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aaa


「駄目やわー。嘗めとんの?」

         バサッ・・!

「ッ!」
 投げつけられたそれに思わず目を瞑る。それは宙を舞う紙、それは彼が苦労して作り上げた資料の一部だ。
「ほんまお前、こういう仕事苦手やな」
「・・すみません」
「謝ってすむんやったら、警察いらんで?」
「すみま・・せん」
 体を使う仕事は構わない、何も考えずにすむから。だがこの手の仕事はどうにも苦手で、だけどどうしてかここ最近ずっと。命じられる仕事はこの手のものばかり。
「とりあえずできるまでやり直しや・・まぁもう俺等帰るけど・・・なー?」
 後ろに立つ部下たちに声をかければ頷く声とニヤニヤと笑う声が混ざって聞こえる。彼らもまた、こんな自分を面白がってるに違いない、助けてくれたことなんて、一度もないのだから。
「・・・はい」
 拾い集めた紙を握り締めながらデスクに戻る。握り締めた紙はもう使い物にならない、新しくコピーしなおそうと、パソコンの画面へ彼は目を向けた。

 ポーン。

「っ!!」
 ディスプレイに現れる、一通の新着メール。差出人欄は空白、でも彼はその相手が誰で、どういったものわかっていた。心のまま正直に言えば、そのまま削除してしまいたい。
「・・・・」
 でも、心とは裏腹に手は恐る恐るマウスに伸び、カーソルが動き指をカチカチと、二回動かした。








     ―――五分後、ここで。







「・・・・」
 五分、部屋から誰もいなくなってからきっかり五分。桐生の目の前には広がるやり直した書類。だがこんなことをしたって無駄なのはわかっている、そう思うせいか作業は全くといっていいほど、捗らなかった。

「桐生、ちゃーん」

「ッ・・・!?」
 ため息をついたのと、己の名前を呼ばれ首筋に冷たい手が回ってきたのはほぼ同じ瞬間。驚きのあまりに思わず上ずった声を出して、その手の主へと視線を向ける。
「マジ、まさ・・・」
「んな他人行儀なこと言わんといてや・・・もうここには、俺とお前しかおらんねんで?」
「・・・」
「ほんま、さっきは堪忍やったわ」
「・・・」
「あいつ等の手前、ああでも言わんとあかんかってん」
 掴み所のない、真意のわからない謝罪の言葉と共に、肉の削ぎ落とされたような骨ばった手が首から顎へと伸びては撫でられる。言葉にできない感覚に、ただ狂わんばかりの鼓動を鳴らす心臓を押さえつけようと目を瞑る。
「兄、さ・・ん」
「んー・・?」
「ど、して・・」
「だって、桐生ちゃんほんまこういうデスクワーク苦手やねんもん。せやから、余計にやらせとうなんねや」
「・・・っぁ」


「そうしたらこうやって、仕置きと勉強の言い訳が作れるやろ?」


 顎まで伸びた手が、するりとスーツの中へと消えていく。シャツの上を這うまるで蛇のような手、指が胸に触れて抓ればシャツ越しでも痛みと痺れを感じて、声を挙げる。
「ィ、や・・ッ!」「大丈夫やって。俺の言う通りにしてたら、間違いないから」
「――っ・・・!」
「だから桐生ちゃんはこのままでええねんで?ずーっと、俺と一緒におりや?」
 本当は、逃げ出したい。こんな場所からこんな男から、上の命さえなければ。けれど身体は慣れに正直で、敏感な場所を触られれば直ぐに反応する。それがまた悔しくてたまらない、でも逃げられない、五時以降の残業。
「ぁ・・ぅんッ」



「ほら頑張りらんと。明日も残業することになるで?」



 蹂躙される身体。
 けれど目の前には、終わりのない仕事の山が詰まれたまま、今日も、また。











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ppp


「・・・ッぅぐ」
 桐生は苦し紛れに、体を動かした。だが首を固定している太腿はびくとも動かない。ただでさえ意識は半ば朦朧としている中、その力すら出すのがやっとなのに。込めた力で男の足を叩いたところで、跨る男の顔は涼しく痛みすら感じていないようだった。
「桐生ちゃん、終わりやなー・・」
「・・・兄、さ」
「楽しかったで?」
 懐からゆっくりと取り出される、刃が煌いた。購いようのない絶対的な力、冷たく光る小さな刀が、この人生をあっけなく終了させるのかと思うと。だが十年前の決着が今つくのかと思うと、抵抗していた力が自然と抜ける。終わらせるのが、この男でよかったと。そう思ってしまうから。
「じゃぁ、な」


       ビュッ―――!


                ッ!!


 振り下ろされた刃、凶器に歪んだ顔。最後に焼きついたのは。










Shangri-La









「・・・」
「・・・?」
 その瞬間確かに男の後ろに、死者の河が見えた。だが手招きされることなく、桐生は自分の心臓がまだ動いていることを理解する。信じられなかった、狂気も、殺意も本当のモノだったのに。どうして今、自分はまだ生きている。
「・・・な」
「・・・・」
 だが桐生以上に信じられないという顔をしたのは。殺意の持ち主であった真島吾朗だった。自分の刀と桐生の顔を交互に見て、また刀を振り下ろす。


    ガキン、ガキンガキンガキンガキンッ!


 容赦なく戸惑いなく。だが刀は桐生の顔すれすれ通り過ぎ床に刺さる。何度したって同じ、本人には当たらない。
「ハッ・・・ハハハハハハッ!!」
 十数回と地面を突き刺しやがて、真島は突然狂ったように笑い始めた。何を思ったのか何かを感じ取ったのか理解したのか。何もわからない彼は、苦しみに紛れて声を上げる。
「何が、おかしい・・ッ。殺るなら、早くっ・・・」
「十年」
「・・・?」
「十年、俺この日を待っとってんや」
 力を込めすぎて震える手が、見えた。そして抑えられている力が抜けていくことにも気づいて、ますます桐生は混迷する。
「なぁ、桐生ちゃんは十年離れてて、どうやった?」
「・・・・」
「俺はずっと。夢の中で何度も殺したし殺されたで。でもやっぱり本物にはかなわんなー・・・ほんまに楽しいわ」
 すぐ隣で聞こえる刀の抜く音。そしてずるずるとその体を下へとずらしながら眼帯の男は皮手袋の手でつっと、桐生の首へ添える。愛しさと、殺意を混ぜた感情が向けられる。
「それやのに。もう終わるんか?」
「兄、さん・・」
「せっかく十年経って再会して、もう終わりか?桐生ちゃんこのあと死んで、俺一人残されるんか?」
「何、が」


「そんなん、困るわ」

         ―――パツンッ。


「っ!!」
 心底悲しげな顔に掻き消され、最初は聞こえなかった音。だが視界の箸に移る転がるボタンに、目を見開く。
「真島、兄さん・・ッ!」
「今動いたら、腹切れるで?」
 パツンパツン、刃で糸を切り飛ばされるボタン。赤いシャツの下から現れる肌を、首元に添えていた左手がゆっくりと撫ぜていく。体が震えたのを、男も、本人も感じ取る。
「もっと、もっと遊ぼうや?な、桐生ちゃん」
「ぉ、俺、には・・ッ」
「柵なんて、どうでもええやん。お前には俺がいればええ。俺にも、お前がいればええやんか」
「駄目。なんだッ、今は、今は・・!」
「十年分、今から。昔みたいに、な?」
 自分の体が震える、恐ろしい今から起こることに心の奥底で喜んでいる自分が、どうしようもなく恐ろしい。
「兄ぃ、さん・・・ッ」
「どうしてや?嬉しいやろ、開いてた穴。今から埋めたんのに」
 慈悲さえ含んだ優しい声。向けられる殺意と愛情の比がわからない、純粋な殺意だけならば返せた無視できた。だけど開けられた穴に埋められる愛情には抵抗できない、十年間。求めてたからずっと欲しかったから。


 十年、穴が開いてたそれがようやく埋まろうとしている。
 それをもう一度開けてどうすると、どうしようもない心が訴える。


「・・や、め――ッ」
「止めへん。そんな顔見て、止めれるわけないやんか」
 ない力で本気で抵抗する桐生の唇を、真島は塞ぐ。上唇を吸いながら甘く、優しく。一度、二度。薄い彼の唇を舐め或いは噛んで、鏡張りの部屋に音が響き、自身の姿が晒されていく。
「つ・・・っ、ふぁ」
 ちゅぅと、音を立てながら何度目かの口付け。唾液が口端を伝って床に流れる、求めている自分の姿をはっきりとその目で刻み込んだ瞬間、必死で耐えていた糸が切れた。
「兄さ、ぁ・・・ッ」
 だらりと力なく伸びていた手が真島の背中に回り、自分から求めればもうそこは戦場ではない。後ろに見えるのは、死者の河ではなく淫らに求める自分の姿。




「・・・楽しもうや。ここは桃源郷、モノには事欠かんし?」




         焼きついた男の表情は、欲しい物を手に入れた子供と同じ。






















その頃の外。
「だから嫌な予感がすると言ったんだ・・・!どうしてもっと早く助けてくれなかったんだっ」
「その前にアンタが錦山に捕まらなかったらよかったんだろ。俺だってこんな所、早く逃げてぇよっ」
「ねぇ伊達のおじさん、どうしてあたしの耳塞いでるの?おじさん助けなくていいのッ?なんか変な声が聞こえるんだけど・・ッ」
「あー・・・今風呂入ってんだよ、二人で。あぁ畜生俺も耳塞ぎてぇ・・!」
「一馬、どうしてよりによってソイツなんだ・・!」
「おじさん?おじさんがどうしてアイツと今お風呂入るの?わけわかんない・・・ッ」



        男二人と子供一人、部屋の外で絶賛出歯亀のまま動けずにいた。







o6







「・・・・」
「・・・・」
 沈黙は嫌いではない。元々人と話す機会などあまり上手くなくて、さらにこの世界に知り合いもあまりいない。真島組に入ってからはずっと組長の隣にいたから尚更の話だった。
「・・・なァ、桐生」
「はい・・・」
「お前って、そんな根暗なヤツだったか・・?」
「・・・そうですか?」
「いや。俺が真島の親父の隣で見てたときはもっと笑ってたから・・・あれ、おかしいなー・・・これで見ると、こっちが素のお前の気もするし」
 若頭の立場にいる男は、首をかしげる。貶されてるのか褒められているのかわからないが故に、桐生も何も言わない。神室町内の道、しのぎの為に二人は歩いた。一言も交わさずに。
「・・・不満だろ?」
「・・・・別に」
「隠すなよ。俺だって驚いてるんだぜ。親父があれだけ可愛がってたお前をいきなり俺に渡してくるなんて、最初はなんかの嫌がらせかと思ったぐらいだ」
 男はすべてを見透かしているのか笑みを深める。つい数週間前まで、組にいるときは側を離れるな、余計なヤツに話しかけるなと教え込まれていたから考えてみれば、この男ともあまり話したことがない。若頭という立場にいるはずなのに。だからか、新鮮味を覚える。
「まぁ、あの人の頭の中は。それこそ俺でもわかんねぇから・・どうしようもねぇよ、それが”真島吾朗”だからな」
「・・・・」
 "真島吾朗"の、この男は何を知っているのだろう。あの人の何を理解してるのだろう。
 狂犬などといわれながら、あの人はよく慕われる。人を惹きつける力、人の心に入り込んでくる力を生まれながらにして持っている。一種の才能で、本能。真島吾朗とはそういう男。(ならば、あの人自身の心とは一体なんだろう)(それを知らずに語るこの男は、一体なんだろう)

「・・・・あの人は、そんなに。強くなんか・・」

「あぁ?」
「・・・独り言です」
「・・・へぇ。お前独り言いえるだけのジョークは持ってんのか」
 心の隅に沸き起こる、小さな苛立ちが形になろうとして。慌てて止める。
 けれどそれを聞いた男はどこか嬉しそうに、ぐりぐりと桐生の頭を鷲掴んだ。邪険に振り払いながらも人の温かさに彼も本気で抵抗はしない。けれど頭の中にあるのは、本来この場所にいてくれたただ独りのことだけで。


 あの人は知らない、自分の知らない部分がたくさんあることを、知らない。
 眠る時に気が付けば人の手を握ることも、沈黙が嫌で常に何か話してないと気がすまないことも。何も、きっと何も知らなくて。それを自分だけが知っている。

         それを知れば知るほど離れがたくなる、あの頃には戻れない。


「・・・・」
 だから余計に不安になる、最後に会った夜からただの一度も見ていない、男の姿。そもそも情事のあと姿を消すなんて初めてのことで、わからないことだらけ。
 何かその身に起きたのだろうか、何か会いたくない理由でもできたのだろうか。そんなことした覚えがないだけに、あらゆる理由をつけ膨らみ募るばかり。
「・・・・あれ錦山じゃねぇのか?」
「え・・・?」
「当たりだ。堂島組がこんなとこで何してんだ?」
 男が素っ頓狂な声を上げながら、指差す方向。そこには確かに堂島組の錦山が立っていた。誰かを探しているようで、視線を上げた桐生と思わず目が合う。

「カズマーーーー!」

「・・・知り合いか?」
「ァ・・はい」
 ぶんぶんと手を振りながら、目当ての人物へ駆け寄ってくる。それが自分だろうなと、なんとなく察しはついていたがこれだけ大きな声で呼ばれても慌てるだけだ。いくら親友でも恥ずかしいものは恥ずかしい。
「こんなとこにいやがった・・・!あ、すいません。ちょっとコイツ借ります」
「あっ!?」
「っ!」
 ところが彼は足を止めることもなく、彼の肩を掴み人ごみに消える。驚く桐生の声と、状況の飲み込めていない男の声が神室町の雑踏に紛れていく。
「は・・・ッ?っ!!に、錦・・ッ」
 結局手を離すことができないまま、桐生は彼に連れられるまま。男の姿がなくなるのを見続けた。その小さくなる姿が、どうしてかあの人と被って。消えた。











「なんなんだよ、錦ッ」
「お前、組に行ったらいねぇって言うから。探したんだぜ。この街広すぎやしねぇか?」
「だから、なんなんだよ・・・!」
 人気のない公園、神室町にはよくある場所。一通り歩いたかと思うといきなりそこに連れ込まれた。当然桐生の顔には血管が浮き出るほどの憤りがありありと浮かぶ。親友は、宥めるように肩を叩いた。
「・・・お前さ。何したんだよ」
「お前が何してんだよ」
「俺?俺は別に普通だぜ。堂島組で頑張ってるさ」
「俺だって・・・」
「俺だって?」
 軽く叩いていた手が、不意に止まる。いつもの少し軽い視線に一転して真剣味が帯びた。
「・・・な、なんだよ」
 刹那、さっきまで感じていた、不安が、恐怖が。再び心を脅かす。
 彼は何か知っている、自分のすべてを変える何かを。聞きたくないと耳を塞げれば、目を閉じられれば。変わる状況もあっただろう逃げることもできただろう。この手が動けば、動くことができたなら。
「お前、自分の状況・・・わかってねぇのか?」
「だからさっきからそれを・・・」





「お前、明日から堂島組に入るんだぜ?」





       でも、その言葉は確かに耳に届く。
       ただ漠然と、言葉を彼は聞いた。
          (もうあの頃には、戻れない)










「よー。そろそろくるって、思っとった」
「・・・は、ァ。ハァッ」
 東城会に飛び込んで、わき目も振らず部屋を探す。最早勘に近かった、この広い敷地内のどこに彼がいるなんて、わかるものではない。
 だが桐生は見つけた、応接室の一角、机に腰掛け"待っていた"という彼を。
「どういう・・・こと。ですか」

「どこからや?」
「――全、部」
 肩を上下させ呼吸を整える彼に、男はふむと一考する仕草を見せ口を開く。
「・・・そうやな。飽きたッて言ったら、わかるか?」
「・・・ッ!!」
「俺はお前なんか別にいらんし、おらんでも生きていけるし。ちょっと目ぇつけただけや。そりゃ飽きたら捨てるわ」
「・・・・」
「そうやろ?」
 かったるそうに、言われるのは突然の終局宣言。あまりにさらりと言われるものだから、最初は理解できなかった。
「・・・・ぁ」
 というよりは、理解したくなかった。その表現のほうが正しい。
 いつもどこかで感じていたことが、必死で否定していたことが今この瞬間現実となって桐生の心に穴を開けた。本当に、突然の話。
「まぁ、俺もちょっとはしゃぎすぎたわ。堪忍な」
「・・・・」
「で。話はこれで全部。じゃあ俺もう行くから」

「じゃあな、桐生ちゃん」

 一方的な言葉を吐き出して真島はするりと、彼の横を抜ける。最後、それが最後。突き放した手はもう握れない。本当は肩に触れたかった。俯く顔が見たかった。けれどそれをすればどうなるかわからない。だから言葉だけを残そうとした。


          ミシッ。


「っっ!」
 しかし扉を出る前に、肩を信じられない力で掴まれた。そんなことするのは、一人しかいない。彼は振り返る。
「まだ・・なんか用か?」
「・・・・」
 もっと泣くと思っていた。喚くと思っていた。捨てられるという言葉に何より脅える子供は、無言で伏せっていた。
「・・・離してくれな。俺帰られへんねんけどなぁ?」
「・・・・」
 不意にぞくりと、背中に悪寒とも呼びがたい、線が走る。久々に味わう感覚に、目を見開き桐生を見れば、伏せっていたはずの目と克ち合う。
「ッッ。俺が、憎いか?」
 人とも思えない気迫、存在。そう欲しかったのはこれだ、今にも喰いかねない龍の牙。涙なんかじゃない、命を食い破れる牙が欲しかったのだ。
「俺を、喰ってくれるんか?」
「・・・・」
 世界が終わる、このどうしようもない世界から解放される。それがどれだけ嬉しいことで喜ばしいことか、失念していた。これに喰い千切られるなら惜しくない。
 惜しくなんか、惜しくなんか・・・・?


     『俺、兄さんがいてくれて・・・本当に』

        ポタ・・ッ。

           「兄さん・・・」


「ッ・・・?」
「・・・ッ」
「な。なんで泣いてんねや・・・お前」
 頭によぎった龍の笑顔と、涙が散る音は同時だった。我に返れば、部屋を充満していたさっきは嘘のように消えて、替わりに声が。聞こえている。心を締め付けて止まない、あの泣き声が。途端に不安が、恐怖が体を巣食う。
「ヤれよ、今ぁすぐ俺をッ!!」
「・・嫌うならッ。もっと、もっとちゃんと嫌ってください、よ」
「・・・・?」
「アンタ自分の顔見たらどうだっ!?そんな顔して、そんな表情されて、そんな言葉鵜呑みにできるかよっ!!」
「ッ!!」
 雫が飛び散る、胸倉をつかまれ何を言われたかと思えば到底理解できないこと。それなのに、胸倉を掴む手が振り払えない。寒いのか激しく震えてる、彼の顔が、直視できない。
「な、何言うて・・」
「・・俺、他人のために死ぬなんてクソ食らえだって。思ってました」
「・・・・」
「こんなところで、俺にはまだ道があるんだって。世界は始まるんだって思ってたんですよ?」
 掴む桐生の震える手は、恐怖からではない。流れ込む感情一つに同調して、真島の手も震えている。



「でも、でもアンタとなら・・・」
             (ここで終わってもいいと、確かに思って)


「っ!!?」
「それ以上言うなよ・・・絶対、言うな」
 最後の言葉は男の手で塞がれる。桐生の背筋に恐怖が過ぎる、塞いだ男の目は、この世にないほど自分を憎んでいた。男の本質を、見た気がした。
「・・・ぁ」
 けれどそれに脅えてしまったら、それこそすべてが終わる。終わりたくない、だから彼も涙をためた瞳で、精一杯男を睨みつけた。塞いでいた手を掴み取り払って、尚も食い下がる。
「なんで!なんでアンタは、俺を認めてくれないんだ!?アンタとなら俺、どこにだっていけるのにッ」
「んなこと許されるかッ!?俺がお前と心中やとッ?冗談も大概にしとけよ餓鬼の分際がッ」
「ッッ!!」
「いいか!?この俺がッ、真島吾朗が!誰かと一緒に生きたいなんて思ったアカンねやっ!!そんなの、真島吾朗が許さんのじゃッ!!」
「そうやって全部捨てて独りになる気かよ!そんなの、そんなの・・・ッ!」


「黙れエエエェェッッ!!」

      ガタンッ―――!
            ガツンッ!


「つゥッ・・!?」
「減らず口も、いい加減にせぇよ?お前みたいなヤツに、俺の生き方とやかく言われる必要もないなら、権利だってないんや」
 世界が、変わる。掴まれた胸倉ごと強く押され、バランスが崩れ押し倒される。痛みが背と頭に走ったのは、机に乗せられる形で倒されたからだと天井を見て理解する。
「兄さ・・ッ」
「っは。そうか、お前ヤりたいんか?」
「っ!?」
 信じられない言葉が、自分の言葉に被せられる。抵抗しようと振り上げた手は阻まれた。
「そうやな。もう一週間以上、してないもんな?それとも、一人でヤッとったか?俺の思い出しながら、ここいじって」
「あっ・・・ぁ。や」
 布越しに直接握られびくりと体が上下に震えた。力が抜ける、抵抗という文字が、瞬く間に溶けてなくなる。
「や・・ちが、違ッ」
「何が違うんや?ちょっと触ったッただけで、もうガチガチやんけ。救いようがないほど、淫乱やのぉ。お前は」
「ィっ、ぃや。や、やだぁっ」
 さっきまで見れていた男の顔が、見れなくなる。溜まる涙が頬を伝い、耳の中にまで浸入する。
「ゃめ・・ッ兄、さ。やめ・・・んッ」
 情けない、こんな体になった自分が初めて。情けないと、しかし体は最早素直に反応する。すれば声が漏れて何を考えていたか、何を言いたかったかわからなくなる。ただすべてを教え込んだ男の手管で、溶かされる。



「お前にとって、俺は単なる快楽の道具や。そやろ?桐生ちゃん・・・なァ、そうやろ?」


「ごろ、うさ・・」
 遠くで聞こえる彼の言葉が己を言い聞かせるようにしていた理由も、声が少し震えていた理由も。頬にかかる雫の正体も、もうわからない。
 ただ、熱のままうわ言の様に彼の名前を呼び続けた。












「・・・・」
 目覚めは、感じたことのない匂いのせいだった。耐え切れずに目をうっすらと開けて、ぼんやりと天井を眺める。
「・・・?」
 その天井が、見慣れたものであることに違和感を覚え彼は起き上がった、が、瞬間全身に走った痛みに体をすくめる。
「ぁー・・・ッ」

「大丈夫か?」

「っ!兄さ」
「お前ん家や、ここ。さすがにあそこに放置は拙いやろ」
 椅子に腰掛け、紫煙の煙を立ち上らせている男。電気のついていない部屋では声だけでしかわからない。けれどそれが真島であることは桐生にとって明白だった。
「・・・タバコ、吸ってたんですか?」
「ん?あぁ。お前に会うてから、吸うことなんてなかったからな」
「・・・どうして」
「吸うたら肺がんになるやんけ、お前まで」
 慣れていない匂いが、開いた心の穴を通り抜けていく。それは埋めるものではなく、確信するもの。


「俺を・・・捨てるんですか?」


「・・・」
 涙はすっかり乾き枯れ果て、散々泣き喚き叫んだ喉は潰れではしゃがれた声でしか出てこない。
「・・・堪忍な」
 車のヘッドライトかはたまたネオンサインか、いろんな色がカーテンの隙間から零れ、黒一色の部屋の光源になる。でもそれは、すぐに消えてしまう極儚い存在。
「俺ぁ結局、我が身が一番可愛いんや。だから、俺のために、お前を捨てる」
「俺はアンタのために、俺を捨てたのに?」
「・・・・あぁ、捨てる」
 はっきりとした言葉が、最終通告だった。もう縋る言葉すら見つからない、きっと何を言っても無駄だと、捨てられるのだと悟ってしまったから。
「・・・・アンタ、最低だよ」
「いつもそれ言われたら、相手死ぬまでボコボコにしたんねんけど・・・桐生ちゃんには言われても、否定でけへんな」
「・・・・」
「殺しとうなったらいつでもおいで。俺はそうやすやすと殺されへんで?」
「・・・・俺に復讐すら、させないつもりですか?」
「別にしてもえぇけど。俺と対等になってからおいでって言ってんねん。少なくとも感情全部押さえ込んで、戸惑いなく刺せるぐらいになってからな」
「・・・」

「でなきゃ俺は、お前を容赦なく刺すで?」

 まるで人の言葉ではない、感情の篭っていない声。それが、彼が守ろうとしている楼閣であることを、ただ形なく理解する。
「・・・」
「世界は俺だけやない。いろんな人間おるさかい、もう少し前向いて、生きな」
 立ち上がる男、赤い小さな明かりが消えて。いよいよ別れの瞬間が近づく。全身が揺れる、世界が揺れる。音を立てて壊れていく。
「・・・・アンタの世界には、アンタしかいないのに?」
「・・・・」
「アンタは死ぬ瞬間まで、一人でいるのか?」
 潰れそうな声で、最後の願い。壊れんばかりの、小さな祈り。靴を履く音、時を刻む音、耳を塞いでしまいたい迫る想像しがたかった未来。けれど塞いだら声が聞こえなくなる。
 ドアノブが回る音が、部屋に木霊する。






「それが俺やから。かっこいいやろ?」


    だから、サヨウナラ。





 祈りも願いも、届かなくて無常に開けられた扉が閉められる。残された桐生は、もう開くことのない扉を眺め続ける。
「・・・・」
 遠くで聞こえる、カツンカツンと階段を誰かが下りる音。我に返れば追いかけるようにベッドから立ち上がり、彼が座っていた椅子の前に立っていた。
「・・・・」
 眼下には、男が残していったタバコの箱とライター。部屋に残る香りの原因を彼はそっと手に取り、口に含む。
「・・・何が、"かっこいい"だっ、て?」
 震える唇ではタバコを咥えても直ぐに落ちてしまう、二本、三本と試しても同じで。そのうち落ちたタバコが濡れていることに気づく。
「泣きそうな声で、言うことが・・・それって。どれだけ、意地っ張りなんだよ」
 枯れた声で、乾ききった頬で。思い浮かぶのは最後の最後まで”真島吾朗”だった一人の男。
「言ってくれれば、"さびしい"って、四文字。言ってくれれば・・・俺が無理やりにでも付いていけたのに。一人で行って・・・!」
 部屋に残る男の香りが、まだ消えない。充満する薄墨色の煙がまるで抱きしめるように、絡みつく。体に、心に。
「なのに、なんで・・ッ。なんでまだ俺を縛るんだよォっ」



            取れない匂いが、空いた心に染み付いて。



「ぅああああああああああーーーーーーーっ!!!」




        世界が一つ、幕を閉じて。
            そして広がる、新しい世界。

































「・・・・」
「どうかしたか?なんや、ぼうとして」
「・・別に」
 夜の大通りから少し外れた場所。そこに白いスーツを着た男と、素肌にジャケットをまとう男が立っていた。
 神室町では有名も有名な二人、彼等の存在を知って尚掛かってくる者、知らずに掛かってくる者がいて。今日は前者、徒党を組んで押し寄せてきた。無論秒殺で瞬殺。死屍累々の屍を積み上げて、男はとても満足そうにバットを振り回す。
「あー、やっぱ桐生ちゃんと一緒におると楽しいな!なんせよう絡まれる」
「俺ぁ、アンタと一緒にいるといつもの倍絡まれるんだが」
「そうか?ワシ一人のときはてんで絡まれへんで?」
「そりゃアンタが常に臨戦態勢だからだろ」
「アホ抜かしたアカンで桐生ちゃん。常に誰かに命狙われるって思っとかんと」
「・・・・」
 この人はどうしようもないと、呆れながら溜息をつく。次に出るのは苦笑いだ、いつまで経っても変わらない。
「あーあ。もうちょっと骨のあるヤツ、現われへんかのぉ、俺を刺せるぐらいのヤツ」

「それは、俺以外・・・いねぇな」

 思い出したことを、不意に口にすれば男の動きが止まる。振り返ったかと思うと、感慨深げに頷く。
「・・・なんや、随分昔のこと思い出しとったんか?」
「えぇ、久しぶりに」
「そうかそうか・・・で?まだ俺に対する殺意はあんのか?」
「・・・まさか」
 絡んできたチンピラを足で転がしながら、タバコを咥え火をつけた。染みこむ香りが、心に絡みつく。今も昔も、この香りは人を捕らえて離さない。
「俺はこの数年、アンタを見てきたんだぜ?真島吾朗という男の、生き様。アンタが守ろうとしてるモンを、この目で」
「・・・・」


       「その上で俺は今でも、アンタのことが好きなんですよ?」


 息を吐いて、再び吸う。男の少し怪訝な顔に、してやったりと思ってみたり。
「だから俺がこの手でいつか。決着つけてやりますから。せいぜいそれまで死なないように、してもらえれば」
「・・・・」
「ねぇ?兄さん・・ッ」
「ッッ!」
 龍の目が見開かれ、刹那反射的にバットを手放し構える。バシンと路地に響く音と手袋越しに伝わる痛み。本気の龍の拳は、般若を背負う男でも今は受け流せないほどのモノにまでなっていた。
「・・・はよぉ、守るべきモン見つけや。俺みたいになる前に」
「アンタこそ、俺のことより自分のこと、もし俺がいなくなったときのこと考えるべきじゃねぇのか?今のアンタを倒せるのは、俺しかいないんだぜ?あん時言ってたことが、現実になろうとしてる」
「何言うてんねや。俺には、もう桐生ちゃんしかおれへんよ。昔も今も、俺が心を許したんはお前だけや」
「・・・・」
「それに桐生ちゃんはちょっとやそっとのことや死ねへんやろ?まさか俺を置いていくなんてこと、せぇへんやろうしな」
 握られた拳を引っ込める、ジンジン痛むのはお互い様。けれど目の前の男は至極嬉しそうに唇を歪ませてさらりと告げる。これが告白でなければなんなのだろう、でもそれに名前をつけてしまえば壊れてしまう関係。曖昧で、消えてしまいそうな。でも根底では繋がっている、名称不明の、絆。だから何も言わない、言いたいものはすべて飲み込む。
「アンタって人は・・」
「なぁ。タバコ、ワシにもくれや」
「は?アンタこないだ禁煙したばっかじゃなかったのか?」
「それはそれ、これはこれ。ほら、はよ」
 ぷらぷら手を差し出され催促される。いつまでたってものらりくらりと柳のような男にぷちっと自分の細い血管が一本切れる音が聞こえた。いくらそんな彼に惚れてるとしても、耐えれることと耐えれないことがある。
「・・・・」
 大きく息を吸って、煙を吐く。と同時に、手に持ったタバコをそのまま真島の口に押し付けた。
「っ!!?」

「俺の奢りだ。有難く受け取ってくれよ?」

 びっくりする男の横をすり抜け、桐生は夜の界隈に足を踏み出した。
「・・・・」
 元々たまたま会っただけで特に何があるわけでもない、今日も明日もこれからも。あんなことは言ったものの、多分この関係が続くのだろう。彼が望む限り自分はそうするのだろう。それが真島吾朗の望むもので、自分が"真島吾朗"を想う限り。
 隣で同じ世界の終わりを見る、一緒に終わることができないのならせめて隣で。せめて自分の手で終わらせると。背負って彼は前を見た。



           (ほんま、もうお前以外におらんから) 



 その姿を、静かに片瞳で見つめる男は、触れた唇をぺろりと舐めてあとを追う。
 止めたはずのタバコの匂いは、今や彼の香りでそれは龍の爪のように絡みつき牙のように貪ってくる。そうしたのは自分で、そうさせたのもの自分で。終末の世界に、引きずり込んでしまった責任は計り知れない。後悔なんてものでは収まりきらない感情が、渦巻いている。
「・・・・なぁ」
「あ?」
 それでも、世界は止まらない。ならば歩き続けるしかない。この先何があろうと、彼が止まらない限り。自分は前に進まなくては。ならない。






「ほんま、お互い難儀なヤツに入れ込んだのぉ」
「アンタが言うセリフか?それ」





 彼等は雑踏の中へ消えていく。
 違えながらもいつか来る、世界が終わるその日を見据えて。







                  FIN.



← →
o5








「・・・・」
 重い瞼を開ける。最初はまだ夜かと思ったが、それにしたって暗すぎる。思わず体を起こした。
「・・ァ?」
 さっきまで意識はあった、ベッドの上で。最早日常行為になりつつあることを楽しんでいたはずなのに、今感じるのはやけに暗く冷たい漆黒。
「一馬・・?」
 名前を呼ぶ、隣で寝ているはずの彼の名を。腕を伸ばして探す、けれどそこには誰一人いない。ただ独り”己”が存在していた。
「・・・・あァ」
 そこまで考えて思い出した。そういえば昔よく見た夢じゃないかと、独りで空間に取り残される夢。最近とんと見ていなかったから忘れていた。自分が、一番自分だと確信できる、真島の最後の領地。
「そ、っか。ほんま、忘れてた」
 いつもここで何をしていたか、確かだらだらと時間を潰して気が付けば朝だったか。脳が起きているのか心が起きているのか。そんなこと夜と朝ばかり繰り返していたら、気が付けば取れない隈が目の下にできてしまったのも。いい思い出だ。
「・・・・」
 ならこれもその類、だらだらと潰す以外に方法はない。とりあえずその場に寝転んでみる。時を刻む音すら聞こえない完全な無の空間。
「・・・・」
 目を瞑り思い出すこと言えば、自分が今まで何をしていたか。これから何をすべきか、どうい人間でこれからどうなるか。自分のことを考えて、考え抜く。いつものことだ。

        『兄さん』

「・・・ッ?」
 ところが、今日に限ってそれ等を遮る、ノイズが響く。


『兄さん、俺。兄さんのこと好きですから』

       『あぁ、んっ。ごろ、さ・・・ッ!』


「・・・?」
 ほんの一瞬戸惑った隙を突いて、ノイズでは爆発的に増え収められないほどの声量で、心を支配する。目を瞑りきれない、瞑れば瞼の裏に彼の笑顔が映る。
「かず、ま・・?」(兄さん・・・)
 邪険に振り払うように。起き上がって辺りを再び見回す。けれど遮れないノイズ、防げない映像。

「やめ、ろ。止めろ・・・ッ!ウッサイねんッッ」

 残響が残響呼んで、残像が残像を呼んで。そのことしか考えられなくなる。
 ここでいていいのは自分だけだ、他者など必要としていない。この薄ら寒い空間は真島吾朗であるが故にできる穴、そこを埋めるものなど、必要ない。必要ない・・・!
「っ!?」
 逃げるように耳を塞いで、目を閉じて。気づく。どうしてここが”薄ら寒い”のか。いつもならそんなことすら感じない、己に完全に同化したモノのはずなのだから、何も感じないはず(でも今は、今は違う)
「・・・・ッ」
 歯がガチガチと音を立て始める。肩の震えが心臓の震えが止まらない、今にも凍り付いてしまいそうな。延々と続く黒が無限に広がって・・。


    (いつから、寂しくなった。いつから、冷たくなった)
  いつから、いつからここが暗(怖)くなったッ!?


「か・・・一馬ッ!一馬ァッ!!」
 ありったけの声で名前を呼んだ、ここにいてくれその腕をくれ、その肌を温かみをくれ。
「いや、や。いやや・・・ッ」
溢れんばかりの感情が、一筋頬を伝う。足元を這う辺りと同化する黒、飲み込まれる。闇に漆黒に、恐怖に―――ッ!






「カズマアアァァッッ!!」




 側にいて欲しいと願った。
 けれど声は届かなくて、手が掴むのは闇で。




あっけなく、塗りつぶされた。






















「ッッ!!!!」
 眼球が、ありったけの力で見開かれ彼は目を覚ました。転げるぐらいの勢いで飛び起きて、辺りを確認する。
「・・は・・・ハァっ。ハ、ァ・・・」 そこには床があって窓があって、カーテンがある。
 ぎゅうと拳を握れば、馴染んだシーツの感触がはっきりと伝わった。何も変わらない、普段の空間。

「・・・っん」

「っ!!?」
 隣で声がして、思わず肩をビクつかせる。目を向ければ桐生が身じろぎしながら眠っていた。気を失ったからそのままにしておいたことにしたことを、思い出す。
「・・・・かず、ま」
 渇ききった喉で、静かに名前を呟く。同時に恐る恐る伸ばした手は、虚を掴むのではなく湿った肌に触れる。
「っ!!?」
 もう一度、驚いて手を反射的に引っ込めた。その生温かい感触にぞくりと、悪寒が走ったからだ。


 なんだ、"これ"は?


 心地よかった狭い部屋に、突然感じる疎外感。いるなと言わんばかりの空気、空気が責める。これの隣にいるなと、場違いだと。
「っ!?」
 気が付けば、自分の全身が小刻みに震えていた。何かに脅えきったような、そう、脅えきったような。この自分が。何かに。心底脅えていた。
「バ、か・・なッッ」
 ベッドから飛び起きた彼は脱ぎ散らかした己の服の中から、一本の漆喰塗りの棒を取り出す。それが両手に馴染むのを確認して、ゆっくりと引き抜けば中からすらりと銀色に光る刃が現れた。
「・・・・」
 うっとりとした視線で眺め、数度振る。カーテンの隙間から漏れるネオンの光で軌跡に色が付く、赤、黄色、紫、赤。幾人の血を吸った業物が鈍く光る。
「・・・・」
 そして視線を、ゆっくりとベッドに眠る彼に向けた。利き手に持ち替え、大きく息を吸う。
 いつも通り、いつも通り、肌を切り裂き血飛沫が飛ぶところを想像して。気分を高揚させて、笑みを造って。




 造って、振り下ろすッ!!!


                『―――兄さん』




「っっ!!!?」
 勢いよく振りぬいたそれを、最大限の力と左手で押さえ込んだ。ピンと手が震えて、寸前、眠る桐生の喉に触れるか触れないか。コンマ数ミリで止まる。
「・・・・」
 無が、空間を支配する。空気が、存在が言葉ない重圧を。彼の背中に乗せる。
「・・・は、ハハッ」
 笑みが、自嘲の笑いが漏れた。一通り笑った後その場に崩れ、握っていた刀を明後日に投げる、がすんと壁に突き刺さる音が聞こえた。本当は、目の前の彼に刺さるはずだった音が、遠い場所で。
「あ゛―――――ッ。信じられへん」
 穴の開いた心に風が通る、嘗てない脱力感が体を襲う・・・到底、信じられるはずがない。


 終わりを見ていたはずのこの目が、手が。終末を拒絶した瞬間など。
    いつでも死ねるはずだったこの心が、"生きたい"と思った瞬間など。
        この存在が必要不可欠で、離しがたくなっていた瞬間など。

「・・・あかん」


 思い至って、否定する。すべてをかけて、今までのことをすべて否定した。否定しなければならなかった。
「あかんあかんあかんあかんあカンアカンッ。んなアホなこと、許されるかッ!!」
 虚無と絶望の次に現れるのは、やり場のない怒り。
 自分が自分でなくなることを今の今まで気づかなかった。どうしてこうなった、何があった。ただガキの心を開いてやりやすくしただけのはずだった、そうだった。いつから考えなくなった溺れていた?いつから立場は逆転していたっ!?
「・・・畜生っ」
 両手で頭を掻いて、必死に探す。しかし思い出そうとしても、蘇るのは眠る子供の笑顔や仕草。それ以上は何も覚えていない、それはそれが幸せだった時の思い出であり、今では気分が悪くなる悪夢。

        俺は"真島吾朗"で、それ以外じゃない。
          これはもう"真島吾朗"じゃない、知らない誰かだ。

「・・・・」
 誰かと寄り添うそれは最早全くの他人、別人。今更のことを、今更思い出して。彼は立ち上がると服を手に取り、着替え始める。
「・・・・」
 振り返り、極力見ないようにする。彼の寝顔、彼の吐息。すべてが後ろ髪を引く存在、見てしまったら戻れなくなる。真島吾朗に、狂犬に。そうなれば、今まで生きてきた人生は、これから歩む人生はどうなる。もうあそこを恐怖だとは思いたくない、あの黒こそが生きる場所で、安らぐ場所のはずなのだから。



 己は、己以外の存在を心に許さない。



「・・・・・」
 着替え終わった彼は壁に刺さる一振りの刀を抜いた。
 最後に冷めた視線で桐生を一瞥し、部屋を去る。



            振り返ることは、一度もなかった。











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*o4








「ぅぁ・・」
 体を捩じらせ、くねらせ。床に爪を立てた。背中に張り付く脱ぎ散らかされたシャツ越しに伝わるフローリングの感触。そこが今、桐生が唯一自分の知る自分の空間だった。
「にぃ・・・っ」
「俺の名前、知ってるやろ?」
「ッ。くぅ・・!」
「ほら、ほら。言ってくれんと、俺も寂しいわ」
 真島の至極満足そうな声も、今の彼には届いてない。下半身から脳へ、脊髄をから伝わる得体の知れない感覚から逃げるのに必死だから。
「やッ・・・ん、な。本当に・・・何して・・っ!?」
 誰にだって触られたことのない場所に、入っている男の指が蠢く。それは曲がり引っ掻き擦り、下腹部から生まれる苦しさと圧迫感から口をパクパクと動かし、空気を求めた。けれど大きく吸っても、吐いても。息苦しさは変わらない。掠れた声は男に助けを求め宙に浮く。
 何をされているのか、そこにあるのは純粋な。知らない感情に振り回されようとしていることに対する脅え。自分が自分でなくなることに対する、恐怖。
「何って・・・女とやったことあるやろ?相手が男に、代わっただけや」
「な、んで・・!」

「お前があんまりに、可愛かったから」

「・・・ッ」
 それは”逃げるな”と暗に言っているのと同意語。むしろ逃げれるものなら逃げ出したい。けれど玄関は不幸にも真島の背後で塞いでるのも同じ。逃げることなど、できる状況ではなかった。
「・・・はぁ、ァくゥ――ッ?」
 抜いては入り、入っては混ぜられ。ぐちゃぐちゃと部屋に響く音から逃れられない。けれど不思議なのは、さっきまでの息苦しさが少しずつ薄れていること。そして変わりに言いようのない熱と、腹の底を刺激する痺れが生まれ始めていること。
「ぁ・・ッ!ん、ぃゃっ!」
 一端自覚してしまうと今度ははっきりと、それを感じた。彼の戸惑いが指から伝わったか、真島は口を耳元へ寄せる。
「そんなに、美味しいか?」
「ァっ・・・?」
「今桐生ちゃんが下の口で食ってんの、俺の土産やねんで?」
「っ!?」
「そういやアルコール入り買ったっけなぁ。ブランデーやったかなんやったか。まぁどうでもええわ、そんなこと。結果的にはよかったしなぁ。最初は、気持ちイイほうがええやろ?」
 染みる声に気を向けていた直後。体を突き抜けた甘く濡れた痛み。気が付けば指が一本増えていた、先程までとは比べ物にならないほど激しく動かされていた。それなのにそれをすべて受け入れて、さらにまだお釣がくる、声が止まらない。
「ぃやッ、あっ、あ、は・・ァンン―――ッ!!」
 張り詰めていた糸がぷちんと切れた瞬間生暖かい液体が、腹の上に飛び散った。びくびくと痙攣する、襲うのは解放感と後悔。
「――あ、ッは・・ハァ」
「・・ほんま、まさかこんなやらしい子やったなんて。ちょぉっと俺、驚いた」
 桐生がイッたことを確認して、真島は引き抜いた右手で床に散らばる液体をすくって、見せる。茫然自失となっていた桐生の頬が、途端に高揚した。
「そん、なっ・・!」
「だって、これで濡れてんねんで?ケツにこれ入れられて美味しいゆうヤツ、なかなかおらんで?」
 掌はつっと、肌蹴た彼の肌を撫でる。中途半端な冷たさが、ぞくりと新たな場所に生まれて、火照った。
「い、・・・・ン、ッん」
「それとも、美味しくないか?せっかく選んできたのに」
 下が開放されたと思えば今度は上、肌に容赦なくぬすくりつけられる生暖かい液体。
 ただそれだけではない、彼の既に固くなった突起をいじらしく触れて、或いは優しく周りを撫でて。絶え間なく与え続けられる背筋を通り抜ける形を成した”感情”。さっき吐精したばかりの場所に、また熱が集まり始める。
「ァ、あっ・・」
「なぁ。どうなん?一馬」
「ん・・あ、っは・・・っんン・・ッ」
 頭の中が真っ白になる、もう全部がどうでもよくなる。刺激はもう痛みではなく甘美な誘惑・・・これが、これこそが”快楽”というものだろう。初めて知った、こんなに理性を崩落させるものだとは。
「なぁ・・・一馬」
 それを認めさせるように響く、捕らえる声が求める答えに複数なんてない。それは命令で、服従で。でも呼んでくれる名前が確かにそこにあって。


「おぃ、し・・・い―――で・・すッ」
  (酔ってしまう、この世界に、この男に。屈服してしまう)


「そっか、よかった」
「・・・ィッく。っゥぁ・・」
 何かが決定付けられた瞬間、彼は逃げようと足掻いていた両腕で顔を隠す。逃げることをあきらめたと、そう思った真島はその手の下から聞こえる声に、動きを止めた。
「・・・どうした?」
「っ・・・ィ」
「また、泣いてんの?」
 表情が見えない、感情が読めない。自分の知らない子供がいる、もう一ヶ月近くになるというのに。その間ずっと側にいたはずなのに。どうしてか酷く焦った。
「・・・おれ」
「・・・?」


「俺・・・こんな、弱いヤツだ・・・った・・・ッ!」



「・・・・きりゅ」
 考えもしなかった言葉と一緒に、頬を伝う大粒の雫が見える。バクンと、心臓が大きく脈打った。
「こんなんっ。じゃ、親父に、ぃ、捨てられる・・・っ!」
「・・・・」
「兄さんッ、だって、強いヤツがっ・・ッく。好き、なのに・・・!」
「・・・・っ」
「ごめん、なさ・・・ごめっ!なさ、イぃッ・・・!」
 言葉が聞き取れないほどになって、最後は泣き声となんら変わりなかった。それはついさっきまで見ていた、ただの子供。後悔はないけれど、ないけれど。ただ、胸が詰まる。
「・・・顔、見せてみ?」
「ゃだッ・・・おれ、今ぐちゃぐちゃ・・ッ」
「せやからや、取りや」
 桐生の上に跨ると、伸ばした手で覆いかぶさっていた腕を掴む。両手を除いた顔はぷいと明後日を向いた。
「でも・・・っ」
「俺の言うこと、聞かれへんのか?」
「ィ!?ン・・っはぁ・・あっ、ん」
 突然再開された行為に桐生の目が見開く、先刻で緩みきった穴はするりと。グズグズに溶けきった肉壁は真島の指を受け入れた。息付く暇すら与えず、わざと大きな音を立てて動かす。
「さっきから腹に俺のが当たってんの、わかるか?」
「はっ、あ、あんっ!」
「俺のな、もうガチガチでな。正直ズボンきっついねや。お前があんまりにも可愛いから、ほんま久々に勃った」
「は、ぁ・・・つぅッ」
「お前が弱くていいのは俺の前だけ、いやらしいのもみんな俺だけのもん。それでええやろ?寂しくなんかせぇへんわ」
「ほ。あぁ、んっ・・とに・・・!?ほんっ・・とっ?」
 本当はいろいろ考えていた、この世界の終わらせ方を。この子供を使って、どうやって終わらせるかただそれだけを考えて。
「嘘なんて、つくか」
 でもこの時この瞬間、考えることすべてが馬鹿らしくなった。それより彼をめちゃくちゃに犯してやればいい、その後のことはその後考えたらいい。計算高くよけてきた生き方の中で唯一初めて、何も考えずこの体を貪ることだけに想いのすべてを注ぐことにした。この心が求めるがまま、彼を。(あるいは彼が求めるまま、この心が)
「吾ろ、うさ・・・ッ!吾朗さ、んっ」
「・・・なんや?」
 彼の望んだ言葉は最後の抵抗を奪い、ただ一心に快楽を求め体を悶えさせ、最中絡み付いてきた腕を背中へと縺れさせた。埋められた顔の下から。本当に小さい声が、耳に届く。





  「すき、・・・貴方が、好き・・ッ」

           ―――ぱきんっ。





「・・・・ほんまに、可愛いなぁ・・お前は」
 心に響いた小さな音は、耳元で囁かれた告白の前に掻き消えた。
     (聞いていれば、変わる世界があったのかもと後悔するのはあとの話)















「・・・・」
 東城会の門を潜るのは片手で足りるほど。尤も、下っ端も下っ端な彼が通ることすら普段はないのだから当たり前の話。今日も無理やりつれてこられなければ来ることもなかっただろう。

「一馬!」

「っ!親っさん・・?」
 目ぼしい知り合いもおらず、一緒に来た相手はいつものようにふらりと消えて。彼は途方にくれていた。しかし突然名前を呼ばれて、振り返った先。そこには風間が立っていた。随分久しぶりの気がして、少し痩せたかもしれないと。心にちくりと、小さな針が刺さった。
「一馬!」
「っ!?」
 いつも思慮深い、落ち着いた雰囲気はどこにもない。慌てて駆けてきたと思ったら、いきなり抱き寄せられる。
「お、親ッさ・・!」
「お前、大丈夫か!?」
「はっ!?はいっ」
 ドスの利いた声で聞かれれば、思わずこちらも背筋を伸ばして答えてしまう。その時手に持っていた鞄を落として、慌てた。
「ッ・・・すまないな」
「いえ。俺のほうこそ・・・」
 その鞄の持ち主を知っているからか、風間の眉がわずかに潛む。その常人ならばおそらく見逃すであろうそれを汲んだ彼の表情が沈む。
「・・・元気で、やっているのか?」
「はい、おかげさまで。よくしてもらってます」
「そうか・・」
 それ以上の会話が、続かない。昔はそんなこともなかったはずなのに。
「・・・・」
 確か覚えているのは、真島組の立ち上げの際まるで当たり前の如く事後承諾で桐生一馬を引き抜いた、あの狂犬の勝者の笑みだ。本人が望んでいると言われ、見ればすっかり雰囲気の変わった子が立っていた。ある意味予想通りで、ある意味最悪の状況が生まれていた。
 それからまた二ヶ月ほど経った今、執念深い蛇のようなあの男はどこに行くのも彼を付き従わせながら、誰とも会話させない徹底振りで。今日がなければまだしばらく会うこともなかっただろう。
「・・・あの、親ッさん」
 本当は、なるべく傷つかないように大切にするつもりだったのが。よりによってあの男の手に落ちるなんて、考えるだけで腸が煮えくり返る。
「なんだ?」


「俺、今すごく幸せです」


「・・・・そう、か」
 彼は知っているのだろうか。その言葉は肯定ではなく、強制終了させるものだと。それを言われれば、こちらはどうにもできないのだと。
「よかった。そりゃ・・・よかった」
 眉間の皺を解き、男は静かに微笑んだ。目の前にある笑顔が本物で、彼が幸せならそれで構わないと、必死に言い聞かせた。言い聞かせた。



        「桐生ちゃーん!」



「っ!」
「・・・・」
 それすらも引き裂く独特の声、振り返れば。廊下の奥、真島とその親父である嶋野の姿が見えた。
「なんや、こんなとこにいたんか」
「兄さんがいなくなったのが悪いんです」
「いやなー、親父に無理やりつれてかれて・・」
 駆け寄ってきた真島は、当然のように桐生の前に立つ。思わず睨み付ける風間に目を配せた嶋野は、ため息混じりに笑った。
「何言うてんねや。ワシは迷子になったお前を拾うただけやぞ」
「親父、それ言ったらあかんってさっき・・」
「お前がワシを悪もんみたいに言うからや、ボケ」
「兄さん。ここで迷子になるんですか・・?」
「ここが広いのがいくないねんで。隠し部屋まであるゆうしな」
「俺は迷いませんよ?」
「そりゃ・・・もう、悪かったって」
 こうしてみれば、何の毒気もない二人。けれど親から見れば明らかに異質で、組の長と部下というよりかは。単なる恋人同士。特に風間から見ればおかしい以外の言葉が生まれてこない。
「・・・じゃあ親父。俺帰りますわ」
「おぉ。元気でな」
「嶋野組長、親ッさん。失礼します」
「・・・あぁ」
 踵を返し、東城会を後にする二人。若い二人の背中を眺めていた嶋野は、再び盛大な溜息をつく。
「なぁ、風間」
「・・・なんだ」
「お前、子離れせんとあかんで」
「煩い」
 一蹴され、やれやれと肩で息をつく。これではどちらが子供でどちらが親か。わかったものではない。
「まぁ初めて会うた時と随分印象が違うからなぁ・・・最初は、あれと同じかと思っとったけど。やっぱ違うかったわ」
「・・・・」
「せやけど。安心せぇや」
「・・・?」
「アイツは、まったく変わりなかったから」
 それが、何を意味するのか。視線をいなくなった二人から移す。そこにはあの子にしてこの親ありと言わんばかりに、凶悪な笑みを浮かべる男。
「俺だって、たかだか色恋如きで狂う豺飼うてたわけやない。あれはお前が思ってる以上に気違いの、阿呆や。人のことなんて、なーんも考えおれへん」
「・・・・」
「今は、今までにないもん手に入れてはしゃいでるだけや。直に気づくわ」
「・・・・」
「まぁお前はせいぜい、あの子が帰ってきたとき優しく迎えたれや。それがお前やろ?」
「・・・・嶋野、お前」
「あ?そっちのほうが嬉しいんやろ?ワシもまぁ、あれはちょっと調子乗っとると思うから、たまにはいい灸になるわ。お前のガキには悪いけどな」
 その言葉を鵜呑みにすれば、見えてる道は一つしかない。あれだけ寄り添って歩いた道は、転げるしかないやはり奈落だということで。
「・・・・一馬」




  「俺、今すごく幸せです」




 頭の中に木霊するあの声が、可哀想でたまらなかった。










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