My Sweet Darlin' 1
なにもないところで転倒した。
これは蜉蝣には非常に珍しいことだった。
眼光鋭く口数少なく、セクシーな片目の眼帯、美しい髭、割れ顎までも隙がない。それでいて長い黒髪は公家の姫のごとくつやつやでサラサラ、けっしてガッチリ体型じゃないのに鍛えこまれたその肉体。
兵庫水軍の四功のひとりとして、重責をまかせられてもいる。第三協栄丸が船酔いなどで使いものにならない場合、リーダーとして采配をふるうのが彼だった。とにかく優秀で人望も厚い。
その彼が転倒した。
(な、なんだ……)
自分でも状況がよくわからなかった。
船の上だ。母港が間近に見えている。警固の仕事の帰りだった。
甲板の上でなにかにすべったのかと、あたりを見回すが。
(なんにもねえな……。濡れてもいねえ)
怪我はしていなかった。膝をぶつけたが、痛みもさほどじゃない。
(よかった。だれにも見られてなくて)
ホッとしたのもつかのま、声をかけられた。
「おいおい……。ひとりでなにコケ芸の練習してんの?」
ハッとしてふりむくと、四功仲間の疾風だ。見られていたようだ。蜉蝣はこっそり眉をひそめる。
「芸じゃねえ」
ぼそりと言ってやる。
「なおさらおまえらしくねえな。今夜の余興の練習かと思ったぜ」
助け起こしてくれながら、疾風。
任務が終わって無事帰港すると、その晩はたいてい打ち上げと称した大宴会となるのだ。ちなみに蜉蝣は余興を披露したことは一度もない。若手たちには堅物と思われているので、そのイメージをくずしたくなかった。
「余興なんか……」
言いかけると、遮られる。
「なんか熱くね? おまえ、熱あんじゃねえ?」
疾風は蜉蝣の腕を持っていた手を、額に当てた。
「やっぱ熱い……。ような気がする」
「そうか? 気のせいだろ」
「かなあ。でも俺、ふつうの奴より平熱高めなんだけどなあ」
というだけで、このときは終わった。
船は無事帰港し、構成員たちは水軍館に戻った。
時刻は夕刻。若手たちは大宴会の準備に忙しい。
第三・第四をまじえ、蜉蝣ほか四功の幹部たちは、今回の任務についてエグジットミーティングをおこなっていた。
場所は会議室と称した小部屋だ。今回の任務についておさらいし、反省点などを提議して語り合う。今回はとくだんの問題もなく、若手のひとりが呼びにあらわれるまで世間話に花が咲いた。
「宴会の準備ができたっす!! 皆さん、食堂にどうぞ!!」
という航に、
「よーし! 飲むぞー☆」
元気いっぱいの疾風、はやくも陸酔いで青い顔をしている鬼蜘蛛丸は、
「俺も……。酒で陸酔い忘れてえ……」
悲しげにぼやく。
それから気づいたようだ。
「蜉蝣兄貴、陸酔いされてないみたいっすね」
そう言われて蜉蝣も気がついた。
「うむ。そういえばそうだな……」
さすがにキャリアの差か、陸酔い度は鬼蜘蛛丸より激しいはずの彼だ。これは妙なことだった。
「あまり酒も飲みてえとは思わんが……」
とはいえ宴会だ。とりあえずほかの面々とともに、食堂へむかう。
その途中で、また転倒しそうになった。
「うお……」
またしても、なにもないところでだ。いつもの廊下だ。お留守番役の若手がきちんと掃除しているので、障害物や汚れなどはなかった。
「ど、どうしたんすか! 蜉蝣兄貴!」
陸酔いながらも背後から鬼蜘蛛丸が支えてくれる。兵庫水軍随一のでかさを誇るこの男は、こういうときひどく頼りになる。
「いや……。どうしたんだろうな」
蜉蝣本人にもわけがわからない。自分の足につまずいたというわけでもない。そんなアホなまねができるほどくだけた人格じゃない。
そして鬼蜘蛛丸にも言われた。
「兄貴、なんか熱いすよ。お熱があるんじゃないすか?」
でかいてのひらで、疾風がそうしたように蜉蝣の額にふれてくる。
「やっぱ熱いす。俺、ふつうの人より平熱高いほうだけど。蜉蝣兄貴のほうが熱いっす」
疾風と似たようなことを言うのだ。しかし蜉蝣には自覚がない。
「いや……。自分じゃべつに異常は感じられんが……」
そうこうしながら食堂にたどりつく。
楽しい大宴会はそれはそれは楽しく、若手たちの一発芸あり、疾風のセクハラまがいのヌードショーあり、非常に盛り上がった。
その途中から、蜉蝣はやっと自覚症状を覚えてきた。
(美味くねえ……)
酒がまずい。のだ。
もともとさほど飲むほうじゃない。酒好きじゃない、というだけで、飲めと言われれば底なしに飲めるが、今夜の酒は味がしなかった。
「これ……。水か?」
ためしに隣にお酌にきていた舳丸に聞いてみる。
東南風についで非常に口数の少ないこの男の答えは、簡単だった。
「酒っす」
「そうか……」
首をかしげる蜉蝣。舳丸も不思議そうに首をかしげ、同じ銚子から手酌で舐めてみる様子。
そして例によって短い言葉で。
「やっぱ酒っす」
「そうか……」
おおまじめな舳丸に、おおまじめな蜉蝣だ。このやりとりをそばで見ていた重が、
「どしたんすか?」
と、やってくる。こっちはいいように酔っ払って、ひどく楽しい酒らしい。
「蜉蝣兄貴も踊りましょうよー♪ みよちゃんも、ホラ☆」
酔うと『みよちゃん』呼ばわりができるくらいにひらきなおってきたようだ。若手ふたりの恋(?)は、蜉蝣も承知している。仲良きことはよきことかな、と、水練ふたりの恋(?)を、ひそかに応援してもいた。
だが、重と舳丸に両側から腕をつかまれ、よくわからない踊りの輪に入れられようとして。
「…………」
蜉蝣は戸惑った。
重と舳丸も同様だった。
「? 蜉蝣兄貴?」
と舳丸。
「どしたんすか? 飲みすぎ?」
とは重。
けっして飲みすぎてはいない。ふだんにくらべて極端に酒量は少ない。なにしろ味がしないのだ。うまくないからたいして飲んでいなかった。
なのに、脚が立たない……。のだ。
「おかしいな」
しごく冷静に蜉蝣は答える。舳丸は無表情に、重は表情豊かにびびったようだ。
「おかしいっす!! だいじょうぶっすか!?」
と重。その叫びに構成員たちも集まってくる。
だが、クールな切れ者・蜉蝣としては、ことをおおごとにしたくない。
「いや……。大丈夫だ。なんでもねえ」
いちおう言ったが、却下された。
由良四郎が進み出て、蜉蝣の額に手を当てたのだ。
「すごい高熱だよ。よく意識を保っていられるね……」
へんなところで感動されてしまった。
「足腰立たないだろう? だれか、担架用意して」
兵庫水軍随一の知性派、いざとなったら船医の役目もこなす由良四郎だ。若手がそれ! とばかりに担架を取りに走る。
「いや、私は平気だ。担架なんてそんな……。おおごとにしないでくれ……」
という蜉蝣の抵抗はむなしい。
あっというまに担ぎ上げられ、担架に乗せられ、えっほ、えっほ、と私室に運びこまれてしまったのだった。
『蜉蝣兄貴・病に倒れる』の報は、宴会さわぎのおかげでなしくず的にすぐに忘れられた。
(よかった……)
あくまでおおごとにしたくない蜉蝣だ。私室でひとり、布団にのびていた。
遠くからどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。
(明後日にはまた警固で出航だしな。今のうちにみんな、羽目をはずしておくといい……)
などと、病だというのに構成員たちのことを思いやってしまうのはこの男の習性だ。
いちおう由良四郎のみたてでは、『たぶん風邪?』というアバウトなものだった。詳しい診断は専門医に診せなければわからないのだ。
(悪いものは食ってねえし、寝冷えした覚えもねえし……。いつも通りに生活してたつもりだが)
蜉蝣のようにまじめな男には、病はすなわち『自己管理のずさんさ』になってしまうのだ。そこで余計な責任感を覚えてしまう。
(船上で転んだときからおかしかったんだな、。ということは、寄航先でなにかあっただろうか……)
原因を追究しているうちに、由良四郎に強引に飲ませられた安定剤が効いてきた。
いつのまにか眠ってしまっていた。
目覚めると、酒臭かった。
(…………)
朝陽がさしこんでいた。よって室内はよく見えた。
蜉蝣の布団に、ふとどきにも同衾している者がいた。
「おまえ……」
疾風だった。いい感じに酒臭さをただよわせ、いびきをかいて蜉蝣に抱きついている。
「起きろ」
蜉蝣は蹴飛ばしてやった。それで疾風も目を覚ました。
「うーん……。あ、元気になったか?」
疾風は異様に寝起きがいい。目があいた瞬間に100パーセント全開に脳が活動する男だ。対する蜉蝣は、寝起きはあまりよくない。彼の脳を起動させるのは、あくまで自分は四功で幹部だという責任感だ。
疾風は起き上がりながら、蜉蝣の額に手を当ててきた。
「だめだな。まだ熱いぜ。昨日より」
「…………」
「気分どう? 腹減ってる?」
たずねるので、蜉蝣はうんと険悪に答えてやった。
「……酒臭え。気分悪い」
疾風は悪びれずにヘラリと笑った。
「ゴメン☆ んじゃ、酒気が抜けたらまた来るわ♪」
と、部屋を出てゆく。
「お大事にな~~~♪」
との言葉を残して。
蜉蝣は溜息をついた。
疾風とは赤ん坊のころからの付き合いだ。先代お頭の時代に水軍館前に置き捨てられていたのを、ここまで鍛えてもらったのだ。
幼なじみで、だれよりもよく知っている。
(いや。知っている、つもりだったが……)
蜉蝣とは対照的に、陸酔いもなく酒好き女好きケンカ好きで血の気も多い。粗忽というかおっちょこちょいな部分もある。同い年でキャリアがほとんど同じでも、第三協栄丸が使い物にならなくなったときに蜉蝣がリーダー役をまかせられるのは、その性格の違いが理由だった。
そのぶん疾風は若手たちに人気がある。蜉蝣よりは話しやすい親しみやすい人柄だからだ。ふたりはそうやって、自分たちの役割を無言のままに分担していた。言葉はいらないほどに、おたがいを知っているのだ。
(あいつなりに心配してるってことか。私のことを)
今朝の同衾を、蜉蝣はそう解釈した。
しかしながら、蜉蝣の病はなかなか好転しなかった。
「『たぶん風邪?』じゃ、ないかもしれませんねえ……」
枕元で声がしたので、目をあけた。
いつのまにかまた眠ってしまっていた。
若手たちにはひそかに鬼の霍乱と言われたこの病、第三第四と由良四郎が布団のそばにいた。
「熱が下がらないんですよ」
という由良四郎。
「解熱剤が効かないってことは……」
深刻そうに腕組みをする。蜉蝣はなんとか声を出す。
「いや、だいじょうぶっす。もうしばらく寝てれば治る……」
ところが由良四郎に制された。
「あんたねえ。いつもそうやって無理してっから。もういい年なんだから、我慢強いのもいいかげんにしなさいよ」
これは効いた。『いい年』の部分がとくに。
「う……」
蜉蝣だって、考えないわけじゃなかったのだ。半分眠りながら、
(私ももう若くねえってことか……)
などと。ただの風邪なら寝込んだことなどなかった。足腰が立たなくなるほどの高熱を発したこともだ。
いっぽう、第三第四はなにか相談する様子だ。
「とりあえず、明日からの任務はおまえは病欠だ」
と、第三。蜉蝣はなけなしの抵抗を見せる。
「いや、今夜じゅうに治ります。治します!!」
しかし第四は言った。
「そうは思えねえよ。専門医に診せねえといかんな。手配してくるわ」
と、部屋を出てゆく。
「ま、待ってくださいっす……」
蜉蝣の訴えはむなしい。鬼の霍乱は意外と重症だと、大幹部たちに判断されてしまったのだ。
My Sweet Darlin' 2
大幹部たちの判断は正しかった。
蜉蝣の熱は、翌朝になっても下がらなかったのだ。
第三第四は福富屋ルートで専門医を連れてきてくれた。その診断によると。
「いわゆる南蛮風邪ですね」
とのことだった。つまりインフルエンザだ。陸酔いも凌駕するほどの具合の悪さはそのせいだったのだ。
「ふつうの風邪とは違います。感染力が異常に強いこと、発熱が続くこと。関節の痛みや悪寒はありませんか?」
医師にたずねられ、朦朧とした頭で蜉蝣はかぶりをふる。
「関節も悪寒もねえっす……」
医師が言うには、
「とにかく安静第一です。あと、なるべく隔離して。他人との接触を避けること。食器や洗面具なども彼専用のものを用意してあげてください。そうしないと感染します」
とのことだ。
蜉蝣が海賊であることからして、
「先の寄航先でウイルスをもらってしまったんでしょうね。ほかの海賊さんはなんともありませんか?」
これには第三が答えた。
「具合の悪い奴はいねえっす。こいつだけ」
「それならよかった。たまたま疲れがたまっていたり、免疫力が低下していると感染しますから。あなたは少ーし、ご自分に無理をさせるのが得意なタイプじゃないですか?」
とまで見抜かれた。蜉蝣はぐうの音も出なかった。
けっきょく蜉蝣を置いて、船は出港したらしい。くやしかったが、布団の中で呻吟するしかない。
とはいっても水軍館にひとりきり、というわけじゃない。
お留守番役の若手たちがいるはずだ。陸でも仕事はそれなりにある。陸でしかできないこともある。
基本的に水軍館周辺の造園管理は若手が担当。洗濯・清掃などの下働き・小間使いも若手が担当。役付きが航海に出ているあいだは、来客応対や見回りの任務もある。いちおうこのあたりでは名門で鳴らした荒くれ海の男たちの館だ。どんな命知らずな道場破りやスパイや窃盗団が襲ってくるかわからないからだ。世間は悪に満ちているのだ。
医師は南蛮風邪専用の薬を置いていってくれた。飲んだらてきめんに眠くなり、蜉蝣はいいあんばいに意識を失った。
目を覚ましたのは、夕暮れが近くなってからだった。
がらりと私室の戸をあけられたのだ。
「おう! 今帰ったぜ!!☆」
疾風だった。蜉蝣は朦朧としつつもなんとか脳を起動させる。
「航海に出たんじゃなかったのか……」
起き上がろうとしたら、止められた。
疾風は言った。
「や、俺は辞退した」
あまりにも軽く言うので、蜉蝣はあっけにとられた。平常心なら多少怒っていたかもしれない。しかし今は発熱でそれどころじゃない。
「どうして……。四功だろう。なにかあったとき困るだろう。おまえには責任感というものがないのか……」
叱る言葉にも力がない。疾風は例によって悪びれない。
「由良ちゃんと鬼蜘蛛丸がいるしー。なんとかなんだろ」
なぜにこの男はこう軽いのか……。
しかもたらいと手ぬぐいセットを持ってきていた。
「なんのつもりだ……」
「おまえの看病すんの♪」
疾風は室内に入ってくると、戸をしめた。てきぱきと手ぬぐいをたらいの水にひたし、蜉蝣の額をぬぐうのだ。
「やめろ。感染するぞ……」
「俺、おまえと違ってストレス溜めないしー。免疫力低下っておもにストレスが原因なんだってさ。道々、お医者さんにいろいろ聞いた」
「? 道々?」
「お頭が昨日、福富屋さんに医者紹介してもらえって指令出してさ。若手が行こうとしたんだけど、俺が立候補したの。そんで超早がけでお連れしにいって、今お送りして帰ってきたとこ」
だから『今帰ったぜ☆』だったわけだ……。
と、やはりぼんやりした頭で蜉蝣は考える。
(私のためにか? どうしてそこまで……)
四功だ、というだけじゃない。疾風には疾風の仕事があるはずだ。そういったもろもろのことを放り出してまで、医師を迎えにいって送ってくるなんて。
あまつさえ、感染の危険があるというのに看病するなどという。蜉蝣は困惑した。
「背中支えてやっから。ちょっとだけ起きられるか?」
「うむ……」
と、上半身を起こすだけで、軽くめまいがする。かたわらの疾風によりかかる姿勢になった。
「おっと。ちょっと我慢な。背中拭いてやっから。……って、我慢強すぎて病気になっちまったんだよなあ。おまえ」
「余計なお世話だ……」
疾風にぬぐってもらうのは、気持ちがよかった。袖を抜かれ、首筋から腰のあたりまで、まんべんなくふいてくれる。
「相変わらずいい体♪」
疾風はうっとりと言った。
「おまえだってそうだろう……」
蜉蝣はクールに答えた。なにしろ幼なじみだ。今だって一緒に入浴したり、下帯一枚で海に入ったりもしている。
「俺の知らねえ傷、ねえもんな……」
無数に傷のある蜉蝣の肌を、なんのつもりか、疾風は指でなぞって。
「おまえこそ。私の知らない傷なんてないだろう……」
「だよな☆」
疾風はにっこりと笑った。ここでなぜその微笑か、朦朧としている蜉蝣にはわからない。
疾風は新しい夜着を出してくれて、着せかけてくれた。
「ホントは下のほうも拭いてやりたいけどー♪」
などという。
蜉蝣は朦朧としていた。
あくまでも朦朧としていたのだ。
だから平常心のときには絶対に言わないだろうことを言ってしまった。
「なら……。頼む……」
と。
疾風はギョッとしたようだった。
「えっいいの!?」
「かまわん……」
熱で朦朧とした蜉蝣には、もうなにもかもがどうでもよかったのだ。それだけは言える。
ところが疾風はいそいそと、掛け布団をはいだ。蜉蝣の気が変わらないうちに、とでもいうつもりか。異様に早い手さばきで、夜着をひらいて下帯を解く。
「うーん。ノーマル状態でもナイスサイズ……」
なにに感動しているのか、それでも疾風はかいがいしく蜉蝣を清拭してくれた。
「おしものお世話もしてやりてえくらいだぜ☆」
「そこまではいい……」
便所には意地で這って通っている。そもそもほとんど食事をとっていないので、出るものもほとんどないのだ。
それよりも、寒気がしてきた。体をぬぐわれ着替えさせられたせいだろう。一時的に体温が低下したのだ。
蜉蝣が震えると、敏感に疾風は察したようだ。
「悪寒か?」
「わからん……。寒い」
掛け布団をかけられても震えが止まらない。
「熱性痙攣とかじゃねえよな。意識あるもんな」
「あるぞ。朦朧としてるが……」
すると、疾風はぱっぱと裸になった。下帯一枚のセクシースタイル、蜉蝣の布団にもぐりこんでくる。
「おい。感染……」
蜉蝣は止めたが、そんなことを聞く疾風じゃないことも知っている。
「人肌であっためるのがいちばん! だろ?」
と、ぎゅーーーーーっとくっついてくるのだ。
のみならず、蜉蝣の頭を抱き寄せて、腕枕までしてくる。なにを考えているのかさっぱりわからない。
「おまえ……。そういうことは、色町でいい女とやれ……」
また薬が効いてきた。震えつつも半分眠りながらつぶやいた蜉蝣には、疾風の答えは聞こえなかった。
「いい女はいっぱいいるけどね。……おまえはひとりしかいねえからな」
しばらく蜉蝣の寝息を聞いていた。
苦しそうではなかった。深い呼吸で眠れているようだった。
(あの先生の薬、すげー効くんだな。さすが専門医)
疾風はひとりごちる。そうして、少し身動きしてみた。
腕枕の手を抜いても、蜉蝣は眠ったままだった。
眠るときでも眼帯をはずさない。片目を失ったときの傷が、眼帯からはみ出している。それを、そっと指でなぞって。
(あんときもムチャしたよなあ。……こいつ)
若いころの思い出がよみがえる。自分だって頬に傷がある。おたがいにムチャをしながらここまできたのだ。
(病気なんかで死ぬなよな)
疾風が医師から得た情報は、免疫力に関することだけじゃなかった。
南蛮風邪はこじらせると恐ろしい、ということも。
(年寄りや子供は死ぬこともあるって……)
常日頃から鍛錬を欠かさない、体力のある蜉蝣だ。大丈夫だとは思うが、やはり心配だ。
「…………」
疾風はなぞっていた傷から指を離した。かわりに唇をつけてみた。
傷の部分だけ、でこぼこかさかさした感じがした。
(う……。止まんねえかも)
蜉蝣が深く眠っているのをいいことに、唇にもキスしてみた。そっとふれてすぐに離れた。それ以上続けたら股間がやばいことになりそうだったのだ。
(なにしろ俺、下帯一枚のセクシースタイルだしー)
やはり蜉蝣は気づかない。割れアゴをくすぐっても、髭を撫でてみても。
どこもかしこも、疾風には愛しくてたまらない蜉蝣のパーツだ。
(気づいてねえ……。んだろうなあ……)
ちょっぴり甘くせつなくそう思う。なにしろ一緒にいた時間が長すぎた。疾風自身だって、ごく最近までこの気持ちに気づかなかった。
蜉蝣が鬼の霍乱で倒れるまでは。
(でも、今は……)
蜉蝣がいなくなったらどうしよう、と、目が回るようなひどい不安に襲われた。それで気づいたのだ。
(これはつまりアレだろ。若ぇ奴らがいろいろモメたりヨリを戻したりしてるようなアレだろ!?)
と、自分でもびっくりだ。楽天家であまりものに動じたことのない彼にとっては、青天の霹靂だった。
こんなにも身近に、「アレ」があっただなんて。
おたがいに髭まで生やしたいい年だ。四功で幹部だ。それでもいやおうなく「アレ」はやってくるのだと、疾風ははじめて知った。
もう一度、ぎゅっと蜉蝣に抱きついてみた。身長は少し蜉蝣のほうが高い。体重はほとんど同じくらいだろう。
彼の匂いはなつかしく愛しく、ふだんたいしてデリケートでもない疾風の胸を、いっそうせつなくさせた。
疾風は甲斐甲斐しく蜉蝣の看病を続けた。
居残り組の若手たちが感動するほどだった。
「さすが疾風兄貴! ホントは蜉蝣兄貴を大切に思ってたんすね!」
「ふたりの友情の絆は固ぇんだ!!」
と、涙を誘ったりもした。疾風的には友情だけでもないのだが、そのへんはヘラリと笑ってごまかした。
「だってよう、若ぇおまえらに感染するとまずいじゃん? 俺ならじょうぶだし~~~♪」
蜉蝣の洗濯物を洗ったりもするのだ。夜は蜉蝣の部屋で寝る。深夜に容態が急変するといけないからだ。
なにからなにまで疾風は尽くす男と化していた。
蜉蝣の熱は一進一退が続いた。少し下がってきたときには、白湯や粥ていどなら食べられるようになっていた。疾風は食事介助もした。
「たんと食え! 食えば治る!」
「だといいがな……」
相変わらず熱のせいで頭は朦朧としているらしい。蜉蝣は機械的に粥をすすっては薬を飲み、床につく。
「体力落ちそうだ。参ったな……」
「治ったらまた鍛錬すりゃいいの! 俺が相手になってやる!」
この甲斐甲斐しさは蜉蝣にも不思議だったようだ。
「おまえ、ヒマなのか?」
などと聞いてくる。それはそうだろう。今までのふたりの関係からして、疾風がここまで熱心に蜉蝣の面倒を見るのは少し不自然だからだ。おたがいに責任ある立場で、それぞれの面倒は自分でみられるいい大人だ。幼いころから対等の立場だったから、それがとうぜんだと蜉蝣は思っていた。
そもそも看病は居残り組の若手にまかせて、航海に出ていたはずだ。
「ヒマじゃねえよ。若手と一緒に草むしりしてるぜ」
疾風は苦笑する。自分だっていまさら気づいたのだから、堅物の蜉蝣が気づくはずがない……「アレ」に。
正直言って、疾風自身もその気持ちをもてあましていた。「アレ」じゃない、はっきりと単語で表現するのは照れくさくてできない。自分の中でさえも、できればなかったことにしておきたい。
(でも、だめだ。俺は気づいちまった)
そして疾風は自分自身に正直な男だ。嘘はつけない。気づかなかったことにはできない。
だから「アレ」なのだ。
(気づいてほしいのかな)
蜉蝣にも、「アレ」に?
そんなわがままも心のどこかにある。けれども今は、とにかく蜉蝣の病を治すことが先決だ。
「はやく元気になってくれよ」
言ってやると、蜉蝣は弱々しくも苦笑した。
「だれより私がそう願ってるよ」
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「―――ええい、畜生ッ」
悪態と共に吐き捨てた唾は、錆びた鉄の味がした。
視界が狭い。
右目の少し上をしたたか殴られたせいで瞼が腫れあがり、半ば塞がっているせいだった。
魚の腹に似た鈍い光が、じり、と間を詰める。
まるで陸酔いにでもなったかの様にぐらつく頭を押さえながら、疾風は奥歯を噛み締めた。
―――奴の祟りかよ、まったく。
そもそも一人で出歩くきっかけを作ってくれた同僚の、冷たい眼光が思い出される。
―――こうなったら、
気の済むまで暴れてやる、と―――
握った拳に力を込めた刹那。
「…何を、している」
聞きなれた声が冷え冷えと耳を打った。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
肩が触れたの触れないのと、どうでもいい事で喧嘩を売ってくる足りない奴は、どこにでもいるものだ。
それが町中なら、まして軒行灯の連なるような目抜きならば、なおのこと数が増える。
徒党を組んだ上に酒精の匂いを纏いつけ、肩で風切って歩いている奴ばらは、まず大概このクチであった。
兵庫水軍・手引を努める疾風も、まあ、他人の事をとやかく言えるほど品行方正ではない。
若手を引き連れて練り歩くのも多いし、機嫌が悪ければ八つ当たりもする。
ただ、そんなゴロツキと異なるのは、相手を選ぶ事だった。
ひと目で堅気と知れる者なら、肩どころか正面きっての衝突でも、責め立てる真似は絶対にしない。
堅気でなくても、難癖をつけて先に手を出す事はなかった。
餓鬼じゃあるめえし、というのがその理由である。
しかし、『もうそこまで若くはない』と考えていた訳でもない。
疾風は、“餓鬼じゃない”と“もう若くはない”は同義語ではない、と思っている。
衝動に分別が追いつかないのが『餓鬼』で、分別に体力が追いつかないのが『もう若くはない』なのだ。
だから自分としては、“餓鬼ではないが若くない訳じゃない”のである。
もっとも、館で皆と呑んだ折にそんな話をしたら、『なるほど』と頷いたのは山立の名をとる同僚だけであった。
『ふん』と鼻先で笑ったのが一人、軽く肩を竦めたのが一人、あとは揃って苦笑だ。
かちんときて、何か文句があるのかと怒鳴ったら、それではまるで暴れてないみたいに聞こえる、と口々に返された。
大きなお世話である。
そんな事を言う当の奴ら自身、穏やかに見えようが、もの静かに思えようが、売られた喧嘩に尻尾を巻く者など誰一人いないのだ。
なのに皆、自分のことを遠くの棚に放り上げて、疾風一人が喧嘩っ早い様に言う。
それこそ、船も出せない程に波を荒立てる、乾の風の如き扱いだ。
だが、そんな軽口悪態には、明確な親しみが含まれてもいた。
疾風は、名前の通り、ざっと荒れてざっと引く―――後を濁さず、むしろ爽快な気を呼び込む質である。
言葉も態度も乱暴だが、情は厚い。
要役にありながら、先陣を好む。
駆け抜け、斬り抜け、とどまるをよしとせず―――淀みを嫌う陽性の人となりが、特に若手の人望を集めているせいであった。
それだけに、厄介事に巻き込まれ易い点もあるのは否めない。
下っ端どもをぞろぞろ連れて町へ繰り出せば、それなりの騒動は起こるからだ。
酔った挙句に所構わず寝込む者、絡み酒愚痴り酒、果ては泣き上戸まで、数が多ければ多いほどややこしい展開は増すばかりである。
幸いにも面倒見のいい面子が一人二人は混じるから、殆どはそれらに押し付けておくとしても、小競り合いが生じれば、どうしても出ていかざるを得なくなるのだった。
一旦殴る蹴るの事態になれば、引っ込んでいられる性格でもない。
そうやって、月に数度はあちこちで荒っぽい状況になり、また、それを楽しんでもいるうちに、
―――どこかで、妙な恨みを買ったものと見えた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
変だな、とは思っていたのだ。
その日の昼間、ほんのささいな理由で舵取を努める同僚と衝突した疾風は、番明けに一人で町へ出て、ふらふら店を梯子した。
そして、最後に入ったのは、狭くて、小汚い呑み屋である。
いい加減、腹も一杯になっていたので、突き出しの小鉢で二合ほどやり、勘定をしようと立ち上がったところで、隣の席の男に引き止められた。
ちょいと実入りがあったから、振舞ってやる、と言う。
疾風が返答する前に、引き止めた男は小女を呼びつけて銚子を五、六本持ってこさせ、まあ一杯、と勧めた。
注がれた酒を呑み干せないようでは名が泣くぞ、と煽られて―――
上げかけた腰を据え直し、瞬く間に猪口を空にしてみせたのは、どうにもむしゃくしゃしていたのと、つまらぬ意地の成せる業である。
お見事、
流石、
そう乗せられ始めた時点で、何だかおかしいと感じてはいた。
この男、疾風の事を知っている様なのだ。
しかし、普段が普段である。
盛り場あたりでちょっとは名の売れている自覚もあったものだから、その時はさして気にはしなかった。
相手が腕っぷしのなさそうな、貧相な小男だったのにも油断したのだろう。
さんざん呑まされ、そろそろ限界に近くなって、疾風はようやく撤収を決めた。
今度は、小男も引き止めなかった。
兄さんお気をつけて、と妙な笑いを貼り付けたまま、手など振ってみせたものである。
―――随分と気前のいいこった。
安酒とはいえ、もういらねえと言うくらいたっぷり馳走になったのだから、悪い気はしない。
言葉通りの千鳥足で町を抜け、館への道を辿り出した途端、
囲まれた。
「…ああン?なんだ、手前ェら」
酔いに縺れかける舌で問い掛ける。
兵庫水軍の疾風と知っての事か、と見得も切ってみせたが、返事はない。
代わりに、白っぽい光が見えた。
「いきなり刃物たぁ、尋常じゃねェなあ…」
茶化しながらも、身構えた―――つもりだった。
―――ヤベぇ。
足が、ふらつく。
腰が、定まらない。
―――呑みすぎたか。
微かに、頭痛もした。
質のあまり良くない酒を、勢いだけで流し込みすぎたせいだと悔やんだが、遅かった。
あるいは、一服盛られたか―――そんな疑いが頭を擡げてきたのは、殺気だらけの男たちの後ろに、あの貧相な小男の顔を見つけたからである。
どうやら、仕組まれていたらしい。
命を狙われる心当たりなど、あり過ぎて考えるのも面倒だ。
でかいところでは縄張り争い、小さいところでは熨した相手の逆恨み―――いずれにしても茶飯事ではある。
「けっ―――かかって、きやがれ!」
半ばやけくそじみた台詞を吐き終えぬうちに、数本の刃が翻った。
叩き落し、
蹴り払い、
殴り飛ばし―――
悪酔いに痛む頭で、疾風は暴れた。
避ける、などという行動はこの際、無理である。酒精だか薬分だかが、身体中に回っているのだ。
だから、間合いを詰められまいと、とにかく滅茶苦茶に手足を振り回した。
それはもう、つむじ風の如くだ。
下手に近付いた者は皆、吹っ飛ばされた。
だが、疾風自身、無傷では済まない。
何しろ相手は刃物を持っている。衿を裂かれ、袖を斬られ、頬を掠め、腕を突かれた。
どれ一つとしてまともに入らなかったのは、もう、奇蹟に近かった。
「…何を、している」
不意に―――
遠雷を孕んだような低い声が、周囲を凍りつかせた。
すう、と流れた秋風が、半月を背に立つ長身の、真っ直ぐに流れ落ちる髪を揺らめかせる。
「何を、している、疾風…」
鋭い光を溜めた瞳は、右に一つ―――左側は、漆黒の眼帯が覆っていた。
その下に、夜目にも白く凄まじい傷が見てとれる。
「蜉蝣…手前ェこそ、こんなところで何してやがる…」
殴りかけた一人の胸倉を掴んだまま、疾風は唸った。「陸酔いはどうした、え?」
「いつも酔ってる訳じゃない。貴様みたいにな」
「うるせえ!」
があっ、と怒鳴った勢いで手元の男をぶちのめし、そのままつかつかと同僚の元へ詰め寄る。
「ムッツリ面下げてんじゃねえ!だいたい手前ェは毎度毎度―――」
「毎度は俺の台詞だ。ガキの頃からいらん騒ぎばかり起こしやがって…」
「手前ェの世話になったか、ああ!?」
唐突に始まった口喧嘩に、無視された形になった男たちは唖然と展開を見守っていたが、ややあって我に返り、この際まとめて、と言わんばかりに斬りかかってきた。
「―――だあッ、うるせえんだよ、手前ェら!」
「―――阿呆共が、邪魔をするなッ!」
振り返ったのは、同時。
突風に、雷雲が加わった事を男たちが思い知るまでに、そう時間はかからなかった―――。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
―――朝。
まだ明けきらないうちに館へ帰還した要役二人は、嵐にでもあったかの様な姿だった。
着物は汚れ、破れているし、髪は乱れ放題、手拭も巻いてはいない。
痣だの傷だの、それはもうボコボコで、前の日に二人の諍いを目撃していた者達は、どこぞで一戦やりあったのかと、おろおろしたくらいである。
しかし、二人揃って戻ったところを見ると、和解は成ったらしい。
一人で町に呑みに出たはずの疾風と、陸酔いを避けて船に残っていたはずの蜉蝣とが何故、どこで行き会ったのかは不明だったが、そこまで突っ込んで問えるほどの命知らずは、さすがにいないようだった。
そして、放っておいても適当に気晴らしを済ますはずの疾風を、陸酔いに耐えながらわざわざ迎えに行ったとは、幸いにも誰一人として思い至らなかったし、無論、蜉蝣自身も口にはしない。
どこかの馬鹿が喧嘩を売ってくれたお蔭で暴れ足り、すっきり収まった乾風を、好んで呼び込むような真似は、さすがにしたくはないからであった…。
半助が窓を見やると、そのガラス越しに夜の帳が落ち始めているのが分かった。灯りを点さないこの部屋に差し込む日の光はすでになく、家々の明かりや街灯の人工的な明るさが微かに差し込むばかりだ。
ベッドに腰掛けたままの半助はとにかく手持ち無沙汰な状態だったので、目にかかった長めの前髪を一房、ついと摘んで指を滑らせてみる。それで自分の心持がどうなるわけもない。何度か同じような作業を繰り返すも飽きてしまい、もう一度窓の外に視線をめぐらせたところで、下方からくぐもった声と濡れた音が聞こえてきた。
半助の膝を割り、その間に体を滑り込ませて鎮座するきり丸。その上、自分の雄を銜えこみ苦しげな姿を見たところで、やはり自分の興味を駆り立てるのはこれしかないという思いが胸を渦巻いてゆく。
賢明に奉仕する子供の頭に掌を乗せると、ぴくりと体が震えた。そして緩慢な動きで顔を上に向けたそこには、情欲に塗りたくられて熱の篭った眼差しがあった。僅かに差し込んだ光がその瞳を射ると、細かく光が拡散するのは生理的に浮かんだ涙なのか、はたまた半助の雄を銜えたままの体制が辛いのか、判別はつかなかったけれどそんなことはどうでもいい。だらしなく全裸で口淫を続けるきり丸を、半助は満足そうに見下ろし続ける。
「あまりがっつくなよ、きり丸」
「…っ、んなこと、してませ…っ…」
半助が羞恥をあおれば、意識だけは辛うじて理性を保っているのか、吐息を混じらせながらも憎まれ口を叩いてくる。しかし、これまでの生活の中で、半助はきり丸に快楽を長い時間をかけて叩き込み、痛みも愉悦に変えさせるように仕込んできたのだ。思わせぶりな手で、抱擁で、口付けで、些細な行動が全てきり丸の全身を敏感にさせ、眠っていたはずの快楽を呼び起こさせる。
殊勝な態度も半助の想定内で、寧ろここから理性の壁を完全に取り去ってしまうことのほうが半助にとっては
「嘘はよくないな」
冷めた声で放つと同時に、左右に開かれたままの足を唐突にきり丸の中心へ近づける。蕩けた頭でも何をさせるのか理解したきり丸は咄嗟に腰を引くものの、下ろされる足からは逃れられず、そのまま足の裏で勃起したきり丸のものを踏みつけられてしまう。
「ああ!…っだ、だめ…!」
水分の増した目でかぶりを振るきり丸を、口元を弓なりにしならせ微笑んだままの半助は行動をエスカレートさせる。踵でぐりぐりと力を込めていじり倒せば、悲鳴に似たきり丸の嬌声が上がった。先走りの液体が勢いを増し、半助の足とフローリングに淫靡な水溜りを作ってゆく。
「ほら、悪い子にはおしおきが待っていると以前教えただろう?」
「んん、あっ…!い、いや…」
「こういうときはどうするんだっけな、きり丸」
痛みを伴う快楽に意識は混濁し、銜えていた半助の雄の存在すらも忘れたように悲鳴を上げるきり丸に対し、思惑を完遂させたい半助は一度その足を離す。荒く呼吸を繰り返す胸が上下するたびに、いきり立った胸の先が視界にちらついた。
「あっ…ごめ、なさ……」
「…聞こえない」
不機嫌な苛立ちを含めた声を出せば、叱られた子供のように身をすくませる。加えて足の指で性器の形を辿るように撫で付けてやると、きり丸の背が大きくしなった。
「もっと大きな声で言いなさい」
「っは、…ご、めんな、さい…っ…ごめん、なさい…!」
ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も何度も繰り返すきり丸に口元を歪めて満足した半助は、先ほど放った言葉とは間逆に優しい仕草できり丸の頭に掌を重ねる。
「あっ…」
「きり丸、最後まで出来るね?」
仰け反った体を起こし、頭を己の股間へ導くと、釣られるようにきり丸は直立した熱を躊躇いもなく口に含んだ。もたらされる快楽により、正常な思考はいよいよ霞と化してしまったらしい。積極的に舌をこすり付けるきり丸の変わりように、半助の征服欲がまた一つ満たされたのだった。
一万ヒットありがとうございました!
07.04.14/丹後
まったく揺るぎを感じない、固い大地
今までずっと、生き物のように揺らめく波の上の船で生活していた少年にとって、それは未知の感覚だった。
体内の臓器だけが、波間を漂うようにゆらゆらするような錯覚。
静止している足元、支えられている体にとってそれは耐えられない吐き気を呼ぶ。
「うっ…おぇえっ」
「ギャーきったねー!!」
「ばっちー!鬼蜘蛛丸が吐いたー!」
思わず砂浜に手をつき嘔吐しだした少年を、周囲にいた同じ年頃の子供たちはひやかしながら避けるようにして離れる。
本当に苦しいのに、なんで誰も助けてくれないんだろう。
少年は次から次へとせりあがってくる胃の中のものを出し続ける。
けれど、一向に楽にはならかった。
泣きそうになっていたその時、視界にフッと影がさし、あたたかい手が背中に触れた。
「おいお前、大丈夫か?」
鋭い目とぶっきらぼうな声から伝わってきた気遣わしげな色。
唯一救いを差し延べた彼に、少年は恋をしてしまった。
少年の名は鬼蜘蛛丸、そして恋をした相手の名は疾風。
鬼蜘蛛丸13歳、疾風18歳の時の初めての出会いであった。
****
疾風兄やんとの年齢差は嘘っぱちです
今までずっと、生き物のように揺らめく波の上の船で生活していた少年にとって、それは未知の感覚だった。
体内の臓器だけが、波間を漂うようにゆらゆらするような錯覚。
静止している足元、支えられている体にとってそれは耐えられない吐き気を呼ぶ。
「うっ…おぇえっ」
「ギャーきったねー!!」
「ばっちー!鬼蜘蛛丸が吐いたー!」
思わず砂浜に手をつき嘔吐しだした少年を、周囲にいた同じ年頃の子供たちはひやかしながら避けるようにして離れる。
本当に苦しいのに、なんで誰も助けてくれないんだろう。
少年は次から次へとせりあがってくる胃の中のものを出し続ける。
けれど、一向に楽にはならかった。
泣きそうになっていたその時、視界にフッと影がさし、あたたかい手が背中に触れた。
「おいお前、大丈夫か?」
鋭い目とぶっきらぼうな声から伝わってきた気遣わしげな色。
唯一救いを差し延べた彼に、少年は恋をしてしまった。
少年の名は鬼蜘蛛丸、そして恋をした相手の名は疾風。
鬼蜘蛛丸13歳、疾風18歳の時の初めての出会いであった。
****
疾風兄やんとの年齢差は嘘っぱちです
怪談
「……急に魚が一匹も掛からなくなり、錨まで上がらない。おかしいと思った漁師の一人が海に潜ると……そう、海の中だぞ」
ぐっと、鬼蜘蛛丸が身を乗り出した。微かに、凄みをきかせた笑みをたたえて。
小さな灯台の明かりが、彫りの深い鬼蜘蛛丸の顔に強い陰影を付ける。
それが、さらなる迫力をかけた。
「錨の上に、誰かが、座っている」
ごくりと誰かが喉を鳴らす。
この場に座す何人かは、後悔とともにこう思っているだろう。
鬼蜘蛛丸がこんなに怪談話がうまいなんて予想外だったと。
「……やせ細った老婆」
ささやく低い声。
「そこには海中だといのに、真っ白な髪を逆立たせた老婆がいた……」
絶妙な間。そして、口調が一変する。
「老婆は赤い目をカッ!と見開きこう言った!」
「わーーー!!」
叫んだのは重だった。隣の東南風に必死でしがみつく。
「もう、やだ。勘弁」
えぐえぐと涙目で訴えられて、続けられる鬼蜘蛛丸ではない。
一瞬にして、苦笑と安堵に場が白けた。
「……時間も遅いし、もういいっす。お話ありがとうございました」
そそくさと、間切が一抜けを表明した。
「おお、そうだな。明日も仕事だ。部屋に帰りな」
その言葉に蜘蛛の子を散らすようにして、若手達は鬼蜘蛛丸の部屋を後にする。
ぎゃあぎゃあと怪談話の余韻に騒ぐ声が、ゆっくりと遠ざかっていく。
盛り上がる怪談話にびびる若手を、横手でにやにやと観察していた男が、灯台の火を吹き消した鬼蜘蛛丸に声をかけた。
「お疲れさん」
義丸である。自室に戻らず、ひとり鬼蜘蛛丸の部屋に居残っていた。
「はは。たまには、こんな気晴らしだっていいもんだな」
明かりが消え、闇の中から声が返ってきた。
幹部に昇格しても、若手との付き合いに遊び心を無くしてはいない。
鬼蜘蛛丸は、怪談話に貴重な灯台の明かりと部屋を提供し、真夜中まで話にふけっていたのである。
「あんたがシメなきゃみんな明日は寝坊してたかもしれませんね」
「それは困るからな、とっておきの話だ」
珍しく、悪戯な声で鬼蜘蛛丸は笑う。義丸も笑い返し、ふと、その笑いを止めた。
「しっかし、巧いもんだ。お頭の受け売りっすか?」
「いや、蜉蝣の兄さんだ」
さらりと受け流すには、その人物はあまりに予想外だった。
「……………………」
意外。という雰囲気をまとう義丸に、鬼蜘蛛丸は懐かしそうに笑った。
「俺は、怪談話の類が案外好きなんだよ」
**********
「そこで、振り向いた先の船縁に、今まさに海に飛び込もうといわんばかりに腰掛けた背中がずらっと……」
「だあぁぁ!!やめろ!蜘蛛が怖がってるじゃねぇか!!」
耳元でがなりたてられて、鬼蜘蛛丸は含み笑いに苦みを上乗せした。
軽く10年以上は昔の話である。
蜉蝣と疾風と鬼蜘蛛丸。
この3人で水軍館の一室を共有していた時期があった。
とはいえ、蜉蝣は10代の半ばから陸酔いのお陰で船で寝ることのが多かったし、それは鬼蜘蛛丸も同じ事。
さらに疾風ときたら館をひょいと抜け出しては朝帰りという常習犯でもあった。
これには時たま蜉蝣も便乗した。
つまり、3人揃って眠ることはあまりないとも言っていいかもしれない。
そして珍しく3人揃ってみれば、何故だか始まるのが蜉蝣の怪談話である。
これがまた、巧いのだ。
蜉蝣自身は決して口がうまいわけではないのだが、その低い声が僅かな抑揚をもって語る様は、様々な意味で格別だった。
しかもいったい何処で覚えてくるのか、話に限りがない。
記憶力のいい鬼蜘蛛丸が覚えている限りでも、同じ話を聞いたことが一度も、ない。
そして疾風は怪談話の類が大の苦手である。無論、そのことを「臆病だ」として本人は決して認めようとはしない。
だからこそ、蜉蝣の絶好のからかいのネタにされているのだ。
普段はどちらかというと破天荒な疾風に振り回され気味の蜉蝣。
怪談話は彼の確実な逆襲の道具であった。
ぎゅっと背中に回された腕に力が籠もる。
微かに荒い呼吸の感触が布越しに伝わってきた。
怪談話が始まれば、鬼蜘蛛丸は疾風に人形よろしく抱きかかえられる羽目になる。
「怖がってんのは、おめぇだろ」
蜉蝣のからかいの言葉に、疾風が噛みつく。
「……違う!なぁ、蜘蛛、怪談話なんざ嫌だろ?」
常の自信満々の声を気取ろうとした中に、まごうことなき嘆願の響きを感じ取って、鬼蜘蛛丸はこくりと頷いた。
本当は、近くでここまで怖がっている人がいると、なんだかそこまで怖いとは思えないのだが。
でも、この空間が心地よいので、鬼蜘蛛丸は疾風の意に従った。
そのまま、大好きな兄役にぎゅっと抱きつく。
我が意を得たりといわんばかりに、可愛い弟分の頭を撫でて、疾風は勝ち誇ったように蜉蝣を見た。
「な、怖がってんだから、やめとけ」
「……怪談ってのは、怖がらせてなんぼってもんだ。じゃあ、次行くか」
「ふざけんな、このむっつり野郎!てめ、このくそ寒ぃ時期に何だって怪談話なんだよ!!俺はもう、寝るぞ!」
ぴしゃりと言い切って、疾風は掛け布団を肩まで引き上げた。
とはいえ、鬼蜘蛛丸を抱いた腕は緩めない。
にこにこと鬼蜘蛛丸は疾風の胸に頬を寄せる。
暖かさと、微かに鼻をつく海の香り。
それは陸酔いの鬼蜘蛛丸にとっては、何よりも安心できるものだった。
「ん?」
不意に疾風らの寝る布団の間に隙間が空き、冷たい夜気が身を刺した。
「て、め、蜉蝣、なんでお前まで、こっちに来んだよ」
のそのそと疾風と鬼蜘蛛丸のくるまっている布団に入ってきたのは、蜉蝣である。
当たり前だが、布団の許容範囲は軽く超えた。
「怖がってんじゃねぇかと思って。あと、お前だけあったけぇもん持ってるからな」
そう言って、湯たんぽ代わりにもなっている、鬼蜘蛛丸を見る。
「……だから、怖がってねえ……」
いい加減否定するのに疲れたか、眠気が先立ったか、大きなあくびをひとつして、疾風はごそごそと蜉蝣に向かって手を伸ばした。
蜉蝣の顔を隣をすり抜けた腕がつかんだのは相棒の掛け布団。
それを自分のところの掛け布団と重ねるように引き寄せた。
つまり、許容の合図である。
蜉蝣が、微かに笑って、その大きな手の平で、疾風の頬を撫でた。
むっと疾風は眉根を寄せるが、もう突き離すのも面倒なのか、その吹く風にも似た愛撫にそのまま身をゆだねる。
次いで、鬼蜘蛛丸の額に手が置かれ、優しく髪を梳かれた。
ああ、嬉しいな。いいな。
体温の高い子供を真ん中に添えて、3人はそのまま眠りに落ちた。
***********
「……ヨシ。お前の部屋はここじゃないと思うんだが……」
布団に潜り込んだ矢先、隣に人の体温と染みついた海の匂いを感じ取って、鬼蜘蛛丸は呟いた。
「いやー。鬼蜘蛛丸の怪談話がホントに怖くって、怖くって。ひとりじゃ寝れませんから、一緒に寝ましょうよ」
笑いを含んだ声が耳元でささやかれる。
ふわふわした赤髪が肌を滑って、くすぐったい上この上ない。
ひとつの布団に大の男が二人。
鬼蜘蛛丸は大きく息をついた。
「ま、好きにしな」
「え?」
実は蹴り出されることを覚悟していた義丸は、思わず本気で?と目を丸くした。
鬼蜘蛛丸は頷き、くすりと笑いながら言った。
「ただし、陸酔いが出たら船の方に行くからな」
たまには、温かくて懐かしい思い出とだぶる現状に、そのままゆだねてしまってもいいだろう。
きっと、今夜は陸酔いはでない。
「……急に魚が一匹も掛からなくなり、錨まで上がらない。おかしいと思った漁師の一人が海に潜ると……そう、海の中だぞ」
ぐっと、鬼蜘蛛丸が身を乗り出した。微かに、凄みをきかせた笑みをたたえて。
小さな灯台の明かりが、彫りの深い鬼蜘蛛丸の顔に強い陰影を付ける。
それが、さらなる迫力をかけた。
「錨の上に、誰かが、座っている」
ごくりと誰かが喉を鳴らす。
この場に座す何人かは、後悔とともにこう思っているだろう。
鬼蜘蛛丸がこんなに怪談話がうまいなんて予想外だったと。
「……やせ細った老婆」
ささやく低い声。
「そこには海中だといのに、真っ白な髪を逆立たせた老婆がいた……」
絶妙な間。そして、口調が一変する。
「老婆は赤い目をカッ!と見開きこう言った!」
「わーーー!!」
叫んだのは重だった。隣の東南風に必死でしがみつく。
「もう、やだ。勘弁」
えぐえぐと涙目で訴えられて、続けられる鬼蜘蛛丸ではない。
一瞬にして、苦笑と安堵に場が白けた。
「……時間も遅いし、もういいっす。お話ありがとうございました」
そそくさと、間切が一抜けを表明した。
「おお、そうだな。明日も仕事だ。部屋に帰りな」
その言葉に蜘蛛の子を散らすようにして、若手達は鬼蜘蛛丸の部屋を後にする。
ぎゃあぎゃあと怪談話の余韻に騒ぐ声が、ゆっくりと遠ざかっていく。
盛り上がる怪談話にびびる若手を、横手でにやにやと観察していた男が、灯台の火を吹き消した鬼蜘蛛丸に声をかけた。
「お疲れさん」
義丸である。自室に戻らず、ひとり鬼蜘蛛丸の部屋に居残っていた。
「はは。たまには、こんな気晴らしだっていいもんだな」
明かりが消え、闇の中から声が返ってきた。
幹部に昇格しても、若手との付き合いに遊び心を無くしてはいない。
鬼蜘蛛丸は、怪談話に貴重な灯台の明かりと部屋を提供し、真夜中まで話にふけっていたのである。
「あんたがシメなきゃみんな明日は寝坊してたかもしれませんね」
「それは困るからな、とっておきの話だ」
珍しく、悪戯な声で鬼蜘蛛丸は笑う。義丸も笑い返し、ふと、その笑いを止めた。
「しっかし、巧いもんだ。お頭の受け売りっすか?」
「いや、蜉蝣の兄さんだ」
さらりと受け流すには、その人物はあまりに予想外だった。
「……………………」
意外。という雰囲気をまとう義丸に、鬼蜘蛛丸は懐かしそうに笑った。
「俺は、怪談話の類が案外好きなんだよ」
**********
「そこで、振り向いた先の船縁に、今まさに海に飛び込もうといわんばかりに腰掛けた背中がずらっと……」
「だあぁぁ!!やめろ!蜘蛛が怖がってるじゃねぇか!!」
耳元でがなりたてられて、鬼蜘蛛丸は含み笑いに苦みを上乗せした。
軽く10年以上は昔の話である。
蜉蝣と疾風と鬼蜘蛛丸。
この3人で水軍館の一室を共有していた時期があった。
とはいえ、蜉蝣は10代の半ばから陸酔いのお陰で船で寝ることのが多かったし、それは鬼蜘蛛丸も同じ事。
さらに疾風ときたら館をひょいと抜け出しては朝帰りという常習犯でもあった。
これには時たま蜉蝣も便乗した。
つまり、3人揃って眠ることはあまりないとも言っていいかもしれない。
そして珍しく3人揃ってみれば、何故だか始まるのが蜉蝣の怪談話である。
これがまた、巧いのだ。
蜉蝣自身は決して口がうまいわけではないのだが、その低い声が僅かな抑揚をもって語る様は、様々な意味で格別だった。
しかもいったい何処で覚えてくるのか、話に限りがない。
記憶力のいい鬼蜘蛛丸が覚えている限りでも、同じ話を聞いたことが一度も、ない。
そして疾風は怪談話の類が大の苦手である。無論、そのことを「臆病だ」として本人は決して認めようとはしない。
だからこそ、蜉蝣の絶好のからかいのネタにされているのだ。
普段はどちらかというと破天荒な疾風に振り回され気味の蜉蝣。
怪談話は彼の確実な逆襲の道具であった。
ぎゅっと背中に回された腕に力が籠もる。
微かに荒い呼吸の感触が布越しに伝わってきた。
怪談話が始まれば、鬼蜘蛛丸は疾風に人形よろしく抱きかかえられる羽目になる。
「怖がってんのは、おめぇだろ」
蜉蝣のからかいの言葉に、疾風が噛みつく。
「……違う!なぁ、蜘蛛、怪談話なんざ嫌だろ?」
常の自信満々の声を気取ろうとした中に、まごうことなき嘆願の響きを感じ取って、鬼蜘蛛丸はこくりと頷いた。
本当は、近くでここまで怖がっている人がいると、なんだかそこまで怖いとは思えないのだが。
でも、この空間が心地よいので、鬼蜘蛛丸は疾風の意に従った。
そのまま、大好きな兄役にぎゅっと抱きつく。
我が意を得たりといわんばかりに、可愛い弟分の頭を撫でて、疾風は勝ち誇ったように蜉蝣を見た。
「な、怖がってんだから、やめとけ」
「……怪談ってのは、怖がらせてなんぼってもんだ。じゃあ、次行くか」
「ふざけんな、このむっつり野郎!てめ、このくそ寒ぃ時期に何だって怪談話なんだよ!!俺はもう、寝るぞ!」
ぴしゃりと言い切って、疾風は掛け布団を肩まで引き上げた。
とはいえ、鬼蜘蛛丸を抱いた腕は緩めない。
にこにこと鬼蜘蛛丸は疾風の胸に頬を寄せる。
暖かさと、微かに鼻をつく海の香り。
それは陸酔いの鬼蜘蛛丸にとっては、何よりも安心できるものだった。
「ん?」
不意に疾風らの寝る布団の間に隙間が空き、冷たい夜気が身を刺した。
「て、め、蜉蝣、なんでお前まで、こっちに来んだよ」
のそのそと疾風と鬼蜘蛛丸のくるまっている布団に入ってきたのは、蜉蝣である。
当たり前だが、布団の許容範囲は軽く超えた。
「怖がってんじゃねぇかと思って。あと、お前だけあったけぇもん持ってるからな」
そう言って、湯たんぽ代わりにもなっている、鬼蜘蛛丸を見る。
「……だから、怖がってねえ……」
いい加減否定するのに疲れたか、眠気が先立ったか、大きなあくびをひとつして、疾風はごそごそと蜉蝣に向かって手を伸ばした。
蜉蝣の顔を隣をすり抜けた腕がつかんだのは相棒の掛け布団。
それを自分のところの掛け布団と重ねるように引き寄せた。
つまり、許容の合図である。
蜉蝣が、微かに笑って、その大きな手の平で、疾風の頬を撫でた。
むっと疾風は眉根を寄せるが、もう突き離すのも面倒なのか、その吹く風にも似た愛撫にそのまま身をゆだねる。
次いで、鬼蜘蛛丸の額に手が置かれ、優しく髪を梳かれた。
ああ、嬉しいな。いいな。
体温の高い子供を真ん中に添えて、3人はそのまま眠りに落ちた。
***********
「……ヨシ。お前の部屋はここじゃないと思うんだが……」
布団に潜り込んだ矢先、隣に人の体温と染みついた海の匂いを感じ取って、鬼蜘蛛丸は呟いた。
「いやー。鬼蜘蛛丸の怪談話がホントに怖くって、怖くって。ひとりじゃ寝れませんから、一緒に寝ましょうよ」
笑いを含んだ声が耳元でささやかれる。
ふわふわした赤髪が肌を滑って、くすぐったい上この上ない。
ひとつの布団に大の男が二人。
鬼蜘蛛丸は大きく息をついた。
「ま、好きにしな」
「え?」
実は蹴り出されることを覚悟していた義丸は、思わず本気で?と目を丸くした。
鬼蜘蛛丸は頷き、くすりと笑いながら言った。
「ただし、陸酔いが出たら船の方に行くからな」
たまには、温かくて懐かしい思い出とだぶる現状に、そのままゆだねてしまってもいいだろう。
きっと、今夜は陸酔いはでない。