壱
玄関の扉を開けて、勘助は驚いた。
素裸のリツが、ちょこんと座っているのである。
勘介の頭のなかは、奇襲を受けた軍勢のように混乱した。
そのまま、固まってしまった。
リツは何か縫い物をしていたようで、ひざの上に布きれが置いてある他は、乳房からなにから丸見えである。
立ち尽くす勘介をよそに悠然と座りながら、いつもの眩しいような微笑みを浮かべている。
「あの……」
そのままの姿勢で何かいいかけたが、勘介は狼狽のあまり何を言っているのか聞こえない。
初陣の時に似ていた。感覚が濁り、己の位相は消失する。
とつぜん、リツがすっと立ち上がるのを見ても、何もできぬ。
かろうじて下半身を覆っていた布が落ちたのを、ただ眺めるだけだ。
(もっと叫ぶとかなんとか、あるのでは無いか)
呆然とそんなことを考えていた。
リツの裸形は美しかった。
それは五十を過ぎた男の忘れていものだ。
若さであり、女であることの素晴らしさだ。
などと批評をしておった、その時
「旦那様!」
勘介の惑乱は破られた。
リツの一喝が全てが明瞭にした。
そしてその反動が猛然と沸き上がるのにまかせて、一息に叫んだ。
「服を着ろぉぉぉぉぉッッッ……」
絶叫である。
それは或る日の夜のこと、山本勘介が館を辞し帰宅した時のことだった……
しばらくして
「お待たせいたしました」
何も無かったかのように、ぱたぱたと軽い調子でリツが奥の間から出てきた時には、勘介は土間にて座り、しかめ面をする余裕を取り戻していたが、やはり落ち着かない気分であった。
橙色の着物姿のリツは
「ご飯の支度をいたしますね」
と言って、甲斐甲斐しくお椀に粥をよそりはじめる。
その姿はまるで妻になったかのようだ。
「お椀にござりまする」
平然と椀を差し出したが、この女は先刻のことを忘れて飯が食えると思っているのか。
リツは照れるわけでも無く、意味深な笑みを漏らすのみだ。
かえって勘介のほうがどぎまぎとしてしまった。
「太吉達がいないようだな」
ひとまず、気になっていた疑問で探りを入れてみる。
「みなさん、いらっしゃりません」
「なぜ」
「ひとにはひとの用事があるものでしょう」
「ふん」
そういうことか、と思った。
明日は珍しく、勘介の非番なのである。
弍
勘介が終日家にいることなど、滅多に無いことだ。
それで、いらぬ気を使ってみんな出ていったのだろう。あるいはリツが出ていかせたか。
なんにせよ、やっかいなことになった。
リツが山本家の養女となって数年経っていた。
いまだにリツは勘介を父上とは呼ばないし、勘介はリツに違和感がある。
違和感とは、つまりリツの勘介に対する恋愛感情である。
「で、あれはおぬしの……策略か」
「なんのことでこざいます」
(とぼけやがる)
と思ったが、年甲斐にも無く顔のこわばってゆくのがわかった。
リツはいつも落ち着き払っていて、その辺りの小娘じみた軽薄さを微塵も感じさせない。
ただ時折、ひとを驚かすことを言って楽しむような所があった。
「その……おぬしの……その…玄関でのことじゃ」
「まあ、わたくしの裸のことですか」
おちょくっているのか。
勘介は敗けじと声を荒げた。
「太吉達のこともそうじゃ、いったい何の了見で」
「軍師の娘にはふさわしいことでございましょう」
「やはり」
「たまには、旦那さまとふたりっきり、いいではありませぬか」
「しかし何も裸にまでならずともよい」
「あれは偶然」
どこまでが本当だか。武田家随一の知恵者と称される己が、たかが小娘に翻弄されているのかと思うと情けない。
「で、どうでした、わたくしの裸」
「馬鹿なことを申すな」
「はい」
「よいか、おぬしは我が娘じゃ」
「はい」
「そのつもりでわしはそなたを慈しんでおる、これ以上はしたない真似はするなよ」
「はい」
「うむ」
「旦那様」
「……ん」
「玄関でのお顔、真っ赤でおもしろうございました」
怒鳴りつけてやろうかと思った。
リツの愛くるしい顔も、いまばかりは憎たらしい。
ぱっちりとした黒い瞳が、臆することなく勘介をみつめている。
肝の座った、座り過ぎた女だ。
小柄な体駆は可憐なほどで、どこにそんな活力が潜んでいるのか不思議だった。
(あの透き通るような肉体に)
参
勘介は、着物に隠されているリツの肉体を想った。
やはり武家の娘であるのか、日焼けをしていない白い肌だった。
四肢は細いが、骨だけは親譲りでしっかりとしているようである。
形よく整った釣鐘型の乳房の先に息づく桃色の蕾は、処女であることの証拠のように思えた。
しかし下復に茂る繊毛の黒さは肌の白と対照をなして、妙になるほど扇情的だ。
若葉のようなリツの体は、枯れたはずの勘介に思わぬ劣情を催させたのだった。
もう何年もおんなを抱いていない勘介にとって、若いリツの体は魅力ではあった。
だからといって、抱きたいとも妻にしたいとも思わないのが、勘介という男である。
リツの伴侶は前途ある若者でなくてはならない。しかし、それを言っても判らぬであろう。
リツは、あくまで娘に過ぎない。
「あの、もうお終いでございましょうか」
勘介は菜物も椀物も食い終っていた。
「あ……ああ、うむ」
「また、呆としていらっしゃいましたよ」
好奇心いっぱいの幼女がはしゃいでいるようなあどけない顔で、リツがころころと笑う。
「左様か」
「あの」
リツが、何か白いものをそっと差し出した。
布である。
勘助が受けとると、ごわごわした感触。
広げてみて
「ふんどし?」
と気付いた。
「誰のじゃ」
「あなたさまの」
「馬鹿ッ!」
大声を出すと、こめかみが痛かった。
どうしてリツは驚かすようなことばかりするのか。
「お気に召しませぬか、破れていたので」
縫ってさしあげたのか?先刻のは、あれか。
「裸で縫っておったのか!」
「もう暑い季節にござります、皆もいないことですし、だから裸で」
「己の褌の世話くらい、己でするわ!」
とにかく、女に褌を見られたことが恥ずかしい。とくに、この女には。
「リツ、おぬしは、余計なことばかりじゃ!」
勘介は怒鳴ってから少し後悔した。
リツの笑顔は消えて、能面のようになっている。
しかし、これくらいはと思い直し
「明日は、非番の予定じゃったが止めた、出仕する」
そう冷たく言い捨てて、奥の自室に帰った。
あとには、リツと褌が残った。
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My Sweet Darlin' 3
その願いが通じたものか。
数日すると、蜉蝣の熱は微熱ていどにおさまってきた。
「よかった~~~~!! よかったよ、まじで!!」
泣きそうに喜んだのは蜉蝣本人じゃなく、なぜか疾風のほうだった。
例によって食事介助をしながら。
粥だけじゃなく、固形物も多少なら食べられるようになっていた。
「でもまだ油断すんなよ。絶対安静って先生も言ってたしな」
「わかってる」
「とか言って、おまえ、すぐ無理しちゃうからなあ……。目が離せねえぜ」
疾風が蜉蝣の汚れ物を洗濯に行っているあいだ、書物をひもといて読んだりしていたのだ。布団の中で横になってはいたが、疾風に取り上げられた。
「そういうことは完治してからやれ!!」
と。
「そう言われてもな。退屈なんだよな……」
蜉蝣はこぼす。熱が下がれば薬の量も減らしていいので、そうしょっちゅうは眠くならないのだ。
「んじゃ、俺のことでも考えてろ!!」
疾風の言葉に、蜉蝣は不思議そうに眉を寄せた。
「おまえのこと? こないだの宴会の裸踊りとかか?」
アホなことしか思いつかないらしい。無理もないが、疾風としてはせつない。
「それでもいいよ。とにかく俺のこと」
「? ? ?」
蜉蝣にはわけがわからないようだ。疾風は業を煮やす。
(あーもう抱きしめたろかこいつ!!)
と思ったら止まらなくなった。考えるより先に体が動くタイプでもある。
疾風はぎゅうっと蜉蝣に抱きついてみた。
「!? おい?」
蜉蝣はびっくりしたようだ。
かまわず頬をすり寄せると、ここ数日お手入れをしていないせいで、無精髭が顔に当たる。蜉蝣はまだ混乱しているようだが、疾風はパッと離れた。
「待ってろ!!」
言い置いて、すごい勢いでたらいとかみそりを持って戻る。
「チョビ髭は自分でやったほうがいいだろ。その他の無精髭は俺が剃ってやる」
と、髭剃りタイムに入った。
「昔はよくこうやって剃りあったもんだよなー」
「どっちがたくさん髭生えるか、なんて競争したりな。今から思えば馬鹿みたいだな」
ふたりして思い出し笑いでなごむ。
「下の毛は俺のほうが早かったっけ?」
「いや、私だ」
「えー、俺だろ」
不毛な闘いにもなりかけるが、それすらも楽しい。
チョビ髭のお手入れは自力でさせてやって、疾風は髭剃りセットを片付けた。
「食後の薬、飲んだか?」
「ああ」
「んじゃ、ちょっとは眠くなれんだろ」
「だといいが……」
蜉蝣はなにか言いたそうだった。さっきの抱擁についてだろうか。
「おまえ……」
「なによ」
「おまえのことでも考えろって」
「ウン」
「おまえには感謝してる。感染する危険をおかして、世話を焼いてくれて」
「そりゃーね。俺とおまえの仲だからね」
「いや。幼なじみだからって、ここまでできないだろう。私の下帯を洗ってくれたり……。ほとんど親子か夫婦みたいだ」
蜉蝣はなにげなくそう言ったんだろう。そうに違いない。しかし疾風は真っ赤になった。
(夫婦って言うな!!)
と思ったのだ。「アレ」に限りなく近い単語だからだ。
いきなり赤面した疾風に、蜉蝣は蜉蝣で驚いたようだ。
「ど、どうした!?」
「どうもしねえ!!」
「発熱か!? もしやいまごろ感染したか!?」
「まぬけなこと言ってんな!! 感染するならとっくにしてる!!」
それもそうだ。蜉蝣は頷いた。
「たしかに……」
頷き、なにか考えているあいだに、疾風はたらいを抱えて蜉蝣の部屋から飛び出した。
恥ずかしくて照れくさくて、それ以上、蜉蝣と一緒にいることに耐えられなかったのだ。
事件が起きたのは夕刻近くだった。
昼過ぎ、なんとか落ち着きを取り戻した疾風は、蜉蝣の昼食介助をおこなった。
「俺、午後から出っから。なんかお魚が大量に獲れちまってよう。忍術学園に持って行こうと思って」
「おまえがか? 若手は?」
「お留守番の若手ふたりは受付と草むしりがあるしな。散歩にちょうどいいし」
疾風としては少し外の空気を吸って、なにやらもやもやするこの「アレ」関連の気持ちをすっきりと整理したかったのだ。
ところが、それが仇になった。
忍術学園までは往復で半日はかかる。疾風不在の水軍館に、不埒な輩が訪れたのだ。
「おうおう。買ってくれるまではここを動かねえぜ、にいちゃん」
押し売りらしい。巨大な風呂敷包みをひらいて、安っぽいかんざしや髪ひも、帯じめなどの小間物を展示する。
来客応対役の若手は、すぐに草むしり役の若手を呼んだ。しかし若いふたりではおおいにナメられた。
「買うのか買わんのか。はっきりしろい!!」
と、いかにもな威勢のよさで押し売り。その声は蜉蝣の私室にも届いた。
「…………?」
蜉蝣は、ちょうど午睡から覚めたところだった。というか押し売りの声で目が覚めた。なにごとかと聞き耳をたてると、困ったような若手たちの応対する声が聞こえてきた。
「てめえらじゃ話になんねえな。上のモンを出せ!」
とまで押し売りは叫ぶ。しかし上の者は出払っていていないのだ。その旨、若手が伝えると、押し売りは勢いづいた。
「野郎ども!! 出てこい!!」
と、仲間を呼びつける様子。これはまずい、と蜉蝣は判断した。
(はじめからそのつもりだったんだろう)
押し売りと称した窃盗団だろう。母港に船がないのを見計らって、警備が手薄だと狙われたのだ。天下に名だたる兵庫水軍、どんなお宝があるかわからないとアホな見込みを持っているのだろう。
(じっさいはお宝なんてありゃしねえんだがな……)
思いつつ、蜉蝣は無意識のうちに正面玄関に向かっていた。足元が少しふらつくが、そんなことを言っている場合じゃなかった。
「あ、蜉蝣兄貴……!!」
「お体は? だいじょうぶなんすか?」
若手ふたりは天の助け、といったように蜉蝣を見る。反面心配そうでもある。なにしろ重病隔離中だ。
窃盗団は親分らしき押し売りを入れて4名。すばやく見てとって、蜉蝣は言った。
「お気に召すようなものはねえぜ。さっさと帰りな」
うんとドスを効かせて言ってやった。しかし夜着とやつれた病人顔でナメられたのだろう。窃盗団の皆さんは帰ってくれなかった。
「てめえら、やっちまえ!」
と、親分らしき男の掛け声とともに、乱闘となった。
(あーしょーがねえな。素人さんはこれだから……)
蜉蝣は仕方なく応戦した。若手ふたりも善戦してくれた。それぞれひとりずつ手下を片付けてくれた。
蜉蝣はまず、夜着のすそをさばいて回し蹴りで親分のみぞおちにヒット。これでは倒れてくれなかったので、続いてニーキックで股間を蹴り上げる。
「ぐう」
と体をまるめるので、とどめとばかりにうなじに手刀。親分は倒れた。
背後から別の手下に肩をつかまれるが、ふりむきざまに右肘を入れ、続けて左クロスでたじろがせたところを一歩下がってフロントキックで昏倒させた。
「ふー……」
これだけで息切れがする。廊下にへたりこんだ蜉蝣に、若手ふたりが駆け寄ってくる。
「兄貴!」
「お怪我は!?」
そう言われて気づいた。窃盗団は刃物を持っていた。小刀だが刺されれば痛い。
(気づかなくてよかった……)
体育会系肉体派の兵庫水軍では、相手が素手なら基本的に刃物は使わない。おのれの肉体のみで勝負するのが彼らのポリシーだ。
「おまえたちこそ。怪我はねえか」
若手たちも無傷だった。威勢のわりにたいしたことのない窃盗団だったらしい。
「悪ぃがそいつら、浜に放り出しといてくんねえか」
「押忍!」
若手ふたりが駆け出してゆく。入れ替わりに、入ってきたものがある。
すれ違いざま、若手があいさつした。
「あ、疾風兄貴!! お帰りなさいっす!」
「おう、今帰ったぜ……。って、なんじゃあこりゃあ!!」
倒れ伏す窃盗団と、廊下にへたりこんだ蜉蝣を交互に見て。
「お、お、お、おまえ……!!!!!!!」
このおしゃべりな男には珍しい。言語中枢がどうかしたようだ。
どもりながらも若手に状況報告させた。
「まじで、蜉蝣兄貴が出てきてくださらなかったら、俺たち殺られてたかもしんないす!!」
「そ、そうかよ……」
窃盗団の手にある刃物に、疾風も気づいたようだ。
「おまえなあ~~~~~!! その体で!! ヤッパ持ってる奴とケンカすっかふつう!!」
「仕方ないだろう……。大切な若手のピンチだ」
「ああもう!! だからおまえって奴は!!」
疾風は頭をばりばりとかきむしる。さまざまな感情が交錯して、どうにもならないらしい。
「無理すんなって言ってんのに!!」
叫びながら火事場の馬鹿力か、へたりこんでいる蜉蝣を肩にかつぎあげる。
そのまま部屋へ連行した。布団の上にどさりと放り投げた。蜉蝣もされるままになっていた。疾風がいきどおるのも無理もない、と思ったからだ。
さぞやでかい声でお説教を食らうのだろう、と予想した。
ところが、疾風はそうはしなかった。
布団の上に座りこんだ蜉蝣の前に、ひざまずくようにして。
ぎゅーーーーっと抱きしめてきながら、無言だった。
「…………」
これはおかしい。疾風らしくない。蜉蝣には不思議だった。
「おい……。どうした?」
たずねると、なんと疾風は涙声だった。
「どうもしねえよ……。ぐすっ」
泣きながらいっそう強く蜉蝣を抱きしめてくる。
「お、おまえが、無事で……。よかった……」
「疾風……」
そのまま疾風はしばらく泣いていた。この男が涙を見せるなんて、何年ぶりだろうか。もしかしたらはじめてかもしれない。子供のころから負けん気が強くて、人前で泣いたりしないのは疾風も蜉蝣も一緒だった。
(なんなんだ……。この気持ちは……)
疾風は泣き顔を見られたくないらしい。ごしごしと容赦なく蜉蝣の夜着で涙を拭いている。それでもあとからあとから涙がこぼれて仕方ないらしい。蜉蝣はおずおずと、その背中に腕を回してやった。
(変だ。変だぞ私!!)
抱きしめながら胸がおかしい。病とは関係ない。なぜならば。
(か、かわいい……)
と思ってしまったのだ。疾風を。
この髭のある三十男で酒好き女好きでお調子者で得意な芸は裸踊りという、アホな幼なじみを。
(そういやこいつ、私の看病をしているあいだ、一度も夜遊びに出なかったな……)
容態が急変してはいけないと、同じ部屋に寝てくれた。熱で朦朧としていたが、規則正しい疾風のいびきを聞くと、安心して眠ることができた。
(とにかく落ち着け。私)
冷静な蜉蝣らしく、自分に言い聞かせる。
疾風にも言った。
「ちょっとだけ……。離れてくれないか」
「ヤダ」
「そう言わずに。今、私、変なんだ」
正直に蜉蝣は言った。長年のつきあい、嘘もごまかしも通じない間柄だ。
すると、疾風は顔を上げた。
案の定、涙と鼻水でぼろぼろの髭ヅラを見ても、蜉蝣の胸のときめきは変わらなかった。
(やっぱりかわいいぞ……。私は変だ!)
いっそう混乱する。
「なにが変だって? 具合悪くなったか?」
心配そうに聞かれる。蜉蝣はかぶりをふる。
「いや。そうじゃない。そうじゃなくて、そのう……」
なんと答えたらいいのか。いまさらなんの言葉があろうか。
「……おまえには、わけがわからんだろうが……。私自身にもわけがわからんのだが……」
と、前置きしておいて。
あくまで冷静な蜉蝣は、現状をありのままに伝えた。
「おまえのことを、かわいいと思ってしまった」
おおまじめに真剣に、蜉蝣は言った。
「!!」
疾風の反応は意外だった。笑ったり茶化したりしなかった。
涙をふいて、蜉蝣の顔をのぞきこんでくる。
「マジで!? 冗談じゃなくて!? 熱のせいじゃなくて!?」
言いながら額にさわってくる。
「平熱に近い微熱だ。熱のせいじゃねえな……」
と、ぼうぜんとする様子。蜉蝣は相変わらず真剣だった。
「心配かけてすまなかった。まさか、おまえがそんなに私のことを心配してくれていたとは……。思わなくて……」
最後のほうは、またしても抱きついてきた疾風に言葉を奪われた。
「そうだよ心配だったよ!! 今のケンカもそうだけどよ!! ふだん病気なんてめったにしたことのねえおまえが、いきなり南蛮風邪だろ!! 年寄りや子供や弱ってる奴は死ぬこともあるって先生言ってたんだぜ!! おまえが死んだらどうしようって……。生きた心地しなかったよ!!」
「疾風……」
「おまえが死んだら俺も死ぬ!! だから勝手に死ぬな!!」
むしろ勝手なのは疾風のほうなのだが、熱い告白に蜉蝣の心は激しく動揺した。
(こ、これは、もしや……)
そして疾風と同じ結論にゆきつくのだ。
(つまりアレか!? 若ぇ奴らがいろいろモメたりヨリを戻したりしてるようなアレか!?)
と。つねに冷静でクールで、判断力にすぐれた彼にとっても、青天の霹靂だった。
くどいようだがこんなにも身近に、「アレ」があっただなんて。
おたがいに髭まで生やしたいい年だ。四功で幹部だ。それでもいやおうなく「アレ」はやってくるのだと、蜉蝣もはじめて知った。
My Sweet Darlin' 4
「あまりに身近にいすぎて、気づかなかったんだな……」
自分自身に言い聞かせるように、蜉蝣はつぶやいた。
疾風にはわからないようだ。
「なにが?」
まだ鼻声だ。蜉蝣は言いよどんだ。
「だから……。おまえには気持ち悪いかもしれんが……。これで私たちの友情や仕事の関係がまずくならないように祈るしかないんだが……」
「アレ」を説明するのに、蜉蝣も困っていた。ダイレクトに言えればいい。しかしそれほど若くない。ふたりとも、本当に、いい年なのだ。
けれども、疾風はなんとなく察したようだ。
「もしかして、『アレ』か? 『アレ』だろ?」
おそるおそる、といった様子でたずねてくる。蜉蝣は少しびっくりする。
「なぜわかる。たしかに『アレ』だ」
「そりゃ、幼なじみだし……。長年のつきあいだし……」
長い長い時間を経て、ようやっと気づいたのだ。おたがいに、なくてはならない存在だということに。
「せーの、で言うか?」
真顔で疾風。蜉蝣も頷く。
「んじゃ、せーの」
「す……。好きだ、疾風」
「好きだ! 蜉蝣~~~~!!」
声のでかさは疾風のほうが勝っていた。照れるのか、また蜉蝣の胸に顔をうずめる。蜉蝣だって照れていた。おたがいに強く抱きしめあって、気持ちを確認する。
「俺は油断してた。おまえ、堅物だから。浮いた噂ねえし」
「私もだ。おまえは浮いた噂もあったがな。もし本気の相手ができたら、私に相談するだろうって思ってた」
それがこんなことになってしまうとは……。
抱きしめる腕をゆるめて、みつめあう。どちらからともなく苦笑がもれる。
「だめだあー。やっぱこの割れアゴの髭のオッサンじゃねえと。俺はヤダ」
「私もだ。いい年してやんちゃな髭ヅラのおまえじゃねえと」
苦笑しながら、どちらからともなく目を閉じた。
そっと唇を合わせた。
おたがいの髭の感触が、くすぐったかった。
積極的に出たのは、疾風のほうだった。蜉蝣の唇を割って、舌を押し込んできた。
いやらしく舐めまわされて、蜉蝣も平常心ではいられなくなる。疾風の肩をやさしく押しやって、彼は言った。
「ちょ、ちょっと待て……。私は病み上がりだぞ」
「できねえ? どれ、さわらせてみな」
こうなると疾風のほうが優位だった。あれよあれよと股間に手をつっこまれ、
「う!」
と、蜉蝣は反応する。
「おっ立つじゃん。だいじょーぶ、できるよ♪」
楽天的に疾風は言う。ぱっぱと着物を脱いでしまうのだ。その傷だらけの裸体に、見慣れたもののはずなのに、蜉蝣も発情した。
「病み上がりだからな。俺がサービス♪」
と、疾風は蜉蝣の夜着を脱がせた。ついでに下帯もとられた。布団の上に押し倒されて、またくちづける。
ねっとりと甘かった。今までのふたりの歴史が、ここにきてやっと花開いた感じがした。
「わ、私が下なのか?」
少々戸惑って蜉蝣。どちらでもそれなりに経験はあったが。
疾風はまた苦笑した。
「おまえ、下、苦手だろ」
「なぜわかる……」
「ガキんとき、よく逃げてたじゃん。兄貴たちにつかまりそうになるたびに」
今でもさらさらつやつやの黒髪だが、大人になって割れアゴになるまでは、蜉蝣はたいそうな美少年だった。もとからやんちゃなタイプの疾風より、年上人気は高かったのだ。
「俺はどっちでも平気だから。あ、ちょっと待ってろ」
素っ裸のまま部屋を出て、しばらくして戻ってくる。
なにやら手にしてきたのは、香油の小瓶か。
「某若手のとっから拝借してきた☆」
軽く言ってのけるところが疾風だ。そのまま蜉蝣にのっかったまま、全身を舐めてくる。傷跡はとくに執拗に舐められた。蜉蝣もじっとしていられなくて、疾風のしなやかな背中を撫で回した。
「そういや、さわりっこしたよな。ガキんとき」
「不思議だったよなあ。でかくなるんだもんなあ」
第二次性徴も同じころだったのだ。こすりあったりして擬似セックスはしたことがあった。
「でも単純に好奇心だったんだよな。あんときは」
という疾風に、真顔で蜉蝣は答えた。
「今は違うぞ」
両手で顔をとらえて、じっと目を見据えて。
「私は固い男だからな。覚悟しておけよ」
疾風はうれしそうに微笑した。
「夜遊びできなくなっちまうな」
できなくなるのがうれしい、という表情だった。
キスをしながらこすりあった。おたがいの性器を握って、愛撫すれば頭の芯が蕩ける。
「き……。気持ちいい……」
うっとりとあえぐ疾風。蜉蝣の上で背筋をそらせてのけぞる姿が、オヤジなのに美しい。
とぎれとぎれに彼は言った。
「おまえ……。上手いじゃん……」
「まあな」
「そんなに……。遊んでるようにも……。見えねえのに……。あっ」
先端をくすぐってやったら、疾風はびくりと跳ねた。
「もう濡れてるぞ」
からかうように蜉蝣。疾風は少しふくれっつらをした。
「だって……。うれしいんだもん」
「いい大人が『だもん』はねえだろう……」
「おまえも気持ちよくなってよ」
と、疾風は体勢を入れ替えた。蜉蝣の股間に顔を伏せて、くわえこんだ。
根元からしごかれて、蜉蝣も感じた。
「う……」
音をたててくまなくしゃぶられる。裏も表もだ。下品なくらいに疾風は上手かった。さすが遊びこんでいる証拠だ。
「も、もういい」
顔をあげさせると、疾風は感心したようにひとり頷く。
「MAXだとこのでかさか。俺のデリケートなあそこに入るかしらん♪」
などとほざくので、蜉蝣は苦笑した。
「塗ってやるよ。某若手には申し訳ないがな」
香油の小瓶を手渡され、疾風の秘部に塗りつける。それだけでも感じてしまうようで、疾風は声を殺していた。
「んっ……」
ゆっくりと指を入れてみた。疾風は息を詰めた。
「っ……」
「だいじょうぶか? 痛ぇか?」
「そこ使うの、ひさしぶりだからな……。やさしくしてね☆」
☆マークが出るあたりだいじょうぶだろう、と、蜉蝣はふんだ。性器をしごいてやりながら、空いた片手では抜き差しを繰り返す。ゆっくりと時間をかけて指を増やし、ゆるめてやった。疾風は感動したようだった。
「蜉蝣、やさしい……」
「私はもともとこうなんだ」
「だれにでも? 妬ける……」
またふくれっつらをするのも愛しい。安心させるように、蜉蝣は言った。
「言ったろ。私は固い男だからな。もうおまえに決めたんだ」
すると、疾風は驚いたような顔をした。
「決めたって……。決めたのか!?」
おおまじめに頷いてやる。
「ああ」
「うれしい!! 大好き、蜉蝣!!」
あそこに指が入っているにもかかわらず、ふたたびキスしてくる。
「俺がこれ以上オッサンになっても、爺さんになっても?」
「そのかわり、おまえもだぞ」
蜉蝣は相変わらず真剣だ。
「私がこれ以上オッサンになっても、爺さんになってもだ」
「もちろん!!♪」
疾風は感激のあまりか、蜉蝣の髪をかき回してきた。蜉蝣も疾風の髪の結び目を解いた。
そっと指を抜いて、
「たぶんだいじょうぶ……。だと思うが」
確認する。疾風も頷く。
「うん。ちょっとじっとしてろ」
蜉蝣の先端を探し、静かに腰を沈める。
「つ……」
苦しげな表情もそそるが、蜉蝣は言った。
「無理すんなよ」
「だいじょうぶ……。おまえじゃねえんだから……。ちょっと痛ぇだけ……。最初はどうしてもね……」
香油が効いたか、根元までなんとか入れることができた。疾風は大きく息をついた。
「よかった……。入った……」
蜉蝣はそれどころじゃなかった。疾風の秘部は狭かった。ダイレクトに伝わる快楽に、息が乱れる。
「おまえの……。熱いよ……。やっぱまだ微熱があんだな……」
言われても、答えられない。疾風は意地悪そうに微笑んだ。
「はやく動いてほしい?」
ムッとしたので蜉蝣は行動で示した。ぐいと腰を突き上げてやったのだ。
「!!」
疾風はぎゅっと目を閉じた。しかし、これが引き金になったらしい。疾風も腰を使いはじめた。
「っ……。はぁ……っ」
疾風が感じはじめるのに、たいして時間はかからなかった。はじめはおそるおそる、という感じだった動きが、だんだんに激しく獰猛なものになる。
「っ! いい……!!」
蜉蝣の手を握って、上下に腰をふって。揺らされるたび蜉蝣も歯を食いしばった。そうしていないと正気がどこかへ吹き飛んでしまいそうだった。
「か……げろ……」
せつなげな目をして蜉蝣をみつめてくる。潤んだ瞳に熱情を感じる。こんなにも大切なものが、いちばんそばにあったのだ。蜉蝣も握った手に力をこめた。
「好きだ。疾風……」
疾風らしく最後は精悍な抜き差しだった。全身を使って蜉蝣の性器を愛撫するようだった。握っていた手を離し、揺れる性器をいじってやると、いやいやをするように首をふって悶えた。
「わっ! よせって……!! 出る……!!」
「いいぜ。私も……出そうだ……」
戸惑ったようなあどけないほどの表情で、疾風は射精した。反射的に締める秘部に、蜉蝣もたまらずぶちまけた。
「~~~~!!」
「…………!!」
荒い息を繰り返して、それでも疾風は蜉蝣の上から、なかなかおりられないようだった。
「抜くのもったいねえ……」
などとつぶやく。蜉蝣には愛しくてたまらない。
だるかったが、なんとか上半身を起こした。胸は疾風の精液で濡れたまま、くちづけた。
長い長いキスをした。途中で何度も息継ぎをして、それでも離れがたかった。
身仕舞いを終えると、さすがに病み上がりか、蜉蝣はぐったりと横になった。
「寝ていいぜ。疲れただろ」
疾風に言われるまでもない。本当はひどく眠かったが、眠りたくなかった。
「眠るのがもったいないな……」
添い寝する疾風の髪に指を絡めて、もてあそんで。
「完全に復活したらまたやろ♪ 今度はおまえが上な♪」
「おう。もちろんしてやるぞ。何度でも」
頼もしい蜉蝣の返答に、疾風も身をすり寄せてきた。
「お頭に報告しねえとダメかなあ……」
などと言うので、蜉蝣は苦笑する。
「秘密にしていたってどうせバレるだろ。おまえのことだから」
しあわせいっぱいな精神状態を隠すことは、この無邪気な疾風には不可能だろう。
「若手たちにしめしがつかんしな。大々的に発表して、公認の仲にしてもらおう」
と、冷静な蜉蝣はすでに計画を練っていた。
そして翌日、蜉蝣も平熱に戻り、船は無事帰港した。
出迎えたのは若手ふたりと、ラブラブカップル☆ と化した蜉蝣と疾風だった。
またしても打ち上げの大宴会、蜉蝣も無事参加することができた。
酒が進んで宴もたけなわになったころ、ついに疾風が我慢できなくなったようだった。
「みなさーん! ここで発表したいことがありまーす!♪」
お立ち台と化したテーブルの上、ひらりと飛び乗って。
「こっちこっち!」
と、蜉蝣を手招きするのだ。
「い、今か!? 今なのか!?」
これは蜉蝣の計画にはなかった。まずはお頭にこっそり……などと作戦を考えていたのだ。多少はびびる蜉蝣だが、疾風の性格を考えると無理もない。仕方なく疾風の横に立つ。
疾風はでかい声で叫んだ。
「俺たち、デキちゃいました~~~~♪」
しかし周囲のリアクションは思ったほどサプライズではなかった。
「いまさらなに言ってんすか?」
「えー!? とっくにデキてると思ってた」
という野次まで入る。
(そうだったのか……。そんなふうに思われていたのか……)
と、愕然とするのは蜉蝣だけで、疾風はいっこうに気にならないらしい。
「こいつは俺のマイ・スイート・ダーリンだからね☆ 奪おうとしたら殺すよ☆」
片目をつぶってさらりと恐ろしいことを言う。そのまま蜉蝣の首に飛びつき、キスしてきた。
「ん~~~!!」
さすがにクールで冷静な蜉蝣には、衆人環視は恥ずかしい。ところが疾風には羞恥心がない。舌までぐいぐい入れてくるのだ。
髭オヤジふたりの濃厚なキスシーンに、はじめはあっけにとられていた構成員たちも、徐々に正気を取り戻してきたようだ。
どこからかパラパラと拍手が上がると、全員が合わせてくれる。
「よっ!! おめでとう!!」
第三協栄丸のお許しが出た。
ここでまた、新たな『兵庫水軍公認カップル』が誕生したのだった。
END
やりました!やりましたよ蜉疾!うれしいなあ。いつかやりたいと思っていたのですが、クールで美人な攻にキュートでやんちゃな受でしょ?(え?違います?)野大とキャラかぶってますよね。だからもちっと技術が上がってから書こうと考えてました。でも野大と蜉疾には最大の違いが!野大はライバルだけど蜉疾は親友(え?違いました?)。おかげさまでいい話になりました。(自分で言うか)病に倒れるはかなげな蜉蝣兄貴を書けてうれしかった。ちなみに背景とタイトルは、オッサンふたりのラブラブ話にふさわしく、キュートでポップ(?)なものをセレクトしました。公式設定については、知らないフリをしています(笑)。蜉疾はもう、鬼義と違って一生テンション高くラブラブでいてくれそうでいいですね!また続編とか書きたいです♪
その願いが通じたものか。
数日すると、蜉蝣の熱は微熱ていどにおさまってきた。
「よかった~~~~!! よかったよ、まじで!!」
泣きそうに喜んだのは蜉蝣本人じゃなく、なぜか疾風のほうだった。
例によって食事介助をしながら。
粥だけじゃなく、固形物も多少なら食べられるようになっていた。
「でもまだ油断すんなよ。絶対安静って先生も言ってたしな」
「わかってる」
「とか言って、おまえ、すぐ無理しちゃうからなあ……。目が離せねえぜ」
疾風が蜉蝣の汚れ物を洗濯に行っているあいだ、書物をひもといて読んだりしていたのだ。布団の中で横になってはいたが、疾風に取り上げられた。
「そういうことは完治してからやれ!!」
と。
「そう言われてもな。退屈なんだよな……」
蜉蝣はこぼす。熱が下がれば薬の量も減らしていいので、そうしょっちゅうは眠くならないのだ。
「んじゃ、俺のことでも考えてろ!!」
疾風の言葉に、蜉蝣は不思議そうに眉を寄せた。
「おまえのこと? こないだの宴会の裸踊りとかか?」
アホなことしか思いつかないらしい。無理もないが、疾風としてはせつない。
「それでもいいよ。とにかく俺のこと」
「? ? ?」
蜉蝣にはわけがわからないようだ。疾風は業を煮やす。
(あーもう抱きしめたろかこいつ!!)
と思ったら止まらなくなった。考えるより先に体が動くタイプでもある。
疾風はぎゅうっと蜉蝣に抱きついてみた。
「!? おい?」
蜉蝣はびっくりしたようだ。
かまわず頬をすり寄せると、ここ数日お手入れをしていないせいで、無精髭が顔に当たる。蜉蝣はまだ混乱しているようだが、疾風はパッと離れた。
「待ってろ!!」
言い置いて、すごい勢いでたらいとかみそりを持って戻る。
「チョビ髭は自分でやったほうがいいだろ。その他の無精髭は俺が剃ってやる」
と、髭剃りタイムに入った。
「昔はよくこうやって剃りあったもんだよなー」
「どっちがたくさん髭生えるか、なんて競争したりな。今から思えば馬鹿みたいだな」
ふたりして思い出し笑いでなごむ。
「下の毛は俺のほうが早かったっけ?」
「いや、私だ」
「えー、俺だろ」
不毛な闘いにもなりかけるが、それすらも楽しい。
チョビ髭のお手入れは自力でさせてやって、疾風は髭剃りセットを片付けた。
「食後の薬、飲んだか?」
「ああ」
「んじゃ、ちょっとは眠くなれんだろ」
「だといいが……」
蜉蝣はなにか言いたそうだった。さっきの抱擁についてだろうか。
「おまえ……」
「なによ」
「おまえのことでも考えろって」
「ウン」
「おまえには感謝してる。感染する危険をおかして、世話を焼いてくれて」
「そりゃーね。俺とおまえの仲だからね」
「いや。幼なじみだからって、ここまでできないだろう。私の下帯を洗ってくれたり……。ほとんど親子か夫婦みたいだ」
蜉蝣はなにげなくそう言ったんだろう。そうに違いない。しかし疾風は真っ赤になった。
(夫婦って言うな!!)
と思ったのだ。「アレ」に限りなく近い単語だからだ。
いきなり赤面した疾風に、蜉蝣は蜉蝣で驚いたようだ。
「ど、どうした!?」
「どうもしねえ!!」
「発熱か!? もしやいまごろ感染したか!?」
「まぬけなこと言ってんな!! 感染するならとっくにしてる!!」
それもそうだ。蜉蝣は頷いた。
「たしかに……」
頷き、なにか考えているあいだに、疾風はたらいを抱えて蜉蝣の部屋から飛び出した。
恥ずかしくて照れくさくて、それ以上、蜉蝣と一緒にいることに耐えられなかったのだ。
事件が起きたのは夕刻近くだった。
昼過ぎ、なんとか落ち着きを取り戻した疾風は、蜉蝣の昼食介助をおこなった。
「俺、午後から出っから。なんかお魚が大量に獲れちまってよう。忍術学園に持って行こうと思って」
「おまえがか? 若手は?」
「お留守番の若手ふたりは受付と草むしりがあるしな。散歩にちょうどいいし」
疾風としては少し外の空気を吸って、なにやらもやもやするこの「アレ」関連の気持ちをすっきりと整理したかったのだ。
ところが、それが仇になった。
忍術学園までは往復で半日はかかる。疾風不在の水軍館に、不埒な輩が訪れたのだ。
「おうおう。買ってくれるまではここを動かねえぜ、にいちゃん」
押し売りらしい。巨大な風呂敷包みをひらいて、安っぽいかんざしや髪ひも、帯じめなどの小間物を展示する。
来客応対役の若手は、すぐに草むしり役の若手を呼んだ。しかし若いふたりではおおいにナメられた。
「買うのか買わんのか。はっきりしろい!!」
と、いかにもな威勢のよさで押し売り。その声は蜉蝣の私室にも届いた。
「…………?」
蜉蝣は、ちょうど午睡から覚めたところだった。というか押し売りの声で目が覚めた。なにごとかと聞き耳をたてると、困ったような若手たちの応対する声が聞こえてきた。
「てめえらじゃ話になんねえな。上のモンを出せ!」
とまで押し売りは叫ぶ。しかし上の者は出払っていていないのだ。その旨、若手が伝えると、押し売りは勢いづいた。
「野郎ども!! 出てこい!!」
と、仲間を呼びつける様子。これはまずい、と蜉蝣は判断した。
(はじめからそのつもりだったんだろう)
押し売りと称した窃盗団だろう。母港に船がないのを見計らって、警備が手薄だと狙われたのだ。天下に名だたる兵庫水軍、どんなお宝があるかわからないとアホな見込みを持っているのだろう。
(じっさいはお宝なんてありゃしねえんだがな……)
思いつつ、蜉蝣は無意識のうちに正面玄関に向かっていた。足元が少しふらつくが、そんなことを言っている場合じゃなかった。
「あ、蜉蝣兄貴……!!」
「お体は? だいじょうぶなんすか?」
若手ふたりは天の助け、といったように蜉蝣を見る。反面心配そうでもある。なにしろ重病隔離中だ。
窃盗団は親分らしき押し売りを入れて4名。すばやく見てとって、蜉蝣は言った。
「お気に召すようなものはねえぜ。さっさと帰りな」
うんとドスを効かせて言ってやった。しかし夜着とやつれた病人顔でナメられたのだろう。窃盗団の皆さんは帰ってくれなかった。
「てめえら、やっちまえ!」
と、親分らしき男の掛け声とともに、乱闘となった。
(あーしょーがねえな。素人さんはこれだから……)
蜉蝣は仕方なく応戦した。若手ふたりも善戦してくれた。それぞれひとりずつ手下を片付けてくれた。
蜉蝣はまず、夜着のすそをさばいて回し蹴りで親分のみぞおちにヒット。これでは倒れてくれなかったので、続いてニーキックで股間を蹴り上げる。
「ぐう」
と体をまるめるので、とどめとばかりにうなじに手刀。親分は倒れた。
背後から別の手下に肩をつかまれるが、ふりむきざまに右肘を入れ、続けて左クロスでたじろがせたところを一歩下がってフロントキックで昏倒させた。
「ふー……」
これだけで息切れがする。廊下にへたりこんだ蜉蝣に、若手ふたりが駆け寄ってくる。
「兄貴!」
「お怪我は!?」
そう言われて気づいた。窃盗団は刃物を持っていた。小刀だが刺されれば痛い。
(気づかなくてよかった……)
体育会系肉体派の兵庫水軍では、相手が素手なら基本的に刃物は使わない。おのれの肉体のみで勝負するのが彼らのポリシーだ。
「おまえたちこそ。怪我はねえか」
若手たちも無傷だった。威勢のわりにたいしたことのない窃盗団だったらしい。
「悪ぃがそいつら、浜に放り出しといてくんねえか」
「押忍!」
若手ふたりが駆け出してゆく。入れ替わりに、入ってきたものがある。
すれ違いざま、若手があいさつした。
「あ、疾風兄貴!! お帰りなさいっす!」
「おう、今帰ったぜ……。って、なんじゃあこりゃあ!!」
倒れ伏す窃盗団と、廊下にへたりこんだ蜉蝣を交互に見て。
「お、お、お、おまえ……!!!!!!!」
このおしゃべりな男には珍しい。言語中枢がどうかしたようだ。
どもりながらも若手に状況報告させた。
「まじで、蜉蝣兄貴が出てきてくださらなかったら、俺たち殺られてたかもしんないす!!」
「そ、そうかよ……」
窃盗団の手にある刃物に、疾風も気づいたようだ。
「おまえなあ~~~~~!! その体で!! ヤッパ持ってる奴とケンカすっかふつう!!」
「仕方ないだろう……。大切な若手のピンチだ」
「ああもう!! だからおまえって奴は!!」
疾風は頭をばりばりとかきむしる。さまざまな感情が交錯して、どうにもならないらしい。
「無理すんなって言ってんのに!!」
叫びながら火事場の馬鹿力か、へたりこんでいる蜉蝣を肩にかつぎあげる。
そのまま部屋へ連行した。布団の上にどさりと放り投げた。蜉蝣もされるままになっていた。疾風がいきどおるのも無理もない、と思ったからだ。
さぞやでかい声でお説教を食らうのだろう、と予想した。
ところが、疾風はそうはしなかった。
布団の上に座りこんだ蜉蝣の前に、ひざまずくようにして。
ぎゅーーーーっと抱きしめてきながら、無言だった。
「…………」
これはおかしい。疾風らしくない。蜉蝣には不思議だった。
「おい……。どうした?」
たずねると、なんと疾風は涙声だった。
「どうもしねえよ……。ぐすっ」
泣きながらいっそう強く蜉蝣を抱きしめてくる。
「お、おまえが、無事で……。よかった……」
「疾風……」
そのまま疾風はしばらく泣いていた。この男が涙を見せるなんて、何年ぶりだろうか。もしかしたらはじめてかもしれない。子供のころから負けん気が強くて、人前で泣いたりしないのは疾風も蜉蝣も一緒だった。
(なんなんだ……。この気持ちは……)
疾風は泣き顔を見られたくないらしい。ごしごしと容赦なく蜉蝣の夜着で涙を拭いている。それでもあとからあとから涙がこぼれて仕方ないらしい。蜉蝣はおずおずと、その背中に腕を回してやった。
(変だ。変だぞ私!!)
抱きしめながら胸がおかしい。病とは関係ない。なぜならば。
(か、かわいい……)
と思ってしまったのだ。疾風を。
この髭のある三十男で酒好き女好きでお調子者で得意な芸は裸踊りという、アホな幼なじみを。
(そういやこいつ、私の看病をしているあいだ、一度も夜遊びに出なかったな……)
容態が急変してはいけないと、同じ部屋に寝てくれた。熱で朦朧としていたが、規則正しい疾風のいびきを聞くと、安心して眠ることができた。
(とにかく落ち着け。私)
冷静な蜉蝣らしく、自分に言い聞かせる。
疾風にも言った。
「ちょっとだけ……。離れてくれないか」
「ヤダ」
「そう言わずに。今、私、変なんだ」
正直に蜉蝣は言った。長年のつきあい、嘘もごまかしも通じない間柄だ。
すると、疾風は顔を上げた。
案の定、涙と鼻水でぼろぼろの髭ヅラを見ても、蜉蝣の胸のときめきは変わらなかった。
(やっぱりかわいいぞ……。私は変だ!)
いっそう混乱する。
「なにが変だって? 具合悪くなったか?」
心配そうに聞かれる。蜉蝣はかぶりをふる。
「いや。そうじゃない。そうじゃなくて、そのう……」
なんと答えたらいいのか。いまさらなんの言葉があろうか。
「……おまえには、わけがわからんだろうが……。私自身にもわけがわからんのだが……」
と、前置きしておいて。
あくまで冷静な蜉蝣は、現状をありのままに伝えた。
「おまえのことを、かわいいと思ってしまった」
おおまじめに真剣に、蜉蝣は言った。
「!!」
疾風の反応は意外だった。笑ったり茶化したりしなかった。
涙をふいて、蜉蝣の顔をのぞきこんでくる。
「マジで!? 冗談じゃなくて!? 熱のせいじゃなくて!?」
言いながら額にさわってくる。
「平熱に近い微熱だ。熱のせいじゃねえな……」
と、ぼうぜんとする様子。蜉蝣は相変わらず真剣だった。
「心配かけてすまなかった。まさか、おまえがそんなに私のことを心配してくれていたとは……。思わなくて……」
最後のほうは、またしても抱きついてきた疾風に言葉を奪われた。
「そうだよ心配だったよ!! 今のケンカもそうだけどよ!! ふだん病気なんてめったにしたことのねえおまえが、いきなり南蛮風邪だろ!! 年寄りや子供や弱ってる奴は死ぬこともあるって先生言ってたんだぜ!! おまえが死んだらどうしようって……。生きた心地しなかったよ!!」
「疾風……」
「おまえが死んだら俺も死ぬ!! だから勝手に死ぬな!!」
むしろ勝手なのは疾風のほうなのだが、熱い告白に蜉蝣の心は激しく動揺した。
(こ、これは、もしや……)
そして疾風と同じ結論にゆきつくのだ。
(つまりアレか!? 若ぇ奴らがいろいろモメたりヨリを戻したりしてるようなアレか!?)
と。つねに冷静でクールで、判断力にすぐれた彼にとっても、青天の霹靂だった。
くどいようだがこんなにも身近に、「アレ」があっただなんて。
おたがいに髭まで生やしたいい年だ。四功で幹部だ。それでもいやおうなく「アレ」はやってくるのだと、蜉蝣もはじめて知った。
My Sweet Darlin' 4
「あまりに身近にいすぎて、気づかなかったんだな……」
自分自身に言い聞かせるように、蜉蝣はつぶやいた。
疾風にはわからないようだ。
「なにが?」
まだ鼻声だ。蜉蝣は言いよどんだ。
「だから……。おまえには気持ち悪いかもしれんが……。これで私たちの友情や仕事の関係がまずくならないように祈るしかないんだが……」
「アレ」を説明するのに、蜉蝣も困っていた。ダイレクトに言えればいい。しかしそれほど若くない。ふたりとも、本当に、いい年なのだ。
けれども、疾風はなんとなく察したようだ。
「もしかして、『アレ』か? 『アレ』だろ?」
おそるおそる、といった様子でたずねてくる。蜉蝣は少しびっくりする。
「なぜわかる。たしかに『アレ』だ」
「そりゃ、幼なじみだし……。長年のつきあいだし……」
長い長い時間を経て、ようやっと気づいたのだ。おたがいに、なくてはならない存在だということに。
「せーの、で言うか?」
真顔で疾風。蜉蝣も頷く。
「んじゃ、せーの」
「す……。好きだ、疾風」
「好きだ! 蜉蝣~~~~!!」
声のでかさは疾風のほうが勝っていた。照れるのか、また蜉蝣の胸に顔をうずめる。蜉蝣だって照れていた。おたがいに強く抱きしめあって、気持ちを確認する。
「俺は油断してた。おまえ、堅物だから。浮いた噂ねえし」
「私もだ。おまえは浮いた噂もあったがな。もし本気の相手ができたら、私に相談するだろうって思ってた」
それがこんなことになってしまうとは……。
抱きしめる腕をゆるめて、みつめあう。どちらからともなく苦笑がもれる。
「だめだあー。やっぱこの割れアゴの髭のオッサンじゃねえと。俺はヤダ」
「私もだ。いい年してやんちゃな髭ヅラのおまえじゃねえと」
苦笑しながら、どちらからともなく目を閉じた。
そっと唇を合わせた。
おたがいの髭の感触が、くすぐったかった。
積極的に出たのは、疾風のほうだった。蜉蝣の唇を割って、舌を押し込んできた。
いやらしく舐めまわされて、蜉蝣も平常心ではいられなくなる。疾風の肩をやさしく押しやって、彼は言った。
「ちょ、ちょっと待て……。私は病み上がりだぞ」
「できねえ? どれ、さわらせてみな」
こうなると疾風のほうが優位だった。あれよあれよと股間に手をつっこまれ、
「う!」
と、蜉蝣は反応する。
「おっ立つじゃん。だいじょーぶ、できるよ♪」
楽天的に疾風は言う。ぱっぱと着物を脱いでしまうのだ。その傷だらけの裸体に、見慣れたもののはずなのに、蜉蝣も発情した。
「病み上がりだからな。俺がサービス♪」
と、疾風は蜉蝣の夜着を脱がせた。ついでに下帯もとられた。布団の上に押し倒されて、またくちづける。
ねっとりと甘かった。今までのふたりの歴史が、ここにきてやっと花開いた感じがした。
「わ、私が下なのか?」
少々戸惑って蜉蝣。どちらでもそれなりに経験はあったが。
疾風はまた苦笑した。
「おまえ、下、苦手だろ」
「なぜわかる……」
「ガキんとき、よく逃げてたじゃん。兄貴たちにつかまりそうになるたびに」
今でもさらさらつやつやの黒髪だが、大人になって割れアゴになるまでは、蜉蝣はたいそうな美少年だった。もとからやんちゃなタイプの疾風より、年上人気は高かったのだ。
「俺はどっちでも平気だから。あ、ちょっと待ってろ」
素っ裸のまま部屋を出て、しばらくして戻ってくる。
なにやら手にしてきたのは、香油の小瓶か。
「某若手のとっから拝借してきた☆」
軽く言ってのけるところが疾風だ。そのまま蜉蝣にのっかったまま、全身を舐めてくる。傷跡はとくに執拗に舐められた。蜉蝣もじっとしていられなくて、疾風のしなやかな背中を撫で回した。
「そういや、さわりっこしたよな。ガキんとき」
「不思議だったよなあ。でかくなるんだもんなあ」
第二次性徴も同じころだったのだ。こすりあったりして擬似セックスはしたことがあった。
「でも単純に好奇心だったんだよな。あんときは」
という疾風に、真顔で蜉蝣は答えた。
「今は違うぞ」
両手で顔をとらえて、じっと目を見据えて。
「私は固い男だからな。覚悟しておけよ」
疾風はうれしそうに微笑した。
「夜遊びできなくなっちまうな」
できなくなるのがうれしい、という表情だった。
キスをしながらこすりあった。おたがいの性器を握って、愛撫すれば頭の芯が蕩ける。
「き……。気持ちいい……」
うっとりとあえぐ疾風。蜉蝣の上で背筋をそらせてのけぞる姿が、オヤジなのに美しい。
とぎれとぎれに彼は言った。
「おまえ……。上手いじゃん……」
「まあな」
「そんなに……。遊んでるようにも……。見えねえのに……。あっ」
先端をくすぐってやったら、疾風はびくりと跳ねた。
「もう濡れてるぞ」
からかうように蜉蝣。疾風は少しふくれっつらをした。
「だって……。うれしいんだもん」
「いい大人が『だもん』はねえだろう……」
「おまえも気持ちよくなってよ」
と、疾風は体勢を入れ替えた。蜉蝣の股間に顔を伏せて、くわえこんだ。
根元からしごかれて、蜉蝣も感じた。
「う……」
音をたててくまなくしゃぶられる。裏も表もだ。下品なくらいに疾風は上手かった。さすが遊びこんでいる証拠だ。
「も、もういい」
顔をあげさせると、疾風は感心したようにひとり頷く。
「MAXだとこのでかさか。俺のデリケートなあそこに入るかしらん♪」
などとほざくので、蜉蝣は苦笑した。
「塗ってやるよ。某若手には申し訳ないがな」
香油の小瓶を手渡され、疾風の秘部に塗りつける。それだけでも感じてしまうようで、疾風は声を殺していた。
「んっ……」
ゆっくりと指を入れてみた。疾風は息を詰めた。
「っ……」
「だいじょうぶか? 痛ぇか?」
「そこ使うの、ひさしぶりだからな……。やさしくしてね☆」
☆マークが出るあたりだいじょうぶだろう、と、蜉蝣はふんだ。性器をしごいてやりながら、空いた片手では抜き差しを繰り返す。ゆっくりと時間をかけて指を増やし、ゆるめてやった。疾風は感動したようだった。
「蜉蝣、やさしい……」
「私はもともとこうなんだ」
「だれにでも? 妬ける……」
またふくれっつらをするのも愛しい。安心させるように、蜉蝣は言った。
「言ったろ。私は固い男だからな。もうおまえに決めたんだ」
すると、疾風は驚いたような顔をした。
「決めたって……。決めたのか!?」
おおまじめに頷いてやる。
「ああ」
「うれしい!! 大好き、蜉蝣!!」
あそこに指が入っているにもかかわらず、ふたたびキスしてくる。
「俺がこれ以上オッサンになっても、爺さんになっても?」
「そのかわり、おまえもだぞ」
蜉蝣は相変わらず真剣だ。
「私がこれ以上オッサンになっても、爺さんになってもだ」
「もちろん!!♪」
疾風は感激のあまりか、蜉蝣の髪をかき回してきた。蜉蝣も疾風の髪の結び目を解いた。
そっと指を抜いて、
「たぶんだいじょうぶ……。だと思うが」
確認する。疾風も頷く。
「うん。ちょっとじっとしてろ」
蜉蝣の先端を探し、静かに腰を沈める。
「つ……」
苦しげな表情もそそるが、蜉蝣は言った。
「無理すんなよ」
「だいじょうぶ……。おまえじゃねえんだから……。ちょっと痛ぇだけ……。最初はどうしてもね……」
香油が効いたか、根元までなんとか入れることができた。疾風は大きく息をついた。
「よかった……。入った……」
蜉蝣はそれどころじゃなかった。疾風の秘部は狭かった。ダイレクトに伝わる快楽に、息が乱れる。
「おまえの……。熱いよ……。やっぱまだ微熱があんだな……」
言われても、答えられない。疾風は意地悪そうに微笑んだ。
「はやく動いてほしい?」
ムッとしたので蜉蝣は行動で示した。ぐいと腰を突き上げてやったのだ。
「!!」
疾風はぎゅっと目を閉じた。しかし、これが引き金になったらしい。疾風も腰を使いはじめた。
「っ……。はぁ……っ」
疾風が感じはじめるのに、たいして時間はかからなかった。はじめはおそるおそる、という感じだった動きが、だんだんに激しく獰猛なものになる。
「っ! いい……!!」
蜉蝣の手を握って、上下に腰をふって。揺らされるたび蜉蝣も歯を食いしばった。そうしていないと正気がどこかへ吹き飛んでしまいそうだった。
「か……げろ……」
せつなげな目をして蜉蝣をみつめてくる。潤んだ瞳に熱情を感じる。こんなにも大切なものが、いちばんそばにあったのだ。蜉蝣も握った手に力をこめた。
「好きだ。疾風……」
疾風らしく最後は精悍な抜き差しだった。全身を使って蜉蝣の性器を愛撫するようだった。握っていた手を離し、揺れる性器をいじってやると、いやいやをするように首をふって悶えた。
「わっ! よせって……!! 出る……!!」
「いいぜ。私も……出そうだ……」
戸惑ったようなあどけないほどの表情で、疾風は射精した。反射的に締める秘部に、蜉蝣もたまらずぶちまけた。
「~~~~!!」
「…………!!」
荒い息を繰り返して、それでも疾風は蜉蝣の上から、なかなかおりられないようだった。
「抜くのもったいねえ……」
などとつぶやく。蜉蝣には愛しくてたまらない。
だるかったが、なんとか上半身を起こした。胸は疾風の精液で濡れたまま、くちづけた。
長い長いキスをした。途中で何度も息継ぎをして、それでも離れがたかった。
身仕舞いを終えると、さすがに病み上がりか、蜉蝣はぐったりと横になった。
「寝ていいぜ。疲れただろ」
疾風に言われるまでもない。本当はひどく眠かったが、眠りたくなかった。
「眠るのがもったいないな……」
添い寝する疾風の髪に指を絡めて、もてあそんで。
「完全に復活したらまたやろ♪ 今度はおまえが上な♪」
「おう。もちろんしてやるぞ。何度でも」
頼もしい蜉蝣の返答に、疾風も身をすり寄せてきた。
「お頭に報告しねえとダメかなあ……」
などと言うので、蜉蝣は苦笑する。
「秘密にしていたってどうせバレるだろ。おまえのことだから」
しあわせいっぱいな精神状態を隠すことは、この無邪気な疾風には不可能だろう。
「若手たちにしめしがつかんしな。大々的に発表して、公認の仲にしてもらおう」
と、冷静な蜉蝣はすでに計画を練っていた。
そして翌日、蜉蝣も平熱に戻り、船は無事帰港した。
出迎えたのは若手ふたりと、ラブラブカップル☆ と化した蜉蝣と疾風だった。
またしても打ち上げの大宴会、蜉蝣も無事参加することができた。
酒が進んで宴もたけなわになったころ、ついに疾風が我慢できなくなったようだった。
「みなさーん! ここで発表したいことがありまーす!♪」
お立ち台と化したテーブルの上、ひらりと飛び乗って。
「こっちこっち!」
と、蜉蝣を手招きするのだ。
「い、今か!? 今なのか!?」
これは蜉蝣の計画にはなかった。まずはお頭にこっそり……などと作戦を考えていたのだ。多少はびびる蜉蝣だが、疾風の性格を考えると無理もない。仕方なく疾風の横に立つ。
疾風はでかい声で叫んだ。
「俺たち、デキちゃいました~~~~♪」
しかし周囲のリアクションは思ったほどサプライズではなかった。
「いまさらなに言ってんすか?」
「えー!? とっくにデキてると思ってた」
という野次まで入る。
(そうだったのか……。そんなふうに思われていたのか……)
と、愕然とするのは蜉蝣だけで、疾風はいっこうに気にならないらしい。
「こいつは俺のマイ・スイート・ダーリンだからね☆ 奪おうとしたら殺すよ☆」
片目をつぶってさらりと恐ろしいことを言う。そのまま蜉蝣の首に飛びつき、キスしてきた。
「ん~~~!!」
さすがにクールで冷静な蜉蝣には、衆人環視は恥ずかしい。ところが疾風には羞恥心がない。舌までぐいぐい入れてくるのだ。
髭オヤジふたりの濃厚なキスシーンに、はじめはあっけにとられていた構成員たちも、徐々に正気を取り戻してきたようだ。
どこからかパラパラと拍手が上がると、全員が合わせてくれる。
「よっ!! おめでとう!!」
第三協栄丸のお許しが出た。
ここでまた、新たな『兵庫水軍公認カップル』が誕生したのだった。
END
やりました!やりましたよ蜉疾!うれしいなあ。いつかやりたいと思っていたのですが、クールで美人な攻にキュートでやんちゃな受でしょ?(え?違います?)野大とキャラかぶってますよね。だからもちっと技術が上がってから書こうと考えてました。でも野大と蜉疾には最大の違いが!野大はライバルだけど蜉疾は親友(え?違いました?)。おかげさまでいい話になりました。(自分で言うか)病に倒れるはかなげな蜉蝣兄貴を書けてうれしかった。ちなみに背景とタイトルは、オッサンふたりのラブラブ話にふさわしく、キュートでポップ(?)なものをセレクトしました。公式設定については、知らないフリをしています(笑)。蜉疾はもう、鬼義と違って一生テンション高くラブラブでいてくれそうでいいですね!また続編とか書きたいです♪
My Sweet Darlin' 1
なにもないところで転倒した。
これは蜉蝣には非常に珍しいことだった。
眼光鋭く口数少なく、セクシーな片目の眼帯、美しい髭、割れ顎までも隙がない。それでいて長い黒髪は公家の姫のごとくつやつやでサラサラ、けっしてガッチリ体型じゃないのに鍛えこまれたその肉体。
兵庫水軍の四功のひとりとして、重責をまかせられてもいる。第三協栄丸が船酔いなどで使いものにならない場合、リーダーとして采配をふるうのが彼だった。とにかく優秀で人望も厚い。
その彼が転倒した。
(な、なんだ……)
自分でも状況がよくわからなかった。
船の上だ。母港が間近に見えている。警固の仕事の帰りだった。
甲板の上でなにかにすべったのかと、あたりを見回すが。
(なんにもねえな……。濡れてもいねえ)
怪我はしていなかった。膝をぶつけたが、痛みもさほどじゃない。
(よかった。だれにも見られてなくて)
ホッとしたのもつかのま、声をかけられた。
「おいおい……。ひとりでなにコケ芸の練習してんの?」
ハッとしてふりむくと、四功仲間の疾風だ。見られていたようだ。蜉蝣はこっそり眉をひそめる。
「芸じゃねえ」
ぼそりと言ってやる。
「なおさらおまえらしくねえな。今夜の余興の練習かと思ったぜ」
助け起こしてくれながら、疾風。
任務が終わって無事帰港すると、その晩はたいてい打ち上げと称した大宴会となるのだ。ちなみに蜉蝣は余興を披露したことは一度もない。若手たちには堅物と思われているので、そのイメージをくずしたくなかった。
「余興なんか……」
言いかけると、遮られる。
「なんか熱くね? おまえ、熱あんじゃねえ?」
疾風は蜉蝣の腕を持っていた手を、額に当てた。
「やっぱ熱い……。ような気がする」
「そうか? 気のせいだろ」
「かなあ。でも俺、ふつうの奴より平熱高めなんだけどなあ」
というだけで、このときは終わった。
船は無事帰港し、構成員たちは水軍館に戻った。
時刻は夕刻。若手たちは大宴会の準備に忙しい。
第三・第四をまじえ、蜉蝣ほか四功の幹部たちは、今回の任務についてエグジットミーティングをおこなっていた。
場所は会議室と称した小部屋だ。今回の任務についておさらいし、反省点などを提議して語り合う。今回はとくだんの問題もなく、若手のひとりが呼びにあらわれるまで世間話に花が咲いた。
「宴会の準備ができたっす!! 皆さん、食堂にどうぞ!!」
という航に、
「よーし! 飲むぞー☆」
元気いっぱいの疾風、はやくも陸酔いで青い顔をしている鬼蜘蛛丸は、
「俺も……。酒で陸酔い忘れてえ……」
悲しげにぼやく。
それから気づいたようだ。
「蜉蝣兄貴、陸酔いされてないみたいっすね」
そう言われて蜉蝣も気がついた。
「うむ。そういえばそうだな……」
さすがにキャリアの差か、陸酔い度は鬼蜘蛛丸より激しいはずの彼だ。これは妙なことだった。
「あまり酒も飲みてえとは思わんが……」
とはいえ宴会だ。とりあえずほかの面々とともに、食堂へむかう。
その途中で、また転倒しそうになった。
「うお……」
またしても、なにもないところでだ。いつもの廊下だ。お留守番役の若手がきちんと掃除しているので、障害物や汚れなどはなかった。
「ど、どうしたんすか! 蜉蝣兄貴!」
陸酔いながらも背後から鬼蜘蛛丸が支えてくれる。兵庫水軍随一のでかさを誇るこの男は、こういうときひどく頼りになる。
「いや……。どうしたんだろうな」
蜉蝣本人にもわけがわからない。自分の足につまずいたというわけでもない。そんなアホなまねができるほどくだけた人格じゃない。
そして鬼蜘蛛丸にも言われた。
「兄貴、なんか熱いすよ。お熱があるんじゃないすか?」
でかいてのひらで、疾風がそうしたように蜉蝣の額にふれてくる。
「やっぱ熱いす。俺、ふつうの人より平熱高いほうだけど。蜉蝣兄貴のほうが熱いっす」
疾風と似たようなことを言うのだ。しかし蜉蝣には自覚がない。
「いや……。自分じゃべつに異常は感じられんが……」
そうこうしながら食堂にたどりつく。
楽しい大宴会はそれはそれは楽しく、若手たちの一発芸あり、疾風のセクハラまがいのヌードショーあり、非常に盛り上がった。
その途中から、蜉蝣はやっと自覚症状を覚えてきた。
(美味くねえ……)
酒がまずい。のだ。
もともとさほど飲むほうじゃない。酒好きじゃない、というだけで、飲めと言われれば底なしに飲めるが、今夜の酒は味がしなかった。
「これ……。水か?」
ためしに隣にお酌にきていた舳丸に聞いてみる。
東南風についで非常に口数の少ないこの男の答えは、簡単だった。
「酒っす」
「そうか……」
首をかしげる蜉蝣。舳丸も不思議そうに首をかしげ、同じ銚子から手酌で舐めてみる様子。
そして例によって短い言葉で。
「やっぱ酒っす」
「そうか……」
おおまじめな舳丸に、おおまじめな蜉蝣だ。このやりとりをそばで見ていた重が、
「どしたんすか?」
と、やってくる。こっちはいいように酔っ払って、ひどく楽しい酒らしい。
「蜉蝣兄貴も踊りましょうよー♪ みよちゃんも、ホラ☆」
酔うと『みよちゃん』呼ばわりができるくらいにひらきなおってきたようだ。若手ふたりの恋(?)は、蜉蝣も承知している。仲良きことはよきことかな、と、水練ふたりの恋(?)を、ひそかに応援してもいた。
だが、重と舳丸に両側から腕をつかまれ、よくわからない踊りの輪に入れられようとして。
「…………」
蜉蝣は戸惑った。
重と舳丸も同様だった。
「? 蜉蝣兄貴?」
と舳丸。
「どしたんすか? 飲みすぎ?」
とは重。
けっして飲みすぎてはいない。ふだんにくらべて極端に酒量は少ない。なにしろ味がしないのだ。うまくないからたいして飲んでいなかった。
なのに、脚が立たない……。のだ。
「おかしいな」
しごく冷静に蜉蝣は答える。舳丸は無表情に、重は表情豊かにびびったようだ。
「おかしいっす!! だいじょうぶっすか!?」
と重。その叫びに構成員たちも集まってくる。
だが、クールな切れ者・蜉蝣としては、ことをおおごとにしたくない。
「いや……。大丈夫だ。なんでもねえ」
いちおう言ったが、却下された。
由良四郎が進み出て、蜉蝣の額に手を当てたのだ。
「すごい高熱だよ。よく意識を保っていられるね……」
へんなところで感動されてしまった。
「足腰立たないだろう? だれか、担架用意して」
兵庫水軍随一の知性派、いざとなったら船医の役目もこなす由良四郎だ。若手がそれ! とばかりに担架を取りに走る。
「いや、私は平気だ。担架なんてそんな……。おおごとにしないでくれ……」
という蜉蝣の抵抗はむなしい。
あっというまに担ぎ上げられ、担架に乗せられ、えっほ、えっほ、と私室に運びこまれてしまったのだった。
『蜉蝣兄貴・病に倒れる』の報は、宴会さわぎのおかげでなしくず的にすぐに忘れられた。
(よかった……)
あくまでおおごとにしたくない蜉蝣だ。私室でひとり、布団にのびていた。
遠くからどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。
(明後日にはまた警固で出航だしな。今のうちにみんな、羽目をはずしておくといい……)
などと、病だというのに構成員たちのことを思いやってしまうのはこの男の習性だ。
いちおう由良四郎のみたてでは、『たぶん風邪?』というアバウトなものだった。詳しい診断は専門医に診せなければわからないのだ。
(悪いものは食ってねえし、寝冷えした覚えもねえし……。いつも通りに生活してたつもりだが)
蜉蝣のようにまじめな男には、病はすなわち『自己管理のずさんさ』になってしまうのだ。そこで余計な責任感を覚えてしまう。
(船上で転んだときからおかしかったんだな、。ということは、寄航先でなにかあっただろうか……)
原因を追究しているうちに、由良四郎に強引に飲ませられた安定剤が効いてきた。
いつのまにか眠ってしまっていた。
目覚めると、酒臭かった。
(…………)
朝陽がさしこんでいた。よって室内はよく見えた。
蜉蝣の布団に、ふとどきにも同衾している者がいた。
「おまえ……」
疾風だった。いい感じに酒臭さをただよわせ、いびきをかいて蜉蝣に抱きついている。
「起きろ」
蜉蝣は蹴飛ばしてやった。それで疾風も目を覚ました。
「うーん……。あ、元気になったか?」
疾風は異様に寝起きがいい。目があいた瞬間に100パーセント全開に脳が活動する男だ。対する蜉蝣は、寝起きはあまりよくない。彼の脳を起動させるのは、あくまで自分は四功で幹部だという責任感だ。
疾風は起き上がりながら、蜉蝣の額に手を当ててきた。
「だめだな。まだ熱いぜ。昨日より」
「…………」
「気分どう? 腹減ってる?」
たずねるので、蜉蝣はうんと険悪に答えてやった。
「……酒臭え。気分悪い」
疾風は悪びれずにヘラリと笑った。
「ゴメン☆ んじゃ、酒気が抜けたらまた来るわ♪」
と、部屋を出てゆく。
「お大事にな~~~♪」
との言葉を残して。
蜉蝣は溜息をついた。
疾風とは赤ん坊のころからの付き合いだ。先代お頭の時代に水軍館前に置き捨てられていたのを、ここまで鍛えてもらったのだ。
幼なじみで、だれよりもよく知っている。
(いや。知っている、つもりだったが……)
蜉蝣とは対照的に、陸酔いもなく酒好き女好きケンカ好きで血の気も多い。粗忽というかおっちょこちょいな部分もある。同い年でキャリアがほとんど同じでも、第三協栄丸が使い物にならなくなったときに蜉蝣がリーダー役をまかせられるのは、その性格の違いが理由だった。
そのぶん疾風は若手たちに人気がある。蜉蝣よりは話しやすい親しみやすい人柄だからだ。ふたりはそうやって、自分たちの役割を無言のままに分担していた。言葉はいらないほどに、おたがいを知っているのだ。
(あいつなりに心配してるってことか。私のことを)
今朝の同衾を、蜉蝣はそう解釈した。
しかしながら、蜉蝣の病はなかなか好転しなかった。
「『たぶん風邪?』じゃ、ないかもしれませんねえ……」
枕元で声がしたので、目をあけた。
いつのまにかまた眠ってしまっていた。
若手たちにはひそかに鬼の霍乱と言われたこの病、第三第四と由良四郎が布団のそばにいた。
「熱が下がらないんですよ」
という由良四郎。
「解熱剤が効かないってことは……」
深刻そうに腕組みをする。蜉蝣はなんとか声を出す。
「いや、だいじょうぶっす。もうしばらく寝てれば治る……」
ところが由良四郎に制された。
「あんたねえ。いつもそうやって無理してっから。もういい年なんだから、我慢強いのもいいかげんにしなさいよ」
これは効いた。『いい年』の部分がとくに。
「う……」
蜉蝣だって、考えないわけじゃなかったのだ。半分眠りながら、
(私ももう若くねえってことか……)
などと。ただの風邪なら寝込んだことなどなかった。足腰が立たなくなるほどの高熱を発したこともだ。
いっぽう、第三第四はなにか相談する様子だ。
「とりあえず、明日からの任務はおまえは病欠だ」
と、第三。蜉蝣はなけなしの抵抗を見せる。
「いや、今夜じゅうに治ります。治します!!」
しかし第四は言った。
「そうは思えねえよ。専門医に診せねえといかんな。手配してくるわ」
と、部屋を出てゆく。
「ま、待ってくださいっす……」
蜉蝣の訴えはむなしい。鬼の霍乱は意外と重症だと、大幹部たちに判断されてしまったのだ。
My Sweet Darlin' 2
大幹部たちの判断は正しかった。
蜉蝣の熱は、翌朝になっても下がらなかったのだ。
第三第四は福富屋ルートで専門医を連れてきてくれた。その診断によると。
「いわゆる南蛮風邪ですね」
とのことだった。つまりインフルエンザだ。陸酔いも凌駕するほどの具合の悪さはそのせいだったのだ。
「ふつうの風邪とは違います。感染力が異常に強いこと、発熱が続くこと。関節の痛みや悪寒はありませんか?」
医師にたずねられ、朦朧とした頭で蜉蝣はかぶりをふる。
「関節も悪寒もねえっす……」
医師が言うには、
「とにかく安静第一です。あと、なるべく隔離して。他人との接触を避けること。食器や洗面具なども彼専用のものを用意してあげてください。そうしないと感染します」
とのことだ。
蜉蝣が海賊であることからして、
「先の寄航先でウイルスをもらってしまったんでしょうね。ほかの海賊さんはなんともありませんか?」
これには第三が答えた。
「具合の悪い奴はいねえっす。こいつだけ」
「それならよかった。たまたま疲れがたまっていたり、免疫力が低下していると感染しますから。あなたは少ーし、ご自分に無理をさせるのが得意なタイプじゃないですか?」
とまで見抜かれた。蜉蝣はぐうの音も出なかった。
けっきょく蜉蝣を置いて、船は出港したらしい。くやしかったが、布団の中で呻吟するしかない。
とはいっても水軍館にひとりきり、というわけじゃない。
お留守番役の若手たちがいるはずだ。陸でも仕事はそれなりにある。陸でしかできないこともある。
基本的に水軍館周辺の造園管理は若手が担当。洗濯・清掃などの下働き・小間使いも若手が担当。役付きが航海に出ているあいだは、来客応対や見回りの任務もある。いちおうこのあたりでは名門で鳴らした荒くれ海の男たちの館だ。どんな命知らずな道場破りやスパイや窃盗団が襲ってくるかわからないからだ。世間は悪に満ちているのだ。
医師は南蛮風邪専用の薬を置いていってくれた。飲んだらてきめんに眠くなり、蜉蝣はいいあんばいに意識を失った。
目を覚ましたのは、夕暮れが近くなってからだった。
がらりと私室の戸をあけられたのだ。
「おう! 今帰ったぜ!!☆」
疾風だった。蜉蝣は朦朧としつつもなんとか脳を起動させる。
「航海に出たんじゃなかったのか……」
起き上がろうとしたら、止められた。
疾風は言った。
「や、俺は辞退した」
あまりにも軽く言うので、蜉蝣はあっけにとられた。平常心なら多少怒っていたかもしれない。しかし今は発熱でそれどころじゃない。
「どうして……。四功だろう。なにかあったとき困るだろう。おまえには責任感というものがないのか……」
叱る言葉にも力がない。疾風は例によって悪びれない。
「由良ちゃんと鬼蜘蛛丸がいるしー。なんとかなんだろ」
なぜにこの男はこう軽いのか……。
しかもたらいと手ぬぐいセットを持ってきていた。
「なんのつもりだ……」
「おまえの看病すんの♪」
疾風は室内に入ってくると、戸をしめた。てきぱきと手ぬぐいをたらいの水にひたし、蜉蝣の額をぬぐうのだ。
「やめろ。感染するぞ……」
「俺、おまえと違ってストレス溜めないしー。免疫力低下っておもにストレスが原因なんだってさ。道々、お医者さんにいろいろ聞いた」
「? 道々?」
「お頭が昨日、福富屋さんに医者紹介してもらえって指令出してさ。若手が行こうとしたんだけど、俺が立候補したの。そんで超早がけでお連れしにいって、今お送りして帰ってきたとこ」
だから『今帰ったぜ☆』だったわけだ……。
と、やはりぼんやりした頭で蜉蝣は考える。
(私のためにか? どうしてそこまで……)
四功だ、というだけじゃない。疾風には疾風の仕事があるはずだ。そういったもろもろのことを放り出してまで、医師を迎えにいって送ってくるなんて。
あまつさえ、感染の危険があるというのに看病するなどという。蜉蝣は困惑した。
「背中支えてやっから。ちょっとだけ起きられるか?」
「うむ……」
と、上半身を起こすだけで、軽くめまいがする。かたわらの疾風によりかかる姿勢になった。
「おっと。ちょっと我慢な。背中拭いてやっから。……って、我慢強すぎて病気になっちまったんだよなあ。おまえ」
「余計なお世話だ……」
疾風にぬぐってもらうのは、気持ちがよかった。袖を抜かれ、首筋から腰のあたりまで、まんべんなくふいてくれる。
「相変わらずいい体♪」
疾風はうっとりと言った。
「おまえだってそうだろう……」
蜉蝣はクールに答えた。なにしろ幼なじみだ。今だって一緒に入浴したり、下帯一枚で海に入ったりもしている。
「俺の知らねえ傷、ねえもんな……」
無数に傷のある蜉蝣の肌を、なんのつもりか、疾風は指でなぞって。
「おまえこそ。私の知らない傷なんてないだろう……」
「だよな☆」
疾風はにっこりと笑った。ここでなぜその微笑か、朦朧としている蜉蝣にはわからない。
疾風は新しい夜着を出してくれて、着せかけてくれた。
「ホントは下のほうも拭いてやりたいけどー♪」
などという。
蜉蝣は朦朧としていた。
あくまでも朦朧としていたのだ。
だから平常心のときには絶対に言わないだろうことを言ってしまった。
「なら……。頼む……」
と。
疾風はギョッとしたようだった。
「えっいいの!?」
「かまわん……」
熱で朦朧とした蜉蝣には、もうなにもかもがどうでもよかったのだ。それだけは言える。
ところが疾風はいそいそと、掛け布団をはいだ。蜉蝣の気が変わらないうちに、とでもいうつもりか。異様に早い手さばきで、夜着をひらいて下帯を解く。
「うーん。ノーマル状態でもナイスサイズ……」
なにに感動しているのか、それでも疾風はかいがいしく蜉蝣を清拭してくれた。
「おしものお世話もしてやりてえくらいだぜ☆」
「そこまではいい……」
便所には意地で這って通っている。そもそもほとんど食事をとっていないので、出るものもほとんどないのだ。
それよりも、寒気がしてきた。体をぬぐわれ着替えさせられたせいだろう。一時的に体温が低下したのだ。
蜉蝣が震えると、敏感に疾風は察したようだ。
「悪寒か?」
「わからん……。寒い」
掛け布団をかけられても震えが止まらない。
「熱性痙攣とかじゃねえよな。意識あるもんな」
「あるぞ。朦朧としてるが……」
すると、疾風はぱっぱと裸になった。下帯一枚のセクシースタイル、蜉蝣の布団にもぐりこんでくる。
「おい。感染……」
蜉蝣は止めたが、そんなことを聞く疾風じゃないことも知っている。
「人肌であっためるのがいちばん! だろ?」
と、ぎゅーーーーーっとくっついてくるのだ。
のみならず、蜉蝣の頭を抱き寄せて、腕枕までしてくる。なにを考えているのかさっぱりわからない。
「おまえ……。そういうことは、色町でいい女とやれ……」
また薬が効いてきた。震えつつも半分眠りながらつぶやいた蜉蝣には、疾風の答えは聞こえなかった。
「いい女はいっぱいいるけどね。……おまえはひとりしかいねえからな」
しばらく蜉蝣の寝息を聞いていた。
苦しそうではなかった。深い呼吸で眠れているようだった。
(あの先生の薬、すげー効くんだな。さすが専門医)
疾風はひとりごちる。そうして、少し身動きしてみた。
腕枕の手を抜いても、蜉蝣は眠ったままだった。
眠るときでも眼帯をはずさない。片目を失ったときの傷が、眼帯からはみ出している。それを、そっと指でなぞって。
(あんときもムチャしたよなあ。……こいつ)
若いころの思い出がよみがえる。自分だって頬に傷がある。おたがいにムチャをしながらここまできたのだ。
(病気なんかで死ぬなよな)
疾風が医師から得た情報は、免疫力に関することだけじゃなかった。
南蛮風邪はこじらせると恐ろしい、ということも。
(年寄りや子供は死ぬこともあるって……)
常日頃から鍛錬を欠かさない、体力のある蜉蝣だ。大丈夫だとは思うが、やはり心配だ。
「…………」
疾風はなぞっていた傷から指を離した。かわりに唇をつけてみた。
傷の部分だけ、でこぼこかさかさした感じがした。
(う……。止まんねえかも)
蜉蝣が深く眠っているのをいいことに、唇にもキスしてみた。そっとふれてすぐに離れた。それ以上続けたら股間がやばいことになりそうだったのだ。
(なにしろ俺、下帯一枚のセクシースタイルだしー)
やはり蜉蝣は気づかない。割れアゴをくすぐっても、髭を撫でてみても。
どこもかしこも、疾風には愛しくてたまらない蜉蝣のパーツだ。
(気づいてねえ……。んだろうなあ……)
ちょっぴり甘くせつなくそう思う。なにしろ一緒にいた時間が長すぎた。疾風自身だって、ごく最近までこの気持ちに気づかなかった。
蜉蝣が鬼の霍乱で倒れるまでは。
(でも、今は……)
蜉蝣がいなくなったらどうしよう、と、目が回るようなひどい不安に襲われた。それで気づいたのだ。
(これはつまりアレだろ。若ぇ奴らがいろいろモメたりヨリを戻したりしてるようなアレだろ!?)
と、自分でもびっくりだ。楽天家であまりものに動じたことのない彼にとっては、青天の霹靂だった。
こんなにも身近に、「アレ」があっただなんて。
おたがいに髭まで生やしたいい年だ。四功で幹部だ。それでもいやおうなく「アレ」はやってくるのだと、疾風ははじめて知った。
もう一度、ぎゅっと蜉蝣に抱きついてみた。身長は少し蜉蝣のほうが高い。体重はほとんど同じくらいだろう。
彼の匂いはなつかしく愛しく、ふだんたいしてデリケートでもない疾風の胸を、いっそうせつなくさせた。
疾風は甲斐甲斐しく蜉蝣の看病を続けた。
居残り組の若手たちが感動するほどだった。
「さすが疾風兄貴! ホントは蜉蝣兄貴を大切に思ってたんすね!」
「ふたりの友情の絆は固ぇんだ!!」
と、涙を誘ったりもした。疾風的には友情だけでもないのだが、そのへんはヘラリと笑ってごまかした。
「だってよう、若ぇおまえらに感染するとまずいじゃん? 俺ならじょうぶだし~~~♪」
蜉蝣の洗濯物を洗ったりもするのだ。夜は蜉蝣の部屋で寝る。深夜に容態が急変するといけないからだ。
なにからなにまで疾風は尽くす男と化していた。
蜉蝣の熱は一進一退が続いた。少し下がってきたときには、白湯や粥ていどなら食べられるようになっていた。疾風は食事介助もした。
「たんと食え! 食えば治る!」
「だといいがな……」
相変わらず熱のせいで頭は朦朧としているらしい。蜉蝣は機械的に粥をすすっては薬を飲み、床につく。
「体力落ちそうだ。参ったな……」
「治ったらまた鍛錬すりゃいいの! 俺が相手になってやる!」
この甲斐甲斐しさは蜉蝣にも不思議だったようだ。
「おまえ、ヒマなのか?」
などと聞いてくる。それはそうだろう。今までのふたりの関係からして、疾風がここまで熱心に蜉蝣の面倒を見るのは少し不自然だからだ。おたがいに責任ある立場で、それぞれの面倒は自分でみられるいい大人だ。幼いころから対等の立場だったから、それがとうぜんだと蜉蝣は思っていた。
そもそも看病は居残り組の若手にまかせて、航海に出ていたはずだ。
「ヒマじゃねえよ。若手と一緒に草むしりしてるぜ」
疾風は苦笑する。自分だっていまさら気づいたのだから、堅物の蜉蝣が気づくはずがない……「アレ」に。
正直言って、疾風自身もその気持ちをもてあましていた。「アレ」じゃない、はっきりと単語で表現するのは照れくさくてできない。自分の中でさえも、できればなかったことにしておきたい。
(でも、だめだ。俺は気づいちまった)
そして疾風は自分自身に正直な男だ。嘘はつけない。気づかなかったことにはできない。
だから「アレ」なのだ。
(気づいてほしいのかな)
蜉蝣にも、「アレ」に?
そんなわがままも心のどこかにある。けれども今は、とにかく蜉蝣の病を治すことが先決だ。
「はやく元気になってくれよ」
言ってやると、蜉蝣は弱々しくも苦笑した。
「だれより私がそう願ってるよ」
今は剃髪して道鬼と号している山本勘助は、夜中雷の音で目覚めた。
轟音と激しい雨音に混じって、小さな足音がこちらへと近づいてくるのが聞こえる。
(やれやれ)
勘助が枕元の眼帯を拾い上げて結び終えたのと、寝所と次の間を隔てる襖が開いたのとはほぼ同時だった。
「旦那様……!」
開いた戸から橙色の塊が勘助めがけて突進してきた。
リツを抱きとめた勘助の背後、明り取りの障子を透かして稲光が光る。
──雷。
可愛らしい外見をしているくせに恐ろしく知恵が回り、なまじそのあたりのの武将などよりもよほど胆力のあるリツが、
この世で恐れる唯一のものである。
養女となって始めての雷雨の夜、リツがこのように勘助の寝所に逃げ込んで来た時には、
勘助は、彼女が雷を口実に夜這いをかけてきたのでは、と疑った。
後日、実父の原美濃守にそれとなく探ったところ、この娘が幼い時より、
「雷だけには弱い」
というのはまことで、実家でも父の寝所に潜り込んでいたということを聞いた。
以後、この養女が雷が鳴る度に大騒ぎするのに、甘んじてつき合ってやっている次第である。
それが父親の役目というのならば仕方ないが、なにか納得いかないものを感じている勘助ではあった。
「これ、たかが雷ごときにそのようにおびえるでない」
「怖いものは仕方がないではありませぬか」
「が、いつまでも雷が怖いと父に甘えてどうする。子供ではあるまいに」
「されど、旦那様のほかにこの館に助けを求められる者などおりませぬ」
勘助の脳裏にこの家の他の住人──伝兵衛に太吉夫婦、茂吉らの顔が浮かんだ。
確かに、おくまはともかく、ほかの者にリツの取り乱した姿を見せたくはない。
勘助は溜め息をついた。
「だから常日頃早う婿を取れと申しておるのじゃ」
「それとこれとは別でござりまする!……きゃっ」
一際大きな雷鳴に勘助の胸にぐりぐりと顔を押し付けてきたリツの背中を、勘助は仕方なくさすってやった。
「……しかしあの鬼美濃殿の娘でありながら、雷が恐いとは面妖至極……」
勘助は武田家に仕官したばかりの頃、雄たけびを上げながら自分に向けて剣を振りかざした原美濃守の形相を思い出しながら言った。
「は? なにゆえでございますか」
「あのお方は見た目といいお声といい、まこと雷神のごときではないか」
リツが顔を上げ反駁する。
「何をおっしゃいますか。父上はところ構わず落ちて来てドシーン!!とかバリバリ!!などと恐ろし気な音でわたくしを脅かしたり、
お宮の杉の木を真っ二つにしたりはいたしません!」
怖がっているわりには、身振り手振りを交えて熱弁するリツである。
「矢や刃なら防ぎようもありますが、どこに落ちるかわからぬものからは、逃れようがありませぬ。だからこそ恐ろしいのではありませんか」
「……それではわしの側におったところで詮無きことではないか?」
リツはブンブンと頭を振った。
「いいえ。一人でいるよりはずっとずっと心強うございます。それにアレは一人で居る女子を選んで落ちるものと聞いておりまする」
リツは雷、という言葉を口にするのもイヤなようである。
「アレは女子のへそが大好物なのだと乳母も申しておりました」
いったいこの娘は現実的なのか迷信深いのか……。その発言の矛盾を突こうと口を開けた勘助を、リツは潤んだ瞳で黙らせた。
「どうぞ、もうしばらくお側にいさせてくださいませ。後生でございます」
そんなやり取りを繰り返すうち、稲光と雷鳴との合間はどんどん短くなっている。
やがて一際鮮やかな閃光が部屋を白く染め、地震のように館が揺れた。
雷は近くに落ちたらしい。
「いやあ……っ!!」
リツが飛び上がって勘助の首にしがみついた。
「落ち着け、落ち着くのじゃ。取り乱すでない」
それはリツにではなく、むしろ自分へ向けた言葉だった。声が裏返ったのは雷のせいではない。
夏のことで夜着の布地は薄く、胸に押し付けられた乳房が、勘助の中枢に生々しい感覚を伝える。
出家し、齢五十を過ぎたとは言え、毎日鍛練を欠かさぬ勘助の体は頑健そのもので、そして十分にまだ「男」である。
心臓がばくばくと波打つ中、必死に養女をなだめる言葉を探す。
「案ずるな、わしがついておる!だから、もそっと離れよ、の?」
リツのしがみつく力はゆるまない。いったいこの細い体の一体どこにこのような力があるというのか。
恐怖のために速くなっている鼓動が、細かい身の震えがたまらなく愛おしい。
この愛おしさは父親の感情か。
恐らく──否である。
が、この娘を妻でなく養女にすることを決めたのは己だ。
そうしたことには様々な理由があったが、
若く美しい娘を、自分のような老いぼれの妻とするのはあまりに不憫。
リツにとってもよかれと思ってしたことだ。だから悔いてはいない。
この娘には、もっとほかに相応しい男がおる。己が由布姫様に捧げたように、この娘を真摯に愛し、
己よりもはるかに長く娘の側にいてやることのできる、若く強い男が。
しかし、その一方で思っているのだ。
この愛おしい娘を、誰にも触れさせたくない。
この腕の中にいる娘を守る役目を、近い将来ほかの男に委ねなければならぬと思うと、
勘助は身を焼かれる心地がした。
なんという欺瞞だ。
自分は、持ち込まれぬ縁談に鼻もひっかけないリツを叱咤しながら、実はそのたびに胸を撫で下ろしているのだ。
勘助は目を閉じた。
瞼の裏には、乱れた裾からこぼれ出したリツの脛が、雷光で白く焼き付いている。
リツの頬が勘助の首筋にぴたりと張り付く。その滑らかな感触に勘助は総毛立った。
乱れた息遣い、髪の匂い、わずかに震える温もり。その全てが勘助の理性を揺るがす。
勘助は腕の中に、リツの体と己の煩悩を、必死に封じ込めた。
*
「はああ……生きた心地が致しませなんだ」
リツがため息混じりに言った。
雷は去り闇が戻った寝所をぼんやりと常夜灯が照らしている。
雨はまだ降り続いているようだ。
すがりつくリツに押し切られて、褥に仰向けに倒れてしまっている勘助に、リツが覆いかぶさっている。
「……いつまでそうしておるか。早うどけ」
手を振って追い払おうとする勘助の首に、リツはくすくす笑いながら抱きついた。
「よいではありませぬか、もう少し甘えさせてくださいませ、旦・那・様」
「調子に乗るでない!」
勘助は体を起こしてリツを振り払い、乱れた襟元を正した。
生きた心地がしなかったのはこちらの方である。
リツの女体に掻き立てられた血の猛りは、いまだ鎮まらず、勘助の体のあちこちでくすぶっている。
父として接するのはもう限界なのかもしれぬ──。
今宵という今宵はそれを思い知らされた。
日々艶やかさ重ねていく娘に、いつか取り返しのない過ちを犯してしまう前に──
勘助は居ずまいを正した。
「──リツ」
「はい」
「一日も早く婿を取るのじゃ」
「またその話でございまするか──聞きとうございませぬ」
リツはぷいっと膨れて横を向いてしまった。
「聞け。わしはもう老いぼれじゃ。いつまでもそなたを守ってはやれぬのだ」
「──そうは思えませぬが?」
リツが勘助の体に意味ありげな視線を這わせた。
勘助はたじろいだ。己の欲望の気配を悟られていたのか。
不穏に騒ぐ鼓動を抑え、強いて父親らしい厳しい顔と声を作る。
「──よいから、何も言わずに、次にわしが連れてきた男を婿とするのじゃ。よいな。もうこれ以上先延ばしにすることは許さぬ」
勘助のただならぬ物言いに、リツの顔からすっと表情が消えた。
どれほど雨音を聞いただろうか。
リツは口を開いた。
「わかりました。おっしゃる通りにいたします」
虚ろな瞳はそのままに、リツは口元だけを動かしている。
自分で言い出したことだが、あまりのあっけなさに、勘助は少し拍子抜けした。
「……そ、そうか。うむ。よくぞ申した。では早速──」
「ただし」
望む答えを得た割には、力のない勘助の声を、リツの強い声が圧する。
「一つだけ条件がございます。──私を一夜だけ旦那様の妻にしてくださいませ」
一瞬その言葉の意味を理解できず、勘助はきょとんとした。
リツが手で己の顔を覆い、搾り出すように言う。
「この家に養女として参った時には、覚悟ができていたと思ったのです。旦那様の妻になれないのであれば、
相手が誰であっても同じこと──ならば、旦那様がお選びになった方を夫として受け入れようと。
……されど、やはりイヤ。私は旦那様でないとイヤ」
馬鹿なことを申すな、と言うつもりだったが、勘助は声が出なかった。
リツの顔が苦しそうに歪む。
「だから、せめて一夜だけでよいのです。お情けをいただければ、私は誰とでも祝言を挙げてさしあげます。
茂吉でも伝兵衛でも、誰であっても否やは申しませぬ。ただ一夜、旦那様が私を抱いてくだされば──」
リツが思いのたけを全てを吐き出し終わる寸前、灯火が急に激しく揺れた。
燃え尽きる寸前に一際大きく燃え上がった炎が、涙に濡れたリツの貌を照らし、消えた。
燈芯が尽き果てて真の闇に包まれた部屋を、再び雨の音が包んでいる。
「……愚かなことを申しました。お忘れくださいませ。道鬼様」
部屋に沈んでいた湿った空気がゆらりと動き、リツの足音が廊下を遠ざかっていくと、
勘助は、宙に浮かしたままリツに届かなかった腕を、はた、と褥に落とした。
「わしは……間違ってはおらぬ」
リツを妻ではなく娘とした己の選択を、誤りではないと思いながらも、
胸を押さえられるような苦しさに、勘助はその夜眠ることができなかった。
おわり
轟音と激しい雨音に混じって、小さな足音がこちらへと近づいてくるのが聞こえる。
(やれやれ)
勘助が枕元の眼帯を拾い上げて結び終えたのと、寝所と次の間を隔てる襖が開いたのとはほぼ同時だった。
「旦那様……!」
開いた戸から橙色の塊が勘助めがけて突進してきた。
リツを抱きとめた勘助の背後、明り取りの障子を透かして稲光が光る。
──雷。
可愛らしい外見をしているくせに恐ろしく知恵が回り、なまじそのあたりのの武将などよりもよほど胆力のあるリツが、
この世で恐れる唯一のものである。
養女となって始めての雷雨の夜、リツがこのように勘助の寝所に逃げ込んで来た時には、
勘助は、彼女が雷を口実に夜這いをかけてきたのでは、と疑った。
後日、実父の原美濃守にそれとなく探ったところ、この娘が幼い時より、
「雷だけには弱い」
というのはまことで、実家でも父の寝所に潜り込んでいたということを聞いた。
以後、この養女が雷が鳴る度に大騒ぎするのに、甘んじてつき合ってやっている次第である。
それが父親の役目というのならば仕方ないが、なにか納得いかないものを感じている勘助ではあった。
「これ、たかが雷ごときにそのようにおびえるでない」
「怖いものは仕方がないではありませぬか」
「が、いつまでも雷が怖いと父に甘えてどうする。子供ではあるまいに」
「されど、旦那様のほかにこの館に助けを求められる者などおりませぬ」
勘助の脳裏にこの家の他の住人──伝兵衛に太吉夫婦、茂吉らの顔が浮かんだ。
確かに、おくまはともかく、ほかの者にリツの取り乱した姿を見せたくはない。
勘助は溜め息をついた。
「だから常日頃早う婿を取れと申しておるのじゃ」
「それとこれとは別でござりまする!……きゃっ」
一際大きな雷鳴に勘助の胸にぐりぐりと顔を押し付けてきたリツの背中を、勘助は仕方なくさすってやった。
「……しかしあの鬼美濃殿の娘でありながら、雷が恐いとは面妖至極……」
勘助は武田家に仕官したばかりの頃、雄たけびを上げながら自分に向けて剣を振りかざした原美濃守の形相を思い出しながら言った。
「は? なにゆえでございますか」
「あのお方は見た目といいお声といい、まこと雷神のごときではないか」
リツが顔を上げ反駁する。
「何をおっしゃいますか。父上はところ構わず落ちて来てドシーン!!とかバリバリ!!などと恐ろし気な音でわたくしを脅かしたり、
お宮の杉の木を真っ二つにしたりはいたしません!」
怖がっているわりには、身振り手振りを交えて熱弁するリツである。
「矢や刃なら防ぎようもありますが、どこに落ちるかわからぬものからは、逃れようがありませぬ。だからこそ恐ろしいのではありませんか」
「……それではわしの側におったところで詮無きことではないか?」
リツはブンブンと頭を振った。
「いいえ。一人でいるよりはずっとずっと心強うございます。それにアレは一人で居る女子を選んで落ちるものと聞いておりまする」
リツは雷、という言葉を口にするのもイヤなようである。
「アレは女子のへそが大好物なのだと乳母も申しておりました」
いったいこの娘は現実的なのか迷信深いのか……。その発言の矛盾を突こうと口を開けた勘助を、リツは潤んだ瞳で黙らせた。
「どうぞ、もうしばらくお側にいさせてくださいませ。後生でございます」
そんなやり取りを繰り返すうち、稲光と雷鳴との合間はどんどん短くなっている。
やがて一際鮮やかな閃光が部屋を白く染め、地震のように館が揺れた。
雷は近くに落ちたらしい。
「いやあ……っ!!」
リツが飛び上がって勘助の首にしがみついた。
「落ち着け、落ち着くのじゃ。取り乱すでない」
それはリツにではなく、むしろ自分へ向けた言葉だった。声が裏返ったのは雷のせいではない。
夏のことで夜着の布地は薄く、胸に押し付けられた乳房が、勘助の中枢に生々しい感覚を伝える。
出家し、齢五十を過ぎたとは言え、毎日鍛練を欠かさぬ勘助の体は頑健そのもので、そして十分にまだ「男」である。
心臓がばくばくと波打つ中、必死に養女をなだめる言葉を探す。
「案ずるな、わしがついておる!だから、もそっと離れよ、の?」
リツのしがみつく力はゆるまない。いったいこの細い体の一体どこにこのような力があるというのか。
恐怖のために速くなっている鼓動が、細かい身の震えがたまらなく愛おしい。
この愛おしさは父親の感情か。
恐らく──否である。
が、この娘を妻でなく養女にすることを決めたのは己だ。
そうしたことには様々な理由があったが、
若く美しい娘を、自分のような老いぼれの妻とするのはあまりに不憫。
リツにとってもよかれと思ってしたことだ。だから悔いてはいない。
この娘には、もっとほかに相応しい男がおる。己が由布姫様に捧げたように、この娘を真摯に愛し、
己よりもはるかに長く娘の側にいてやることのできる、若く強い男が。
しかし、その一方で思っているのだ。
この愛おしい娘を、誰にも触れさせたくない。
この腕の中にいる娘を守る役目を、近い将来ほかの男に委ねなければならぬと思うと、
勘助は身を焼かれる心地がした。
なんという欺瞞だ。
自分は、持ち込まれぬ縁談に鼻もひっかけないリツを叱咤しながら、実はそのたびに胸を撫で下ろしているのだ。
勘助は目を閉じた。
瞼の裏には、乱れた裾からこぼれ出したリツの脛が、雷光で白く焼き付いている。
リツの頬が勘助の首筋にぴたりと張り付く。その滑らかな感触に勘助は総毛立った。
乱れた息遣い、髪の匂い、わずかに震える温もり。その全てが勘助の理性を揺るがす。
勘助は腕の中に、リツの体と己の煩悩を、必死に封じ込めた。
*
「はああ……生きた心地が致しませなんだ」
リツがため息混じりに言った。
雷は去り闇が戻った寝所をぼんやりと常夜灯が照らしている。
雨はまだ降り続いているようだ。
すがりつくリツに押し切られて、褥に仰向けに倒れてしまっている勘助に、リツが覆いかぶさっている。
「……いつまでそうしておるか。早うどけ」
手を振って追い払おうとする勘助の首に、リツはくすくす笑いながら抱きついた。
「よいではありませぬか、もう少し甘えさせてくださいませ、旦・那・様」
「調子に乗るでない!」
勘助は体を起こしてリツを振り払い、乱れた襟元を正した。
生きた心地がしなかったのはこちらの方である。
リツの女体に掻き立てられた血の猛りは、いまだ鎮まらず、勘助の体のあちこちでくすぶっている。
父として接するのはもう限界なのかもしれぬ──。
今宵という今宵はそれを思い知らされた。
日々艶やかさ重ねていく娘に、いつか取り返しのない過ちを犯してしまう前に──
勘助は居ずまいを正した。
「──リツ」
「はい」
「一日も早く婿を取るのじゃ」
「またその話でございまするか──聞きとうございませぬ」
リツはぷいっと膨れて横を向いてしまった。
「聞け。わしはもう老いぼれじゃ。いつまでもそなたを守ってはやれぬのだ」
「──そうは思えませぬが?」
リツが勘助の体に意味ありげな視線を這わせた。
勘助はたじろいだ。己の欲望の気配を悟られていたのか。
不穏に騒ぐ鼓動を抑え、強いて父親らしい厳しい顔と声を作る。
「──よいから、何も言わずに、次にわしが連れてきた男を婿とするのじゃ。よいな。もうこれ以上先延ばしにすることは許さぬ」
勘助のただならぬ物言いに、リツの顔からすっと表情が消えた。
どれほど雨音を聞いただろうか。
リツは口を開いた。
「わかりました。おっしゃる通りにいたします」
虚ろな瞳はそのままに、リツは口元だけを動かしている。
自分で言い出したことだが、あまりのあっけなさに、勘助は少し拍子抜けした。
「……そ、そうか。うむ。よくぞ申した。では早速──」
「ただし」
望む答えを得た割には、力のない勘助の声を、リツの強い声が圧する。
「一つだけ条件がございます。──私を一夜だけ旦那様の妻にしてくださいませ」
一瞬その言葉の意味を理解できず、勘助はきょとんとした。
リツが手で己の顔を覆い、搾り出すように言う。
「この家に養女として参った時には、覚悟ができていたと思ったのです。旦那様の妻になれないのであれば、
相手が誰であっても同じこと──ならば、旦那様がお選びになった方を夫として受け入れようと。
……されど、やはりイヤ。私は旦那様でないとイヤ」
馬鹿なことを申すな、と言うつもりだったが、勘助は声が出なかった。
リツの顔が苦しそうに歪む。
「だから、せめて一夜だけでよいのです。お情けをいただければ、私は誰とでも祝言を挙げてさしあげます。
茂吉でも伝兵衛でも、誰であっても否やは申しませぬ。ただ一夜、旦那様が私を抱いてくだされば──」
リツが思いのたけを全てを吐き出し終わる寸前、灯火が急に激しく揺れた。
燃え尽きる寸前に一際大きく燃え上がった炎が、涙に濡れたリツの貌を照らし、消えた。
燈芯が尽き果てて真の闇に包まれた部屋を、再び雨の音が包んでいる。
「……愚かなことを申しました。お忘れくださいませ。道鬼様」
部屋に沈んでいた湿った空気がゆらりと動き、リツの足音が廊下を遠ざかっていくと、
勘助は、宙に浮かしたままリツに届かなかった腕を、はた、と褥に落とした。
「わしは……間違ってはおらぬ」
リツを妻ではなく娘とした己の選択を、誤りではないと思いながらも、
胸を押さえられるような苦しさに、勘助はその夜眠ることができなかった。
おわり
近頃のリツは、どうも余計な知識を誰かから伝授されているらしい。
周りが面白がって、囃し立てるからいかんのだ。
このままでは鬼美濃殿に申し訳が立たぬ。
果てさて、如何致したものか…。
某、五十を越えてまで若妻を娶る積もりは毛頭ない。
元々隻眼破足、決して人好きせぬ外見もさることながら
家を栄えさせる事そのものに興味がない。
この様な男が伴侶では、余りにリツが不憫。
常々そう口に出しておるというに、わかって下さるのは
今の所忍芽様のみ。太吉から馬場殿、終いには諸角殿まで
「勘助、勿体無い事を申すな!それともお主、もう役に立たぬのか?」
などと相木殿のようなことを言う。
本当に役に立たぬのなら、むしろそれを理由に出来て有難いとまで思う。
未だ役に立つからこそ、こうして悩んでおるのではないか。
そうこうしているうちに、リツがまたとんでもない事をしてくれた。
先日風邪を引いてしまったようで、葉月に薬を頼んだのが拙かった。
何故目が覚めたら、手首が縛られておるのだ。
「旦那様、おはようございます。
頂いた練り菓子、たいそう美味しゅうございました。
今からお礼をしたいと思いますので、どうか暴れないでくださいね。」
満面の笑みでリツに言われ、何事か?と混乱しておる間に
その、下帯に手を掛けられて思わず叫んでしまった。
しかし、主が絶叫しておるというのに何故太吉は様子を見にこんのだ?
いや、見に来られても困ったことにはなったのだが。
「旦那様、お静かになさって下さい。」
咎めるように言われても…リツ、何か間違っておらんか?
こちらの静止の声も聞かず、覚束ない手つきながらも下帯を抜き取られる。
早朝の未だ力ない光とは言え、日の本とリツの興味深げな視線に晒されては
流石に起つ物も起たん。
これなら心配ないだろう、と情けなさはさておき安心しておったのに…。
誰だリツに尺八など教えたのはっっ?!!
ふいにリツの頭が下がった、と思いきや
ねっとりとした熱に一物が包まれ、予想外の刺激に思わず声をあげてしまった。
「うぁっ…な、な、何をしておるかリツっ?!」
「ですから、お礼を。
見ると実践するとではやっぱり違いますね。ええと、この辺り?」
口を離して、一体何処で何を見たのやら首を捻るリツ。
呆気なく起ち上がった雁首の辺りを舌でなぞられ、身体が跳ねるのを押さえられぬ。
先、裏筋と丹念に刺激されれば息が乱れ、声を抑えるのがやっと。
(このような事、一体誰が?どうやらこの手の縄は喇叭独特の縛り方。
という事は葉月か?あ奴、リツに何という事を…っ!!)
となんとか思考を逸らして耐えようとするも、物事には限界という物がある。
小さな口腔いっぱいに頬張られ、懸命に吸い上げられてはどうにもならん。
「ふっ…くぅ、リツ、やめっ…」
「ふぁふぇふぇほふぁいふぁふは(何故でございますか)?」
咥えながら上目遣いで喋るでない!もう些かも、身が持たぬ…。
こんなことでは鬼美濃殿にも姫様にも申し訳がたたん!
ましてや「由布、これで許してやれ」
と寛大に仰って下さったお舘様にも合わせる顔が…。
まて、お舘様?今は朝だ、ならば一つだけ理由は作れる!!
「リツっ…本日はどうしても、朝一番に出仕せよと、お舘様が…
だから、ひとまず離れてくれっ…」
リツにあったのは仕込まれた知識だけで、経験はないのが幸いだった。
男の身体を知り尽くしておれば、
「もう直に果てましょう?すっきりなさってからで宜しいではないですか。」
等と言われかねんところであった。
暴発寸前の一物を無理やり下帯に押し込め、着衣もそぞろに寝所を飛び出す。
背後でリツが、
「でしたら、お帰りになってから続きを致しますね。」
と申しておったような気がするが気のせいだろう。気のせいだと思いたい…。
朝餉を食い損ねた上、着崩れた衣のお蔭で本日はからかわれ通しだ。
駒井殿にまであの涼やかな調子で
「山本殿、袖から縄目の後が見え隠れしておりますよ。」
と指摘され、情けないやら腹が立つやら。
(それもこれも、リツに要らん事を吹き込んだ葉月!
あの喇叭、今度顔を見たら種子島の的にしてくれるわ!!)
そんなことをつらつら考えつつ種子島を眺めておると、
整備に呼ばれたのであろう、何時に無くにやけた顔の伝べえが姿を現した。
「あ、旦那様!…どうしただ?普段より一層怖い顔になってるだよ。」
「お主こそ、そのにやけた面はなんだ。何か良いことでもあったか…っ!」
いやいやそんなことねーだ、と手をふる伝べえの手首。
其処に残るのは、間違う事なき縄目の跡。
「…伝べえ、庭に直れ。」
「は?旦那様何言って…どうして泣いてるだ?
って旦那様種子島は人に向けちゃ危ねえってうわぁっっ?!」
「喧しいっ!!葉月は一体何をリツに吹き込んだ!
喇叭縛りなんぞ仕込んで、なんのつもりだっ!」
「うら知らねぇだよ!
なんであいつがやったことでって旦那様勘弁してくだせぇ~!!」
伝べえに逃げられ、苛ついていた所をお舘様に呼ばれた。
領民の為、出家なさるという。これぞ正に天の助け。
「某も共に出家いたしまする。
つきましては早速今晩にも手配致しましょう。」
「勘助、何もそう急ぐことは無いのだが…?」
「何を仰いますお舘様!兵は神速を尊ぶ、善は急げと申します。
ご心配召されるな、直にでも寺に使いをやりましょう!」
何となく不審げな眼を向けてこられるお舘様。
しかし「今晩の養女から逃れる為、出家したい」などとはとても言えぬ…。
こうして某山本信幸勘助は出家、名を道鬼と改めた。
屋敷に戻って伝べえに会うと、奴は目頭を押さえてこう言いおった。
「旦那様…心労で禿げる前に、剃っちまっただか。」
「伝べえ、もう何も言うな。」
勘助×リツ、大好きなのですが
この二人でエロ、となるとここまでしか書けませぬ。
第四次川中島前に大人の雰囲気で…な筆氏様おられましたら
どうかお願いいたします。
周りが面白がって、囃し立てるからいかんのだ。
このままでは鬼美濃殿に申し訳が立たぬ。
果てさて、如何致したものか…。
某、五十を越えてまで若妻を娶る積もりは毛頭ない。
元々隻眼破足、決して人好きせぬ外見もさることながら
家を栄えさせる事そのものに興味がない。
この様な男が伴侶では、余りにリツが不憫。
常々そう口に出しておるというに、わかって下さるのは
今の所忍芽様のみ。太吉から馬場殿、終いには諸角殿まで
「勘助、勿体無い事を申すな!それともお主、もう役に立たぬのか?」
などと相木殿のようなことを言う。
本当に役に立たぬのなら、むしろそれを理由に出来て有難いとまで思う。
未だ役に立つからこそ、こうして悩んでおるのではないか。
そうこうしているうちに、リツがまたとんでもない事をしてくれた。
先日風邪を引いてしまったようで、葉月に薬を頼んだのが拙かった。
何故目が覚めたら、手首が縛られておるのだ。
「旦那様、おはようございます。
頂いた練り菓子、たいそう美味しゅうございました。
今からお礼をしたいと思いますので、どうか暴れないでくださいね。」
満面の笑みでリツに言われ、何事か?と混乱しておる間に
その、下帯に手を掛けられて思わず叫んでしまった。
しかし、主が絶叫しておるというのに何故太吉は様子を見にこんのだ?
いや、見に来られても困ったことにはなったのだが。
「旦那様、お静かになさって下さい。」
咎めるように言われても…リツ、何か間違っておらんか?
こちらの静止の声も聞かず、覚束ない手つきながらも下帯を抜き取られる。
早朝の未だ力ない光とは言え、日の本とリツの興味深げな視線に晒されては
流石に起つ物も起たん。
これなら心配ないだろう、と情けなさはさておき安心しておったのに…。
誰だリツに尺八など教えたのはっっ?!!
ふいにリツの頭が下がった、と思いきや
ねっとりとした熱に一物が包まれ、予想外の刺激に思わず声をあげてしまった。
「うぁっ…な、な、何をしておるかリツっ?!」
「ですから、お礼を。
見ると実践するとではやっぱり違いますね。ええと、この辺り?」
口を離して、一体何処で何を見たのやら首を捻るリツ。
呆気なく起ち上がった雁首の辺りを舌でなぞられ、身体が跳ねるのを押さえられぬ。
先、裏筋と丹念に刺激されれば息が乱れ、声を抑えるのがやっと。
(このような事、一体誰が?どうやらこの手の縄は喇叭独特の縛り方。
という事は葉月か?あ奴、リツに何という事を…っ!!)
となんとか思考を逸らして耐えようとするも、物事には限界という物がある。
小さな口腔いっぱいに頬張られ、懸命に吸い上げられてはどうにもならん。
「ふっ…くぅ、リツ、やめっ…」
「ふぁふぇふぇほふぁいふぁふは(何故でございますか)?」
咥えながら上目遣いで喋るでない!もう些かも、身が持たぬ…。
こんなことでは鬼美濃殿にも姫様にも申し訳がたたん!
ましてや「由布、これで許してやれ」
と寛大に仰って下さったお舘様にも合わせる顔が…。
まて、お舘様?今は朝だ、ならば一つだけ理由は作れる!!
「リツっ…本日はどうしても、朝一番に出仕せよと、お舘様が…
だから、ひとまず離れてくれっ…」
リツにあったのは仕込まれた知識だけで、経験はないのが幸いだった。
男の身体を知り尽くしておれば、
「もう直に果てましょう?すっきりなさってからで宜しいではないですか。」
等と言われかねんところであった。
暴発寸前の一物を無理やり下帯に押し込め、着衣もそぞろに寝所を飛び出す。
背後でリツが、
「でしたら、お帰りになってから続きを致しますね。」
と申しておったような気がするが気のせいだろう。気のせいだと思いたい…。
朝餉を食い損ねた上、着崩れた衣のお蔭で本日はからかわれ通しだ。
駒井殿にまであの涼やかな調子で
「山本殿、袖から縄目の後が見え隠れしておりますよ。」
と指摘され、情けないやら腹が立つやら。
(それもこれも、リツに要らん事を吹き込んだ葉月!
あの喇叭、今度顔を見たら種子島の的にしてくれるわ!!)
そんなことをつらつら考えつつ種子島を眺めておると、
整備に呼ばれたのであろう、何時に無くにやけた顔の伝べえが姿を現した。
「あ、旦那様!…どうしただ?普段より一層怖い顔になってるだよ。」
「お主こそ、そのにやけた面はなんだ。何か良いことでもあったか…っ!」
いやいやそんなことねーだ、と手をふる伝べえの手首。
其処に残るのは、間違う事なき縄目の跡。
「…伝べえ、庭に直れ。」
「は?旦那様何言って…どうして泣いてるだ?
って旦那様種子島は人に向けちゃ危ねえってうわぁっっ?!」
「喧しいっ!!葉月は一体何をリツに吹き込んだ!
喇叭縛りなんぞ仕込んで、なんのつもりだっ!」
「うら知らねぇだよ!
なんであいつがやったことでって旦那様勘弁してくだせぇ~!!」
伝べえに逃げられ、苛ついていた所をお舘様に呼ばれた。
領民の為、出家なさるという。これぞ正に天の助け。
「某も共に出家いたしまする。
つきましては早速今晩にも手配致しましょう。」
「勘助、何もそう急ぐことは無いのだが…?」
「何を仰いますお舘様!兵は神速を尊ぶ、善は急げと申します。
ご心配召されるな、直にでも寺に使いをやりましょう!」
何となく不審げな眼を向けてこられるお舘様。
しかし「今晩の養女から逃れる為、出家したい」などとはとても言えぬ…。
こうして某山本信幸勘助は出家、名を道鬼と改めた。
屋敷に戻って伝べえに会うと、奴は目頭を押さえてこう言いおった。
「旦那様…心労で禿げる前に、剃っちまっただか。」
「伝べえ、もう何も言うな。」
勘助×リツ、大好きなのですが
この二人でエロ、となるとここまでしか書けませぬ。
第四次川中島前に大人の雰囲気で…な筆氏様おられましたら
どうかお願いいたします。