はここがいい。
もう一人は嫌だ。
寂しさだけを糧にして生きていくのも嫌だ。
太陽の下で、体の鼓動を感じ、翼を一杯に広げて、大切な”家族”と共に生きていく今の生活がいい。
―――――ああ
―――――あったかいなぁ
―――――やっぱりあきらめないでよかった
―――――私はここにいたいんだ
―――――こんなにも素敵な”家族”の中で、私は泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりしたいんだ
―――――嬉しいんだもの
―――――心の底からこうやって“嬉しい”って思えることが
「もう大丈夫だから、ね?泣かないで」
「ぐすっ……」
まるでお姉さんになったみたいだな、と思いつつメイを抱きしめる。
服ごしに伝わる鼓動と体温が、最高に嬉しい。
「…大丈夫かい?」
いつの間にか傍らにジョニーが立っていた。サングラスから漏れる視線には穏やかなものが含まれている。
「はい。ご心配をおかけしました」
「いや…おまえさんを守ってやれなかった俺がわる~いのさ…すまないなぁ」
最後の一言は深い響きをもっていた。
「いえ、あの時マーチを助けてようとしたのは私ですから…あ、マーチは…みなさんは無事ですか?」
「ああ、みんなしておまえさんを待ってるよ」
「…そうですか」
その言葉を聞いてほっとした。
今は何より、みんなの顔が見たい。
「…ところで、おまえさん、誰かに助けてもらったようだが……?」
ちらりと青いコートに目をやりながらジョニーが行った。
「え?…あ、ほんとうに…」
言われて初めて、自分の体に巻かれた包帯と青いコートに気がついた。誰かに巻かれたであろう包帯は傷口にしっかりと巻かれている。巻き方も、まるでお医者さんがやるように、正しい巻き方をしている。医者か…そうでなければそういった経験のあるかなり手慣れている人かもしれない。
そして何より自分を守ってくれた青いコート。
まるで生きているみたいに、そのコートは暖かかった。
「わたし、ずっと気を失っていたから…」
「ふむ…うちのレイディを助けてもらったんだぁ…礼の一つもしたいんだがなぁ…」
その時、ふと背後から視線を感じた。
ジョニーが素早く振り向くと、開け放たれた入り口の前に一匹の白銀の狼がじっとこちらを見つめていた。
「…あなたは?」
ディズィーがまるで呼びかけられたように声をあげた。
「……おまえさんが…助けてくれたのかい?」
ジョニーは別段警戒するでもなくゆっくりとそちらに歩み寄る。狼の目には戦意というか、敵意みたいなものを感じなかった。大抵この種の肉食獣は餓えていようものなら、人間といわずお構いなしに襲いかかってくるものなのだが。
狼は、威嚇するでも襲うでもなく、まるで待ち人の様に、ただじっとそこにいるだけだった。
ジョニーが近づくと、狼はゆっくりと外に向かって歩き出した。まるで導くかのように、その足取りはゆっくりとしたものだった。
「…?」
罠か?と、片手の愛刀に心持ち手をかけながら、ジョニーはゆっくりとその後をついていった。
外は誰もいない。
ただ一匹の狼が、森の向こうの闇をじっと見据えるだけ。
「………」
ジョニーは不思議な感覚に囚われていた。
まるで知らない誰かに呼びかけられているような、もどかしくて…それでいてどこか懐かしい感覚―――
と、突然狼の見据える森の奥に気配を感じた。
殺気―――はない。敵意はもっていないようだ。…いや、むしろどちらかと言えば白旗を持ってこちらに近づいてくる哀れな負傷兵といった感じだ。
内心ではホッとしつつも、居合いの構えをより深くして気配に備える。
気配が近づくとともに、草木が揺れる音と大地を蹴る音が同時に聞こえてくる。
近い。
あと60――50――40――30――20――10――
「おいおい、仮にも命の恩人に刃をむけるのがジェリーフィッシュ快賊団のやることかい?」
そんな軽口が草むらの向こうから聞こえてきた。やや年期の入ったような低い声。
そして、その気配はゆっくりと姿を現した。
全身を黒い服で固め、金属の様な銀髪とやや濁ったブルーの目。声とはギャップのある若い顔が不敵な笑みを浮かべ、その背にうなだれた女性を背負いながらその男はなおも言葉を紡いだ。
「こっちは怪我人かかえて大変なんだからよ…喧嘩売るにしても時と場所を考えてくれよ」
そういって、ちらりと自分の背負っている女性に目を向けた。
「…いやぁ、そいつは悪かった。なんせ、ついさっきまでちとヤりあってたもんでねぇ」
「あの娘を見ればだいたいはわかるよ」
「…うちのレイディを助けてくれたのはアンタかい?」
銀髪の男は、ジョニーの向こうにある小屋を前髪の間からちらりと一瞥して、
「まぁ、都合そうなったな」
「ありがとうよ…恩にきるぜ」
ジョニーは帽子をとり、深々と頭をたれた。見かけよりもずっと真面目な人間だな、と男は内心で苦笑した。
「いいさ。人間、困った時はお互い様ってな。古い言葉だが、俺は好きだぜ、結構」
そういって、頬をかこうとした男の手が不意に止まる。
「あ!そうだ!なぁ、持ち帰るついでにコレも頼めるか?」
そう言って、背負っていた女性を見せる。
「怪我ぁしてるのかい?」
「ああ、薬草をとりに森に入ったら偶然見つけてね。どうやら誰かと激しく戦ったらしいんだが…急所ははずしてるが、少し出血しすぎたかもしれない。あいにくとここじゃ輸血できないんでな。…天下のジェリーフィッシュ団ならなんとかならんか?」
薬草などとりにいってはいないが、変に話すとかえって怪しまれるだろう。
「そいつぁ構わないが……っとぉ、こぉれはこれは…また奇遇なものだ。こんなところでぇ出会うたぁなぁ…」
金髪の女の顔をのぞき込んだ瞬間、ジョニーに僅かな動揺が浮かんだ。
「知り合いか?」
「まぁ、ちょっとなぁ…よし、そうと決まればすぐに呼び寄せなきゃなぁ」
「呼び寄せる?飛行艇をか?」
「い~やいや…医者を…さ」
チッチッチ、と口先で指を振ってみせる。
「医者って……んなコンビニエンスな…」
はぁ?といった顔をするイングウェイ。
常識で考えて――こんな深い森の奥に居着くような物好きな医者でもいるのだろうか。
そう思えるほどに、ジョニーの口調はあっけらかんとしたものだった。
「これが不思議な医者でなぁ…まぁ、見ていてくれ」
そう言って、ジョニーは懐からとりだした携帯用通信機に話し始めた。
男はわけがわからず、言われた通りにその場に立ちつくしてしまう。
「?」
「さぁて、とりあえず小屋に入ろうか」
通信を終えたジョニーがパァフェクト(自称)な笑みを浮かべて、男にそう言った。
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