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うろほろぞ
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 ふと、トゥーカッターがしげしげと手の中の小さなラッピングを見ているところに通りすがり、アマゴワクチンは何気なくそれを覗き込んだ。

「何だそれ」

 外は寒々と晴れ渡った冬空。2月の冷えた空気に、一走りしてきたワクチンの息は白い。それに、一見無表情に見えるいつもの顔で、トゥーカッターは彼を振り仰いだ。

「嬢ちゃんからな」

 その呼び名は、本人は嫌がる呼び方だったが、同じ全日本チームの紅一点であるアンカルジアを指していた。

「あー、バレンタインか。忘れていたな」

「…せっかく今年はこいつから逃げられると思ったんだが…」

 渋いような口調で言うトゥーカッターが、こういった行事ものや甘ったるい菓子があまり得手でないのは知っていたワクチンだったが、その余りの言いように思わず笑う。
 流石にいくつもの重賞に名を連ねるような彼に、昨年一昨年とファンからのチョコレートも届いただろう事は、自分や同年代の知り合いを思い返しても想像に難くない。
 それにしても、ファンからの人気投票的な意味合いの贈り物とは違って、どこか胸にちくりと痛いような感覚が残るのは、ワクチン自身も自分に苦笑するしかなかった。アンカルジアがトゥーカッターにこんな贈り物をするとは思いもしなかったのだ。
 彼女は、…こんな風に思うのは悪いと思いつつも、亡くした恋人だけを想っているような、そんな一途さを感じていたワクチンだった。

「お前食うか?ワクチン」

 そこに無神経に言い放つトゥーカッターに、軽く横蹴りを入れてやったのは仕方がない。

「バカ言え。アンカルジアにばれたら後が怖い」

「…お前も嬢ちゃんには弱いか……。さて困った……」

 そう言って包みを睨むトゥーカッターに、ワクチンもむっとした表情になる。思わず咎める言葉を口にしようと、息を吸い込んだそのとき、肝心のアンカルジアがひょこりと柱を回って顔を出した。

「あ、ワクチンここにいたのね。走りに出たって言うから向こうまで追いかけちゃったじゃない。はい、これ」

 そう言って、笑顔でワクチンにも包みを渡す。トゥーカッターのものと全く同じラッピングだった。一瞬、反応に困って呆けたような顔でアンカルジアを見たワクチンに、彼女は朗らかに笑った。

「本命のついででゴメンねお二人さん!ご挨拶も立派なバレンタインなのよ、これでも私、大和撫子なんだから!」

 およそ、そんな淑やかさとは正反対の闊達さで笑って、彼女はまた踵を返す。片手の小さな袋の中には、まだいくつかのラッピングがあった。

「ねえ、マキバオーとニトロ、見た?」

 そして、また春風のように駆けて行った彼女の後ろに取り残された二人は、顔を見合わせて、それから不器用にラッピングを解いた。
 小さな箱の中には、艶やかなチョコレートに、白い細い筆で、

義理

 と書かれていた。実に達筆だった。

「おい…」

「……いや…ここまでキッパリ書かれると…」

「実に清々しいな…」

 そして、二人は再び顔を見合わせて、笑った。腹を抱えて笑った。笑って、笑って、そしてその甘い菓子を口に入れた。ほろりと苦味もあるビターチョコレート。それを音を立てて噛み砕きながら、抜けるように青い空を見上げた。

「さっき、何で急に不機嫌になったんだ?」

「うるせえ。忘れろよ」

 ふうん、と、鼻を鳴らして、そしてトゥーカッターは出し抜けにワクチンの首を抱え込んだ。不意をつかれて、ワクチンも驚いた声を上げる。

「お前意外と焼き餅妬きだなぁ」

 そう言って笑うトゥーカッターに、顔を上げられずにただ小さく「うるせえ」と呻くワクチンの頬は赤くなっていた。
 ひとしきり、じゃれあうように暴れて、そのまま芝に座り込む。トゥーカッターにかけられたヘッドロックは外されていたが、それでもそのままワクチンは彼の肩によりかかってまた空を見上げた。

「アンカルジアの本命があんたになったかと思ったんだよ。よく考えればありえねえが」

「ふん。嬢ちゃんの本命なぁ。……その口ぶりだとお前知ってるんじゃねえのか?」

「知ってる」

 だが、そう言って、ワクチンはしばらく口をつぐんだ。その逡巡する気配に、トゥーカッターは急かすでもなくただ彼に肩を貸したままだった。
 しばらく黙りこくった後、ワクチンは小さく呟いた。

「死んじまったが………」

 少し息を飲んで、トゥーカッターは身じろいだ。
 そして、小さな声で「そうか」と言った。
 そのまま、二人は黙ったままで空を見上げた。お祭り騒ぎのようなこのイベントが、少しばかり悲しく遣る瀬無かった。 



「んあー!チョコレート!?アンカルジア、僕にくれるの?」

「そうよ。バレンタインですもの」

 嬉しさを素直に現わして、飛び跳ねて喜ぶマキバオーに、アンカルジアも笑顔でウィンクを返す。受け取って、早速にラッピングを開こうとするマキバオーの不器用な手先に、笑いながらパートナーの菅助が手を貸した。

「……ん………アンカルジア………」

 開けられた箱に、飛びついてマキバオーは一瞬固まる。手元を覗き込んで、菅助も苦笑いをした。

「直接的だねアンカルジア…」

 滑らかに優しい褐色のミルクチョコレートに、やはり白く書き記された「義理」の文字の仕様に、マキバオーは不満そうにアンカルジアを見た。

「んあー…せっかくモテモテになったと思ったのにー…」

「あら、でもいつもお世話になってるマキバオーに私からの感謝の気持ちなのよ?受け取ってくれないの?」

「んあんあ。美味しいチョコレートには文字は関係ないのね!いっただっきまーーーす!」

 幸せそうにチョコレートをほおばって、マキバオーはにこにこと笑う。美味しい、美味しいと、何度も言った。

「でも、義理なんて、もう書かなくてもいいと思うのね…」

 そう小さく呟いたマキバオーに、アンカルジアの微笑みは優しかった。果てしなく優しくて、優しくて、マキバオーも菅助も何も言えなくなった。
 
「アンカルジア……」

「送ったわ。ちゃんと。本命ってね。……鵡川のあなたの小父さんに言伝て。ちゃんと彼に渡してくれると思うわ。…きっと今年はちゃんと受け取ってくれるわよ。あのひねくれ者」

 小さな声で、アンカルジアは言った。優しい笑顔に、ほんの一粒、涙が光った。

 

                  ■■■■   ■■■■



 リカは、心底意外なことを聞いたように目を見開いて、いささか頓狂な声を上げた。

「バレンタインチョコですってぇ!?誰に渡すって言うのよアンタが!」

 その驚き方に、不服そうに拗ねた目でマキバコがリカを睨む。だが、すぐに呆れたように肩を竦めた。

「しかたないなぁー!アンタには縁のないオシャレなイベントだからって、オレまで一緒にせんでほしいわ!あのな、バレンタインはなー」

 得意そうにふんぞり返るマキバコに、うぐぐ、とリカは拳を握り締める。ここ最近、パートナーを組む相手同士だと言うのに、殴り合いが絶えない二人だったが、今日の原因はバレンタインかと思うと一層腹に据えかねるリカであった。
 確かにマキバコの言うとおり、今年に入ってもバレンタインに直結するようなロマンスなど欠片もない。用意したのも先輩や同僚に渡す義理チョコだけの我が身に、こうも正面切って揶揄されると歯噛みするしかない。
 しかし、続いたマキバコの言葉に、リカの拳の力は抜けた。

「バレンタインはな、世話になっとるおっさんたちにお礼のチョコ上げる日だぞ!知っとった?」

 振り上げた拳の下ろしどころに困るというのはまさにこれだ。リカはぽかんと口を開けた。一体誰の入れ知恵か…。だが、すぐに吹き出した。笑った。なんと可愛いことを言い出すのかと、そう思えて笑えて来た。
 急に笑い出したリカに、マキバコは口を尖らせて不満を表す。
 その赤いリボンで結わった前髪を撫でながら、リカは浮き立つ心のままに言った。
 乱暴もので、言うことを聞かないひねくれ者で。でも、やっぱり兄のマキバオーに似てちゃんと優しいこの娘に、リカは確かに可愛がる気持ちが強くなっている自分を知っていた。

「判ったわよ。私の負け。チョコ、一緒に作りましょうか。……ねえ、ねえ、誰に上げたいのよ。それは教えてよ」


「…ふ、ふん。しょうがない、リカの分も作ったる。本当は、アレだぞ。バラモンとかビシャモンとか、ボギーとか……ツァビデルとか……せ、世話になったからだかんな!」

 あ、あと兄貴にもかなあ、と呟くマキバコに、リカはくすくすと笑いながらその肩を押した。

「ほら。そうと決まったら材料揃えなきゃ。行きましょ!」

 そして、その後の厨房の騒ぎは派手だった。あまりの罵詈雑言と、派手に物の壊れる音と、悲鳴と。
 その凄まじさに恐れをなして、近寄ったものはいないと言う。ただ、まことしやかに流れた噂は、
 毒物を作っていたのだと言うものとか。
 刃傷沙汰があったのだというものとか。
 果ては、恐怖のあまり110番通報しかけたものがいたとかいなかったとか。

「だからそうじゃないって言ってんでしょ、何でチョコにハバネロ入れたがるのよあんたはーーー!!」

「うっさい、個性ってもんを知らんのか!!小娘!!」

「それはママレモン!洗剤だってば、やめなさい!!誰を暗殺するつもりよーーーーー!」


 こんこんと雪の舞い落ちる、バレンタインデーのその日。宮蔦一家の元に、小包が届けられた。宮蔦の親父さんは、差出人の名と、添えられたリカの手紙を見て、感涙に咽んだという。

「わしらのお嬢から、バレンタインのチョコレートだと…。立派な娘になって……!」

 親バカそのままに、男泣きに泣く親父さんの手から、手紙を受け取って目を走らせたボギーは、一瞬冷や汗をかいて包みを見る。その横で、お調子者のビシャモンが嬉しそうにラッピングに飛びついていた。

「泣かせるねー!お嬢の手作りチョコだよ。いやー、いいねいいねー。100の義理チョコよりこの一個が価値があるね!」

 そして嬉しそうに包みを開けて、口に入れた。

「ボギー?何難しい顔してんだよ。お嬢からの贈り物だぜ、素直にさあ」

 そう言ったバラモンに、ボギーは無言で手紙を押し付けた。ん?とそれを読んだバラモンの顔が引きつる。二人は、何の疑いもなくチョコレートを食べたビシャモンと、まだ泣きながらチョコレートをほおばった親父さんをじっと見た。

「…………!!!???」

「………!!!!」

 かたや、真っ赤な顔で辛さにのた打ち回る親父さん。かたや、口からシャボン玉を飛ばしてひっくり返ったビシャモン。
 ボギーは、深い溜息と共に、肩を落とした。
 バラモンの手から、はらりと落ちた手紙には、震える字でリカの心からの謝罪があった。

『ゴメンなさい、本当にゴメンなさい。頑張って止めたのだけど、私の目を盗んでマキバコがいくつかのチョコレートに激辛唐辛子と、洗剤を混入しています。もうどれがどれか判りません。このチョコレートは、彼女からの気持ちなので送りますけど、絶対に口にしないで下さい。絶対に食べないで下さい。お世話になってる皆さんにチョコレートを送りたいと言うマキバコの気持ちだけは、汲んで上げてください。本当にゴメンなさい!』

「ボ、ボギー………」

「救急車って、何番だ…?電話……」


                 ■■■■   ■■■■




 寒い風に、息を白く吐きながら、アンカルジアは丁度走り終えて立ち止まったニトロニクスに声を掛けた。

「気合入ってるわね、ニトロ。そろそろ休憩?」

「あ?なんだよ、用か?」

 弾ませた息を整えながら、アンカルジアを見る。楽しそうに笑って、彼女はニトロを手招きした。

「はい。あなたの分。バレンタインの」

 そう言って、小さなラッピングがニトロニクスに渡された。手の中の小さな華やかさを見て、ニトロは一瞬驚いたような顔をした。

「俺の?」

「そうよ?チョコ、嫌い?」

 悪戯っぽく笑うアンカルジアに、思わずニトロニクスはいつもの憎まれ口も利かずに、またラッピングを見た。戸惑いながら、思わずその場でラッピングを解いた。リボンを解きかけたときに、アンカルジアは軽く身を翻した。

「じゃあ、後でね」

「…あ、おい……!」

 思わず声を掛けた、ニトロに振り返らず、アンカルジアは駆けて行った。
 もう一度、リボンを解いた、その包みの中には、艶やかなビターチョコ。黒に近いほどの、濃い褐色の、光沢が奇麗だった。
 甘い香りが、した。

「…いいのかよ……」

 チョコレートを、持ったまま、ニトロニクスは呟いた。チョコレートの表面は、つるりと滑らかだった。




 鵡川の牧場で、源次郎は家の裏手の墓に、花と線香と、そして届いたばかりの包みを手向けた。
 皺深い手を合わせて、念仏を呟く。
 墓碑に刻まれた名を、感慨深そうに撫でて、そろそろ老境に差し掛かった目を瞬かせた。

「去年は受け取らなかったそうだなあ。チュウ兵衛よ。それでもあの子はお前を忘れないよ。忘れることばかりが良い事じゃないからな。ほれ、今年のお前宛のチョコレートだ。今年はちゃんと、受け取ってやれ。ちゃぁんと、礼を言ってやるんだぞ。お前の照れ屋は死んでも治らんかもしれんがなあ」

 そう言って、老牧場主は、低く笑った。
 そして、ゆっくり腰を上げた。

「さて、一仕事せにゃぁなぁ」


 高い空は、真っ白く染まって、まだ天から飽きることなく雪がひらひらと舞い落ちていた。



                        END

  
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