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うろほろぞ
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 「―――ええい、畜生ッ」
 悪態と共に吐き捨てた唾は、錆びた鉄の味がした。
 視界が狭い。
 右目の少し上をしたたか殴られたせいで瞼が腫れあがり、半ば塞がっているせいだった。
 魚の腹に似た鈍い光が、じり、と間を詰める。
 まるで陸酔いにでもなったかの様にぐらつく頭を押さえながら、疾風は奥歯を噛み締めた。
 ―――奴の祟りかよ、まったく。
 そもそも一人で出歩くきっかけを作ってくれた同僚の、冷たい眼光が思い出される。
 ―――こうなったら、
 気の済むまで暴れてやる、と―――
 握った拳に力を込めた刹那。
 「…何を、している」
 聞きなれた声が冷え冷えと耳を打った。




++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 肩が触れたの触れないのと、どうでもいい事で喧嘩を売ってくる足りない奴は、どこにでもいるものだ。
 それが町中なら、まして軒行灯の連なるような目抜きならば、なおのこと数が増える。
 徒党を組んだ上に酒精の匂いを纏いつけ、肩で風切って歩いている奴ばらは、まず大概このクチであった。
 兵庫水軍・手引を努める疾風も、まあ、他人の事をとやかく言えるほど品行方正ではない。
 若手を引き連れて練り歩くのも多いし、機嫌が悪ければ八つ当たりもする。
 ただ、そんなゴロツキと異なるのは、相手を選ぶ事だった。
 ひと目で堅気と知れる者なら、肩どころか正面きっての衝突でも、責め立てる真似は絶対にしない。
 堅気でなくても、難癖をつけて先に手を出す事はなかった。
 餓鬼じゃあるめえし、というのがその理由である。
 しかし、『もうそこまで若くはない』と考えていた訳でもない。
 疾風は、“餓鬼じゃない”と“もう若くはない”は同義語ではない、と思っている。
 衝動に分別が追いつかないのが『餓鬼』で、分別に体力が追いつかないのが『もう若くはない』なのだ。
 だから自分としては、“餓鬼ではないが若くない訳じゃない”のである。
 もっとも、館で皆と呑んだ折にそんな話をしたら、『なるほど』と頷いたのは山立の名をとる同僚だけであった。
 『ふん』と鼻先で笑ったのが一人、軽く肩を竦めたのが一人、あとは揃って苦笑だ。
 かちんときて、何か文句があるのかと怒鳴ったら、それではまるで暴れてないみたいに聞こえる、と口々に返された。
 大きなお世話である。
 そんな事を言う当の奴ら自身、穏やかに見えようが、もの静かに思えようが、売られた喧嘩に尻尾を巻く者など誰一人いないのだ。
 なのに皆、自分のことを遠くの棚に放り上げて、疾風一人が喧嘩っ早い様に言う。
 それこそ、船も出せない程に波を荒立てる、乾の風の如き扱いだ。
 だが、そんな軽口悪態には、明確な親しみが含まれてもいた。
 疾風は、名前の通り、ざっと荒れてざっと引く―――後を濁さず、むしろ爽快な気を呼び込む質である。
 言葉も態度も乱暴だが、情は厚い。
 要役にありながら、先陣を好む。
 駆け抜け、斬り抜け、とどまるをよしとせず―――淀みを嫌う陽性の人となりが、特に若手の人望を集めているせいであった。
 それだけに、厄介事に巻き込まれ易い点もあるのは否めない。
 下っ端どもをぞろぞろ連れて町へ繰り出せば、それなりの騒動は起こるからだ。
 酔った挙句に所構わず寝込む者、絡み酒愚痴り酒、果ては泣き上戸まで、数が多ければ多いほどややこしい展開は増すばかりである。
 幸いにも面倒見のいい面子が一人二人は混じるから、殆どはそれらに押し付けておくとしても、小競り合いが生じれば、どうしても出ていかざるを得なくなるのだった。
 一旦殴る蹴るの事態になれば、引っ込んでいられる性格でもない。
 そうやって、月に数度はあちこちで荒っぽい状況になり、また、それを楽しんでもいるうちに、
 ―――どこかで、妙な恨みを買ったものと見えた。




++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 変だな、とは思っていたのだ。
 その日の昼間、ほんのささいな理由で舵取を努める同僚と衝突した疾風は、番明けに一人で町へ出て、ふらふら店を梯子した。
 そして、最後に入ったのは、狭くて、小汚い呑み屋である。
 いい加減、腹も一杯になっていたので、突き出しの小鉢で二合ほどやり、勘定をしようと立ち上がったところで、隣の席の男に引き止められた。
 ちょいと実入りがあったから、振舞ってやる、と言う。
 疾風が返答する前に、引き止めた男は小女を呼びつけて銚子を五、六本持ってこさせ、まあ一杯、と勧めた。
 注がれた酒を呑み干せないようでは名が泣くぞ、と煽られて―――
 上げかけた腰を据え直し、瞬く間に猪口を空にしてみせたのは、どうにもむしゃくしゃしていたのと、つまらぬ意地の成せる業である。
 お見事、
 流石、
 そう乗せられ始めた時点で、何だかおかしいと感じてはいた。
 この男、疾風の事を知っている様なのだ。
 しかし、普段が普段である。
 盛り場あたりでちょっとは名の売れている自覚もあったものだから、その時はさして気にはしなかった。
 相手が腕っぷしのなさそうな、貧相な小男だったのにも油断したのだろう。
 さんざん呑まされ、そろそろ限界に近くなって、疾風はようやく撤収を決めた。
 今度は、小男も引き止めなかった。
 兄さんお気をつけて、と妙な笑いを貼り付けたまま、手など振ってみせたものである。
 ―――随分と気前のいいこった。
 安酒とはいえ、もういらねえと言うくらいたっぷり馳走になったのだから、悪い気はしない。
 言葉通りの千鳥足で町を抜け、館への道を辿り出した途端、

 囲まれた。

 「…ああン?なんだ、手前ェら」
 酔いに縺れかける舌で問い掛ける。
 兵庫水軍の疾風と知っての事か、と見得も切ってみせたが、返事はない。
 代わりに、白っぽい光が見えた。
 「いきなり刃物たぁ、尋常じゃねェなあ…」
 茶化しながらも、身構えた―――つもりだった。
 ―――ヤベぇ。
 足が、ふらつく。
 腰が、定まらない。
 ―――呑みすぎたか。
 微かに、頭痛もした。
 質のあまり良くない酒を、勢いだけで流し込みすぎたせいだと悔やんだが、遅かった。
 あるいは、一服盛られたか―――そんな疑いが頭を擡げてきたのは、殺気だらけの男たちの後ろに、あの貧相な小男の顔を見つけたからである。
 どうやら、仕組まれていたらしい。
 命を狙われる心当たりなど、あり過ぎて考えるのも面倒だ。
 でかいところでは縄張り争い、小さいところでは熨した相手の逆恨み―――いずれにしても茶飯事ではある。
 「けっ―――かかって、きやがれ!」
 半ばやけくそじみた台詞を吐き終えぬうちに、数本の刃が翻った。
 叩き落し、
 蹴り払い、
 殴り飛ばし―――
 悪酔いに痛む頭で、疾風は暴れた。
 避ける、などという行動はこの際、無理である。酒精だか薬分だかが、身体中に回っているのだ。
 だから、間合いを詰められまいと、とにかく滅茶苦茶に手足を振り回した。
 それはもう、つむじ風の如くだ。
 下手に近付いた者は皆、吹っ飛ばされた。
 だが、疾風自身、無傷では済まない。
 何しろ相手は刃物を持っている。衿を裂かれ、袖を斬られ、頬を掠め、腕を突かれた。
 どれ一つとしてまともに入らなかったのは、もう、奇蹟に近かった。
 「…何を、している」
 不意に―――
 遠雷を孕んだような低い声が、周囲を凍りつかせた。
 すう、と流れた秋風が、半月を背に立つ長身の、真っ直ぐに流れ落ちる髪を揺らめかせる。
 「何を、している、疾風…」
 鋭い光を溜めた瞳は、右に一つ―――左側は、漆黒の眼帯が覆っていた。
 その下に、夜目にも白く凄まじい傷が見てとれる。
 「蜉蝣…手前ェこそ、こんなところで何してやがる…」
 殴りかけた一人の胸倉を掴んだまま、疾風は唸った。「陸酔いはどうした、え?」
 「いつも酔ってる訳じゃない。貴様みたいにな」
 「うるせえ!」
 があっ、と怒鳴った勢いで手元の男をぶちのめし、そのままつかつかと同僚の元へ詰め寄る。
 「ムッツリ面下げてんじゃねえ!だいたい手前ェは毎度毎度―――」
 「毎度は俺の台詞だ。ガキの頃からいらん騒ぎばかり起こしやがって…」
 「手前ェの世話になったか、ああ!?」
 唐突に始まった口喧嘩に、無視された形になった男たちは唖然と展開を見守っていたが、ややあって我に返り、この際まとめて、と言わんばかりに斬りかかってきた。
 「―――だあッ、うるせえんだよ、手前ェら!」
 「―――阿呆共が、邪魔をするなッ!」
 振り返ったのは、同時。
 突風に、雷雲が加わった事を男たちが思い知るまでに、そう時間はかからなかった―――。




++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 ―――朝。
 まだ明けきらないうちに館へ帰還した要役二人は、嵐にでもあったかの様な姿だった。
 着物は汚れ、破れているし、髪は乱れ放題、手拭も巻いてはいない。
 痣だの傷だの、それはもうボコボコで、前の日に二人の諍いを目撃していた者達は、どこぞで一戦やりあったのかと、おろおろしたくらいである。
 しかし、二人揃って戻ったところを見ると、和解は成ったらしい。
 一人で町に呑みに出たはずの疾風と、陸酔いを避けて船に残っていたはずの蜉蝣とが何故、どこで行き会ったのかは不明だったが、そこまで突っ込んで問えるほどの命知らずは、さすがにいないようだった。
 そして、放っておいても適当に気晴らしを済ますはずの疾風を、陸酔いに耐えながらわざわざ迎えに行ったとは、幸いにも誰一人として思い至らなかったし、無論、蜉蝣自身も口にはしない。
 どこかの馬鹿が喧嘩を売ってくれたお蔭で暴れ足り、すっきり収まった乾風を、好んで呼び込むような真似は、さすがにしたくはないからであった…。


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