断片
白いシーツがふとはためく様子に思わず息を呑む瞬間がある。
遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえたような気がして、血が凍る思いをする瞬間がある。
無理矢理に引き剥がしてきた何かを拒絶するたび、ぎりぎりと螺子が巻き上げられるようにどこかが痛む。
銃も、名前も、コートも、何もかも捨ててきたはずなのに。
どうしても捨てきれない記憶の断片は、何かを蝕むかのように意識の隅をひっかく。
「やめにしませんか? こんな生き方」
菫色の瞳は、責めるでもなく哀れむでもなく。
「銃を捨てて、全てを断ち切って静かに暮らす」
柔らかな声が告げた、その通りの暮らしを手に入れて、躰に染みついた硝煙の匂いも薄れていくのに。
どうして、だろう。
夢を見る。
「エリクース!」
喚ばれると同時に頭に何かぶつかった。ぽかん、と、妙な音をたてた場所を右手で押さえて声がした方に視線を転じる。
「リィナ」
口が勝手に声の主の名前を呟いた。栗色の髪を少年のように短くした少女が、駆け寄ればすぐの距離で憤然と腰に手を当てている。
「何やってんのよ! 手はお留守にしない! 晩ご飯が遅れるじゃない」
「はいはい」
答えて、自分の手元に目をやる。斧と、丸太。そろそろ疲労に抗議を始めた腰をとんとんと叩いて、もう一度斧を構え直す。
斧を振り下ろして薪を作り、次の丸太に手を伸ばそうとしたとき、ふと視界の隅にまださっきの場所にいるリィナを見つけた。
汗でずり落ちる丸眼鏡を元の位置に戻しながら、腰を伸ばす。
「どした、リィナ?」
「――ん」
ちょっと視線を迷わせて、そしてリィナは口をとがらせた。
「なんかエリクスぼーっとしてたから。まあいつものことっちゃそうなんだけど、でも……」
どっかに消えてなくなりそうだったんだもん、と、拗ねたように続けるリィナに、肩をすくめてみせる。
「――むかしの人はね、リィナ。この世界は、誰かが見てる夢の中だって言ってたんだってさ」
「はあ?」
「だから、夢の中。その人の目が覚めたら、終わり。みんな消えちゃうんだって」
リィナが顔をしかめた。
「やだよそんなの。まっぴらだわ。まだまだ人生これからだってのに、そんなんで終わりにされたらたまらないじゃない」
強気で勝ち気で前向きな答えに、思わず笑みがこぼれる。
「ともかくそれ早くやっちゃってね。待ってるから」
びしと薪を指さしてリィナが家の中へと駆けていくのを、ぼんやりと見送った。
夢を見る。
もう戻らない日々の夢を。
まだ得てもいない日々の夢を。
どれが現実なのか判らなくなる。
目が覚めて起き上がる。
ブランケットを蹴飛ばして裸足で床に降りるその感触も。
これも夢で見ているだけではないかと思えてくる。
これが夢ならいいのか。
それとも、――?
視界の端を白いマントがよぎったような気がして、ぎょっと振り返る。
けれども、洗濯物がはためいているだけ。
ほっとしたような、がっかりしたような、不思議な気分で頭を振ってその影を追い出す。
とどめておくと何かが狂ってきそうで。
そして夢を見る。
PR