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q4
知らぬ間にクロトワの脇腹を掴んでいたクシャナは、慌てて押し離そうとしたが、さすがに腕力では男に敵う
筈が無い。 怪我を負わせるのも抵抗があったので、説得してみる事にした。
「クロトワ、今放せばこの無礼、すべて水に流してやろう! 他に知る者もいな――」
「チェッ、『無礼』ですか? ま、どーせ俺ぁ生まれ付きの無礼モンですがね… こうなったらトコトン無礼して
さしあげますよ!」
「な・何を――アァッ!」
いきなり首筋を舐めたクロトワに、つい悲鳴を上げてしまった。 するとすぐに扉の向こうから護衛兵の声が
した。
「殿下、どうなさいました? 殿下? 殿下っ!」
ドンドンと戸を叩く兵を無視し、クシャナは必死にクロトワに語り掛けた。
「クロトワ、放せ! 今ならまだ間に合う!」
「嫌ですよぉ、やっと掴まえたのに…」
「何を言ってる! 処刑されても構わんのか?!」
喉元に唇を押し当て、力の限り強く抱き締めてから、クロトワは静かに答えた。
「殿下が人妻になるのを見るよりは、死んだ方がマシですよ。」
その時、堪りかねた護衛兵が一斉に広間に流れ込んで来た。
「殿下っ!」
「アッ、クロトワ殿…」
「な・なんて事を――!」
クシャナを抱え込み、その脚に座り、今また首筋に接吻しているクロトワに、兵達は驚きながらもすぐに飛び
掛かった。
「放さんか、この無礼者!」
「下人の分際で何をする!」
クシャナの背中に回された手を指から剥がそうとする者もいれば、腕や脚をそれぞれ掴んで引っ張る者も
いた。 だが殊の外クロトワの抱擁は強く、手間取っているのを見て、クシャナは仕方なく爪を立て、両脇を
思い切り握った。
「イテテテテッ!」
ようやく緩んだ腕の中から、滑るようにクシャナは抜け出した。
「殿下! お怪我は?!」
「…大事無い。」
「クソ~、放せ! 放しやがれ! チキショウ、クシャナ~!」
今度はクロトワが護衛兵に雁字搦めに掴まれ、無造作に暴れた。 シタバタする足が床に触れる事も無く、
数人に持ち上げられたまま部屋から連れ出されるところであった。
「独房へ抛り込め!」
「ハ?」
クシャナの命令に、兵達は驚いて立ち止まった。 クロトワも騒ぐのを止め、キョトンとして彼女の顔を見た。
「で・殿下… すぐに処刑するのでは――?」
自分でも不思議であったが、クシャナはどうしてもクロトワを庇いたかった。 とっさにその口実を考えた。
「馬鹿者! 今殺したら、製造中のコルベットはどうなる? 情報は全て、担当してきた奴の頭の中にあるの
だぞ!」
「は・はい、畏まりました… では処罰はいかが致しましょう?」
「…明日、それ相応の事を考える。 今日はもう床に付く。」
「ハッ!」
戸へ向かうクシャナの道を開ける為、クロトワを抱えた兵達は壁際へ動いた。 クロトワ本人は通り過ぎて
行くクシャナの冷め切った表情を見て、思った。
“クシャナ…! 『死んだ方がマシだ』って言ったから、ワザと殺さずに、余計苦しめるつもりなのか? それ
とも…”
戸口へ近づくクシャナの背中に、クロトワは最後の言葉を投げ掛けた。
「殿下ぁ! お願いです、殺してくだせぇ!」
ピタッと、クシャナの足が止まった。
「黙れ! 貴様に殿下に懇願する資格など無い!」
黙らせようと護衛兵が頬を殴ったが、めげずにまた声を張り上げた。
「殿下が人妻になるなんて、俺ぁ耐えられねぇ!」
「だ・黙らんか、この身の程知らず!」
反対側からも殴られ、途端に鼻から出血し始めた。 鋭痛に涙も出た。
「一思いに死なせてくだせぇ…」
「え~い、この――」
「止めんか。」
踵を返して向き直ったクシャナは、クロトワの顔に動揺したが、表情は堅く閉ざし通した。
「私の婚礼が死よりも辛いと言うなら、それ以上の刑罰はあるまい。 潔く負う事だ!」
「そんなぁ、残酷な… あんまりですよぉ…」
本格的に泣き出すクロトワを、これ以上見ていると心が揺らぎそうであったので、クシャナは足早に部屋を
出た。 廊下に出ても尚木魂する彼のすすり泣きに、胸が潰れる思いがした。
“すまぬ、クロトワ。 こうするより他に道が無いのだ! お前があの時、諦めてさえいれば、こんな事に
ならずに済んだのに… なぜ私の忠告を聞かなかった?! 処刑は覚悟の上だったのか? あれしきの
事、命と引き換えにする甲斐があったのか?”
無意識に、クシャナの足取りは遅くなっていったが、後ろについていた数名の護衛兵はそれに合わせた。
“お前には、それだけの甲斐があると言うのか? 馬鹿な! 高が口付けの為に命を落とすなど! 元々
死にたかったのならまだしも――”
ハッとして、クシャナは完全に立ち止まってしまった。
「殿下? どうかなさいましたか?」
心配そうに覗き込んだ兵は、クシャナの顔を見て慌てた。
「殿下! しっかりなさいませ! キヤクワ、担架をお持ちしろ!」
「だ・大丈夫だ、必要ない。」
「しかし殿下! お顔の色が――」
「大事無い! 少し疲れただけだ。」
そう言い切ってまた歩き出したが、クシャナの顔はやはり蒼白であった。 それはある説に辿り着いたから
であった。
“そうだ、そうに違いない! 今日決まったばかりだ、偶然ではなかろう…”
クシャナは、ゼストに強いられて自分が結婚すると決定したので、クロトワが自殺を図ったのだと確信した。






「で・殿下ぁ… うっ、うっ… チキショ~!」
「え~い、おとなしくせんかっ!」
牢へ担がれながらもまだ喚いているクロトワに、護衛兵の副隊長は呆れたが、何度殴っても黙らないので
渋々諦めた。
独房に着いて扉を開けてから、「殿下は『抛り込め』とおっしゃったからな」と、部下達にクロトワを文字通り
投げ込むよう指示した。
「イテェ~! クシャナ、うっ、うっ…」
床に叩き付けられた状態のまま、クロトワは泣き伏した。
“チキショウ、バカな事しちまったよなぁ… クシャナの膝枕で寝られただけで満足してりゃぁいいものを、
なんであんな欲出しちまったんだ? いくら酒が入ってるったって、あそこまでしたら誰だって起きるよなぁ。
あ~ぁ、俺は世界一の大馬鹿野郎だ…。”






“まったく、お前は世界一の大馬鹿者だ! 欲しい女が手に入らないと言うだけで、死のうとするとは… 
死んでいったい何になる? 世間の笑い種になるだけではないか!”
部屋へ行く途中、自分でも説明し切れない動揺に翻弄されながら、クシャナは心の中でクロトワをなじって
いた。 まだ蒼褪めていた顔の表情は険しく、無意識に下唇を噛み締めていた。
“第一、お前と私の立場の差を考えてみろ! 元より叶う筈も無い相手と分かっていそうなものを… それ
なのに感情に溺れるとは、ほとほと馬鹿な奴だ! 直属の部下である事に満足していれば、何不自由無く
暮らせたのに、その地位も、命までも捨てて、何を得ると言うのだ? 高が口付けのために… 馬鹿馬鹿
しい事この上ない!”
酔いが醒めるのに苛立ちが拍車を掛けた。
“私の恋人になりたいだと?! 自惚れも程々にしろ! 平民上がりが、生意気な。 兵士としての腕を
買ってやっただけなのに、思い上がるな! こんな事くらいで立場を忘れるようでは、その資格も結局は
無いな。 役立たずめッ! 中古のコルベットの方がよっぽど使える――”
『殿下にとっちゃぁ、俺なんか男の部類に入ってねぇ… 戦車やコルベットとおんなじ、道具に過ぎねぇ…』
再び急に立ち止まったクシャナに、護衛兵達が慌てて止まった。 それに気付き、すぐまた歩き出したが、
クシャナの足取りは重くなっていた。
“私はやはり、クロトワを道具か、物体としてしか考えてはいないのか? 奴の言う通り、機械とさほど変わ
らぬ立場に置いていたのだろうか?”

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q3

クシャナが笑っている隙に、クロトワはまた少し近付いた。 もう足元に座っていた。
「良く見ると犬の頭に見えなくも無いな。 長毛の雑種か?」
「ワン!」
そう答えてから、クロトワは思い切って顔をクシャナの膝の上に乗せた。 案の定、酔いが回ったクシャナは
気にもせず、平然と彼の頭を撫でた。
「犬は何より飼い主に忠実だと言うが、お前も私に忠義を尽くすなら、可愛がってやろう。」
「そりゃありがてぇ…」
「こら、犬が喋るな! ハハハッ」
すっかりご機嫌の主に甘え、クロトワはクシャナの膝に頬擦りして、溜息をつくとそのまま寄り掛かった。 
引っ張られて歪む彼の顔がおかしくて、クシャナはまた笑った。 そしてゆっくりと髪を撫でてやった。
「父の飼っていた犬が数匹いたが、どうしたのだろう? まだ城内のどこかにいるのだろうが… 欲しい者が
いれば売った方が良いかも知れぬな…」
独り言のように囁きながら、指でクロトワの髪を梳かした。
「お前以外の犬は、要らぬからな。 …? クロトワ?」
答えず目を閉じたままのクロトワに、クシャナは何回か呼びかけたが、歪んで間の抜けた顔は反応せず、
暫らくすると鼾を立て始めた。

「…なんだ、寝てしまったのか。 困った奴だな。」
そう言いながらも起こさないようにそっと頭を撫で続けていた。 終いにはクシャナも、王座の背凭れに寄り
掛かったまま、静かな寝息を立て始めた。






クシャナは奇妙な夢を見た。
以前、母が手入れをしていた城内の花園で、子供の自分が父の猟犬の群れと遊んでいた。 どの犬も妙に
見覚えのある顔で、長い茶色い毛をしていた。 群れの中で揉まれている内、次第に自分が小さくなったの
か、それとも犬達が巨大化したのか、辺りの景色が見えなくなるほど茶色い毛並みが広がり、犬の固体が
識別できなくなった。 あっと言う間に毛むくじゃらの壁に囲まれてしまい、途方に暮れていると、壁の向こう
から微かに自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
『クシャナ… 可愛いクシャナ…』
“お母様だわ! お母様!”
叫ぼうとしたが、声が出なかった。 囲んでいた毛の壁が、柔らかく、しかし逃れようも無く、八方から押し
寄せて、口を塞いでいた。 それに気付いた瞬間、息もできない事に気が付き、胸の苦しさに加えて心臓の
鼓動も高まった。
“お母様、助けて! 誰か、お願い!”
途端に息ができるようになり、安心した為か体中から力が抜けた。 視界一杯に広がる茶色い毛並みに
包まれていると、クシャナはその柔らかさと暖かさに溶け込みそうな気がした。 だがそれはとても心地よく
幸せな事に思えた。
『クシャナ~! 嗚呼、俺の可愛いクシャナ…』
今度ははっきりと声がした。 母ではなく、男の声だった。
“エッ? お父様? …じゃぁ、無いわ…”
深く考える間も無く、また少し息苦しくなった。 だが今度は口元を毛で押さえられたのではなく、濡れた布で
触れられているような感触がした。 不思議に安らかな気持ちになっていたクシャナは、思考能力が鈍って
いたが、暫らくしてそれが犬の舌だと分かった。
“私、犬に、食べられてるんだわ…”
それでも慌てず、ぼんやりと考えていた。
“食べられてしまったら、私はどうなるのかしら? ヴァルハラへ行くのかしら? それとも… 消化されて、
犬の一部になるのかしら?”
食べられる事よりもその後の行方が気になり、クシャナは必死で考えようとした。 何か大切な事を忘れて
いるような気もした。
“そうだわ! 食べられているのに、痛くない――きっと歯も無い老犬なんだわ。”
しかしまだ何か引っ掛かっていた。 いつしか暗くなっていた視界に、クシャナは自分を蝕んでいる老犬の
顔さえ見えれば、何か思い出せるような気がして、目を凝らした。 暖かな毛皮に包まれ、努力など何も
せずに休みたいと、体も眼球も抵抗したが、思い立ったらやり通すクシャナである。 目を凝らすだけか
瞼も大きく広げようとした。 すると急に暗闇の中に光と色が入って来た。 その眩しさに驚き、すぐ眼を
閉じてしまったが、また目を開けようとすると瞼が鉛のように重かった。
“どうしてこんなに大変なのかしら? でも今、確かに何か見えたわ。”
やっとの思いで目を開けると、そこにはもう一番いの瞼があった。
“あぁ、あの目も開けないと見えないのかしら?”
寝ぼけてそう考えたクシャナが、現状を把握するまで、ほんの一瞬が経過した。 そしてその直後――
「クロトワッ!」
――と怒鳴ろうとした。 だが『ク』と言った時、口の中まで侵入していたクロトワの舌を噛んだので、事態が
一変した。
噛まれたクロトワは慌てて退却し、その急な反応に、彼の腕に抱き上げられていたクシャナも翻弄された。
そのため王座の背凭れに後頭部を打ち、二重のショックのあまり言葉を失った。 ただ目を大きく見開いた
まま唖然とクロトワを見詰めた。
まだ腕の中にいるクシャナに、現行犯で捕まったクロトワは、焦りながらも必死で考えた。
“今さら出来心だったなんて言ったって、刑が軽くなる訳でもねぇよなぁ。 婿候補にもなれねぇ俺が、こんな
事しちまって… 嗚呼、もうすぐクシャナが人妻になるんだ… いっそここらで、派手に華を咲かせて、散って
みるのもい~か!”
意を決し、クシャナをしっかりと抱え直した。
「殿下、俺はもう我慢できねぇ! 殿下がムリヤリ結婚しろって言われて腹立てんのは当然だがよ、俺だっ
て、俺だって腸煮えくり返る思いなんだ! 何でどっかの青二才にあんたを盗られなきゃなんねぇんだ、チッ
キショウ! 傍で指銜えて見てろってのか? ふざけんじゃねぇ!」
捲くし立てるクロトワに、クシャナはあんぐり口を開いて驚いた。
「クシャナッ! 俺の可愛いクシャナ! 誰にも渡しゃしねぇ! 渡したかぁねぇのによぉ… チキショウ! 
俺ぁ今まで一度だって平民に生まれたのを悔やんだ事なんて無かったんだ。 あんたの側にいられんなら、
それだけでいーんだって、自分に言い聞かせてきたんだ! なのによぉ…」
いっそう腕に力を込めて抱き締めるクロトワに、ようやくクシャナも対策を考え出した。 腕を両脇に押さえ
付けられたまま抱かれていたので、目や喉等の急所は狙えないものの、爪を立ててクロトワの脇腹を抉る
事なら可能であった。 それで気を逸らして脱出し、他の方法で止めを刺せば良い。 第一段階を実行する
準備として、クシャナはゆっくりとクロトワの両脇に手を上げた。
「クシャナ~! こんなイ~女を、なんも分かっちゃいねぇ若造にやるなんて、もったいねぇ!」
脇腹を抉ろうとしていたクシャナは、ふと動きを止めた。 自分でも理解できぬ程、クロトワの言葉に動揺
したのである。
当のクロトワは、身に迫る危険も知らずに、クシャナの頬から顎にかけて口付けを施していた。
「クシャナ!… 嗚呼、なんて綺麗なんだ!… あんたはトルメキヤ一、いやぁ…世界一のべっぴんだぜ!」
顔を近づけられる度に髭にくすぐられるので、避けようとして頭を引くと、今度は喉にも接吻された。
「色白で…真珠みてぇで…なんて柔らかい肌なんだ…食っちまいて~!」
さっきの夢が一瞬、頭を過ぎり、クシャナは慌てて答えた。
「クッ・食うな!」
自分でも驚くほど震えて、か細い声だった。 それにクロトワは笑わずにはいられなかった。
「フッフッフッ… 可愛いぜ、クシャナ。 本当に食うわけねぇだろう? あんたぁ俺の宝モンなんだ。 でも、
できる事なら…」
少し顔を離して、彼女の瞳を覗き込みながら、クロトワは囁いた。
「…あんたを攫って、コルベットで誰もいねぇ所へ逃げてぇ…。」
クシャナは馬鹿にされた事に少なからず腹を立て、気を取り直して計画を実行するところであった。 だが
自分を見詰めるクロトワの目があまりにも悲しく、どんな言葉より彼の想いと切なさを伝えた。
決断に戸惑うクシャナを静かに抱き寄せ、クロトワは残された時間――護衛兵が呼ばれるまでの短い間を
満喫するようにクシャナの肌を接吻で埋め尽くし始めた。
クシャナは胸が締め付けられる思いがした。 それはクロトワの抱擁だけによるものではなかった。
“なぜ気が付かなかったのだろう? これほど身近にいる者の気持ちも酌んでやれないとは、上に立つ者と
して失格だな… 今までずっと隠そうとしていたのだろうか? それとも、私が鈍かっただけか?”
答えが気になったが、プライドもあるので、クシャナは少し回りくどい方法で訊いてみた。
「なぜ、隠していた?」
「フフッ。 そりゃぁ、殿下。 殿下にとっちゃぁ、俺なんか男の部類に入ってねぇでしょ? どーせ戦車やコル
ベットとおんなじ、道具に過ぎねぇって事は、十分肝に銘じてますよ。」
「そ・それは違う! 私は一度たりともそのような… お前は大事な部下だ!」
「ヘヘッ。 そりゃ、機械よりはちっとばかり上かも知れませんがね。 『部下』じゃどう逆立ちしても、『恋人』
にゃぁなれねぇ。 どっちでも同じでさぁ。」

さすがのクシャナも、それには返す言葉が無かった。 だがその気持ちを察してか、クロトワは優しく背中を
擦り、耳朶に口付けしてから呟いた。
「それ以前に、殿下御自身、自分がどれだけ魅力的な女だか、忘れてますぜ。」
ドキッと、クシャナの心臓は一瞬、激しく動悸を打った。
“エッ?! 何だ、いったい?”
q2
「殿下… そんなに怒らないで下さいよぉ。 こっちゃぁ無い脳みそ絞って、なんか気の利いた台詞を思い
付こうとしてんですから。」
「それで、か?!」
「俺にはこれが限界ですよ。 でも殿下。 こんな事ぐらいで殿下が泣いてちゃ、おかしいですぜ? 俺の
知ってる殿下は、あんな奴等の言う事なんざ気にも留めねぇで、自分の思った通りにするお方ですよ。 
貴族なんか何人束になったって、クシャナ殿下に敵いっこありませんからね! 奴等が何を企んだって、
嗅ぎ出して見返してやりゃぁ良いじゃないですか。」
微動だにせず立っているクシャナに、クロトワは自分の言葉が通じた事を確信した。
「殿下。 早くいつもの殿下に戻ってくれないと、外の護衛兵に逮捕されちまいますよ? あいつら、融通が
利かねぇから、元気無い殿下を見たら『クシャナ様に成りすましたふとどき者ぉ~!』なんつって、牢に叩き
込みかねませんぜ?」
「フッ。 フフ。 それは困るな。」
「そうですよ!」
「…済まぬ、心配をかけた。 だがもう、大丈夫だ。」
「そりゃぁ良かった。 …アッ! 待てよぉ…」
「ん? どうした?」
「そうなると、今夜飲み明かすってのは、ナシになるんですかねぇ?」
「バッ・馬鹿者!」
言葉とは裏腹に、クシャナの顔にはようやく笑いが戻った。
「そんなに酒が欲しければイヤと言う程くれてやる! 飲み過ぎて体を壊しても知らぬぞ!」
「ヘィ、そりゃありがてぇ…」
「盛大にやるぞっ! ゼストの古狸どもに見せ付けてやる… これしきの事、このクシャナには屁でもないと
な!」

「…殿・下ァ。 俺が一番の悪影響だってのは、百も承知ですがねぇ…」
「…。 そうだな。 お互い、少し気を付けた方が良いな。」
「御意に。」






認定書の束に取り掛かるクシャナを残し、クロトワはその晩の宴会の準備に城内を回った。
「おい、マシャ!」
「あ・クロトワ様。 何か?」
「おめぇ今夜は非番だろ?」
「はい。」
「ちょうど良かった! 殿下が平民兵集めて、宴会すんだ。 おめぇ、いつだったかクレネや将軍達の物
真似やってたろ? 今夜殿下にも見せてくれよ。」
「エエェッ! で・殿下に?! 宜しいんですか、そんな…」
「あぁ。 今日は貴族連中に腹ぁ立ててらっしゃるんだ。 思いっ切りアクドクやっていいぞ!」
「は・はい! 練習しておきます!」
「おぅ、楽しみにしてるぜ!」
貴族に占められた軍幹部の中で、ただ一人平民出身のクロトワは、それだけでも平民兵に人気があった
であろうが、いつもまめに彼等と付き合ったり世話をしていたので、圧倒的な人望を集めていた。 殿下の
右腕的存在でありながらも気取らず(と言うよりは、言葉遣いも直さず)、部下は皆平等に扱うので、その
人気は貴族出身の兵にも及んでいた。






次は食事の用意に調理場へ行った。
「シェケル調理長、今夜殿下が宴会開くんだ。 なんか美味いモン作ってくれねぇか?」
「宴会? 久しぶりだなぁ。 なんか考えとくよ。」
「おっ! 期待してるぜ。 それと、酒はそんな上等なんじゃなくてもいいんだ、殿下の以外は。 今日は
俺等平民を寄せ集めるんだ。」
「へぇ、どう言う風の吹きまわしだぃ?」
「あぁ、実はな…」
辺りをキョロキョロ見回してから、ちょっと近寄って低い声で続けた。
「ここだけの話だがな、ゼストの連中が花婿候補の名簿突き付けてきたんだ。 殿下はそりゃ~ご立腹で
なぁ!」
「なんてこった! そりゃ当たり前だな。 殿下もお可哀そうに…」
「まぁ、そんな訳で今は貴族一般に当て付けたいお気持ちなのさ。 お陰でこっちはお前さんの手料理に
ありつけるが、これから婿選びで一騒ぎありそうだぜ。」
「そりゃそうだな! いやぁ、いったいどうなる事やら…」
今日の出来事は、ゼストの役員だけでなく、クシャナが部屋を荒らした時に外にいた護衛兵からすぐに
町中の噂になる事は必至。 だが噂話が何よりの楽しみと自分でも認めるシェケルに、その情報をいち
早く教えたのは、点数を稼ぐ為であった。 王宮の家事を取り仕切る調理長の機嫌を取っておけば何かと
便利であると、クロトワは経験上知っていたからである。 それに何と言っても、クロトワは美味い料理が
好きであった。






その晩、遅くまで続いた宴会の末、好き放題飲んだ客が危ない足取りで(何人かは仲間に担がれて)帰った
後、クシャナは最後に残ったクロトワに向かって杯を掲げた。
「今宵は楽しかったぞ。 礼を言う。」
「ハッ、ありがたきお言葉!」
「特にあの、将軍連の真似をした…」
「マシャです。」
「そうそう、マシャ。 あれは笑えた! あんなに笑ったのは、久し振りだ。」
満足そうな笑みを浮かべ、片手のグラスを見詰めて寛いでいるクシャナに、クロトワは一瞬、見惚れた。
〝イ~女だよなぁ…〟
すぐにハッとして、視線を逸らすと、クシャナの近くに開けられたワインが一瓶あるのに気が付いた。
「あれ? まだ半分も残ってらぁ。 殿下、もう一杯どうです?」
「あぁ。」
注いでから自分のにも入れて、クロトワは王座の隣の床に胡坐をかいた。 クシャナ用の酒を一口飲んで、
溜息をついた。
「うめぇ~!」
「フフ。 お前が酒を飲む時の顔は、本当に幸せそうだな。」
「そりゃ本当に幸せだからですよ。 美味いモン食って、上等な酒飲んで、殿下のお顔が見られりゃ、これ
以上の幸せはありゃしませんぜ。」
「フッ、うまい事を言う。」
「ホントですよ、殿下! 俺ぁ酒や食いモンが無くったって、殿下のお側にいられりゃぁ、それだけで十分で
すよ!」

「そうか? では給料も要らぬか?」
からかうクシャナを見上げて、クロトワは笑い返した。
「殿下がそうやって笑っててくれるんなら、構いませんよ。 ひもじくたって、忘れちまう。」
「…安上がりなものだな。」
「そりゃそうですよ! 丈夫で長持ち、殺したって死なねぇムシ並みの生命力に、鋼の肉体!」
「プッハッハッハッ!」
腕を曲げて力瘤を見せるクロトワに、思わずクシャナは笑い出した。
「何が『鋼の肉体』だ! 『鼻毛の肉塊』の間違いであろう!」
「あぁ、ひでぇ… 俺ぁこう見えてもデリケートなんですぜ?」
「その顔でよくもそんな事をぬかせるな。 『デリケート』と言うより『バリケード』の方が似合う!」
王座の肘掛に凭れて、クシャナは涙が出るほど笑った。 複雑な気持ちでクロトワは苦笑した。
「ハァ… いいですよ、なんて言われようが、殿下が喜んでくれるんなら… 俺は道化にでもなりまさぁ。」
「道化か。 あいにく、それは間に合っているが?」
涙を拭って言うクシャナに、クロトワは少しズリ寄った。
「じゃぁ、殿下… 俺を番犬にしてくだせぇ。」
「番犬? 私の飼い犬になると言うのか?」
「もうクレネ達はそーだって言ってますからね。 この際開き直って、犬小屋に引っ越しますよ。」
「そうか、番犬か…」
見下ろすクシャナの目は、ほろ酔い気味で、いつに無く優しかった。
「犬にしては利口そうだな。 ほら、お手!」
差し出された彼女の左手にすかさず手を乗せると、またクシャナの笑い声が広間に響いた。
「よしよし、合格だ。 お前を番犬隊長に承認しよう。」
「ワォン!」
「ハハハ…」
q1
『トルメキアの覇者』
Page 1


「あぁ、クロトワ殿! これから殿下のところへ?」
「そうですが…?」
「すまないがこの書類をお渡ししてくれ。 私は急用ができたので、失礼しなければならない。 頼みました
ぞ。」
「はぁ…」
そそくさと廊下を去って行く後ろ姿を眺めながら、クロトワはつい貰ってしまった認定書の束を抱え直した。
〝なんだぁ、クレネの奴、俺にこんな事を頼むたぁ… なんかあるな。〟
王代であらせられるクシャナ皇女の護衛隊の者は、全て選りすぐりの兵士である前に生粋の貴族であり、
それだけにプライドも高い。 殿下のお傍近く使え、信用されている平民あがりのクロトワは、軍人と言えど
彼等にとって煙たい存在である。 増してやその隊長のクレネとクロトワは、表面的には何事も無い様に
穏やかではあるが、事実上犬猿の仲と言えよう。 そのクレネが自分の仕事を託してきたのだから、怪しく
思って当然である。



謁見室の近くまで来ると、護衛兵が廊下に並んで警備をしていた。
「殿下は中か?」
「あ、いえ、まだ会議室の方に…」
「なんだ、まだゼストの連中が粘ってるのか?」
「いいえ、ゼストの使者方はもうお引取りになりました。 殿下はお一人で第二会議室にいらっしゃいます。」
「そうか。」
ゼストとは貴族集会で、政治的に一番勢力を持つ団体であるが、軍事国家のトルメキアにおいてはさほど
重要視されていない。 今日は月一度の王代との対談の日であった。
少し先にある会議室へ行く途中、クロトワは悪い予感がした。
〝一人で会議室に篭もって、何してるんだ? …さてはまたゼストの奴等がイヤミでも言って、クシャナの
機嫌を損ねたな。 ハハ~ン、クレネは殿下がご機嫌斜めなのを知ってて、俺に仕事を押し付けやがった
のか。 クソッ!〟

だがクロトワも宮廷生活には慣れていたので、怯む事無く、顔を無表情にしてから扉をノックした。
「誰だッ?!」
「クロトワです。 失礼します。」
クシャナに断る隙を与えず勝手に部屋に入った。 『下がれ』と言われたら、重い認定書を抱えたまま戻ら
なければならない。 他人に押し付けられた仕事でそこまでする程、クロトワはお人好しではない。
窓際で外を向いているクシャナの背中に敬礼し、報告した。
「クレネ隊長から預かった装備の認定書と、今朝申し付けられましたコルベットの製造予定表をお持ちしま
した。」

「そこへ置け。」
会議室の大きなテーブルの上にドサッと荷物を置くと、クロトワは始めて部屋の惨状に気が付いた。 あち
こちに使者達が使ったと思われるワインのグラスや容器がゴロゴロと転がっており、壁に叩き付けられて
砕けた物の破片が床にも落ちていた。 椅子の大半は無造作にひっくり返され、クシャナの足元には毎月
恒例の懇願書が細かく引き千切られ、散らばっていた。
「こりゃすげぇ… 連中とチャンバラでもしたんですか?」
「…」
「まぁ、たまにゃ奴等の肥えたケツを思いっ切り峰打ちして、痣の一つや二つくれてやりてぇ気持ちも分かり
ますがね。 程々にしねぇと後始末が大変ですぜ?」
「さ・下がれ!」
妙に上ずったクシャナの声に、クロトワは「?」と目を凝らし、彼女の後ろ姿を見直した。 すると、微かに
ではあったが、固く握られた両手の拳と、彼女の肩が、小さく震えているのが見えた。 驚きのあまり、今
言われた事も忘れてしまった。
「どうしたんですか、殿下?! いったい何があったって――」
「下がれと言った!」
今度は堪えきれず、はっきりと声が震えているのが聞こえた。 そしてクロトワは彼女の頬から床まで、光る
水滴が落ちるのを見た。

〝イィッ!? クシャナが泣いてる?!?〟
一瞬、呆気に取られたが、クロトワはとっさに考えた。
〝ここで一つ、気の利いたことでも言わなけりゃ、バツが悪くなるなぁ… 泣いてるとこ見られたとあっちゃ、
余計ヘソを曲げちまうだろうし… よし、こうなりゃぁ――〟
「殿下、良かったら俺を二・三発ブン殴って下せぇ。 ムシャクシャしてる時ゃ、憎い奴のツラ思い浮かべて、
力いっぱい何かを殴り飛ばすのが一番ですぜ。」
「ウッ…」
部屋の状況からして、すでに気の済むまで癇癪を起こし、もはやクシャナにそのような気が無いと承知の
上での申し出であった。 だがそうやって飽く迄も腰の低い姿勢をとれば、彼女がやがて口を割る事を、
クロトワは心得ていた。 無茶な事を勧めれば、逆に彼女が冷静な判断をし、落ち着く事も。
「お前に当たるつもりは無い。 ここを散らかすつもりも無かったが… 外の兵は何事かと思っただろうな。
私とした事が、大人気無い…」
いささか意気消沈して、クシャナは指で涙を拭った。 その様子にクロトワはホッとし、近寄って行った。
「今度はなんて言ってきたんです? ど~せまたくだらねぇ提案を押し付けようってんでしょうが――」
「お前には関係ない。」
「エッ?」
安心した矢先に冷たくあしらわれ、さすがのクロトワも面食らった。 が、めげる程の打撃ではない。
「そりゃぁ、貴族のお偉いさんの考える事なんぞ、俺には理解できませんがねぇ。 知らぬが仏っても言い
ますし… どうです、殿下、今夜はパァッと飲んで、酔い潰れるってのは?」
「…お前は単純でいいな。 暴れるか酒を飲めば、全てが解決するとは。」
「何も、解決するなんて言ってませんぜ。 確かに気を紛らわせるだけですけどね、八方塞の時はそれでも
一時的に楽になれまさぁ。 そうしてる内に何か良い方法が見えてきたり、あっちから解決が歩いて来たり
する事もありますよ。」

「八方塞、か。 確かにそうかも知れん。」
少し考え込んでいるクシャナがまた口を開くまで、クロトワは静かに待った。
「…王代になって、もうすぐ一年になるが… クロトワ。 私は精一杯、トルメキアの為に尽くしてきたつもり
だ。」
振り向き、じっと自分を見詰めるクロトワと、クシャナは始めて目を合わせた。
「父や祖父に勝るとも劣らぬ手腕と指導力を身につけたと自負している。 帝国も近代では覚えの無いほど
安泰だ。 軍力でも、経済においても、トルメキアは世界の頂点に達したと言えよう。 なのに…」
視線を落とし、足元に散らばった紙片を見やった。 すると自ずと手が拳になり、表情が険しくなった。
「なのに、ゼストの馬鹿どもには、私はただの臓器の塊にしか見えんらしい!」
思わずクシャナは唇を噛み、散乱した紙くずを爪先で蹴った。 その勢いにひらひらと舞う紙片から彼女の
顔に視線を戻し、クロトワはそっと訊いてみた。
「それはいったい、どう言う事で?」
「…例え歴代のどの皇帝より勝っていても、女である限り、私は世継ぎを産む為の道具に過ぎん!」
「な・何を…! そのような事はけして――」
「奴等には、そうなのだ。 私の能力だけでは、不安と見える。 これが何だか分かるか?」
引き裂かれた紙片を、クシャナはまだ僅かに震える手で指差した。
「懇願所ですか?」
「名簿だ。 私の花婿候補のな。」
「エッ?! これ、全部…?」
元の姿では優に三十頁はあったであろうその紙くずに、クロトワは絶句した。
「用意周到なものよのぉ。 これでは断わろうにも、一人一人にそれらしい理由をつけるだけで一苦労だ。
増してやこれだけの中から一人も選ばぬ訳にはゆかぬ。 『帝国の為に早くお世継ぎを』等とぬかしおった
が、すぐに子ができねば我先にと王家の縁者を世継ぎに立てようとするに決まっている。 つまり、皇子を
産まぬ限り、私の統治は成り立たぬと言う訳だ。」
「やれやれ…」
「フンッ。 正に八方塞だ。」
皮肉な笑みを浮かべてクシャナは窓に向き直り、冷たいガラスに額を当てた。
暫らくその背中を眺めてから、クロトワは溜息をついた。
「ハ~ァ。 でも殿下、いつかはこうなると分かってたんですから、今更ジタバタしても仕方ないでしょう。」
「簡単に言ってくれるな! 他人事(ひとごと)だと思って…」
「そりゃぁ、他人事ですからね。 殿下が誰と結婚しようと、確かに俺には関係ありません。 でもまぁ、これ
だけ候補がいれば、中には一人ぐらい良い男がいるかも知れねぇですよ?」
「本当に、そう思うのか?」
キッと自分を睨むクシャナに、クロトワはまた溜息をついた。
「…そんな、突っ込まないで下さいよ、殿下。 ただの気休めに決まってるでしょう。」
「…」
「そりゃ、どこぞの能無し坊ちゃんの相手をしなけりゃならねぇなんて、お気持ちはお察ししますが――」
「黙れ! お前に何が分かる!」
すぐまた外を向いたが、窓の縁に置かれたクシャナの拳に、悔し涙が二滴、零れ落ちた。


aa



 風の谷を去って二日、順調にトルメキアへの距離を縮めるバカガラスの内奥、クロトワは数枚の紙を携え、クシャナの私室を訪れた。


 「殿下、先ほど入った本国からの電信ですが……」


 軽いノックの音とともに用件を述べる、が……常ならば間を置かずに下りるはずの入室の許可がないことに、珍しいこともあるものだとクロトワは小首を傾げた。

 大の男が取るようなポーズではないのだが、下がり気味の眉に垂れ目のこの男だと妙に愛嬌がある。


 「殿下、いらっしゃらないんで?」


 暗号を解読次第持って来いと言われたのが半時ほど前のこと。

 己が下した命令を忘れて休むような女ではないと思うのだが、と何度か繰り返し扉を叩いても、一向に答えが返ってくる気配はない。

 一分一秒を争う中身ではないものの、さりとて自分の手元でとどめ置くのにはいささか問題がある。


 「さて、どうしたもんかね……ットットット」


 半ばヤケクソに扉を強く押した、その次の瞬間、鈍い音と痛みを同時に感じ、クロトワは部屋の内側で尻餅をついていた。

 無用心かつありえないことだが鍵が開いていたらしい。

 反射的に目をつぶって叱責の声に備えるが、五秒十秒と時間が経ってもクシャナの冷たいが美しい声が響くことはなかった。


 「……おいおい、どうなってんだ」


 誰も好んで罵倒されたくはないが、こうまで予想と違う状況になるのも気持ちが悪い。

 加えて一国の皇女の私室に無断で入るなどという不敬罪(この場合は不可抗力の感が否めなくはあるが)を犯している以上、解読された電信を置いてサッサと退散するのが最善の道であろうと、クロトワは立ち上がり、そして、三歩も進まないうちにその歩みを止めた。


 (こりゃ反則だろ)


 執務机の上、緩やかなカーブを描く黄金の髪に目を瞬かせ、クロトワは泣き笑いのような複雑な表情を浮かべた。

 つい数日前には旧世界を燃やしたバケモノを従えて蟲どもと対峙していた女の、歳より幾分幼く見える横顔に、健康な成人男性らしく彼女をネタに日々妄想していた不埒なアレコレはあっけなく霧散する。

 皇女でありながら侵攻軍の将軍という肩書きを背負っているような女なのに、この稚けなさはなんなのだろう。


 (どうも調子が狂っちまうな)


 伏したまま起きる気配のないクシャナは心なしか寒そうに身体を震わせている。

 その姿に、またぞろ女を感じないではないが、無防備な寝顔を目にすると毒気が抜かれてしまう。

 ……まあ、実際のところ、現在の身分差でこの女を抱くことなどできるはずもないのだから、完全な一人相撲ではあるのだが。


 しばしの逡巡の後、クロトワはハァと深く溜め息をつくと、纏った深青のマントを無造作にクシャナの肩へと落とした。

 腐海の瘴気から逃れるため、十分以上に高度をとって飛行している今夜は、いくら室内といえども冷え込む。

 貧乏軍人の安物であっても目覚めるまでの寒さをしのぐには事足りるだろう。

 
 (ったく、カワイイったらねぇな)


 勝手に入室した非礼と電信の暗号が解読された次第を紙の余白に走り書き、一礼するとクロトワは部屋を後にした。





 「……ふん、タヌキめ」

 閉ざされた扉の向こう、やや憮然とした声が呟いた言葉を知るよしもなく。




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