[1]
[2]
さんさんとふりそそぐ陽の光を浴びて、あくびをひとつ。野原の斜面に横たわっていた孫市はついと顎を上げて道の先を見たが、人影はちっとも見当たらなかった。
少女はいまだ戻らない。
どうせ珍しいものでも見つけたんだろうと見当をつける。周囲の人間を困らせてなければいいけれど、と、またあくびをこぼした。
「平和だ。…すこぶる平和だ」
思わずそう呟いてしまうほど、三方ヶ原での死闘が嘘のようだった。だが戦火はあちこちにくすぶっている。戦なんて早くなくなっちまえばいいのにと思いつつ、それに一役買って出ている自身に孫市は溜め息をついた。
(助長させているのは俺の腕。そしてこの火縄銃)
気に入らない依頼は受けずに、自由気ままにやってきた。それが、自由に生きることが誰かを踏みつけることになるのなら、その報いがいつか俺にも返ってくるのだろうか。もし返ってくるのなら、それはどんな形でやってくるのだろう。
眠気がす、と引いていくのを感じた。世界はこんなにも暖かいのにひどく遠い。離れたのは世界か、或いは 。
「ぶっ」
暗い思考に陥りかけたとき、顔面に何かが降り注いだ。正体はすぐに花だと知れる。
赤、白、黄。さまざまな色の洪水に次いで孫市の目に飛び込んできたのは、満面の笑みを浮かべるガラシャだ。
「きれいであろう?そこの角を曲がった畑に咲いておってな、家の者が雑草の類で抜くと言うから、もらってきたのじゃ」
日を遮り、孫市の顔に影を落とした少女は、いたずらに成功した子どもみたいに微笑んだ。だから孫市が目を細めたのは決して、太陽のまばゆさのせいではない。
「…孫?」
反応を返さない孫市にガラシャが訝しげに名を呼んだので、何でもない、驚いただけだと笑いかけた。そう、何でもないのだ。
他人からすれば、取るに足らない些細なことに違いない。けれどそれは今、孫市の弱さを確かに救った。
「……きれいだな」
「うむ!孫も喜ぶと思ったのじゃ」
白い手袋をためらいなく土に汚す。小さな花に顔を綻ばせる。
何も知らずに俺の闇を救ってくれる、きれいなのは、お嬢ちゃんのその心だろう。
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日が少し傾いてきた。待ち人も来たことだし、そろそろ行くかと斜面から腰を上げかけたときだった。
「そういえば、孫、花占いとはなんじゃ?」
唐突な問いは、二人の周りに散らばる花々に起因するらしい。聞けば花をもらった先でやってはどうかと薦められたとのことで、孫市が掻い摘んで説明するとぱっと表情が輝いた。
「やる!やるのじゃ!」
「…女子供は好きだねぇ」
当たんねぇと思うけどなぁ、孫市の内心をよそに、ガラシャは手にした花の花びらを一枚、また一枚とちぎっては風に乗せる。
「孫はわらわを好き」
「俺かよ」
「きらい・好き・きらい・好き…」
「…」
「……きらい」
「………」
「………」
「おじょうちゃ「もう一回なのじゃ!」
すぐさま新しい花に手を伸ばすので、思わず笑ってしまうと頬をふくらませて睨まれた。
(やっぱ、花占いは当たんねぇな)
だけど必死になる少女が可愛いから、あと少し、口にはせずにいる。
「そういえば、孫、花占いとはなんじゃ?」
唐突な問いは、二人の周りに散らばる花々に起因するらしい。聞けば花をもらった先でやってはどうかと薦められたとのことで、孫市が掻い摘んで説明するとぱっと表情が輝いた。
「やる!やるのじゃ!」
「…女子供は好きだねぇ」
当たんねぇと思うけどなぁ、孫市の内心をよそに、ガラシャは手にした花の花びらを一枚、また一枚とちぎっては風に乗せる。
「孫はわらわを好き」
「俺かよ」
「きらい・好き・きらい・好き…」
「…」
「……きらい」
「………」
「………」
「おじょうちゃ「もう一回なのじゃ!」
すぐさま新しい花に手を伸ばすので、思わず笑ってしまうと頬をふくらませて睨まれた。
(やっぱ、花占いは当たんねぇな)
だけど必死になる少女が可愛いから、あと少し、口にはせずにいる。
生まれたばかりでもあるまいに、まるで雛の刷り込みだ。
「おった!まーごー!」
「見つかったか…」
背中から聞こえる声に観念して、孫市は絡みつく腕を離しつつ、お姉さま方に笑いかける。
「悪ィけど、今日はやめとくわ」
「ええ?」
「ここまで来て、冗談でしょう?」
「子ども付きじゃあどうしようもねぇって。今度な」
大変名残惜しいが輪の中から抜け出て、声の主の元へと向かう。
彼女が昼寝をしている最中にこっそり抜け出てきたのだ。全くいいところで、と思う反面、目を覚ます前に帰るつもりだったのに余計な心配をかけちまったと一人ごちた。
ガラシャは孫市のそばまで来ると弾んだ息を整えて、今一度声を上げた。
「孫!捜したぞ!」
「悪かったお嬢ちゃん。だがな、ここ辺りには来ちゃ駄目だって言わなかったか?」
「他所を全部回ったが、孫がいなかったのじゃ。仕方なかろう」
にぎやかな大通りを一歩入った細道には、いわゆる遊女に当たる、体を売る女たちが身をおく宿が並んでいる。少女の知るべき世界ではないと足早に通りへと追いやるが、ガラシャはすれ違った女を興味津々とばかりに肩越しに見やった。
「色っぽくて、綺麗じゃのう…」
「そうだなー」
「わらわもあんなふうになれるかのう」
「そうだな…って、お嬢ちゃんが?」
孫市の脳裏には、先の戦いで判明した父親の姿が浮かんだ。
帰ってきた娘が風俗に染まっていました なんてことになった日には、確実にグサァ!とやられるに決まっている。
孫市は、冷たい汗が背中を流れていくのを感じた。
「ならなくても、今だってお嬢ちゃんは十分可愛いさ!」
「まことか?」
「ああ!本当の本当!」
「女たらしの孫が言うと、説得力があるのう」
「女た……」
誰だそんなことを言ったのは。秀吉か、よし、次にあったときみてろよあの野郎。
指を鳴らす孫市の心境を知らず、ガラシャはきょとんとしている。その顔を見ているとなんだか毒気が抜かれて、思わず苦笑をこぼした。
「…ま、いいか。だったら何遍でも言ってやるよ」
赤毛をくしゃくしゃと撫でたら、ガラシャが大きな目を嬉しげに細めた。
これは親愛の証だ。
父のように、兄のように、孫市はガラシャを想っている。肉親にも近いそれは、決して色恋ではないと断言できるのに。
(刷り込まれたのは案外、俺の方かもしれないな)
冗談にもできず、軽口もたたけず、戯れにも口説けない。
おまえはかわいいよ。
「おった!まーごー!」
「見つかったか…」
背中から聞こえる声に観念して、孫市は絡みつく腕を離しつつ、お姉さま方に笑いかける。
「悪ィけど、今日はやめとくわ」
「ええ?」
「ここまで来て、冗談でしょう?」
「子ども付きじゃあどうしようもねぇって。今度な」
大変名残惜しいが輪の中から抜け出て、声の主の元へと向かう。
彼女が昼寝をしている最中にこっそり抜け出てきたのだ。全くいいところで、と思う反面、目を覚ます前に帰るつもりだったのに余計な心配をかけちまったと一人ごちた。
ガラシャは孫市のそばまで来ると弾んだ息を整えて、今一度声を上げた。
「孫!捜したぞ!」
「悪かったお嬢ちゃん。だがな、ここ辺りには来ちゃ駄目だって言わなかったか?」
「他所を全部回ったが、孫がいなかったのじゃ。仕方なかろう」
にぎやかな大通りを一歩入った細道には、いわゆる遊女に当たる、体を売る女たちが身をおく宿が並んでいる。少女の知るべき世界ではないと足早に通りへと追いやるが、ガラシャはすれ違った女を興味津々とばかりに肩越しに見やった。
「色っぽくて、綺麗じゃのう…」
「そうだなー」
「わらわもあんなふうになれるかのう」
「そうだな…って、お嬢ちゃんが?」
孫市の脳裏には、先の戦いで判明した父親の姿が浮かんだ。
帰ってきた娘が風俗に染まっていました なんてことになった日には、確実にグサァ!とやられるに決まっている。
孫市は、冷たい汗が背中を流れていくのを感じた。
「ならなくても、今だってお嬢ちゃんは十分可愛いさ!」
「まことか?」
「ああ!本当の本当!」
「女たらしの孫が言うと、説得力があるのう」
「女た……」
誰だそんなことを言ったのは。秀吉か、よし、次にあったときみてろよあの野郎。
指を鳴らす孫市の心境を知らず、ガラシャはきょとんとしている。その顔を見ているとなんだか毒気が抜かれて、思わず苦笑をこぼした。
「…ま、いいか。だったら何遍でも言ってやるよ」
赤毛をくしゃくしゃと撫でたら、ガラシャが大きな目を嬉しげに細めた。
これは親愛の証だ。
父のように、兄のように、孫市はガラシャを想っている。肉親にも近いそれは、決して色恋ではないと断言できるのに。
(刷り込まれたのは案外、俺の方かもしれないな)
冗談にもできず、軽口もたたけず、戯れにも口説けない。
おまえはかわいいよ。