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q2







 

             『地平線の向こうへ』<2>


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「ねえ、言いたくないけどさ」
「じゃあ言うな」


見も蓋も無いモンタナの言葉に、アルフレッドは一瞬閉口した。


「モンタナ、あのさ」
「言いたくないんだろ?」



いつものケティの機内。
アルフレッドは操縦桿を握っているモンタナの答えに、ややむっとした顔になる。

「モンタナ」
「…ワリィ、冗談だ。何だ?」

彼の強張った声に、流石に言いすぎたと思ったのか、モンタナは前を向いたままそう言った。
それにアルフレッドも大きくため息をつく。

「…最近、なにかあった?」
「んあ?」
「何かおかしいよ、モンタナ」
「そんなことねぇさ」

そして、また大きなため息。
…この従兄弟には絡め手は無駄らしい。アルフレッドは単刀直入な聞き方へ切り替える。
「最近いつもに輪をかけて家に居つかないよね」
「――」
「一週間、いや3日も続けて家にいないじゃないか」

そう、最近彼はゆっくりと家にいる機会が少なくなっていた。
仕事だのなんだの、と理由をつけて、数日も間を置かない内に、ケティでどこかへ旅立ってしまうのである。




最初のうちは気にしすぎかと思っていた。彼が飛行機馬鹿なことは周知の事実なのだし。
しかし、最近のあまりに顕著な行動に、周囲もようやっとおかしい、と気付き始めた。

今彼は、家のベッドで眠るよりも、ケティの機内にいることのほうが多くなってしまったのではないだろうか。

いつ何処にいるかも判らなくなってしまった為、彼を捕まえるのすら困難になってしまったほど。風来坊的な素養は今までにも有ったにせよ、これでは酷すぎる。

普段から口喧しく心配をしているアガサはもちろん、彼の性質のよき理解者であるアルフレッドでさえ、違和感を覚えるほどだ。


今回も、ギルト博士の指令、ということで、やっと無線で連絡を取り付け、同行させることができたのだが。




「生活費なら出先で色々稼いでるから心配するなよ」
「そうじゃない、モンタナ。僕は君の体を心配してるんだよ」

そんな生活続けたら体が持たない。

言ってアルは眉を寄せた。

いくら飛行機が好きだといっても、操縦には自動車の運転以上の精神的・肉体的な負担が掛かる。どんなに忙しい旅客航空機のパイロットでも、もっと休んでいるだろう。
それをほぼ休みなしで何週間も続ければ、どうなるか。

「ああ、ありがとな…判ってるって」

しかし、返ってくるのは生返事だけ。アルフレッドは思わず天を仰いだ。


大体、彼がおかしくなった原因は、なんとなく判っている。
賭けても良い――十中八九、メリッサだ。

アルフレッドは、この昔から『飛行機が恋人』と言って憚らない従兄弟が彼女に惹かれているのは以前から気付いていた。
同時に――メリッサも。
いろいろ問題はあるにせよ、割れ鍋に閉じ蓋、といった感でお似合いだともおもったし、なにより二人とも大好きな友人だ。彼らには幸せになって欲しい、とも思っている。

だが、現在彼等はかなりどうもぎくしゃくしているようなのだ。

そういえば、あのパーティの後メリッサとは会っていない。
いつも取材で出張していないなら、一週間に一度は必ず店に顔を出すのに。



…まさかあの新聞記事が尾を引いてるんじゃないよな?
思って、アルフレッドは困ったように顔へ片手を遣る。

パーティの日にメリッサが来る前、常連客が持ってきた新聞。
いつも家はメリッサが勤めている『ボストン紙』を購入しているのだが、それとは違う別会社のものを持ってきたのだ。
まあ、『ボストン』よりも大分格が落ちる、三流新聞ではあったが。

『よくこの店に来てる娘さん!この方じゃないのかね?』

それは、新聞の社交欄で。ソーン家のお嬢様でもある彼女の記事が載っていた。
だが、記事の内容が、あまり宜しいものではなくて。

いや、世間一般から見れば特に問題のある記事ではなかっただろう。――単なる、とある実業家との婚約報道だったのだから。

もちろん、実際は単なる噂で。

後からそれを見たメリッサ曰く、「食事に何度か誘われただけよ。しかもちゃんと丁寧にお断りしたわ」らしい。

しかし、ゴシップを売りにしているその新聞は火の無いところに煙を立たせるのが仕事のようなもの。
…きっちりそれは記事にされ、結果彼らの目に触れることと相成ったのである。

だが、――そこからが問題だったのだ。



『そんな風に書かれるって事は、満更でもなかったんじゃねえのか?』



このモンタナの大馬鹿――少なくともその場に居たアルフレッドとアガサはそう思った――発言に、メリッサが激怒。
それに彼も一見口調はからかっているようだがキツイ言葉で応酬。

結果、パーティに似つかわしくない、呆れた口論に突入した、というわけだ。

あの後何があったかは知らないが、ちゃんと二人が戻ってきたからには、てっきり仲直りしたと思っていたのに。


「…とにかくさ、暫くでいいからこれが終わった後は家に居てよ。ママも2~3日なら店の手伝いしなくて良いって言ってたし」
「…ああ」

やはり生返事のモンタナに、彼は本日何度目になったか判らないため息を付く。
全く、本当にどうしてしまったのか。

普段とは全く様子の違ってしまったこの愛すべき従兄弟に、何がしてやれるかさっぱり見当のつかないアルフレッドは困りきって頭を抱える。

しかし、彼の学術的に明晰な頭脳も、今回ばかりはものの役にたたなかった。



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q1







 

             『地平線の向こうへ』<1>


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「…まずった」

モンタナは呟いて片手で顔を覆い、ため息を付く。
彼がいるのは、いつものケティの後部貨物室備え付けの仮眠ベッドの上。
しかし、その状況は普段とは決定的にまで違っていた。

…ここまで情けない朝が、今までの人生であっただろうか。
いや、それどころか、今朝世界で一番情けない男は、自分なんじゃなかろうか。

思って彼は、ゆっくりと音を立てないように上半身を起こす。
小窓から降り注ぐ朝の明るい日差しも、その気分を晴らしてくれるのにはものの役に立たなかった。

その原因は、視界の隅に見える見慣れた金色の長い髪の女。
今は背中を向けているが、間違いなく彼と同じ毛布を共有し、静かな寝息を立てている。
布の端から見え隠れする白い肌から考えると、彼と同じく何も着ていない様だ。

これはまあ、つまり。…そういうことらしい。


しかし、彼が悩んでいるのはそんなことではない。

彼が悩んでいるその原因。
それは横にいる、その女性が――メリッサ・ソーン嬢、その人だったということである。





…昨日は、伯母さんの経営しているイタリアンレストランが、何十周年かのパーティをやる事になって。
当然の如く彼もアルフレッドも準備に狩り出されて、――それに何故かメリッサも来た。
そしてそれが一段落つき、やっと自分達も酒が飲めるようになって。

そこで、とある新聞のおかげでメリッサと口論になって、その勢いで、あの世間知らずなお嬢が、一人真っ暗な外へ飛び出していって。
アルフレッドと叔母さんに「見つけるまで帰ってくるな」、とどやされて。


…それから…どうしたっけか。

その辺りから、記憶がボケている。…それまで相当な量のアルコールを摂取していたせいなのだと思うが。

たしか、追い着いた時には既に彼女は道に――この辺は電灯が少なくて夜は大分わかりにくい――迷っていて。

帰り道が判らないくせに意地を張ろうとするので、仕方なく強引に引きずって来て。
しかし、ケティの置いてある船着場まで来た所でまた喧嘩になって。

それから――…それから。

「…まずった」

再び先ほどと同じ言葉が口の中から毀れだし、彼ははあ、と息をついた。



これがメリッサでなければ、話はもっと簡単だったのだ。

いや、彼は彼女のことが嫌いなわけではない。
むしろ、口には出さないものの――惚れている。

わがままで、気まぐれで、おてんばで。お嬢育ちで結構な世間知らず。

そのくせ、スリルとか冒険とか言う名のつくものも大好きで――かなり世間一般のレディとも感覚がずれている。
ここまでじゃじゃ馬、という言葉がぴったり来るような生き物も珍しいんじゃないかと思う。

だが、何故か。――惚れてしまったのである。

畜生、理由なんて知るか。
今彼にその原因を問いかけたら、そんな叫びとも負け惜しみともつかぬ答えが返ってきた事だろう。




「くそ…」

朝日に悪態をつきつつ、彼はベッドから降り、脱ぎ散らかしていた服を着始める。
そして上着を掴んだ所で、その上着のポケットから、ぽとり、とくしゃくしゃになった新聞紙の破片が床に落ちた。
いつも読まないはずの、新聞の社交欄。

「――」

黙ってそれを拾い上げ、彼はもう一度それをポケットに突っ込む。

メリッサの顔は、見られそうになかった。
果たしてこの今朝世界で一番情けない男は、極力音を立てないように、こっそりと愛機から逃げ散らかしたのである。







大体、あの女にも原因はあるんだからな。
メリッサが聞いたらビンタの一つでもお見舞いされそうなことを考え、彼は強引に店の裏口を開けた。
ガランガラン、とうるさいドアのベルが鳴る。

「あれ?モンタナ、早いね。他の皆まだ寝てるだろ?」
「うるせぇ」

入ってすぐの厨房で朝の仕込みの準備をするチャダに、モンタナはぶすっとした声で応えた。
その今までに無い不機嫌さに、チャダは思わず首をすくめる。



「あの後大変だったんだよ。常連に飲まされすぎてアルフレッドは吐くし。結局皆半分泥になっても朝方まで飲んでてさ…」

うんざり、といった感のチャダの愚痴を聞きながら、勝手に手元のタンブラーを取り、水道の水を飲む。

どうやら昨夜のごたごたで、帰らなかったことはばれてないらしい。

騒ぎの最中に家側の裏口から帰ってきたとでも思われているのだろう。…この場合、それがありがたいのかどうかはイマイチ判らなかったが。

「アルフレッドは?」
「店の方で他の客と一緒に潰れてる筈だよ。あ、モンタナも仕込み手伝って――」
「チャダ、チャーダ!!」
「あ、はいはい今行きます!!」

アガサのいつもの大声に、彼は首を巡らし、叫び返す。

「モンタナ、鍋見ててね!」
「あ、おいっ」

一方的に言い捨てて、チャダは厨房を出て行った。モンタナは伸ばしかけた手を止め、ふう、と大きなため息を付く。



タンブラーをシンクの脇に置いて、ついでにそこの水道で顔を洗った。叔母さんに知られたらどやされるだろうが、彼はいつも頓着していなかった。


顔を拭きながら、横のガス台の火力を調節する。
覗いた鍋の中は、ぐつぐつとイタリアンソースが煮立っていた。トマトの香りが、鼻先を掠める。


――と。



「…モンタナぁぁ、水ぅぅぅ」

店の方からよろよろとした足取りでやってきた従兄弟を見、モンタナは呆れた顔で一つ息をついた。
青い顔、頼りない足元。…完璧な二日酔いだ。

「ほれ」
「ううう、ありがとうう」
「全く…あんま強くないくせに飲むなよなあ」

差し出されたコップの水を一気に飲み干し、アルフレッドはへたり、と脇にあった椅子へ座り込んだ。
そして、糸の切れたタコのように、ぐにゃり、と背もたれによりかかる。

「自分で飲んだんじゃ無くて、無理やり飲まされたんだよ…ああ、頭痛いなあ」
「自業自得だろー」
「全くお酒って恐ろしいよね」
「飲んでも呑まれるな、っていうからな」

言いながら、彼は内心自嘲する。
その事を今一番痛感してるのは、ほかならぬ自分自身なのだから。




「あれ?メリッサは?」


来た。
現在史上最大に聞かれたくなかった質問。



彼は一瞬返答を探して上を見上げる。
しかし、その答えが見つかるはずもない。
彼はただ、鍋の湯気の昇ってゆく天井へ、馬鹿みたいな視線を送ることしか出来なかった。

「モンタナ?」
「…あー、」
「まさか昨日夜道に置いて帰ったわけじゃないだろうね」
「いや、それはないが…」

睨みつけてくるアルフレッドの声に、モンタナは小さく喉の中で呻き――





からんからん。
軽い音を立てて、裏口のドアのベルが鳴った。
そして、一瞬の後、厨房の入り口から聞きなれた女の声がした。


「おはよう!」


「メリッサ、おはよう」
「あら、アルフレッド、二日酔い?」

昨日と同じ青いワンピースを翻し、彼女はアルフレッドの近くへ歩いてきた。それに彼は苦笑で応える。

「そうなんだよ…、もう頭はふらふらするし、最悪の気分さ」
「酔い覚ましにはレモン水がいいって聞くわよ」
「試してみるよ」

アルと取り留めの無い、いつもの会話を交わしながら、メリッサは微笑っていた。
普段と全く変わらぬ、明るい声。

「――」

その顔を思わずまじまじと見つめてしまう。
そして彼女もその不躾な視線に気付いたのか、ふとこちらに顔を向けた。

「――おはよう、モンタナ」

あっさりとした、彼女の言葉。

「…おう」
言って、彼はあいまいな表情で彼女を見た。
それに特に頓着した様子も見せず、メリッサはいっそ鯖々した様子でテーブルの上に積まれていたレモンを手に取る。

「んもう、お酒臭いわねここ!」
「今朝は店中そうだよ…ああメリッサ大きな声出さないで」

顔をしかめる彼女に、アルフレッドはへろへろした声で耳を押さえる。
いつもと同じやりとり。

「…」
「あ、今日は午後から社に行かなきゃならないのよね、忘れてたわ」
「なら後からチャダが買出しに行くからバンに乗ってけば?」
「ううん、今から帰るわ」

そう言って、彼女は手に持っていたレモンをアルに手渡した。

「じゃあね、モンタナ、アルフレッド」
「うん、じゃあね」

小さく手を振り、彼女はそのまま厨房から出て行く。
彼はぽかんとした顔でそれを見送ることしかできなかった。

まるで、何事もなかったかのように。


「……」



これは、やはり。

『なかったことにしましょう』

ということなのだろうか。



アルフレッドがいたから、というのもあるのだろう。
しかし、それなら彼を厨房から引きずりだして話をすればいいことだ。しかし、彼女はあっさりと帰ってしまった。


というか、アルフレッドの前だろうが何だろうが、一、二発、横っ面を張られることを覚悟していたのだ。
メリッサは何事も白黒はっきりさせたがる性格だし、――酔いの勢いもあったとはいえ、あんなことをしでかしてしまった自分をそのままにしておくとは思えなかった。

そんな彼女が、ああいう態度に出たというのは、それしか考えられない。

実際、そっちの方が彼にとっては好都合だった。むしろ、彼の今までの心情からすれば、ラッキーといっても良いくらいだったのだ。
双方の暗黙の了解の内でなかったことにするなら悩む事なんてないし。

そう、今までと何も変わらなくてもいいのだ。
何も変わらな――



「……」
「モンタナ、もう一杯水くれるかい?…モンタナ?」



彼は、それに逆に打ちのめされている自分がいるのに、最後まで気付かなかった。




◆追う理由◆

「パパ」から「父さん」から「親父」へと。
変わり行く呼び名は時の流れこそ意味してはいたが、いつだって父親の存在を認めていた。
だがもう俺はアンタの事をそうは呼ばない。
赤い軍服を着た背中は相変わらずでかく、威圧感を保っていた。
机へと向かうその総帥の背中を見ていれば、これからの己の起こそうとしてる行動に躊躇を覚えた。
(別に大した事しようってんじゃねーだろ。何、緊張してンだ……。)
だけど、これは俺なりのけじめだ。
アンタへの俺からの気持ちだ。
(……よし。)
拳を握りしめれば、その背中に近づく。
「……マジック。」
その男の名を初めて呼んだ声は、決心とは裏腹に控え目に紡がれた。
しかし返事は返ってこない。
もう一度、その名を呼ぼうと口を開く。
「あれ?」
だが、振り返ったその男によってそれは果たされずに終わる。
「シンタロー、来ていたのか。」
ようやく気付いたようなその声に、拍子抜けして眉をしかめる。
「どうかしたのかい?今、パパは」
「なんでもねーよッ!」
男の声を遮るように怒鳴りつけ、後は何も述べずに背中を向ける。
「シンタロー?」
聞こえないとばかりにその場を走り去る。
(チクショー……)
マジックを父親を意味する以外の呼び名で呼んだ初めての夜だった。


いつからか口癖になっていたその言葉をお前は何回聞いたのだろうか。
『パパだよ』
私は怖かったのかもしれないね。いつかお前が私を父親と認めくなるのが。
だからそれを阻止したくて何度も何度も唱えたんだ。
『パパだよ』
呪文のようにその名を植え付けた。
だけどそれだけじゃ阻止できないのだって本当はわかっていたんだ。
お前が苦しんでいるのを知りながら私は見ない振りを決め付けて『総帥』で居続けた。
そんな私の事をお前が初めてマジックと呼んだ夜の事を覚えているかい?
心臓が停まった気がして、何も言えなくなってしまったんだ。
お前が『親父』と呼んでくれる度に許されてる心地がしていた。
いつまでもそれに甘えていた報いなんだろうか。
でもお前はやはり優しい子だね。
私が総帥として追わねばいけない理由を持って逃げてくれた。
お前がそれを持っていってくれなければ私はきっとこんなふうに堂々とお前を追えなかった。
一番大事なお前を追う事すら出来なかっただろう。
「シンタロー、秘石を持って行ってくれてありがとう」
こんな不穏な言葉、部下には聞かせられないが。
これで心置きなくお前を追える。
ガンマ団の総帥として秘石を追うのではない。
お前を必ず捕まえる。
「必ずパパが捕まえてあげるからね。」
お前の父親でいたいんだよ。

私の大事な息子
シンタロー
パパだよ
パパだよ

呪文だけじゃ足りない。
追い掛けよう。
小さい頃、花畑で追い掛けっこをしたあの頃のように。


end
ある朝、アシェラッドはトルフィンを探していました。
さあこれから北進と思っていたのですが、行軍の行く手にどうやら野盗の一団がいるらしく、いつものようにトルフィンを便利に使って邪魔者を蹴散らすつもりでした。
本当にトルフィンは営業社員における携帯電話のように便利な存在です。
「おーい、トルフィーン」
 犬を呼ぶように両手でメガホンを作って呼んでみました。トルフィンは出てきません。
「トルフィーン!おいしいごはんだよー」
「トルフィーン!散歩だよー」
 いろいろと台詞を変えてみましたがやはり姿を見せません。五回目ぐらいの呼びかけで「はーい」と誰かが野太い声でふざけたので、もう呼ぶのはやめました。
「とうとう、あいつ逃げたかな。」
 アシェラッドはふむ、と興味なさげに禿頭を掻きました。
「いや、今のタイミングはおかしいな」
 荒ぶる猛者が集く(すだく)傭兵団に加わり、負けても負けても負けても負けても諦めず目をらんらんとさせて決闘を申し込んでいたあのトルフィンが、特に状況が変わったところがあるでもなし、このタイミングで逃げ出すのはおかしいのです。
 そう、傭兵団の状況にさしてかわったところはありません。
では変わったとしたら、トルフィンに何かあったのでしょうか。 昨日までみたところ、特に変わったところはないように思えたのですが。 アシェラッドは駐屯地の外れまで来て川を見ながらうーん、と首を傾げました。 そのときがさ、と草が揺れる音がしたのです。

 川べりに、蒲の穂で身を隠すようにして小柄な背中がうずくまっていました。
ああ、なんだここにいたのか、とアシェラッドは思いました。長いクソだな、とも思いました。
「おい、トルフィン、仕事…」
 と声をかけるとトルフィンはびくっと身体を揺らしました。でも、こちらを向きませんでした。
「後で聞く」
 それだけ言って彼はそこを動かないのでした。トルフィンが無愛想なのはいつものことですが、このときはその無愛想さも少し違って見えました。
「わかった。すぐこいよ」
 アシェラッドは回れ右しました。と、見せかけて、そおっと蒲の穂を掻き分けトルフィンに近づき肩をがしっとつかんだのです。
「うわあああ」
 珍しくトルフィンが慌てふためいて身をくねらせました。
「お前、こんなところで、センズリなんかしてんじゃねえーよ」
 はねのけられて痛む手を押さえながらもアシェラッドはくっくっくと、馬鹿にしたように笑いました。
「違う!そんなの、してない、したこともない」
 トルフィンは何かをあせって隠しながらアシェラッドにし、し、と追い払うしぐさをしました。 そんなことをしてもこのおじさんには逆効果です。
「何隠したんだ、ん?」
 アシェラッドはトルフィンの後ろに手を回し、彼がつかんでるものを取り上げようとしました。
「くっ…」
 トルフィンは足でアシェラッドの腹をけると、それを川に放り投げてしまいました。 よほど見られたくなかったようです。
 しかしそれはうまく川の流れに乗らず、よどみに嵌って水草にひっかかりました。
「下着?」
 アシェラッドは逃げようとするトルフィンの襟を捕まえたまま目を凝らしました。
「川で下着洗ってたのか」
「……」
「今、生装備か、お前」
 はっはっは、とアシェラッドは笑いました。行軍に着替えなどもって行きません。必要になったらその場その場で略奪するだけです。
「どうしたんだ、この年でおねしょしたわけでもあるまい。むしろお前の年ならきっと別の…」
「うわああああ」
 それ以上いうな、とばかりトルフィンは大声を出しました。アシェラッドはこの錯乱した子犬のような少年を少し可愛いなと思い始めました。
「いい夢でも見たのか、そうだろ」
 アシェラッドはトルフィンを摘み上げてうれしそうです。 トルフィンは顔を真っ赤にしていましたが、無理にぶっきらぼうな表情をつくると「違う」と答えます。そして何かを思い出したのか、威嚇するように精一杯の意地悪な笑みで
「ある意味、いい夢だが、お前の考えてるような夢とは違う」
 その瞳の殺意に気づいたアシェラッドは、おや、とでもいうように眉を開き、トルフィンに続きを促します。「殺したんだ、お前を」
「ほう」
「お前を殺す夢を見た」
「せめて夢だけでも勝ちたいものな」
「正夢だ。一撃のイメージは掴んだからな」
 口角をあげて毒づきますが、襟は猫のようにつかまれたままのトルフィンです。
「そうか、トルフィン」
アシェラッドはトルフィンに顔を近づけて年季の入った冷笑を見せました。
「お前は俺の夢を見て、夢精したんだな」
「聞き違いをするな、お前の死体だ」
せっかくの強がりも、この総領の前では氷解してしまいます。次の瞬間、トルフィンの視界が一回転しました。気づくと地面にうつぶせに押し付けられているのでした。
「な、何を…」
トルフィンは逃れようとしましたが、後ろ手に絡め取られて、動くことができません。ふと、自分の尻が外気に触れる感じがしました。気づくとズボンを下ろされているのです。何が起きるのかわからず、トルフィンは頭を打ったわけでもないのに目がちかちかしました。蚯蚓のように身体をくねらせて抵抗する少年を押さえつけながら、その中年は教え諭します。
「夢精は、自慰がきちんと出来てないからしてしまうんだ」
いちいち、下着を捨てていてはキリがないだろう。そんなことをアシェラッドは言ったような気がしますが、トルフィンはまったくパニックになっていて答えられません。
「俺がお前に方法を教えてやるよ」
アシェラッドは自分のズボンのベルトをはずそうとしましたが、すぐに思い直して、蒲の穂をひとつぶちっと折り取りました。
「この後、お前には仕事をしてもらうからな。今日はこれで我慢してやる」
 これからお前は俺を殺す事じゃなくて犯されることを思い出しながらズったらいいじゃないか。 下品なことを言いながら、アシェラッドの手に持ったものがトルフィンの尾?骨にぴたぴたとあてがわれました。



「殲滅してきた…」
トルフィンが汗だくの血まみれになりながら帰って来、傭兵たちは「待ちかねたぜ」とばかり進軍の準備を始めました。一方、アシェラッドは少し不服そうに
「ちょっと時間がかかったじゃないか」と口を窄めました。
「貴様、誰のせいで…っ」
「わかった、わかった。決闘してやるよ、今度」
 アシェラッドはトルフィンを宥めすかすと、「それともあっちのほうがいいか」といらんことを言ってまたトルフィンの激昂を買うのでした。

早起きしすぎた早朝に。


ビョルンは今朝、少々早起きしてしまった。
休息の合間の乗っ取った村で雑魚寝するビョルンは、こんな日に、こんな朝焼けも少ししか見えていない時間に起きたことを真っ先に後悔した。
今朝は窓の縁び霜があるほど際立って寒く、まるで凶戦士のキノコを食べた時のような顔で起きたのもそのせいだ。顔のみばっちり見開いて、身体はどうにも凍り付いたように身動きがとれない。どうにもできないので、かれこれ二十分彼はそうしていた。
やっと日が出て来た頃に、身動ぎする音がした。自分は動けないから、やっと誰か起きたのだと、ビョルンは幾分ほぐれた見開いた目を、音の方へ向ける。
朝日に輝く神々しい額、あれはアシェラッドだ。
起き上がった彼は可哀相にも寂しい額に布団を頭に被せ、じっと寒さから耐えている。きっと一番額が冷たいに違いない。


――涙をそそる場面に出くわした――。
しかし彼のことだから、下手に動けば貴重な布きれという名の防寒具を奪われるかもしれない。そう思って息を潜めていると、予想通り向こうに動きがあった。不幸にも標的にされたのはだれか──と見ていれば、彼が近付いたのはトルフィンがいるほうだ。子供の布団を奪うとは流石極悪非道のドS顔だ。ビョルンも子供をだしにしてトールズを殺すネタにした身だから人のことは言えないが、そこは割愛。
まあ、などと感心していると、彼は予想外の動きを見せた。
彼はごく慎重に、いかにもノミの恰好の住処である無精な犬の毛のようなトルフィンの髪に手を入れ、かきまぜ、撫でた。まさに犬を撫でるようにだ。
よほど子供体温とあいまって暖かいのだろう。あのドS顔で、至福の表情をとると言うべきか、とにかくそれだった。


果たしてこの状況をどうすればいいのか。


見てはいけない場面を見てしまったような気が多大にしたビョルンは、とっさに目を背けた。
下手に真面目に早起きなんざするもんじゃねえな、どうせ凍えて声の出ない口で彼は教訓を呟き、最後に夢と思い込むことに決めた光景を今一度見ておこうと目線を戻すと、件の人は自分の脇で屈んで立っている。
「なあ、どうして“早起きなんざするもんじゃねェ”んだ?ビョルンよゥ」
「………聞こえてたのか?」
「おう」
彼は普段のあのドS顔で笑みをたたえて問い質す。
本当に慣れないことはするもんじゃないと、ビョルンはつくづく思うのだった。



終わり
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