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うろほろぞ
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 ちろり、と舐めると李斎が身を捩った。
 生傷にひびいたのだろう。
 顔を見ると、しかめっ面をした李斎の顔が薄闇の中で、ぼんやりと見えた。
「痛むか?」
 驍宗が問いかけると、李斎は小さく首を振った。髪が敷布の上で、流れる音がした。
 やせ我慢をしている、と驍宗は思った。
 それほど、大きくない傷口だが、うっすらと血が染み出している。まだ、きちんと止血が出来ていないのだろう。
 もう一度、舌を這わせると、甘い溜め息とも、痛みを堪えるかのような呻き声とも区別のつかない声を李斎は上げた。
 身体に傷が残らなければいい。
 だが、この李斎は、そんな事、どうでも良いと思っているだろう。
 傷口をきちんと洗い、清潔にはしているようだが、その後は、自然に治癒するのに任せているようだ。
 薬をつけるのは、よほど酷い時のみ。
 だから、驍宗は李斎の身体についた傷を舐める。
 野生の動物が、自分で傷を舐めて癒すように。






     ~了~









 温もりが離れていった。
 一つの牀榻を共有し、まどろんでいれば、外の寒さなど気にならない。
 無駄な贅肉のない背中を見せ、女は白い夜着を羽織る。結わえていない赤茶の髪が、はらり、と払われ、肩や背に流れた。
 ちらり、と見えた背には、随分と昔にあった傷はない。
 酷い傷だった。あまりにも無残で触れるのが怖かった。だが、その場所に舌を這わせると、小さく呻きながらぎゅっ、と何かにしがみ付くその姿が好きで、良く触れた。
 体中に残った傷は、もう殆どない。
 唯一、失くした右腕だけが、あの当時の事を思い出させる。
 きゅ、と帯を締める音に気づき、私は後ろから抱き締めた。
「主上……?お目覚めでしたか?」
「ああ、起きた」
 女の肩口に顎を乗せると、女は私の手に自分の手を重ねた。
「もう、殆ど、あの時の傷は残っていないんだな……」
「はい。そうみたいですね」
「平和になった、と思っていいのだな」
「はい」
 平和、になった、と誰もが言う。
 戦に明け暮れ、そうして始まった王朝だ。
 まだ不安定な部分もあるが、それでも、この王朝が始まった頃に比べれば、どうという事でもないだろう。
 そして、朝にはあの頃の事を知らない若い人材も登用されるようになった。
 平和だな、と一人心の中で呟く。
 夜半、傷が疼き、痛みに耐える女の姿はもうない。あるのは、眠りは浅いようだが、それでも穏やかに眠る女の姿だけだ。
 きっと、もうこの女の体に傷が付く事はないだろう。
 傷の付いた体が嫌だという訳ではないが、それを気にする女の姿を見るのが嫌だった。それが原因で拒まれた事もあった。
 だから、今、平和になったのだという事を噛み締めて、抱き締めた腕に力を込めた。






     ~了~












 時折、ちらり、とだけ考える事がある。
 軍人として、生きる道を選ばなかったら、どんな人生だったのだろう、と。
 少ないだろうけれど、実りを願いながら、田畑を耕しているだろうか。
 商家などで働いているだろうか。
 あまり想像出来ないけれど、誰かの妻となっているだろうか。
 軍に入る事を決意した時、女としての幸せは、殆ど諦めていたけれど、軍人としての生き方を求めなければ、女の幸せが手に入っただろうか。

 そんな事を考えるのは、本当に久しぶりだ。
 賑わいの中、私は小さな露天で、目当ての物を見つけ、購入した。
 それは、他愛無い子供用の玩具と、素朴な味わいの菓子だ。
 こういうものは、蓬莱生まれ、蓬山育ちの台輔にとっては珍しいものだろう。
 早々と目当ての物が見つかって、私は安堵する。まだまだこのような品は手に入りにくいかも、と思っていたのだ。
 きっと、商人達は、このような日が来ると、大事に保管していたのだろう。王のいない時代には、こういうものは、売れない筈だ。誰もがゆとりを失くす。無事に品が残っていて良かった、と思う。
 人ごみの中、人の流れに任せ、ゆっくりとそぞろ歩く。
 誰も彼も、表情が明るい。
 待ち望んでいた王が立ったのだ。
 この先は明るい、と誰もが噂をしている。そんな声を聞きながら、私はあるものに目を奪われていた。
 たぶん、それはあまり珍しい光景ではないだろう。仲の良さそうな男女の二人連れだ。
 大抵、腕を組んだり、手を繋いだりと、身を寄せ合って、幸せそうだ。
 あんな風に、誰かと過ごした事、なかったな、となんとなく思った。
 羨ましい、と今まで思った事はなかったけれど、今は、ほんの少しだけ、それが目に眩しかった。
 私が得る事の出来ない幸せ。
 あんな風に、誰かと一緒に過ごす事は出来ない。
 今のままでは。
 それが不満という訳ではないし、こんな生き方が不安だとも思わない。
 自分が決めた事だし、それをきちんと納得している。
 人目のつく所で、あんな風に、一緒には過ごせない、というだけだ。そして、それを望んではいけない、というだけだ。
 ふ、と小さく溜め息を吐き、髪を掻き揚げようとすると、その手を誰かに取られてしまう。
 はっ、と後ろを振り返ると見間違えようのない真紅の瞳にぶつかった。
「しゅ……っ」
「ああ、良かった。行き違いになるかと思った」
 私は口を手で覆い、発しそうになった言葉を飲み込んだ。
「何故、こちらに……?」
 小さくそう呟いた。
「ああ、昨夜、言っていただろう。市が立つから、蒿里に何か買ってくる、と。だから私も来てみたのだ。まだ、蒿里には、このような場所、歩かせる事が出来そうにないからな」
 そう言って、私の捉えた片方の手を離した。
「で、もう買ったのか?」
「はい。つい先ほど。ちょうど良い物がございましたので」
「そうか。ならばもう帰る所だったか」
「はい」
 そう話しながら、歩き始めた。
 主上の後姿を追うと、ひらり、と右手が振られた。首を傾げると、私の方を振り返った主上が、私の手を取って握る。
「この人ごみの中だからな。はぐれない様に」
「……はい」
 握られた手が熱くなる。
 こんな、突然の事に対処出来なくて。

 手を繋ぐだけで、こんなに焦ってしまうのだ。腕を組むなんて、出来ない、と私は思う。
 つい先ほどまでは、こんな関係が発覚するのを恐れて出来ないと思っていたのに。

 本当に、人の考え方って、変わるものだ。






     ~了~










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 指に髪を絡め、巻きつけて少し、引っ張ってほどく。
 指先を髪の中に入れ、頭皮を探るように、ゆっくりと撫でた。
 驍宗はそうしながら、李斎の表情を観察した。
 居心地悪そうに、榻に座っている李斎は、驍宗が自分の顔を見ている事に気付くと、顔を反らした。その顔がいつになく、赤い。
 驍宗は、ぐいっと、李斎の肩を引き寄せ、抱き寄せた。身体を寄り添わせ、驍宗は李斎の髪を指で梳いた。
 肩や背中に流れるままの赤茶の髪が、驍宗の手によって、時折、跳ねるように踊る。
 李斎の顔は、驍宗の胸に埋められていたが、髪から見え隠れしている耳朶がほんのりと赤く染まっている。

 言葉もなく、ただ、髪を梳くひととき。
 それは、最近、見つけた驍宗のお気に入りの時間。






     ~了~












 音もなく、ゆっくりと伏せられた瞼にひとつ。
 そして、小さく震える睫毛を唇に感じながら離れ、もうひとつの瞼にも。
 頬に、額にと、驍宗は唇を落としていく。
 李斎の唇には触れない。
 いくつもの触れるだけの優しい口づけを落とし、驍宗は李斎の背に指を這わせた。
 李斎の髪が揺れ、驍宗は李斎が小さく身じろいだ事を知った。
 李斎の額が驍宗の肩口に押し付けられ、李斎は驍宗の背に腕を回した。
 驍宗は、李斎の髪を掻き揚げ、耳朶にかけ、耳を露にし、そっと唇を落とす。
 李斎は驍宗の衣をぎゅっと掴むと、背伸びして、驍宗の頬に唇を掠めるかのように口づけた。
 驍宗は小さく笑うと、李斎の顎を捉え、唇を合わせた。

 二人の唇は、次第に同じ熱を帯び、そして、名残惜しげに離れた。
 唇が離れると二人は顔を見合わせた。
 驍宗が笑うと、李斎は恥ずかしそうに小さく笑う。
 その微笑みには、一点の曇りがなかった。驍宗はその微笑みを見て、もう一度、李斎の唇に口づけた。今度は、重ねるだけの優しい口づけを。






     ~了~












 李斎の手が、何かを求めるかのように天井に向けて伸びた。
 しなやかな腕の先の指は、女の手らしくはなかった。
 ある程度の身分の女が必ずするような、爪先を磨いたり、染めたりという手入れは行っていない。それどころか、硬い指に、短く切りそろえている爪だった。
 驍宗は、その手を捕らえ、敷布に押し付けた。
 小さく溜め息を吐き、李斎は驍宗の指と自分の指を絡め合わせた。
 敷布の上で、二人の手が、居場所を求め合うかのように動く。
 驍宗が李斎の鎖骨に強く、唇を押し当てると、李斎は、息を飲み、切なげな吐息を漏らす。指に力が入り、所々に血が通っていないかのように白くなった。
 絡めた指の骨が軋み、小さな痛みを漏らす。
 だが、驍宗はその指を解かず、李斎のするがままに任せた。
 快楽に身を沈めておきながら、唇を噛み締め、耐えようとする李斎が唯一、反応を露にしている指が、知りたかった。

 絡めた指が、李斎の快楽の物差し。






     ~了~

















「李斎、こっちです」

泰麒の小さな手が李斎の手を引っ張る。
空気はまだ冷たく、土の上には雪が溶けずに残っている。
だが、嬉しそうに李斎の手を引く泰麒の顔は紅潮していた。

「台輔、そんなに急がれてどうしたのです?」
「えっと、別に急ぐことではないのですけど、早く李斎に見せたくて」

戴の冬は身体の心まで凍り付くほどに寒い。
しかし、この幼い台輔の笑顔はいつでも小春日和で、李斎は凍てつくような寒さなど忘れてしまいそうだった。

「ここです」

そう言って小さな泰麒の手が指し示したのは、路寝の隅の方にひっそりと佇んでいる小さな園林だった。

「ここは・・・」

泰麒はなおも李斎の手を引き、園林の中へと連れて行く。
園林のほぼ中心にある花壇の前で止まると、泰麒は李斎の手を放ししゃがみ込んだ。

「見て下さい。李斎」

小さな手が包み込むように示したそれは、一輪の花だった。

「まあ、まだこんなに寒いというのに、もう花が・・・」
「もしかしたら、他の場所ではもう咲いているのかも知れないけれど、僕が一番最初に咲いているのを見たのはこれだったので」
「こんな片隅の園林でよく見つけましたね」
「僕が見つけたわけじゃないんです。驍宗様が見つけられて、僕に教えてくれたんです」
「主上が?それも不思議な話ですね。どうして主上がここへ・・・」
「それは僕がわがままを言って、驍宗様に散歩をしませんかって言ったからで」
「なるほど」
「それで、李斎にも見せて上げたいと思って。迷惑でしたか?」
「とんでもない。ありがとうございます、台輔」

李斎は息を切らせて自分の元へ駆けて来た泰麒を思い出す。
他の誰でもなく、真先に李斎の元へと来た事が何よりも嬉しかった。

「本当は摘んで行った方が早かったのだけど、やっと咲いたのに摘んでしまうのは可哀想だと思ったんです」

泰麒の心に李斎は自分の気持ちが和んでいくのを感じた。
幼い麒麟の慈悲は人々だけでなく、植物にまで及ぶのかと。

「これを見て、僕とても嬉しくなって。だって、戴の冬はとても寒くて、長くて、花が咲いているのを見られるのは、もっとずっと先だと思っていたから」
「そうですね・・・」

大地では未だ民が厳しい寒さと闘っている。
家の中に居ても、身体を寄せあっても、この凍てつく寒さに打ち勝つことはできないこともあるのだ。
それを思うと、どうして戴の民ばかりがと思わずにはいられない。
それでも、と李斎は思う。


―春は必ずやってくる


この幼い麒麟が暖かな陽射しを運んで来てくれると。


この笑顔こそが陽射しそのもの



「摘むのを迷っていたら、驍宗様が李斎の居場所を教えてくれたんです。でもお仕事中だから邪魔をしてしまってはいけないと、李斎のお仕事が終わるのを待っているつもりだったんです。けど、驍宗様が少しだけならっておしゃってくださたんです」
「そうでしたか、では主上にもお礼を申し上げねばなりませんね」

にっこりと笑う李斎に泰麒は微笑み返す。

「ああ、ここにおいででしたか」
「正頼」

園林の入り口で正頼が肩で息をしている。

「台輔は足がお早くていらっしゃる。じいやには付いてゆけませなんだ」
「ごめんなさい」

泰麒は李斎を呼びに行く際に、追い掛けて来る正頼をいつの間にか振り切ってしまっっていたのを思い出した。

「いやいや、子供が元気なのはよいことですよ。特に台輔が元気でお笑いになるだけで、白圭宮は明るくなりますからね」
「そう、ですか?」
「そうですとも」

正頼に賛同するように李斎が頷き、泰麒は照れたように笑う。

「しかし、じいやを置いていってしまったことに気がつかないとは、台輔はよほど李斎殿がお好きなのですな」
「はい。大好きです。あ、もちろん驍宗様や正頼や、他のみんなもですけど」

即答する泰麒に李斎は破顔する。

「あいかわらず、台輔は李斎を喜ばせるのがお上手だ」

李斎の手が泰麒の頬に撫でるように触れると、泰麒はくすぐったそうにすし、その手に自分の手を重ねた。

「まるで親子のようですな」
「まあ、そんな恐れ多いこと・・・」
「李斎が僕の『お母さん』に見えるのですか?それは・・・李斎が可哀想です。だって、こんなに若くて綺麗なのに」

真面目な顔で力説する泰麒。
李斎は顔を真っ赤している。

「まあ、台輔・・・」
「おやおや、台輔は女性を喜ばせる術に長けていらっしゃる」

愉快そうに笑う正頼は、堅物の主人もこれぐらい女性に対して柔軟になればいいのにと思うのだった。

「それに・・・」
「なんです、台輔?」

泰麒は正頼の袖を引っ張り、耳へと顔を近付け小声で耳打ちする。


「李斎は僕の『お母さん』よりも、驍宗様の『奥さん』のほうが似合うと思うんです」
「ほう、それは名案ですな。台輔」

二人は目を合わせるとにっこりと笑いあった。
この後、泰麒と正頼によって『仲人さん計画』が発動することになる。













「意外と白いのだな」
 ぽつりと洩らした言葉は、意に反して相手へと聞こえてしまったようだった。静かな房室だからか、発した言葉は、思いがけもなく大きく響いたようだった。
「何がでございますか?」
 小首を傾げ、李斎は不思議そうに問い返してくる。
 夏というものは、暑いものだ。
 それは知識として知っている。
 戴の夏だって、暑いと感じる時があるし、黄海へと出れば、汗ばむ程の陽気の日だってあるからだ。
 だが、慶国の夏は今まで経験した事のないものだった。
 何もしていないのに、ぽたりぽたりと汗が流れ落ちるのが分かる。それが夏というものなのだ、と現在戴国の住人は実感しているのだ。
「いや、別になんでもない」
「何でもない、という事ではないでしょう」
 幾分、くだけた口調で李斎はそう言って、驍宗に冷茶の入った器を差し出した。そんな李斎の格好はといえば、戴国にいるよりも幾分、涼しげな格好だ。そして、普段結われていない髪が綺麗に纏め上げられている。鈴、という風変わりな名の女御が今朝早く、李斎の身支度を手伝った折に手早く纏め上げていったそうだ。その際、李斎に花釵だの、花だの、綺麗な布だので飾ろうとしたが、嫌がる素振りをすれば、早々に諦めた風情で溜め息を吐いたそうだ。
 李斎がこうして髪を結っているのを見るのは、あまりない。
 戴国の官邸に戻れば、世話をする者がちゃんといるだろうが、髪の手入れにそれほど熱心でない主にかまう奉公人はいないだろう。
 だが、ここには普段から身なりにそうかまわない女主がいて、日々交戦しているのだ。客人の李斎とて、それに巻き込まれても不思議はないし、李斎自身、鈴という女御に親しみを持っている所為か、あまり強く拒否出来ないようだった。
 その結果がこれだ。
 普段、見る事のない結い上げた姿というものは、冷静に直視出来ないものなのだと、今、初めて知った。
 肌があんなに白かっただなんて、初めて知った。
 知っていたつもりだったが、こんなに明るい所で、日焼けしていない肌を見た事がなかったのだ。

 今更だというのに、見惚れてしまいそうになった。


臥牀の傍らで







 うろうろと廊下を往復する正頼の姿に、李斎は目を瞬かせた。心から信の置ける臣下のみが立ち入ることのできる路寝内にある正寝、その前で入るのを躊躇っている。台輔の教育係ともいうべき人物が何を躊躇っているのか。
「正頼殿、いかがされた」
「おお、李斎殿」
 救いの手がやってきたと言わんばかりに、力強く李斎の手を握る。
「実はお願いがございまして」
「正頼殿にできぬことが私にできるでしょうか」
「他に手を借りるしかないのでございます!」
 正頼の眼光が光る。凄まじい覇気に一瞬怯んだ。
「それで何を……」
「台輔を説得していただきたい」
 なぜ台輔を説得するのか、何よりなぜ説得しなければならないのか。
「最近の主上は精力的に活動されておりますが、疲労の色も濃くなりました。それに気づかれた台輔が、正寝に主上を閉じ込めてしまいまして」
「閉じ込めるではなく、休んで欲しい一身ではございませんか?」
 優しすぎる戴の麒麟は、一生懸命主の側で動いているのだろう。少しでも休んで欲しい、ただそれだけのために。
 懸命な姿が容易に想像できて、自然と笑みが零れてしまう。
「しかし主上は良いとして、台輔には学んでいただくものがございます。そこで李斎殿に!」
「……話してきます。私では無理かもしれませんので、誰か他の者もお呼びください」
 ため息混じりに了承すると、凄まじい速さで正頼は廊下を駆け抜けていった。後姿を見送り正寝へと足を踏み入れる。奥へと進んで行くと、愛らしい声が聞こえてきた。入り口には女官が控えていたが、李斎の姿を確認すると静かに去っていった。
 数少ない二人の仲を知り、秘密裏に動いてくれる女官だった。
「主上、台輔」
「あ、李斎!」
 椅子に腰掛けていた泰麒が、李斎の姿に嬉しくて駆け寄ってくる。
「主上は休養中です」
「そうらしい」
 病人のように臥牀の上に座る驍宗の表情はどこか柔らかい。玉座に座る姿とは全くの別人にすら感じてしまうほどだ。
「主上に御用は……」
「主上ではなく台輔でございますよ。正頼が待っております」
「せいら……あー!」
 思い出したように慌てて走り出す。
「帰ってくるまで主上を見ててください、李斎ー!」
 返事を待たずに走り去っていく泰麒、思わず延びた腕が無駄に終わる。力なく椅子に腰掛ける李斎、どうしたらよいのか。
「私を見張るのは李斎になったな」
「見張るなど……失礼極まりないことはいたしません」
「失礼いたします」
 二人だけになってしまった臥室に、二人の仲を知る女官が静かに入室する。盆の上には菜が乗っている。
「それは?」
「主上に、と台輔から仰せつかりまして。それと……」
 臥牀の傍らに盆を置き、そっと李斎に耳打ちする。その内容に李斎の顔が一瞬で朱に染まった。
「な……」
「台輔のご伝言です、それでは失礼いたします」
「それ……」
 またもや反論する前に女官は立ち去っていった。ぱくぱくと口を動かす李斎に、驍宗は大笑いした。
「何をそんなに焦る?」
「焦るも何も、そんな恐れ多いことを……」
 焦る李斎に、そっと手を伸ばして頬に触れる。掌から熱が伝わってくる。
「落ち着け。それとも落ち着くまでこうするか?」
 引き寄せて李斎を抱きしめる。目の前に驍宗の顔が広がり、また反論する前に唇で声を塞がれる。
 久方ぶりで、女性としての本能が喜びを感じてしまうが、このままにしておくわけにはいかない。
 突き放すのではなく、ゆっくりと優しく距離を置いた。
「台輔がいつ戻られるのかわかりません、お控え下さい」
 これ以上何かされるよりは、言われたことを行ったほうがよい。
 箸を手に取り、皿の上に盛られた菜をつかんで驍宗の口元へと運ぶ。
「口をお開け下さい」
「……病で臥せっているわけではない」
「台輔からのご伝言で、食べさせるように、との仰せです」
 真剣に食べさせようとする李斎、仕方なく恥ずかしいが口を開けた。ゆっくりと口の中に菜が入る。味は旨いが食べにくい。
「李斎、少し気楽にはできぬか? 戦いを挑むような目で食べさせられては食べにくい」
 苦笑する驍宗に、李斎は頭を下げて謝る。
「主上にこのように食していただくのは、その……」
「二人だけの時と同じようにすればよい。どれ」
 李斎の手から皿と箸を取った。箸をつかみ菜をつまんで李斎の口に運ぶ。
「恐れ多くも主上の手からは」
「抱き合った仲で何を遠慮する? 来ても蒿里だけだ。問題はなかろう? それとも口には別のものがよいか?」
 何を言い出すのか、この主は――。
 呆れつつも尊敬する主であり、体を交じり合った仲でもある。嫌いではなく、好ましく思う相手だ。 
 口に菜を運ばれることは大したことではない。音に出すのも恥ずかしくなることをされているのだから。
 恐る恐る口を開けて、菜を受け入れる。旨い、と同時に恥ずかしくなった。
「ふむ、照れる李斎も愛らしいな」
「し……驍宗様!」
 明らかに遊ばれている。だが上手な反撃ができない、その言葉も浮かばない。
「そう怒るな。悪いことは言っていない」
「そうですが……驍宗様は言葉をお隠しにならない、だから」
 恥ずかしい、それに簡単に反応してしまう自分も恥ずかしいと思う。
 だがそれは同時に、女として正直な反応でもある。
 やはりこの主であり、男が好きであることを突きつけられる。
「本音を隠し、言葉を変えては李斎は気づかぬだろう。王であるときは隠さねばならぬ言葉もある。だからこそ、このような時こそ……」
 己に正直になり、告げる言葉を隠すことはない。素直にただ告げるのみ。
 互いの瞳は互いを映し出す、それ以外を映し出してはいない。
 過ごせるときは短い。
「さて、菜が冷めぬうちに食すとしよう。食べきれぬから、李斎も食してくれ。折角の機会だから、互いに食べさせるとしよう」
「よろしいので?」
「食べている間に蒿里が帰ってくるのは問題なかろう。むしろ食べさせたのだ、と示すことができるからな」
「しかしそれを言いふらされては困ります」
「それは私から蒿里に言っておく。気にせず……」
 小声で素直に言葉を零す。
 私だけを見て欲しい、と。
 そんな風に我侭を言う驍宗が、とてもとても愛おしくて、李斎は微笑みながら頷く。



 数刻後、臥牀の傍らで、仲睦まじい二人の姿を見て大喜びした泰麒の姿を見ることができた。
 それ以上に、久々に二人の時間を過ごせたことに、喜びを感じ泰麒に感謝する二人だった。




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