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My Sweet Darlin'  1




 なにもないところで転倒した。

 これは蜉蝣には非常に珍しいことだった。

 眼光鋭く口数少なく、セクシーな片目の眼帯、美しい髭、割れ顎までも隙がない。それでいて長い黒髪は公家の姫のごとくつやつやでサラサラ、けっしてガッチリ体型じゃないのに鍛えこまれたその肉体。

 兵庫水軍の四功のひとりとして、重責をまかせられてもいる。第三協栄丸が船酔いなどで使いものにならない場合、リーダーとして采配をふるうのが彼だった。とにかく優秀で人望も厚い。

 その彼が転倒した。

(な、なんだ……)

 自分でも状況がよくわからなかった。

 船の上だ。母港が間近に見えている。警固の仕事の帰りだった。

 甲板の上でなにかにすべったのかと、あたりを見回すが。

(なんにもねえな……。濡れてもいねえ)

 怪我はしていなかった。膝をぶつけたが、痛みもさほどじゃない。

(よかった。だれにも見られてなくて)

 ホッとしたのもつかのま、声をかけられた。

「おいおい……。ひとりでなにコケ芸の練習してんの?」

 ハッとしてふりむくと、四功仲間の疾風だ。見られていたようだ。蜉蝣はこっそり眉をひそめる。

「芸じゃねえ」

 ぼそりと言ってやる。

「なおさらおまえらしくねえな。今夜の余興の練習かと思ったぜ」

 助け起こしてくれながら、疾風。

 任務が終わって無事帰港すると、その晩はたいてい打ち上げと称した大宴会となるのだ。ちなみに蜉蝣は余興を披露したことは一度もない。若手たちには堅物と思われているので、そのイメージをくずしたくなかった。

「余興なんか……」

 言いかけると、遮られる。

「なんか熱くね? おまえ、熱あんじゃねえ?」

 疾風は蜉蝣の腕を持っていた手を、額に当てた。

「やっぱ熱い……。ような気がする」

「そうか? 気のせいだろ」

「かなあ。でも俺、ふつうの奴より平熱高めなんだけどなあ」

 というだけで、このときは終わった。





 船は無事帰港し、構成員たちは水軍館に戻った。

 時刻は夕刻。若手たちは大宴会の準備に忙しい。

 第三・第四をまじえ、蜉蝣ほか四功の幹部たちは、今回の任務についてエグジットミーティングをおこなっていた。

 場所は会議室と称した小部屋だ。今回の任務についておさらいし、反省点などを提議して語り合う。今回はとくだんの問題もなく、若手のひとりが呼びにあらわれるまで世間話に花が咲いた。

「宴会の準備ができたっす!! 皆さん、食堂にどうぞ!!」

 という航に、

「よーし! 飲むぞー☆」

 元気いっぱいの疾風、はやくも陸酔いで青い顔をしている鬼蜘蛛丸は、

「俺も……。酒で陸酔い忘れてえ……」

 悲しげにぼやく。

 それから気づいたようだ。

「蜉蝣兄貴、陸酔いされてないみたいっすね」

 そう言われて蜉蝣も気がついた。

「うむ。そういえばそうだな……」

 さすがにキャリアの差か、陸酔い度は鬼蜘蛛丸より激しいはずの彼だ。これは妙なことだった。

「あまり酒も飲みてえとは思わんが……」

 とはいえ宴会だ。とりあえずほかの面々とともに、食堂へむかう。

 その途中で、また転倒しそうになった。

「うお……」

 またしても、なにもないところでだ。いつもの廊下だ。お留守番役の若手がきちんと掃除しているので、障害物や汚れなどはなかった。

「ど、どうしたんすか! 蜉蝣兄貴!」

 陸酔いながらも背後から鬼蜘蛛丸が支えてくれる。兵庫水軍随一のでかさを誇るこの男は、こういうときひどく頼りになる。

「いや……。どうしたんだろうな」

 蜉蝣本人にもわけがわからない。自分の足につまずいたというわけでもない。そんなアホなまねができるほどくだけた人格じゃない。

 そして鬼蜘蛛丸にも言われた。

「兄貴、なんか熱いすよ。お熱があるんじゃないすか?」

 でかいてのひらで、疾風がそうしたように蜉蝣の額にふれてくる。

「やっぱ熱いす。俺、ふつうの人より平熱高いほうだけど。蜉蝣兄貴のほうが熱いっす」

 疾風と似たようなことを言うのだ。しかし蜉蝣には自覚がない。

「いや……。自分じゃべつに異常は感じられんが……」

 そうこうしながら食堂にたどりつく。

 楽しい大宴会はそれはそれは楽しく、若手たちの一発芸あり、疾風のセクハラまがいのヌードショーあり、非常に盛り上がった。

 その途中から、蜉蝣はやっと自覚症状を覚えてきた。

(美味くねえ……)

 酒がまずい。のだ。

 もともとさほど飲むほうじゃない。酒好きじゃない、というだけで、飲めと言われれば底なしに飲めるが、今夜の酒は味がしなかった。

「これ……。水か?」

 ためしに隣にお酌にきていた舳丸に聞いてみる。

 東南風についで非常に口数の少ないこの男の答えは、簡単だった。

「酒っす」

「そうか……」

 首をかしげる蜉蝣。舳丸も不思議そうに首をかしげ、同じ銚子から手酌で舐めてみる様子。

 そして例によって短い言葉で。

「やっぱ酒っす」

「そうか……」

 おおまじめな舳丸に、おおまじめな蜉蝣だ。このやりとりをそばで見ていた重が、

「どしたんすか?」

 と、やってくる。こっちはいいように酔っ払って、ひどく楽しい酒らしい。

「蜉蝣兄貴も踊りましょうよー♪ みよちゃんも、ホラ☆」

 酔うと『みよちゃん』呼ばわりができるくらいにひらきなおってきたようだ。若手ふたりの恋(?)は、蜉蝣も承知している。仲良きことはよきことかな、と、水練ふたりの恋(?)を、ひそかに応援してもいた。

 だが、重と舳丸に両側から腕をつかまれ、よくわからない踊りの輪に入れられようとして。

「…………」

 蜉蝣は戸惑った。

 重と舳丸も同様だった。

「? 蜉蝣兄貴?」

 と舳丸。

「どしたんすか? 飲みすぎ?」

 とは重。

 けっして飲みすぎてはいない。ふだんにくらべて極端に酒量は少ない。なにしろ味がしないのだ。うまくないからたいして飲んでいなかった。

 なのに、脚が立たない……。のだ。

「おかしいな」

 しごく冷静に蜉蝣は答える。舳丸は無表情に、重は表情豊かにびびったようだ。

「おかしいっす!! だいじょうぶっすか!?」

 と重。その叫びに構成員たちも集まってくる。

 だが、クールな切れ者・蜉蝣としては、ことをおおごとにしたくない。

「いや……。大丈夫だ。なんでもねえ」

 いちおう言ったが、却下された。

 由良四郎が進み出て、蜉蝣の額に手を当てたのだ。

「すごい高熱だよ。よく意識を保っていられるね……」

 へんなところで感動されてしまった。

「足腰立たないだろう? だれか、担架用意して」

 兵庫水軍随一の知性派、いざとなったら船医の役目もこなす由良四郎だ。若手がそれ! とばかりに担架を取りに走る。

「いや、私は平気だ。担架なんてそんな……。おおごとにしないでくれ……」

 という蜉蝣の抵抗はむなしい。

 あっというまに担ぎ上げられ、担架に乗せられ、えっほ、えっほ、と私室に運びこまれてしまったのだった。





 『蜉蝣兄貴・病に倒れる』の報は、宴会さわぎのおかげでなしくず的にすぐに忘れられた。

(よかった……)

 あくまでおおごとにしたくない蜉蝣だ。私室でひとり、布団にのびていた。

 遠くからどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。

(明後日にはまた警固で出航だしな。今のうちにみんな、羽目をはずしておくといい……)

 などと、病だというのに構成員たちのことを思いやってしまうのはこの男の習性だ。

 いちおう由良四郎のみたてでは、『たぶん風邪?』というアバウトなものだった。詳しい診断は専門医に診せなければわからないのだ。

(悪いものは食ってねえし、寝冷えした覚えもねえし……。いつも通りに生活してたつもりだが)

 蜉蝣のようにまじめな男には、病はすなわち『自己管理のずさんさ』になってしまうのだ。そこで余計な責任感を覚えてしまう。

(船上で転んだときからおかしかったんだな、。ということは、寄航先でなにかあっただろうか……)

 原因を追究しているうちに、由良四郎に強引に飲ませられた安定剤が効いてきた。

 いつのまにか眠ってしまっていた。





 目覚めると、酒臭かった。

(…………)

 朝陽がさしこんでいた。よって室内はよく見えた。

 蜉蝣の布団に、ふとどきにも同衾している者がいた。

「おまえ……」

 疾風だった。いい感じに酒臭さをただよわせ、いびきをかいて蜉蝣に抱きついている。

「起きろ」

 蜉蝣は蹴飛ばしてやった。それで疾風も目を覚ました。

「うーん……。あ、元気になったか?」

 疾風は異様に寝起きがいい。目があいた瞬間に100パーセント全開に脳が活動する男だ。対する蜉蝣は、寝起きはあまりよくない。彼の脳を起動させるのは、あくまで自分は四功で幹部だという責任感だ。

 疾風は起き上がりながら、蜉蝣の額に手を当ててきた。

「だめだな。まだ熱いぜ。昨日より」

「…………」

「気分どう? 腹減ってる?」

 たずねるので、蜉蝣はうんと険悪に答えてやった。

「……酒臭え。気分悪い」

 疾風は悪びれずにヘラリと笑った。

「ゴメン☆ んじゃ、酒気が抜けたらまた来るわ♪」

 と、部屋を出てゆく。

「お大事にな~~~♪」

 との言葉を残して。

 蜉蝣は溜息をついた。

疾風とは赤ん坊のころからの付き合いだ。先代お頭の時代に水軍館前に置き捨てられていたのを、ここまで鍛えてもらったのだ。

 幼なじみで、だれよりもよく知っている。

(いや。知っている、つもりだったが……)

 蜉蝣とは対照的に、陸酔いもなく酒好き女好きケンカ好きで血の気も多い。粗忽というかおっちょこちょいな部分もある。同い年でキャリアがほとんど同じでも、第三協栄丸が使い物にならなくなったときに蜉蝣がリーダー役をまかせられるのは、その性格の違いが理由だった。

 そのぶん疾風は若手たちに人気がある。蜉蝣よりは話しやすい親しみやすい人柄だからだ。ふたりはそうやって、自分たちの役割を無言のままに分担していた。言葉はいらないほどに、おたがいを知っているのだ。

(あいつなりに心配してるってことか。私のことを)

 今朝の同衾を、蜉蝣はそう解釈した。





 しかしながら、蜉蝣の病はなかなか好転しなかった。

「『たぶん風邪?』じゃ、ないかもしれませんねえ……」

 枕元で声がしたので、目をあけた。

 いつのまにかまた眠ってしまっていた。

 若手たちにはひそかに鬼の霍乱と言われたこの病、第三第四と由良四郎が布団のそばにいた。

「熱が下がらないんですよ」

 という由良四郎。

「解熱剤が効かないってことは……」

 深刻そうに腕組みをする。蜉蝣はなんとか声を出す。

「いや、だいじょうぶっす。もうしばらく寝てれば治る……」

 ところが由良四郎に制された。

「あんたねえ。いつもそうやって無理してっから。もういい年なんだから、我慢強いのもいいかげんにしなさいよ」

 これは効いた。『いい年』の部分がとくに。

「う……」

 蜉蝣だって、考えないわけじゃなかったのだ。半分眠りながら、

(私ももう若くねえってことか……)

 などと。ただの風邪なら寝込んだことなどなかった。足腰が立たなくなるほどの高熱を発したこともだ。

 いっぽう、第三第四はなにか相談する様子だ。

「とりあえず、明日からの任務はおまえは病欠だ」

 と、第三。蜉蝣はなけなしの抵抗を見せる。

「いや、今夜じゅうに治ります。治します!!」

 しかし第四は言った。

「そうは思えねえよ。専門医に診せねえといかんな。手配してくるわ」

 と、部屋を出てゆく。

「ま、待ってくださいっす……」

 蜉蝣の訴えはむなしい。鬼の霍乱は意外と重症だと、大幹部たちに判断されてしまったのだ。




My Sweet Darlin'  2




 大幹部たちの判断は正しかった。

 蜉蝣の熱は、翌朝になっても下がらなかったのだ。

 第三第四は福富屋ルートで専門医を連れてきてくれた。その診断によると。

「いわゆる南蛮風邪ですね」

 とのことだった。つまりインフルエンザだ。陸酔いも凌駕するほどの具合の悪さはそのせいだったのだ。

「ふつうの風邪とは違います。感染力が異常に強いこと、発熱が続くこと。関節の痛みや悪寒はありませんか?」

 医師にたずねられ、朦朧とした頭で蜉蝣はかぶりをふる。

「関節も悪寒もねえっす……」

 医師が言うには、

「とにかく安静第一です。あと、なるべく隔離して。他人との接触を避けること。食器や洗面具なども彼専用のものを用意してあげてください。そうしないと感染します」

 とのことだ。

蜉蝣が海賊であることからして、

「先の寄航先でウイルスをもらってしまったんでしょうね。ほかの海賊さんはなんともありませんか?」

 これには第三が答えた。

「具合の悪い奴はいねえっす。こいつだけ」

「それならよかった。たまたま疲れがたまっていたり、免疫力が低下していると感染しますから。あなたは少ーし、ご自分に無理をさせるのが得意なタイプじゃないですか?」

 とまで見抜かれた。蜉蝣はぐうの音も出なかった。

 けっきょく蜉蝣を置いて、船は出港したらしい。くやしかったが、布団の中で呻吟するしかない。

 とはいっても水軍館にひとりきり、というわけじゃない。

お留守番役の若手たちがいるはずだ。陸でも仕事はそれなりにある。陸でしかできないこともある。

 基本的に水軍館周辺の造園管理は若手が担当。洗濯・清掃などの下働き・小間使いも若手が担当。役付きが航海に出ているあいだは、来客応対や見回りの任務もある。いちおうこのあたりでは名門で鳴らした荒くれ海の男たちの館だ。どんな命知らずな道場破りやスパイや窃盗団が襲ってくるかわからないからだ。世間は悪に満ちているのだ。

 医師は南蛮風邪専用の薬を置いていってくれた。飲んだらてきめんに眠くなり、蜉蝣はいいあんばいに意識を失った。

 目を覚ましたのは、夕暮れが近くなってからだった。

 がらりと私室の戸をあけられたのだ。

「おう! 今帰ったぜ!!☆」

 疾風だった。蜉蝣は朦朧としつつもなんとか脳を起動させる。

「航海に出たんじゃなかったのか……」

 起き上がろうとしたら、止められた。

 疾風は言った。

「や、俺は辞退した」

 あまりにも軽く言うので、蜉蝣はあっけにとられた。平常心なら多少怒っていたかもしれない。しかし今は発熱でそれどころじゃない。

「どうして……。四功だろう。なにかあったとき困るだろう。おまえには責任感というものがないのか……」

 叱る言葉にも力がない。疾風は例によって悪びれない。

「由良ちゃんと鬼蜘蛛丸がいるしー。なんとかなんだろ」

 なぜにこの男はこう軽いのか……。

 しかもたらいと手ぬぐいセットを持ってきていた。

「なんのつもりだ……」

「おまえの看病すんの♪」

 疾風は室内に入ってくると、戸をしめた。てきぱきと手ぬぐいをたらいの水にひたし、蜉蝣の額をぬぐうのだ。

「やめろ。感染するぞ……」

「俺、おまえと違ってストレス溜めないしー。免疫力低下っておもにストレスが原因なんだってさ。道々、お医者さんにいろいろ聞いた」

「? 道々?」

「お頭が昨日、福富屋さんに医者紹介してもらえって指令出してさ。若手が行こうとしたんだけど、俺が立候補したの。そんで超早がけでお連れしにいって、今お送りして帰ってきたとこ」

 だから『今帰ったぜ☆』だったわけだ……。

 と、やはりぼんやりした頭で蜉蝣は考える。

(私のためにか? どうしてそこまで……)

 四功だ、というだけじゃない。疾風には疾風の仕事があるはずだ。そういったもろもろのことを放り出してまで、医師を迎えにいって送ってくるなんて。

 あまつさえ、感染の危険があるというのに看病するなどという。蜉蝣は困惑した。

「背中支えてやっから。ちょっとだけ起きられるか?」

「うむ……」

 と、上半身を起こすだけで、軽くめまいがする。かたわらの疾風によりかかる姿勢になった。

「おっと。ちょっと我慢な。背中拭いてやっから。……って、我慢強すぎて病気になっちまったんだよなあ。おまえ」

「余計なお世話だ……」

 疾風にぬぐってもらうのは、気持ちがよかった。袖を抜かれ、首筋から腰のあたりまで、まんべんなくふいてくれる。

「相変わらずいい体♪」

 疾風はうっとりと言った。

「おまえだってそうだろう……」

 蜉蝣はクールに答えた。なにしろ幼なじみだ。今だって一緒に入浴したり、下帯一枚で海に入ったりもしている。

「俺の知らねえ傷、ねえもんな……」

 無数に傷のある蜉蝣の肌を、なんのつもりか、疾風は指でなぞって。

「おまえこそ。私の知らない傷なんてないだろう……」

「だよな☆」

 疾風はにっこりと笑った。ここでなぜその微笑か、朦朧としている蜉蝣にはわからない。

 疾風は新しい夜着を出してくれて、着せかけてくれた。

「ホントは下のほうも拭いてやりたいけどー♪」

 などという。

 蜉蝣は朦朧としていた。

 あくまでも朦朧としていたのだ。

だから平常心のときには絶対に言わないだろうことを言ってしまった。

「なら……。頼む……」

 と。

 疾風はギョッとしたようだった。

「えっいいの!?」

「かまわん……」

 熱で朦朧とした蜉蝣には、もうなにもかもがどうでもよかったのだ。それだけは言える。

 ところが疾風はいそいそと、掛け布団をはいだ。蜉蝣の気が変わらないうちに、とでもいうつもりか。異様に早い手さばきで、夜着をひらいて下帯を解く。

「うーん。ノーマル状態でもナイスサイズ……」

 なにに感動しているのか、それでも疾風はかいがいしく蜉蝣を清拭してくれた。

「おしものお世話もしてやりてえくらいだぜ☆」

「そこまではいい……」

 便所には意地で這って通っている。そもそもほとんど食事をとっていないので、出るものもほとんどないのだ。

 それよりも、寒気がしてきた。体をぬぐわれ着替えさせられたせいだろう。一時的に体温が低下したのだ。

 蜉蝣が震えると、敏感に疾風は察したようだ。

「悪寒か?」

「わからん……。寒い」

 掛け布団をかけられても震えが止まらない。

「熱性痙攣とかじゃねえよな。意識あるもんな」

「あるぞ。朦朧としてるが……」

 すると、疾風はぱっぱと裸になった。下帯一枚のセクシースタイル、蜉蝣の布団にもぐりこんでくる。

「おい。感染……」

 蜉蝣は止めたが、そんなことを聞く疾風じゃないことも知っている。

「人肌であっためるのがいちばん! だろ?」

 と、ぎゅーーーーーっとくっついてくるのだ。

 のみならず、蜉蝣の頭を抱き寄せて、腕枕までしてくる。なにを考えているのかさっぱりわからない。

「おまえ……。そういうことは、色町でいい女とやれ……」

 また薬が効いてきた。震えつつも半分眠りながらつぶやいた蜉蝣には、疾風の答えは聞こえなかった。

「いい女はいっぱいいるけどね。……おまえはひとりしかいねえからな」





 しばらく蜉蝣の寝息を聞いていた。

 苦しそうではなかった。深い呼吸で眠れているようだった。

(あの先生の薬、すげー効くんだな。さすが専門医)

 疾風はひとりごちる。そうして、少し身動きしてみた。

 腕枕の手を抜いても、蜉蝣は眠ったままだった。

眠るときでも眼帯をはずさない。片目を失ったときの傷が、眼帯からはみ出している。それを、そっと指でなぞって。

(あんときもムチャしたよなあ。……こいつ)

 若いころの思い出がよみがえる。自分だって頬に傷がある。おたがいにムチャをしながらここまできたのだ。

(病気なんかで死ぬなよな)

 疾風が医師から得た情報は、免疫力に関することだけじゃなかった。

 南蛮風邪はこじらせると恐ろしい、ということも。

(年寄りや子供は死ぬこともあるって……)

 常日頃から鍛錬を欠かさない、体力のある蜉蝣だ。大丈夫だとは思うが、やはり心配だ。

「…………」

 疾風はなぞっていた傷から指を離した。かわりに唇をつけてみた。

 傷の部分だけ、でこぼこかさかさした感じがした。

(う……。止まんねえかも)

 蜉蝣が深く眠っているのをいいことに、唇にもキスしてみた。そっとふれてすぐに離れた。それ以上続けたら股間がやばいことになりそうだったのだ。

(なにしろ俺、下帯一枚のセクシースタイルだしー)

 やはり蜉蝣は気づかない。割れアゴをくすぐっても、髭を撫でてみても。

 どこもかしこも、疾風には愛しくてたまらない蜉蝣のパーツだ。

(気づいてねえ……。んだろうなあ……)

 ちょっぴり甘くせつなくそう思う。なにしろ一緒にいた時間が長すぎた。疾風自身だって、ごく最近までこの気持ちに気づかなかった。

 蜉蝣が鬼の霍乱で倒れるまでは。

(でも、今は……)

 蜉蝣がいなくなったらどうしよう、と、目が回るようなひどい不安に襲われた。それで気づいたのだ。

(これはつまりアレだろ。若ぇ奴らがいろいろモメたりヨリを戻したりしてるようなアレだろ!?)

 と、自分でもびっくりだ。楽天家であまりものに動じたことのない彼にとっては、青天の霹靂だった。

 こんなにも身近に、「アレ」があっただなんて。

 おたがいに髭まで生やしたいい年だ。四功で幹部だ。それでもいやおうなく「アレ」はやってくるのだと、疾風ははじめて知った。

 もう一度、ぎゅっと蜉蝣に抱きついてみた。身長は少し蜉蝣のほうが高い。体重はほとんど同じくらいだろう。

 彼の匂いはなつかしく愛しく、ふだんたいしてデリケートでもない疾風の胸を、いっそうせつなくさせた。





 疾風は甲斐甲斐しく蜉蝣の看病を続けた。

 居残り組の若手たちが感動するほどだった。

「さすが疾風兄貴! ホントは蜉蝣兄貴を大切に思ってたんすね!」

「ふたりの友情の絆は固ぇんだ!!」

 と、涙を誘ったりもした。疾風的には友情だけでもないのだが、そのへんはヘラリと笑ってごまかした。

「だってよう、若ぇおまえらに感染するとまずいじゃん? 俺ならじょうぶだし~~~♪」

 蜉蝣の洗濯物を洗ったりもするのだ。夜は蜉蝣の部屋で寝る。深夜に容態が急変するといけないからだ。

なにからなにまで疾風は尽くす男と化していた。

 蜉蝣の熱は一進一退が続いた。少し下がってきたときには、白湯や粥ていどなら食べられるようになっていた。疾風は食事介助もした。

「たんと食え! 食えば治る!」

「だといいがな……」

 相変わらず熱のせいで頭は朦朧としているらしい。蜉蝣は機械的に粥をすすっては薬を飲み、床につく。

「体力落ちそうだ。参ったな……」

「治ったらまた鍛錬すりゃいいの! 俺が相手になってやる!」

 この甲斐甲斐しさは蜉蝣にも不思議だったようだ。

「おまえ、ヒマなのか?」

 などと聞いてくる。それはそうだろう。今までのふたりの関係からして、疾風がここまで熱心に蜉蝣の面倒を見るのは少し不自然だからだ。おたがいに責任ある立場で、それぞれの面倒は自分でみられるいい大人だ。幼いころから対等の立場だったから、それがとうぜんだと蜉蝣は思っていた。

 そもそも看病は居残り組の若手にまかせて、航海に出ていたはずだ。

「ヒマじゃねえよ。若手と一緒に草むしりしてるぜ」

 疾風は苦笑する。自分だっていまさら気づいたのだから、堅物の蜉蝣が気づくはずがない……「アレ」に。

 正直言って、疾風自身もその気持ちをもてあましていた。「アレ」じゃない、はっきりと単語で表現するのは照れくさくてできない。自分の中でさえも、できればなかったことにしておきたい。

(でも、だめだ。俺は気づいちまった)

 そして疾風は自分自身に正直な男だ。嘘はつけない。気づかなかったことにはできない。

 だから「アレ」なのだ。

(気づいてほしいのかな)

 蜉蝣にも、「アレ」に?

 そんなわがままも心のどこかにある。けれども今は、とにかく蜉蝣の病を治すことが先決だ。

「はやく元気になってくれよ」

 言ってやると、蜉蝣は弱々しくも苦笑した。

「だれより私がそう願ってるよ」












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