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うろほろぞ
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1
 並ぶ山々。雪は積もり、ありとあらゆる物を白く白く染めていた。
 ただ雪は降り積もり、家々を圧壊しそれでも降った。


「ああ、寒い。」
 馴鹿裘の若い男が二人。ちなみに、狐白裘は高級等と言っていられるのはもっと南の国だ。戴で狐白裘などと言っていたら凍えてしまう。
「言わないでよ。いくら地下は暖かいって言っても寒いんだから。」
 二人で震える。
 この男たち、一人を臥信といい一人を英章といった。
「ああ、ここからは当分出れないみたいだね。」
 外はすざまじい積雪。出ようにも出られない。
「さっき雪洞掘っておいたけど。でもやはり私達も潜伏しなければならないからね。」
二人の声だけが坑道に空しく響く。
「やっぱり、全然歯が立たないね。」
「なにせ六回失敗だもんなあ。」
溜息が漏れる。
 この五年、毎年のように兵を集めては挙兵して来た。しかし、毎回のように瓦解する。その理由は全くわからなかった。
 そして同じように、失踪した驍宗の姿を探し回った。この近くにいるはずだ。そうは思ってみてもいないものはいない。
 とにかく、できることはすべてやった。それでも全く状況は変わらなかった。
「まあ、阿選殿だからなあ。あの人には絶対敵わなかったし。」
 臥信の言葉も闇の中に吸い込まれた。
 暫く続く沈黙。
「もうだめかな。」
 その嫌な沈黙を破ったのは英章の小さな一言だった。
「英章……」
「なんだか、そんな風に思えて。あんな阿選に勝てるわけないよ。」
 そう笑う英章の表情は、あまりに暗い。
 それを見た臥信は笑いを堪え切れなかった。
「臥信、お前、」
「ごめん、いつも自信満々の英章がそんな事言うから。」
涙を流して笑う臥信の頭の上に巨大な鉄針が飛び、砂塵を舞い上げた。臥信の笑いが止まる。
「うわぁ、私を殺す気か。」
「笑い事じゃない。人が真剣に考えているのに。」
そう言った英章からも笑みが漏れる。
「お前はそう思わないの?勝てる方策でもあるのか。」
「え、ないよ。」
こんな状況なのにさわやかに笑う臥信に、英章は嘆息した。
「よく笑ってられるな。こんなふうに希望も何もない状態なのに。」
「そうかなあ。そんなに悲観しなくてもいいと思うけど。」

と、その時であった。
気配がする。
灯火は吹き消される。
「ついにばれたかな。」
「みたいだね。よくこんな雪なのに来るね。ほんとにやる気あるね、尊敬しちゃう。」
臥信は楽しそうに口を開く。英章は、もう付いていけないと思った。
「どうする。望みがないんでしょ。」
「莫伽言え。こんなところで捕まって、首刎ねられたくはないね。」
「で、どこ逃げる?」
 一本、火矢が舞い込む。
二人の顔が照らし出される。
「この脇道から外の雪洞に繋がってる。」
脇道から雪洞に入ってすぐ、さっきいた坑道で皮甲が擦れる音が聞こえた。
とりあえず、内側から入口を隠しておく。
「どうする?」
「とりあえずは外に逃げるしかない。」
 雪洞は水を掛けて固め、倒壊を防いでいた。だから氷柱等の突起がそこらじゅうにあり、またそれが鋭く、擦ると手が切れた。
 しかも床は滑る。進むのは大変だった。

 呼び笛の音が響く。
「ばれたみたいだね。」
「さすがにばれたね。あれじゃあ、ちょっと見れば焚火の跡がわかるからね。」
 雪洞から出る。ここはかろうじてさっきの坑道からは死角だ。
「とにかくこっちに逃げよう。」
少し雪も強くなり、裘越しに肌に刺すようだった。
「臥信、逃げる宛はあるのか?」
「ないけど。あるわけないと思うよ。」
英章は気抜けた。率先して進んでいくからてっきり……。
「それじゃあ、どうする。」
「とにかく穴を探そうと思うけど。」
「適当だなあ。私は凍死なんてかっこわるい死に方したくないからね。」
 臥信に事の重大さがわかっているのか、英章は不安だ。しかしこうなったら、この超楽天家に付いていくしかなさそうだ。
 臥信と話していると、どんどん希望が薄れそうなので英章は臥信を無視して、黙々と歩く。
 雪は少しずつ強くなっていく。日もとっくに落ち、視界が薄れていく。
「臥信!」
「なに?」
「前になにかない?」
 この積雪を歩く、それに二人は相当の体力を奪われていた。
「こんな山奥だからなあ、あ!」
突然臥信が止まったので英章は臥信にぶつかった。
「臥信、どうしたの?」
「明かりが見える。ほら。」
「お、たしかに」
そこには、小さなあかりが、しかししっかりと確認できた。


 二人は奇跡かと思った。どうしてこんな山奥に小屋等があると考えるだろうか。
さっそく、英章が戸を敲く。
「はい。」
戸が開くと、若いを少し過ぎた程度の男が立っていた。
服が少し違う。小屋も見たことのない構造。
二人は、この男が海客だと直感した。
「私は臥信という者です。隣の英章と道に迷ってしまったので、どこでもよいんで宿をお貸し下さい。」
「こんな山奥に。この雪じゃあ大変だっでしょう。どうぞお入り下さい。」
二人は快く向かい入れてもらえた。
そこの広さはだいたい王宮の一堂室とおなじぐらい。そこに竃と板間がある。
中に入る。もうしばらくぶりの屋内。暖かい。


「山奥なのでこんなものしかないのですが、よろしければどうぞ。」
 彼が二人に出したのは粗末な粥だった。羚と山菜。でも毎冬を草の根などで過ごした英章にはご馳走に見えた。
 そしてなにより、人心荒んだ戴でこんな好意のもと馳走になるなどいつからぶりである。英章はこれほどおいしいものを食べたことがないと思った。この好意を感じれは感じるほどこれまでの苦労が思いだされ好意の有り難さに涙が出そうだった。
 他人、特に臥信に見せるわけにはいかない英章は袖で一拭いすると、臥信を見遣った。臥信は俯き、表情を隠して黙々と食べていた。ただそんな臥信の顔から、光る物が落ちたのを英章は見逃さなかった。
 そう、彼は彼で悩んでいたのだ。いつも闊達なのは自分の為か英章のためか。ただ、英章がこの時ほど臥信に感謝したことはなかったのも事実である。
英章は、もう一度袖で顔を擦ると、言った。とてもおいしいです、と。
そうして、粥を掻き込み再び椀に粥をついだ。


 二人は結局、この男の好意でここに泊まることとなった。布団で寝るのも何年ぶりか。二人が気がついたのはもう朝であった。
「おはようございます。」
彼はもう起きている。一人で火を焚いていた。
薪が爆ぜ、よい音を立てていた。


まだ朝早い。昨日と同じく粥を啜っていた。
「そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたね。」
臥信が口を開く。
「私ですか、私は名もなき山人です。名乗るほどの者ではありません。」
彼はそう素っ気なく答える。しかし……。
「そんなことありませんよ。あなたは仙ですから。」
臥信が続けた。確かに英章も気付いていた。ここの家の武具が冬器であること。彼が包丁で怪我しないこと。
「はあ、確かに仙ですが隠遁の身です。私のような隠居とあなた方では身分が違いますので。」
彼はそう告げた。
 その雰囲気が、さらに聞く雰囲気ではなかったので、場は沈黙に包まれた。
粥を啜る音、薪が爆ぜる音、屋根から雪が落ちる音、深々と降る雪の音。
その中にわずかな異音を感じたのは、英章だった。
来る、と英章が呟く。二人もそれに反応した。
「こちらに地下室があります。さあ。」
 彼は二人を追い立て、半地下の倉庫にしまうと、框に座り、構えた。
しだいに大きくなる足音。
「私は文州師の者だ。戸を空けよ。」
框の所が、葦張りになっていて、暗い中から外は覗けた。
「はい、なんでしょうか。」
戸の向こうに五人。一人は半身を既に入れている。無理にでも捜索するつもりらしい。
「反乱分子がこの辺りで潜伏しているという情報を得た。見覚えは?」
そう言って兵は二人の似顔絵を差し出す。
「さあ、全く知りませぬ。次を当たってくださいませ。」
「ところがそうはいかないな。中を見せな。」
そう冷笑ったのは別の兵。
「いくら兵隊さんとは言え人のうちに勝手に入り込んでよいのでしょうか。」
「無礼な!貴様文州師に逆らうつもりか!」
無理に踏み込もうとしたその刹那、槍が兵達のまえに突き刺さった。
「無礼なのはそっちであろう。この槍より奥に進めば命はないものと思え!」
「このぅ、構わん、殺せぇ!」
兵達の戈や戟や鉾が突き出された、その間。
地に刺さっていた槍は確実に隊長格の喉元を捕らえ、さらに次の兵の脇を突き刺していた。
二人は瞠目するしかない。
続いて戈を叩き落として一人、鉾の裏から一人、背に回った一人を石突で倒した。
そしとその一人の首を落とした。
鮮やかである。彼は血振りすると言う。
「さあ、早く逃げる用意を。」
二人は、感心することひたすらだった。


「それでは、私はここで。」
「あれ?村に行かないんですか?」
「はい。私はまたどこかに小屋作って暮らします。」
そう言った彼はなにか思い出したようである。
「あなた方が主、驍宗様が見つかることをお祈りしています。」
「ありがとうございました。それではいつまでもお達者で。」
彼は少し苦笑いすると、言う。
「わかった。また会えたらな。」
またいつか、どこかで会えることを信じて、二人と一人は別れた。

 後ろ髪を引かれるようだったが、二人は前を向く。
「これからどうなるかな。」
「まだ身を挺して私たちを守ってくれる人がいた。しかもあの状況で会うなんて天が守ってくれてるんだよ。だから驍宗様もすぐ見つかるんじゃない。」
 こいつ、やたら楽天家だな。いったいどこからこんな考えが出てくるのか。そう英章は思う。
でも、臥信は臥信なりに自分と臥信自身を元気付けてるのだと英章は気付く。
「ありがとう。」
「え?」
「私も楽天家になることにしたよ。それのほうが楽そうだからね。」
「やめてくれ、それじゃあみんながとっても困るよ。」
「おい!」
 まだ当分、臥信と英章の立場はひっくり返ったままのようだ。
空は珍しく青い。天はひたすらに高かった。
「みんなどうしてるかなあ。」
臥信の独り言。
「どうだろう、李斎なんかはまじめだからぼろぼろになるまで走り回ってるんだろうな。」
「言えるな~。逆に琅燦とかさ、阿選の下でうまくやりながら機会狙ってそうだよね。」
「それもそうだな。でも、案外阿選の後ろで阿選操ってるのはどう?」
「うわ、ありそう。」
――鬼の居ぬ間に洗濯という言葉がありますが、二人ともどうなっても知りませんよ。
「みんな、どうしたかな。」
「生きてるよ。殺しても死なないようなのばっかりだもん。」
二人で顔を合わせて笑った。
そう、前向きにならなければ生き抜けない。こんなときこそ笑って前を向いて。そうすれば幸せは向こうからやってくる。
 英章は、ただ笑った。
 上に広がる空は、広かった。






――戴が崩壊してはや五年。滅亡の唄があちこちで聞こえていた。

希望は、何処に。






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vxc
09 麦畑の真ん中で




もう何度、彼女の姿を見ただろう。


白銀の甲皮を身に纏い腰には紅玉の石が光る剣を携え、しっかりとした足取りで歩く。
その表情の凛としたこと。

ああ、そうだ。
私はこれを手に入れたかった。


やがて近付いてきた女が私の前で傅いた。
皮甲の擦れる音が小さく響く。
彼女は深く叩頭したまま、膝を付いたまま動こうとしない。
地に垂れた髪が泥に濡れるから顔を上げるようにと促しても、一向にその気配を見せなかった。
何度言っても頭を垂れたまま。
随分長い時間そうしているものだからぬかるんだ地面から吸い上げられた汚水が彼女の朝焼けに似た赤の髪に染みこんでいった。
みるみるうちに泥褐色に滲むその異様な光景に私は目を見張った。
妙な胸騒ぎがして女の肩を強く掴んで無理矢理抱えあげた。

女は泣いていた。
声も出さずにただ静かに泣いていた。
噛み締められた唇に赤いものが染みていた。
乾いた唇から発せられる嗚咽にも似たその叫びを私は聞くことが出来ない。
酷く震えた顔立ちに最早彼女の面影は無く、その異形は咽びながら両の手で私の腕を掴んだ。
間髪付かずに突き出された上腕が着物を切り裂き、肉に食い込む。
左肩に激痛が走った。
尋常ではないその痛みに気を取られた一瞬、狂った足元は掴み合った我等を奈落に突き落とす。
新月よりも深い暗闇の中で己の左肩に喰い込む彼女の右腕を見た。
次に顔を上げた時には異形も女も姿は無く、その残骸だけを残して音も無く消えた。



「………上、…主上、いかがされました?」
額に溢れた汗を拭う、その左手。
日々の剣の鍛錬で培われてきたのだろう、小さな傷を幾つも残したいつもと変わらない彼女の手。
「……―――――」
常に無く戦慄いた顔で息を切らす男に女は驚いている様だった。
それを誤魔化すように忙しなく汗を拭う彼女の指から伝わる体温に安堵して男は大きく息を吐いた。
「お加減はよろしいですか?…酷く、うなされていた様ですが…」
上下した息が一しきり落ち着いてようやく男は身を起こした。
彼以上に真っ青な顔をして男の背を擦る女の顔に涙はない。

「…いや、…何でもない…」
女を胸に抱えて、無くなった肩を撫でた。
縋るように抱えて、もう一度息を吐いた。




(06.11.28.update)





(↓補足:反転して下さい)
このお題、ちょっと難しかったんですが、
"麦→麦の穂(スピカ)→デーメーテールの神話(乙女座のモデル)→冬→驍李における冬→
やっぱり阿選の恐怖政治時代だろう"
…ということでこんな風になりました。
麦は春・秋麦と二種類あるらしく、春麦は秋に種を撒いて厳しい冬を越え、春に実りをつけるそうです。
『黄昏』後の戴の発展とラブい驍李に期待を込めて。
nvb
06 ほのかに香る




一人になった寝台の上に仰向けに転がり、ぼうっと彼方を見上げていた。
投げ出された身体は自分で思うよりも疲れているのだろう、寝返りを打つことすらたまらなく億劫で、女はそのままの姿勢でただ瞼を閉じたり開いたりを繰り返していた。
何も纏わない肌に包まった絹の冷やかな感触が心地良い。
伸ばした指が彼女の筋の取れた肢体に触れて静かに落ちた。

まだ熱が残っている。
思い出した途端じわじわと熱くなる頬を誤魔化す為に女は再び衾の中に潜り込んだ。
じっと、産まれたばかりの獣のように身を小さく埋めながら、重い瞼を閉じ内奥から幽かに響くその音に耳を傾けていた。


―――とうとうこの一線を越えてしまった。

それは彼女が最も恐れていたことだった。
過度の寵愛を受けることは朝の中で要らぬ荒波を立てる要因になりかねない。
それが分かっているから、どんなに苦しくても己の築いた壁を超えないようにと思っていたのに。
女は後悔していた。
あの男の甘美な言葉にまんまと酔わされて痴態を晒したことが愚かしいのか。
決して知られてはならないと堅く誓った本心などとうに知れていたことが悔しいのか。
それでも目を閉じると思い出すのはあの男の声だった。
それも、常とは―――聡明で威風堂々と座す、全臣民から崇拝される彼の本来の姿とは違う、色を孕んだ甘い囁き。
女は包まった衾の中で己の喉元を強く抑えた。
心音と似た速度で迫る奇妙な足音は、彼女自身も気付かない内に彼女の心を捕らえていた。

臣下として相応以上にあの男に近付くことは玉座を汚すことにはならないのか。
(だから周りの中傷や根拠のない噂を恐れるのだろうか)
この背徳者、と指をさされることが怖いのか。
(それはあの男を貶めることにはならないのだろうか)
――――でも、私が本当に恐れていることは……?

女は目を閉じてゆっくり息を吐いた。
次第に苦しくなる呼吸は間隔の狭まる動悸を伴って彼女を暗沌とした恐怖へ叩き落とす。
もはやどんなに留めようともがいても、溢れてくる考え達を抑えきれなかった。


私が恐れていることは。
あの男の戯れに現を抜かして、ようやく手にした王師将軍の椅子を失うこと?
ろくに職務を果たせなくなって、あの男を失望させること?
一時の戯事に飽いたあの男が、私ではない誰かを抱いてしまうこと?

私が恐れていることは。
私が恐れていることは。

私が恐れていることは、どうしてあの男のことで溢れているのだろう。




弾ける泡の様に導き出された答えは驚くほど単純で、女は声を失った。
「本当に…」
自分でも呆れるほどに、気が付けば彼のことを想っている。
女は苦く笑って、少しだけ泣いた。




(06.11.16.update)
zxc
05 永遠に続く




探していた人物を見つけたのは王宮の奥深く、雲海に面した露台の端の端。
佇む影は潮風に靡く髪を撫でながら、その視線を熱心に夜の海へ注いでいる。
声を掛ければ、振り向いた女は嬉しそうに笑みを寄越した。

何か珍しいものでもあるのか、と問うと、女は頷き、それから再び視線を戻す。
「ここなら王宮の中からでも雲海の下が良く見渡せるんです」
紫紺の瞳の先にはうっすらと広がる闇の雲海と、ぽつりぽつりと浮かぶ鴻基の灯り。
寄せる小波が静かに響いていた。
見渡せるといっても、もう夜だから景色など見えるはずがない。
不思議そうに首を傾げる男を見て、女はやんわりと笑んだ。
「…風が止めば、その内に見えてきます」

言われるまま、女の視線を追いかけて闇に包まれた雲海をじっと眺めてみた。
初冬の乾いた風が吹き、波がざわめく。水面に映った灯籠の炎が揺らめいた。
随分長い時間そうしていたような気がする。
眺めることに飽き始めた時、女が小さく感嘆の声を上げた。
ひとしきり冷気を運んできた風が止み、穏やかになった波の下からまばらだった灯りが淡い光を放ちながら浮かび上がる。
一つ。二つ。
十が百に、百が千に。
真冬の天頂に輝く北辰を思わせる月白。
穏やかに浮かぶ春の日暮れの金の赤。
気が付けば眼下に見下ろす漆黒に浮かぶ、色取り取りの無数の光。
その美しさに、男は思わず息を飲んだ。

「…憶えておいでですか?以前こうして二人で此処から景色を眺めたことを」
腕の中で見上げる女は身体を預けると、頬を染めながら言葉を続けた。
「あの時は数えるほどしかなかった灯りが、今はこんなに」
女の肩を抱く力が強くなる。
静かに綴られる心地良い低音が男の身体に染み渡り、その一つ一つが全身に響き、血に、肉に駆け巡った。
それはこの闇の雲海に漂う光のように。
失われてしまったと思っていた雪の大地には、いつの間にかこれほどまでに美しい生命が溢れていた。


男は女を強く抱き締めた。
抱き締めながら、己の身体が身震いするのを感じていた。



見上げた空には満天の星星。
地上の星と天上の星が瞬いていた。






(06.06.15.update)
mnb
04. 絡みとる糸




しどけなく寝そべる女の姿態は常より増して艶かしい。
それが普段は決して見せることのない顔だから、艶が映えてえも言えぬ色を醸し出していた。
男は指に絡めた彼女の髪をたぐり寄せながら眼下に広がる光景を一巡し、満足そうに笑った。

見上げる瞳は僅かに潤み、視線を返せば睫毛を伏せる。
逸らした視線を交えることなく女は染まった頬をさらに赤らめ、固く結んだ唇から漏れる吐息を指で覆った。
そんな仕草の一つ一つが愛しいと思う。
もはや触れていない部分など無いというのに、今だってどうだ、指が触れただけで熱の冷めない身体は小さく震えている。
男は女の反応を逐一確認するようその肌に指を滑らせた。
なぞる指の動きに合わせて喘ぐ女は頭上の敷布に逃げるように縋った。


他の男にこれを見せてやりたい。
喰いこむ肌も、切ない鳴き声も、これは自分だけのものだと見せ付けてやりたい。
この衝動を抑えようとは思わない。
内に広がる欲望を自覚するのに幾らも掛からなかった。
男は手元にあった酒杯に手を伸ばした。
肌蹴た胸元に滲む汗の雫が輝く。
その上を硝子の盃から零れた酒が雪の肌を伝って衾に落ちた。
ほんのりと熱を持って薄く染まる肌に舌を這わせ、滴り落ちる雫を追って濡れる身体に熱を与えた。
両腕を奪えば捕われた獲物は逆らうことなく、色よく鳴きながら自分を受け入れた。
その声。
その艶。
全てが自分の為にある。
ただ一つを除いては。


「  」

その名を呼べば応えるように女の身体が震えた。
震えて、躊躇うように伸ばされた腕が褐色の肌に絡みついた。
男は女の額に唇を落として一言も発することなく彼女を抱き寄せた。

女の本心がどこにあるのか分からない。
自分と彼女の間には男と女として、…人と人として特別な感情があったはずなのに、今となっては確かなものではない。
我々は変わってしまった。
あの短すぎた夏の日、自分を前に穏やかに微笑む彼女にもう二度と会うことはないのだ。


男は女を抱き締めた。
重い瞼を閉じ、ゆっくりと息を吐いて、ただ彼女の熱にその身を埋めた。
自分が思うよりも強く、彼女を抱き締めていた。






(06.09.05.update)
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