春休み。
前から待ち遠しかった事。
そう、大阪に遊びに行けるんだ。
一日お泊りもするから荷物の準備もしてたんだけど、その時から楽しくてわくわくしてた。
おじさんは相変わらず、‘準備なんて直前でいい’とか言って全然用意しようとしないの。
引越しの時も本当に直前まで何もしてなかったから、当日大変だった事を思い出してほしかったけど無理みたい…
出発のその日。
新幹線の時間が迫ってるのにおじさんはまだ顔を洗ったりしてる。
荷物をいれるかばんもまだ空っぽ。
‘おじさん、もう行くよー’
‘あぁ’
おじさんは私が急かしても何を言っても‘あぁ’しか言わないから、
‘もう! 私が準備する!’
って怒っちゃった。
ごめんなさい。あとから考えたらちょっと言い過ぎたかも。
せっかくの楽しい旅行なのに、最初から私が怒ったりして…
でもね、本当に時間がなかったから、おじさんの着替えとかを私が急いでかばんに詰め込んだ。
それで結局なんとか間に合ったんだけど、薫さんへのお土産を買う時間がなかった。駅で買おうと思ってたのに。
おじさんは、‘今更、土産なんていらないだろう?’って言ったけど、やっぱり買ったほうがよかったよ。
買えなかったのはおじさんのせいだからね。そう思ったらまたちょっと怒っちゃった。
でも席について、ようやくほっとした。
新幹線が動き出してしばらくするとお弁当を売りに来たから、おいしそうなのを二つ、違う種類を買った。
私はまだちょっと怒ってたから、黙って食べてたんだけど、おじさんが
‘遥、これ食うか?’
って言ったから、おじさんとおかずの交換をしながら食べたんだ。
そしたらそのうちなんか怒ってるのが馬鹿らしくなって、おじさんと仲直りできた。
かえっこしたお弁当で楽しくお昼を食べれたからかなぁ。
途中、‘遥、外を見てみろ’っておじさんが急に言ったの。
見たらおじさんが指してる所に綺麗な大きな山が見えた。
‘わーすごいキレイ’
‘あれが富士山だ’
そっか。テレビでは見た事があったけどこんなに近くから見るのは初めてだ。
おじさんが教えてくれたおかげで、ちゃんと綺麗に見えたから嬉しかった。
着いた大阪には薫さんが来てくれてるはずなんだけど…
‘一馬、遥ちゃん’
改札を出てキョロキョロしてたら薫さんの声がした。
‘薫さん’
私が手を振ったら、薫さんの後ろからひょいって見た事のある人が出てきた。
‘四代目はん、お久しゅう’
‘…龍司’
おじさんも私もものすごく驚いた。
‘どうしても私一人で来させてくれなくって…’
薫さんも困った顔をしてた。
‘東城会四代目がワシのシマ、大阪に来はるっていうのに、そのお方に何かあったらワシの顔に傷がつくさかい’
‘俺は東城会は辞めたんだ。だからお前は全く関係ないだろう? 大体お前がいたら逆に目立って仕方ない!’
おじさんは怒ってた。
確かに龍司さんは前に会った時と違って、あの目立つふわふわのコートは着てなくて、白いシャツに濃い色のカーディガン姿だったけど、金髪だし、とにかく背が高いからどこに居ても分かる。
‘桐生はん、大阪では目立ったモン勝ちでっせ。それに目立っておったら逆に狙われへんのと違います?’
‘馬鹿いえ。お前、帰れ!’
‘まあ、そうかたい事言わんと…なあ薫?’
言われた薫さんも困ってた。
‘お兄ちゃんは帰ったらどう? 退院したばっかりやし…ね?’
龍司さんはおじさんよりずっと重症だったから薫さんの心配も分かる。ついこの間まで入院してたって薫さんが前に言ってたし…
‘薫、お前は黙ってくれや’
龍司さんは薫さんの方を向いてちょっと怒ってた。
‘桐生はん、ワシは見てのとおり体はもうピンピンしとる。まあ、あんたに負けた心の傷はちっとは残っとるけどな、それもまた勝負したら次はワシが勝つに決まっとるから心配いらんで’
‘龍司、お前なぁ…’
‘それにワシの大事な妹の事が心配やさかい、一人で危ないとこ歩かせませんわ。どっちかいうたらアンタより妹の方が心配なんや。それも子ども連れとったら、いざいう時に動きがとれへんのやないですか?’
龍司さんの言う事も分かる気がした。私が誘拐されたせいでおじさんは何度も困ったはずだもん。
でも、だからって何も龍司さんが一緒についてこなくてもいい気もする。
だから私はこう考えたの。
‘ねえ、龍司さん。おじさんと薫さんは久しぶりに会えたんだから、二人でゆっくりお話したいと思うんだ。だから龍司さん、私、龍司さんと一緒に遊びに行きたいんだけど駄目?’
私がそう言ったら、龍司さんもおじさんも目を丸くして驚いてた。
‘遥、お前何言ってんだ!’
おじさんは私の方に詰め寄ってきた。薫さんも、
‘遥ちゃん、そんな気つかわんでもええんよ。四人で一緒に遊びに行ったらいいんやから。ね、一馬?’
って言ったんだけど、私はやっぱり薫さんとおじさんが折角会えたんだから二人で遊べばいいのにと思ったから、
‘龍司さん、一緒に行こう!’
って龍司さんの手を引っ張って、その場から歩いてどこでもいいからどこかに行こうとした。
‘お嬢ちゃん、あんなぁ…どうするつもりなんや?’
龍司さんが困った顔で聞いてきた。
‘龍司さん、いいから早く、こっちこっち’
私は龍司さんの手を握って無理矢理引っ張って行った。
そしたらおじさんと薫さんがついてこようとしたから、
‘おじさんはついてきちゃ駄目! 薫さんと二人で遊んできて’
って言ったら、おじさんも困った顔をしてそこに立ち止まった。
‘龍司さん、行くよ’
駅の外にまで出た私は、強引に龍司さんを止まってたタクシーに引っ張り込んだ。
タクシーのドアが閉まって動き出してから、私もしかしてすごい事したのかもって思い始めてきた。
龍司さんもため息ついてるし、なんだか悪い気もしてきた。
‘嬢ちゃん、あんた強引やな’
確かにそうかもしれない。でもね…
‘私、龍司さんとデートしたかったんだ。それじゃあ駄目?’
そう思ったのは半分本当だよ。だって前に私を助けてくれたし。
‘駄目な事ないけどな。まあ困ったもんやなぁ’
‘龍司さんを困らすような事は絶対しないから。ね、お願い、どっか連れてって’
龍司さんは珍しく困った顔をしてたけど、何かを思いついたように笑って私を見つめながらこう言ってくれた。
‘ほな、どっか連れてこか’
‘ホント?’
‘近江六代目のワシがなんやお嬢ちゃんに丸め込まれた気ぃするけど、しゃないわ。桐生はんにはちゃんと行き先連絡しときや’
‘ありがとう龍司さん!’
龍司さんが連れてってくれたのは新星町だった。それとも遊園地がええかって聞かれたけど龍司さんの好きな所でいいって言ったんだ。
‘ワシのホームグラウンドっちゅう所やな’
‘ホームグラウンド?’
‘小さい時からここでよう遊んだって事や’
‘…そっか。私もここに来た事あるよ’
‘さよか。ほな嬢ちゃんが行きたいとこあるんやったら、そこに行こか’
私はそう言われてしばらく考えた。
どこがいいって言えるほどは来てないし…
‘あっ、そうだ!’
‘なんや、急に思い出したみたいに…’
居るかどうかわかんないけど…
‘あのね、私ね、会いたい人が居るの…’
龍司さんは、知り合いでもおるんかい?って不思議そうに聞いてきたけど、とにかく私は龍司さんに行きたい所を説明して歩き始めた。
途中の道すがら、大勢のおじさんが将棋したりしてたんだけど、その人達から龍司さんは何度も声を掛けられてたよ。
‘龍司はん、お久しゅう。元気にしとったかいなぁ’ ‘たまにはここにも顔を見せなはれや。寂しいやないかい’
‘龍司、あんた生きとったんかいな’
次から次へと龍司さんは話しかけられてた。だから龍司さんは道の途中で立ち止まった。
‘おっさんらも元気にしとったんか?’
‘わしらこの通り、暇で暇で暇すぎて元気にしとるで。ところでその嬢ちゃんはあんたのコレか?’
おじさんが小指を立てて聞いてたんだけど私は意味が分からなかった。
‘アホいえ! その口叩ききるぞ’
‘ほな、隠し子か? それともいつの間にか結婚しとったんか?’
‘うっさいわ。おっさん黙っとけや’
龍司さんはあきれながら怒ってるけど、なんだかみんなと話してて楽しそうだ。今まで見た事がない顔をしてる。
‘お嬢ちゃん、あんた可愛らしいなぁ。そうや、これ食べるか?’
おじさんの一人から小さいみかんを差し出された。
ありがとうって受け取ろうと思ったら、龍司さんに止められた。
‘大事な預かりもんにそないな汚いもんやるなや’
‘汚くないで。ワシの懐にずうっと大事に入れとったんや。それのどこが汚いねん!’
龍司さんはため息をついた。
‘まあ、そんな大事なミカンやったらおっさん、あんたが食べればええやないか。大事に自分でとっとき’
龍司さんはそのおじさんのミカンを奪って無理矢理そのおじさんの胸ポケットにまた入れてしまった。
もう一人いたおじさんが龍司さんにこう言った。
‘なんや、ホンマえらい大事にしとる娘さんなんやなぁ。預かりもんって言うたけど、龍司はん、あんたホンマは自分のもんにしたいと思てるのやないか?’
‘…せやなぁ…そうかもしれへんなぁ…ワシ一人のもんになったらええかもなぁ…’
えー
龍司さんが真剣に考えてると思ったらいきなりそんな事を言うもんだからびっくりして、私は龍司さんの方を向いてじっと見つめた。そしたら龍司さんはふっと笑ってこう言った。
‘冗談やって。気にせんでええ’
気にするよー
龍司さんは私を子どもだと思って、きっとからかってるんだ。
‘子どもだからってからかわないで、龍司さん’
そしたら龍司さんはすごく真面目な顔をして、しゃがんで私の頭に手をポンって置いてきた。
‘からかうつもりはないで。冗談半分真面目半分や’
もう、どっちか分かんないよー やっぱりからかわれてる。
私はほっぺたをふくらまして、
‘もう龍司さんなんて嫌い!’
って言ったの。そしたらまわりのおじさん達が、
‘あーあー 龍司はんがふられたー’
ってからかうもんだから余計に恥ずかしかった。みんなしてからかわないでよー
でもその後もおじさん達と龍司さんが楽しそうにお話しして、私もみんなに笑わされて、なんだか最後にはおじさん達に、
‘嬢ちゃん、また来たらここに寄ってきや’
って言われちゃった。
最初はちょっと怖いと思ったおじさん達はすごくいい人達だった。
そして、シロお婆ちゃんを探しにいつもの駐車場に龍司さんと行ったの。
前にお菓子とかもらってとっても優しくしてもらったから、会いたかったんだ。
でも探したけどいなかった。残念。
また次に来た時は会えたらいいなぁ。
龍司さんも、
‘おらんかったらしゃあないなぁ。また次も連れてきたるわ’
って言ってくれた。
‘ほなメインイベントに行こか’
龍司さんがそう言って連れてきたのは通天閣。
‘ここより高い建モンはいくらでもあるけどな、やっぱりこっから見れる景色はええで’
エレベーターを上がって、展望室にあった望遠鏡で町を覗いて見たの。
‘きれいやろ?’
龍司さんが聞いてきたんだけど、私はおじさんが今どこにいるのかがちょっと気になってた。
薫さんと仲良くしてればいいけどな…
そんな事を考えてたら、ガシャンっていって望遠鏡の時間切れが来た。
通天閣の帰り、龍司さんに売店で不思議な顔をしたお人形を買ってもらった。
‘これ大事に持っときや。ビリケンさんいうて幸せの神さんや。これに嬢ちゃんの好きな事願ったらええ’
私の好きな事?
なんだろう。
‘…うーん…じゃあねー、 みんなが仲良く出来ますように!ってお願いする’
‘なんや、その世界平和願うみたいな高尚な願い事は… もっと子どもらしゅうに自分の事お願いしいや’
自分の願い事? うーん、そう言われても困るな。
‘あっ、分かった。じゃあ、また龍司さんと大阪で遊べますように!’
龍司さんはあきれてしまったみたいに私の顔をまじまじと見た。
‘…ホンマに欲の無い子やなぁ… そんなんやから桐生はんも惚れたんやろうな。ワシは欲の塊みたいなもんやからもっと凄い事を願い事にするけどなぁ’
‘えっ、何?’
‘嬢ちゃんを桐生はんから奪い取れますように!てな具合でな’
驚いて何も言えなかった。
私が目を丸くして驚いてたら龍司さんが豪快に笑った。
‘冗談やで冗談!’
龍司さん、さっきも冗談って言ってたけど、本当に冗談か何なのか分かんないからひどい。驚かせないでよー
私がまたほっぺたを膨らまして怒ったら、龍司さんが笑いながら、
‘フグがおるで、フグが’
ってほっぺたをツンツンって指で突付いてきたの。
‘もう、ホントに龍司さんなんか嫌い!’
早足で帰ろうとしたら、腕をつかまれて、
‘まあ待ちや。そんな自分一人急がんでも、そろそろワシが桐生はんの所に送り届けたるさかいにな’
って言われた。確かに改めて空を見たら、もう夕方になってた。そんなに時間が経ったなんて思ってもみなかった。
‘堂島の龍から大事なお姫さんとったらあかんからな… ちゃんと送ったるから’
そう言われて、龍司さんとお別れするのがちょっと寂しくなった。なんでだろう。
龍司さんと一緒にいたら時間が短く感じたみたい。
そして龍司さんはおじさんと連絡をとってくれて、待ち合わせ場所の駅まで送ってくれた。
おじさんはとっても怒ってた。
‘遥、二度とあんな勝手な事するんじゃない’
でもね、私… おじさんがちょっとでも楽しく過ごせたらいいなぁと思ってやった事なの。
こんなに怒られるとは思ってなかったんだ。
‘…ごめんなさい’
私は素直に謝った。
結局次の日は、薫さんがお仕事だったから、おじさんと二人で大阪の町を色々歩いたの。
途中で道に迷っておじさんと地図の睨め合いっこしたり、お好み焼きをふうふういいながら食べたり、お城の近くに咲いてる桜をきれいなだなぁって見たり、水上バスにゆらゆら揺られたり、本当に色々してとっても楽しかったよ。今日、帰るのがもったいないくらいに…
またすぐ大阪に来れたらいいなぁ。
帰りの新幹線の中で、手に持ったビリケンさんを見ながら私、お願い事したの。
これからはおじさんと喧嘩せずに、今日みたいにずっとずっと仲良くできますように…って。
これって自分のお願い事だよね?
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「ワシなら、遥を泣かすようなマネはせえへん」
琥珀色の瞳に力がこもる。遥は、逸らす事が出来なかった。
「遥、ワシの側に居ればええ」
コートの前を広げて、龍司は遥を包み込む。不安に揺れる黒い瞳が見上げてきた。薔薇色の唇が小さく動く。
「でも・・・」
遥が何かを言おうとする。その右手首を掴んで引き上げる。
「側に居ったらええんや」
「でも!」
まだ何か言いかける遥の唇に、龍司は唇を重ねた。腕の中で遥の身体がビクッと震える。触れただけですぐに離れると、目を見開き硬直する遥の姿があった。
「遥」
低く名前を呼んで、もう一度唇を重ねる。遥が逃れようと身を捩るのを、左腕で押さえつけて、深く深くくちづける。
「んんっ」
遥が呻く。開いた唇から舌を入れ、逃げようとする舌を絡めとると、遥の手が、ドンドンと胸を叩いてくる。首を捻って逃れ、大きく息を吐きながら遥が叫ぶ。
「イヤ!」
その言葉さえも許さないようにキスを落とすと、遥の体から力が抜けた。
「ん・・・」
鼻に掛かる甘い声。手の中で小刻みに震える身体。甘く重く苦しいくちづけ。
唇を離すと、遥は苦しそうに息を吐いた。目尻にうっすらと涙を浮かべる表情に、龍司は、奥歯を噛み締めた。これで、全てが終わるかもしれない。もう、この輝く宝石は戻ってこないかもしれない。だが、もう我慢できなかった。あんな涙を見て、手を離すことは出来なかった。
「遥、ワシは・・・」
言いかける龍司の前で、遥は俯いた。小さな肩を震わせて、左手の甲で涙を拭う。泣かせたな、と龍司は思った。積み上げてきたものが終わる時がきた。最後まで、優しい兄でいたかった。
もう一度、ゆっくりと抱きしめる。こんなに小さく細い身体。永遠に側にいたかったのに、自分でそれをぶち壊した。
「遥、ワシは遥に、側にいてほしいんや」
諭すように言うと、遥は鼻水をすすりながら
「・・・ずるいよ」
小さな声。美しく輝く黒い髪を撫でると、涙で濡れた瞳が見上げてくる。
「ずるいよ。お兄ちゃんはずるい・・・」
「ずるくてもええ。理由なんかどうでもええ。遥はワシの側に居ればええんや」
自分でも信じられないほど必死で龍司は言う。すると、遥が龍司の体にしがみついてきた。
「私・・・もう、何処にも帰るところ無いのに、そういうこと言うんだもん・・・」
まだ涙の残る頬に、龍司はそっと唇を寄せた。遥はもう逃げなかった。
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