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vvm


bruise.

 メリル・ストライフ。
 女性。
 女性に年を訊いてはいけないので正確にはわからないが、多分22,3歳。
 標準よりやや小柄位の背格好なのだが、規格外なサイズの相棒の隣にいるからか、とても華奢に見える。
 丁寧な口調と物腰とは裏腹に、思い切りの良い行動力に確かで冷静な判断力。
 何十丁ものデリンジャーを携帯し、その腕前も確か。
 けれど、それでも。
 彼女の肩は本当に細くて、とてもじゃないけど、あれだけの人殺しの道具を背負っているとは思えなくて。
 ……彼女が、本当に背負っているものは見えなくて。

「ヴァッシュさんてどうしてそうなのでしょう」
 腰に手を当てて、彼女は深々と嘆息する。信じられないと言いたげに頭を振る、その動きにつられて夜の闇の色を溶かしたようなダークヘアーが揺れた。
「……いやあの……これ、僕のせいだけじゃないと……思いません僕のせいですハイ」
 あたりにもうもうと巻き起こっている埃の中心にあぐらをかいて彼女を見上げながら、彼はつぶやいた。
 保険屋さんたちをまいて、酒場で遅めの昼食をとっていたのだが、脇のテーブルで起こったいざこざに仲裁に入ったところ、なぜか半時後には酒場は半壊していた。
 当然騒ぎを聞きつけて、保険屋さんたちは彼を見つけだし、おっきい方の子は保安官に縛り上げたちんぴらたちを引き渡している。
 そして、彼女は座り込んでいる彼の前に仁王立ちになって見下ろしているのだ。
「わ・た・し・が・申し上げているのは。責任がどこにあるかの問題ではありませんわ」
 きりり、と彼女の形の良い眉がつり上げられる。
 ヴァッシュは反射的に身をすくめた。次にくるのは、きっといつものように反論の余地もない正論のおしかりだ。
 思わず両目を閉じて待ち受けるヴァッシュの頭上に、なぜか雷はいつまでたっても落ちてこない。
「?」
 不思議に思っておそるおそる顔を上げると、メリルは、何か困ったような顔をしていた。
 そして、もう一度ため息。
「……どういえば、あなたは分かって下さるのかしら」
 絞り出されるような言葉の意味をつかみきれず、問い返そうとするヴァッシュにくるりと背を向けて、その背中が遠ざかる。
 小さくて細くて、抱きしめたら壊れそうな後ろ姿。それを覆うマントにたくさんの銃。
 そこまでして。背負った肩口に痣までこしらえて、それでも追ってくる彼女。
 何度振り切っても、何度危ない目にあっても、追ってくる彼女。
 ……どういえば、君は分かってくれるんだろうね?

 宿屋の一室にこもり、赤いコートを脱ぐ。
「……っつ」
 思わず顔をしかめる。慎重にアンダースーツの留め金をはずしてそれも脱ぎ終え、ヴァッシュは先ほど酒場で痛めた右の手首をそっと動かしてみた。
 ちょっと筋を痛めたらしい。銃を使うものとしてはかなりの痛手だ。
 まあ、軽く固定していれば2日もあれば直るだろう。
 荷物を左腕の義手で引き寄せ、中身をあさる。
 固定のための布地を探そうとして、ふと指に触れた柔らかな布地を引っぱり出した。
「……これはちょっと、包帯には使えないよね」
 苦い笑みを浮かべて、ヴァッシュは引っぱり出した布地を眺める。
 革の匂いと、さびた鉄の匂いがしみこんでしまったそれは、血のにじんだ自分の頬に当てられたときには彼女と同じ優しい匂いのしたハンカチ。
 しばらく手の中に包むようにしてそれを眺めていたヴァッシュは、やおらそれを握りつぶした。
 いずれ、彼女も。こんな風に、血の匂いに染めて、そして壊してしまうのではないだろうか。
 そんなことはあってはならないのに。したくないのに。
「ヴァッシュさん? 入ってもよろしくて?」
 ここん、と、軽いノックの音とともに、ドアの向こうから彼女の声が遠慮がちに響く。
「あ、どぞ!」
 答えながら、ヴァッシュはあわてて荷物の中にハンカチを押し込んだ。
 かちゃ、とドアの隙間から彼女が顔をのぞかせたときには、ヴァッシュはいつもの笑顔を浮かべていた。
 次の瞬間、ばたん!と勢いよくドアが閉まる。
「……せめてシャツか何か羽織って下さいませんこと!?」
 ドアの向こうからの悲鳴にも似た要請に、ヴァッシュはあわてて寝間着のスウェットを頭からかぶった。
 ついでにアンダースーツを全部脱いでしまい、全部寝間着姿に着替える。
「ごめんごめん、どうぞ」
 言いながらドアを開けると、彼女は怒ったような顔つきのまま、ヴァッシュに軽く頭を下げて部屋の中に入ってきた。
 部屋に備え付けてある寝台脇のサイドテーブルに、彼女のものらしいポーチをおくと、メリルはヴァッシュに向き直った。
 彼女の行動の理由が分からないまま、首を傾げてドアの横に突っ立っていたヴァッシュの目の前までつかつかと歩いてくると、メリルはため息混じりに肩をすくめる。
「ヴァッシュさん」
「はい?」
 素直に返事をすると、やおら彼の生身の右手に、小さな柔らかな手のひらが二つ、そっと重ねられる。
 唐突な行動に目をぱちくりした次の瞬間、ヴァッシュは右手首にはしった痛みに思わず顔をしかめた。
 メリルが、自分の両手でくるんだヴァッシュの手首を、有無を言わさず軽くひねったのだ。
「やっぱり、痛めてらしたんですね?」
 きっと表情を厳しくして、メリルがヴァッシュを見上げる。
 目尻にうっすら涙がにじむのを自覚しつつ、ヴァッシュはそっとその小さな手のひらの中から自分の手を引き抜いた。
「……何で分かったの?」
「夕食の時、片手で食べられるものしか召し上がってなかったでしょう?」
 言いながら、メリルはくるりときびすを返して、先ほどサイドテーブルにおいたポーチを開ける。
「あなたが両利きなのは存じてますけど、でもお食事はたいてい右手なのに、左手を使ってらっしゃいましたし」
 ポーチから何かを取り出したメリルが再び彼に向き直った。そして、両腕に包帯や湿布などを抱えて、目線で寝台を指す。
「とりあえず、かけて下さいな。応急処置で申し訳ありませんけど」
「……」
 ヴァッシュはしばらくためらった後、素直に寝台の端に腰掛けた。メリルが、ヴァッシュの右隣に腰掛けて、彼の右腕をとる。
「ああ、擦り傷まで作って。湿布貼らなきゃならない場所でなくって良かったですわね」
 けがしている腕を抱え込むようにして、彼女が手早く処置をする。おとなしく手当を受けながら、ヴァッシュは暖かな気配と優しい匂いに目を閉じた。
 ……いつまでも、こんな状況を続けていてはいけないのは分かっている。
 それでも、居心地が良くて。けれど選べなくて。
 何一つ失いたくない。それはつまり、何も選ばないと言うこと。
「――矛盾だね」
「は?」
 包帯を巻き終えたメリルが顔を上げる。きょとんとした瞳にヴァッシュはにこりと笑んで見せた。
「ううん、なんでもないよ。ありがとう」
「……いえ」
 一言つぶやくと、メリルは長いまつげをそっと伏せてしまった。
 巻き残った包帯をくるくるとまとめながら、彼女はうつむいてしまった顔を上げようとしない。
 その襟口から、肩の痣がのぞいており、ヴァッシュは顔をしかめた。
「……どうしてそうまでして追ってくるのかな、君たちは」
「は?」
 口をついて出たせりふに、メリルが怪訝そうに顔を上げる。オレンジ色の明かりを受けた瞳は、いつもより暗いすみれ色をしていた。
「肩の痣。デリンジャーのせいでしょ?」
「――っ!」
 あわてて彼女は両手で肩口を隠す。その拍子に、腕に抱えていた包帯やはさみなどがバラバラと床に落ちた。
「そんなところ覗かないで下さいます?」
「あ、や、ごめんそんなつもりは!」
 あわてて弁解すると、メリルはすっくと立ち上がった。床に落ちたものを拾い上げてから、ポーチのおいてあるサイドテーブルに歩み寄る。
「……ヴァッシュさん」
 今はマントを羽織っていない、小さな背中が彼の名を呼ぶ。
「うん?」
「どうしてかと言われましても、困りますわ。私たちには、お仕事です、としか答えようがありませんもの」
 背中が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。ヴァッシュはその背中から視線を逸らした。
「うん……そうだね、だけど……どうすればわかってくれ」
「あなたこそ!」
 やおら、メリルがくるりとこちらを振り返る。荒げられた口調に、ヴァッシュは続けかけた言葉を飲み込んだ。
「……どう言えば、わかってくださいますの?」
 何かを必死に押さえ込んだ、震える声での、彼女の問いかけ。
 なにを、とは彼女は言わない。
 なにが、とは彼は尋ねない。
 二人の瞳がお互いだけを映していたのはほんの数秒のことのはずだったが、その視線をはずすまで、やけに長く感じられた。
 先にそらしたのはメリルだった。形の良い紅唇が、ごめんなさい、と動く。
「……湿布、おいていきますから。ちゃんと、もう一度眠る前に取り替えて下さいね」
「うん」 
 返事をして、ヴァッシュは立ち上がった。
彼に背を向けたまま、ドアを開けるために立ち止まったメリルの華奢な体を、長い腕がたぐり寄せるようにして抱きすくめる。
「――!」
 背中に当たるほのかなぬくもりと、自分の体に巻き付いた腕の感触に驚いてメリルが振り仰いだときには、すでにヴァッシュは体を離していた。
「オヤスミ」
 微笑んだ瞳のまま、ヴァッシュはメリルの後ろからドアノブを回した。きしんだ音を立ててドアが開く。
「……おやすみなさい」
 挨拶を返して、ヴァッシュが開けてくれたドアから出ると、メリルはそのドアを後ろ手に閉めた。
 息を殺して、今閉めたばかりのドアにもたれかかる。
 思わず、こみ上げそうになるものを呼吸ごと押し殺す。

 ……同じように、ドアを挟んで、彼が背中をもたせかけていることを、メリルは知らない。

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vm
ひだまり

 

 柔らかな風が頬を撫でる。
 ディセムバのオフィス街を吹き抜ける風は、あの砂漠の荒野に吹き渡る物とは全く別の物のように思えて、メリルは思わず苦笑した。
 同じ空の下、同じ世界を包む空気、同じ大地の上を通り過ぎる風。
 別な物であるはずがない。
 別な物があるとしたら、それは、自分自身。
 ファイルを胸に抱えて、青い青い空を仰ぐ。
 つながっているもの。この風が、空が、つなげているもの。
「……よし! メリル、ファイトッ」
 自分自身に一発活を入れると、彼女はハイヒールのかかとを巡らせた。


 時は、容赦なく彼女の脇を通り過ぎていく。
 いつも彼女の傍らにあった、あの暖かな優しい笑顔の後輩は、彼女自身のために選んだ場所で、彼女の一人息子だけではなく、多くの子ども達のお母さんになっていた。
 昨日から、何度も読み返した手紙を、休憩に入った喫茶店で、ミルクティーが来る前にもう一度広げる。
『お元気ですか、先輩。私は元気です! もちろんニコラスも含めて、です。』
 元気いっぱいの、丸っこい字が、便せんの上で所狭しといろんな事を語る。
 ニコラスが初めて縄跳びで後ろ回しができるようになったこと。納屋に住み着いた猫が子猫をたくさん産んだこと。
 日常のたくさんの幸せと驚きに満ちた手紙は、メリルを不思議な気分にさせる。
 あのころのまま変わらないもの。変わってしまったもの。
 戻らないもの、得ていくもの。
 ケーキとミルクティーが運ばれてきて、メリルは手紙を丁寧に折り畳んだ。
 ふわりと紅茶の香りが彼女を包む。
 カップを口に運びながら、メリルは手紙の文面を思い出していた。
『先輩、私思うんです。
 人を愛するってことが、「心」を「受」け取ることだとしたら、私、そうできていたかなあって、思います。
 ニコラスの寝顔を見ながら、そんなこと考えます。』

 ……ええミリィ。あなたはホントに、心を受け取ってくれる天才でしたわよ。

 そっと、手紙を指先で撫でる。
 自然と、引き結んでいたはずの唇がほころぶ。

 ねえ? 私は、そうできていましたかしら?

 喫茶店の窓ガラス越しに、メリルは青い青い空を見上げる。
 この空の下で、風の中で、きっと今も困った騒ぎの真ん中で、あの笑顔で笑っているであろう人を想って。

 ねえ? ヴァッシュさん……?

 赤いコートと、あの銃を捨てて、満面の笑顔で帰ってきてくれて。
 それだけでもいいと思える自分に少し驚いたが、不思議とイヤな感じはしなかった。
 むしろ、そう思える自分をくすぐったい思いで受け止めていた。
 しばらくは、意識を取り戻さない彼の兄弟の看病や、とりあえず戻ってきた日常にてんてこ舞いの日々が続いたが、そんな日々がそう長くは続かないことを、誰もが知っていたように思う。
 なぜならあのとき、彼が告げた言葉に、ああやっぱり、と、そう思ったのだから。
『話があるんだ』
 その言葉の後に何が続くか、知っていたのだから。
 そう、知っていたのだから――。

vvm
with you

 とにかく、彼女は頑固で意地っ張りなのだった。

 ヴァッシュは、ため息をつきながら手にしたグラスの、半分溶けた氷をからからと揺らした。
「かっこわるー。女と喧嘩してやけ酒かいな」
 あいている目の前のいすに腰掛けながら、ウルフウッドがちゃかすように声をかけてきた。
「別に。飲みたいから飲んでるんだよ」
「へーへー。そーゆーことにしといたろ」
 言ったウルフウッドが、カウンターに向かって酒を頼む。ヴァッシュはグラスの中身をあおって、もう一杯、同じものを注文した。
 もうかなり夜も更けているが、宿屋の食堂兼酒場はくだを巻く男や、相手をする女たちでにぎわっていた。
「にしても今日は派手にやったなあ。お前も何ムキになっとったんや? 笑って聞き流すんは得意技やないか」
 頼んだグラスと酒瓶の到着を待って、ウルフウッドが口を開いた。
「別に」
 先ほどより不機嫌な口調で、ヴァッシュは答える。
 けっけっけ、と、得体の知れない笑い方をしたウルフウッドは、自分のグラスになみなみとついだウイスキーを一口すすった。
「ガキの喧嘩やあるまいし、とりあえずお前がおれたら丸く収まるで?」
「収めるだけなら簡単だけどさ」
 ヴァッシュが頬杖をついて、アルコールくさいため息をついた。
「それじゃあだめなんだったら」
「……そもそも何が原因やったんや?」
 ウルフウッドが何気なく首を傾げた瞬間、ばんっとテーブルを打ち鳴らしてヴァッシュがウルフウッドの方へ身を乗り出した。
「聞いてくれる? 聞いてくれよ! 聞くこと決定!」
「……おう」
 しもた。
 首つっこむんやなかったな、と、今更ながらウルフウッドは後悔したのだった。  

 とにかく彼は、ごまかすような作り笑顔であしらうのだ。  

「何も先輩、あんな派手に喧嘩することなかったんじゃないですかあ?」
「……私だって、別にしたくてした訳じゃあ……」
 シャワーで湿った髪をタオルで拭いながら、メリルはミリィの問いに困ったように答えた。
 ミリィのお下がりである男物のシャツを一枚羽織っただけの姿で、彼女の割り当てである寝台に腰掛ける。
「でも珍しいですねえ。いつもは、ヴァッシュさん、言い返したりしないのに」
「そうですわね」
 答えたメリルの声にとげとげしさがなかったので、ミリィは首を傾げた。タオルの隙間から見える口元には、笑みすら浮かんでいる。
「……先輩、喧嘩嬉しいんですか?」
「え!?」
 メリルはあわてて口元を押さえた。
「……嬉しそうに見えまして?」
「ハイ」
 こっくりとうなずくミリィ。
 メリルはしばらく、困ったように押し黙っていた。頬が、ほんのりと染まっているのは、湯上がりのせいだけではあるまい。
「……だって、適当にあしらわれなかったんですもの……向かい合ってくれた証拠ですから……嬉しいの、かしら」
 ミリィは微笑んだ。最近のメリルは、こんな風に、穏やかに笑うことが多くなった。
 この任務に就くまでのメリルは、常に肩肘を張って、並み居る男性職員にも負けず劣らずの活躍をして……それを保つのに、また肩肘を張って。
「まるで、子どもですわね。気をひくために意地悪してるみたい」
 苦笑混じりに呟く,その表情ですら柔らかかった。
 ミリィはそれに笑顔を浮かべてから、立ち上がった。
「じゃ、私、のどかわいたんでホットミルクでももらってきますね」
「気をつけてね、きっと酔っぱらいの山でしてよこんな時間」
「はあい!」
 元気に返事すると、ミリィは部屋の扉を背中で閉めた。
 そのままドアに背中を預けて、ひとつため息をつく。よっこいしょ、とからだを起こすと、ミリィはてくてく歩き始めた。
「先輩も、ヴァッシュさんに、あーゆーふうに、笑って、あげれば、いいのに」
 階段を下りながら、一歩ごとに区切りながら呟く。
「意地っ張りですねえ」  

「……つまり、なんや具合の悪そうやった姉ちゃん気遣ったら突っぱねられたのが気にくわんと、そーゆーことやな?」
 一通りヴァッシュの説明を聞き終えたウルフウッドは、5本目のタバコを灰皿に押しつけた。
「簡単に言うけどねえ! 平気です、何ともありません、はともかく、僕に心配されるいわれはないとか、人の心配してる暇があったら自分の心配しろとか、どーしてあの人は」
「とーぜんやろ」
 ウルフウッドは新しいタバコに火をつけた。予想もしていないタイミングで話を遮られて、ヴァッシュは気がそがれたようにいすにもたれる。
「お姉ちゃんの立場からしたら、普通はそう思うやろ。お前が、なるべくならお姉ちゃんたちおいていきたい思てるんはバレバレなんやし、何か口実作るわけにいかんのやから」
今度はヴァッシュは黙り込んだ。
「そもそもやな、お姉ちゃんが頑固で意地っ張りなんはわかっとるんやから、気イ使いたいんやったらそれなりのやなあ」
「すごいです牧師さん! 先輩のことよっくわかってるんですねえ」
 なにやら拍手とともに背後からした声に、ぎょっとしてウルフウッドが振り返る。
 そこには、カップを片手に持ったまま、器用に拍手を続けるミリィが立っていた。
「……いつからおったん?」
 ウルフウッドが多少ひきつって尋ねた。
 カップを空いている席の前に置いて、ミリィはそこに腰掛ける。
「えっと、つまり、のあたりからです。原因、それだったんですねえ。先輩教えてくれなくって」
 持参した、湯気の立ったカップを両手で包んで一口飲むと、ミリィはあち、と舌を出した。
「別に具合悪そうに見えなかったんですけど……どこかおかしかったですか?」
「……顔色は悪かったのに、手が熱かったから……」
 ヴァッシュがぼそぼそ答える。
 ミリィは首を傾げた。
「先輩、髪洗ってましたよ?」
「え? じゃあ、なんともないのかな」
 ヴァッシュも首を傾げた。それなら、喧嘩する必要はなかったのに。
「か、無理してるかのどっちかやな」
 ウルフウッドの突っ込みに、ヴァッシュとミリィの顔色が変わる。
 あり得る……っ!
 2人の顔にはありありとそう書かれていた。
 しばらく、重苦しい沈黙があたりを支配した。
「……僕、ちょっと忘れ物」
 言ってヴァッシュがそそくさと立ち去る。
 その後ろ姿を見送りながら、ミリィはホットミルクをふうふう吹いてさましにかかった。
「……行かんでええんか?」
 ミリィはにっこり微笑んだ。
「トマに蹴られて死ぬのはごめんです」
 その答えに、ウルフウッドはカウンターにパンケーキを注文する。
「ひとつ疑問があるんやけどな」
 6本目のタバコを灰皿に押しつけて、ウルフウッドは頬杖をついた。
「はい?」
「いつどこでなんのために、あいつ、お姉ちゃんの手なんか触ったんや?」
「……さあ?」  

「保険屋さん? 起きてる?」
 遠慮がちにドアをノックする音に、ぼうっと寝台に腰掛けていたメリルは、はじかれたように立ち上がった。
「起きてますわ、何か?」
「入っていいかな」
 メリルは眉をひそめた。ミリィはいないし、すでに自分は寝間着姿だ。
「……どうぞ」
 多少のためらいはあったが、メリルはそう答えた。
 ひょっとして、昼間の件を気にして来たのだとしたら、ここで追い返すのは角が立つ。
 メリルとしても、いつまでも怒っているわけにいかず、明日までこんな状態を持ち越したくはなかった。
 ドアが開いて、ヴァッシュが顔を出す。
「……ごめん、もう眠るとこだった?」
「いえ、ミリィもまだですし……何かご用ですか?」
 ドアを閉めて、こちらに歩いてくるヴァッシュに、メリルは問い返した。
 ヴァッシュは無言のまま、右手の革手袋を外すと、そのてのひらをメリルの額にあてる。
「……!?」
 突然の行動にしばらく突っ立っていたメリルが、我に返って後ずさったときには、ヴァッシュは顔をしかめていた。
「酒飲んでずっと手袋してた僕が熱いと思うんだから、結構高いよ、熱。……何で髪なんか洗ったの」
「べ、別に、何ともありませんったら」
 メリルが、多少つっかえながらも反論する。
「それに髪ならもう乾いて……何で知ってるんですの?」
「君の相棒がね。乾いたらいいってもんでもないでしょ?」
 少し険しい顔で、ヴァッシュはため息をついた。
「もうちょっと自分の身体いたわって……どうしてそう無理したがるかな」
「……したくてしてるわけではありませんわよ」
 俯いたメリルが、低い声でそう呟く。
「無理しないと、あなたは私たちを放っていくじゃないですか」
 痛いところをつかれて、ヴァッシュが黙り込む。それに気づかないまま、メリルは言葉を続けた。
「無理しないと、私、あなたに追いつけない……ついていけない。そのあなたが、私に、無理するなですって? ばかも休み休みいって下さい! 私が無理したいからしてるんです、余計な」
 最後まで言わせずに、ヴァッシュはメリルの方へ手をのべて、その華奢な身体を抱き寄せた。小さな身体は、すっぽりと彼の胸の中に収まってしまう。
「……ヴァ、ヴァッシュさん……っ!?」
 驚いたようにじたばたするメリルを抱き上げて、ヴァッシュは寝台に運んで、上掛けをめくった。そこにメリルを横たえて、上掛けをシッカリと押さえつける。
 クロゼットから、余分においてある毛布も引っぱり出してきて、その上に掛けた。
 呆気にとられたように自分を見上げているメリルの表情に、笑みが漏れる。
「暖かくして、眠って。薬は持ってる?」
「……もう、飲みましたから」
 メリルの答えに、そう、とヴァッシュはうなずいた。
 寝台の端に腰掛けて、頬にかかっている髪をそっと指で払ってやる。
「ついてくるなら、早く治さなくちゃ。君の相棒が戻ってくるまでいてあげるから、眠って」
 安心させるように、にこ、と微笑みかける。とたんに、メリルが顔をしかめた。
「……ヴァッシュさんっていつもそう」
「え?」
 だいぶ冷えたてのひらをメリルの額にあてながら、ヴァッシュは不思議そうに問い返した。
「そうやって、人を安心させようとして笑うでしょう? お心遣いは嬉しいんですけど」
 言葉を区切ったメリルが、瞳を閉じる。
「でも、どこか痛いんですの……私が見たいのは、そんな笑顔じゃ、なくて……」
 薬が効いてきているのか、眠たげに言葉を紡ぐ。
「そんな顔を、させたいんじゃなくて……」
 メリルは、そのまま眠りについた。落ち着いた寝息が、静かな部屋にリズムを打つ。
しばらくヴァッシュはその寝顔を見つめていた。
 微笑みが、浮かぶ。作ったものではなく、自然に。
 意地っ張りで、頑固者で、でも誰より優しい人。
 その優しさを表現する術を持たなくて、空回りしてしまう人。
 ごめんね、と口の中で呟いて、そして気づく。この言葉じゃ、またきっと彼女は怒る。
「……ありがとう」
 熱っぽい額に、唇を落とす。
 ヴァッシュは、そっと髪を撫でてから、部屋の灯りを落とした。


vv


Snowy Cristmas

 





「雪なんて見たことありませんもの」
 メリルは、きょとんとした顔でそういった。

 それは、移動途中に立ち寄った町でのことだった。
 昼間は別行動を取っていたのだが、夕方に食堂で顔を合わせたときに、ウルフウッドがクリスマスミサを執り行うことになったことを、ミリィが報告したのである。
「……どうしてウルフウッドさんが?」
 メリルが、食後の紅茶を口元に運ぶ手を止めて首を傾げる。
「なんや、この町の牧師が去年ぽっくり逝ってしもたんやて。その葬儀は、なんとかその牧師の友人がやってくれたらしいんやけど、その後替わりがみつからんとかで」
「ふーん」
 ウイスキーに氷を放り込みながら、ヴァッシュはテーブルに肘をついた。
「それで、ウルフウッドさんが替わりを?」
「ま、そやねんけど……ゆーてもなあ、ワイも本式のミサやったことないし」
 メリルの質問に、ウルフウッドは決まり悪げに後ろ頭をがしがしかいた。
「牧師のくせに?」
 ウルフウッドにも酒瓶を差し出しながら、ヴァッシュが問う。
 グラスをヴァッシュの方に押しやって、ウルフウッドはいすの背もたれにもたれかかった。
「あーゆーのはお偉いさんがやるんや。うちの教会で子供らとやるのとは勝手がちゃう」
「でも引き受けたんですよね♪」
 ミリィの言葉に、ウルフウッドは力無く頭を垂れた。
「……そういえばミリィ、どうしてあなたがそれを知ってるんです?」
 ミリィのカップに砂糖をおとしながら、メリルが尋ねる。ミリィはそれはですねえ、と胸を張った。
「わたしそこにいたんですよ。買い物してたらばったり牧師さんにあって、それでわたしが牧師さんって呼んだのを町の人が聞いててそれで」
「頼まれたの?」
 完全に事態を面白がっているヴァッシュの問いに、うなだれたウルフウッドの首が小さく縦に振られる。
「嬢ちゃんと一緒におったんが敗因や」
「何か負けたんですか? 牧師さん」
「想像はつきますわ」
 紅茶のカップをソーサーに戻しながら、メリルが口を開く。
「どうせ、ミリィあなたこう言ったんでしょ? 『牧師さんミサやるんですか!? わたしも出たいです』って」
「すごおい先輩! 念ずれば花開くって奴ですね!」
「違いましてよミリィ」
 力のない笑顔でメリルがやんわりと突っ込む。ヴァッシュはにやにや笑いながら自分のグラスを目の高さに掲げた。
「押しに弱いよねえ、君」
「どでかいお世話や。お前はあのお嬢ちゃんにじっと無言でプリン見つめられて『欲しいんか?』て尋ねずに立ち去れるんか!?」
「ま、それはそれとして」
 ひとしきり笑い転げてから、ヴァッシュは話題を仕切りなおした。
「いいんじゃない? 君がいつもやってたようなのでさ。この町の人だって、そんな形式張ったものをしたがってるんじゃないんでしょ?」
「まあ、向こうも簡単なもんでええとは言っとったけど」
 おやつのケーキを平らげてミリィが首を傾げる。
「ミサって何やるんですか?」
「まあクリスマスにちなんだ説教、賛美歌、聖書の朗読、そんなもんかな」
 ウルフウッドが指折りながら数える。ヴァッシュが少し考えて、あ、と声をあげた。
「キャンドルサービスは? あれは綺麗だよ」
「ああ、ろうそく用意できるんやったらそれもええな」
 ウルフウッドがうなずく。果実酒の蜂蜜割りをカウンターに注文してから、メリルはヴァッシュに向き直った。
「ヴァッシュさん、ミサに出られたことあるんですの?」
「うーん、何度かはね。でも昔、記録映像でみた地球のクリスマスが印象深くて」
「地球の!?」
 ミリィがテーブルに身を乗り出す。ウルフウッドもヴァッシュの方へ視線を向けた。
「うん。街の広場……公園かな? の木をたくさんの小さい電球で飾ってね、大きなクリスマスツリーが据えられて、それが真っ白な景色の中できらきら光ってて」
「どうして真っ白なんですの?」
 メリルが首を傾げた。
「雪が積もってるんだよ。あ、ひょっとして雪知らない?」
「大兄ちゃんから聞いたことあります! 雨が凍ってシャーベットみたいになってるんでしょ?」
 ミリィが元気良く手を挙げる。ヴァッシュは苦笑した。
「うーん……それはどっちかって言うと霙かな。雪がもうちょっととけた奴」
 しばらく3人は見たことない雪と霙の違いを考えていたが、結局ぴんとこなかったようだ。
「雪なんて見たことありませんもの。どう違うかと言われても、わかりませんわよ」
 最後の方は肩をすくめながら、メリルはそう言った。

 それもそうか、と自分の部屋の寝台に寝ころんでヴァッシュは思う。
 いくらこの星の砂漠の夜が息が白くなるほど寒いとは言っても、そもそも雨が降りにくいのだから雪など見たことがなくて当たり前なのだ。
 シップの中で人工雪にふれたときの感触はもう遠いものになってはいるけれど。
『そんなに綺麗なものでしたら、一度見てみたいものですわね』
 説明しようとして結局自分も訳が分からなくなったヴァッシュに、そう言ったメリルの言葉を思い出す。
「雪かあ……」
 そう呟いたとき、ふとひらめくものがあった。

 ろうそくは街の人たちの協力で集まり、キャンドルサービスも執り行われた。
 照明を落とした教会の中で、いくつもの柔らかな灯りが揺らめく光景は好奇心半分で参加したヴァッシュ達ですら厳かな気分にさせた。
 最後の祈りの唱和が終わり、キャンドルを手に家路につく人々の列を見送りながら、メリルがほう、と息をついた。
「いいミサでしたわね。牧師らしいウルフウッドさんを我慢できるか不安だったんですけれど」
「あははは。酷いね君も」
「笑っておいて何言ってるんですの」
 そういうメリルの口調はきついが、瞳は笑っていた。
 左斜め下後方にある、メリルの顔にちら、と目をやって、ヴァッシュはその手をとる。
「!?」
 驚いてメリルが彼を見上げた。自分の胸より低い位置にあるすみれ色の瞳に、にこ、と微笑んでみせる。
「ちょっと付き合わない? 見せたいものがあるんだ」
「……え? あ、はい……?」
 訝しげな表情のまま、うなずいたメリルの手を引いて、ヴァッシュは目的地へずんずん進んだ。 


「ご苦労様でした、牧師さん!」
 街の人々がお礼代わりに置いていったパンやキャンディー、焼き菓子などをバスケットにまとめながら、ミリィは満面の笑顔でウルフウッドをねぎらった。
「あー慣れんコトすると肩凝るわ」
 こきこきと肩をならしながら、ウルフウッドがごちる。
「そんなことないですよ! なんだか本当に神様がわたしの横に座ってるみたいな気がしました」
 まとめ終わったバスケットに布を掛けて、胸に抱きしめてミリィは笑う。ウルフウッドも、つられて笑みを浮かべた。
「……おおきに。そない言うてもらえたら気い楽やわ」
「町の人たちも幸せそうでしたね。やっぱり牧師さんてすごいです」
「別になんもすごかないで」
 ほめすぎやがな、と苦笑するウルフウッドに、ミリィは首を振る。
「すごいですよ。あんなにたくさんの人に、幸せそうな笑顔プレゼントできるんですもん」
 ウルフウッドは、何かまぶしいものでも見るように、目を細めた。それはひどく微笑みに似ていた。
「じゃ、わたしこれ片づけちゃいますね。先輩たち先帰っちゃったのかなあ」
 ぱたぱた遠くへ行く背中を見送って、ウルフウッドはタバコに火をつけた。煙を吸い込んで、溜め息と一緒に吐き出す。
「……すごいんは、そっちやろ……」 
 呟きは、ミリィの元へは届かない。届けない。
 ウルフウッドは、くゆる煙を出口の方へ吹いて散らした。


 ヴァッシュに手を引かれてやってきたのは、この町の中心部にあるプラント施設だった。
「ヴァッシュさん、ここ……」
 言いよどむメリルの目の前で、ヴァッシュは彼の背丈より高さのある、半地下へ潜る通路へ飛び降りる。
「大丈夫、ここ誰もいないから。はい」
 言って、ヴァッシュがメリルに手をのべる。
「……はいって……なんですの?」
「え? 飛び降りるの。支えてあげるから、はい」
 一瞬の間をおいて、メリルは自分の頬に一気に血が上ったのを自覚した。
「一人で降りれます!」
 そういって、その場にしゃがみ込もうとするメリルに、ヴァッシュはあわてた。
「ちょ、ちょっとストップ保険屋さん! その体勢はまずいって僕!」
 言われて自分を見下ろしたメリルは、さらに顔を赤くして、ミニのタイトスカートの裾を押さえながら立ち上がった。いくらタイツをはいているとは言っても、気持ちとしては恥ずかしい。
「だからふつーにそのまま飛び降りてったら」
「どっちも恥ずかしいです!」
 メリルは叫んだ。このまま飛び降りたら、ヴァッシュに抱き止められることになる。それはそれで彼女には十分恥ずかしかった。
「誰も見てないって」
「私が恥ずかしいんです!」
 苦笑しながらのヴァッシュのセリフに、メリルは反論する。ヴァッシュは今度は可笑しそうに口元をゆるめた。
「いいからおいで。ちゃんと支えるから」
 子どもをなだめるような口調に、メリルは小さな唇をとがらせる。しばらく迷った末に、彼女は渋々飛び降りることにした。
 えいっとばかりに地面を蹴ると、一瞬の浮遊感がメリルを包む。次の瞬間、彼女はヴァッシュに易々と抱き止められていた。
「あれだけデリンジャー下げてるのに……ちゃんと食べてる?」
 すとん、と地面に下ろしながらのヴァッシュのセリフに、メリルは食べてますわよ、とすねたように答えた。
「それより離して下さいません事!?」
「あ、うん」
 支えていた手を離したヴァッシュは、その手で再びメリルの手をとる。
「こっちこっち」
「ちょ、ちょっとヴァッシュさん……!」
「ん?」
 手、離れてませんわよ、という言葉をすんでの所で飲み込んで、メリルは別のことを口にした。
「どこに行くんですの? このあたり立入禁止なんじゃ」
「大丈夫、管理のおじさんとは仲良しだから。今日はクリスマスで人も少ないんだ」
 ……いいのかしら、と悩んでいる間に、ヴァッシュは手早く端末に数字を打ち込んでドアを開ける。
 ドアの向こうには、不思議な淡い光に満ちた、コードとパイプだらけのただっぴろい空間。
 そこへ促されるままに足を踏み入れて、メリルは上を見上げ息を呑んだ。
「プラント……!?」
「そう。この町の電力プラント」
 言いながら、ヴァッシュがメリルの手を離して壁際にある端末操作盤へと向かう。
「でも今日はクリスマスだから。毎年、あまり電力いらないんだって。だから、一部だけこっちに回して……」
 説明しながら、ヴァッシュの指がキーボードを叩く。一通り打ち込み終わったのか、ヴァッシュはプラント見上げた。
「ちょっとだけ、頼み聞いてくれよね」
 微笑みかけて、ヴァッシュは視線をメリルに移す。そこ動かないでね、と、とまどったままの彼女に念を押し、最後のキーを押し下げた。
「……なんですの?」
 作業を終えて、彼女の方へ歩いてくるヴァッシュに尋ねたメリルの頬に、何か冷たいものが触れた。
「つめたっ」
 首をすくめて頬を押さえた彼女の手のひらに、ひんやりとした水滴がつく。
「え?」
 ふと視界の端を、何か白い小さなものが落ちていく。
「な、なに……!?」
 あわてて振り仰ぐと、そこには米粒ほどの小さい白い粒がたくさん舞い降りてきては、メリルの頬に瞼に髪に手のひらに落ちてくる。
 しばらく呆然としていたメリルは、はっとして、すぐ傍らにたたずんでいたヴァッシュの碧色の瞳を見上げた。
「まさか、これ……!」
「うん。雪」
 ひとつうなずいてから、ヴァッシュも上を仰ぐ。
「綺麗だろ? これがホームでは空から一面に降って来るんだって」
 笑ったままの顔に、寂しげな影がよぎる。
「それは綺麗なんだって……音も色も全部吸い込んで、もう一度まっさらにするんだって」
 遠くを見つめる瞳。そんな瞳を彼が見せるたびに、メリルは目を伏せる。
 立ち入れない。この人は、何かを心に抱え込んで、それを誰にも見せようとしない。
 でもそれは、きっとこの人の一番大事なところだから、だから何も言わない。
 気づかぬ振りをして、ただ黙り込む。
 それは、メリルの精一杯の強がりでもあったけれど。
「君に、見せようと思って」
 声に、メリルはヴァッシュを見上げた。先ほどの影は、瞳から消えていて、メリルは少しほっとした。
「私に?」
 おうむ返しに問い返してから、メリルは首を傾げた。
「うん。クリスマスプレゼント」
 しばらく、何も言葉が出てこずに、メリルは呆然とヴァッシュを見上げていた。
「……あ」
 掠れたような声が喉から出たのは、ヴァッシュが、メリルの髪についた雪を払おうと腕を伸ばしたときだった。
「あ?」
 短くそろえられた、夜の色をした髪から白い雪を払いながら、ヴァッシュは尋ねる。
「ありがとう、ございます……」
 唇から漏れる言葉は、感情を表して不安定に揺れていた。それに気がついて、メリルは視線を足元に落とす。何度か瞬きをして、ゆるみかけた涙腺を叱咤する。
 幾分落ち着いたのを自分自身で確認すると、メリルはもう一度、ヴァッシュの瞳を見上げた。
「今まで頂いた中で、一番嬉しいプレゼントですわ」
 自然と、笑みがほころんだ。ヴァッシュが嬉しそうに、うん、とうなずく。
 2人のまわりだけに音もなく降りしきる雪の中、メリルはまあいいか、と思った。
 今、横にいられるのだから。 こうして、同じものを見上げることができるのだから。
「……寒くない?」
「大丈夫ですわ」
 手のひらの上で溶ける雪を飽きもせずに眺めているメリルに、ヴァッシュは微笑んだ。
 そっと、その細い肩を、降りしきる雪から守るように抱き寄せる。
 猫が触れられて身じろぐ様を思わせる動作で、メリルが顔を上げた。
「風邪ひいたら大変でしょ?」
 肩に置かれた手に、居心地悪そうに身をすくめていたメリルは、ふ、とため息をついて瞳を閉じた。
「そうですわね。誰かさんはすぐに人を放ってどこかへ行くんですから」
「ひどいな」
 片目を開けて見上げたヴァッシュの顔は笑っていて、メリルも安心して笑った。

 大切にしよう。
 時は流れ、頬に触れる冷たさも、肩に置かれた手のひらの暖かな重みも、いずれは消えて行くけれど。
 確かに消えないものを、心に刻んでおこう。


「……これ、ミリィ達に持って帰ってあげられないかしら」
「……雪だるまにしてみよっか」
「なんですの、それ?」


vm


そのてのひらの

 




 ヴァッシュの故郷とも言うべきシップの中で繰り広げられた戦いの傷跡から、住民達が立ち直り始めた頃。
 当のヴァッシュとウルフウッドは、寝台の上で、退屈な療養生活を余儀なくされていた。
「本当にもう大丈夫なんだって! ほらぴんぴんしてるんだから」
「あなたの口から出る言葉である限り信用できませんわね。先生がまだ、とおっしゃってるんですから」
 見慣れた白いマントではなく、衛生服を身につけたメリルにぴしゃりと言われ、ヴァッシュは視線を宙にさまよわせた。
 戦いの後に気を失い、次に目が覚めたときにはすでに彼女とその後輩は衛生服を着てシップの中での位置を確保していた。
 本来保険屋の彼女たちが、どうしてそんなことになっているのかは知らなかったが。
「ほら、腕見せてください」
 ガーゼと包帯の乗ったトレイを寝台の脇に置いて、彼に向き直るメリルの白い手をそっと握る。
「……ヴァッシュさん?」
「僕ってそんなに信用ない……?」
 上目遣いに泣き落としにかける。
 しかしメリルは、は、と短いため息をついた。
「……ご自分の胸に手をあててよおく考えてください」
 言って、ヴァッシュの手の中から自分の手を引き抜く。
「ないの!? やっぱり!?」
「当たり前です。さ、腕見せてください」
 きっぱりと答えるとメリルは、ヴァッシュに背を向けてガーゼを適当な大きさにカットし始めた。
 彼女は、自分の頬に上った熱を冷ますことに必死だったので、ヴァッシュが自分のてのひらを複雑な顔で見つめていたことに気づかなかった。
 どうもしばらくうとうとしていたらしい。ヴァッシュは、誰かの話し声に引きずられるように、ゆっくりと目を開けた。
「えーっ、そうですよ、私と先輩でやったんです! なんでわかったんですか牧師さん!」
 カーテンの向こうから、一応いくぶんボリュームを抑えた感嘆の叫びが聞こえてくる。
「あんなお嬢ちゃん、世の中広いっつっても、あのスタンガン扱える女がどんだけいると思てんねん」
「そですね、あんまり見かけませんねえ」
 あんまりどころか全然だ。ヴァッシュは心の中でそう突っ込んだが、ウルフウッドもしばらく無言だったのでおそらく同じ事を思っていたのだろう。
 どうやら、保険屋さんの片割れが、やはり隣の寝台にくくりつけられているウルフウッドとおしゃべりをしているようだった。
「けど、来とったんならなんで顔も見せんかったんや?  あの時トンガリ捕まえて恩売っといたら、ここ来るのも楽やったやろうに」
「あ、あのときは有給休暇だったんですよ! お仕事命じられてたのは、あくまであの……ナントカって人でしたから」
「なんや、ボランティアか?」
「はい!」
 ヴァッシュは首をひねった。
 ……なんの話だろう。そもそも、この二人にそうまで共通する話題があるとも思えないのだが。
「仕事やないのにごくろーさんやなあ。ほっといても死にゃせんで、あの男は」
 どうやらそれが自分のことらしいことに気づいて、ヴァッシュは憮然とする。
「……ひょっとして牧師さん、私たちがお仕事だからヴァッシュさん追っかけてると思ってます?」
 ミリィの問いに、違うんか、とウルフウッドが問い返す。
 ヴァッシュも答えを聞こうと、ちょっと体を話し声のする方へ動かしたとき、いきなりドアが開く音がして、二人があわてて口を閉じる気配がした。
「……何あわててますの?」
 メリルの声だ。いすから立ち上がる音がする。
「あ、先輩! ジェシカさんのお手伝い終わったんですか?」
「ええ、終わりましたけど……2人とも、ヴァッシュさん休んでおられるようですから、静かに……」
 言って、彼女がこちらのカーテンを開ける。ヴァッシュはあわてて目を閉じた。
「ミリィ、交代で食事取りましょうって。あなた先にお行きなさいな」
 声をかけながら、彼女のてのひらがそっとヴァッシュの額にあてられる。 水仕事をしていたのか、その手はひんやりと湿っていた。
 仕事じゃないのなら、何故。
 そう尋ねたかったが、ヴァッシュは寝たフリを続けた。
 ああ、思い出した。
 リィナとばあちゃんと暮らしたあの村から旅立って、しばらくしてから、ベルナルデリ保険協会から派遣されてきた男が、自分を殺そうとして失敗した件の話か。
 白い天井を見上げながら、ヴァッシュはあのときのことを思い出していた。
 確か、自分があの男に撃たれて病院にかつぎ込まれた後、何故かあの男もひどい怪我をして入院してきたあげく、ウルフウッドによってタバスコの洗礼を受けたはずだった。
 じゃああの時も、彼女たちは助けてくれたのか。
 仕事でもないのに。
 ヴァッシュは寝返りを打って、枕に左の頬を押しつける。
 いけないな、と苦笑する。彼女たちと出会った頃ならいざ知らず……今は、状況はせっぱ詰まってきている。巻き込むわけにはいかない。
 2年前にも告げたはずの言葉を、とったはずの行動を、もう一度繰り返さなければならないのか。
 あのとき、あの状況で、自分の左頬を思いっきりひっぱたいたときの、メリルのすみれ色の瞳を今でも覚えている。
 彼女自身の命の心配より、自分の心配をして、涙を流した彼女を覚えている。
 まっすぐに、何もかも見透かすように、見上げてくる瞳の力の強さは、2年経っても変わっていなかったから。
 さて、どうやって置いていこうか。
 ヴァッシュは、そう考えて、あまりの難しさにめまいを覚えた。
 ここなら、多分もう安全だろう。ジェシカやルイーダもいるし、仲良くやっているみたいだし。
 しかし、残れと言われて残る人たちじゃない。置いていったところで、きっとまた追いかけてくるだろう。
 まいてまいてまきまくるにしても限界というものがあるし、彼女たちは何度はぐれても自分を見つけているのだ。
 一番簡単なのは、傷つけて切り捨てることだ。もう、自分とは二度と関わりたくないと思わせるほどに傷つけて、置いていく。
 それは同時に、あの瞳を曇らせることになる。あの暖かな、小さなてのひらを、手放すことを意味する。
 ヴァッシュは、枕に顔を埋めた。だめだ。そんな事は思ってはいけない。
「……わかってるさ、置いていくよ。なんと言われても、巻き込むわけにはいかないからね……」  
 自分自身に納得させるように口にした呟きは、柔らかな枕に吸い込まれた。

起きあがっても良くなった2日後に、またもやヴァッシュは手術台の上にくくりつけられる羽目になってしまった。
「麻酔が切れるまでは動いちゃ駄目ですわよ」
 義手の手術のための局部麻酔がまだ効いているので、違和感にもぞもぞしているヴァッシュに、後片づけをしていたメリルが声をかける。
「動けるのに……」
「駄目なものは駄目です。どうしてあなたって人は、見ている人間が痛くなるような戦い方しかできないんですの?」
 使わなかった包帯や洗浄に回す器具をひとまとめにして、ワゴンを廊下に出してから、メリルはヴァッシュの枕元に置いてあるいすに腰掛けた。
「あなたが誰かが傷つくのを見たくないように、あなたが傷つくことが痛い人間だっているんです。ジェシカさんの悲鳴を聞かせたかったですわよ、全く」
 言いながら彼女は、持って入ってきたかごの中から、先ほど襲われたときに彼が着ていた元カッターシャツを取り上げると、縫い目の糸をほどき始めた。
「……どうするの? それ……」
「布は布ですから。雑巾にくらいなりますわよ。きっと」
 単調な作業を繰り返す、メリルの手元を眺める。細い指が器用に動く。
 ふと視線をあげたメリルの瞳にぶつかって、ヴァッシュは意味もなくうろたえた。
「何か?」
「え、あ、えーっと、その……助けてくれてありがとう」
 唐突なセリフに、作業の手を止めてメリルが眉をひそめる。
「今日助けていただいたのは私ですけれど……」
「いや、今日じゃなくて! その、メルドレークで、君の後任の人から」
「!」  
メリルが息をのむ。ややあってから、飲み込んだ息を吐き出した。
「ミリィですわね。あれほど言っておいたのに」
「あ、違う違う。僕が立ち聞き……いやねてたけど、したんだ」  
あきれたように絶句して、メリルは作業に戻った。
「礼を言っていただくには及びませんわ。うちの社のものがご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「けど」
「私たちは休暇の途中で、たまたま寄っただけですから。お気になさらず」
「仕事でもないのに?」
 言うと、ハサミをおいて、彼女はうっすらと笑みを浮かべた。
「ボランティアですわ。誰かさんのお人好しの首突っ込みたがりやが移ったみたいで」
「……僕のこと、それは……?」  
 くすくす笑いながら、メリルがかごを持って立ち上がった。
「じゃ、ちょっとはずしますけど、まだ休んでいてくださいね」
 ドアの向こうに華奢な背中が消えて、ヴァッシュはため息をついた。
「あれ、先輩いないんですか?」
 入れ替わりに、ミリィがやってきた。片手でホールドしたお盆に、水差しとコップが乗っている。
「今出てったよ。そう遠くへは行ってないと思うけど」
「そですか。ヴァッシュさんノド渇いてるだろうから、冷ましたお茶持ってきたんですけど」
「ありがとう」
 どういたしまして、と屈託なく笑いながら、ミリィが吸い口にお茶を注ぐ。渡されたお茶を一口飲んで、ヴァッシュは保険屋さん、と話しかけた。
「はい?」
「お仕事熱心なのはわかるけど……僕に関わると危ないことはわかってるだろう?」
「そりゃーもう。毎日ドキドキはらはらですねえ」
 のんきに答えるミリィに、ヴァッシュはかっくりと肩の力を落とした。
「だったらさ、もうやめちゃって帰らない?」
 ミリィがお茶を注いでいた手を止める。しばらくヴァッシュの顔をじっと見つめて、それからにぱ、と笑って見せた。
「ヴァッシュさん、わかってないですね」
「……何を?」
「先輩は、あ、もちろん私も、このお仕事を選んだんです。断ることだって出来たんですけど、でも選んだんです。危ないことくらい知ってます」
 やっぱり普通の説得じゃ無理だよ、とヴァッシュはため息をついた。
「足手まといですか?」
 核心をつかれて、ヴァッシュは絶句したまま、ミリィの目を見返した。
「そりゃ、ヴァッシュさんや牧師さんに比べたら、私らなんてへのカッパですけど、でもこうやってお手伝いするくらいなら出来ますよ?」
「……わかってるよ。何度も助けてもらってるのも……ちゃんと、知ってる」
 けれど、それでも。
 今回はこのシップがねらわれた。次に、そのねらいが彼女たちではないと言う保証がどこにあるか。
 もう巻き込めない。自分のせいで、誰かが傷つくところなんて見たくない。
 これ以上、増やしちゃいけない。
「あら、ミリィ、こっちにいたんですの?」
 声に顔を上げると、首を傾げるようにして、メリルが入り口の所に立っていた。
「あ、先輩、聞いてくださいよう! ヴァッシュさんったらまた帰れって言うんですよお!」
 あちゃ、とヴァッシュは動く右手で額を押さえた。百倍くらいになって怒りの反論が返ってくるに違いない。
 しかし、予想に反して、メリルは表情も変えずに口を開いた。
「ま、ヴァッシュさんならそんなところでしょうね」
「……それだけ?」
「何か他に言って欲しいんですの?」
 シンプルな答えに、ヴァッシュは口の中でもごもごと、いや別に、と呟いた。
「どうせ平行線ですから、この話はおしまいにしましょう。ミリィ、夕飯の支度手伝いに行きますわよ」
「はーい!」
 ミリィが扉をくぐるのを待ってかかとを巡らしかけたメリルが、立ち止まって振り返る。
「ヴァッシュさん」
「はいっなんでしょう!?」
 時間差で反論が来るのかと身構えたヴァッシュに、メリルはふっと頬の力を緩めた。
 微笑み、と言うほど力のあるものでなく。
「……ちゃんと、休んでて下さいね」
 イナクナラナイデクダサイネ。
 そう聞こえた気がして、ヴァッシュは、返事をすることが出来なかった。
 けれど、それでも。置いていくことしか出来なくて。
 きっと怒るだろう。追いかけて来るんだろう。
 傷つけたくないだけなのに、ただそれだけなのに。

「どないしたんや?」
 シップを夜更けに抜け出して、砂漠を横切りながら、すでに砂嵐の中にある故郷を振り返ったヴァッシュに、ウルフウッドが声をかける。
「うん……そろそろ気づいた頃かなと思って。みんな」
「どうせ追いかけてくるんとちゃうんか?」
 ヴァッシュは答えなかった。
「選ばなならん時が、きっと来るで」
「わかってるよ」
 この風なら、砂に刻まれた足跡も、きっと消えてしまうだろう。
 それでいい。追いかけてこないでくれ。見つけないでくれ。


 たとえあのてのひらのぬくもりを、失うことになっても。

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