真っ暗な部屋。
ふたつ灯る小さな火。
寄り添うふたつの影。
「ね、おじさん。もう消して良い?」
「ちょ、ちょっと待った!ええっと…よし、大丈夫だ。」
遥が頬にかかる髪を掻きあげ、フッと火に息を吹き掛けると同時にフラッシュとシャッターが下りた。
「私、変な顔で写ってない?」
「ん?えっ…と。」
「貸して、おじさん。…うーん、ちょっと変だけど記念だもんね!」
そう、今日は遥16歳の誕生日。
「おめでとう。」
優しく微笑む桐生に、遥は「有り難う」と照れたように笑った。
遥は、この年で凄まじい人生を歩んできた。
親との別れ、衝撃の出会い。殺人現場の目撃や誘拐は何度となくあった。それこそ、命賭けだった事も多々ある。
しかし少女はいつも明るい笑顔を絶やさず、皆を慕っていた。
そんな少女を、いつも危険な目に遭わせてしまうのは全て己のせいだと桐生は悔んだ事もある。
そんな彼を救ったのは遥自身の強さと優しさだった。
そんな少女が、今日16歳になった。
もう遥と出会って七年が経つのか。
長いようで短い、密度の濃い七年だったように思う。
この七年で何が始まり、何が終わっただろう。
誰と出会い、誰と別れ、誰と拳を交え、誰と酒を汲み交し…。
桐生は電気を点けると、煙草に火をつけながらフッと笑った。
「どうしたの?急に笑って。」
「ん…俺も年食う訳だと思ってな。」
「そう?おじさんはまだまだ若いと思うけど…。」
遥は子首を傾げながらも、ケーキを切り、お皿に分ける。
「やっぱりワンホールのケーキだと余っちゃうね。」
「今から誰か呼ぶか?真島の兄さん辺りならすぐ来ると…」
「い、いい!余った分は私が全部食べるから…!!」
「…腹壊さないか?」
全力で首を横に振る遥に、今度は桐生が首を傾げる。
少女の、記念すべき16歳の誕生日はたった一人と過ごしたいという願いに全く気付く事はない様子。
「そうだ…遥、これはつまらないもんだが。」
桐生はそう言って、家具の隙間から小さな箱を遥に手渡した。
「有り難う」と笑顔で礼を言い、箱を開けた少女の目が溢れ落ちる程大きく見開かれる。
「おじさん、これ…。」
「前に欲しいって言ってたなかったか?」
シンプルな箱の中には、此方もシンプルな銀の指輪がちょこんと鎮座していた。
なんの飾りもない華奢なリングはまるで、まるで……
「…結婚指輪みたい。」
フッと大人びた微笑みを、遥は漏らした。
瞬間、懐かしいあの人の笑顔が重なった気がして桐生は目を見開いた。
「…おじさん?」
「…っ………あ…ああ、いや。何でもない…。」
親子は似るもんだ。
そう自分に言い聞かせ、まだ長い煙草を灰皿に捨てる。
もう、少女も16歳。
顔付きは元より、仕草や言葉使いまでも少しずつ母親に似てきている気がして、たまに懐かしい昔の記憶が蘇る事もあった。
強くて優しい、あの眩しい笑顔。
自分が一番守りたいと思った、あの……
「ね、おじさん。これ今日からずっとつけてて良い?」
「学校では外すんだぞ。」
「うん!…一生大事にするからね………一馬…。」
大人びた、眩しい笑顔。
それは強くて、優しくて
涙が溢れそうなくらい、とても綺麗で……
終
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「桐生ちゃーん!」
呼ばれた当の本人は、並んで歩いていた遥を抱え脱兎の如く逃げ出した。
しかし素早さで勝る真島はすぐ二人に追いつく。
「逃げる事ないやろ?丁度今桐生ちゃんちに行こ思てん」
「どうしてアンタは俺を安穏に暮らさせてくれないんだっ」
「遥ちゃんがおるときはそないな事せえへんって!」
なあ、と桐生の腕に収まる頭を撫でようと手を出すが、桐生は遥に指一本触れさせまいと腕の力を強めた。
「いけずやなあ、何もせえへんって言うとるやろ!」
「あてにならねえな」
「大丈夫やって!ほら、行くで」
強引な真島の押しで、住まいに入れざるを得なくなった。
ここまで来て追い返されたとなれば真島も黙ってはいない。
少なくともドアは蹴破られるだろう。
(結局入られるんだな…)
伊達を呼んで家宅侵入罪ででも逮捕させようかとも考えるが、真島に対しては無駄な事のように思った。
桐生は諦めの溜息を吐く。
「相変わらず桐生ちゃんちは綺麗やのー。家事は出来るし別嬪さんや、遥ちゃんはええ奥さんになるで」
オトウサンは大変やな、と置いた真島の手が不自然に桐生の肩を揉む。
「どや、遥ちゃん、ワシの奥さんにならんか?」
「…冗談はよしてくれ」
「桐生ちゃんに言っとらん。何や、嫁に来てくれるんか?嬉しいわあ」
正に黒い笑顔。
眼帯に遮られた左目からの視線さえも恐ろしく感じられ、桐生は表情を強ばらせた。
「駄目だよ。私、好きな人いるから」
「そうか、ふられてしもたわ」
真島はさも残念そうに言う。
「慰めてえな、桐生ちゃん」
「断る」
「冷たいのう、ワシだって傷付くで!」
桐生は足に縋りつき喚く真島の頭に拳固を落とした。
夕食時に真島は桐生と遥を焼き肉屋でもどうかと誘うが、遥が渋った為却下された。
二人と一緒にいる時自分に向けられる視線に慣れることはなかった。
遥が嫌がる理由が痛い程分かる桐生は心底すまなそうに謝った。
「おじさんの所為じゃないよ」
励ますべき相手の一言に幾度となく救われた。
一年前、全てを失ったのは遥も同じだと言うのに。
遥は既に床につき、男二人が酒を飲み交わす。
自然と話は1年前の事件の方へへ向かう。
「もう1年になるんか」
「…ああ」
親友の為に10年も臭い飯を喰い、出所してすぐにあの事件だ。
「アンタもしっかり邪魔してくれたがな、遥にも手を出して」
「あれくらいせんと桐生ちゃん、相手にしてくれんやろ」
ふ、と桐生は笑った直後、自らの異変に気付いたのか柳眉を顰めた。
桐生、と呼ぶ真島の声を甘く感じる。
「ホンマ甘いなあ…俺だったからよかったんや。1年前のこともある。あの街やない言うてもお前は堂島の龍、十分な獲物や。気ぃ抜いとったら、死ぬで」
襟の中の首筋に真島の唇が触れる。
刃物が滑るような感覚に身悶えする。
「その前に俺が殺ったるけどな」
憎しみすら潜む桐生の双眸が閉じる頃、真島はそう呟いた。
ぐったりとした桐生の肩を抱き、遥のいる寝室の扉を叩く。
「…安心しい、遥ちゃん」
しばらくの沈黙の後、部屋に招くようにドアが開く。
寝付けない遥は、二人に──少なくとも桐生には気付かれないように二人の様子を伺っていた。
「遥ちゃんから桐生ちゃんを盗ったりせえへん」
「…おじさんが、真島のおじさんは信用しちゃいけない人だって」
自分は注意散漫なくせに。
1年で随分丸くなってしまったらしい。
真島は苦笑いを止められなかった。
「すまんなあ、手荒なことしてもうて。桐生ちゃん、最近あんま寝とらんかったみたいやからな」
「…やっぱり1年前の事、思い出しちゃうみたい」
遥はベッドに下ろされた桐生のシャツのボタンを数個外し、ブランケットをかけた。
その目は単に保護者に向けられるものではない、特別な感情をはらんでいた。
「今更やけど、遥ちゃんが好きなんは、桐生ちゃんやろ?」
…うん。
顔を少し赤らめて頷く遥の頭を「それでええ」と撫でた。
遥は1年前に怖い思いをさせられた相手にとは思えない愛らしい笑顔を向ける。
「真島のおじさんも、おじさんが好きなんだね」
「好き、かあ…好きとはちゃうねんな、多分」
この黒く蠢く感情を「好き」と表現するには余りに横柄な気がした。
その証拠に、安らかにすら見える桐生の寝顔を酷く傷付けたくもなる。
「また来るで。桐生ちゃんによろしゅうな」
後ろで遥が心配そうに声をかけるが、真島は背中越しに手を振って答えるだけだった。
「あの娘やなかったらなあ」
冬が始まる夜の町に、真島の白い呟きは吸い込まれるように溶けて見えなくなった。
.
.
テーブルの上にはオムライス。
そして目の前には真島吾朗。
一見何の変哲も無い組み合わせ・・・であるようにも見えるし、そうでないようにも見える。
だが問題は一緒に添えられたケチャップ。
「真島のおじさん、早く食べないと冷めちゃうよ」
「う~ん、もうちょい待ち。今精神統一しとるところや」
なにやら珍しく真剣な表情でオムライスを睨みつけている真島に遥が声を掛ける。
一応これを作ったのは遥なのだが、何故かケチャップは掛けないで欲しいと真島に言われたのだ。
「・・・おじさん遅いね」
そんな格闘する真島の前にはもう一つオムライスがあった。
だがこちらもケチャップは付いていない上にサランラップが掛けてある。
それは数時間前に急に東城会に呼び出されて出かけていった桐生の分だった。
「な~に、心配あらへん。もう直ぐ戻る言うてたんやから大丈夫や」
「うん、そうだね。ほら、早く掛けて」
「・・・よっしゃ!ほないくでぇ」
「うん!」
ガチャ
「ただいま、遥。・・・何やってるんだ、二人とも」
「あ、おじさんおかえりなさい」
「おう、桐生チャン遅かったな」
「ああ、済まなかった。・・・それより、それは?」
「今ね、ケチャップでおじさんの似顔絵描いてたの」
「結構似てるやろ?」
「うん、あ、でもこの辺もう少し」
「こうか?」
「そうそう!」
・・・何だか自分がいない間に随分楽しんでいたようだ。
まるで兄妹のような二人に微笑みながらも、オムライスにケチャップで描かれた自分の似顔絵らしきものを見て首を傾げた。
まあ確かに器用ではあるが。
「兄さん、それ大分冷めちゃったんじゃ・・・」
「やっぱり桐生チャンへの愛が成せる技やなぁ!」
「ッ!!?」
突然何を言い出すんだ、この男は。
不意打ちとも言える一言に桐生の顔は真っ赤になった。
「に、にいさ・・・」
「遥ちゃん、桐生チャンの分温めてやった方がええで」
「うん、おじさん今温めるから待っててね」
「・・・」
兄さんの発言もそうだが、それに適応化してきている遥もどうなのだろう。
ちょっぴり不安になりながらも、真っ赤になった顔を中々治められない桐生なのでした。
END
07-02-17 02:56
[感謝の渡し物(龍が如く)]
(桐生・遥・伊達・沙耶)
―その日になった。
ある人はその日を知っていて結果を待ち望んでいたり、
ある人はその日を知っていながら知らない振りをしていたり…
はたまた本当に忘れてた者もいるものだ
当の本人も忘れていた。
渡される前は。
感謝の渡し物
「あ…」と遥は小さく呟いた。
デパートで今日の食材を桐生と一緒に買っていた途中だった。
「遥、どうした?」と桐生は遥を見る。
「ううん、なんでもないよ」
忘れてた…今日はバレンタインデーだった…。
桐生の後ろには大きなピンク色のハートの看板。
そこには大きく
「2/14バレンタインデー」
と書かれていた。
あいにく本人は気付いて居ないようだ。
「おじさん」
「ん?なんだ?」
「…欲しい物があるの」
「何だ、何が欲しいんだ?」
どうしたんだ?急にそわそわして…と桐生は不思議に思う。
「おじさんには内緒!」
「え!?」
遥の急な攻撃に驚く。
内緒だなんて…本当にどうしたんだ?
段々桐生は内緒の件よりも遥自身に心配する。
こういうのは男の俺にはどうしようも出来ない。
「私一人で買いに行くからおじさんは先に会計済まして待ってて!」
と本人も言う。
「大丈夫なのか?」
と遥に聞きながら千円を渡す。
…千円で遥の欲しい物…買えるのか?
ふとそう思った。
「ごめんね、おじさん、有り難う!」
遥の笑顔に微笑みながら不安を残しつつ、その場を離れた。
「よかったぁ~」
遥は少しづつ小さくなっていく桐生の背中を見て安堵の息を吐いた。
どうせなら桐生を驚かせたい。
いつもお世話になっている感謝として―…
とそこまで考えて我に返った。
「そうだ…手づくりはできないや…」
桐生は遥と過ごす為離れた時は殆ど無い。
作る時間が無いとわかると、出来上がっている物を渡して驚かすしかないのかな…と考えた時だった。
「うーん…ビターはお父さんには似合わないかな…」
と聞き覚えのある声がする。
「沙耶お姉ちゃん!」
「ん?あれ?遥ちゃん?」
と今時な感じの服を着た女性―沙耶―が気付いた。
桐生の良き相棒である伊達真の娘だ。
離婚して離れたらしいのだが遥と桐生が共に暮らす時に伊達と沙耶も共に暮らし始めたという。
「こんな所で会えるなんてね!」沙耶が遥の頭を撫でる。
「沙耶お姉ちゃんも、チョコを?」
「うん、今年は手づくりにするつもりなんだ」と言う。
「一緒に作らない?」
「え!?いいの?」
「いいのいいの!調度お父さんに居なくなってもらう口実できるし!」
「多分今頃桐生さんと一緒なんじゃないかな?」
「はぁー…」
喫煙室でひそかに溜息をしたつもりだったが周りに目線を集めてしまった。
気まずい中、また考えるのは遥の謎の行動の原因ばかり。
なんで一人で買い物なんか…?
「どうしたんだ…遥ぁ…」
「よぉ、やけにうなだれてるじゃねえか」
懐かしい声がする
「…伊達さん!」
「おう、久しぶりだな」
服は変わっているがやはり雰囲気は変わらないものだ。
「桐生、俺も多分、お前と同じ気持ちだ」
よいしょ、と桐生の隣に腰掛ける。
「伊達さんも?」
「沙耶も同じく一人で買い物に行っちまったんだ。しかもその前なんか『お父さん、ネクタイとか欲しいのある?』とか急に言うんだ。なんだかさっぱりだ…刑事やめたこと怒ってやがんのかな…就職しろとか…」
「まさか、娘さん、嬉しそうだったじゃないか」
「だけどよお」
二人でそんな話をしてる時に伊達の携帯に電話がかかってきた。
「ん、あぁどうした?…おぉ…わかった」
伊達は電話を切るとまた落ち込んだようにどかりと座った。
「娘さんか?」
と桐生が聞く。
「あぁ、どうやら遥と一緒らしい。部屋で何かするからしばらく二人でぶらぶらしてろ、だと…」
今度は二人で肩を落とす。
そして同時に溜息と
『どうしたんだ…』
と呟いた。
二人が甘い感謝のチョコレートを貰うのは、何時間か先の事…
[感謝の渡し物(龍が如く)]
(桐生・遥・伊達・沙耶)
―その日になった。
ある人はその日を知っていて結果を待ち望んでいたり、
ある人はその日を知っていながら知らない振りをしていたり…
はたまた本当に忘れてた者もいるものだ
当の本人も忘れていた。
渡される前は。
感謝の渡し物
「あ…」と遥は小さく呟いた。
デパートで今日の食材を桐生と一緒に買っていた途中だった。
「遥、どうした?」と桐生は遥を見る。
「ううん、なんでもないよ」
忘れてた…今日はバレンタインデーだった…。
桐生の後ろには大きなピンク色のハートの看板。
そこには大きく
「2/14バレンタインデー」
と書かれていた。
あいにく本人は気付いて居ないようだ。
「おじさん」
「ん?なんだ?」
「…欲しい物があるの」
「何だ、何が欲しいんだ?」
どうしたんだ?急にそわそわして…と桐生は不思議に思う。
「おじさんには内緒!」
「え!?」
遥の急な攻撃に驚く。
内緒だなんて…本当にどうしたんだ?
段々桐生は内緒の件よりも遥自身に心配する。
こういうのは男の俺にはどうしようも出来ない。
「私一人で買いに行くからおじさんは先に会計済まして待ってて!」
と本人も言う。
「大丈夫なのか?」
と遥に聞きながら千円を渡す。
…千円で遥の欲しい物…買えるのか?
ふとそう思った。
「ごめんね、おじさん、有り難う!」
遥の笑顔に微笑みながら不安を残しつつ、その場を離れた。
「よかったぁ~」
遥は少しづつ小さくなっていく桐生の背中を見て安堵の息を吐いた。
どうせなら桐生を驚かせたい。
いつもお世話になっている感謝として―…
とそこまで考えて我に返った。
「そうだ…手づくりはできないや…」
桐生は遥と過ごす為離れた時は殆ど無い。
作る時間が無いとわかると、出来上がっている物を渡して驚かすしかないのかな…と考えた時だった。
「うーん…ビターはお父さんには似合わないかな…」
と聞き覚えのある声がする。
「沙耶お姉ちゃん!」
「ん?あれ?遥ちゃん?」
と今時な感じの服を着た女性―沙耶―が気付いた。
桐生の良き相棒である伊達真の娘だ。
離婚して離れたらしいのだが遥と桐生が共に暮らす時に伊達と沙耶も共に暮らし始めたという。
「こんな所で会えるなんてね!」沙耶が遥の頭を撫でる。
「沙耶お姉ちゃんも、チョコを?」
「うん、今年は手づくりにするつもりなんだ」と言う。
「一緒に作らない?」
「え!?いいの?」
「いいのいいの!調度お父さんに居なくなってもらう口実できるし!」
「多分今頃桐生さんと一緒なんじゃないかな?」
「はぁー…」
喫煙室でひそかに溜息をしたつもりだったが周りに目線を集めてしまった。
気まずい中、また考えるのは遥の謎の行動の原因ばかり。
なんで一人で買い物なんか…?
「どうしたんだ…遥ぁ…」
「よぉ、やけにうなだれてるじゃねえか」
懐かしい声がする
「…伊達さん!」
「おう、久しぶりだな」
服は変わっているがやはり雰囲気は変わらないものだ。
「桐生、俺も多分、お前と同じ気持ちだ」
よいしょ、と桐生の隣に腰掛ける。
「伊達さんも?」
「沙耶も同じく一人で買い物に行っちまったんだ。しかもその前なんか『お父さん、ネクタイとか欲しいのある?』とか急に言うんだ。なんだかさっぱりだ…刑事やめたこと怒ってやがんのかな…就職しろとか…」
「まさか、娘さん、嬉しそうだったじゃないか」
「だけどよお」
二人でそんな話をしてる時に伊達の携帯に電話がかかってきた。
「ん、あぁどうした?…おぉ…わかった」
伊達は電話を切るとまた落ち込んだようにどかりと座った。
「娘さんか?」
と桐生が聞く。
「あぁ、どうやら遥と一緒らしい。部屋で何かするからしばらく二人でぶらぶらしてろ、だと…」
今度は二人で肩を落とす。
そして同時に溜息と
『どうしたんだ…』
と呟いた。
二人が甘い感謝のチョコレートを貰うのは、何時間か先の事…
家族ゲーム
夜の公園。
遊んでいる子供なんていなく、いるのは段ボールを布団にして寝ているホームレスだけ。
そんな静かな公園の中…遥のよろつく姿に、ドシンという鈍い音。
その度に桐生ははらはらしたり、あぁ!と声をあげる。
慌てて駆け寄りたいけれど、それは遥自身に止められていて…
ぐっと我慢すればまた、ドシンと鈍い音。
「は、遥…今日はもう止めないか…?」
いい加減すり傷だらけの遥に、桐生はたまらず声をかける。
しかし、それに返ってきたのは、遥の厳しい声だった。
「まだ!!!帰るんなら、おじさんだけ先に帰って!!!」
もちろんそんなことをできる筈がなく、また何度も続く鈍い音に…はぁ…と深いため息をついて、ベンチへと座った。
気づいたのは、丁度仕事帰りの道での事だった。
商店街を通り抜けるとき目に入った、可愛らしい、真っ赤な自転車。
子供用のそれは自転車屋の店先に並べられていて、遥に似合いそうだと桐生はごく普通に思った。
遥と暮らすようになって、何を見ても遥なら…とあの少女に似合い物を探してしまう。
困った癖だな、なんて苦笑しながら自転車を見て…ふと気づく。
「そういえば…まだ遥に自転車、買ってやってなかったな…」
何処へ行くにも歩きか電車か、車に乗って移動していた。
それに、遥は自分から物を欲しいと言わない子だ。
桐生があれ、いるか?と聞くと、うんと頷くが、自分からはなかなか言わない。
ましてや、自転車みたいな万を超える品をねだる筈がなかったのだ。
「…学校の友達と出かける時、やっぱりいるか」
何時までも、歩きというわけにはいかないだろう。
桐生はひとつ頷くと、いつもより少し早足になって家への道を歩き始めた。
夕飯の時間。
今日も今日とて押し掛けてきた真島は桐生の隣に座り、ちまちま何かテーブルにこぼしは遥に叱られていた。
「真島のおじさん!またお箸の持ち方が違うよ!お箸の持ち方はこう!」
「…ええねん、ワシはこれで。食えたら一緒やし」
「駄目だよ。そんなんだから、こぼしちゃうんじゃない」
ほら、と箸の持ち方をレクチャーしてやるも…真島は直そうとしない。
ツマミとスナック菓子を肴に酒を飲んで、今まで生きてきた男だ。
表立った会合も面倒臭いと蹴っていたため、この癖を今まで知らなかったのだが…真島は箸を握るとき、手をグーにして握るらしい。
それに桐生と遥が気づいてから散々矯正しようとしたのだが…なかなか上手くいかない。
「親父も諦めたんに…」
「駄ー目!いつまでも子供じゃないんだから」
「……はは…まさか子供に言われる思わんかったわ」
情けなそうに顔を引きつらせ、やっと箸を正しく持とうと四苦八苦。
あの嶋野の狂犬とは思えない姿に、桐生はクスクス笑った。
「まぁまぁ、ゆっくりやっていこう。…そうだ、遥」
「何?」
「自転車、欲しくないか?」
ピタリ、と遥の動きが止まる。
真島にこう!と見せていた箸まで停止し、頑張っていた真島は首を傾げた。
「遥ちゃん?どないしたん?」
「遥?」
二人に顔を覗き込まれ、遥ははっと我に返る。
そして…力いっぱい首を横に振った。
「いい!!いらない!!」
あまりに強い拒絶に、二人は顔を見合わせる。
遠慮している…とかいうのではなく、本気で嫌がっているようだ。
そんな遥を見るのは初めてで、桐生は困惑した。
「でも、友達と遊びに行くときとか…不便じゃないか?」
「歩くから、いいもん」
「遥に似合いそうな自転車があったんだが…」
「別にいらないもん」
「でもなぁ…」
「いーらーなーいー!!!」
頑なのは、誰に似たのか。
ため息をついてみれば、隣で真島が「桐生ちゃんみたいやな」とケラケラ笑っていて。
恥ずかしくなって、テーブルの下で足を蹴りつける。
むこう脛を蹴られた真島は涙目になって足を抱えるが…目は笑ったままだ。
「遥ちゃん、もしかして自転車乗られへんのとちゃう?」
「え…そ、そうなのか?」
遥を見てみれば、遥は真っ赤になって唇を噛みしめている。
膝の上で拳をつくって、恥ずかしさに耐えていた。
「…………ヒマワリで練習したけど…上手く乗れなかったの。いっぱい転んで、怖かったし…」
段差で転んだときなんかは、手をついたときに手首に皹が入ったらしい。
それ以来、怖くて自転車の練習ができなかったそうだ。
ヤクザ相手にタンカをきるのに、意外な弱点が判明し…桐生はそうだったのかと頷いた。
「でも、そのままでいるわけにはいかないしな…兄さん、どうします?」
意見を求められ、真島はにやりと笑った。
「練習しか、ないやろが?」
スパルタな気配が漂う真島の笑みに…桐生とおののき、遥は逃走を試みる。
けれど素早く捕えられ、遥を肩に、桐生の右手を掴み。
「ほな、善は急げや。自転車買いに行くで!!」
「ま、真島のおじさん?!」
驚く二人を抱え、引きずり…真島は心底楽しそうに笑って玄関を飛びだしていった。
それから、まだ開いていた自転車屋で夕方見た自転車を買って、公園へとやってきた。
初めは嫌がっていた遥だったが…真島に後ろを押さえてもらいながら頑張るうち、やる気がでてきたようだった。
今では生傷をつくる遥に、桐生がもう止めようと言う始末。
「はるかー…」
「もう!!大丈夫だってば!!」
言ったはしから、また転ぶ。
「桐生ちゃん、邪魔したらあかんがな」
転んだ遥を起こしてやりながら、真島が笑う。
遥もそんな真島に、激しく同意した。
「絶対自転車に乗れるようになって、おじさんたちとサイクリングに行くんだから!!」
いつそんな話になったのか、遥が乗れるようになったら三人でサイクリングらしい。
自転車のテーマパークが関西のほうにあると、真島が入れ知恵したようだ。
でも、それだけ頑張るのなら…応援してやらなければいけないのかもしれない。
刻々と生傷を増やしていく愛娘を心配しつつ…桐生は真島に支えられてよろよろペタルをこぐ遥を見て、優しく微笑んだ。