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断片

 
 白いシーツがふとはためく様子に思わず息を呑む瞬間がある。
 遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がして、血が凍る思いをする瞬間がある。
 無理矢理に引き剥がしてきた何かを拒絶するたび、ぎりぎりと螺子が巻き上げられるようにどこかが痛む。
 銃も、名前も、コートも、何もかも捨ててきたはずなのに。
 どうしても捨てきれない記憶の断片は、何かを蝕むかのように意識の隅をひっかく。

「やめにしませんか? こんな生き方」

 菫色の瞳は、責めるでもなく哀れむでもなく。

「銃を捨てて、全てを断ち切って静かに暮らす」

 柔らかな声が告げた、その通りの暮らしを手に入れて、躰に染みついた硝煙の匂いも薄れていくのに。
 どうして、だろう。

 夢を見る。

「エリクース!」
 喚ばれると同時に頭に何かぶつかった。ぽかん、と、妙な音をたてた場所を右手で押さえて声がした方に視線を転じる。
「リィナ」
 口が勝手に声の主の名前を呟いた。栗色の髪を少年のように短くした少女が、駆け寄ればすぐの距離で憤然と腰に手を当てている。
「何やってんのよ! 手はお留守にしない! 晩ご飯が遅れるじゃない」
「はいはい」
 答えて、自分の手元に目をやる。斧と、丸太。そろそろ疲労に抗議を始めた腰をとんとんと叩いて、もう一度斧を構え直す。
 斧を振り下ろして薪を作り、次の丸太に手を伸ばそうとしたとき、ふと視界の隅にまださっきの場所にいるリィナを見つけた。
 汗でずり落ちる丸眼鏡を元の位置に戻しながら、腰を伸ばす。
「どした、リィナ?」
「――ん」
 ちょっと視線を迷わせて、そしてリィナは口をとがらせた。
「なんかエリクスぼーっとしてたから。まあいつものことっちゃそうなんだけど、でも……」
 どっかに消えてなくなりそうだったんだもん、と、拗ねたように続けるリィナに、肩をすくめてみせる。
「――むかしの人はね、リィナ。この世界は、誰かが見てる夢の中だって言ってたんだってさ」
「はあ?」
「だから、夢の中。その人の目が覚めたら、終わり。みんな消えちゃうんだって」
 リィナが顔をしかめた。
「やだよそんなの。まっぴらだわ。まだまだ人生これからだってのに、そんなんで終わりにされたらたまらないじゃない」
 強気で勝ち気で前向きな答えに、思わず笑みがこぼれる。
「ともかくそれ早くやっちゃってね。待ってるから」
 びしと薪を指さしてリィナが家の中へと駆けていくのを、ぼんやりと見送った。

 夢を見る。

 もう戻らない日々の夢を。
 まだ得てもいない日々の夢を。
 どれが現実なのか判らなくなる。

 目が覚めて起き上がる。
 ブランケットを蹴飛ばして裸足で床に降りるその感触も。
 これも夢で見ているだけではないかと思えてくる。

 これが夢ならいいのか。
 それとも、――?

 視界の端を白いマントがよぎったような気がして、ぎょっと振り返る。
 けれども、洗濯物がはためいているだけ。
 ほっとしたような、がっかりしたような、不思議な気分で頭を振ってその影を追い出す。
 とどめておくと何かが狂ってきそうで。

 そして夢を見る。

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vm


月は巡る、日も巡る

「――ヴァッシュさん!」
 呼び止める声に、ヴァッシュは振り返った。狭いフロウリッシュ号の機関部の通路を器用にすり抜けるようにして、小柄な女性が真っ直ぐにかけてくる。いつも傍らにある、大きな保険屋さんの姿はない。
「どうしたの、保険屋さん。もう夜中だよ?」
 ヴァッシュの手前まで来て、彼女はひとつ息を整えてから破顔した。
「キャラバンが来たんです! コレで連絡が取れますわ、みんな助かります」
「――本当か!」
 長旅用の旅客車だ、売店から水から豊富に用意はされているものの、先の見えない状態では不安は増すだけだ。
 怪我人も出ている。なるべく早く助けを求めなければ、と、先程も船長と話していた矢先だ。ヴァッシュはにこにこと笑った。
「よかったよかった。これでなんとかなるな」
「ええ。本当によかったですわ」
 つられるように笑っている彼女を見下ろしながら、ヴァッシュはふと先程の疑問を思いだした。
「君の相棒はどうした?」
「あ、私と手分けしてあなたを捜しに、操舵室の方へ。そう言えば、こんなところで何してらっしゃるんですの?」
 首を傾げて問う彼女に、ヴァッシュは曖昧な笑みを浮かべた。
「……一緒に来るか?」
「あ、はい」
 どこへ、とは問わずに、踵を返す彼のあとに素直についてくるのを確認して、ヴァッシュは少し笑った。
 ちょっとは信用してもらえるようになったらしい。
 ――いつまでついてくる気なんだか知らないけれど。

 今は照明の入っていない薄暗い機関室の奥に、プラントはひっそりと佇んでいる。
 デッキになっているプラントの電球状になっている表面に触れられるところまで、ヴァッシュは無言で歩いた。
 コードやパイプが縦横無尽に這い回る中、歩幅の広い彼の後ろを軽い早足でついてくる足音がする。それを確認して、ヴァッシュは立ち止まった。
 と、その背中にどしんと衝撃。
「わ! 大丈夫か?」
「ええ、ちょっとぶつけただけですわ」
 慌てて振り向き、よろめく華奢な体を支えたヴァッシュに、顔をおさえながらメリルが答えた。
 鼻の辺りをさすりながら、メリルがまっすぐにヴァッシュを見上げる。
「……プラントは、調整中なんでしょう? 何かご用でもあるんですの?」
 人より暗闇を見通せる視界の中で、首を傾げた拍子にさらりと彼女の黒髪が揺れた。
 そっと彼女から手を離して、ヴァッシュは視線をプラントへと移す。
「様子を見に来たんだ」
 過大な負荷がかかりすぎて暴走を始めてしまったプラントを、同調による仮死状態で停止させたはいいが、後々の影響を考えるとそう楽観できる事態でもない。
 『調整』には多くの時間と費用がかかるだろう。けれど、それでも、あの時はそれが最善だった。
 選びようのない最善だった。
「とまって、ますのね……」
 ぽつりと呟いた声に、傍らに立っているメリルに視線を落とす。彼女は、灯火の消えた固い外郭にそっと手をあてて、そのプラントを見上げていた。
「まるで眠っているみたい」
 眠ってるんだけどな、と、心の中だけで呟いて、ヴァッシュは彼女と同じようにプラントに手を触れさせた。
 ……悪かった、な。巻き込んで。
 声にはのせないまま、目を閉じて伝える。
 どうしても、これだけは言っておきたかったのだ。
「あなたがプラントのそばで倒れていたのを見たときは、心臓が止まるかと思いましたわ」
 唐突に耳に入った声が、自分に向けての言葉だと認識して我に返る。斜め下に目をやると、菫色の瞳がじっと彼を見上げていた。
「怪我だらけなのに無茶するんですもの。当たり前ですわよ、倒れるのも」
 倒れていたのは怪我のせいではないのだが、ヴァッシュは頷いた。
「……ああ、うん。なんだ、そんなに心配してくれてたの?」
「ちゃかさないで下さい。普通の神経の持ち主なら心配する状況だとは思われませんの? 少しはご自分を省みて下さいね」
 人の心配ばかりしていないで、と、続ける間も、彼女はまっすぐに彼を見上げている。
 何も逃すまいとするかのような、力強い瞳。
 出会ってまだ間もないが、いつでも彼女は……いや、彼女たちはまるでびっくり箱そのものだ。
 仕事だと言った。局地人間災害に認定された、彼の監視と被害調査及び報告、おまけにリスク回避が仕事だと。
 ……だからって普通来るか? 都会暮らしのOLがアウターの600億$$の賞金首の監視に?
「こねえよなあ」
「は?」
 思わず呟いてしまっていたらしい。怪訝な顔で見上げてくる視線に笑み返して。
「いや、キャラバン来たなら潮時だと思って。これだけの騒ぎだし、当局が来るといろいろ、ホラ」
 咄嗟の言い訳だったが、それも差し迫った問題であった。メリルが眉を寄せて、考え込むように軽く握った拳を口元にあてる。
「それもそうですわね……不用意に騒ぎを起こしたくはありませんし。そろそろいつでも降りれる準備をしておかないと」
「……ってことはキミタチ……」
 どうあってもついて来るつもりなんだな、と、肩を落とす。最初に出会ったときもそうだったが、この腹の据わり様はいったいどこから来るのだろう。
 おもわずため息をつく。
 と、視線の先で彼女が笑みを浮かべた。不敵なとか、挑戦的なとか、そういった類の形容の笑みで。
「とーぜんついていきますわよ。ヨロシク」
「……ダメだって言っても来るんでしょ」
「もちろん。おしごとですもの」
「ハイハイ。オツトメご苦労様です」
 にこやかに言い切る彼女に来るなといえないのは、あの騒ぎの最中に助けられてしまったから、それでなのだ。
 決して、彼女が、彼女たちが傍らにいる空気が、心地よいせいではないのだと、そう思いたかった。
 まあ別に、今はそんな差し迫っているわけでもないし。しばらくは、このままでも大丈夫だろう。
 きっと。
「このプラントも、早くよくなるといいですね」
 何も知らない、知らせていない彼女の祈りの言葉にヴァッシュは一つ頷く。
「早く良くなるといいな」
 何もかも。
 ヴァッシュの答えに、一瞬メリルの瞳が強さを和らげて細められた。
 思わずその笑顔が自分に向けられていたことにとらわれた瞬間、
「せんぱーい、先輩どこですか?」
 暗がりの向こうから大声が響いてきてヴァッシュは現実に引き戻された。
「ミリィ! ここですわ、どうかしまして?」
 彼女を呼ぶ後輩の声に軽い足取りで階段を駆け下り、暗がりに白いマントが飲み込まれていくのを見送る。
 そして、ヴァッシュはもう一度プラントを見上げた。
 ありがとう。眠りを受け入れてくれて。
 失わずに、すんだものが、たくさんあるんだ。
 だから。今は、おやすみ。

「もう行くのかよ」
 怪我のひどかったカイトにつきそい、という形で、町へと先行するキャラバン隊の中に混じっていたヴァッシュ達が、夜更けに荷物を取り出したのを見てカイトが体を起こした。
「ああ。長居は無用ってね。早く良くなれよ」
「まだ治りきってないのですから、無茶は禁物ですわよ?」
「あ、これ売店からこっそりもらってきといたクッキー、おいておきますから、また食べてね!」
 荷物を手に立ち上がり、思い思いに言い置く3人を眺めて、カイトはため息をついた。
「……わーった。てきとーにごまかしとくよ。世話になったし」
「恩にきる!」
 荷物を持っていない左手で拝むヴァッシュの背を軽く叩いて、メリルが促す。
「さ、今から10分見張りがとぎれますわ。行きますわよ、ヴァッシュさん、ミリィ」
「はい、先輩!」
 トーンは落としたまま、元気いっぱいに声を上げる二人を眺めて、やれやれとカイトと苦笑を交わして、ふたりはその苦笑を笑顔に変えた。
「……元気でな」
「くたばんなよ」
 カイトなりの餞の言葉に片手を上げてきびすを返し、ヴァッシュは少し先で待ち受けている二人のもとへ歩き出した。
 うっすらと、光が大地と空とを分け始める、その狭間に向かって。

 ま、たまには、ひとりじゃないのもいいだろうさ。

vm


『綱引きや戦いに似た何か。』

 ウルフウッドに無理矢理付き合わされ、大きな街の宝石店のショーウィンドウに並んでいた色とりどりの宝石たち。
 彼女の瞳によく似た石の嵌った指輪を見つけて、ふと、ウルフウッドにならって買ってみようかな、と思いついた。
 普通の恋人に言うようなわがままをいっさい言わない彼女に、喜んでもらえるのかどうかは疑わしかったけど。
 むしろ、無駄遣いをするなと叱られそうな気もしたけれど。
「恋人に贈られるんですか?」
 手際よく、指輪を収めた箱を包装紙でくるみながら、店員さんが営業スマイルで訊いてきた。
「え、あ、まあ……そんなようなもんです」
「あら、じゃ、これからですか? がんばってくださいね」
 ははは、と笑いながら包みを受け取って、それから今言われた言葉の意味を反芻して。
 ――ちょっとくらっとする頭を支えるように眉間を指で押さえた。

 なにやら神妙な顔つきで、膝に抱えた指輪の箱を眺めているウルフウッドはとりあえず放っておいて、ヴァッシュは車をひた走らせながら考え事をしていた。
 ただですら、彼女たちには書き置き一枚残しただけで出てきたのだ。きっと、烈火のごとく怒り狂っているだろう。
 いろんなことにさんざん悩んで、ようやく決心して彼女を腕の中に抱き締めたのは、ついこの前のことなのに。
 それからというもの、何の進展もないのはいったいどうしたことだろう。
 彼女の気質は知っている。意地っ張りで照れ屋で頑固だ。そこが可愛いのだといったら横に座っている男にははたかれるのだろうが、けれど同時に厄介なところでもある。
 そもそも、ようやく想いを伝えたときの状況がまずかったのかも知れない。
 ハンドルにもたれかかるように体を前に倒して、ヴァッシュは唸った。
 真っ昼間の告白劇から3週間目。普通、想いを伝えあったばかりの恋人同士なら、今頃はらぶらぶのいちゃいちゃの幸せ真っ盛りの時期ではないのか。
 そりゃあ、自分達があまり普通でないことは自覚している。けれども、それくらい人並みを望んでもいいはずだろう。
 なのに、腕の届く範囲の距離にいっこうに近寄らせてもらえないこの現状は何なんだ。
「あーあ……」
 声に出してぼやいてみると、余計に気分が重くなってしまい、ヴァッシュは何度目かの溜息をついた。
 そりゃ、始終べたべたしたいわけじゃない。ウルフウッドたちがやっているように大通りを腕を組んで歩くなんて恥ずかしくって言語道断だ。
 でもごくたまに、ふたりっきりでいるときくらい、抱き締めたりとかちょっと肩にもたれかかってうとうとしたりとか膝枕で耳掃除してもらったりとか望んでも罰は当たらないような……。
 再び溜息が漏れる。ささやかに人並みの幸せを満喫したいと思うのは間違っているのだろうか……。

 久しぶりの我が家のドアノブに手をかけようとした瞬間、先にドアが勢いよく開き、ヴァッシュとウルフウッドは身をそらして鼻先をかすめたドアをかわした。
「一体何考えてるんですか! まだ怪我も治りきってませんのよ? そんな身体で、こんなメモ一枚で、五日間も家を空けて! ミリィも私も、どれだけ心配したと思ってますの!」
「や、それはやな、つまり……」
 顔を出すと同時に、ものすごい勢いでメリルが集中砲火を開始した。先に的になったウルフウッドが一歩たじろぐ。
「ヴァッシュさんもヴァッシュさんですわ!ウルフウッドさんはまだそんなに無理が利くほど回復してませんのよ? だいたい貴方は」
 隣でウルフウッドが彼の小脇をこづいている。お前の管轄やろ、と、無言の圧力を感じ、ヴァッシュはにこりと笑って見せた。
 かみつかんばかりの勢いで、珍しく腕の届く範囲にいる彼女の頭をなだめるようにぽんぽんと叩いて。
「ごめんごめん、ちょっとね。大丈夫、無理はさせてないから。ゆっくり話すからとりあえず家に入らせて。ミリィは?」
 まだふくれている様子のメリルが、しぶしぶといった様子で頬を軽く膨らませながらもドアを大きく開けてくれる。
「……買い物に行ってますわ。本当にもう、あなた方ときたら……」
 自らも家の中に入るべく背を向けた彼女の後に続きながら、ウルフウッドに行っておいでよと目配せをする。そのまま後ろ手にドアを閉めて、ヴァッシュは荷物を玄関脇の自分の部屋に放り込んだ。
 いつも彼女がいる台所に行ってみると、すでにメリルはお茶の準備を始めていた。カップが3つ用意してある。
「メリル、ウルフウッド出かけたよ、ミリィ探しに」
「え? またそんな……無理をして」
 溜息をつきながら、メリルは湯気の沸き立つやかんを火から下ろしてお湯をポットに注いだ。ふわりと香ばしい匂いがあたりに漂う。
「先に、軽く水浴びでもなさってきたらどうですか? 埃まみれですわよ」
 そのころには、このお茶も飲みやすい頃合いになっているはずですから、と付け加えて、メリルが新しいタオルをヴァッシュに差し出した。
 おとなしくそれを受け取って、ヴァッシュはとりあえず浴室に向かった。

 とりあえずさっぱりして、服も着替えて濡れた頭をタオルでがしがし拭いながら台所に戻る。
 ダイニングテーブルにひじをついてぼんやりしていたメリルが、足音に振り返った。やはり怒っているのか、その視線は棘を含んでいる。
 死刑宣告を待つような面もちで、メリルの正面に腰掛ける。メリルがお茶のコップを差し出してくれた。
「さて。お話とやらを聞きましょうか?」
 ……怒ってるよ……。
 その口調と視線に確信しながら、一口お茶をすする。
「……ウルフウッドが、買い物に行きたいって言い出したんだよ」
「買い物? 一週間も家を空けて?」
「うん。だってこの辺りじゃ売ってないでしょ? 装飾品なんて」
 しばらく無言で眉をひそめて、それからメリルは何やら複雑な顔でああ、と呟いた。
「――それならそれで、私にくらい仰ってくださったら、ミリィのフォローもできましたのに……。あの子大変だったんですのよ? 笑ってても笑ってないし、夜もちゃんと眠ってないようでしたし……」
「え。あ、ゴメン……そっか、そうだよね……ごめん、考えが足らなかった」
 一度、ウルフウッドを失ったミリィには、突然の存在の消失は堪えたのだろう。
 ……それはそうとして。
「……君は?」
「え?」
 カップから顔を上げたメリルが小首を傾げる。
「君は心配してくれなかったの?」
 とたんにメリルの表情が硬くなる。一つ溜息をついて。
「私はいつでも覚悟してましてよ? あなたが私の前から居なくなることなら」
 溜息に乗せるような、メリルの呟き。
 信用してない訳じゃありませんのよ、と、表情を凍らせてしまったヴァッシュにメリルが苦笑を投げかける。
「ただ、……そんなことも、きっとあるだろうなって……」
「――メリル」
 向かいに腰掛けているメリルの頬に手を伸ばす。びくりと身体を固くしたメリルが、すっとイスから立ち上がった。
 窓の所まで歩いて、彼に背中を向けたまま窓の外を見ている。彼女を視線で追いながら、ヴァッシュは何を言っていいのか分からずにその小さな背中を見つめていた。
「でも!」
 やおら、くるりとメリルが振り向いた。太陽の光でまぶしい空を背負って。
「何度だって追いかけますわ、覚悟してくださいね?」
 にこりと、笑みの形に唇を引き結んで、彼女は誓いにも似た言葉を口にする。
 ――ああ。
 目を細めてメリルを眺めやりながら、ヴァッシュは泣きたいような気分に襲われていた。
 かたん、と、静かに立ち上がって、彼女の正面に歩み寄る。
「……ヴァッシュさん?」
 不思議そうに呼びかけてくる彼女の左手をそっと取って、その手のひらに小さな四角い箱を乗せる。
「なんですの?」
「受け取って?」
 彼女の質問には答えず、ヴァッシュは小さな手のひらに乗せたその箱ごと、彼の無骨な手でくるみ込む。
「高いものは買えないし、俺だってこんなもので君をつなぎ止められるとは思わないけど……」
 箱の大きさと、その言葉で中身を察したのか、メリルが大きな瞳を更に大きくして、首を振って箱を押し戻そうとする。
 それを押し止めながら、ヴァッシュはかがみ込むようにしてメリルに笑いかけた。
「でもね、ちょっとくらい、人並みの恋人同士みたいにしてみたいんだ。俺の我が儘だけど、良かったら付き合って?」
 しばらく、じっとヴァッシュを見上げていたメリルが、ややあって深々と息を吐いた。
「……仕方のない人ですわね」
 にこり、と、微笑んで、そっと箱を胸に抱く。
「ありがとう、ございます……大切にしますわ」
 ほっとして、そしてそんな彼女が愛しくて、抱き寄せようと腕を伸ばしかけた瞬間。
「ただいまー! 先輩、今戻りましたあ!」
「ああもう、なんもこないにようけ買いこまんでもええのに……」
 元気なミリィの声とぼやくウルフウッドの声が玄関から響いて、思わずヴァッシュはつんのめりかけた。
「あら、ちゃんと会えたんですのね」
 言って迎えに出ようとメリルがヴァッシュの傍らを通り過ぎようとした瞬間、彼女の腕を取って引き寄せる。
 半ば、逃してなるものかとの悲壮な決意すら抱いて、ヴァッシュは彼女の柔らかい頬にそっと唇を触れさせた。
 さて殴られるか怒られるか呆れられるかと、冷や汗をかきながら体を離そうとすると、いきなり襟首をひっつかまえられた。
「え?」
 咄嗟に加えられた力に逆らえずに引っ張られ、これは平手かと思わず目を閉じたが、刹那柔らかなものが彼の唇に触れた。
 驚いて瞼をぱちりとあけると、至近距離で彼女が不敵とも言える笑みを浮かべている。
「――不意打ちなら、これくらいやってくださらないと。ね?」
 囁くように、今彼に触れた紅唇に言葉を乗せて。そしてメリルはくるりと踵を返して扉の向こうへ消えた。
 ……ひょっとしなくても、彼女の方がうわてなのか……?
 自分の将来に一抹の不安を覚えながら、ヴァッシュはまだぬくもりの残る自分の唇に指を触れさせて、その手を握りしめた。
 このままにしてなるものか。
 ウルフウッドとミリィの夫婦漫才に律儀にツッコミながら近づいてくるメリルを出迎えに、ヴァッシュは扉へと足を踏み出した。

vm


念ずれば花開く

 困ったなあ、と本当に困り果てた顔でヴァッシュ・ザ・スタンピードは呟いた。
 ここはどこだ?
 辺りを見回す。まず目にはいるのは木。青々と緑の葉を茂らせて、まるでジオプラントの森のまっただ中のようだ。
 耳に届くのは笛の音のような鳥の鳴き声。どこかで水の流れる音。
踏みしめている地面は黒々とした土と緑の下草で、決して踏み慣れた砂ではない。
 しばらく考え込んで、ヴァッシュは一つ手を打った。
「夢だよ、うん。そうに決まった」
 誰に言うでもなく一人で納得して、ヴァッシュは大きく息を吸い込んだ。
 遠い、懐かしい記憶。命にあふれた柔らかな空気。
 夢って便利だなあ、と思いながらもヴァッシュは取りあえず歩き始めた。
 そのうち目覚まし時計のけたたましいベルで目が覚めるだろう。

 水の流れを辿っていくと、突然視界が開けた。
 池のほとりに、小綺麗な屋敷がひっそりと建っている。
 柵に絡んだ蔦の間から、色とりどりの薔薇の花が顔を覗かせている。
 とりあえずその生け垣の周りをぐるっと歩いていると、聞き慣れた声に呼び止められた。
「オイこら、そこのお前、なんでこないな所に入りこんどるんや」
「やあウルフウッド」
 何故か麦わら帽子に作業服、手にはスコップと鎌を持った牧師に、笑いをこらえながらヴァッシュは手を挙げた。
「君こそ何? どうして庭師なのその格好」
 眉をひそめて怪訝な表情のまま、ウルフウッドが何か口を開こうとしたとき、ウルフウッドさーん、と、これまた聞き慣れた声が遠くから飛んできた。
「なんやハニー!」
 ウルフウッドが振り向いて叫び返す。その視線を辿ると、屋敷のテラスの手すりから身を乗り出して、ぶんぶん手を振っているミリィがいる。その彼女も何故か黒いワンピースに白いエプロンをつけていた。
「梯子が見つからないんですー! どこにあるかご存知ないですかー?」
「物置の……ああわかった、動かしてあるんや! ちょい待っとり」
 そう答えるなり、ウルフウッドはヴァッシュに軍手と鎌とシャベルを押しつけた。
「悪い、コレもっとって。後で用事は聞いたるさかい、ここ動くんやないで」
 屋敷の方に駆けていくウルフウッドを呆然と見送りながら、ヴァッシュは途方に暮れた。
 夢なんだったらここで僕はお客様で歓待されて、美味しいお茶にお菓子でももらえるってのが望ましい形なのでは、とぼんやり考える。
 とりあえず、ウルフウッドから預かった物はその場に置いて、ヴァッシュはまた歩き始めた。
 柔らかな日差しが木々の葉の間から漏れて、風に揺れてちらちらと踊っている。
 生け垣が切れて、花壇に出た。
 色とりどりの花が咲き誇っているその花壇の向こうに、まるで彫刻のように立ち尽くしている小柄な後ろ姿を見て、ヴァッシュは微笑んだ。
 昔記録映像で見た、古い時代のゆったりとしたドレスのような服に身を包んだ彼女は、心ここにあらずといった様子で森の向こうを見ていた。
 やっぱり。あのふたりがいるのに、出てこないわけはないと思ったんだよな、と納得しながら、そっと近づく。
「どうしたの? 考え事?」
 いきなり尋ねると、驚いたように彼女がこちらを振り仰いだ。見上げるその紫紺の瞳は、うっすらと涙ぐんでいる。
 ぎくりと心臓が跳ね上がった。
「え、ええ? どうしたの、何かあったの?」
 慌てふためいて尋ねると、彼女は潤んだ瞳を一杯に見開いて、それからまつげを二度ほど瞬かせた。
「……あなたは誰?」
「――通りすがりの変な人」
 多分彼女にとってはそうなのだろうな、と、見当をつけながらそう答えると、彼女は小さく吹き出した。
「ご自分で仰っていれば世話はありませんわね」
 くすくすと笑いながら、彼女は細い指で目元を拭う。
「変なところをお見せして申し訳ありません――でも、なんでもないんですの」
「そういうんだろうと思ったけど」
 ヴァッシュは空を仰いだ。突き刺すような、あの見慣れた青空ではなく、柔らかな優しい天の蒼。
 それから、彼女の目線にあわせるようにかがみ込む。
「でも、今は聞けるから聞くよ。何でもないわけないだろう? 君は本当にがんばりやさんだから、何でもないのに泣いたりしないでしょ」
 しばらく、こちらを見返していた彼女が、不意に小さく頭を振った。
「……私、泣いたりなんてしませんわ」
 細い声。俯いてしまって、その表情は見えない。
「一人でなんだって出来ますわ――そうでなければ、私……」
 ぎゅっと固く握りしめられた両の拳。
 ……ああ、こんな時まで。こんな夢の中まで。
 どうして、彼女は泣いてくれないのだろう。
 しっかりと自分の足で立っている姿を知っている。時には迷ったり悩んだりしながらも、一生懸命に自分を追いかけ続けている事も知っている。
 けれども。
 ふわり、とその腕を回して、ヴァッシュは彼女の身体を自分の方へと引き寄せた。
 驚いて抗おうとする彼女に構わず、その腕に力を込める。
「泣いていいんだよ」
 ヴァッシュは彼女の夜の色をした髪をそっと指で梳いた。
「一人で抱えこまなくったっていいよ……わがままだって言っていいよ。君は、そういうことを我慢しすぎだから」
 しばらく黙ったまま、ヴァッシュに髪を撫でられていた彼女が、何か小さく呟いた。
 え、と、聞き返すと、彼女はヴァッシュの胸に埋めていた顔を少しだけ離した。
「そう、言ってあげたいのに……どうして、私、あの人にそう言えないのかしら……」
 ヴァッシュはほろ苦い気分で、笑みを漏らした。
「似たもの同士なのかもしれないね、案外」
「……誰と誰がですか?」
 不思議そうに問い返してくる彼女に曖昧に微笑んで、そっとその額に唇を落とした。

「……ッシュさん、ヴァッシュさんたら!」
 揺り動かされて、はっと意識が覚醒する。同時に戻ってくる人のざわめき。
 宿屋の一階にある、食堂兼酒場のカウンターの隅で、いつの間にか眠り込んでいたことに気付いて、ヴァッシュは苦笑しながら額に手を当てた。
「全くもう。器用な方ですわね、どうしてこんな騒がしいところで眠れるんですの?」
 降ってきた声に顔をあげる。いつもの白いマント姿の彼女が、腰に手を当てて、テーブルに突っ伏していた身を起こした自分を見下ろしていた。
「……なあんだ、やっぱり夢だよ」
 呟いた彼に、メリルの眉がきりりと音をたててつり上がるのが見えた。
「なあんだじゃありませんわよ! あなたが先程の騒ぎで壊した酒場の一件、ようやく片づけて戻ってきてみれば呑気に眠りこけてた上に夢ですって!? 今日という今日はみっちり――」
 なおも言葉を続けようとしていた彼女の腕を引いて、すぐ隣の椅子に押し込む。驚いて口をぱくぱくしている彼女に構わず、ヴァッシュはアイスクリームとパンケーキとコーヒーね、とカウンターの中の店員に声をかけた。
「取りあえずお詫びのしるしにおやつに付き合ってよ。あれ? 君の相棒は?」
「……あなたを捜しに街の北の方に行ってますわ。ここで落ち合うことになってます」
 つん、とそっぽを向きながら、彼女はそれでもその席を立とうとはしなかった。
 背筋を伸ばしてなおも小さくぶつぶつ言っている彼女の横顔を眺めて、そしてヴァッシュはくすりと笑った。
「俺達って案外似たもの同士だと思わない?」
「――は?」
 目と口とを丸くしてこちらを見返す彼女になおもくすくす笑いながら、ヴァッシュは飲みかけのまま放ってあったバーボンを一口含んだ。 

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Festa

「先輩! 用意できましたあ?」
 がちゃりとドアを開けて顔を覗かせた後輩に、メリルは照れくさそうな笑みを浮かべた。
「ええ。でも……やっぱりなにか変じゃありません事?」
 姿見に移った自分に怪訝な顔を向けた後、首を後ろにひねって自分の格好を確認しようとするメリルに、ミリィは破顔した。
「似合ってますよう。かわいいです先輩!」
 いつもはタイトミニのスカート姿だが、今メリルが身につけているのは何枚かのたっぷりとした布を巻き付けたロングスカートに似たものだ。
 ひょこ、と部屋に入ってきたミリィもまた、メリルと同じような格好をしている。
「ミリィこそ、似合ってますわよ。私は背が低いから、あまりロングは似合わなくて」
「そんなことないですよ!」
 近くまでやってくると、ミリィはメリルの頭の飾りの位置をちょっとだけ直した。ぐるりとメリルの周りを回って確認すると、よし、とにっこり笑う。
「でも私、お祭りなんて勤めはじめて以来なんで、すっごくたのしみです!」
「……わたしはカーニバルならともかく……こういうお祭りは初めてですわ」
 メリル達一行が立ち寄ったこの村では織布業が盛んで、それも手織の意匠を凝らしたものが中心だった。男は畑を耕し、女は布を織る。
 そして収穫期には収穫を祝い、そして機を織る女達を慰労する意味もかねて、ささやかに祭りが行われるのだそうだ。
「でもまさか、お祭りに参加させてもらえるなんて思いませんでしたよ! 先輩のおかげです!」
「そんな、たまたまですわよ、たまたま」
 昨日から何度も繰り返されたせりふに、メリルもまた苦い笑みで何度目かのせりふを返す。
 事の起こりは、昨日、この村に立ち寄ったときのことであった。
 いつものように姿をくらまそうと逃げる「彼ら」を追ってこの村にたどり着いたとき、道を尋ねようと酒場のドアをくぐると、そこではさながら地獄絵図のような乱闘騒ぎが繰り広げられていたのである。
 ついいつもの癖で、彼らが巻き起こしているものと決めつけて、いつものようにつかつかと騒ぎの中心にいる男を問答無用でデリンジャーの銃床で殴り倒した後、メリルはそれが彼ではなかったことに気づいた。
 ……たまたまその男が、村祭りを妨害するためにやってきたちんぴらの頭だったおかげで、メリル達はやんやの歓待を受け、そして現在村祭りの衣装を着ているのである。
 ちなみに彼女たちに遅れること半時でやってきた彼らは、メリルの「捕まえて下さい!」の一言で、昨晩は保安官事務所の冷たい檻の中で過ごす羽目になっていた。
「さ、先輩、ここんちのおばさんも待ってましたよ、早く行きましょう!」
 ミリィに引っ張られるようにして部屋を後にしながら、メリルはちらりと、様子を見に行かないといけませんわね、と思った。

 メリル達が広場につくと、既に祭りは始まっていた。
 収穫した野菜のコンテストや、旅芸人のパフォーマンスなどで、広場はやんやの盛り上がりを見せている。
「にぎやかですねえ。あ、先輩、あの焼き菓子美味しそう!」
「あとで行ってみます?」
 ミリィと2人、のんびりとあちこちの様子を見て歩いていたメリルは、ひたりと足を止めた。
 そのにぎやかな祭りの一角、今年一番の麦酒や葡萄酒などを振る舞うところに、見慣れたとんがり頭と大きな十字架を見つけて。
「ぷはー! うまいっすよコレ!」
「そうかい、ほれこっちもいってみなあんちゃん!」
「おっちゃんこれ分けてもらえへんかー?」
「金さえ置いてってくれるんならな」
 立ちつくすメリルの横で、ミリィがあれえ、とのんびり声を上げた。
「2人とも、出してもらえたんですねえ」
「……あの人達は……っ!」
 ぎゅっと拳を握りしめて、メリルはつかつかとそちらへ歩み寄った。慣れないロングスカートがまとわりついて歩きにくい。
「ヴァッシュさんウルフウッドさん! あなた方こんな所で何してますのっ?」
 メリルの一喝に、2人がびくっと固まって、そしておそるおそる振り向いてくる。
「や……やあ、保険屋さん……」
 振り向いた先で作り笑顔を浮かべようとしたヴァッシュの表情が、笑顔にならずに固まる。
 それには気づかずに、いつものように腰に手を当てて、メリルはびしびしっと順番に2人に指を突きつけた。
「釈放されているのはまあいずれはそうお願いするつもりだったからいいとしても! ただ酒なら際限なくはいるご自分達を、この村の方々に迷惑だとは……なんですかお二人とも?」
 言葉の途中でメリルは首を傾げた。
 何故なら、ウルフウッドはおかわりを受け取ろうとした体勢のまま固まって、呆然とこちらを見ているし、ヴァッシュはなにやら口をぱくぱくさせているのだ。
「……ヴァッシュさん何か苦しいんですか?」
 きょとんとミリィが尋ねて、それでウルフウッドがはっと我に返ったようにいや、と呟いた。
「……なんやねんお姉ちゃん達その格好……」
「変ですか? 借りたんですよ、お祭りだから」
「いや別に変とは……いわへんけど……いつもとのギャップが……」
 似合わないですかねえ、とちょっぴり気落ちしたように言うミリィに、ウルフウッドが慌てて勢いよく首を左右に振った。
「いやそーゆーのもかわええて! な! トンガリ?」
「……え? あ、うん!」
 しどろもどろになりながらこくこくとヴァッシュが頷く。その様子に、ミリィがほっと笑った。
「そうですか? ……あれ、先輩?」
 しばらく黙っていたメリルが、ミリィの横から離れてすたすたとヴァッシュ達がついているテーブルの傍らへと近づいてくる。
「……どないしたん姉ちゃん?」
 怪訝に呟くウルフウッドの言葉など意にも介さない様子で、メリルはテーブルの上にあった麦酒のグラスを取った。
 そしてその中身がヴァッシュとウルフウッドの頭にぶちまけられる。
「何も無理に誉めて頂かなくても結構ですわ。いつもと違って悪うございましたわね」
 腹の底から冷ややかな声で言うと、メリルはくるりときびすを返した。
「さ、ミリィ、さっきのお菓子でも買いに行きましょう」
「はあい!」
 賛同の声を上げて連れ立って遠ざかっていく2人を、髪からしたたり落ちるビールの滴越しに見送った男2人に、周りからどっと笑いがわく。
「ありゃあ、お前さん方が悪い!」
「なんだなんだ、痴話喧嘩かい」
 かって勝手に好きなことを言われながら、ヴァッシュとウルフウッドはまだ呆然としていた。

 一つ目の太陽が地平線の向こうに去り、もうひとつも名残惜しげに最後の光を投げかけはじめる頃になって。
 広場の端っこで、もくもくと甘い焼き菓子を食べているメリルを見下ろしながら、ミリィは小さくため息をついた。
(本当にヴァッシュさんもウルフウッドさんも朴念仁ですねえ……)
 いつも仕事着で銃を背負って、肩肘張っているメリルの、少しでも気晴らしになればと思っていたのに、これでは絶対着ないと言い張るメリルをなだめすかして、ようやく着せた自分の努力がぱあではないか。
「ね、先輩。日が暮れたらダンスなんですって! 楽しそうですねえ」
「まあ、私たちの知らない踊りでしょうけど……でも、見るのは楽しそうですわね」
 優しい後輩が自分を気遣ってくれているのを感じて、メリルは強張った顔の筋肉をほぐした。ほっとしたようにミリィも明るい笑顔を覗かせる。
「先輩ならちょっと見たら覚えらるんじゃないですか? あ、誰か教えてくれるかも」
「そんなことありませんわよ。だいたいどなたに教えて頂くんですの?」
「でもでも、さっきから先輩のことちらちら見てる男の人たち、結構いますよ?」
 こっそりと周りを見渡しながら、ミリィは呟いた。
「気のせいですわよ、それは」
 苦笑いして、メリルはお菓子の入っていた紙袋を丁寧に小さく折り畳んで立ち上がる。
「さ、にぎやかな方に戻りましょうか。せっかくですもの、雰囲気だけでも楽しませていただきましょう?」
「はい! 大賛成でーす!」
 立ち上がって同意すると、ミリィはメリルの横に並んで歩き始めた。

 メリルは困っていた。いや困り果てていた。
 今朝方からの滞在ですっかり子ども達の人気者になっていたミリィが、子ども達にかっさらわれるようにして連れさらわれてしまい、見よう見まねでダンスの輪の中に加わってしまったのだ。
 一人で立ちつくしているメリルに、親切にも声をかけてくる男性陣に、踊れませんの、と謝ること5回目。
 今度の2人組はなかなかしつこかった。
 しかも、やや離れたところに固まってヤジを飛ばしている人たちと賭でもしているらしく、なかなか引き下がってくれない。
「大丈夫だよ、そんな難しくもないしさ、一人でいるのもつまらないだろ?」
「いえ、雰囲気だけで十分楽しませていただいておりますから」
「そんなこと言わずにさあ、ね? せっかくだから入ろうよ」
「お気持ちだけで結構ですわ」
 既に押し問答となっているやりとりに疲れてきたメリルが、このまま黙って逃げようかしら、それともミリィに助けを呼ぼうかしら、と思案しはじめた瞬間、ふわ、と後ろから誰かに抱え込まれた。
「……?」
 驚いたメリルは、彼女の肩からおろされて前で組まれている腕を見て、更に狼狽する。
 見間違えるはずがない。右腕には不思議な材質の赤いコート、左腕は黒いアンダースーツで覆われた、見慣れた腕。
「ごめんね、彼女は僕の連れなんだ。あんまりしつこくしないでやってくれないかな?」
 背中に当たる彼の体から、直接響いてくる声に脈拍が上がる。
「ってあんた昨日この人に捕まえられてたんじゃ」
「ああそれなら、不幸な行き違いもしくは日常のコミニュケーションだよ」
 あくまでもにこやかに言葉を続けて、ヴァッシュはひょいっとメリルを抱え上げた。
「――――!?」
 今度こそ声にならない悲鳴を上げるメリルを肩に乗せて、ヴァッシュはじゃあね、と男に声をかけてすたすたと歩き出す。
 しばらくたってから、メリルははっと我に返った。
「あああああああのあの、ヴァッシュさん、もう結構ですわ下ろしてくださいっ」
「もうちょっとまずいでしょ、見てるだろうから。あのベンチまで我慢してね?」
 ……我慢って……。
 そう思いながら、メリルは落ちないようにとっさにヴァッシュにしがみついていた自分の手を、不思議な思いで眺めた。
 ――この上もなく怒ってたはずなのに、どうして私今ほっとしてるんだろう――。

「全く変なところで無防備だね、君は。あんな所で一人でいたら、そりゃ格好の的だってば」
 ベンチにメリルを下ろし、自分もその横に腰掛けて、ヴァッシュは頭の後ろで腕を組んで背もたれに体重を預けた。
「……お手数かけて申し訳ありませんでした」
 落ち着いたとたんに先程の怒りがよみがえってきて、メリルはつっけんどんに返事をした。
 ヴァッシュが驚いたようにメリルに視線をやって、そして、あちゃ、と呟く。
「――ゴメン、いつも僕は足りないね、言葉が」
「別に、私は気にしておりませんから、どうぞお気になさらず」
 あくまで固い言葉ではねつけるメリルの耳に、苦笑まじりのため息が聞こえる。
 と、ぐいと肩を引き寄せられて、メリルはヴァッシュの胸に頭をもたせかけさせられた。
 息を呑んでヴァッシュを見上げると、呼吸すら聞こえてきそうな至近距離で、翠の瞳が微笑んでいる。
「似合ってるよ。可愛い。これは昼間足りなかった分」
 どう言えばいいのかわからず、ただ呆然とヴァッシュを見上げるメリルに、ヴァッシュが笑みを漏らす。
「それから、僕が嫌だったんだよ。君があんな風に囲まれてるのはね」
 頬に血が上るのがわかって、とっさにメリルは下を向いた。
「……口ばっかりうまいんですのねっ」
「嘘は嫌いだよ、僕は」
「そうですわね、隠し事は嘘とは言いませんものね」
「…………」
 黙ってしまったヴァッシュに、メリルはしまったと唇を噛む。
 しばらくの沈黙のあと、きゅっと、肩に回された腕の力が強くなったのを感じて、メリルはおそるおそる視線をあげた。
 その視線に気づいたヴァッシュが、寂しげに微笑む。
「――ゴメンね」
 何を謝るんですの、と、口の中だけで呟いて、メリルは顔を伏せた。
 心もち、ほんの少しだけ、ヴァッシュに体重を預ける。
 そして目を閉じた。
 今だけ、ほんのちょっとだけ、と自分に言い聞かせながら。


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