茶番だと、両陣営の人間が感じていた。
エキスパートと十傑衆の婚姻など―茶番以外の何ものでもあるまい。
それでも祝福しようという態度を見せた国警側はともかく、BF団側の不満は全て花嫁の後見人である樊端に集まった。
十傑衆の中には面白がって無責任に煽る者(当然、某仮面の忍者)もあったが、策士をはじめとした大抵の者はこの婚姻に対し否定的、更に云えばぶち壊そうという動きも少なくなかった。結局それがなされなかったのは、他ならぬBF様が妙にこの婚姻に乗り気であったからだ。多分、ほとんど睡眠装置の中で過ごす身には貴重な娯楽なのだろう。
ほとんどの十傑衆はこの件に関し口を閉ざしていたが、懐疑的であることに違いはなかった。
花嫁は...サニー・ザ・マジシャンは沈黙を守っていた。
そして―
樊端は。
安堵、していた。
いや、花婿が国警の人間であることについではない。けしてない。そうとも、サニー直々の願いでなければどうして許そうか、国警は敵ではないか。
サニーが結婚する、そのことについてである。
樊端は知っていた。
おのが娘ほどの年齢でしかないこの少女が、いつからか何より掛け替えのない存在となっていたことを。
それが―その愛しいという感情が、しかしサニーを一人の女性と見てのものであったことを。
そうして。
おそらくは、サニーもまた、同じだけの熱量で自分に好意を抱いているだろうことを。
それは。
それは駄目だと思ったのだ。
大体、自分は老い先短く、少女にはまだまだ広い未来がある。
だから。サニーが結婚すると云い出した時、何を思うよりまず安堵したのだ。
まさか、相手があの草間大作とは思ってもみなかったが。
だが、草間大作の父親は元々BF団で働いていた人物、あの当時同じ年頃の子供が周囲にいなかったサニーにとっては格好の遊び相手だったであろうことは想像に難くない。それなら旧知の仲というのも頷ける。そして。
考えてみればサニーの母親は元々国警側の人間である。親子二代に渡って因果なことだと残月が云った。
それでもいい。
サニーが幸せであるなら。
けれど。
「誓えません」
きっぱりと、草間大作は云ってのけた。
「な...ッ!?」
思わず席を立つ。困惑と怒りとがない交ぜとなった樊端に、しかし草間大作は微笑んだ。
「誓えません。忘れられないひとがいるから」
何を、今更、国警側からもBF団側からも声があがる。野次が飛ぶ。中にはだから止すべきだったんだなんて声もある。孔明が横目に睨んでくる。樊端は針のむしろを体感した。
BF様だけが、全て分かっているように笑んでいた。サニーと草間大作と、全く同質の笑みだった。
そう、これは。
確信犯の笑みだ。
「でも、それは同じことなんです」
とにかく何か云ってやろうと口を開きかけた樊端に向かって、草間大作はなおも続ける。
「同じ?」
ひたり、と見据えられて居心地が悪いことこの上ない。
「はい。同じです。―僕たちは、契約したんです」
ふいに、場違いな言葉が飛び出した。
けいやく したんです
契約。何を。おそらく自分の予想は当たっているのだろうなと樊端は思った。それから、当たっていてほしくないとも思った。
「でも、駄目だった。それだけのことです」
さあ行って、と草間大作が微笑う。
「駄目だよ、サニーちゃん。君は、まだ遅くないんだから、ね?」
その一瞬、酷くかなしげな顔で。僕は今更だったからと笑うから、むかしに大切なものを失くしたのだと知れた。
ありがとう、ごめんなさいとサニーが涙を零す。
その背を草間大作がそっと押す。
そうして―
サニーと。
樊端の。
視線が交わる。
「おじさま」
あぁ。
いけない。
いけないと、思ったから。縁談を持ち込むつもりで、そうしてサニーに先手を取られたのだった。
そう。
樊端は多分、自分の手で縁談を進めずに済んだことにも安堵したのである。
サニーが歩を進める。
樊端は動けない。少女が目の前に立ち見上げてきてなお動けないままだった。
「おじさま」
ふいに。
いたずら気に微笑んだサニーが。
いきなり手をひいて駆け出したので。
樊端はもつれる足で転びそうになりながら、慌てて後を追った。
まったく不器用な男だとため息を吐いたのは誰だったか。
ようやく息を継いだのはちょっとした土手。この辺りの地理が全く分からないが、帰りはどうすればいいのだろう。...否。帰れるのだろうか、あんな騒ぎを起こしておいて(実質的には騒ぎを起こしたのは草間大作なのだが)。
少なくとも孔明にちくちくちくちく厭味を云われることは決定したと云っていい。樊端はため息を吐いた。気が重い。
「これで全部おじゃんですわね」
何処か楽しげにさえ少女が云う。はっとした。そうだ。サニーは。
「サニー」
「なんですか?」
いたずらっぽく微笑む少女に、
「戻りなさい」
云った。
今なら、後戻りもできるから。
戻れるなんて、自分は思ってもいないのに。
云った。
本気で、云った。
「嫌です」
「しかしだな、サニー。儂はお前の...」
なおも云い募ろうとした樊端は、しかし。
「ほんとうに、わたくしのためを思うのでしたら、おじさま」
あまりにも真摯な眼差しに、一瞬、言葉をなくした。その手を、とって。
「手を、放さないでくださいまし」
微笑んだ、姿が。
いっそ、神々しいほどで。
思わず抱き寄せた体は羽根みたいに軽く、どこへなりと飛んでいってしまいそうで、素直に愛おしいと思った。
「ああ」
そうか。
自分からその手を放すことなど出来なかったのだと―否。その手を放したくなどなかったのだと、樊端は気付いてしまった。
「そうだな」
抱きしめる腕に少しだけ力をこめた。
どうしてか。
こんなにも愛おしいと、思うのだろう。
最初で最後の恋なのだと、多分、はじめから知っていた。
「ベールを。落としてきてしまったな」
「あら本当。でもおじさま、それならいいことがありますわ」
云うが早いか、真っ白なドレスで土手に座り込んで。
借り物が汚れると青くなる樊端には構わず、シロツメクサを摘み始めた。
「ああ...花冠か」
なつかしい。
いつかは自分が作ってやった。
白い冠を花嫁のベールになぞらえて、ままごとをした。
あの春の庭から、一体どこまで来てしまったのだろう。いくら後悔してもしたりない。
それでも。
ほかの何より、後悔するというなら、つないだ手を放してしまった未来だから。
シロツメクサを摘んで指輪を作った。
金より銀より、宝石よりも。大切なものは。
白い、小さな手。
「サニー、手を出しなさい」
はい、と差し出されたその細い指に、急ごしらえの指輪をはめる。
「その、なんだ。今はこんなものしかないのだが」
いいえ、サニーが首をふる。
「いいえ、十分すぎるほどですわ」
きれいな、なみだ が。つと少女の頬を流れた。
腹でも痛いのかと慌てれば、おじさまは本当におじさまですわねと意味不明の返事。何となくなくむすっとする。
流れた涙はそのままに、少女がころころと笑う。
「拗ねないでくださいまし、それが悪いと云っているのではありませんわ」
ええ、むしろ、そんなあなただからこそわたくしは、と微笑むから、ああ勝てるわけなどないのだこの少女には。
「ほらおじさま、花冠ができましたわ」
頭上に掲げられた白い花冠。
あの日のベールが、今ここにある。
「おじさま。ままごとをいたしましょう?」
考えることは同じ、か。
同じ。それだけの長さを、共有してきたのだから。
誰が何と云おうと、共にいた時間が長すぎた。離れることなど、今更できるわけがない。
だから。
「そうだな」
祝福などなくていい。
誰の理解がなくてもいい。
ただ。
生涯をただ一人の上に縛り付けるためのままごとを。
命つきるまでこの者を愛することを、
「誓います」
了
バンテスにいやっ、おじさま最低!とか叫んで欲しいものだ。
夢と希望と憧れを目一杯詰め込んでみました。(大作さんに
PR
事の発端は、サニーの珍しい朝寝坊から始まった。
樊瑞はいつもなら自分より先に起きて朝食の席に着いているはずのサニーがいないことに不思議に思い「寝坊か?珍しいことがあるものだ」と彼の屋敷の2階にあるサニーの寝室に向った。
サニーの寝室をノックする。返事が無い。何度かノックしたがやはり返事は返ってこない。念のため「入るぞサニー」と声をかけて彼は寝室に入った。
「!!!!?」
「あ、おじ様おはようございます。ごめんなさい、寝坊してしまって・・・」
そこでようやく起きたのかサニーが眠そうに目を擦る。
「・・・・・・・・・・・」
「おじ様?」
ああ、そう言えば今年の残暑は短かったな、気がつけば秋か。さんまが美味しい季節だ、さんまといえば焼くのも当然にこれまた美味いが刺身にするのが実は最高でな、先日も
(余白)
意識が何処かへおでかけしているのか樊瑞はサニーの前で固まったまま。
「あの・・・おじ様?」
「サ・・・・・サンマ?い、いやいやサニー?サニー・・・・なのか?」
「?はい・・・おじ様?どうなされたのですか?」
「な、な、な、ななななな」
サニーは現在8歳。そう8歳である。いわゆる一般でいうところの少女であり小学生といえる。しかし口をあけて魚のようにパクパクさせている樊瑞の前にいるのは大人に一歩片足を踏み入れたというべき身体のサニー。幼さはなくスッキリとした顔の輪郭、色白で頬は艶々のふっくら。唇は樊瑞が知っている形や色でなく色香さえ漂わせる。目元は少女の面影を残しつつ、濃く長い睫毛が真紅の瞳を際立たせている。
端的に言えばいわゆる超美女。
そして何より樊瑞を凝固状態にさせていたのは、身体が大きくなったせいかやぶけたパジャマから覗く肢体。何をどうすればこうなるのかサニーは少女ではなく女性の身体だった。
油が乗った旬の魚、さんまではない。決してない。
そのことにようやく気づく樊瑞。
そしてサニーもまた自分の今ある姿に気づいたのか、
「きゃあ~!」
屋敷を揺るがす乙女の悲鳴。
見も蓋も無いご都合主義のもと、8歳のサニーは一夜にして18歳のサニーとなった。
樊瑞はその悲鳴にどこからか目覚めたのか自分のピンクのマントを取って真っ先にサニーの身体にかけてやった。このあたりはさすが混世魔王いえる行動かもしれない。
「おじ様・・・私はいったい・・・」
動揺の色を隠せないでいるサニーの目には涙が溜まる。
「だ、だだだだだ大丈夫だ、サニー落ち着きなななさい」
樊瑞はとにかく冷静になろうと頑張った。可愛い我が娘同様のサニーが急な身体の変化に戸惑い、怯えている。そんな彼女をひっしとマントの上から抱きしめてみるが、動揺しまくる自分を誰かに抱きしめて欲しいくらいだった。
しかし、こうして抱きしめるサニーの身体は今の彼には刺激が強すぎる。
幼い体とは分けが違うからだ。
なんというか程よい弾力、なんとも柔らかい。
気のせいか誘うような良い匂いもする、気のせいだが。
最近忘れかけていた何か熱いものが込み上げてきそうな気がするがこんなことで人間を辞めるわけにいかない。樊瑞は鉄壁の理性で最強最悪の敵をねじ伏せた。自分で自分を「うむ!さすがは混世魔王よくやった!」と褒め称えたが少し虚しい。
「ああ・・・どういうことだこれは・・・いや今考えても仕方が無い。まずは服だ、服・・・困ったな・・・サニーの今のサイズに合う服が無いぞ。仕方が無い・・・とりあえず私のマントを巻いていなさい。ああ朝食は他の者は下がらせよう、あまり騒動になるのも問題だろうからな・・・」
樊瑞は後ろを向いて、サニーがマントを身体に巻くのを待った。
ちょっとしたピンク色のドレスのような形に仕上げてサニーはようやく朝食の席についた。2人ともこのあとどうなるんだろう・・・もっともな不安を抱えてベーコンエッグにナイフを入れた。
食後のコーヒーを片手にホットミルクを口にするサニーを見つめる。
朝食を口にしてサニーも少し落ち着きを取り戻した様だった。
最初は動揺で良く見れなかったが、17、8歳くらいだろうか。どうしてこんなことになってしまったのかもちろんわからないが、目の前にいるサニーはおそらく将来あるべき姿。いつかはこうして一人の女性となるのだ・・・そう樊瑞は『後見人』として少々複雑な思いが過ぎる。
そしていつか『好きな人ができたの、おじ様、結婚を許してください!』などとどこの馬の骨ともわからぬ男を連れて来て自分に言ってくるのだろうか・・・いいや、冗談じゃない!そんなことはこの私が許さん、サニーが泣いても許さんぞ、いや泣いたら許してしまうのだろうか、いやいや許さんぞ絶対に許さん、馬の骨から『お父さん!サニーさんをください!』などと言われようものならありったけの銅銭を口に詰め込んで札を貼り付けてやる!私のサニーに指1本触れさせてなるものか・・・いやいや何を言ってるんだ私は・・・などとどうでもいいことまで一人で妄想を繰り広げ頭をブンブンと振る。
「なに首を振っているのだ樊瑞」
絶好調の妄想劇場のさなか、後ろを振り向けば残月がポカーンと口をあけていた。
「・・・・!ざ、残月!お主いたのか!」
咄嗟に妄想の延長あった謎の桃色のモヤを消し去り突然の残月の登場に驚く。しかし残月からすれば今日この時間に自分が仕事の打ち合わせで訊ねると事前に言っていたことだし、屋敷に入る前に声をかけても返事は無い、とりあえず入ってみれば樊瑞の頭上には正体不明の桃色のモヤ。何がなんだかである。
「あ、残月様おはようございます」
「やあ、サニーおはよう・・・・ううっ!!!?」
樊瑞は自分の目を覆った。
残月の煙管が落ちる音が室内に良く響いた。
「どういうことだ、これはっ」
どうして自分がこの覆面男から手厳しく詰問されるのか納得がいかなかったが、突きつけられた煙管を前に樊瑞はうな垂れて小さく「わからん」と言う他無かった。
「サニー、どこか身体の具合が悪いところは無いか?」
「はい、残月様特に何も・・・大丈夫です」
残月はとりあえずは安堵はしたが、あまりに見違えたサニーに正直言葉が出ない。自分よりいくらか年下くらいだろうか、面影が残るそれは確かにサニーが成長した姿。彼は感慨深げに煙管を咥えた。
「しかし樊瑞、いつまでもマントを巻かせるわけにもいくまい、とりあえず今の彼女にあった服を着せてやるがいい」
「そう言われてもな・・・ああそういえば丁度良いのがあったかもしれん、サニー少し待っていなさい持ってきてあげよう」
10分ほどして樊瑞が服らしき物を持ってきて、サニーに手渡し、隣の部屋で着替えさせた。そしてサニーは着替えた姿で2人の前に現れた。
「おい樊瑞・・・なんだこのサニーの格好は」
「これしかなかったのだ」
いつもどおりピンクのマントを身につけ樊瑞は真顔で答える。
「・・・・何故『これしかなかった』のだ、いや、いい聞きたくない」
それはいわゆる「メイド服」。ゴシカルな黒の衣装、裾にたっぷりとフリルがついた真っ白なエプロン、頭にはやはりフリルがあしらわれた例のメイドハット。それはどこから見てもメイド服以外の何者でもない。メイド服と言っても絶対領域を残した白タイツ、それにやけにフリルが多く、無意味にスカートが短いあたり健全目的でないことが残月でも容易に知れる。
「おじ様、似合いますか?」
サニーは少々戸惑いながらも愛する『後見人』に自分のメイド姿を見せて感想を求めた。ちなみに彼女は『メイド服』に関して『メイドさんが着る服』というごくあたりまえな認識しかない。
清楚かつ怪しげな色香を漂わせる最強の服を装備した18歳のサニーを前に、LV99の魔王は痛恨の一撃で瀕死。ついでにさっきまで極太だった理性の糸もぷっつりと切れ顔も謎のウィンドウも赤くしながら樊瑞はブンブンと首を縦に振った。
「似合う、似合うぞサニー!!ついでに言えば「おじ様」でなく「ご主人様」と呼んでもらえぬだろうか。その方がこの場合正しい呼び方だと私は思うのだ」
サニーの手を握り締め、いたって真剣な表情でトチ狂った願いを申し出る。
「ご・・・主人様・・・ですか?」
「うむ!そうだっいいぞサニー!!さらに希望を言えば「ご主人様♪」とこう親しげに呼ぶと私はもっと嬉しいかもしれない」
「サニー!!やめなさい、言わなくていいっ」
残月が背後で制する。彼としてはこの異常極まりない光景は耐えがたいものらしい。
「いいではないか残月くん」
そう言う魔王の目は既に正気を失っていた。サニーの手をますます強く握り締め、二度と離さぬものかと云わんばかりの危険な空気を漂わせ、その姿はピンクのマントを身につけたただの変態。
「サニー、おじ様は少々混乱なされている、危ないからこちらへ来なさい」
残月は務めて冷静に手を離させ、サニーを自分の背後にやる。
「な!残月まさかっ貴様~サニーのことを!」
覆面越しにでもわかる青筋が残月の額に浮き上がった瞬間、樊瑞は先端速度が音速を超えるかかと落しを脳天に食らって、地に沈んだ。
「とにかくそれは着替えよう」
「はい、ご主人様♪」
「はは・・・それの呼び方はやめてもらえないだろうか・・・」
残月は引きつった表情で笑うしかなかった。
いくら外見は18歳であっても中身は8歳。このまま狂った大人の煩悩にまみれた格好をさせるわけにもいかず、残月はまだ年若い下級の女性エージェントを呼びつけ無難な日常服を借りた。サニーが着たのはオフホワイトの飾り気のないワンピースと黒のロングカーディガン。残月はまぁこんなところでいいだろうと肩の荷を下ろす。
目が覚めた樊瑞はその姿に残念がったが、とりあえず正気には戻ったらしく年齢に相応しい姿にやはり相好を崩した。
「ごめんなさい残月様、ご迷惑をおかけしてしまって・・・」
「いや、気にしなくて良い、こんなふざけた展開は君自身のせいではあるまい」
どこかでご都合主義という大いなる悪意が働いている、残月は目ざとく察知した。
さすがは十傑集と言うべきか。
「それよりサニー、いつまでもその姿でいるわけにもいかぬだろう原因を調べて元に戻さねばならぬな・・・」
「やはりそうか・・・ははは・・・まぁ少し残念な気もするが・・・」
樊瑞はサニーと顔を合わせて苦笑した。
残月はまず十常寺を呼んだ、十傑一の頭脳を持つ彼なら何らかの手立てを考えつくのではないかと思ってのことだった。ところがである、どこで嗅ぎつけたのか呼んでもいない他の連中も十常寺と一緒にゾロゾロとやってきた。他の連中というのはレッド、カワラザキ、幽鬼、怒鬼、血風連の集団。皆が18歳のサニーを取り囲み驚嘆や感動の声を上げる、しっかり騒動となった状況に残月は頭を抱えた。
レッドは「面白いことになったなぁ」とニヤニヤ楽しげに笑いサニーの鼻をつまんだり目を広げたりおもちゃにしている。そしてふっくらと膨らんだ胸に手をかけようとした瞬間、樊瑞の身体をはった防御を受ける。
「サニーに何をする」
「はっ安心しろ、ただの身体検査だ」
「貴様!私ですらサニーにそんな検査したことないのに!」
レッドに食って掛かろうとする樊瑞を後ろから幽鬼が羽交い絞めにするが、彼としては樊瑞が叫んだ台詞にどこか引っかかるがあえて深く考えない事にした。
サニーを血風連が取り囲み、全員が涙を流しまるで神々しい女神を崇めるかのように膝を折り、樊瑞が必死になってむさ苦しい男どもの視線からサニーを守る。怒鬼は相変わらずの無表情&無言ではあるが気のせいかやや顔が赤いかもしれない。
「ん?こんな時にセルバンテスがいないというのが不思議だが・・・」
こういった騒動をこよなく愛するある意味お祭男のセルバンテス、残月が疑問に思うのも無理は無い。セルバンテスならこういう事態に真っ先に駆けつけて真っ先に大喜びするに違いなかったからだ。ついでにもっと事態をややこしくする男とも言える。
「眩惑は衝撃と一緒に朝から任務だ、そういえばヒイッツカラルドも昨日から別任務だったと思うがな」
「アルベルトもか・・・奴がこのサニーの姿を見たらどんな顔をするか・・・」
カワラザキの言葉に樊瑞はサニーの父親の顔を浮かべ思いつく限りの驚愕の表情をさせて頭の中で遊んでみた。なかなか拝めない貴重な顔だ。
とりあえず残月は十常寺と話し合っていろいろと原因について考えてはみたが、やはり判明するわけもなく。他の連中はサニーを取り囲んでおおはしゃぎしたり顔を赤くしたり。いい大人が大勢集まってもどうにもならない状況が続いていた。
「貴方たち・・・午前中のの定例会議に揃いも揃っておいでにならないと思ったら・・・こんなところで何をなさっておいでかっ!!」
全員が鋭い声に振り向くと角が生えそうな形相の孔明。
しかし樊瑞とサニー以外は無視。彼らとしては孔明が喋ってばかりの面倒で長ったらしい会議より、こうした『ビッグイベント』の方が大事らしい。
とりあえずお冠な孔明に樊瑞が事の次第を説明してサニーの今の姿を見せた。
「ほう」
さすがの孔明も驚嘆の表情を隠せず、18歳のサニーをまじまじと見つめる。
「孔明、どうしたら良いものかな」
「こんなの1日寝れば元に戻るに決まっております、さ、皆様方会議を始めますぞ、10分以内にお集まりくださるようお願いします」
彼は一発でご都合主義を見破った。
1日の業務を終え、樊瑞は自分の屋敷に戻った。出迎えるのは18歳のサニー。しかし帰りを喜ぶ笑顔はまだ8歳の幼さを残す。
夕食を済ませ、自分の成長した顔を鏡で眺め嬉しそうにしているサニーを樊瑞もまた眺める。一時はどうなることかと思ったがとりあえずあの孔明が一晩寝れば元に戻るというのだからそうなのだろう、それがビッグ・ファイアのご意志か何かわからないが。樊瑞としてはそう考え安心はしていた。
「サニーこっちへおいで」
サニーを自分の膝元に座らせる。そして改めて18歳の姿をまっすぐ見つめる。やがてくる将来の姿。いつか自分の元から離れて独り立ちするその姿に説明のつかない切なさが込み上げる。
この年齢まで自分はサニーを幸せに育てることができるのだろうか。
そしてこの姿になるサニーはその時幸せだろうか・・・。
「おじ様、私は明日には戻ると孔明様がおっしゃられてました。あの・・・今の姿を写真に撮っていただきたいのですが・・・」
「む?写真にか?」
「はい・・・セルバンテスのおじ様たちや、父に・・・その・・・見て欲しいのです・・・」
「そうか・・・そうだな、ふふ奴らめさぞ驚くだろうな」
樊瑞は使用人にデジタルカメラを持ってこさせ、サニーにファインダーを向ける。
ファインダー越しに18歳の、サニーは柔らかく微笑む。
それは自分が初めて手に抱いた時に自分に向けた変わらぬ笑顔でもあった。
シャッターを切り、樊瑞は願いを込めてその笑顔を閉じ込めた。
サニーは寝室でベッドに入る。
そして一夜明ければあるべき8歳の姿に戻る。
樊瑞は布団に潜り込んだサニーの額を優しくなで、18歳のサニーに別れを告げた。
「おじ様、きっと将来お会いできますわ・・・」
「サニー・・・」
自分の気持ちを悟ってか、穏やかにサニーは微笑んだ。
「それまで待っててくださいね」
「うむ」
樊瑞もまた同じ笑みを返し寝室のドアをしめた。
そして翌朝、サニーは再び8歳の姿に戻った。
「なななな!なんだって!そんな面白いことがあったのかね!」
任務から盟友とともに帰還したセルバンテスはたいそう残念がった。アルベルトは「ありえん、馬鹿馬鹿しい」とキッパリと否定。ヒィッツカラルドは「ほぉ、あのお嬢ちゃんが」と少し興味深げ。盟友の任務をサポートしていたイワンは目を丸くして照れ笑いしている8歳のサニーを見る。
「ふふふ・・・まぁこれを見ろ、昨晩写真に残しておいたのだ」
4人がデジカメに顔を寄せ、画像を覗き込む。アルベルトは一番否定していたはずだったがセルバンテスを押しのけて真っ先に覗き込んだ。
しかし背景の屋敷の部屋が写っているだけで18歳のサニーの姿は写ってはいなかった。
「むむ!?あれ?」
シャッターを切ったあのあと撮れているかちゃんと確認した。確かに微笑む18歳のサニーはデジカメの中に残されていたはず。朝になってもう一度見たときも確かにあった。
「おいおい・・・何にも写ってないじゃないか・・・なんだぁサニーちゃんの成長した姿を拝めると思っていたのにな・・・」
セルバンテスは詰まらなさそうに口を尖らせる。
樊瑞はただ部屋だけが写る画像を見つめる。
「おおかた全員揃って夢でも見ていたんだろう、くだらん」
「なんだ美女を拝めると思ったのに・・・つまらん」
アルベルトが溜息をつく。
ヒィッツカラルドは肩をすくめ興味を無くしたのかさっさと帰って行った。
「いや・・・確かに撮ったのだ・・・これはいったいなんなんだ・・・」
「壊れているわけでもなさそうですが・・・」
イワンがデジカメを手にとりいじってみるが特におかしいところはない。
「いや~見たかったなぁ~残念だなぁ~」
樊瑞の屋敷を後にして3人は本部内へ戻る途中。
セルバンテスはまだ残念がっていた。
「アルベルトも見たかっただろう?サニーちゃんが成長した姿。17、8歳くらいだとさぞ素敵なレディだったろうに・・・ふふふきっと誰かさんによく似た・・・」
アルベルトは何も言わず葉巻を咥え火を点ける。無表情を装ってはいるがその誰かさんの顔を思い浮かべこっそり鼻で笑う。
「放っておいても子どもは大きくなる、急いで見ても仕方が無かろう10年後を楽しみに待てばいいだけだ」
「まぁそうかもしれないね、先の楽しみはやはり先の自分に残すべきか」
アルベルトの意外と落ち着いた考えに苦笑しつつも、セルバンテス自身も納得する。2人の後ろについて行くイワンもまた彼なりに10年後のサニーを想像し、その姿を見る彼らと自分とを思い浮かべて笑った。
屋敷で一人樊瑞は何も写っていない画像を眺める。
結局、何も残らなかったが自分の記憶の中で18歳のサニーは幸せそうに微笑む。
これで良かったのだとデジカメをテーブルに置き、8歳のサニーと顔を合わせた。
こうして「ある騒動」は終わった。
END
樊瑞はいつもなら自分より先に起きて朝食の席に着いているはずのサニーがいないことに不思議に思い「寝坊か?珍しいことがあるものだ」と彼の屋敷の2階にあるサニーの寝室に向った。
サニーの寝室をノックする。返事が無い。何度かノックしたがやはり返事は返ってこない。念のため「入るぞサニー」と声をかけて彼は寝室に入った。
「!!!!?」
「あ、おじ様おはようございます。ごめんなさい、寝坊してしまって・・・」
そこでようやく起きたのかサニーが眠そうに目を擦る。
「・・・・・・・・・・・」
「おじ様?」
ああ、そう言えば今年の残暑は短かったな、気がつけば秋か。さんまが美味しい季節だ、さんまといえば焼くのも当然にこれまた美味いが刺身にするのが実は最高でな、先日も
(余白)
意識が何処かへおでかけしているのか樊瑞はサニーの前で固まったまま。
「あの・・・おじ様?」
「サ・・・・・サンマ?い、いやいやサニー?サニー・・・・なのか?」
「?はい・・・おじ様?どうなされたのですか?」
「な、な、な、ななななな」
サニーは現在8歳。そう8歳である。いわゆる一般でいうところの少女であり小学生といえる。しかし口をあけて魚のようにパクパクさせている樊瑞の前にいるのは大人に一歩片足を踏み入れたというべき身体のサニー。幼さはなくスッキリとした顔の輪郭、色白で頬は艶々のふっくら。唇は樊瑞が知っている形や色でなく色香さえ漂わせる。目元は少女の面影を残しつつ、濃く長い睫毛が真紅の瞳を際立たせている。
端的に言えばいわゆる超美女。
そして何より樊瑞を凝固状態にさせていたのは、身体が大きくなったせいかやぶけたパジャマから覗く肢体。何をどうすればこうなるのかサニーは少女ではなく女性の身体だった。
油が乗った旬の魚、さんまではない。決してない。
そのことにようやく気づく樊瑞。
そしてサニーもまた自分の今ある姿に気づいたのか、
「きゃあ~!」
屋敷を揺るがす乙女の悲鳴。
見も蓋も無いご都合主義のもと、8歳のサニーは一夜にして18歳のサニーとなった。
樊瑞はその悲鳴にどこからか目覚めたのか自分のピンクのマントを取って真っ先にサニーの身体にかけてやった。このあたりはさすが混世魔王いえる行動かもしれない。
「おじ様・・・私はいったい・・・」
動揺の色を隠せないでいるサニーの目には涙が溜まる。
「だ、だだだだだ大丈夫だ、サニー落ち着きなななさい」
樊瑞はとにかく冷静になろうと頑張った。可愛い我が娘同様のサニーが急な身体の変化に戸惑い、怯えている。そんな彼女をひっしとマントの上から抱きしめてみるが、動揺しまくる自分を誰かに抱きしめて欲しいくらいだった。
しかし、こうして抱きしめるサニーの身体は今の彼には刺激が強すぎる。
幼い体とは分けが違うからだ。
なんというか程よい弾力、なんとも柔らかい。
気のせいか誘うような良い匂いもする、気のせいだが。
最近忘れかけていた何か熱いものが込み上げてきそうな気がするがこんなことで人間を辞めるわけにいかない。樊瑞は鉄壁の理性で最強最悪の敵をねじ伏せた。自分で自分を「うむ!さすがは混世魔王よくやった!」と褒め称えたが少し虚しい。
「ああ・・・どういうことだこれは・・・いや今考えても仕方が無い。まずは服だ、服・・・困ったな・・・サニーの今のサイズに合う服が無いぞ。仕方が無い・・・とりあえず私のマントを巻いていなさい。ああ朝食は他の者は下がらせよう、あまり騒動になるのも問題だろうからな・・・」
樊瑞は後ろを向いて、サニーがマントを身体に巻くのを待った。
ちょっとしたピンク色のドレスのような形に仕上げてサニーはようやく朝食の席についた。2人ともこのあとどうなるんだろう・・・もっともな不安を抱えてベーコンエッグにナイフを入れた。
食後のコーヒーを片手にホットミルクを口にするサニーを見つめる。
朝食を口にしてサニーも少し落ち着きを取り戻した様だった。
最初は動揺で良く見れなかったが、17、8歳くらいだろうか。どうしてこんなことになってしまったのかもちろんわからないが、目の前にいるサニーはおそらく将来あるべき姿。いつかはこうして一人の女性となるのだ・・・そう樊瑞は『後見人』として少々複雑な思いが過ぎる。
そしていつか『好きな人ができたの、おじ様、結婚を許してください!』などとどこの馬の骨ともわからぬ男を連れて来て自分に言ってくるのだろうか・・・いいや、冗談じゃない!そんなことはこの私が許さん、サニーが泣いても許さんぞ、いや泣いたら許してしまうのだろうか、いやいや許さんぞ絶対に許さん、馬の骨から『お父さん!サニーさんをください!』などと言われようものならありったけの銅銭を口に詰め込んで札を貼り付けてやる!私のサニーに指1本触れさせてなるものか・・・いやいや何を言ってるんだ私は・・・などとどうでもいいことまで一人で妄想を繰り広げ頭をブンブンと振る。
「なに首を振っているのだ樊瑞」
絶好調の妄想劇場のさなか、後ろを振り向けば残月がポカーンと口をあけていた。
「・・・・!ざ、残月!お主いたのか!」
咄嗟に妄想の延長あった謎の桃色のモヤを消し去り突然の残月の登場に驚く。しかし残月からすれば今日この時間に自分が仕事の打ち合わせで訊ねると事前に言っていたことだし、屋敷に入る前に声をかけても返事は無い、とりあえず入ってみれば樊瑞の頭上には正体不明の桃色のモヤ。何がなんだかである。
「あ、残月様おはようございます」
「やあ、サニーおはよう・・・・ううっ!!!?」
樊瑞は自分の目を覆った。
残月の煙管が落ちる音が室内に良く響いた。
「どういうことだ、これはっ」
どうして自分がこの覆面男から手厳しく詰問されるのか納得がいかなかったが、突きつけられた煙管を前に樊瑞はうな垂れて小さく「わからん」と言う他無かった。
「サニー、どこか身体の具合が悪いところは無いか?」
「はい、残月様特に何も・・・大丈夫です」
残月はとりあえずは安堵はしたが、あまりに見違えたサニーに正直言葉が出ない。自分よりいくらか年下くらいだろうか、面影が残るそれは確かにサニーが成長した姿。彼は感慨深げに煙管を咥えた。
「しかし樊瑞、いつまでもマントを巻かせるわけにもいくまい、とりあえず今の彼女にあった服を着せてやるがいい」
「そう言われてもな・・・ああそういえば丁度良いのがあったかもしれん、サニー少し待っていなさい持ってきてあげよう」
10分ほどして樊瑞が服らしき物を持ってきて、サニーに手渡し、隣の部屋で着替えさせた。そしてサニーは着替えた姿で2人の前に現れた。
「おい樊瑞・・・なんだこのサニーの格好は」
「これしかなかったのだ」
いつもどおりピンクのマントを身につけ樊瑞は真顔で答える。
「・・・・何故『これしかなかった』のだ、いや、いい聞きたくない」
それはいわゆる「メイド服」。ゴシカルな黒の衣装、裾にたっぷりとフリルがついた真っ白なエプロン、頭にはやはりフリルがあしらわれた例のメイドハット。それはどこから見てもメイド服以外の何者でもない。メイド服と言っても絶対領域を残した白タイツ、それにやけにフリルが多く、無意味にスカートが短いあたり健全目的でないことが残月でも容易に知れる。
「おじ様、似合いますか?」
サニーは少々戸惑いながらも愛する『後見人』に自分のメイド姿を見せて感想を求めた。ちなみに彼女は『メイド服』に関して『メイドさんが着る服』というごくあたりまえな認識しかない。
清楚かつ怪しげな色香を漂わせる最強の服を装備した18歳のサニーを前に、LV99の魔王は痛恨の一撃で瀕死。ついでにさっきまで極太だった理性の糸もぷっつりと切れ顔も謎のウィンドウも赤くしながら樊瑞はブンブンと首を縦に振った。
「似合う、似合うぞサニー!!ついでに言えば「おじ様」でなく「ご主人様」と呼んでもらえぬだろうか。その方がこの場合正しい呼び方だと私は思うのだ」
サニーの手を握り締め、いたって真剣な表情でトチ狂った願いを申し出る。
「ご・・・主人様・・・ですか?」
「うむ!そうだっいいぞサニー!!さらに希望を言えば「ご主人様♪」とこう親しげに呼ぶと私はもっと嬉しいかもしれない」
「サニー!!やめなさい、言わなくていいっ」
残月が背後で制する。彼としてはこの異常極まりない光景は耐えがたいものらしい。
「いいではないか残月くん」
そう言う魔王の目は既に正気を失っていた。サニーの手をますます強く握り締め、二度と離さぬものかと云わんばかりの危険な空気を漂わせ、その姿はピンクのマントを身につけたただの変態。
「サニー、おじ様は少々混乱なされている、危ないからこちらへ来なさい」
残月は務めて冷静に手を離させ、サニーを自分の背後にやる。
「な!残月まさかっ貴様~サニーのことを!」
覆面越しにでもわかる青筋が残月の額に浮き上がった瞬間、樊瑞は先端速度が音速を超えるかかと落しを脳天に食らって、地に沈んだ。
「とにかくそれは着替えよう」
「はい、ご主人様♪」
「はは・・・それの呼び方はやめてもらえないだろうか・・・」
残月は引きつった表情で笑うしかなかった。
いくら外見は18歳であっても中身は8歳。このまま狂った大人の煩悩にまみれた格好をさせるわけにもいかず、残月はまだ年若い下級の女性エージェントを呼びつけ無難な日常服を借りた。サニーが着たのはオフホワイトの飾り気のないワンピースと黒のロングカーディガン。残月はまぁこんなところでいいだろうと肩の荷を下ろす。
目が覚めた樊瑞はその姿に残念がったが、とりあえず正気には戻ったらしく年齢に相応しい姿にやはり相好を崩した。
「ごめんなさい残月様、ご迷惑をおかけしてしまって・・・」
「いや、気にしなくて良い、こんなふざけた展開は君自身のせいではあるまい」
どこかでご都合主義という大いなる悪意が働いている、残月は目ざとく察知した。
さすがは十傑集と言うべきか。
「それよりサニー、いつまでもその姿でいるわけにもいかぬだろう原因を調べて元に戻さねばならぬな・・・」
「やはりそうか・・・ははは・・・まぁ少し残念な気もするが・・・」
樊瑞はサニーと顔を合わせて苦笑した。
残月はまず十常寺を呼んだ、十傑一の頭脳を持つ彼なら何らかの手立てを考えつくのではないかと思ってのことだった。ところがである、どこで嗅ぎつけたのか呼んでもいない他の連中も十常寺と一緒にゾロゾロとやってきた。他の連中というのはレッド、カワラザキ、幽鬼、怒鬼、血風連の集団。皆が18歳のサニーを取り囲み驚嘆や感動の声を上げる、しっかり騒動となった状況に残月は頭を抱えた。
レッドは「面白いことになったなぁ」とニヤニヤ楽しげに笑いサニーの鼻をつまんだり目を広げたりおもちゃにしている。そしてふっくらと膨らんだ胸に手をかけようとした瞬間、樊瑞の身体をはった防御を受ける。
「サニーに何をする」
「はっ安心しろ、ただの身体検査だ」
「貴様!私ですらサニーにそんな検査したことないのに!」
レッドに食って掛かろうとする樊瑞を後ろから幽鬼が羽交い絞めにするが、彼としては樊瑞が叫んだ台詞にどこか引っかかるがあえて深く考えない事にした。
サニーを血風連が取り囲み、全員が涙を流しまるで神々しい女神を崇めるかのように膝を折り、樊瑞が必死になってむさ苦しい男どもの視線からサニーを守る。怒鬼は相変わらずの無表情&無言ではあるが気のせいかやや顔が赤いかもしれない。
「ん?こんな時にセルバンテスがいないというのが不思議だが・・・」
こういった騒動をこよなく愛するある意味お祭男のセルバンテス、残月が疑問に思うのも無理は無い。セルバンテスならこういう事態に真っ先に駆けつけて真っ先に大喜びするに違いなかったからだ。ついでにもっと事態をややこしくする男とも言える。
「眩惑は衝撃と一緒に朝から任務だ、そういえばヒイッツカラルドも昨日から別任務だったと思うがな」
「アルベルトもか・・・奴がこのサニーの姿を見たらどんな顔をするか・・・」
カワラザキの言葉に樊瑞はサニーの父親の顔を浮かべ思いつく限りの驚愕の表情をさせて頭の中で遊んでみた。なかなか拝めない貴重な顔だ。
とりあえず残月は十常寺と話し合っていろいろと原因について考えてはみたが、やはり判明するわけもなく。他の連中はサニーを取り囲んでおおはしゃぎしたり顔を赤くしたり。いい大人が大勢集まってもどうにもならない状況が続いていた。
「貴方たち・・・午前中のの定例会議に揃いも揃っておいでにならないと思ったら・・・こんなところで何をなさっておいでかっ!!」
全員が鋭い声に振り向くと角が生えそうな形相の孔明。
しかし樊瑞とサニー以外は無視。彼らとしては孔明が喋ってばかりの面倒で長ったらしい会議より、こうした『ビッグイベント』の方が大事らしい。
とりあえずお冠な孔明に樊瑞が事の次第を説明してサニーの今の姿を見せた。
「ほう」
さすがの孔明も驚嘆の表情を隠せず、18歳のサニーをまじまじと見つめる。
「孔明、どうしたら良いものかな」
「こんなの1日寝れば元に戻るに決まっております、さ、皆様方会議を始めますぞ、10分以内にお集まりくださるようお願いします」
彼は一発でご都合主義を見破った。
1日の業務を終え、樊瑞は自分の屋敷に戻った。出迎えるのは18歳のサニー。しかし帰りを喜ぶ笑顔はまだ8歳の幼さを残す。
夕食を済ませ、自分の成長した顔を鏡で眺め嬉しそうにしているサニーを樊瑞もまた眺める。一時はどうなることかと思ったがとりあえずあの孔明が一晩寝れば元に戻るというのだからそうなのだろう、それがビッグ・ファイアのご意志か何かわからないが。樊瑞としてはそう考え安心はしていた。
「サニーこっちへおいで」
サニーを自分の膝元に座らせる。そして改めて18歳の姿をまっすぐ見つめる。やがてくる将来の姿。いつか自分の元から離れて独り立ちするその姿に説明のつかない切なさが込み上げる。
この年齢まで自分はサニーを幸せに育てることができるのだろうか。
そしてこの姿になるサニーはその時幸せだろうか・・・。
「おじ様、私は明日には戻ると孔明様がおっしゃられてました。あの・・・今の姿を写真に撮っていただきたいのですが・・・」
「む?写真にか?」
「はい・・・セルバンテスのおじ様たちや、父に・・・その・・・見て欲しいのです・・・」
「そうか・・・そうだな、ふふ奴らめさぞ驚くだろうな」
樊瑞は使用人にデジタルカメラを持ってこさせ、サニーにファインダーを向ける。
ファインダー越しに18歳の、サニーは柔らかく微笑む。
それは自分が初めて手に抱いた時に自分に向けた変わらぬ笑顔でもあった。
シャッターを切り、樊瑞は願いを込めてその笑顔を閉じ込めた。
サニーは寝室でベッドに入る。
そして一夜明ければあるべき8歳の姿に戻る。
樊瑞は布団に潜り込んだサニーの額を優しくなで、18歳のサニーに別れを告げた。
「おじ様、きっと将来お会いできますわ・・・」
「サニー・・・」
自分の気持ちを悟ってか、穏やかにサニーは微笑んだ。
「それまで待っててくださいね」
「うむ」
樊瑞もまた同じ笑みを返し寝室のドアをしめた。
そして翌朝、サニーは再び8歳の姿に戻った。
「なななな!なんだって!そんな面白いことがあったのかね!」
任務から盟友とともに帰還したセルバンテスはたいそう残念がった。アルベルトは「ありえん、馬鹿馬鹿しい」とキッパリと否定。ヒィッツカラルドは「ほぉ、あのお嬢ちゃんが」と少し興味深げ。盟友の任務をサポートしていたイワンは目を丸くして照れ笑いしている8歳のサニーを見る。
「ふふふ・・・まぁこれを見ろ、昨晩写真に残しておいたのだ」
4人がデジカメに顔を寄せ、画像を覗き込む。アルベルトは一番否定していたはずだったがセルバンテスを押しのけて真っ先に覗き込んだ。
しかし背景の屋敷の部屋が写っているだけで18歳のサニーの姿は写ってはいなかった。
「むむ!?あれ?」
シャッターを切ったあのあと撮れているかちゃんと確認した。確かに微笑む18歳のサニーはデジカメの中に残されていたはず。朝になってもう一度見たときも確かにあった。
「おいおい・・・何にも写ってないじゃないか・・・なんだぁサニーちゃんの成長した姿を拝めると思っていたのにな・・・」
セルバンテスは詰まらなさそうに口を尖らせる。
樊瑞はただ部屋だけが写る画像を見つめる。
「おおかた全員揃って夢でも見ていたんだろう、くだらん」
「なんだ美女を拝めると思ったのに・・・つまらん」
アルベルトが溜息をつく。
ヒィッツカラルドは肩をすくめ興味を無くしたのかさっさと帰って行った。
「いや・・・確かに撮ったのだ・・・これはいったいなんなんだ・・・」
「壊れているわけでもなさそうですが・・・」
イワンがデジカメを手にとりいじってみるが特におかしいところはない。
「いや~見たかったなぁ~残念だなぁ~」
樊瑞の屋敷を後にして3人は本部内へ戻る途中。
セルバンテスはまだ残念がっていた。
「アルベルトも見たかっただろう?サニーちゃんが成長した姿。17、8歳くらいだとさぞ素敵なレディだったろうに・・・ふふふきっと誰かさんによく似た・・・」
アルベルトは何も言わず葉巻を咥え火を点ける。無表情を装ってはいるがその誰かさんの顔を思い浮かべこっそり鼻で笑う。
「放っておいても子どもは大きくなる、急いで見ても仕方が無かろう10年後を楽しみに待てばいいだけだ」
「まぁそうかもしれないね、先の楽しみはやはり先の自分に残すべきか」
アルベルトの意外と落ち着いた考えに苦笑しつつも、セルバンテス自身も納得する。2人の後ろについて行くイワンもまた彼なりに10年後のサニーを想像し、その姿を見る彼らと自分とを思い浮かべて笑った。
屋敷で一人樊瑞は何も写っていない画像を眺める。
結局、何も残らなかったが自分の記憶の中で18歳のサニーは幸せそうに微笑む。
これで良かったのだとデジカメをテーブルに置き、8歳のサニーと顔を合わせた。
こうして「ある騒動」は終わった。
END
貝と少女と父親たちと
袖口にレースがあしらわれた真っ白なワンピースを揺らし、夢中になって砂浜に打ち上げられた貝殻を集めている。少女の白い肌を日差しから守る大きなつばの麦わら帽子が風に飛ばされ、ロイヤルミルクティの巻き毛が踊った。
少女の後ろにいたセルバンテスが砂浜につばを立てて転がる麦わら帽子を軽やかに捕まえた。
「はい、サニーちゃん」
「あ、セルバンテスのおじさま、ありがとうございます」
笑顔で差し出せば少女は先月5歳になったばかりだというのに大人がするような丁寧なお辞儀をして麦わら帽子を受け取った。ボリュームのある巻き毛を押さえつけるように麦わら帽子を被るが、また風に飛ばされそうだ。
「いっぱい集めたねぇ、お土産に持って帰るのかい?」
「はい、皆さんに」
少女の言う皆さんというのは自分の同僚たちなのであるが。セルバンテスは小さな手から零れ落ちそうな貝殻に目をやった。様ざまな形の様ざまな色、それはちょっとした宝石のようでもあった。なんとなく誰がどの貝殻をこの少女から受け取るのか想像してみる。
ここはエーゲ海に囲まれた無人島。大富豪オイル・ダラーことセルバンテスの彼の莫大な個人資産で手に入れた小さな島。生い茂る緑は日を浴びて輝き、オリーブを実らせる、遠浅が続き緩やかな波は混じりけのない白い砂浜を洗う、喧騒であふれる俗世間から切り取ったかのような穏やかな島。つまり、貴重な休日を楽しむには最高の場所だった。
海からの風をテラコッタ色の肌に受け、心地良さげにセルバンテスは腕を伸ばし身体を大きく反らせた。彼のトレードマークと言うべきゴーグルも白いクフィーヤも今日ばかりは身に付けていない、ライトグレーのサマーセーターと綿と麻の七分丈のチノパン、足元はスケルトンタイプのビニルサンダル。そして色の薄いサングラス。ダラーでもなくBF団のセルバンテスでもない、今日は少女のおじさんだった。
「いやいやここを買って正解だったね。おーいアルベルト、君もこっちへ来てはどうだね、風が気持ちいいぞぉ」
少女の父親である彼の友人は大きな日陰を作るパラソルの下、ラタン製の長いすに身を横たえ英字新聞を広げている。ボタンをひとつ開けた薄いスカイブルーのシャツに黒の綿スラックス、皮のサンダルは無造作に長いすの下で重なっている。セルバンテスの声にアルベルトは少しだけ顔をあげ眉も上げたが彼の意見は却下されたらしく再び新聞へと顔が戻された。
「やれやれ、せっかくの親子の休日だというのに、ねぇサニーちゃん」
苦笑して少女の貝拾いを手伝うことにした。
優しく砂浜を撫でる波。
鼻をくすぐる潮の香り。
宝石を集める少女の手。
ゆっくりとした時間が流れる。
これがいつもの日常なのではないかと錯覚しそうなほど穏やかな時間だった、
「サニー様、セルバンテス様お茶の用意が整いました」
声をかけられ後ろを振り向けば、パラソルの下にあった丸いテーブルはいつの間にか海と同じブルーのテーブルクロスを被り、揃えられたカップからは湯気が立っていた。
「イワン君、君もせっかくの休日なのだからそんなことまでしなくてもいいのだよ?」
律儀で忠実なアルベルトの部下を笑って嗜めるがイワンは手際よく紅茶を注ぐ。
「いえ、私は十分休日を楽しませていただいております。さ、どうぞアルベルト様とセルバンテス様にはダージリンをサニー様にはレモネードをご用意いたしました」
「まぁ、私としてはイワン君がいれてくれた美味しーい紅茶を飲めるのは嬉しいんだけどね。それじゃサニーちゃんお茶にしようか」
「はい」
麦わら帽子に入れられた色とりどりの宝石を大事そうに少女は抱える。それを落さないようにテーブルへと駆けより、紅茶を飲む父親の前に差し出した。
アルベルトは相変わらず眉間に険の入った顔で麦わら帽子に収められた貝殻に視線を落した。少女は照れたような笑顔で父親の反応を期待していたが父親にとって貝殻は何ら興味が湧く対象ではなかった。見せられたところでどう反応していいのかわからない。
「貝殻か」
見たままのとおりの事だけを言う。素っ気無い反応でも嬉しかったらしく少女は笑顔で頷いた。そんな親子のやりとりを横で眺めていたセルバンテスは小さく溜息をついた。
親子らしい会話をすることもない、顔を合わせることも少ない、そもそも父親から一方的に親子の縁を切られている。特殊な立場を考えれば致し方ないのかもしれないが、ともかくまっとうな親子関係を築けていない父娘2人。おせっかいを好むセルバンテスはこの2人を誘って休暇を楽しむことにした。もちろん仕事人間である父親のアルベルトは渋い顔をしてなかなか首を立てに振らなかったが半ば強引に連れて来た。
---君はもう少しサニーちゃんを可愛がりたまえよ
---あれとは親子の縁は切ってある
---それは君の都合だ、子どもには関係無い、それくらい君もわかっているはずだ
---この私に父親のまねなぞできるか
---父親なんだからまねなんかしてどうするんだい
ここまで来る前のBF団本部内での不毛なやりとりを思い出し、もう一度溜息をついた。少女は冷えたレモネードを縞模様の入ったストローで美味しそうに飲んでいる。セルバンテスと目が合いはにかんだ笑顔を向けるがそれが救いのように思えた。
アフタヌーンティーをのんびりと楽しんだ後セルバンテスはアルベルトと入れ替わり長いすに横たわって昼寝をむさぼっている。
そしてアルベルトはテーブルの上に置かれているたくさんの貝殻をなんとなく摘み上げる。平べったい二枚貝、トゲのようなものを纏った貝、薄い桜色の小さな貝・・・そしてヤドカリを宿した巻貝。その小さなヤドカリは険の入ったアルベルトの機嫌を伺うかのように巻貝から顔を出したり引っ込めたりしている。それを何度か繰り返し、テーブルに置かれたアルベルトの指に向ってのっそりと歩み出した。
---ふん
海に目をやれば娘は彼の部下の男と一緒に波打ち際を歩いていた。何が楽しいのか娘は上気した顔を輝かせ、夢中に波を追いかけている。そして部下の男はそれを見守るように微笑んでいる。
あの部下の位置に本来ならば自分がいるはずなのだろうか、そして、ああして笑って見守っているのだろうか。遠い、他人事のような光景をアルベルトはぼんやりとした不思議な気持ちで見つめていた。自分にあんなまねができるわけもない。できる人間であるはずがない。
ぴーぴーぴー
突如長いすにかけられた無線にコールが入り、アルベルトの思考は絶たれた。
無線を取ったのは眠っているはずのセルバンテスだった。
「現在この無線は使われておりません、もう一度番号を・・・」
機械音を気取っているのか妙な口調で応答している。しかしコールを送った主はまったく無視して常と変わらぬ態度でいるのが目に見えるようだった。
『お休みのところ申し訳無いのですがイスタンブールへアルベルト殿と共に大至急飛んでいただきたい』
「・・・君ね、死ぬ思いしてようやく取った休暇、まだ三日あるの忘れたのかね。年のせいで物忘れがひどくなったのかい、それに申し訳無いなんて微塵も思っちゃいないだろう」
『ええ、ええ、覚えておりますとも。そんなことより作戦を完了された幽鬼殿が撤収中に国際警察機構の九大天王のうち「豹子頭林冲」「ディック牧」の2名に追跡を受け現在交戦しております。いかに十傑と言えど九大天王2人を相手には・・・』
「ちょっと待て、千手先を読む男が九大天王の動向を知らずに幽鬼一人に任務を遂行させたわけか?」
『ふふふ、私としたことが読み間違えましたかな?それでは至急幽鬼殿の救援、頼みましたぞ』
会話が最後まで続かないうちに無線はプッツリと切れた。
「孔明め、せっかっくの休暇を・・・」
GPS機能を搭載し、地球上の先端を行くBF団の技術で作られた無線はセルバンテスの手から発せられた熱によって溶解した。
「孔明はご丁寧に迎えまで遣したらしいぞ」
アルベルトが顎をしゃくった方を見やればパラソルの影から頭を覗かせ音も無く現れた甲冑姿の赤マント、そして無表情の鉄仮面。セルバンテスは呆れて頭を振る。
「エンシャク・・・君ほど青い海と白い砂浜が似合わない奴もいないよ・・・」
コ・エンシャクはセルバンテスの嘆きやアルベルトのトゲのある視線をまったく意に介さないで青い海と白い砂浜をバックに無言でただそこにいる。
異変を察知したのか砂浜で遊んでいた2人が駆け寄ってきた。
「おしごと?」
少女が曇った表情で遠慮がちに訪ねる。
「うーん・・・ごめんよサニーちゃん、お父さんと2人でちょーっとだけお仕事に行って来るよ。なぁにディナーまでには帰ってくるから、皆で一緒に美味しい料理を食べようね。だから安心してイワン君と遊んでいてくれたまえ」
「アルベルト様、セルバンテス様。サニー様は私にお任せください」
「うむ、任せたよ」
コ・エンシャクが両の手を高く上げるとマントが左右に大きく広がる。闇色のその内側にセルバンテスは身を埋めた。アルベルトは俯いている娘を横目に見る。自分も何か言うべきなのか迷ったが、彼もまた戦場へと赴くべくマントに身を埋めた。
「すぐ戻る」
たった一言だけ、娘に言い残して。
マントを巻きつけるように回るとコ・エンシャクはパラソルの影に沈んでいった。
今回の作戦で国際警察機構が雄、梁山泊の九大天王が相手になるのは聞いてはいない、ましてや十傑と唯一互角に渡り合える彼らが二人も同時に。幽鬼は間髪いれず繰り出される棒術の嵐と、電撃・衝撃・火炎・催眠など性質の異なる多様な攻撃が入り乱れる中、防戦を強いられている状況に歯噛みした。何度も己の身を羽虫の群れに変えては敵を翻弄し、ギリギリのところで攻撃をかわしてはいたがディックの火炎が身を焼き、林冲の棒が脇を掠めて流血。孤軍奮闘していた十傑はついに地に膝をついた。
九大天王の両名は2対1という十傑を凌ぐ滅多にない状況を逃すつもりはない。しつこく追いまわし、この際最強と謳われる十傑集を捕縛するつもりでいる。林冲が天高く棒を投げるとそれは瞬く間に七本に分散し幽鬼を囲むように地に突き刺さった。
「ディック!今だ、奴をを捕らえるぞ」
呼びかけに呼応してディックは電撃を放つと。幽鬼を囲む七本の棒に避雷針の如く落雷。しかしその一瞬、切り裂くような7発の銃声とともに7本の棒が全て折れた。
「そこまでにしてもらおうか、国際警察機構の諸君」
鉄のモーゼルからあがる細い紫煙。セルバンテスは休暇モードから一転、純白のクフィーヤとゴーグル、ドクロが染め抜かれた黒のネクタイを形良く締めた「いつもの」スーツスタイルで鉄塔の先から身を躍らせた。
「貴様、十傑集・眩惑のセルバンテス!」
「いやはや・・・正義の国際警察機構が2対1とは、少々卑怯ではないのかね?」
犬歯を剥いて敵に挑戦的な笑みをぶつけ、悠然と肩で息をする幽鬼のもとに立った。
「眩惑の・・・どうした休日出勤とは随分仕事熱心ではないか」
「だろう?うふふ・・・参ったよ、青い海と冷えたビールが恋しくて仕方がない」
「ならば孔明に注文するんだな、生憎ここには無いぞ」
クフィーヤを大きく翻し手負いの幽鬼を包みこむ、そして地を蹴り高く飛翔する。それを追う九大天王の2人も高く飛翔した、しかし彼らは真横からの衝撃波を受け鉄筋コンクリートに激しく叩き付けられた。2人を中心に放射線状にヒビが入り小さく吐血したが直に衝撃波が放たれた方向に身を構える。
「衝撃のアルベルト!」
アルベルトもまた黒スーツに身を包み、ネクタイを完璧な形に締め上げた「いつもの」のスタイル。両の腕には赤黒い衝撃の奔流が不気味に纏わりついている。口に咥えられた葉巻の先が鋭い小さな音とともにこそげ落ち、そこに火が点く。うまそうに紫煙を吐き出すが赤い目は敵を射殺すように睨む。
「さあどうする、これで2対3だ」
「・・・っく・・・十傑集が3人とは」
気がつけば3人に囲まれる形となっていた。九大天王の2人にとって絶好の好機が一転、深刻な不利的状況に陥ってしまった。
「これ以上貴様らとやりあうつもりはない、用は済んだのだから撤収させてもらうぞ」
幽鬼の口笛が鋭く鳴ると黒い絨毯のような羽虫の群れが2人の視界を遮った。その場から離れようとしたがディックと林冲の足に鞭が絡まる。足元を見ると影から赤マントの怪人がぬるりと姿を現した。
高度2千メートルを維持しながら、BF団の小型飛空挺はトルコとエーゲ海に挟まれたダーダネルス海峡を抜けようとしていた。
無機質な機器類で覆われている船内の一室、幽鬼はスーツの上着を脱ぎ脇腹の傷口に羽虫を集めていた。唸りのような羽音とともに羽虫は傷に溶け込んでいく、どうやら治癒しているらしい。その様子を見ながらセルバンテスは思考をめぐらす。
孔明はおそらく、いや確実に今回の状況を読んでいたに違いない。国際警察機構にとってまたとない十傑捕縛の好機、人数的有利から徹底的に追い攻め立てる。しかし突如新たな十傑2名が出現したことで奴等の深追いを防いだ。奴等とて馬鹿ではない、好機が一転し読めない状況化に陥った中撤収する我々と無用な交戦を行う必要はない。そしてエンシャクの影を使って駆ければ自分たちが休暇を楽しむ位置からは半時で救援に向かえる。その程度の時間なら幽鬼も不利な状況化でも持ちこたえることはできる。距離とタイミングを計った上で最初から自分たち2人を途中投入する予定でいたのだろう。もちろん休暇中であることなどおかまいなしであるが。
やはり孔明は全て把握したうえで作戦を立てていた。
ただ、相変わらず作戦情報の一部を、その肝心な部分を知らせる事はない。
休暇が明けたらどうやって孔明に嫌がらせをしてやろうか。せっかくの貴重な時間を事も無げに潰してくれた白面の策士、そして彼の人を見下したかのような笑みが頭に浮かぶ。セルバンテスは苦々しげに口の端を上げた。
「おい、エンシャクいるんだろう。出て来い」
アルベルトは短くなった葉巻を手で揉み潰し小さな衝撃波で塵に変えた。少し煤けたスーツの上着を脱ぎ、そしてそれを計器類の影から現れたコ・エンシャクに無造作に投げつけた。スーツを頭から被る形となったコ・エンシャクは相変わらず動じることもない。アルベルトはさらに手早くネクタイを緩め、遠慮無しにそれもまた投げつけた。
「先に行ってるぞ」
そう言うや否や飛空挺のドアロックを解除し、アルベルトは何ら躊躇することなく高度2千メートルの空に落ちていった。
あっという間に消えたアルベルト。
唖然とするセルバンテスと幽鬼が顔を見合わせる。
「くはははは、お父さん忙しいねぇ『すぐ戻る』なんて言っちゃったからかな。さて、私も休暇の続きを楽しむとするとしようか。エンシャク、クリーニングに出しておいてくれたまえ」
愉快そうに笑いながらセルバンテスもまた薄汚れてしまったクフィーヤを脱ぎ捨てゴーグルと一緒にアルベルトの黒スーツを頭から被ったコ・エンシャクに引っ掛ける。スーツの上着にドクロのネクタイも容赦無くその上から被せて「それじゃ」と幽鬼に手を振って背後から空に身を預けた。
幽鬼は無言で佇む洋服掛けにたまらず吹きだす。
そして自分のスーツの上着も引っ掛けてやった。
夕日がエーゲの海に沈んでいく。
白い砂浜がゆっくりと朱に染まる。
夕日が沈みきる前に帰りを待つ少女の笑顔が輝いた。
「エンシャク殿、なんですかなその格好は」
けったいな物でも見るかのように白羽扇で口元を隠し目を歪ませる。自分の目の前に現れた甲冑の赤マントは洋服掛けの姿のまま孔明の前に立っていた。無造作に頭から掛けられた戦いの余韻が残るスーツ、ネクタイ、クフィーヤ、一目してそれらが誰のものであるかわかる。
「まったく・・・」
汚い物でも触るように指で摘んで積み重なったスーツをめくる。ふと、黒スーツのポケットに何か小さな固まりがあるのに気づく。孔明はなんとなく手を入れて探ってみた。
「・・・!」
指先にわずかな痛みが走った。
ポケットから手を取り出してみる。
小さなヤドカリが小さな小さな鋏で孔明の指を挟んでいた。
END
袖口にレースがあしらわれた真っ白なワンピースを揺らし、夢中になって砂浜に打ち上げられた貝殻を集めている。少女の白い肌を日差しから守る大きなつばの麦わら帽子が風に飛ばされ、ロイヤルミルクティの巻き毛が踊った。
少女の後ろにいたセルバンテスが砂浜につばを立てて転がる麦わら帽子を軽やかに捕まえた。
「はい、サニーちゃん」
「あ、セルバンテスのおじさま、ありがとうございます」
笑顔で差し出せば少女は先月5歳になったばかりだというのに大人がするような丁寧なお辞儀をして麦わら帽子を受け取った。ボリュームのある巻き毛を押さえつけるように麦わら帽子を被るが、また風に飛ばされそうだ。
「いっぱい集めたねぇ、お土産に持って帰るのかい?」
「はい、皆さんに」
少女の言う皆さんというのは自分の同僚たちなのであるが。セルバンテスは小さな手から零れ落ちそうな貝殻に目をやった。様ざまな形の様ざまな色、それはちょっとした宝石のようでもあった。なんとなく誰がどの貝殻をこの少女から受け取るのか想像してみる。
ここはエーゲ海に囲まれた無人島。大富豪オイル・ダラーことセルバンテスの彼の莫大な個人資産で手に入れた小さな島。生い茂る緑は日を浴びて輝き、オリーブを実らせる、遠浅が続き緩やかな波は混じりけのない白い砂浜を洗う、喧騒であふれる俗世間から切り取ったかのような穏やかな島。つまり、貴重な休日を楽しむには最高の場所だった。
海からの風をテラコッタ色の肌に受け、心地良さげにセルバンテスは腕を伸ばし身体を大きく反らせた。彼のトレードマークと言うべきゴーグルも白いクフィーヤも今日ばかりは身に付けていない、ライトグレーのサマーセーターと綿と麻の七分丈のチノパン、足元はスケルトンタイプのビニルサンダル。そして色の薄いサングラス。ダラーでもなくBF団のセルバンテスでもない、今日は少女のおじさんだった。
「いやいやここを買って正解だったね。おーいアルベルト、君もこっちへ来てはどうだね、風が気持ちいいぞぉ」
少女の父親である彼の友人は大きな日陰を作るパラソルの下、ラタン製の長いすに身を横たえ英字新聞を広げている。ボタンをひとつ開けた薄いスカイブルーのシャツに黒の綿スラックス、皮のサンダルは無造作に長いすの下で重なっている。セルバンテスの声にアルベルトは少しだけ顔をあげ眉も上げたが彼の意見は却下されたらしく再び新聞へと顔が戻された。
「やれやれ、せっかくの親子の休日だというのに、ねぇサニーちゃん」
苦笑して少女の貝拾いを手伝うことにした。
優しく砂浜を撫でる波。
鼻をくすぐる潮の香り。
宝石を集める少女の手。
ゆっくりとした時間が流れる。
これがいつもの日常なのではないかと錯覚しそうなほど穏やかな時間だった、
「サニー様、セルバンテス様お茶の用意が整いました」
声をかけられ後ろを振り向けば、パラソルの下にあった丸いテーブルはいつの間にか海と同じブルーのテーブルクロスを被り、揃えられたカップからは湯気が立っていた。
「イワン君、君もせっかくの休日なのだからそんなことまでしなくてもいいのだよ?」
律儀で忠実なアルベルトの部下を笑って嗜めるがイワンは手際よく紅茶を注ぐ。
「いえ、私は十分休日を楽しませていただいております。さ、どうぞアルベルト様とセルバンテス様にはダージリンをサニー様にはレモネードをご用意いたしました」
「まぁ、私としてはイワン君がいれてくれた美味しーい紅茶を飲めるのは嬉しいんだけどね。それじゃサニーちゃんお茶にしようか」
「はい」
麦わら帽子に入れられた色とりどりの宝石を大事そうに少女は抱える。それを落さないようにテーブルへと駆けより、紅茶を飲む父親の前に差し出した。
アルベルトは相変わらず眉間に険の入った顔で麦わら帽子に収められた貝殻に視線を落した。少女は照れたような笑顔で父親の反応を期待していたが父親にとって貝殻は何ら興味が湧く対象ではなかった。見せられたところでどう反応していいのかわからない。
「貝殻か」
見たままのとおりの事だけを言う。素っ気無い反応でも嬉しかったらしく少女は笑顔で頷いた。そんな親子のやりとりを横で眺めていたセルバンテスは小さく溜息をついた。
親子らしい会話をすることもない、顔を合わせることも少ない、そもそも父親から一方的に親子の縁を切られている。特殊な立場を考えれば致し方ないのかもしれないが、ともかくまっとうな親子関係を築けていない父娘2人。おせっかいを好むセルバンテスはこの2人を誘って休暇を楽しむことにした。もちろん仕事人間である父親のアルベルトは渋い顔をしてなかなか首を立てに振らなかったが半ば強引に連れて来た。
---君はもう少しサニーちゃんを可愛がりたまえよ
---あれとは親子の縁は切ってある
---それは君の都合だ、子どもには関係無い、それくらい君もわかっているはずだ
---この私に父親のまねなぞできるか
---父親なんだからまねなんかしてどうするんだい
ここまで来る前のBF団本部内での不毛なやりとりを思い出し、もう一度溜息をついた。少女は冷えたレモネードを縞模様の入ったストローで美味しそうに飲んでいる。セルバンテスと目が合いはにかんだ笑顔を向けるがそれが救いのように思えた。
アフタヌーンティーをのんびりと楽しんだ後セルバンテスはアルベルトと入れ替わり長いすに横たわって昼寝をむさぼっている。
そしてアルベルトはテーブルの上に置かれているたくさんの貝殻をなんとなく摘み上げる。平べったい二枚貝、トゲのようなものを纏った貝、薄い桜色の小さな貝・・・そしてヤドカリを宿した巻貝。その小さなヤドカリは険の入ったアルベルトの機嫌を伺うかのように巻貝から顔を出したり引っ込めたりしている。それを何度か繰り返し、テーブルに置かれたアルベルトの指に向ってのっそりと歩み出した。
---ふん
海に目をやれば娘は彼の部下の男と一緒に波打ち際を歩いていた。何が楽しいのか娘は上気した顔を輝かせ、夢中に波を追いかけている。そして部下の男はそれを見守るように微笑んでいる。
あの部下の位置に本来ならば自分がいるはずなのだろうか、そして、ああして笑って見守っているのだろうか。遠い、他人事のような光景をアルベルトはぼんやりとした不思議な気持ちで見つめていた。自分にあんなまねができるわけもない。できる人間であるはずがない。
ぴーぴーぴー
突如長いすにかけられた無線にコールが入り、アルベルトの思考は絶たれた。
無線を取ったのは眠っているはずのセルバンテスだった。
「現在この無線は使われておりません、もう一度番号を・・・」
機械音を気取っているのか妙な口調で応答している。しかしコールを送った主はまったく無視して常と変わらぬ態度でいるのが目に見えるようだった。
『お休みのところ申し訳無いのですがイスタンブールへアルベルト殿と共に大至急飛んでいただきたい』
「・・・君ね、死ぬ思いしてようやく取った休暇、まだ三日あるの忘れたのかね。年のせいで物忘れがひどくなったのかい、それに申し訳無いなんて微塵も思っちゃいないだろう」
『ええ、ええ、覚えておりますとも。そんなことより作戦を完了された幽鬼殿が撤収中に国際警察機構の九大天王のうち「豹子頭林冲」「ディック牧」の2名に追跡を受け現在交戦しております。いかに十傑と言えど九大天王2人を相手には・・・』
「ちょっと待て、千手先を読む男が九大天王の動向を知らずに幽鬼一人に任務を遂行させたわけか?」
『ふふふ、私としたことが読み間違えましたかな?それでは至急幽鬼殿の救援、頼みましたぞ』
会話が最後まで続かないうちに無線はプッツリと切れた。
「孔明め、せっかっくの休暇を・・・」
GPS機能を搭載し、地球上の先端を行くBF団の技術で作られた無線はセルバンテスの手から発せられた熱によって溶解した。
「孔明はご丁寧に迎えまで遣したらしいぞ」
アルベルトが顎をしゃくった方を見やればパラソルの影から頭を覗かせ音も無く現れた甲冑姿の赤マント、そして無表情の鉄仮面。セルバンテスは呆れて頭を振る。
「エンシャク・・・君ほど青い海と白い砂浜が似合わない奴もいないよ・・・」
コ・エンシャクはセルバンテスの嘆きやアルベルトのトゲのある視線をまったく意に介さないで青い海と白い砂浜をバックに無言でただそこにいる。
異変を察知したのか砂浜で遊んでいた2人が駆け寄ってきた。
「おしごと?」
少女が曇った表情で遠慮がちに訪ねる。
「うーん・・・ごめんよサニーちゃん、お父さんと2人でちょーっとだけお仕事に行って来るよ。なぁにディナーまでには帰ってくるから、皆で一緒に美味しい料理を食べようね。だから安心してイワン君と遊んでいてくれたまえ」
「アルベルト様、セルバンテス様。サニー様は私にお任せください」
「うむ、任せたよ」
コ・エンシャクが両の手を高く上げるとマントが左右に大きく広がる。闇色のその内側にセルバンテスは身を埋めた。アルベルトは俯いている娘を横目に見る。自分も何か言うべきなのか迷ったが、彼もまた戦場へと赴くべくマントに身を埋めた。
「すぐ戻る」
たった一言だけ、娘に言い残して。
マントを巻きつけるように回るとコ・エンシャクはパラソルの影に沈んでいった。
今回の作戦で国際警察機構が雄、梁山泊の九大天王が相手になるのは聞いてはいない、ましてや十傑と唯一互角に渡り合える彼らが二人も同時に。幽鬼は間髪いれず繰り出される棒術の嵐と、電撃・衝撃・火炎・催眠など性質の異なる多様な攻撃が入り乱れる中、防戦を強いられている状況に歯噛みした。何度も己の身を羽虫の群れに変えては敵を翻弄し、ギリギリのところで攻撃をかわしてはいたがディックの火炎が身を焼き、林冲の棒が脇を掠めて流血。孤軍奮闘していた十傑はついに地に膝をついた。
九大天王の両名は2対1という十傑を凌ぐ滅多にない状況を逃すつもりはない。しつこく追いまわし、この際最強と謳われる十傑集を捕縛するつもりでいる。林冲が天高く棒を投げるとそれは瞬く間に七本に分散し幽鬼を囲むように地に突き刺さった。
「ディック!今だ、奴をを捕らえるぞ」
呼びかけに呼応してディックは電撃を放つと。幽鬼を囲む七本の棒に避雷針の如く落雷。しかしその一瞬、切り裂くような7発の銃声とともに7本の棒が全て折れた。
「そこまでにしてもらおうか、国際警察機構の諸君」
鉄のモーゼルからあがる細い紫煙。セルバンテスは休暇モードから一転、純白のクフィーヤとゴーグル、ドクロが染め抜かれた黒のネクタイを形良く締めた「いつもの」スーツスタイルで鉄塔の先から身を躍らせた。
「貴様、十傑集・眩惑のセルバンテス!」
「いやはや・・・正義の国際警察機構が2対1とは、少々卑怯ではないのかね?」
犬歯を剥いて敵に挑戦的な笑みをぶつけ、悠然と肩で息をする幽鬼のもとに立った。
「眩惑の・・・どうした休日出勤とは随分仕事熱心ではないか」
「だろう?うふふ・・・参ったよ、青い海と冷えたビールが恋しくて仕方がない」
「ならば孔明に注文するんだな、生憎ここには無いぞ」
クフィーヤを大きく翻し手負いの幽鬼を包みこむ、そして地を蹴り高く飛翔する。それを追う九大天王の2人も高く飛翔した、しかし彼らは真横からの衝撃波を受け鉄筋コンクリートに激しく叩き付けられた。2人を中心に放射線状にヒビが入り小さく吐血したが直に衝撃波が放たれた方向に身を構える。
「衝撃のアルベルト!」
アルベルトもまた黒スーツに身を包み、ネクタイを完璧な形に締め上げた「いつもの」のスタイル。両の腕には赤黒い衝撃の奔流が不気味に纏わりついている。口に咥えられた葉巻の先が鋭い小さな音とともにこそげ落ち、そこに火が点く。うまそうに紫煙を吐き出すが赤い目は敵を射殺すように睨む。
「さあどうする、これで2対3だ」
「・・・っく・・・十傑集が3人とは」
気がつけば3人に囲まれる形となっていた。九大天王の2人にとって絶好の好機が一転、深刻な不利的状況に陥ってしまった。
「これ以上貴様らとやりあうつもりはない、用は済んだのだから撤収させてもらうぞ」
幽鬼の口笛が鋭く鳴ると黒い絨毯のような羽虫の群れが2人の視界を遮った。その場から離れようとしたがディックと林冲の足に鞭が絡まる。足元を見ると影から赤マントの怪人がぬるりと姿を現した。
高度2千メートルを維持しながら、BF団の小型飛空挺はトルコとエーゲ海に挟まれたダーダネルス海峡を抜けようとしていた。
無機質な機器類で覆われている船内の一室、幽鬼はスーツの上着を脱ぎ脇腹の傷口に羽虫を集めていた。唸りのような羽音とともに羽虫は傷に溶け込んでいく、どうやら治癒しているらしい。その様子を見ながらセルバンテスは思考をめぐらす。
孔明はおそらく、いや確実に今回の状況を読んでいたに違いない。国際警察機構にとってまたとない十傑捕縛の好機、人数的有利から徹底的に追い攻め立てる。しかし突如新たな十傑2名が出現したことで奴等の深追いを防いだ。奴等とて馬鹿ではない、好機が一転し読めない状況化に陥った中撤収する我々と無用な交戦を行う必要はない。そしてエンシャクの影を使って駆ければ自分たちが休暇を楽しむ位置からは半時で救援に向かえる。その程度の時間なら幽鬼も不利な状況化でも持ちこたえることはできる。距離とタイミングを計った上で最初から自分たち2人を途中投入する予定でいたのだろう。もちろん休暇中であることなどおかまいなしであるが。
やはり孔明は全て把握したうえで作戦を立てていた。
ただ、相変わらず作戦情報の一部を、その肝心な部分を知らせる事はない。
休暇が明けたらどうやって孔明に嫌がらせをしてやろうか。せっかくの貴重な時間を事も無げに潰してくれた白面の策士、そして彼の人を見下したかのような笑みが頭に浮かぶ。セルバンテスは苦々しげに口の端を上げた。
「おい、エンシャクいるんだろう。出て来い」
アルベルトは短くなった葉巻を手で揉み潰し小さな衝撃波で塵に変えた。少し煤けたスーツの上着を脱ぎ、そしてそれを計器類の影から現れたコ・エンシャクに無造作に投げつけた。スーツを頭から被る形となったコ・エンシャクは相変わらず動じることもない。アルベルトはさらに手早くネクタイを緩め、遠慮無しにそれもまた投げつけた。
「先に行ってるぞ」
そう言うや否や飛空挺のドアロックを解除し、アルベルトは何ら躊躇することなく高度2千メートルの空に落ちていった。
あっという間に消えたアルベルト。
唖然とするセルバンテスと幽鬼が顔を見合わせる。
「くはははは、お父さん忙しいねぇ『すぐ戻る』なんて言っちゃったからかな。さて、私も休暇の続きを楽しむとするとしようか。エンシャク、クリーニングに出しておいてくれたまえ」
愉快そうに笑いながらセルバンテスもまた薄汚れてしまったクフィーヤを脱ぎ捨てゴーグルと一緒にアルベルトの黒スーツを頭から被ったコ・エンシャクに引っ掛ける。スーツの上着にドクロのネクタイも容赦無くその上から被せて「それじゃ」と幽鬼に手を振って背後から空に身を預けた。
幽鬼は無言で佇む洋服掛けにたまらず吹きだす。
そして自分のスーツの上着も引っ掛けてやった。
夕日がエーゲの海に沈んでいく。
白い砂浜がゆっくりと朱に染まる。
夕日が沈みきる前に帰りを待つ少女の笑顔が輝いた。
「エンシャク殿、なんですかなその格好は」
けったいな物でも見るかのように白羽扇で口元を隠し目を歪ませる。自分の目の前に現れた甲冑の赤マントは洋服掛けの姿のまま孔明の前に立っていた。無造作に頭から掛けられた戦いの余韻が残るスーツ、ネクタイ、クフィーヤ、一目してそれらが誰のものであるかわかる。
「まったく・・・」
汚い物でも触るように指で摘んで積み重なったスーツをめくる。ふと、黒スーツのポケットに何か小さな固まりがあるのに気づく。孔明はなんとなく手を入れて探ってみた。
「・・・!」
指先にわずかな痛みが走った。
ポケットから手を取り出してみる。
小さなヤドカリが小さな小さな鋏で孔明の指を挟んでいた。
END
ようこそ不思議の国へ
「ここがお主の執務室だ、中は好きにいじって使うがいい。他の連中も自分の好きなように改造したりお気に入りの家具やら調度品やらで城を造っている」
「日当たりがいまいちだな」
「そう言うな、一番日当たりがいい場所はカワラザキが使っている。ま、早い者勝ちってやつだ」
本日をもって栄えあるBF団が10人の最高幹部十傑集の10人目に就任したコードネーム『白昼の残月』は自分に宛がわれたBF団本部内の執務室を見渡した。
約20畳ほどの広さだろうか、真ん中には「いかにも事務用」的なデスクがあり壁には本が入っていない書棚があるだけ。そして小さな窓が2つ。
----天井が高いのが気に入った
----窓枠を壊して壁面全面をガラス張りにしてみようか・・・。
----書棚は、足りんな
----デスクは趣味が悪い、捨てよう
そんなことを思いながら火の点いていない煙管を口に咥える。
「では次は食堂だ、まず食券を購入して・・・」
----食堂?食券?
「食堂のおばちゃん(ちなみに覆面)と仲良くなるとこっそり大盛りにしてくれる、かくいう私は黙っていても通常の3倍盛りの仲だ」
----食堂のおばちゃん?3倍盛り?
思わず口に咥えた煙管を落としそうになる。
「まて樊瑞、BF団にしかも本部に食堂があるのか、しかも食券?おばちゃん?」
「当たり前だろう、別に自分で弁当を用意してもいいが。なんなら24時間営業のコンビニもあるからそこでオニギリでも買って食べてもいい」
十傑集リーダー樊瑞は笑いながら新人君を食堂へと案内する。
途中コンビニの前を通る、孔明がプリンを手にとってなにやら思案していたのが目に入る。
「・・・」
----BF団はもっとこう現実味のないダークで浮世離れしたイメージがあったのだが
----食堂にコンビニ・・・食券、弁当、プリン、おにぎり・・・
覆面で表情は変わらないものの頭のなかでグルグルしている残月。それを他所にマイペースの樊瑞は食堂前の日替わり看板を見る。チョークで書かれたそこには
日替わりA:さんま定食(650円)
日替わりB:ビーフシチュー定食(700円)
日替わりC:ミックスフライ定食(600円)
「おお、さんまかもうそんな季節になったか。お、レッドと怒鬼がさっそく食べてるな」
食堂の奥を見ると先ほど十傑集就任式(例の制服着るやつ)で一緒だった2人が向かい合ってさんま定食を食べている。レッドが一方的に喋って口からご飯粒をばらまいているが怒鬼は黙々とさんまの身をほぐしている。やけに綺麗に骨を取っているのが印象的だった。
----妙な2人だ
「ふふ、奴等はまだ普通盛りだ」
----3倍盛りとやらがそんなにすごいのか
そして厨房にいる食堂のおばちゃん(覆面)に手を振り挨拶を交わす姿は間違っても十傑集リーダーとして認めたくない気がする。食堂の窓側では十常寺が1人で新聞を広げながらラーメンをすすっている。耳に赤鉛筆を挟んでいるので競馬新聞かもしれない。そして横にはミックスフライ定食を食べるB級工作員の集団、白身魚のフライを心地良い音を立てながらやけに美味そうに頬張っていた。
「残月ここだけの話だぞ、ちなみに裏メニューというのも存在していて毎週月水金の午後2時~4時までの2時間のみイワンが手伝いに来て・・・なんとイワンの手作りケーキ(お茶付き)が食べられるのだ!」
顔を輝かせる樊瑞に思わずたじろぐ。
「イワン?ああ、あの衝撃のアルベルトにひっついているB級の、って奴はケーキなぞ作るのか?なんだそれは」
「知らんのか?舌が肥えてるアルベルトを満足させる唯一の男だ、ちなみにアルベルトはこの食堂を利用しない、イワンが作ったものしか口にしないとはまったく贅沢な男だ。そしてイワンが淹れる茶がこれまた美味い!コーヒー、紅茶、煎茶に抹茶、ウコン茶にどくだみ茶、何でもござれだ」
大笑いする樊瑞、就任式のクソ真面目な顔の面影は・・・無い。
----知らん、知らんぞそんなことは
----ウコン茶にどくだみ茶って誰が飲むんだ
----まぁ茶は普通に好きだ、一度飲んでみるのも悪くないか
食堂の片隅に食券の販売機とともに様ざまな自動販売機が立ち並んでいる。一般銘柄の煙草、ドリンクジュース、インスタントコーヒー、栄養ドリンク、ヤ○ルト、何に使うのか贈答用生花、そして薄暗い一番奥にいかにもいかがわしそうな雑誌の自動販売機。さっきまでさんま定食を食べていたレッドが何やら一冊購入していったが残月は見なかったことにした。
「・・・」
「さて、次は会議室なのだが・・・」
----ああ、定例の十傑集会議に使う
食堂を出て大回廊を右に曲がると中庭がある。こじゃれたイギリスの庭園風でなかなか広い敷地だ。しかし樊瑞が指差す場所はその中庭、しかも真ん中にブルーシートが一枚だけひいてある。
「・・・会議・・・室?」
「青い空の下で会議した方が良い案が出るというので今はここを使っている」
「誰がそんなことを言ったのだ」
「策士・諸葛孔明だ」
人を小馬鹿にするような目つきの策士の顔。
頭の中で白羽扇を優雅に仰いでニヤニヤ笑っていた。左手にはプリンを持っている。
「よく他の連中が納得したな」
「これもビッグ・ファイアのご意志なのだ」
急にクソ真面目な顔になった樊瑞に頭が痛くなる。同時に膝が地に崩れそうになったが『十傑集・白昼の残月』のプライドにかけてそれだけは耐えた。
----勘弁してくれ・・・
溜息は胸にしまって会議室(というか中庭)を見渡す、やたら蝶やら虫やらが集まっているところを見ると幽鬼が木陰で昼寝をしていた。
そしてその蝶を楽しげに追いかける小さな影。
「あ、樊瑞のおじさま」
柔らかいハニーブラウンの巻き毛の少女。
10才にも満たないかもしれない。
----?
大きな赤い瞳をくりくりさせて横にいる十傑集リーダーに駆け寄ってくる。
「おお、サニー」
----?
----??
----なぜ子どもがいる
----なぜBF団の、しかも本部に、しかも少女が
だらしないまでに相好を崩して少女を抱き上げる混世魔王。
残月の思考は停止中である。
「今残月を案内しているところだ、さ、挨拶しなさい」
「こんにちわ残月さま、サニーです。十傑集のごしゅうにんおめでとうございます」
抱き上げられていたが下に下りて丁寧な挨拶をする。
見た目の印象の割には随分としっかりしているようだ。
愛らしくにっこり笑うとおもわずこちらも笑顔になる。
「あ、ああ」
----なぜ子どもがいるのだ
----これは孔明の策なのか?
少々混乱気味の残月をよそに樊瑞はサニーを再び抱き上げる。笑顔で顔を見合わせなにやら語り合う2人はこうみると親子に見えなくもない。
----まさか樊瑞の子か?
----いや、この子は「おじさま」と呼んでいた
----では・・・
1人取り残される形となった残月の後ろから調子の良さそうな声が聴こえた。
「おーいサニーちゃーん」
胡散臭そうな格好をした(残月も十分胡散臭いが)なまずヒゲの男が大きく手を振りながらこちらに歩いてくる。いわずもがなセルバンテスだった。
「セルバンテスのおじさま」
「サニーちゃんが大大大好きなセルバンテスのおじさまはお仕事を終わらせて来たよ、さ、午後は私とデートしよう」
いつもはやや釣り上がっている目が垂れている。セルバンテスは樊瑞からなかばひったくるように少女を抱きかかえその少女に愛しそうに頬擦りする。奪われてしまった樊瑞の顔に青筋が浮かび上がった。その2人の様子が残月にはとても異様な光景に映った。
「日本にあるTOKYOディ○ニーランドを半日借り切ったんだ、ビッグサンダーマウンテンに乗り放題だよ~美味しいクレープも食べようね」
「おいセルバンテス、勝手な真似は許さんぞ。サニーは午後から私とお茶の稽古だ」
「何言ってるんだ、やだねぇ稽古ずくめでサニーちゃんが可哀相だよ。たまには息抜きが必要だ、ね、サニーちゃん」
「貴様は息抜きのしすぎだ。さあサニーこっちへおいで」
大の大人、しかも十傑集2人が少女をめぐってねちねちと言い争う。残月はこのみっともないと言う他無い大人の間で少女は少し困ったような顔をしているのが妙に不憫に思えた。
----眩惑も魔王も何をやっているんだ・・・
「あ、おとうさま」
言い争う2人の中少女が笑顔になって大回廊の方へ走っていく。
----おとうさま?
「なにい!!!!!」
残月は口に咥えていた煙管を落としてしまった。開いた口が閉まらない。覆面で目の表情が無いはずなのに明らかに目の白い部分が大きくなっている。
少女が向う先には真っ黒いスーツを着て真っ黒い髪を撫でつけた男がツカツカと歩いていた。衝撃のアルベルトの後ろにくっついていく少女。アルベルトは少女を一瞥しただけで歩く速度を緩めることもなくどこへ行くのか大回廊を歩く。そしてそれに必死に追いつこうとする少女。
まるでカルガモの親子のようだった。
----しょ・・・衝撃のアルベルトがおとうさま?
----え、ちょ・・・待て、子ども?
----なに?孔明の策?
----これもビッグ・ファイアのご意志なのか?
混乱の絶頂にいる残月。まだ口が閉まらない。
言い争っていた大人2人は少女がいなくなってしょげている。
「あの子の父親が・・・アルベルト・・・」
「そして私がサニーの後見人だ」
なぜか樊瑞は胸を張る。
「私はサニーちゃんの大好きなおじさまだ」
セルバンテスも胸を張る。残月は2人とも張り倒してやりたかったがぐっと堪えた。
----アルベルトの娘・・・以外だ、以外すぎる奴に子どもがいたのか・・・
----しかも・・・
残月は少女の花が咲いたような可愛らしい顔を思い浮かべる。そして不機嫌が張り付いたような顔の父親も。遺伝子の神秘が確かにそこにあった。
「そうだ、アルベルトに許可もらえばサニーちゃんも気兼ねなく私とデートできるな。おーいパパー待ってくれー!」
セルバンテスが親子の後を追いかける。
「待て!抜け駆けは許さんぞ!」
樊瑞も追いかける。残月はまだ案内の途中だったはずなのに1人取り残された。地面に落ちた煙管を拾い、汚れを払う。何かとんでもないところに自分がいる気がする。気のせいだと思いたいが否定できない。
----ああ・・・全てがばかばかしくなってしまった
----食堂で昼ご飯にするか・・・
軽い眩暈を覚えつつも食堂へ向った。
600円を入れて食堂の食券販売機の「ミックスフライ定食」のボタンを押す。食券が吐き出される。白手袋を被った手にとる。食堂のおばちゃん(覆面)に差し出す。「おや新入りさんかい」と声を掛けられる。おもわず「どうも」と言う。お茶(ほうじ茶)をやかんから注ぐ。ミックスフライ定食が乗ったトレイを持って喫煙席の窓際に座る。白身魚のフライを口に運ぶ。サクっとした食感。美味しかった。
他にも席が空いているのに目の前にヒィッツカラルドが座った。
きつめの香りの香水に残月は覆面の下の眉を寄せる。
彼はビーフシチュー定食だった。
「ミックスフライも美味そうだな」
自分のビーフシチューに手をつけないでじっと見るのでフライを一つ分けてやった。ヒィッツカラルドはそれを食べる。「うんサクサクとした衣が美味い」といってお返しなのかビーフシチューの皿を残月に差し出す。シチューをスプーンですくって一口食べてみる。コクがあって美味しかった。
ヒィッツカラルドのご飯を見ると自分と同じく普通盛りだった。
END
----------------------------------
不思議の国に染まる白昼の人。
ギャグですギャグ。
「ここがお主の執務室だ、中は好きにいじって使うがいい。他の連中も自分の好きなように改造したりお気に入りの家具やら調度品やらで城を造っている」
「日当たりがいまいちだな」
「そう言うな、一番日当たりがいい場所はカワラザキが使っている。ま、早い者勝ちってやつだ」
本日をもって栄えあるBF団が10人の最高幹部十傑集の10人目に就任したコードネーム『白昼の残月』は自分に宛がわれたBF団本部内の執務室を見渡した。
約20畳ほどの広さだろうか、真ん中には「いかにも事務用」的なデスクがあり壁には本が入っていない書棚があるだけ。そして小さな窓が2つ。
----天井が高いのが気に入った
----窓枠を壊して壁面全面をガラス張りにしてみようか・・・。
----書棚は、足りんな
----デスクは趣味が悪い、捨てよう
そんなことを思いながら火の点いていない煙管を口に咥える。
「では次は食堂だ、まず食券を購入して・・・」
----食堂?食券?
「食堂のおばちゃん(ちなみに覆面)と仲良くなるとこっそり大盛りにしてくれる、かくいう私は黙っていても通常の3倍盛りの仲だ」
----食堂のおばちゃん?3倍盛り?
思わず口に咥えた煙管を落としそうになる。
「まて樊瑞、BF団にしかも本部に食堂があるのか、しかも食券?おばちゃん?」
「当たり前だろう、別に自分で弁当を用意してもいいが。なんなら24時間営業のコンビニもあるからそこでオニギリでも買って食べてもいい」
十傑集リーダー樊瑞は笑いながら新人君を食堂へと案内する。
途中コンビニの前を通る、孔明がプリンを手にとってなにやら思案していたのが目に入る。
「・・・」
----BF団はもっとこう現実味のないダークで浮世離れしたイメージがあったのだが
----食堂にコンビニ・・・食券、弁当、プリン、おにぎり・・・
覆面で表情は変わらないものの頭のなかでグルグルしている残月。それを他所にマイペースの樊瑞は食堂前の日替わり看板を見る。チョークで書かれたそこには
日替わりA:さんま定食(650円)
日替わりB:ビーフシチュー定食(700円)
日替わりC:ミックスフライ定食(600円)
「おお、さんまかもうそんな季節になったか。お、レッドと怒鬼がさっそく食べてるな」
食堂の奥を見ると先ほど十傑集就任式(例の制服着るやつ)で一緒だった2人が向かい合ってさんま定食を食べている。レッドが一方的に喋って口からご飯粒をばらまいているが怒鬼は黙々とさんまの身をほぐしている。やけに綺麗に骨を取っているのが印象的だった。
----妙な2人だ
「ふふ、奴等はまだ普通盛りだ」
----3倍盛りとやらがそんなにすごいのか
そして厨房にいる食堂のおばちゃん(覆面)に手を振り挨拶を交わす姿は間違っても十傑集リーダーとして認めたくない気がする。食堂の窓側では十常寺が1人で新聞を広げながらラーメンをすすっている。耳に赤鉛筆を挟んでいるので競馬新聞かもしれない。そして横にはミックスフライ定食を食べるB級工作員の集団、白身魚のフライを心地良い音を立てながらやけに美味そうに頬張っていた。
「残月ここだけの話だぞ、ちなみに裏メニューというのも存在していて毎週月水金の午後2時~4時までの2時間のみイワンが手伝いに来て・・・なんとイワンの手作りケーキ(お茶付き)が食べられるのだ!」
顔を輝かせる樊瑞に思わずたじろぐ。
「イワン?ああ、あの衝撃のアルベルトにひっついているB級の、って奴はケーキなぞ作るのか?なんだそれは」
「知らんのか?舌が肥えてるアルベルトを満足させる唯一の男だ、ちなみにアルベルトはこの食堂を利用しない、イワンが作ったものしか口にしないとはまったく贅沢な男だ。そしてイワンが淹れる茶がこれまた美味い!コーヒー、紅茶、煎茶に抹茶、ウコン茶にどくだみ茶、何でもござれだ」
大笑いする樊瑞、就任式のクソ真面目な顔の面影は・・・無い。
----知らん、知らんぞそんなことは
----ウコン茶にどくだみ茶って誰が飲むんだ
----まぁ茶は普通に好きだ、一度飲んでみるのも悪くないか
食堂の片隅に食券の販売機とともに様ざまな自動販売機が立ち並んでいる。一般銘柄の煙草、ドリンクジュース、インスタントコーヒー、栄養ドリンク、ヤ○ルト、何に使うのか贈答用生花、そして薄暗い一番奥にいかにもいかがわしそうな雑誌の自動販売機。さっきまでさんま定食を食べていたレッドが何やら一冊購入していったが残月は見なかったことにした。
「・・・」
「さて、次は会議室なのだが・・・」
----ああ、定例の十傑集会議に使う
食堂を出て大回廊を右に曲がると中庭がある。こじゃれたイギリスの庭園風でなかなか広い敷地だ。しかし樊瑞が指差す場所はその中庭、しかも真ん中にブルーシートが一枚だけひいてある。
「・・・会議・・・室?」
「青い空の下で会議した方が良い案が出るというので今はここを使っている」
「誰がそんなことを言ったのだ」
「策士・諸葛孔明だ」
人を小馬鹿にするような目つきの策士の顔。
頭の中で白羽扇を優雅に仰いでニヤニヤ笑っていた。左手にはプリンを持っている。
「よく他の連中が納得したな」
「これもビッグ・ファイアのご意志なのだ」
急にクソ真面目な顔になった樊瑞に頭が痛くなる。同時に膝が地に崩れそうになったが『十傑集・白昼の残月』のプライドにかけてそれだけは耐えた。
----勘弁してくれ・・・
溜息は胸にしまって会議室(というか中庭)を見渡す、やたら蝶やら虫やらが集まっているところを見ると幽鬼が木陰で昼寝をしていた。
そしてその蝶を楽しげに追いかける小さな影。
「あ、樊瑞のおじさま」
柔らかいハニーブラウンの巻き毛の少女。
10才にも満たないかもしれない。
----?
大きな赤い瞳をくりくりさせて横にいる十傑集リーダーに駆け寄ってくる。
「おお、サニー」
----?
----??
----なぜ子どもがいる
----なぜBF団の、しかも本部に、しかも少女が
だらしないまでに相好を崩して少女を抱き上げる混世魔王。
残月の思考は停止中である。
「今残月を案内しているところだ、さ、挨拶しなさい」
「こんにちわ残月さま、サニーです。十傑集のごしゅうにんおめでとうございます」
抱き上げられていたが下に下りて丁寧な挨拶をする。
見た目の印象の割には随分としっかりしているようだ。
愛らしくにっこり笑うとおもわずこちらも笑顔になる。
「あ、ああ」
----なぜ子どもがいるのだ
----これは孔明の策なのか?
少々混乱気味の残月をよそに樊瑞はサニーを再び抱き上げる。笑顔で顔を見合わせなにやら語り合う2人はこうみると親子に見えなくもない。
----まさか樊瑞の子か?
----いや、この子は「おじさま」と呼んでいた
----では・・・
1人取り残される形となった残月の後ろから調子の良さそうな声が聴こえた。
「おーいサニーちゃーん」
胡散臭そうな格好をした(残月も十分胡散臭いが)なまずヒゲの男が大きく手を振りながらこちらに歩いてくる。いわずもがなセルバンテスだった。
「セルバンテスのおじさま」
「サニーちゃんが大大大好きなセルバンテスのおじさまはお仕事を終わらせて来たよ、さ、午後は私とデートしよう」
いつもはやや釣り上がっている目が垂れている。セルバンテスは樊瑞からなかばひったくるように少女を抱きかかえその少女に愛しそうに頬擦りする。奪われてしまった樊瑞の顔に青筋が浮かび上がった。その2人の様子が残月にはとても異様な光景に映った。
「日本にあるTOKYOディ○ニーランドを半日借り切ったんだ、ビッグサンダーマウンテンに乗り放題だよ~美味しいクレープも食べようね」
「おいセルバンテス、勝手な真似は許さんぞ。サニーは午後から私とお茶の稽古だ」
「何言ってるんだ、やだねぇ稽古ずくめでサニーちゃんが可哀相だよ。たまには息抜きが必要だ、ね、サニーちゃん」
「貴様は息抜きのしすぎだ。さあサニーこっちへおいで」
大の大人、しかも十傑集2人が少女をめぐってねちねちと言い争う。残月はこのみっともないと言う他無い大人の間で少女は少し困ったような顔をしているのが妙に不憫に思えた。
----眩惑も魔王も何をやっているんだ・・・
「あ、おとうさま」
言い争う2人の中少女が笑顔になって大回廊の方へ走っていく。
----おとうさま?
「なにい!!!!!」
残月は口に咥えていた煙管を落としてしまった。開いた口が閉まらない。覆面で目の表情が無いはずなのに明らかに目の白い部分が大きくなっている。
少女が向う先には真っ黒いスーツを着て真っ黒い髪を撫でつけた男がツカツカと歩いていた。衝撃のアルベルトの後ろにくっついていく少女。アルベルトは少女を一瞥しただけで歩く速度を緩めることもなくどこへ行くのか大回廊を歩く。そしてそれに必死に追いつこうとする少女。
まるでカルガモの親子のようだった。
----しょ・・・衝撃のアルベルトがおとうさま?
----え、ちょ・・・待て、子ども?
----なに?孔明の策?
----これもビッグ・ファイアのご意志なのか?
混乱の絶頂にいる残月。まだ口が閉まらない。
言い争っていた大人2人は少女がいなくなってしょげている。
「あの子の父親が・・・アルベルト・・・」
「そして私がサニーの後見人だ」
なぜか樊瑞は胸を張る。
「私はサニーちゃんの大好きなおじさまだ」
セルバンテスも胸を張る。残月は2人とも張り倒してやりたかったがぐっと堪えた。
----アルベルトの娘・・・以外だ、以外すぎる奴に子どもがいたのか・・・
----しかも・・・
残月は少女の花が咲いたような可愛らしい顔を思い浮かべる。そして不機嫌が張り付いたような顔の父親も。遺伝子の神秘が確かにそこにあった。
「そうだ、アルベルトに許可もらえばサニーちゃんも気兼ねなく私とデートできるな。おーいパパー待ってくれー!」
セルバンテスが親子の後を追いかける。
「待て!抜け駆けは許さんぞ!」
樊瑞も追いかける。残月はまだ案内の途中だったはずなのに1人取り残された。地面に落ちた煙管を拾い、汚れを払う。何かとんでもないところに自分がいる気がする。気のせいだと思いたいが否定できない。
----ああ・・・全てがばかばかしくなってしまった
----食堂で昼ご飯にするか・・・
軽い眩暈を覚えつつも食堂へ向った。
600円を入れて食堂の食券販売機の「ミックスフライ定食」のボタンを押す。食券が吐き出される。白手袋を被った手にとる。食堂のおばちゃん(覆面)に差し出す。「おや新入りさんかい」と声を掛けられる。おもわず「どうも」と言う。お茶(ほうじ茶)をやかんから注ぐ。ミックスフライ定食が乗ったトレイを持って喫煙席の窓際に座る。白身魚のフライを口に運ぶ。サクっとした食感。美味しかった。
他にも席が空いているのに目の前にヒィッツカラルドが座った。
きつめの香りの香水に残月は覆面の下の眉を寄せる。
彼はビーフシチュー定食だった。
「ミックスフライも美味そうだな」
自分のビーフシチューに手をつけないでじっと見るのでフライを一つ分けてやった。ヒィッツカラルドはそれを食べる。「うんサクサクとした衣が美味い」といってお返しなのかビーフシチューの皿を残月に差し出す。シチューをスプーンですくって一口食べてみる。コクがあって美味しかった。
ヒィッツカラルドのご飯を見ると自分と同じく普通盛りだった。
END
----------------------------------
不思議の国に染まる白昼の人。
ギャグですギャグ。
telepathy
BF団にその身を置いてサニーはようやく2歳になった。
『後見人』の樊瑞にその成長を見守られ、大切に慈しまれて育てられている。
そして相変わらず実の父親であるアルベルトとほとんど顔を合わせることもない。
樊瑞がアルベルトに「たまには自分の子どもを抱き上げてみてはどうだ、子が大きくなっているのを実感するのも父親の喜びだと思うが」と言うものの、アルベルトは「親子の縁は既に切ってある」の一言で切り下げる。娘を見ないで背を向けるその姿を見る度に樊瑞は溜息を漏らした。
それでもサニーが覚えた言葉で得意なのは
「おじちゃま」とそして「ぱぱ」だった。
最初は樊瑞を「ぱぱ」と呼んでいたが根気良く改めさせた。いくら実父が縁を切って自分に娘を預けたといっても自分は親ではない。物心つかないうちをいいことに自分を父親として刷り込ませるようなことは樊瑞にはできなかった。
父親かどうかはこの子自身が自分の意思で決めること、そう樊瑞は強く決めている。
そして2年前に自分がこの子を預かったときにもアルベルト本人にそう断ってある。
その時アルベルトは「わかっている」とだけ言った。
ある日を境にサニーはしきりに「ぱぱ」と言いながら宙をかくように手をバタつかせるようになった。サニーが「ぱぱ」と言う向こうにはもちろんその「ぱぱ」はいない。樊瑞は首を捻る。そして不安になる。その行動が頻繁に行われるようになったからである。
「これは少し問題があるのではないか?」
最古老のカワラザキに相談してみる。実の父親がいない不安定な環境で精神がすこし病んでしまったのでは?などと樊瑞は切り出してみたがカワラザキは意外と落ち着き払っている。
「病んでいるなどと・・・樊瑞、お主はサニーを懸命に育てておるではないか。確かに実父はアルベルトではあるが子どもにかける愛情の度合いは実父以上だとワシは思っておるが。現にサニーはお主によく懐いている」
そういわれれば少しは安心するし、また嬉しい気もする。実父ではないが長く時間を過ごせば親同様に湧く愛情が確かにある、それは紛れも無い事実。父親の真似事であると自分でも言い聞かせてはいるが感情は誤魔化せない。
この組織でこの身分の自分が親の真似事にある種の生きがいを感じてしまっている。
最初はとまどったものの自分に抱きつく子どもの温もりを感じればそんなとまどいが随分と小さく感じた。だからかもしれないが自分の子と縁を切るアルベルトが許せないでもあり、そして少し不憫にも思う。でも本人にそのことをもちろん伝えてはいない。伝えたらきっと「くだらん」の一言で片付けられてしまうのは目に見えているからだ。
サニーのことはもう少し様子を見よう。
樊瑞はカワラザキの執務室を後にした。
しかしサニーの不可思議な行動はその後も続く。毎日ではないが時折「ぱぱ」といっては見えない何かを掴もうとする。そんなある日幽鬼がBF団本部の敷地内にある自分の屋敷を訪れた。
「カワラザキの爺様に言われてな」
そう言うと猫背を小さく揺すって笑う。
幽鬼は相手の感情や思考を感じ取るテレパシー(精神感応)能力が十傑集一であり、すなわち十傑一ということは世界で並ぶ物なく最高の能力者である。テレパシー能力者は比較的多い、異能者でなくとも一般的な人間でも「なんとなく感じる」程度の能力を持っている場合がある。そしてその程度の感覚は本人にテレパシーという意識は感じさせない。また感じ取る対象が自分と波長が合う者であると条件が限られる場合がほとんどである。
しかし幽鬼の場合そのテレパシー能力に条件はほとんど無い。恐ろしい事にどのチャンネルもオープン可能にすることができる。それは端的に言えばあらゆる他人の思考や感情を好きなだけ覗き放題が可能であるということ。ちなみに十傑レベルの能力者ともなれば無意識下のうちに強い精神障壁張り、外部からの精神リンクを防いではいる。それは「防衛本能」に近い能力。しかし幽鬼本人がその気になり最大限に力を発揮した場合、十傑といえどもそれがどの程度機能するかはわからない。実際幽鬼本人も試した事は無いし、彼の場合することも無いだろうと樊瑞は確信している。
人の心を、望むとも望まざるともむやみに覗くとどうなるか、それは幽鬼本人が一番知っていることだからだ。
「子どもはどこにいる?」
幽鬼は樊瑞の広い屋敷を見渡し「こっちか」と迷う事無く2階へ上がる。樊瑞も何も言わずその後についていく。2階奥の扉を開くとサニーが積み木を組み立てて遊んでいた。
「どうする気だ、幽鬼」
「子どもの見えざる相手が何か確かめる、それだけだ。心配するな他にどうしようとは思ってはいない」
幽鬼はゆっくりとサニーの前に腰を下ろした。積み木に夢中になっていたサニーも幽鬼を見る。樊瑞は力の波動を脳細胞の奥深くにチリチリとした感覚で感じ取った。
「サニーはまだ2歳の子だ、あまり無理はするな」
「わかっている、こうした子どもが一番難しい、気が散るから喋りかけないでくれ」
サニーの赤い瞳を覗き込みながら幽鬼は精神を集中させる。子どもの負担にならないよう細心の注意を払いながら目の前にある無垢な精神を手繰り寄せ、自分のチャンネルとをつなぎとめる。それはいつも彼が行う太い線とは異なる細い細い糸のようなもの。精神の扉がその細い糸を伝わるようにゆっくりと開かれる。
オブラードのような薄い表層を丁寧にめくりとる。
そこには煩雑な子どもの情報の波があった。
幽鬼はあえてそれは見ないままはじいた。彼は子どもの過去やとりまく環境から生まれた感情を読み取らないと決めていた。さらに精神を集中させる。
あふれ出す情報の最奥に光が見える。赤い光だ。
その光をさらに覗き込む、強い光なのにやけに温かい。
「・・・!!!っつう!」
とたん幽鬼の頭に痛みがはしった。
「どうした!?」
手を頭にあてる幽鬼に樊瑞は身を乗り出して覗き込む。一呼吸置いて「大丈夫だ」と幽鬼は薄く笑ってみせる。目の前にいるサニーはきょとんとした表情で赤い瞳をパチパチさせていた。そして幽鬼のあたまを撫でた。
「はは・・・ありがとうよお嬢ちゃん」
「幽鬼、何か見えたのか?いったいなんだ」
「ふふ・・・樊瑞知りたいのか?」
「あたりまえだ」
幽鬼は肩を大きく揺すって笑い出した。その様子に樊瑞は憮然となる。
「なぁに我々が心配するようなことじゃなかったことだ・・・くくくく」
「?・・・どういうことだ?」
「邪魔したなお嬢ちゃん」
樊瑞の問いかけに答えるでもなく幽鬼は部屋を出た。
そして屋敷を出ようとしたが樊瑞に止められる。
「説明しろ、結局なんだったのだ」
「アルベルトだ」
「なに?」
「あの子どもが見ていたもの、いや、感じ取っていたといった方がいいかもしれん。それがアルベルトだったということだ」
「ア・・・アルベルト?」
「そうだ、どうやらあの親子はテレパシーで繋がっているらしい。それもかなり強烈なやつだ。確か奴はいま任務で北京にいるだろう?驚いた事に地球の裏側にいるはずなのに娘と精神下で強く結びついている。まるで切り離せないへその緒のように」
「へその緒・・・」
幽鬼は一息吐いて唖然としている樊瑞を見る。
「ただし、チャンネル接続の権利は父親であるアルベルトが持っている。自我が芽生え始めたもののまだ精神的に不安定で未熟であるから子ども側は常にオープンの状態であっても父親に意図的にリンクは行えない、さらに親からのリンクを受けても思考や感情までは伝わるまい。まぁ「気配」としては感じ取っていたようだが」
「そ・・・そうか・・・」
「そしてオープンといっても対象は親子間のみだ、第三者の思考、感情を読み取るような不安要素は今のところは無い。まぁだからこそあれだけ強い結びつきなのだろう。くくくくっ・・・うっかり「おとうさん」に見つかって叱られてしまったぞ」
頭を擦る、実のところまだ頭痛がしている。随分と強烈な「一撃」だった。任務から戻ってきたアルベルトに何か言われるだろうか、心の奥で笑ってみせる。
樊瑞まだ唖然としている。
「さてはお主うらやましいのではないのか?」
幽鬼が人の悪そうな顔で口が開いたままの樊瑞を覗き込む。
樊瑞は我に返り後ろにたじろいだ。
「な・・・何を言うか!さてはワシを読みおったな!」
自分で「図星です」と言っていることにはまったく気づいてないらしい。
「読むまでもない、お主の顔に書いてあるぞぉ?」
幽鬼は腹を抱えて笑い出した。
END
BF団にその身を置いてサニーはようやく2歳になった。
『後見人』の樊瑞にその成長を見守られ、大切に慈しまれて育てられている。
そして相変わらず実の父親であるアルベルトとほとんど顔を合わせることもない。
樊瑞がアルベルトに「たまには自分の子どもを抱き上げてみてはどうだ、子が大きくなっているのを実感するのも父親の喜びだと思うが」と言うものの、アルベルトは「親子の縁は既に切ってある」の一言で切り下げる。娘を見ないで背を向けるその姿を見る度に樊瑞は溜息を漏らした。
それでもサニーが覚えた言葉で得意なのは
「おじちゃま」とそして「ぱぱ」だった。
最初は樊瑞を「ぱぱ」と呼んでいたが根気良く改めさせた。いくら実父が縁を切って自分に娘を預けたといっても自分は親ではない。物心つかないうちをいいことに自分を父親として刷り込ませるようなことは樊瑞にはできなかった。
父親かどうかはこの子自身が自分の意思で決めること、そう樊瑞は強く決めている。
そして2年前に自分がこの子を預かったときにもアルベルト本人にそう断ってある。
その時アルベルトは「わかっている」とだけ言った。
ある日を境にサニーはしきりに「ぱぱ」と言いながら宙をかくように手をバタつかせるようになった。サニーが「ぱぱ」と言う向こうにはもちろんその「ぱぱ」はいない。樊瑞は首を捻る。そして不安になる。その行動が頻繁に行われるようになったからである。
「これは少し問題があるのではないか?」
最古老のカワラザキに相談してみる。実の父親がいない不安定な環境で精神がすこし病んでしまったのでは?などと樊瑞は切り出してみたがカワラザキは意外と落ち着き払っている。
「病んでいるなどと・・・樊瑞、お主はサニーを懸命に育てておるではないか。確かに実父はアルベルトではあるが子どもにかける愛情の度合いは実父以上だとワシは思っておるが。現にサニーはお主によく懐いている」
そういわれれば少しは安心するし、また嬉しい気もする。実父ではないが長く時間を過ごせば親同様に湧く愛情が確かにある、それは紛れも無い事実。父親の真似事であると自分でも言い聞かせてはいるが感情は誤魔化せない。
この組織でこの身分の自分が親の真似事にある種の生きがいを感じてしまっている。
最初はとまどったものの自分に抱きつく子どもの温もりを感じればそんなとまどいが随分と小さく感じた。だからかもしれないが自分の子と縁を切るアルベルトが許せないでもあり、そして少し不憫にも思う。でも本人にそのことをもちろん伝えてはいない。伝えたらきっと「くだらん」の一言で片付けられてしまうのは目に見えているからだ。
サニーのことはもう少し様子を見よう。
樊瑞はカワラザキの執務室を後にした。
しかしサニーの不可思議な行動はその後も続く。毎日ではないが時折「ぱぱ」といっては見えない何かを掴もうとする。そんなある日幽鬼がBF団本部の敷地内にある自分の屋敷を訪れた。
「カワラザキの爺様に言われてな」
そう言うと猫背を小さく揺すって笑う。
幽鬼は相手の感情や思考を感じ取るテレパシー(精神感応)能力が十傑集一であり、すなわち十傑一ということは世界で並ぶ物なく最高の能力者である。テレパシー能力者は比較的多い、異能者でなくとも一般的な人間でも「なんとなく感じる」程度の能力を持っている場合がある。そしてその程度の感覚は本人にテレパシーという意識は感じさせない。また感じ取る対象が自分と波長が合う者であると条件が限られる場合がほとんどである。
しかし幽鬼の場合そのテレパシー能力に条件はほとんど無い。恐ろしい事にどのチャンネルもオープン可能にすることができる。それは端的に言えばあらゆる他人の思考や感情を好きなだけ覗き放題が可能であるということ。ちなみに十傑レベルの能力者ともなれば無意識下のうちに強い精神障壁張り、外部からの精神リンクを防いではいる。それは「防衛本能」に近い能力。しかし幽鬼本人がその気になり最大限に力を発揮した場合、十傑といえどもそれがどの程度機能するかはわからない。実際幽鬼本人も試した事は無いし、彼の場合することも無いだろうと樊瑞は確信している。
人の心を、望むとも望まざるともむやみに覗くとどうなるか、それは幽鬼本人が一番知っていることだからだ。
「子どもはどこにいる?」
幽鬼は樊瑞の広い屋敷を見渡し「こっちか」と迷う事無く2階へ上がる。樊瑞も何も言わずその後についていく。2階奥の扉を開くとサニーが積み木を組み立てて遊んでいた。
「どうする気だ、幽鬼」
「子どもの見えざる相手が何か確かめる、それだけだ。心配するな他にどうしようとは思ってはいない」
幽鬼はゆっくりとサニーの前に腰を下ろした。積み木に夢中になっていたサニーも幽鬼を見る。樊瑞は力の波動を脳細胞の奥深くにチリチリとした感覚で感じ取った。
「サニーはまだ2歳の子だ、あまり無理はするな」
「わかっている、こうした子どもが一番難しい、気が散るから喋りかけないでくれ」
サニーの赤い瞳を覗き込みながら幽鬼は精神を集中させる。子どもの負担にならないよう細心の注意を払いながら目の前にある無垢な精神を手繰り寄せ、自分のチャンネルとをつなぎとめる。それはいつも彼が行う太い線とは異なる細い細い糸のようなもの。精神の扉がその細い糸を伝わるようにゆっくりと開かれる。
オブラードのような薄い表層を丁寧にめくりとる。
そこには煩雑な子どもの情報の波があった。
幽鬼はあえてそれは見ないままはじいた。彼は子どもの過去やとりまく環境から生まれた感情を読み取らないと決めていた。さらに精神を集中させる。
あふれ出す情報の最奥に光が見える。赤い光だ。
その光をさらに覗き込む、強い光なのにやけに温かい。
「・・・!!!っつう!」
とたん幽鬼の頭に痛みがはしった。
「どうした!?」
手を頭にあてる幽鬼に樊瑞は身を乗り出して覗き込む。一呼吸置いて「大丈夫だ」と幽鬼は薄く笑ってみせる。目の前にいるサニーはきょとんとした表情で赤い瞳をパチパチさせていた。そして幽鬼のあたまを撫でた。
「はは・・・ありがとうよお嬢ちゃん」
「幽鬼、何か見えたのか?いったいなんだ」
「ふふ・・・樊瑞知りたいのか?」
「あたりまえだ」
幽鬼は肩を大きく揺すって笑い出した。その様子に樊瑞は憮然となる。
「なぁに我々が心配するようなことじゃなかったことだ・・・くくくく」
「?・・・どういうことだ?」
「邪魔したなお嬢ちゃん」
樊瑞の問いかけに答えるでもなく幽鬼は部屋を出た。
そして屋敷を出ようとしたが樊瑞に止められる。
「説明しろ、結局なんだったのだ」
「アルベルトだ」
「なに?」
「あの子どもが見ていたもの、いや、感じ取っていたといった方がいいかもしれん。それがアルベルトだったということだ」
「ア・・・アルベルト?」
「そうだ、どうやらあの親子はテレパシーで繋がっているらしい。それもかなり強烈なやつだ。確か奴はいま任務で北京にいるだろう?驚いた事に地球の裏側にいるはずなのに娘と精神下で強く結びついている。まるで切り離せないへその緒のように」
「へその緒・・・」
幽鬼は一息吐いて唖然としている樊瑞を見る。
「ただし、チャンネル接続の権利は父親であるアルベルトが持っている。自我が芽生え始めたもののまだ精神的に不安定で未熟であるから子ども側は常にオープンの状態であっても父親に意図的にリンクは行えない、さらに親からのリンクを受けても思考や感情までは伝わるまい。まぁ「気配」としては感じ取っていたようだが」
「そ・・・そうか・・・」
「そしてオープンといっても対象は親子間のみだ、第三者の思考、感情を読み取るような不安要素は今のところは無い。まぁだからこそあれだけ強い結びつきなのだろう。くくくくっ・・・うっかり「おとうさん」に見つかって叱られてしまったぞ」
頭を擦る、実のところまだ頭痛がしている。随分と強烈な「一撃」だった。任務から戻ってきたアルベルトに何か言われるだろうか、心の奥で笑ってみせる。
樊瑞まだ唖然としている。
「さてはお主うらやましいのではないのか?」
幽鬼が人の悪そうな顔で口が開いたままの樊瑞を覗き込む。
樊瑞は我に返り後ろにたじろいだ。
「な・・・何を言うか!さてはワシを読みおったな!」
自分で「図星です」と言っていることにはまったく気づいてないらしい。
「読むまでもない、お主の顔に書いてあるぞぉ?」
幽鬼は腹を抱えて笑い出した。
END