肆
座敷は静かになった。
取り残されたリツは、黙々と後片付けをはじめた。
そうして全ての食器を片付けても、心のもやもやした残滓だけはどうしても拭えない。
(つまり、馬鹿な男に恋したということかしら)
とつぜん、胸を締め付けられる思いがした。
涙が頬を伝っている。
涙は一滴一滴、とめどなく溢れ出た。
迂濶にもリツは、その時はじめて己のみじめさを悟ったのである。
漏れそうになる鳴咽を、体を折り曲げひっしに抑えた。
あの時――玄関での一件は、あらかじめリツの詐略したことでは無かった。
(それすら、勘介殿は疑っておられるのであろう)
誰もいないことを幸い、実家でよくしていたように着物を脱ぎ捨てたのがいけなかったが、後悔しても遅い。
誤解されても無理はなかった。
太吉らと示し合わせて勘介とふたりっきりになろうとしたのは本当だからだ。
それにあの時、勘介を誘惑する気持が起こらなかったといえば嘘になる。
たしかに褌の綻びを縫うのに夢中で勘介の帰宅するのに気付かなかったが、扉の開いた時
(わたくしの体を見せつけてやれ)
咄嗟のことで、下卑た野心が羞恥心に勝り、あわよくばそのまま抱いて欲しいと思った。
(褌のことも、怒っていらした)
ふたりっきりになれることで浮かれ過ぎていたのだ。
勘介に喜んでもらいたかったし、照れて恥ずかしがる所も見たかった。
その後の会話でも、勘介の気を和らげようと試み、わざととぼけてみたりしたのだが、ことごとく嫌味な女に見えていたことであろう。
(いや、もともとわたくしが嫌味な女なのだ)
全てが間抜けな話で、その途方も無い欠落感は、ここに勘介のいないことが証明している。
寂しさが身に染みて、震えそうに悲しい。
そして、つれない勘介を恨めしく思ってすらいる己の浅ましさが惨めだった。
横を見遣ると、褌が無造作に転がっている。
リツはそれを手に取ってみた。
仄かに、冷たい。
あるべき場所に褌は無くて、リツの掌中にあるから冷たいのであろう。
(褌は、股間に宛てがわれて常に熱を孕んでいなくてはなるまい)
リツは、褌に篭っていたはずの熱気を想った。
その熱気の源を想った。
(勘介殿……)
伍
(勘介殿……)
涙は止んで、胸のうちにある高ぶりが燎原の炎ように盛んに興ってゆく。
顔が刻々と陰惨なものに変容してゆくのがわかる。
情欲に捕われた女の顔だ。
リツは白い布に顔を埋めて、男の匂いを吸い込んで、止めることができない。
汗と油の混じり合って染み込んだ香りは、深い部分を熱くさせた。
(これは寂しさを埋める、わたくしの最後の手だて)
そう弁解するより先に、帯に手をかけている。
座敷を照らす蝋燭の灯が蠢めきに応じて揺らめく。
皮膚のほてりを鎮める外気の涼しさは、衣服を着けぬ姿態であることを、嫌応なく感じさせた。
(あっ!)
体が勢いよく跳ねた。
指先で軽く、乳房の先端に触れただけで鋭い矢尻に突つかれたようである。
(別のいきものが、わたくしの内にいる)
そうとしか思えぬほどに感じやすくなっている。
しかし、声だけは漏れてはならぬ。
(そもそも、わたくしの部屋で始めればよい)
とも思わぬでもないが、この姿は見られてもよかったのである。
勘介に見られるのであれば、幾らでも見てほしいという惑乱した性欲があった。
ただ声を聞かれたくないというのはいかなる心理か。
(きっとわたくしの乙女の部分がそうさせるのであろう)
それはきっと、婦女のつつしみとか理性とかいうものの所為だ。
リツは再び褌を手に取ると、口に含んで噛み締めた。
鼻孔全域に広がる勘介の匂いに恍惚として酔いしれる己を、はしたないと思う余裕はもう無かった。
匂いが、未だ見ぬ勘介の肉体を、生々しいまでに想像させた。
リツは褐色の硬い皮膚を持つ腕に荒々しく掻き抱かれている己を想うと、男の産毛に触れた時の、くすぐったさすら感じてしまう。
それは想像というよりも、妄想か錯覚に近かった。
かつて男に抱かれたことの無い女は、恋焦がれるあまりにここまで追い詰められていたのである。
なにか深い闇に飲み込まれること、愉楽に溺れるとはそういうことだ。
……その始終を、襖の隙間から覗くひとつ眼があった。
勘介である。
(すこし、酷いことをしたかな)
リツのことが気にかかり、慰めに戻ろうとしたところ、なにやら尋常ならぬ気配を感じて、そっと覗いてみれば既に艶めかしいことになっているではないか。
(まったく、今日という日は)
と苦笑したが、自身の陽根は徐々に、硬質のものに成長している。
陸
隙間から見えるリツの顔は、淫らに歪んで美しい。
普段の、幼さの残る笑顔には見られない、喜悦を帯びた表情があらわれていた。
桃色の歯茎から生える白い歯は、褌をしっかり噛んで離さない。
黒髪の生え際にはうっすら汗の粒が滲み、眉間に悩ましげな皺が寄っていた。
眼を瞑って、一心不乱に体を揺らしている。
体のいたる所から汗が吹き出て、きらきら光った。
リツの細い指が突きたてられているその窪みは、温泉が湧き出るように潤っていた。
甘い酢のようなその香りは、とてもリツの小柄な体から発せられたとは思えないほど強烈である。
いつしか勘助は、己の剛直したものを握り扱ごいていた……
リツは左の手で乳房をまさぐり、右の手で下腹の花唇を穿った。
体はぬるぬると汗ばんで、額から水滴が流れ落ちる。
黒い茂みの奥の、柔らかく熟れた内壁を探るように指でなぞってゆく。
さらにてらてら濡れそぼる肉芽の皮をひん剥いて外気に晒し、小刻に扱きあげる。
(わたくしの指が、勘介殿の節くれ立った指であったのなら)
そう思うと熱い蜜がじんわり溢れて、クチュクチュ、粘液質の音がたった。
両股を大胆に開いて、指使いはますます豪快になってゆく。
乱暴なまでに、掻きまわす。
(勘介殿のお指、気持ようございまする)
そう囁くと勘介は、恥ずかしそうに顔をそむけた。
リツはその仕草をたまらなく可愛いものだと思った。
(リツは、はしたない娘だな)
そう言われればさすがのリツも顔を赤らめずにおられない。
(そうでございます、勘介殿のせいで、はしたない娘になったのでございます)
勘介は笑ったように思える。
腕を伸ばして、そのがっしりとした体を抱こうとした。
しかしその感覚は虚しいままだった。
(んん……ぁはぁぁ……、勘介殿…せつのうござりまするぅ………)
来るべき快楽の爆発に、リツは身構えた。
やがて沸点を越えた快楽が、堰を破る水のように溢れ出た。
(あぁぁ……いく、いく……いくッ……っぁぁぁぁあああああああ!)
灼熱に貫かれてたような衝撃。
体ごと宙空へふっ飛びそうになるのを、褌を噛んで踏んばった。
鉄砲玉が弾けるように、窪みから大量の白泉が噴き散って、床の上に雨を降らした。
眼の前が白くなった……
漆
翌朝。
朝飼の粥から湯気の立ち昇るのを眺めながら、勘介は考えるのである。
(やはり、わしに性欲以上のものは無かった)
リツが絶頂を迎えた時……時を同じくして、勘介はどろりとした樹液のようなものを吐き出していた。
そうしてみれば、後はさっぱりとしたものだった。
リツを女として見ていた欲望は、樹液とともに流れ消えてしまったのである。
(これは、恋ではあるまい)
愛はある。
親として娘に対する、愛。
証拠に勘介は、娘の秘事を盗み見て逝ったことについて、幾分かの申し訳なさと恥ずかしさがあった。
横でリツがうつむいて、黙りこくっている。
昨日から、会話らしい会話を交していない。
「……んん、リツ」
「はい」
顔上げたリツには、やはり人をはっとさせる輝きがあった。
それでも表情は、怪訝そうに曇っている。
悲しそうな顔ではなく、心の底から笑っていて欲しいと、勘介は親として思うのだった。
「……今日はな、やっぱり、非番のままじゃ」
「はあ」
「……非番じゃ」
「あの」
「ん」
「非番ということはつまり、今日一日中この家に、リツとともに居てくださるということでございますか」
「そうじゃ」
「だんなさまーー!!」
「!!」
凄まじい勢いでリツが飛びついてきた。
鼻孔に、昨日の匂いを和らげた、安らかな香りが広がる。
「これこれ」
花が咲いたような、いつもの笑顔がそこにあった。
瞳が、潤んでいた。
(わしは甘い親かな)
甘やかしたことがこの先かえってリツを苦しめることになりはせぬか、そんな危惧はある。
(いずれ、良い婿を見付けてやらねばならなぬ)
リツにとっては残酷なことだが、それが親としての役目だと思った。
(いったい、どうしたことかしら)
リツは心の隅で訝った。
さては昨夜の自慰を見られて、それで哀れに思われたか。
(見られていようが、いまいが、それはわたくしにとってさして重要なことでは無い)
見上げれば、勘介が笑っている。
いい気なものだ。
(つねってやろうかしら)
でも、止めた。
素直に甘えようと思った。
いま、この幸福に浸れば良い。
この先いつ崩れるとも知れない、刹那の間の幸福に。
(わたくしは、いずれ旦那様を父上と呼ぶ日が来るのだろうか)
不吉な、しかしいずれはそうなるであろう未来の影を振りきるように、リツは勘介の胸に顔を埋めた。
褌の匂いがした。
座敷は静かになった。
取り残されたリツは、黙々と後片付けをはじめた。
そうして全ての食器を片付けても、心のもやもやした残滓だけはどうしても拭えない。
(つまり、馬鹿な男に恋したということかしら)
とつぜん、胸を締め付けられる思いがした。
涙が頬を伝っている。
涙は一滴一滴、とめどなく溢れ出た。
迂濶にもリツは、その時はじめて己のみじめさを悟ったのである。
漏れそうになる鳴咽を、体を折り曲げひっしに抑えた。
あの時――玄関での一件は、あらかじめリツの詐略したことでは無かった。
(それすら、勘介殿は疑っておられるのであろう)
誰もいないことを幸い、実家でよくしていたように着物を脱ぎ捨てたのがいけなかったが、後悔しても遅い。
誤解されても無理はなかった。
太吉らと示し合わせて勘介とふたりっきりになろうとしたのは本当だからだ。
それにあの時、勘介を誘惑する気持が起こらなかったといえば嘘になる。
たしかに褌の綻びを縫うのに夢中で勘介の帰宅するのに気付かなかったが、扉の開いた時
(わたくしの体を見せつけてやれ)
咄嗟のことで、下卑た野心が羞恥心に勝り、あわよくばそのまま抱いて欲しいと思った。
(褌のことも、怒っていらした)
ふたりっきりになれることで浮かれ過ぎていたのだ。
勘介に喜んでもらいたかったし、照れて恥ずかしがる所も見たかった。
その後の会話でも、勘介の気を和らげようと試み、わざととぼけてみたりしたのだが、ことごとく嫌味な女に見えていたことであろう。
(いや、もともとわたくしが嫌味な女なのだ)
全てが間抜けな話で、その途方も無い欠落感は、ここに勘介のいないことが証明している。
寂しさが身に染みて、震えそうに悲しい。
そして、つれない勘介を恨めしく思ってすらいる己の浅ましさが惨めだった。
横を見遣ると、褌が無造作に転がっている。
リツはそれを手に取ってみた。
仄かに、冷たい。
あるべき場所に褌は無くて、リツの掌中にあるから冷たいのであろう。
(褌は、股間に宛てがわれて常に熱を孕んでいなくてはなるまい)
リツは、褌に篭っていたはずの熱気を想った。
その熱気の源を想った。
(勘介殿……)
伍
(勘介殿……)
涙は止んで、胸のうちにある高ぶりが燎原の炎ように盛んに興ってゆく。
顔が刻々と陰惨なものに変容してゆくのがわかる。
情欲に捕われた女の顔だ。
リツは白い布に顔を埋めて、男の匂いを吸い込んで、止めることができない。
汗と油の混じり合って染み込んだ香りは、深い部分を熱くさせた。
(これは寂しさを埋める、わたくしの最後の手だて)
そう弁解するより先に、帯に手をかけている。
座敷を照らす蝋燭の灯が蠢めきに応じて揺らめく。
皮膚のほてりを鎮める外気の涼しさは、衣服を着けぬ姿態であることを、嫌応なく感じさせた。
(あっ!)
体が勢いよく跳ねた。
指先で軽く、乳房の先端に触れただけで鋭い矢尻に突つかれたようである。
(別のいきものが、わたくしの内にいる)
そうとしか思えぬほどに感じやすくなっている。
しかし、声だけは漏れてはならぬ。
(そもそも、わたくしの部屋で始めればよい)
とも思わぬでもないが、この姿は見られてもよかったのである。
勘介に見られるのであれば、幾らでも見てほしいという惑乱した性欲があった。
ただ声を聞かれたくないというのはいかなる心理か。
(きっとわたくしの乙女の部分がそうさせるのであろう)
それはきっと、婦女のつつしみとか理性とかいうものの所為だ。
リツは再び褌を手に取ると、口に含んで噛み締めた。
鼻孔全域に広がる勘介の匂いに恍惚として酔いしれる己を、はしたないと思う余裕はもう無かった。
匂いが、未だ見ぬ勘介の肉体を、生々しいまでに想像させた。
リツは褐色の硬い皮膚を持つ腕に荒々しく掻き抱かれている己を想うと、男の産毛に触れた時の、くすぐったさすら感じてしまう。
それは想像というよりも、妄想か錯覚に近かった。
かつて男に抱かれたことの無い女は、恋焦がれるあまりにここまで追い詰められていたのである。
なにか深い闇に飲み込まれること、愉楽に溺れるとはそういうことだ。
……その始終を、襖の隙間から覗くひとつ眼があった。
勘介である。
(すこし、酷いことをしたかな)
リツのことが気にかかり、慰めに戻ろうとしたところ、なにやら尋常ならぬ気配を感じて、そっと覗いてみれば既に艶めかしいことになっているではないか。
(まったく、今日という日は)
と苦笑したが、自身の陽根は徐々に、硬質のものに成長している。
陸
隙間から見えるリツの顔は、淫らに歪んで美しい。
普段の、幼さの残る笑顔には見られない、喜悦を帯びた表情があらわれていた。
桃色の歯茎から生える白い歯は、褌をしっかり噛んで離さない。
黒髪の生え際にはうっすら汗の粒が滲み、眉間に悩ましげな皺が寄っていた。
眼を瞑って、一心不乱に体を揺らしている。
体のいたる所から汗が吹き出て、きらきら光った。
リツの細い指が突きたてられているその窪みは、温泉が湧き出るように潤っていた。
甘い酢のようなその香りは、とてもリツの小柄な体から発せられたとは思えないほど強烈である。
いつしか勘助は、己の剛直したものを握り扱ごいていた……
リツは左の手で乳房をまさぐり、右の手で下腹の花唇を穿った。
体はぬるぬると汗ばんで、額から水滴が流れ落ちる。
黒い茂みの奥の、柔らかく熟れた内壁を探るように指でなぞってゆく。
さらにてらてら濡れそぼる肉芽の皮をひん剥いて外気に晒し、小刻に扱きあげる。
(わたくしの指が、勘介殿の節くれ立った指であったのなら)
そう思うと熱い蜜がじんわり溢れて、クチュクチュ、粘液質の音がたった。
両股を大胆に開いて、指使いはますます豪快になってゆく。
乱暴なまでに、掻きまわす。
(勘介殿のお指、気持ようございまする)
そう囁くと勘介は、恥ずかしそうに顔をそむけた。
リツはその仕草をたまらなく可愛いものだと思った。
(リツは、はしたない娘だな)
そう言われればさすがのリツも顔を赤らめずにおられない。
(そうでございます、勘介殿のせいで、はしたない娘になったのでございます)
勘介は笑ったように思える。
腕を伸ばして、そのがっしりとした体を抱こうとした。
しかしその感覚は虚しいままだった。
(んん……ぁはぁぁ……、勘介殿…せつのうござりまするぅ………)
来るべき快楽の爆発に、リツは身構えた。
やがて沸点を越えた快楽が、堰を破る水のように溢れ出た。
(あぁぁ……いく、いく……いくッ……っぁぁぁぁあああああああ!)
灼熱に貫かれてたような衝撃。
体ごと宙空へふっ飛びそうになるのを、褌を噛んで踏んばった。
鉄砲玉が弾けるように、窪みから大量の白泉が噴き散って、床の上に雨を降らした。
眼の前が白くなった……
漆
翌朝。
朝飼の粥から湯気の立ち昇るのを眺めながら、勘介は考えるのである。
(やはり、わしに性欲以上のものは無かった)
リツが絶頂を迎えた時……時を同じくして、勘介はどろりとした樹液のようなものを吐き出していた。
そうしてみれば、後はさっぱりとしたものだった。
リツを女として見ていた欲望は、樹液とともに流れ消えてしまったのである。
(これは、恋ではあるまい)
愛はある。
親として娘に対する、愛。
証拠に勘介は、娘の秘事を盗み見て逝ったことについて、幾分かの申し訳なさと恥ずかしさがあった。
横でリツがうつむいて、黙りこくっている。
昨日から、会話らしい会話を交していない。
「……んん、リツ」
「はい」
顔上げたリツには、やはり人をはっとさせる輝きがあった。
それでも表情は、怪訝そうに曇っている。
悲しそうな顔ではなく、心の底から笑っていて欲しいと、勘介は親として思うのだった。
「……今日はな、やっぱり、非番のままじゃ」
「はあ」
「……非番じゃ」
「あの」
「ん」
「非番ということはつまり、今日一日中この家に、リツとともに居てくださるということでございますか」
「そうじゃ」
「だんなさまーー!!」
「!!」
凄まじい勢いでリツが飛びついてきた。
鼻孔に、昨日の匂いを和らげた、安らかな香りが広がる。
「これこれ」
花が咲いたような、いつもの笑顔がそこにあった。
瞳が、潤んでいた。
(わしは甘い親かな)
甘やかしたことがこの先かえってリツを苦しめることになりはせぬか、そんな危惧はある。
(いずれ、良い婿を見付けてやらねばならなぬ)
リツにとっては残酷なことだが、それが親としての役目だと思った。
(いったい、どうしたことかしら)
リツは心の隅で訝った。
さては昨夜の自慰を見られて、それで哀れに思われたか。
(見られていようが、いまいが、それはわたくしにとってさして重要なことでは無い)
見上げれば、勘介が笑っている。
いい気なものだ。
(つねってやろうかしら)
でも、止めた。
素直に甘えようと思った。
いま、この幸福に浸れば良い。
この先いつ崩れるとも知れない、刹那の間の幸福に。
(わたくしは、いずれ旦那様を父上と呼ぶ日が来るのだろうか)
不吉な、しかしいずれはそうなるであろう未来の影を振りきるように、リツは勘介の胸に顔を埋めた。
褌の匂いがした。
PR
壱
玄関の扉を開けて、勘助は驚いた。
素裸のリツが、ちょこんと座っているのである。
勘介の頭のなかは、奇襲を受けた軍勢のように混乱した。
そのまま、固まってしまった。
リツは何か縫い物をしていたようで、ひざの上に布きれが置いてある他は、乳房からなにから丸見えである。
立ち尽くす勘介をよそに悠然と座りながら、いつもの眩しいような微笑みを浮かべている。
「あの……」
そのままの姿勢で何かいいかけたが、勘介は狼狽のあまり何を言っているのか聞こえない。
初陣の時に似ていた。感覚が濁り、己の位相は消失する。
とつぜん、リツがすっと立ち上がるのを見ても、何もできぬ。
かろうじて下半身を覆っていた布が落ちたのを、ただ眺めるだけだ。
(もっと叫ぶとかなんとか、あるのでは無いか)
呆然とそんなことを考えていた。
リツの裸形は美しかった。
それは五十を過ぎた男の忘れていものだ。
若さであり、女であることの素晴らしさだ。
などと批評をしておった、その時
「旦那様!」
勘介の惑乱は破られた。
リツの一喝が全てが明瞭にした。
そしてその反動が猛然と沸き上がるのにまかせて、一息に叫んだ。
「服を着ろぉぉぉぉぉッッッ……」
絶叫である。
それは或る日の夜のこと、山本勘介が館を辞し帰宅した時のことだった……
しばらくして
「お待たせいたしました」
何も無かったかのように、ぱたぱたと軽い調子でリツが奥の間から出てきた時には、勘介は土間にて座り、しかめ面をする余裕を取り戻していたが、やはり落ち着かない気分であった。
橙色の着物姿のリツは
「ご飯の支度をいたしますね」
と言って、甲斐甲斐しくお椀に粥をよそりはじめる。
その姿はまるで妻になったかのようだ。
「お椀にござりまする」
平然と椀を差し出したが、この女は先刻のことを忘れて飯が食えると思っているのか。
リツは照れるわけでも無く、意味深な笑みを漏らすのみだ。
かえって勘介のほうがどぎまぎとしてしまった。
「太吉達がいないようだな」
ひとまず、気になっていた疑問で探りを入れてみる。
「みなさん、いらっしゃりません」
「なぜ」
「ひとにはひとの用事があるものでしょう」
「ふん」
そういうことか、と思った。
明日は珍しく、勘介の非番なのである。
弍
勘介が終日家にいることなど、滅多に無いことだ。
それで、いらぬ気を使ってみんな出ていったのだろう。あるいはリツが出ていかせたか。
なんにせよ、やっかいなことになった。
リツが山本家の養女となって数年経っていた。
いまだにリツは勘介を父上とは呼ばないし、勘介はリツに違和感がある。
違和感とは、つまりリツの勘介に対する恋愛感情である。
「で、あれはおぬしの……策略か」
「なんのことでこざいます」
(とぼけやがる)
と思ったが、年甲斐にも無く顔のこわばってゆくのがわかった。
リツはいつも落ち着き払っていて、その辺りの小娘じみた軽薄さを微塵も感じさせない。
ただ時折、ひとを驚かすことを言って楽しむような所があった。
「その……おぬしの……その…玄関でのことじゃ」
「まあ、わたくしの裸のことですか」
おちょくっているのか。
勘介は敗けじと声を荒げた。
「太吉達のこともそうじゃ、いったい何の了見で」
「軍師の娘にはふさわしいことでございましょう」
「やはり」
「たまには、旦那さまとふたりっきり、いいではありませぬか」
「しかし何も裸にまでならずともよい」
「あれは偶然」
どこまでが本当だか。武田家随一の知恵者と称される己が、たかが小娘に翻弄されているのかと思うと情けない。
「で、どうでした、わたくしの裸」
「馬鹿なことを申すな」
「はい」
「よいか、おぬしは我が娘じゃ」
「はい」
「そのつもりでわしはそなたを慈しんでおる、これ以上はしたない真似はするなよ」
「はい」
「うむ」
「旦那様」
「……ん」
「玄関でのお顔、真っ赤でおもしろうございました」
怒鳴りつけてやろうかと思った。
リツの愛くるしい顔も、いまばかりは憎たらしい。
ぱっちりとした黒い瞳が、臆することなく勘介をみつめている。
肝の座った、座り過ぎた女だ。
小柄な体駆は可憐なほどで、どこにそんな活力が潜んでいるのか不思議だった。
(あの透き通るような肉体に)
参
勘介は、着物に隠されているリツの肉体を想った。
やはり武家の娘であるのか、日焼けをしていない白い肌だった。
四肢は細いが、骨だけは親譲りでしっかりとしているようである。
形よく整った釣鐘型の乳房の先に息づく桃色の蕾は、処女であることの証拠のように思えた。
しかし下復に茂る繊毛の黒さは肌の白と対照をなして、妙になるほど扇情的だ。
若葉のようなリツの体は、枯れたはずの勘介に思わぬ劣情を催させたのだった。
もう何年もおんなを抱いていない勘介にとって、若いリツの体は魅力ではあった。
だからといって、抱きたいとも妻にしたいとも思わないのが、勘介という男である。
リツの伴侶は前途ある若者でなくてはならない。しかし、それを言っても判らぬであろう。
リツは、あくまで娘に過ぎない。
「あの、もうお終いでございましょうか」
勘介は菜物も椀物も食い終っていた。
「あ……ああ、うむ」
「また、呆としていらっしゃいましたよ」
好奇心いっぱいの幼女がはしゃいでいるようなあどけない顔で、リツがころころと笑う。
「左様か」
「あの」
リツが、何か白いものをそっと差し出した。
布である。
勘助が受けとると、ごわごわした感触。
広げてみて
「ふんどし?」
と気付いた。
「誰のじゃ」
「あなたさまの」
「馬鹿ッ!」
大声を出すと、こめかみが痛かった。
どうしてリツは驚かすようなことばかりするのか。
「お気に召しませぬか、破れていたので」
縫ってさしあげたのか?先刻のは、あれか。
「裸で縫っておったのか!」
「もう暑い季節にござります、皆もいないことですし、だから裸で」
「己の褌の世話くらい、己でするわ!」
とにかく、女に褌を見られたことが恥ずかしい。とくに、この女には。
「リツ、おぬしは、余計なことばかりじゃ!」
勘介は怒鳴ってから少し後悔した。
リツの笑顔は消えて、能面のようになっている。
しかし、これくらいはと思い直し
「明日は、非番の予定じゃったが止めた、出仕する」
そう冷たく言い捨てて、奥の自室に帰った。
あとには、リツと褌が残った。
今は剃髪して道鬼と号している山本勘助は、夜中雷の音で目覚めた。
轟音と激しい雨音に混じって、小さな足音がこちらへと近づいてくるのが聞こえる。
(やれやれ)
勘助が枕元の眼帯を拾い上げて結び終えたのと、寝所と次の間を隔てる襖が開いたのとはほぼ同時だった。
「旦那様……!」
開いた戸から橙色の塊が勘助めがけて突進してきた。
リツを抱きとめた勘助の背後、明り取りの障子を透かして稲光が光る。
──雷。
可愛らしい外見をしているくせに恐ろしく知恵が回り、なまじそのあたりのの武将などよりもよほど胆力のあるリツが、
この世で恐れる唯一のものである。
養女となって始めての雷雨の夜、リツがこのように勘助の寝所に逃げ込んで来た時には、
勘助は、彼女が雷を口実に夜這いをかけてきたのでは、と疑った。
後日、実父の原美濃守にそれとなく探ったところ、この娘が幼い時より、
「雷だけには弱い」
というのはまことで、実家でも父の寝所に潜り込んでいたということを聞いた。
以後、この養女が雷が鳴る度に大騒ぎするのに、甘んじてつき合ってやっている次第である。
それが父親の役目というのならば仕方ないが、なにか納得いかないものを感じている勘助ではあった。
「これ、たかが雷ごときにそのようにおびえるでない」
「怖いものは仕方がないではありませぬか」
「が、いつまでも雷が怖いと父に甘えてどうする。子供ではあるまいに」
「されど、旦那様のほかにこの館に助けを求められる者などおりませぬ」
勘助の脳裏にこの家の他の住人──伝兵衛に太吉夫婦、茂吉らの顔が浮かんだ。
確かに、おくまはともかく、ほかの者にリツの取り乱した姿を見せたくはない。
勘助は溜め息をついた。
「だから常日頃早う婿を取れと申しておるのじゃ」
「それとこれとは別でござりまする!……きゃっ」
一際大きな雷鳴に勘助の胸にぐりぐりと顔を押し付けてきたリツの背中を、勘助は仕方なくさすってやった。
「……しかしあの鬼美濃殿の娘でありながら、雷が恐いとは面妖至極……」
勘助は武田家に仕官したばかりの頃、雄たけびを上げながら自分に向けて剣を振りかざした原美濃守の形相を思い出しながら言った。
「は? なにゆえでございますか」
「あのお方は見た目といいお声といい、まこと雷神のごときではないか」
リツが顔を上げ反駁する。
「何をおっしゃいますか。父上はところ構わず落ちて来てドシーン!!とかバリバリ!!などと恐ろし気な音でわたくしを脅かしたり、
お宮の杉の木を真っ二つにしたりはいたしません!」
怖がっているわりには、身振り手振りを交えて熱弁するリツである。
「矢や刃なら防ぎようもありますが、どこに落ちるかわからぬものからは、逃れようがありませぬ。だからこそ恐ろしいのではありませんか」
「……それではわしの側におったところで詮無きことではないか?」
リツはブンブンと頭を振った。
「いいえ。一人でいるよりはずっとずっと心強うございます。それにアレは一人で居る女子を選んで落ちるものと聞いておりまする」
リツは雷、という言葉を口にするのもイヤなようである。
「アレは女子のへそが大好物なのだと乳母も申しておりました」
いったいこの娘は現実的なのか迷信深いのか……。その発言の矛盾を突こうと口を開けた勘助を、リツは潤んだ瞳で黙らせた。
「どうぞ、もうしばらくお側にいさせてくださいませ。後生でございます」
そんなやり取りを繰り返すうち、稲光と雷鳴との合間はどんどん短くなっている。
やがて一際鮮やかな閃光が部屋を白く染め、地震のように館が揺れた。
雷は近くに落ちたらしい。
「いやあ……っ!!」
リツが飛び上がって勘助の首にしがみついた。
「落ち着け、落ち着くのじゃ。取り乱すでない」
それはリツにではなく、むしろ自分へ向けた言葉だった。声が裏返ったのは雷のせいではない。
夏のことで夜着の布地は薄く、胸に押し付けられた乳房が、勘助の中枢に生々しい感覚を伝える。
出家し、齢五十を過ぎたとは言え、毎日鍛練を欠かさぬ勘助の体は頑健そのもので、そして十分にまだ「男」である。
心臓がばくばくと波打つ中、必死に養女をなだめる言葉を探す。
「案ずるな、わしがついておる!だから、もそっと離れよ、の?」
リツのしがみつく力はゆるまない。いったいこの細い体の一体どこにこのような力があるというのか。
恐怖のために速くなっている鼓動が、細かい身の震えがたまらなく愛おしい。
この愛おしさは父親の感情か。
恐らく──否である。
が、この娘を妻でなく養女にすることを決めたのは己だ。
そうしたことには様々な理由があったが、
若く美しい娘を、自分のような老いぼれの妻とするのはあまりに不憫。
リツにとってもよかれと思ってしたことだ。だから悔いてはいない。
この娘には、もっとほかに相応しい男がおる。己が由布姫様に捧げたように、この娘を真摯に愛し、
己よりもはるかに長く娘の側にいてやることのできる、若く強い男が。
しかし、その一方で思っているのだ。
この愛おしい娘を、誰にも触れさせたくない。
この腕の中にいる娘を守る役目を、近い将来ほかの男に委ねなければならぬと思うと、
勘助は身を焼かれる心地がした。
なんという欺瞞だ。
自分は、持ち込まれぬ縁談に鼻もひっかけないリツを叱咤しながら、実はそのたびに胸を撫で下ろしているのだ。
勘助は目を閉じた。
瞼の裏には、乱れた裾からこぼれ出したリツの脛が、雷光で白く焼き付いている。
リツの頬が勘助の首筋にぴたりと張り付く。その滑らかな感触に勘助は総毛立った。
乱れた息遣い、髪の匂い、わずかに震える温もり。その全てが勘助の理性を揺るがす。
勘助は腕の中に、リツの体と己の煩悩を、必死に封じ込めた。
*
「はああ……生きた心地が致しませなんだ」
リツがため息混じりに言った。
雷は去り闇が戻った寝所をぼんやりと常夜灯が照らしている。
雨はまだ降り続いているようだ。
すがりつくリツに押し切られて、褥に仰向けに倒れてしまっている勘助に、リツが覆いかぶさっている。
「……いつまでそうしておるか。早うどけ」
手を振って追い払おうとする勘助の首に、リツはくすくす笑いながら抱きついた。
「よいではありませぬか、もう少し甘えさせてくださいませ、旦・那・様」
「調子に乗るでない!」
勘助は体を起こしてリツを振り払い、乱れた襟元を正した。
生きた心地がしなかったのはこちらの方である。
リツの女体に掻き立てられた血の猛りは、いまだ鎮まらず、勘助の体のあちこちでくすぶっている。
父として接するのはもう限界なのかもしれぬ──。
今宵という今宵はそれを思い知らされた。
日々艶やかさ重ねていく娘に、いつか取り返しのない過ちを犯してしまう前に──
勘助は居ずまいを正した。
「──リツ」
「はい」
「一日も早く婿を取るのじゃ」
「またその話でございまするか──聞きとうございませぬ」
リツはぷいっと膨れて横を向いてしまった。
「聞け。わしはもう老いぼれじゃ。いつまでもそなたを守ってはやれぬのだ」
「──そうは思えませぬが?」
リツが勘助の体に意味ありげな視線を這わせた。
勘助はたじろいだ。己の欲望の気配を悟られていたのか。
不穏に騒ぐ鼓動を抑え、強いて父親らしい厳しい顔と声を作る。
「──よいから、何も言わずに、次にわしが連れてきた男を婿とするのじゃ。よいな。もうこれ以上先延ばしにすることは許さぬ」
勘助のただならぬ物言いに、リツの顔からすっと表情が消えた。
どれほど雨音を聞いただろうか。
リツは口を開いた。
「わかりました。おっしゃる通りにいたします」
虚ろな瞳はそのままに、リツは口元だけを動かしている。
自分で言い出したことだが、あまりのあっけなさに、勘助は少し拍子抜けした。
「……そ、そうか。うむ。よくぞ申した。では早速──」
「ただし」
望む答えを得た割には、力のない勘助の声を、リツの強い声が圧する。
「一つだけ条件がございます。──私を一夜だけ旦那様の妻にしてくださいませ」
一瞬その言葉の意味を理解できず、勘助はきょとんとした。
リツが手で己の顔を覆い、搾り出すように言う。
「この家に養女として参った時には、覚悟ができていたと思ったのです。旦那様の妻になれないのであれば、
相手が誰であっても同じこと──ならば、旦那様がお選びになった方を夫として受け入れようと。
……されど、やはりイヤ。私は旦那様でないとイヤ」
馬鹿なことを申すな、と言うつもりだったが、勘助は声が出なかった。
リツの顔が苦しそうに歪む。
「だから、せめて一夜だけでよいのです。お情けをいただければ、私は誰とでも祝言を挙げてさしあげます。
茂吉でも伝兵衛でも、誰であっても否やは申しませぬ。ただ一夜、旦那様が私を抱いてくだされば──」
リツが思いのたけを全てを吐き出し終わる寸前、灯火が急に激しく揺れた。
燃え尽きる寸前に一際大きく燃え上がった炎が、涙に濡れたリツの貌を照らし、消えた。
燈芯が尽き果てて真の闇に包まれた部屋を、再び雨の音が包んでいる。
「……愚かなことを申しました。お忘れくださいませ。道鬼様」
部屋に沈んでいた湿った空気がゆらりと動き、リツの足音が廊下を遠ざかっていくと、
勘助は、宙に浮かしたままリツに届かなかった腕を、はた、と褥に落とした。
「わしは……間違ってはおらぬ」
リツを妻ではなく娘とした己の選択を、誤りではないと思いながらも、
胸を押さえられるような苦しさに、勘助はその夜眠ることができなかった。
おわり
轟音と激しい雨音に混じって、小さな足音がこちらへと近づいてくるのが聞こえる。
(やれやれ)
勘助が枕元の眼帯を拾い上げて結び終えたのと、寝所と次の間を隔てる襖が開いたのとはほぼ同時だった。
「旦那様……!」
開いた戸から橙色の塊が勘助めがけて突進してきた。
リツを抱きとめた勘助の背後、明り取りの障子を透かして稲光が光る。
──雷。
可愛らしい外見をしているくせに恐ろしく知恵が回り、なまじそのあたりのの武将などよりもよほど胆力のあるリツが、
この世で恐れる唯一のものである。
養女となって始めての雷雨の夜、リツがこのように勘助の寝所に逃げ込んで来た時には、
勘助は、彼女が雷を口実に夜這いをかけてきたのでは、と疑った。
後日、実父の原美濃守にそれとなく探ったところ、この娘が幼い時より、
「雷だけには弱い」
というのはまことで、実家でも父の寝所に潜り込んでいたということを聞いた。
以後、この養女が雷が鳴る度に大騒ぎするのに、甘んじてつき合ってやっている次第である。
それが父親の役目というのならば仕方ないが、なにか納得いかないものを感じている勘助ではあった。
「これ、たかが雷ごときにそのようにおびえるでない」
「怖いものは仕方がないではありませぬか」
「が、いつまでも雷が怖いと父に甘えてどうする。子供ではあるまいに」
「されど、旦那様のほかにこの館に助けを求められる者などおりませぬ」
勘助の脳裏にこの家の他の住人──伝兵衛に太吉夫婦、茂吉らの顔が浮かんだ。
確かに、おくまはともかく、ほかの者にリツの取り乱した姿を見せたくはない。
勘助は溜め息をついた。
「だから常日頃早う婿を取れと申しておるのじゃ」
「それとこれとは別でござりまする!……きゃっ」
一際大きな雷鳴に勘助の胸にぐりぐりと顔を押し付けてきたリツの背中を、勘助は仕方なくさすってやった。
「……しかしあの鬼美濃殿の娘でありながら、雷が恐いとは面妖至極……」
勘助は武田家に仕官したばかりの頃、雄たけびを上げながら自分に向けて剣を振りかざした原美濃守の形相を思い出しながら言った。
「は? なにゆえでございますか」
「あのお方は見た目といいお声といい、まこと雷神のごときではないか」
リツが顔を上げ反駁する。
「何をおっしゃいますか。父上はところ構わず落ちて来てドシーン!!とかバリバリ!!などと恐ろし気な音でわたくしを脅かしたり、
お宮の杉の木を真っ二つにしたりはいたしません!」
怖がっているわりには、身振り手振りを交えて熱弁するリツである。
「矢や刃なら防ぎようもありますが、どこに落ちるかわからぬものからは、逃れようがありませぬ。だからこそ恐ろしいのではありませんか」
「……それではわしの側におったところで詮無きことではないか?」
リツはブンブンと頭を振った。
「いいえ。一人でいるよりはずっとずっと心強うございます。それにアレは一人で居る女子を選んで落ちるものと聞いておりまする」
リツは雷、という言葉を口にするのもイヤなようである。
「アレは女子のへそが大好物なのだと乳母も申しておりました」
いったいこの娘は現実的なのか迷信深いのか……。その発言の矛盾を突こうと口を開けた勘助を、リツは潤んだ瞳で黙らせた。
「どうぞ、もうしばらくお側にいさせてくださいませ。後生でございます」
そんなやり取りを繰り返すうち、稲光と雷鳴との合間はどんどん短くなっている。
やがて一際鮮やかな閃光が部屋を白く染め、地震のように館が揺れた。
雷は近くに落ちたらしい。
「いやあ……っ!!」
リツが飛び上がって勘助の首にしがみついた。
「落ち着け、落ち着くのじゃ。取り乱すでない」
それはリツにではなく、むしろ自分へ向けた言葉だった。声が裏返ったのは雷のせいではない。
夏のことで夜着の布地は薄く、胸に押し付けられた乳房が、勘助の中枢に生々しい感覚を伝える。
出家し、齢五十を過ぎたとは言え、毎日鍛練を欠かさぬ勘助の体は頑健そのもので、そして十分にまだ「男」である。
心臓がばくばくと波打つ中、必死に養女をなだめる言葉を探す。
「案ずるな、わしがついておる!だから、もそっと離れよ、の?」
リツのしがみつく力はゆるまない。いったいこの細い体の一体どこにこのような力があるというのか。
恐怖のために速くなっている鼓動が、細かい身の震えがたまらなく愛おしい。
この愛おしさは父親の感情か。
恐らく──否である。
が、この娘を妻でなく養女にすることを決めたのは己だ。
そうしたことには様々な理由があったが、
若く美しい娘を、自分のような老いぼれの妻とするのはあまりに不憫。
リツにとってもよかれと思ってしたことだ。だから悔いてはいない。
この娘には、もっとほかに相応しい男がおる。己が由布姫様に捧げたように、この娘を真摯に愛し、
己よりもはるかに長く娘の側にいてやることのできる、若く強い男が。
しかし、その一方で思っているのだ。
この愛おしい娘を、誰にも触れさせたくない。
この腕の中にいる娘を守る役目を、近い将来ほかの男に委ねなければならぬと思うと、
勘助は身を焼かれる心地がした。
なんという欺瞞だ。
自分は、持ち込まれぬ縁談に鼻もひっかけないリツを叱咤しながら、実はそのたびに胸を撫で下ろしているのだ。
勘助は目を閉じた。
瞼の裏には、乱れた裾からこぼれ出したリツの脛が、雷光で白く焼き付いている。
リツの頬が勘助の首筋にぴたりと張り付く。その滑らかな感触に勘助は総毛立った。
乱れた息遣い、髪の匂い、わずかに震える温もり。その全てが勘助の理性を揺るがす。
勘助は腕の中に、リツの体と己の煩悩を、必死に封じ込めた。
*
「はああ……生きた心地が致しませなんだ」
リツがため息混じりに言った。
雷は去り闇が戻った寝所をぼんやりと常夜灯が照らしている。
雨はまだ降り続いているようだ。
すがりつくリツに押し切られて、褥に仰向けに倒れてしまっている勘助に、リツが覆いかぶさっている。
「……いつまでそうしておるか。早うどけ」
手を振って追い払おうとする勘助の首に、リツはくすくす笑いながら抱きついた。
「よいではありませぬか、もう少し甘えさせてくださいませ、旦・那・様」
「調子に乗るでない!」
勘助は体を起こしてリツを振り払い、乱れた襟元を正した。
生きた心地がしなかったのはこちらの方である。
リツの女体に掻き立てられた血の猛りは、いまだ鎮まらず、勘助の体のあちこちでくすぶっている。
父として接するのはもう限界なのかもしれぬ──。
今宵という今宵はそれを思い知らされた。
日々艶やかさ重ねていく娘に、いつか取り返しのない過ちを犯してしまう前に──
勘助は居ずまいを正した。
「──リツ」
「はい」
「一日も早く婿を取るのじゃ」
「またその話でございまするか──聞きとうございませぬ」
リツはぷいっと膨れて横を向いてしまった。
「聞け。わしはもう老いぼれじゃ。いつまでもそなたを守ってはやれぬのだ」
「──そうは思えませぬが?」
リツが勘助の体に意味ありげな視線を這わせた。
勘助はたじろいだ。己の欲望の気配を悟られていたのか。
不穏に騒ぐ鼓動を抑え、強いて父親らしい厳しい顔と声を作る。
「──よいから、何も言わずに、次にわしが連れてきた男を婿とするのじゃ。よいな。もうこれ以上先延ばしにすることは許さぬ」
勘助のただならぬ物言いに、リツの顔からすっと表情が消えた。
どれほど雨音を聞いただろうか。
リツは口を開いた。
「わかりました。おっしゃる通りにいたします」
虚ろな瞳はそのままに、リツは口元だけを動かしている。
自分で言い出したことだが、あまりのあっけなさに、勘助は少し拍子抜けした。
「……そ、そうか。うむ。よくぞ申した。では早速──」
「ただし」
望む答えを得た割には、力のない勘助の声を、リツの強い声が圧する。
「一つだけ条件がございます。──私を一夜だけ旦那様の妻にしてくださいませ」
一瞬その言葉の意味を理解できず、勘助はきょとんとした。
リツが手で己の顔を覆い、搾り出すように言う。
「この家に養女として参った時には、覚悟ができていたと思ったのです。旦那様の妻になれないのであれば、
相手が誰であっても同じこと──ならば、旦那様がお選びになった方を夫として受け入れようと。
……されど、やはりイヤ。私は旦那様でないとイヤ」
馬鹿なことを申すな、と言うつもりだったが、勘助は声が出なかった。
リツの顔が苦しそうに歪む。
「だから、せめて一夜だけでよいのです。お情けをいただければ、私は誰とでも祝言を挙げてさしあげます。
茂吉でも伝兵衛でも、誰であっても否やは申しませぬ。ただ一夜、旦那様が私を抱いてくだされば──」
リツが思いのたけを全てを吐き出し終わる寸前、灯火が急に激しく揺れた。
燃え尽きる寸前に一際大きく燃え上がった炎が、涙に濡れたリツの貌を照らし、消えた。
燈芯が尽き果てて真の闇に包まれた部屋を、再び雨の音が包んでいる。
「……愚かなことを申しました。お忘れくださいませ。道鬼様」
部屋に沈んでいた湿った空気がゆらりと動き、リツの足音が廊下を遠ざかっていくと、
勘助は、宙に浮かしたままリツに届かなかった腕を、はた、と褥に落とした。
「わしは……間違ってはおらぬ」
リツを妻ではなく娘とした己の選択を、誤りではないと思いながらも、
胸を押さえられるような苦しさに、勘助はその夜眠ることができなかった。
おわり
近頃のリツは、どうも余計な知識を誰かから伝授されているらしい。
周りが面白がって、囃し立てるからいかんのだ。
このままでは鬼美濃殿に申し訳が立たぬ。
果てさて、如何致したものか…。
某、五十を越えてまで若妻を娶る積もりは毛頭ない。
元々隻眼破足、決して人好きせぬ外見もさることながら
家を栄えさせる事そのものに興味がない。
この様な男が伴侶では、余りにリツが不憫。
常々そう口に出しておるというに、わかって下さるのは
今の所忍芽様のみ。太吉から馬場殿、終いには諸角殿まで
「勘助、勿体無い事を申すな!それともお主、もう役に立たぬのか?」
などと相木殿のようなことを言う。
本当に役に立たぬのなら、むしろそれを理由に出来て有難いとまで思う。
未だ役に立つからこそ、こうして悩んでおるのではないか。
そうこうしているうちに、リツがまたとんでもない事をしてくれた。
先日風邪を引いてしまったようで、葉月に薬を頼んだのが拙かった。
何故目が覚めたら、手首が縛られておるのだ。
「旦那様、おはようございます。
頂いた練り菓子、たいそう美味しゅうございました。
今からお礼をしたいと思いますので、どうか暴れないでくださいね。」
満面の笑みでリツに言われ、何事か?と混乱しておる間に
その、下帯に手を掛けられて思わず叫んでしまった。
しかし、主が絶叫しておるというのに何故太吉は様子を見にこんのだ?
いや、見に来られても困ったことにはなったのだが。
「旦那様、お静かになさって下さい。」
咎めるように言われても…リツ、何か間違っておらんか?
こちらの静止の声も聞かず、覚束ない手つきながらも下帯を抜き取られる。
早朝の未だ力ない光とは言え、日の本とリツの興味深げな視線に晒されては
流石に起つ物も起たん。
これなら心配ないだろう、と情けなさはさておき安心しておったのに…。
誰だリツに尺八など教えたのはっっ?!!
ふいにリツの頭が下がった、と思いきや
ねっとりとした熱に一物が包まれ、予想外の刺激に思わず声をあげてしまった。
「うぁっ…な、な、何をしておるかリツっ?!」
「ですから、お礼を。
見ると実践するとではやっぱり違いますね。ええと、この辺り?」
口を離して、一体何処で何を見たのやら首を捻るリツ。
呆気なく起ち上がった雁首の辺りを舌でなぞられ、身体が跳ねるのを押さえられぬ。
先、裏筋と丹念に刺激されれば息が乱れ、声を抑えるのがやっと。
(このような事、一体誰が?どうやらこの手の縄は喇叭独特の縛り方。
という事は葉月か?あ奴、リツに何という事を…っ!!)
となんとか思考を逸らして耐えようとするも、物事には限界という物がある。
小さな口腔いっぱいに頬張られ、懸命に吸い上げられてはどうにもならん。
「ふっ…くぅ、リツ、やめっ…」
「ふぁふぇふぇほふぁいふぁふは(何故でございますか)?」
咥えながら上目遣いで喋るでない!もう些かも、身が持たぬ…。
こんなことでは鬼美濃殿にも姫様にも申し訳がたたん!
ましてや「由布、これで許してやれ」
と寛大に仰って下さったお舘様にも合わせる顔が…。
まて、お舘様?今は朝だ、ならば一つだけ理由は作れる!!
「リツっ…本日はどうしても、朝一番に出仕せよと、お舘様が…
だから、ひとまず離れてくれっ…」
リツにあったのは仕込まれた知識だけで、経験はないのが幸いだった。
男の身体を知り尽くしておれば、
「もう直に果てましょう?すっきりなさってからで宜しいではないですか。」
等と言われかねんところであった。
暴発寸前の一物を無理やり下帯に押し込め、着衣もそぞろに寝所を飛び出す。
背後でリツが、
「でしたら、お帰りになってから続きを致しますね。」
と申しておったような気がするが気のせいだろう。気のせいだと思いたい…。
朝餉を食い損ねた上、着崩れた衣のお蔭で本日はからかわれ通しだ。
駒井殿にまであの涼やかな調子で
「山本殿、袖から縄目の後が見え隠れしておりますよ。」
と指摘され、情けないやら腹が立つやら。
(それもこれも、リツに要らん事を吹き込んだ葉月!
あの喇叭、今度顔を見たら種子島の的にしてくれるわ!!)
そんなことをつらつら考えつつ種子島を眺めておると、
整備に呼ばれたのであろう、何時に無くにやけた顔の伝べえが姿を現した。
「あ、旦那様!…どうしただ?普段より一層怖い顔になってるだよ。」
「お主こそ、そのにやけた面はなんだ。何か良いことでもあったか…っ!」
いやいやそんなことねーだ、と手をふる伝べえの手首。
其処に残るのは、間違う事なき縄目の跡。
「…伝べえ、庭に直れ。」
「は?旦那様何言って…どうして泣いてるだ?
って旦那様種子島は人に向けちゃ危ねえってうわぁっっ?!」
「喧しいっ!!葉月は一体何をリツに吹き込んだ!
喇叭縛りなんぞ仕込んで、なんのつもりだっ!」
「うら知らねぇだよ!
なんであいつがやったことでって旦那様勘弁してくだせぇ~!!」
伝べえに逃げられ、苛ついていた所をお舘様に呼ばれた。
領民の為、出家なさるという。これぞ正に天の助け。
「某も共に出家いたしまする。
つきましては早速今晩にも手配致しましょう。」
「勘助、何もそう急ぐことは無いのだが…?」
「何を仰いますお舘様!兵は神速を尊ぶ、善は急げと申します。
ご心配召されるな、直にでも寺に使いをやりましょう!」
何となく不審げな眼を向けてこられるお舘様。
しかし「今晩の養女から逃れる為、出家したい」などとはとても言えぬ…。
こうして某山本信幸勘助は出家、名を道鬼と改めた。
屋敷に戻って伝べえに会うと、奴は目頭を押さえてこう言いおった。
「旦那様…心労で禿げる前に、剃っちまっただか。」
「伝べえ、もう何も言うな。」
勘助×リツ、大好きなのですが
この二人でエロ、となるとここまでしか書けませぬ。
第四次川中島前に大人の雰囲気で…な筆氏様おられましたら
どうかお願いいたします。
周りが面白がって、囃し立てるからいかんのだ。
このままでは鬼美濃殿に申し訳が立たぬ。
果てさて、如何致したものか…。
某、五十を越えてまで若妻を娶る積もりは毛頭ない。
元々隻眼破足、決して人好きせぬ外見もさることながら
家を栄えさせる事そのものに興味がない。
この様な男が伴侶では、余りにリツが不憫。
常々そう口に出しておるというに、わかって下さるのは
今の所忍芽様のみ。太吉から馬場殿、終いには諸角殿まで
「勘助、勿体無い事を申すな!それともお主、もう役に立たぬのか?」
などと相木殿のようなことを言う。
本当に役に立たぬのなら、むしろそれを理由に出来て有難いとまで思う。
未だ役に立つからこそ、こうして悩んでおるのではないか。
そうこうしているうちに、リツがまたとんでもない事をしてくれた。
先日風邪を引いてしまったようで、葉月に薬を頼んだのが拙かった。
何故目が覚めたら、手首が縛られておるのだ。
「旦那様、おはようございます。
頂いた練り菓子、たいそう美味しゅうございました。
今からお礼をしたいと思いますので、どうか暴れないでくださいね。」
満面の笑みでリツに言われ、何事か?と混乱しておる間に
その、下帯に手を掛けられて思わず叫んでしまった。
しかし、主が絶叫しておるというのに何故太吉は様子を見にこんのだ?
いや、見に来られても困ったことにはなったのだが。
「旦那様、お静かになさって下さい。」
咎めるように言われても…リツ、何か間違っておらんか?
こちらの静止の声も聞かず、覚束ない手つきながらも下帯を抜き取られる。
早朝の未だ力ない光とは言え、日の本とリツの興味深げな視線に晒されては
流石に起つ物も起たん。
これなら心配ないだろう、と情けなさはさておき安心しておったのに…。
誰だリツに尺八など教えたのはっっ?!!
ふいにリツの頭が下がった、と思いきや
ねっとりとした熱に一物が包まれ、予想外の刺激に思わず声をあげてしまった。
「うぁっ…な、な、何をしておるかリツっ?!」
「ですから、お礼を。
見ると実践するとではやっぱり違いますね。ええと、この辺り?」
口を離して、一体何処で何を見たのやら首を捻るリツ。
呆気なく起ち上がった雁首の辺りを舌でなぞられ、身体が跳ねるのを押さえられぬ。
先、裏筋と丹念に刺激されれば息が乱れ、声を抑えるのがやっと。
(このような事、一体誰が?どうやらこの手の縄は喇叭独特の縛り方。
という事は葉月か?あ奴、リツに何という事を…っ!!)
となんとか思考を逸らして耐えようとするも、物事には限界という物がある。
小さな口腔いっぱいに頬張られ、懸命に吸い上げられてはどうにもならん。
「ふっ…くぅ、リツ、やめっ…」
「ふぁふぇふぇほふぁいふぁふは(何故でございますか)?」
咥えながら上目遣いで喋るでない!もう些かも、身が持たぬ…。
こんなことでは鬼美濃殿にも姫様にも申し訳がたたん!
ましてや「由布、これで許してやれ」
と寛大に仰って下さったお舘様にも合わせる顔が…。
まて、お舘様?今は朝だ、ならば一つだけ理由は作れる!!
「リツっ…本日はどうしても、朝一番に出仕せよと、お舘様が…
だから、ひとまず離れてくれっ…」
リツにあったのは仕込まれた知識だけで、経験はないのが幸いだった。
男の身体を知り尽くしておれば、
「もう直に果てましょう?すっきりなさってからで宜しいではないですか。」
等と言われかねんところであった。
暴発寸前の一物を無理やり下帯に押し込め、着衣もそぞろに寝所を飛び出す。
背後でリツが、
「でしたら、お帰りになってから続きを致しますね。」
と申しておったような気がするが気のせいだろう。気のせいだと思いたい…。
朝餉を食い損ねた上、着崩れた衣のお蔭で本日はからかわれ通しだ。
駒井殿にまであの涼やかな調子で
「山本殿、袖から縄目の後が見え隠れしておりますよ。」
と指摘され、情けないやら腹が立つやら。
(それもこれも、リツに要らん事を吹き込んだ葉月!
あの喇叭、今度顔を見たら種子島の的にしてくれるわ!!)
そんなことをつらつら考えつつ種子島を眺めておると、
整備に呼ばれたのであろう、何時に無くにやけた顔の伝べえが姿を現した。
「あ、旦那様!…どうしただ?普段より一層怖い顔になってるだよ。」
「お主こそ、そのにやけた面はなんだ。何か良いことでもあったか…っ!」
いやいやそんなことねーだ、と手をふる伝べえの手首。
其処に残るのは、間違う事なき縄目の跡。
「…伝べえ、庭に直れ。」
「は?旦那様何言って…どうして泣いてるだ?
って旦那様種子島は人に向けちゃ危ねえってうわぁっっ?!」
「喧しいっ!!葉月は一体何をリツに吹き込んだ!
喇叭縛りなんぞ仕込んで、なんのつもりだっ!」
「うら知らねぇだよ!
なんであいつがやったことでって旦那様勘弁してくだせぇ~!!」
伝べえに逃げられ、苛ついていた所をお舘様に呼ばれた。
領民の為、出家なさるという。これぞ正に天の助け。
「某も共に出家いたしまする。
つきましては早速今晩にも手配致しましょう。」
「勘助、何もそう急ぐことは無いのだが…?」
「何を仰いますお舘様!兵は神速を尊ぶ、善は急げと申します。
ご心配召されるな、直にでも寺に使いをやりましょう!」
何となく不審げな眼を向けてこられるお舘様。
しかし「今晩の養女から逃れる為、出家したい」などとはとても言えぬ…。
こうして某山本信幸勘助は出家、名を道鬼と改めた。
屋敷に戻って伝べえに会うと、奴は目頭を押さえてこう言いおった。
「旦那様…心労で禿げる前に、剃っちまっただか。」
「伝べえ、もう何も言うな。」
勘助×リツ、大好きなのですが
この二人でエロ、となるとここまでしか書けませぬ。
第四次川中島前に大人の雰囲気で…な筆氏様おられましたら
どうかお願いいたします。
首を捻って何事か思案していた葉月は、ポンと手を打ち鳴らして
「抵抗されるなら、相手の動きを封じてしまえばいいのでは?
リツ様、私が喇叭独特の手の縛り方を教えてさしあげますよ。」
またとんでもない事を妙案とばかりに聞かされ、今度は本当に眼が回りました。
「葉月、旦那様を縛るなんてそんな事…」
「何仰ってるんですか。緊縛だって愛があれば問題ないことは、
リツ様も昨夜見られたでしょう?」
昨夜の艶かしいお二人を思い出し、今度は頭にカッと血が上ります。
私の様子を興味深げに見ていた葉月は、今度は私の手を曳きました。
「喇叭の薬湯は即効性だから、もう効いてきたでしょう?
そうとなれば、見て覚えるのが一番!」
曳かれるまま寝所を出て縁側まで行くと、
其処には何時もの様に伝べえが昼寝しておりました。
「丁度いいところにいい獲物が。
リツ様、よぉーくご覧になっていてくださいよ。」
笑ってそう言うと、葉月は早速懐から縄を取り出し
猫のように伝べえに近づくと…あっという間にその手首を縛り上げてしまったのです。
「なぁっ?!お、おめぇ葉月!!一体なにするだ?!」
驚いた伝べえが手首を捩っても、一向に解ける気配がありませぬ。
これなら確かに、女の細腕でも殿方の動きを封じることができそうです。
「何するも何も…相変わらず隙だらけ。
そんなことで伝べえの主人の役にたてるのか?」
「う、煩いっ!屋敷で昼寝していて何が悪い!!
…何乗ってきてるだ、早くこれを解くだ!」
「嫌なこった。それぐらい自分で解けなきゃ、間者なんて務まらないよ?」
真っ赤になって怒鳴る伝べえに、何時の間にやら伸しかかって楽しそうな葉月。
何やらお邪魔のような気がして、
私はこっそり寝所に戻って床に入りました。
薬湯の御蔭か、ぐっすり眠って夕刻に眼を覚ますと
おくまが白湯と、珍しい練り菓子を盆に載せて持ってきてくれました。
「おくま、その菓子は?」
「ああ、これは旦那様が。
『リツが眼を覚ましたら、食べさせてやってくれ』だと。」
朴念仁の癖に妙な所だけ気が回るだな、と笑うおくまと一緒に笑って
私はその、甲斐では滅多に手に入らない菓子を口に入れました。
ほんのりと甘さが口の中に広がり、溶けて消えてゆくそれはとても美味。
「リツ様、元気になっただか?」
「ええ、とても。旦那様にはお礼をしなくては。
おくま、縄を一本持ってきて欲しいのだけど。」
「?それでお礼をするのけ?」
おくまの訝しげな問いに、私はにっこり笑って答えました。
その翌朝。
旦那様の悲鳴ともなんとも付かない声が、山本家の屋敷に響き渡りました。
太吉たちは
「どうせいつものことずら。」
と、寝所には来なかった様でございます。
さらにその夕刻。
心なしか煤だらけになった伝べえが、私の元へ訪れました。
「リツ様、一体旦那様に何しただ?うら、
『葉月は一体何をリツに吹き込んだ!!喇叭縛りなんぞ仕込んで、
なんのつもりだっ!!』って旦那様に城の中庭で、種子島の的にされただよ。
あいつのやったことで、うらを責めてもどうしよーもねえだに。」
ぼやく伝べえに手ぬぐいを渡しつつ、私は首を傾げます。
「さぁ、腕を縛った時は確かに随分と驚かれておられました。
でもその後は、喜んで頂けたと思っておりましたけど…?」
ただ、拙いながらも於琴姫からご教授された技を駆使しておりましたら
息を荒げて涙目になった旦那様に
「リツっ…本日はどうしても、朝一番に出仕せよと、お舘様が…
だから、ひとまず離れてくれっ…」
と仰られて致し方なく離れて、縄を解いて差し上げたら
物凄い速さで仕度されて朝餉も取らずにお屋敷を出て行かれたぐらいで。
「殿方は、途中で止められるとたいそう辛いとお聞きしました。
それでご機嫌が悪かったのでしょうか?」
考えつつ伝べえを見やると、何故か目頭を押さえています。
「旦那様…道理で泣きながら種子島を構えてただか…。
うら、今回ばかりは旦那様に同情するだ…。」
「?」
私の悩み事は、ひとまず進展した様でございます。
旦那様が帰ってこられましたら、是非今朝の続きをして差し上げないと。
そしてゆくゆくは、旦那様のお子を産んで差し上げねばなりません。
「勘助…、このままだと心労で禿げるんでねえか?」
「??」
勘助が不憫です、これでも勘助ファンですごめんなさい。
突っ込みどころ多すぎるんで書き逃げします。
「抵抗されるなら、相手の動きを封じてしまえばいいのでは?
リツ様、私が喇叭独特の手の縛り方を教えてさしあげますよ。」
またとんでもない事を妙案とばかりに聞かされ、今度は本当に眼が回りました。
「葉月、旦那様を縛るなんてそんな事…」
「何仰ってるんですか。緊縛だって愛があれば問題ないことは、
リツ様も昨夜見られたでしょう?」
昨夜の艶かしいお二人を思い出し、今度は頭にカッと血が上ります。
私の様子を興味深げに見ていた葉月は、今度は私の手を曳きました。
「喇叭の薬湯は即効性だから、もう効いてきたでしょう?
そうとなれば、見て覚えるのが一番!」
曳かれるまま寝所を出て縁側まで行くと、
其処には何時もの様に伝べえが昼寝しておりました。
「丁度いいところにいい獲物が。
リツ様、よぉーくご覧になっていてくださいよ。」
笑ってそう言うと、葉月は早速懐から縄を取り出し
猫のように伝べえに近づくと…あっという間にその手首を縛り上げてしまったのです。
「なぁっ?!お、おめぇ葉月!!一体なにするだ?!」
驚いた伝べえが手首を捩っても、一向に解ける気配がありませぬ。
これなら確かに、女の細腕でも殿方の動きを封じることができそうです。
「何するも何も…相変わらず隙だらけ。
そんなことで伝べえの主人の役にたてるのか?」
「う、煩いっ!屋敷で昼寝していて何が悪い!!
…何乗ってきてるだ、早くこれを解くだ!」
「嫌なこった。それぐらい自分で解けなきゃ、間者なんて務まらないよ?」
真っ赤になって怒鳴る伝べえに、何時の間にやら伸しかかって楽しそうな葉月。
何やらお邪魔のような気がして、
私はこっそり寝所に戻って床に入りました。
薬湯の御蔭か、ぐっすり眠って夕刻に眼を覚ますと
おくまが白湯と、珍しい練り菓子を盆に載せて持ってきてくれました。
「おくま、その菓子は?」
「ああ、これは旦那様が。
『リツが眼を覚ましたら、食べさせてやってくれ』だと。」
朴念仁の癖に妙な所だけ気が回るだな、と笑うおくまと一緒に笑って
私はその、甲斐では滅多に手に入らない菓子を口に入れました。
ほんのりと甘さが口の中に広がり、溶けて消えてゆくそれはとても美味。
「リツ様、元気になっただか?」
「ええ、とても。旦那様にはお礼をしなくては。
おくま、縄を一本持ってきて欲しいのだけど。」
「?それでお礼をするのけ?」
おくまの訝しげな問いに、私はにっこり笑って答えました。
その翌朝。
旦那様の悲鳴ともなんとも付かない声が、山本家の屋敷に響き渡りました。
太吉たちは
「どうせいつものことずら。」
と、寝所には来なかった様でございます。
さらにその夕刻。
心なしか煤だらけになった伝べえが、私の元へ訪れました。
「リツ様、一体旦那様に何しただ?うら、
『葉月は一体何をリツに吹き込んだ!!喇叭縛りなんぞ仕込んで、
なんのつもりだっ!!』って旦那様に城の中庭で、種子島の的にされただよ。
あいつのやったことで、うらを責めてもどうしよーもねえだに。」
ぼやく伝べえに手ぬぐいを渡しつつ、私は首を傾げます。
「さぁ、腕を縛った時は確かに随分と驚かれておられました。
でもその後は、喜んで頂けたと思っておりましたけど…?」
ただ、拙いながらも於琴姫からご教授された技を駆使しておりましたら
息を荒げて涙目になった旦那様に
「リツっ…本日はどうしても、朝一番に出仕せよと、お舘様が…
だから、ひとまず離れてくれっ…」
と仰られて致し方なく離れて、縄を解いて差し上げたら
物凄い速さで仕度されて朝餉も取らずにお屋敷を出て行かれたぐらいで。
「殿方は、途中で止められるとたいそう辛いとお聞きしました。
それでご機嫌が悪かったのでしょうか?」
考えつつ伝べえを見やると、何故か目頭を押さえています。
「旦那様…道理で泣きながら種子島を構えてただか…。
うら、今回ばかりは旦那様に同情するだ…。」
「?」
私の悩み事は、ひとまず進展した様でございます。
旦那様が帰ってこられましたら、是非今朝の続きをして差し上げないと。
そしてゆくゆくは、旦那様のお子を産んで差し上げねばなりません。
「勘助…、このままだと心労で禿げるんでねえか?」
「??」
勘助が不憫です、これでも勘助ファンですごめんなさい。
突っ込みどころ多すぎるんで書き逃げします。