知らぬ間にクロトワの脇腹を掴んでいたクシャナは、慌てて押し離そうとしたが、さすがに腕力では男に敵う
筈が無い。 怪我を負わせるのも抵抗があったので、説得してみる事にした。
「クロトワ、今放せばこの無礼、すべて水に流してやろう! 他に知る者もいな――」
「チェッ、『無礼』ですか? ま、どーせ俺ぁ生まれ付きの無礼モンですがね… こうなったらトコトン無礼して
さしあげますよ!」
「な・何を――アァッ!」
いきなり首筋を舐めたクロトワに、つい悲鳴を上げてしまった。 するとすぐに扉の向こうから護衛兵の声が
した。
「殿下、どうなさいました? 殿下? 殿下っ!」
ドンドンと戸を叩く兵を無視し、クシャナは必死にクロトワに語り掛けた。
「クロトワ、放せ! 今ならまだ間に合う!」
「嫌ですよぉ、やっと掴まえたのに…」
「何を言ってる! 処刑されても構わんのか?!」
喉元に唇を押し当て、力の限り強く抱き締めてから、クロトワは静かに答えた。
「殿下が人妻になるのを見るよりは、死んだ方がマシですよ。」
その時、堪りかねた護衛兵が一斉に広間に流れ込んで来た。
「殿下っ!」
「アッ、クロトワ殿…」
「な・なんて事を――!」
クシャナを抱え込み、その脚に座り、今また首筋に接吻しているクロトワに、兵達は驚きながらもすぐに飛び
掛かった。
「放さんか、この無礼者!」
「下人の分際で何をする!」
クシャナの背中に回された手を指から剥がそうとする者もいれば、腕や脚をそれぞれ掴んで引っ張る者も
いた。 だが殊の外クロトワの抱擁は強く、手間取っているのを見て、クシャナは仕方なく爪を立て、両脇を
思い切り握った。
「イテテテテッ!」
ようやく緩んだ腕の中から、滑るようにクシャナは抜け出した。
「殿下! お怪我は?!」
「…大事無い。」
「クソ~、放せ! 放しやがれ! チキショウ、クシャナ~!」
今度はクロトワが護衛兵に雁字搦めに掴まれ、無造作に暴れた。 シタバタする足が床に触れる事も無く、
数人に持ち上げられたまま部屋から連れ出されるところであった。
「独房へ抛り込め!」
「ハ?」
クシャナの命令に、兵達は驚いて立ち止まった。 クロトワも騒ぐのを止め、キョトンとして彼女の顔を見た。
「で・殿下… すぐに処刑するのでは――?」
自分でも不思議であったが、クシャナはどうしてもクロトワを庇いたかった。 とっさにその口実を考えた。
「馬鹿者! 今殺したら、製造中のコルベットはどうなる? 情報は全て、担当してきた奴の頭の中にあるの
だぞ!」
「は・はい、畏まりました… では処罰はいかが致しましょう?」
「…明日、それ相応の事を考える。 今日はもう床に付く。」
「ハッ!」
戸へ向かうクシャナの道を開ける為、クロトワを抱えた兵達は壁際へ動いた。 クロトワ本人は通り過ぎて
行くクシャナの冷め切った表情を見て、思った。
“クシャナ…! 『死んだ方がマシだ』って言ったから、ワザと殺さずに、余計苦しめるつもりなのか? それ
とも…”
戸口へ近づくクシャナの背中に、クロトワは最後の言葉を投げ掛けた。
「殿下ぁ! お願いです、殺してくだせぇ!」
ピタッと、クシャナの足が止まった。
「黙れ! 貴様に殿下に懇願する資格など無い!」
黙らせようと護衛兵が頬を殴ったが、めげずにまた声を張り上げた。
「殿下が人妻になるなんて、俺ぁ耐えられねぇ!」
「だ・黙らんか、この身の程知らず!」
反対側からも殴られ、途端に鼻から出血し始めた。 鋭痛に涙も出た。
「一思いに死なせてくだせぇ…」
「え~い、この――」
「止めんか。」
踵を返して向き直ったクシャナは、クロトワの顔に動揺したが、表情は堅く閉ざし通した。
「私の婚礼が死よりも辛いと言うなら、それ以上の刑罰はあるまい。 潔く負う事だ!」
「そんなぁ、残酷な… あんまりですよぉ…」
本格的に泣き出すクロトワを、これ以上見ていると心が揺らぎそうであったので、クシャナは足早に部屋を
出た。 廊下に出ても尚木魂する彼のすすり泣きに、胸が潰れる思いがした。
“すまぬ、クロトワ。 こうするより他に道が無いのだ! お前があの時、諦めてさえいれば、こんな事に
ならずに済んだのに… なぜ私の忠告を聞かなかった?! 処刑は覚悟の上だったのか? あれしきの
事、命と引き換えにする甲斐があったのか?”
無意識に、クシャナの足取りは遅くなっていったが、後ろについていた数名の護衛兵はそれに合わせた。
“お前には、それだけの甲斐があると言うのか? 馬鹿な! 高が口付けの為に命を落とすなど! 元々
死にたかったのならまだしも――”
ハッとして、クシャナは完全に立ち止まってしまった。
「殿下? どうかなさいましたか?」
心配そうに覗き込んだ兵は、クシャナの顔を見て慌てた。
「殿下! しっかりなさいませ! キヤクワ、担架をお持ちしろ!」
「だ・大丈夫だ、必要ない。」
「しかし殿下! お顔の色が――」
「大事無い! 少し疲れただけだ。」
そう言い切ってまた歩き出したが、クシャナの顔はやはり蒼白であった。 それはある説に辿り着いたから
であった。
“そうだ、そうに違いない! 今日決まったばかりだ、偶然ではなかろう…”
クシャナは、ゼストに強いられて自分が結婚すると決定したので、クロトワが自殺を図ったのだと確信した。
「で・殿下ぁ… うっ、うっ… チキショ~!」
「え~い、おとなしくせんかっ!」
牢へ担がれながらもまだ喚いているクロトワに、護衛兵の副隊長は呆れたが、何度殴っても黙らないので
渋々諦めた。
独房に着いて扉を開けてから、「殿下は『抛り込め』とおっしゃったからな」と、部下達にクロトワを文字通り
投げ込むよう指示した。
「イテェ~! クシャナ、うっ、うっ…」
床に叩き付けられた状態のまま、クロトワは泣き伏した。
“チキショウ、バカな事しちまったよなぁ… クシャナの膝枕で寝られただけで満足してりゃぁいいものを、
なんであんな欲出しちまったんだ? いくら酒が入ってるったって、あそこまでしたら誰だって起きるよなぁ。
あ~ぁ、俺は世界一の大馬鹿野郎だ…。”
“まったく、お前は世界一の大馬鹿者だ! 欲しい女が手に入らないと言うだけで、死のうとするとは…
死んでいったい何になる? 世間の笑い種になるだけではないか!”
部屋へ行く途中、自分でも説明し切れない動揺に翻弄されながら、クシャナは心の中でクロトワをなじって
いた。 まだ蒼褪めていた顔の表情は険しく、無意識に下唇を噛み締めていた。
“第一、お前と私の立場の差を考えてみろ! 元より叶う筈も無い相手と分かっていそうなものを… それ
なのに感情に溺れるとは、ほとほと馬鹿な奴だ! 直属の部下である事に満足していれば、何不自由無く
暮らせたのに、その地位も、命までも捨てて、何を得ると言うのだ? 高が口付けのために… 馬鹿馬鹿
しい事この上ない!”
酔いが醒めるのに苛立ちが拍車を掛けた。
“私の恋人になりたいだと?! 自惚れも程々にしろ! 平民上がりが、生意気な。 兵士としての腕を
買ってやっただけなのに、思い上がるな! こんな事くらいで立場を忘れるようでは、その資格も結局は
無いな。 役立たずめッ! 中古のコルベットの方がよっぽど使える――”
『殿下にとっちゃぁ、俺なんか男の部類に入ってねぇ… 戦車やコルベットとおんなじ、道具に過ぎねぇ…』
再び急に立ち止まったクシャナに、護衛兵達が慌てて止まった。 それに気付き、すぐまた歩き出したが、
クシャナの足取りは重くなっていた。
“私はやはり、クロトワを道具か、物体としてしか考えてはいないのか? 奴の言う通り、機械とさほど変わ
らぬ立場に置いていたのだろうか?”
筈が無い。 怪我を負わせるのも抵抗があったので、説得してみる事にした。
「クロトワ、今放せばこの無礼、すべて水に流してやろう! 他に知る者もいな――」
「チェッ、『無礼』ですか? ま、どーせ俺ぁ生まれ付きの無礼モンですがね… こうなったらトコトン無礼して
さしあげますよ!」
「な・何を――アァッ!」
いきなり首筋を舐めたクロトワに、つい悲鳴を上げてしまった。 するとすぐに扉の向こうから護衛兵の声が
した。
「殿下、どうなさいました? 殿下? 殿下っ!」
ドンドンと戸を叩く兵を無視し、クシャナは必死にクロトワに語り掛けた。
「クロトワ、放せ! 今ならまだ間に合う!」
「嫌ですよぉ、やっと掴まえたのに…」
「何を言ってる! 処刑されても構わんのか?!」
喉元に唇を押し当て、力の限り強く抱き締めてから、クロトワは静かに答えた。
「殿下が人妻になるのを見るよりは、死んだ方がマシですよ。」
その時、堪りかねた護衛兵が一斉に広間に流れ込んで来た。
「殿下っ!」
「アッ、クロトワ殿…」
「な・なんて事を――!」
クシャナを抱え込み、その脚に座り、今また首筋に接吻しているクロトワに、兵達は驚きながらもすぐに飛び
掛かった。
「放さんか、この無礼者!」
「下人の分際で何をする!」
クシャナの背中に回された手を指から剥がそうとする者もいれば、腕や脚をそれぞれ掴んで引っ張る者も
いた。 だが殊の外クロトワの抱擁は強く、手間取っているのを見て、クシャナは仕方なく爪を立て、両脇を
思い切り握った。
「イテテテテッ!」
ようやく緩んだ腕の中から、滑るようにクシャナは抜け出した。
「殿下! お怪我は?!」
「…大事無い。」
「クソ~、放せ! 放しやがれ! チキショウ、クシャナ~!」
今度はクロトワが護衛兵に雁字搦めに掴まれ、無造作に暴れた。 シタバタする足が床に触れる事も無く、
数人に持ち上げられたまま部屋から連れ出されるところであった。
「独房へ抛り込め!」
「ハ?」
クシャナの命令に、兵達は驚いて立ち止まった。 クロトワも騒ぐのを止め、キョトンとして彼女の顔を見た。
「で・殿下… すぐに処刑するのでは――?」
自分でも不思議であったが、クシャナはどうしてもクロトワを庇いたかった。 とっさにその口実を考えた。
「馬鹿者! 今殺したら、製造中のコルベットはどうなる? 情報は全て、担当してきた奴の頭の中にあるの
だぞ!」
「は・はい、畏まりました… では処罰はいかが致しましょう?」
「…明日、それ相応の事を考える。 今日はもう床に付く。」
「ハッ!」
戸へ向かうクシャナの道を開ける為、クロトワを抱えた兵達は壁際へ動いた。 クロトワ本人は通り過ぎて
行くクシャナの冷め切った表情を見て、思った。
“クシャナ…! 『死んだ方がマシだ』って言ったから、ワザと殺さずに、余計苦しめるつもりなのか? それ
とも…”
戸口へ近づくクシャナの背中に、クロトワは最後の言葉を投げ掛けた。
「殿下ぁ! お願いです、殺してくだせぇ!」
ピタッと、クシャナの足が止まった。
「黙れ! 貴様に殿下に懇願する資格など無い!」
黙らせようと護衛兵が頬を殴ったが、めげずにまた声を張り上げた。
「殿下が人妻になるなんて、俺ぁ耐えられねぇ!」
「だ・黙らんか、この身の程知らず!」
反対側からも殴られ、途端に鼻から出血し始めた。 鋭痛に涙も出た。
「一思いに死なせてくだせぇ…」
「え~い、この――」
「止めんか。」
踵を返して向き直ったクシャナは、クロトワの顔に動揺したが、表情は堅く閉ざし通した。
「私の婚礼が死よりも辛いと言うなら、それ以上の刑罰はあるまい。 潔く負う事だ!」
「そんなぁ、残酷な… あんまりですよぉ…」
本格的に泣き出すクロトワを、これ以上見ていると心が揺らぎそうであったので、クシャナは足早に部屋を
出た。 廊下に出ても尚木魂する彼のすすり泣きに、胸が潰れる思いがした。
“すまぬ、クロトワ。 こうするより他に道が無いのだ! お前があの時、諦めてさえいれば、こんな事に
ならずに済んだのに… なぜ私の忠告を聞かなかった?! 処刑は覚悟の上だったのか? あれしきの
事、命と引き換えにする甲斐があったのか?”
無意識に、クシャナの足取りは遅くなっていったが、後ろについていた数名の護衛兵はそれに合わせた。
“お前には、それだけの甲斐があると言うのか? 馬鹿な! 高が口付けの為に命を落とすなど! 元々
死にたかったのならまだしも――”
ハッとして、クシャナは完全に立ち止まってしまった。
「殿下? どうかなさいましたか?」
心配そうに覗き込んだ兵は、クシャナの顔を見て慌てた。
「殿下! しっかりなさいませ! キヤクワ、担架をお持ちしろ!」
「だ・大丈夫だ、必要ない。」
「しかし殿下! お顔の色が――」
「大事無い! 少し疲れただけだ。」
そう言い切ってまた歩き出したが、クシャナの顔はやはり蒼白であった。 それはある説に辿り着いたから
であった。
“そうだ、そうに違いない! 今日決まったばかりだ、偶然ではなかろう…”
クシャナは、ゼストに強いられて自分が結婚すると決定したので、クロトワが自殺を図ったのだと確信した。
「で・殿下ぁ… うっ、うっ… チキショ~!」
「え~い、おとなしくせんかっ!」
牢へ担がれながらもまだ喚いているクロトワに、護衛兵の副隊長は呆れたが、何度殴っても黙らないので
渋々諦めた。
独房に着いて扉を開けてから、「殿下は『抛り込め』とおっしゃったからな」と、部下達にクロトワを文字通り
投げ込むよう指示した。
「イテェ~! クシャナ、うっ、うっ…」
床に叩き付けられた状態のまま、クロトワは泣き伏した。
“チキショウ、バカな事しちまったよなぁ… クシャナの膝枕で寝られただけで満足してりゃぁいいものを、
なんであんな欲出しちまったんだ? いくら酒が入ってるったって、あそこまでしたら誰だって起きるよなぁ。
あ~ぁ、俺は世界一の大馬鹿野郎だ…。”
“まったく、お前は世界一の大馬鹿者だ! 欲しい女が手に入らないと言うだけで、死のうとするとは…
死んでいったい何になる? 世間の笑い種になるだけではないか!”
部屋へ行く途中、自分でも説明し切れない動揺に翻弄されながら、クシャナは心の中でクロトワをなじって
いた。 まだ蒼褪めていた顔の表情は険しく、無意識に下唇を噛み締めていた。
“第一、お前と私の立場の差を考えてみろ! 元より叶う筈も無い相手と分かっていそうなものを… それ
なのに感情に溺れるとは、ほとほと馬鹿な奴だ! 直属の部下である事に満足していれば、何不自由無く
暮らせたのに、その地位も、命までも捨てて、何を得ると言うのだ? 高が口付けのために… 馬鹿馬鹿
しい事この上ない!”
酔いが醒めるのに苛立ちが拍車を掛けた。
“私の恋人になりたいだと?! 自惚れも程々にしろ! 平民上がりが、生意気な。 兵士としての腕を
買ってやっただけなのに、思い上がるな! こんな事くらいで立場を忘れるようでは、その資格も結局は
無いな。 役立たずめッ! 中古のコルベットの方がよっぽど使える――”
『殿下にとっちゃぁ、俺なんか男の部類に入ってねぇ… 戦車やコルベットとおんなじ、道具に過ぎねぇ…』
再び急に立ち止まったクシャナに、護衛兵達が慌てて止まった。 それに気付き、すぐまた歩き出したが、
クシャナの足取りは重くなっていた。
“私はやはり、クロトワを道具か、物体としてしか考えてはいないのか? 奴の言う通り、機械とさほど変わ
らぬ立場に置いていたのだろうか?”
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