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うろほろぞ
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数日前から滞在しているホテルの一室で、気心を知り尽くした長年の相棒同士がバドワイザーを片手にラフなやりとりをすれば、今日の報告と明日の予定は10分もかからずまとまった。
 それをクラークがメールにして、本隊に送信するのにかかった時間がもう5分。朝から晩まであくせく働いて、時には命懸けの綱渡りまでした1日が、たかがそれだけの時間で片付いちまうんだなと2人して苦笑いして、それで今日の任務は全て完了だった。
 時計の針は22時を指している。クラークはバドワイザーの缶をくずかごに放り込むと、ノートパソコンの電源を落としもせず、「もう少し飲みたいからバーにいますよ」とだけ言い残して出て行った。
 気を使いやがって、とラルフは1人になった部屋で思う。
 今日はラルフの誕生日だ。だが2人は任務の都合で、本隊から遠く離れた異国に出向している。2人だけでだ。
 少し寂しいな、とは思っていた。レオナはバックアップに回っていて、本隊と一緒に待機中だ。誕生日に、恋人が傍にいない。傍にいることができない。それはこの歳になったラルフでも、やはり少し寂しい。
 だがそれは、こういう仕事をしていれば仕方のないことだ。むしろ戦場でドンパチやらかしている最中よりはマシ。それは良くわかっている。
 それじゃあせめて、メールのやりとりぐらいしたらどうですか――クラークはそのつもりで出て行ったのだろう。点けっぱなしのパソコンを見てもそれに気付かないほど、ラルフは鈍感ではない。
 ラルフは素直に、その好意に甘えることにした。あの感情表現が苦手な若い恋人が、気の効いたメッセージなんか送ってきているとは思えないが、こちらから他愛のない一言二言を送るのも悪くない、と思った。
 ブラウザを立ち上げ、フリーメールのログイン画面を呼び出す。任務に関わるメールは何重にもセキュリティをかけた専用のアドレスを使うが、プライベートなら話は別だ。もちろん送信する内容には細心の注意を払うことになるが。
 スパムが何件かと、見覚えのあるメールアドレスからのメッセージが1件届いていた。
 レオナからだ。添付ファイルが付いている。拡張子を見ると動画らしかった。
 ダウンロードして、ファイルをダブルクリックする。プレイヤーが画面いっぱいに立ち上がって、その真ん中に小さく動画が開いた。メールで送信するために、解像度を小さくしたのだろう。
 動画には何も映っていない。声だけが聞こえる。「ほら、こっちに来てください!」とか「これを見るんです、これを」とか……ああ、こりゃウィップの声だな。
 ややあって、いきなりオリーブ色の何かが画面に大写しになった。「そうじゃなくて、もう3歩下がって」。その声に従って、オリーブ色の塊が、画面から遠くなっていく。これはうちの戦闘服か?、とラルフが気付いたのと、画面の中に見間違えようもない青色が映り込んだのが同じ頃。レオナの髪だった。
 なんとか画面の中に上半身を収めたレオナが、困った顔でこちらを見上げている。が、目線がいまいち合っていない。ウィップもそれに気付いたようだ。

「目線はここですからね。カメラちゃんと見てくださいよ――はい、OKですね。それじゃあ、どうぞ」
「どうぞ……って何を……?」
「何言ってんですか! 大佐への誕生日祝いに決まってるでしょう? メッセージの一言ぐらいないんですか?」
「え……その……誕生日おめでとう……?」
「なんで疑問系なんですか! だいたい、もうちょっと何とかあるでしょう? 名前を呼ぶとか、愛してるって言うとか!」
「……ラルフ大佐。お誕生日おめでとうございます……これでいい?」
「だからなんで私に訊くんですか!? それにまさか先任、普段も階級つけて呼んでるんじゃないでしょう? もっといつも通りに! 硬くならずに!」

「何やってんだお前ら、ぐだぐだじゃねえかよ……!」
 このあたりで、ラルフはたまらず突っ伏した。笑いが止まらない。
 たぶんウィップが気を利かせたつもりで、動画をメールに添付しようと言い出したのだろう。ファイルの作成時刻を見てみると、現地時間の今朝早くだ。ブラジルと、この国の時差は14時間。現地時間の25日朝に撮影すれば、14時間早く日付が変わるこの国にいても、25日のうちにメッセージを受け取ることができる。
 と、そこまで計算してるとしたら、クラークも一枚噛んでるな。何やってんだ、と繰り返してラルフは腹を抱える。そこまで手を回しているなら、もう少しスマートに撮影しろよ、スマートに。
 ラルフが笑っているうちに短い動画は終わり、また最初からループし始めた。動画を画面いっぱいに広げると、解像度の荒い画像の中で、レオナが戸惑いながら囁く。あ、良く見たらちょっと顔が赤いでやんの。「誕生日おめでとう」。巻き戻す。「誕生日おめでとう」。何度も、何度もラルフはそれを繰り返す。
 繰り返すうちに、ラルフの笑いが止まった。
「はは……遠い……遠いよなあ……」
 画面の中ではレオナが戸惑いながら、でも僅かに微笑んでいて。何日かぶりで声もこうして聞くことができて。例えば今、何でもいいから理由をつけて国際電話を掛ければ、もっと自然な声を聞くこともできるだろうし、ビデオチャットなんてものを使えば、この瞬間の表情だって見ることができる。時代は世界の距離をそんなにも近くした。
 だが、それだけだ。手を伸ばしても触れられない。ひんやりと肌の感触も、稼業の割には痛みが少ない髪のなめらかさも、吐息の意外な熱さも、画面越しには伝わらない。触れることもできなければ、抱きしめることもできない。
 急に2人の間の本当の距離を思い知らされて、ラルフは突っ伏したまま頭を振った。ったく、俺はどれだけあいつにベタ惚れしてるんだ。たかが数日、離れているということが寂しくて堪らないだなんて。
 10代のガキじゃねえんだぞ。こちとら来年には40だ。それなのに、締め付けられるような寂しさで胸が苦しいなんて思ってる。それをこんな形で、こんな日に思い知らせるなんて、とんだプレゼントだ。
「ばーか、これじゃちっとも祝ってることにならねえよ」
 ラルフはそう言って、画面の斜め上あたり、たぶんウィップがその辺りに立っているのだろうという辺りを指を軽く弾いてやった。帰ったら見てやがれ。
 ぶつくさ言いながら、ラルフは短い返信のメールを送った。サンキュー、嬉しかった。でも帰ったらもう一度、今度は目の前で言ってくれ――「抱き返すこともできない距離からじゃ寂しすぎる」とは、さすがに照れ臭いし、万が一ウィップに読まれたらと思うと付け加えられなかったが。
 それが終わると、ラルフはパソコンの電源を落として部屋を出た。バーでクラークが待っている。
 エレベーターを待ちながら、ラルフは1人呟く。
「片棒担いだんだ、1杯奢れよ。誕生日祝いも兼用だ」
 「1杯じゃ済まないでしょうに」と、笑いながらクラークが答える声が聞こえた気がする。
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傭兵部隊にとっては、クリスマスも正月もあってないようなものだ。365日どんな日でも世界のどこかで紛争は続いているし、テロもどこかで起きている。いつどこで何が起きるか分からないから待機。これが部隊の基本スタンスだ。
 だが、家族の元に戻って祭日を祝う連中もいないわけではない。だからそういう日は、いつもより少しだけ基地の中が普段より静かで、居残り組みはしみじみと今日が祭日であることを思うのだ。
 さてこの居残り組だが、大別すると2種類に分けられる。ひとつは新年をそれほど重視しない連中、つまり1月1日よりも、感謝祭やクリスマス、あるいはこの先の春節に休める方が嬉しいという者たち。そしてもうひとつは、そういうものを共に祝う家族を持たない者たちだ。
 そう言うとひどく寂しい身の上のようだが、その筆頭であるラルフは少なくとも、そう考えてはいない。例えば基地にいたって、感謝祭には七面鳥、クリスマスにはプティング、春節には中華菓子と、ささやかな祝いの料理が並ぶ。厨房からのちょっとした気遣いだ。それを仲間と共に突付くのは悪くない祭日だと思う。
 今年の新年もそんな料理が振舞われた。
 肉である。豪快にして豪勢。茹でた肉の塊だ。
 メインは牛だが、鶏や豚、ソーセージもあった。その回りにはマスタードやら岩塩やらイタリア風の緑のサルサソースやら、ガーリック風味のソイソースやら、中華風の赤いタレやら、とにかくありとあらゆる味付け用のアイテムが添えられている。
「ボッリートって言うんだ」
 それを作ったイタリア人が胸を張った。いつも厨房を預かっている炊事手が、今年は新年の休みを選んだのである。それで元々料理好きのイタリア人が調理役を買って出て、それが許可された。さすがに年明けからAレーションでは侘しい。
「肉を水から茹でるだけなんだけどな、薄く切って好きな味を付けて食べると美味いんだ」
 その説明に、わっと喜びの声が上がった。
 部隊は基本的に男所帯で、男というのはえてして肉が好きなものである。肉食を崇拝してるんじゃないかとさえ思うこともある。その定義に当てはまる男どもにとっては、これ以上ないご馳走だった。
 ラルフも塊肉を少しナイフで切り取って、塩を付けて食べてみた。確かに美味い。良く煮込まれた肉は口の中でほろりと崩れるし、脂身もとろけるようだ。
 問題は、ラルフの部下にはその肉が大の苦手という少女がいることだ。見れば案の定、レオナは皿の前で戸惑っている。
 野菜はある。これを作ったイタリア人もレオナが肉が苦手なことは知っているし、皆だって肉ばかりではさすがに飽きるということぐらいは考えていた。だから鍋には大ぶりに切られたにんじんや、皮を剥いて丸ごとのじゃがいもや玉葱も放り込まれ、それらも美味そうに煮えて皿の上に並んでいる。
 いや実際美味いだろう。これだけの肉の滋味が溢れたスープで、ことことじっくり煮られた野菜だ。
 だが残念ながら、レオナにはその肉の味がキツい。野菜にたっぷり絡んだ肉の脂が苦しい。どうもそこまでの配慮は、イタリア人には思いつかなかったようだ。
「おい大丈夫かレオナ。食えそうになかったら無理せずに、いつものレーション貰って来い」
 ラルフが言うのは、ベジタリアン向けのレーションのことである。レオナはほとんどいつも、それの世話になっていた。
 だが、レオナはいいえと首を振る。
「大丈夫よ」
 金色に煮えた玉葱を、レオナは小さく切って口に運ぶ。そしておろおろと見守るラルフに、レオナは小さく微笑みながらこう言った。
「美味しい」
 ほっと胸を撫で下ろすラルフの前で、レオナはまた一口、玉葱を口に運んだ。

 それから1時間ほど後のことである。
 ラルフは廊下の向こうから歩いてくるレオナを見かけて足を止めた。向こう側は医療部のあるフロアで、レオナには特に用はないはずだ。
 ラルフがちょっと不思議に思うのと、レオナが手にしていた小さな何かを後ろに隠すのが同時だった。
「お前今、何隠した?」
「……なんでもないわ」
「何でもないなら見せてみろよ」
 口にかけても百戦錬磨のラルフにそう言われて、上手く誤魔化せるほどレオナは世慣れていない。
 レオナが諦め顔でラルフに差し出したそれは、医療部の薬袋だった。但書は胃薬である。
「やっぱりもたれたか。俺ですら脂っこいと思ったもんなあ」
 どうやら肉そのものは食べなくても、その脂だけで充分レオナには苦しかったようだ。
「だから無理して食うな、って言ったのに」
「いいの、覚悟の上だったし」
「覚悟って、そこまでして食うか普通」
「普通なら食べない」
「ならどうして」
「今日はお祝いだから」
 あ、なるほど、とラルフはそこで合点した。
 皆が喜んで食べている中、自分だけがレーションを抱えていては周りが興醒めする。それを気にして、レオナは苦手な肉の脂と格闘していたのだ。
 そんな気配りを、この少女はいつの間にか覚えていたらしい。
「お前にしちゃ上出来だ。良くやった」
 お前にしては、のところでレオナが反応した。
「満点ではないのね。改善すべき点は?」
「その胃薬だな。それぐらいは自室に置いとけ。そしたら誰にも見られないで済む」
「今回余った分はそうするつもりよ」
「それで満点だ」
 ラルフはレオナの頭をよしよしと撫ぜてやる。幼い子供相手のようだが、これが何となく癖になってしまった。レオナの方もされるがままになっているから、いつまでもその癖は抜けそうにない。
 だがレオナも少しずつ、だが確かに成長している。笑顔を覚え、仲間への気配りを覚え、そしていずれは頭を撫でるラルフの手を振り払うだろう。子供じゃないんだから、とか何とか抗議して。
 ……それはちょっと寂しいな、とラルフは思う。願わくばそんな日はもっと後に――って、それは普通なら父親辺りが考えることだよな、とラルフは苦笑した。俺は確かにこいつの上官だが、保護者になったつもりはねえぞ、と。
 そんなラルフの様子を見ていたレオナが首を傾げた。
「何を1人で百面相してるの?」
 こんなことも、きっと昔のレオナなら気付かなかった。畜生、余計なことまで気が付くようになりやがって。ラルフは照れ隠しに、つい乱暴な調子になる。
「何でもねえよ。ほら、他のヤツに見付かる前に部屋に戻れ!」
 ラルフはレオナの肩を掴んで、強引に回れ右させると背中をどんと押した。レオナはその勢いで一瞬つんのめりかけて、だが上手くバランスを取り直して歩き出した。無茶な上官に文句も言わないあたりがレオナらしい。
 それを見送りながらラルフは思う。基地に居残りだって、共に祝う家族がいなくたって、ほら今年も悪くない正月だ、と。

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突如、赤く変化する毛髪と瞳と、それと同時に発現する凶暴性。単に暴れると言うだけなら何とでもなるが、身体能力の向上も見られ、その破壊力は歴戦の傭兵2人を苦しめるほどのものだ。しかもレオナ本人は、その時の記憶を一切持っていない。
 そして、それは過去2回とも格闘大会KOFで起こっている。そう決めるには材料が少なすぎるが、因果関係を考えないわけにはいかない。
「今回はレオナを外す」
 司令官たるハイデルンがそう決めたのは、当然の話だった。

 当然の話だった。
 当然ではあるが、クラーク・ステイルは頭が痛かった。これから数週間、ラルフとウィップの口喧嘩を聞き続けなければならないのかと思うと。
 2人ともプロだから、いざ任務となればきっちりコンビネーションは合わせてくる。少なくとも自分の役割は確実に果たすだろう。
 だが、KOFは長丁場だ。各国での対戦と対戦の合間には、半ば余暇のような移動時間だとか、宿泊だとかがついてくる。
 そういうちょっとした空白の度に何かとぶつかり合う2人の姿が、想像するまでもなく脳裏に浮かんでクラークはため息を吐いた。
 なんだか今から胃が痛い気がする。

 なんがか胃が痛い気がする。
 そうレオナが自覚したのは、KOF不参加と、その間の後方支援に就くことが決まった翌日の朝だった。
 それを除けば、すこぶる体調は良い。一応計ってみた体温は平常の範囲内だし、朝のトレーニングのジョギングもいつもと同じタイムだ。ただ、胃だけが痛い。
 朝食のトレイを前に、レオナはちょっとフォークを持つのを躊躇った。

 フォークを持つのを躊躇っていたクラークは、同じように朝食に手をつけようとしないレオナに気付いた。
「どうしたレオナ。食わないのか? 具合でも悪いのか?」
 多国籍な傭兵部隊だ。ベジタリアンだ回教徒だなんだと、個人の食の嗜好や戒律をいちいち聞いていたらキリがない。好きなものを好きだけ食え、と食事はビュッフェ形式で並べられ、それぞれ自分の責任で、好きなものを取って来ることになっている。レオナのトレイにもレオナが食べられるものばかり――野菜や果物や豆類ばかりが乗っている。困る理由はないだろう。
「……胃が痛いの。任務に支障が出るほどではないけど」
「奇遇だな。俺もだ。なんか妙なもの食べたか?」
「いいえ。食堂で出たものしか食べてない」
「二日酔い……はお前に限ってないだろうな。となると神経性の胃炎か?」
「私がどうかはわからないけれど、中尉はそうでしょう?」
 レオナはちらりとビュッフェの方を見る。
 ビュッフェ台の方から、ラルフとウィップが何か言い合う声がする。
 たぶんあれは「朝からそんなにパンに蜂蜜つけるヤツがいるか!見ている方が胸焼けしそうだぜ」とか「あら朝の糖分は脳の働きを活性化させるんですよ?それより大佐の方がそんなに脂ぎったベーコンとか卵ばっかり。コレステロール過多で脳溢血起こすんじゃないですか?もう歳なんだから考えた方がいいですよ」「歳の話はやめろ、歳の話は。だいたいお前はだなあ……」とかなんとか言い争っているのだろう。
 まったくもうあいつらは、とクラークは毎度のことながらため息をついた。ああ、胃が痛い。
「医務室行って、胃薬貰ってくるか」
 ここでうだうだと朝食のトレイを突付きまわしているよりはマシだろう、とクラークは極めて建設的な判断を下した。
「必要なら、私が受け取ってくるわ」
「いや、俺が行ってくる。お前の分も貰ってくるさ。だからお前は」
 ラルフとウィップの言い合いは、少しずつボリュームを上げながら続いている。
「その間にあれをなんとか黙らせてくれ。出来る範囲で構わんから」
 他力本願、責任転嫁、敵前逃亡。何とでも言いやがれ。俺はとにかくあの騒ぎから離れたい。そう思うクラークを、少なくともレオナは責める気はないようだった。
「……努力はするわ」
「ああ、過剰な期待はしないでおくさ」

「過剰な期待はしないでおくれよ。神経性のヤツなら薬なんて気休めだからね」
 そう言いながら、ドクターは胃薬の入ったパウチをクラークに差し出した。
「胃痛の元になるストレスそのものをなんとかしなきゃ、根本的な解決にはならないんだからさ。薬で抑えてもその場しのぎだ。胃に大穴開ける前に何とかしろよ」
「何とかなるなら10年以上前にやってるさ」
「ああ、お前さんのストレスの元はやっぱり大佐かね。あんたも懲りずに良く付き合ってるもんだ」
「それが腐れ縁ってヤツさ」
 そんなもんかと苦笑を浮かべながら、軍医はカルテにあれこれと書き込んでいく。
「で、もう1人は誰の分だね?」
「うちのレオナの分」
「ほほう、それは珍しい」
「珍しい?」
「ほんの10分ほど前にね、そのレオナ嬢の父親も来てるんだよ、ここに」
「父親って、教官が?」
「ああ、それも胃薬を貰いにね。神経性の胃炎らしいって」
 そう言いながら、軍医はクラークのカルテの下敷きにされていた、もう一枚のカルテを指差して見せた。表紙には確かにハイデルンと書いてある。
「そりゃ珍しい」
 クラークは、この男には珍しく素直に驚いてみせた。
 ハイデルンは精神的にも肉体的にもタフな、まさに軍人向けの資質に恵まれた人間だ。もう少し若いころ、ラルフとクラークが部隊に入って来たあたりには、部隊もまだまだ安定しておらず、何よりハイデルン自身が重く暗い過去を引きずっていたせいもあってストレスを胃薬で誤魔化す日も多かった。
 だが、あれから時は流れ、復讐の完結が過去を少しだけ軽くし、部隊はそれなりに動くようになっている。少なくともこの数年クラークは、ハイデルンがストレスで胃をやられる、などという話を聞いた覚えがない。
 それがまあ親子同じタイミングでとは珍しい。血が繋がっていないとは思えないほどの似た者親子だな、と笑おうとしてクラークはふと思い至った。まさか。

 ふと思い至った。まさか。
 神経性の胃炎など何年ぶりの話で、珍しいこともあるものだと思ったが、まさかアレが原因ではないだろうな。ハイデルンは貰ったばかりの胃薬を飲もうと持ち上げた水差しをそのまま、己の思考にしばし凍った。
 部隊は順調に機能している。世はおおむね平和だがそれなりに騒乱と戦火を孕んでもいて、当面明日の仕事の心配をする必要はなさそうだ。全くもって問題はない。
 KOFがもうすぐ始まるが、参加枠の3名は無事に埋まった。そうでなければレオナを出せない以上、自分が出るしかないかとも思っていたが、ウィップが戻ったお陰でこれもまた問題ない。
 それでは何がストレスになっているのだろうと考えて、ハイデルンはあることに思い至ったのだ――もしかすると自分は、義娘と2人で過ごすことになるのを不安に思っているのではないかと。
 2人で過ごすといっても後方支援の任務中だ。他の部下もいる。やるべきことは多く、時間を持て余すこともない。
 だが、要素はあった。ハイデルンは義娘と8年も暮らしていながら、共有した時間はあまり多くない。多忙さゆえに、家を空けることの方が多かったのだ。実際に共に過ごした時間は短い。
 しかもあの頃とは状況が違っている。人形のようだった義娘は、少しずつではあるが感情を取り戻し始めた。その上、男親がもっとも苦手とする年齢に差し掛かっている。かつて娘を持っていたとは言え、その娘をもっと幼い時期に喪っているハイデルンにとっては年頃の娘というものは未知の生物だ。
 娘と何を話し、どう接すれば良いのかわからない。それがこの胃炎の原因だと思い至ってハイデルンは愕然とした。
 その伝説を謳われた隻眼の傭兵隊長は、その時ただの不器用な父親でしかなかった。

 ただの不器用な父親でしかなかったというわけか、あの人も。医務室から食堂へ戻る廊下を歩きながら、クラークはそう考える。
 無理もない。娘は微妙な年頃で、父は父親である前に師であり上官で、しかも血さえ繋がっていない。
 それでもあの2人はどうしたって父と娘でしかないのだから、もっとシンプルに考えればいいものを、と他人の気楽さでクラークは思う。数年ぶりの親子水入らず。それぐらいに考えればいいものを、と。
 それが揃って悩み込んで、挙句の果てに胃を壊した。しかもおそらく無自覚に、だ。何をやっているのやらと苦笑しながら、と食堂のドアを開けると、一番に目に飛び込んできたのは背を向け合って食事をするラルフとウィップだった。まるで喧嘩の後でおやつをだされた子供を見ているようだ。おやつは美味しくて機嫌も直ったし、本当はもう仲直りをしてもいいかと思っているのだけれど、意地を張って背を向け合う子供同士だ。
 思わず吹き出しながら、クラークはつくづく、レオナは変わったと思う。世界の全てとの関わりを断つように心を閉ざしていた少女が、少しずつ感情を取り戻し、他人を思うということができるようになり、今では不完全ながらも喧嘩の仲裁までするようになった。
 それなら変われるだろう。義父との関係も、少しずつ。
 きっといつかこんなものもいらなくなるのだろうなと思いながら、クラークは困り顔のレオナに胃薬のパウチを投げてやった。
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「本当に、レオナには言わないつもりなんですか?」
「言えるかよ」
 首を振りつつ、ラルフは予備弾のパウチを手に取った。
「本当にあの人のことを思うなら、言うべきだと思いますけどね」
「あいつに説明して、わかることだと思うか?」
「難しいとは思いますけどね」
 クラークは肩をすくめて首を振る。そのクラークの腰にも、弾を詰め込んだパウチが鈴なりだ。
 ラルフとクラークだけではない。そこに集まった、部隊のざっと半数近くの傭兵たちは皆、同じような装備を身に着けている。
「何もかも終わった後で教える方が残酷なんじゃないですか?」
「確かにそうかも知れないけどよ。あいつはこの世がひっくり返ったって、あの人の側に立つ人間だろう? そいつをこっち側に口説き落とせるならとっくにやってる」
「それはそうですがね」
「それに、もしこんなことがレオナの耳に入ってみろ。あいつが教官に情報を漏らさないって保障がどこにある。そしたらここまで計画したことが丸潰れだ」
 教官、と口にした時、ラルフは無意識に唇を舐めた。かさついた唇で呼ぶには重過ぎる名だった。
 喉が圧迫されるような緊張感が、今更ながらにこみ上げて来る。戦いの前にはいつも同じものを感じているが、今回はそれがべっとりと喉に貼り付いているような気がした。
 限りなく近くでその姿を見てきたからこそ、死んでも敵に回すものかと思った相手を、ラルフたちは今、襲おうとしている。
「他にも方法はあるじゃないですか」
「それじゃあ今までと変わらねえだろ。それじゃ意味がねえ。あの人を変えるにはこれぐらいやらねえと駄目だ――それが、あの人のためでもあるんじゃねえのか」
「その意見に同意したから、俺はここにいるんですけどね」
「感謝するぜ、相棒」
「そう思うなら、言葉じゃなくて態度で示してくださいよ」
「終わったら1本奢ってやるよ。飲めたらの話だが」
 ラルフは時計を見た。そろそろ時間だ。傭兵たちはすでに、各班に分かれて準備を終えている。一部は先行して位置についているはずだ。
 もう、引き返せない。
「それじゃあ、行くぞ」
 戦いの始まりを告げる声も、応じる声も小さかった。どこか冷え冷えとした出陣は、この戦いには相応しいものだったかもしれない。
 ハイデルンという男に、ただがむしゃらに突っ込んで行けた10年近く前の自分の無謀さが、今のラルフには羨ましかった。


 ハイデルンの視界は、その時おそらく真っ白に染まっただろう。白い粉塵の煙幕の向こう、こちらからも肉眼ではその長身を捉えることはできない。しかし、熱源感知式のスコープなら、それを越えてハイデルンの姿を捉えることができるはずだった。
「いない!?」
 どこかで引き攣った悲鳴が上がる。まだ若い兵士の声だ。
 この世代はこういうところに弱い、とラルフは思う。次々と配備される最新鋭の機器や兵器の取り扱いは上手いが、それに頼りすぎるきらいがある。そういうものが役に立たなくなった時の混乱が酷いのだ。
 戦場には、精密機械の計算を易々と超えてくる化け物がいくらでもいる。今、彼らが相手にしているのは、そういう類の生物だ。
 ラルフは乱暴にスコープを剥ぎ取って投げ捨てた。役に立たないなら邪魔なだけだ。
 どんな精密機器より最新兵器より、最後に役に立つのは戦場で研ぎ澄まされた直感だとラルフは信じていた。ハイデルンのようにkm単位離れた距離から向けられた殺気を感知するとは言わないが、こちらの勘も負けてはいない。非公式なデータではあるが、ラルフが直感だけで狙いをつけた攻撃は、なんと9割の命中率を誇る。人外のデータに過ぎて、非公式にされているのである。。
 そのラルフの直感は、ハイデルンはまだ粉塵の中にいると言っていた。元より、そこから逃すつもりもない。
「構うな、予定通りやれ!」
 その声がハイデルンに自分の位置を教えることになると知りながら、それでも叫んだのは若い兵士への叱咤か、それとも自分への鼓舞か。
 攻撃は次々と粉塵の中に吸い込まれていく。軽い炸裂音。だが、捕らえたという手ごたえはない。いや、予想よりも着弾がほんの少し遅い。
 ムーンスラッシャーで弾を叩き落している。そう、ラルフは予想した。つくづくハイデルンという男は化け物だ。全方向から囲んでの攻撃を、視界の効かない中で全弾叩き落している。
 しかも、ハイデルンは防戦一方にとどまる男ではない。
「反撃来るぞ! 一箇所に止まるな、動け!」
 叫びつつ、ラルフはとっさに横に走る。嫌な予感がした。
 次の瞬間、それまでラルフがいた位置に真空の刃が飛んでくる。指揮を執るラルフをまず落とすつもりなのだろう。刃はラルフの位置に確実に飛んで来ていた。
 それならそれでいい。こっちにはクラークがいる。ラルフは囮になっていればいい。
「手を止めるな! 走れ! 走りながら手ぇ動かせ!」
 わざと派手に騒ぎながらラルフは駆け抜ける。その裏では、クラークがボディサインで傭兵たちを誘導していた。
 狙いは真空の刃が飛んでくる方向から察しをつけた、ハイデルンの左前方だ。光を失った右側や背後は、普段から見えていないだけに煙幕の影響を受けにくい。狙うなら唐突に視界を失ったはずの左目の側だ。
 クラークの合図で、そこに攻撃が集中する。ラルフはそれに合わせ、反対側に走りこんでいた。そちらからもラルフと陽動に徹していた部隊が攻撃を仕掛ける。
 計画通りの、最高の一撃だった。タイミングも状況も申し分ない。
 おそらく、これを外せば次はないだろう。煙幕ももうすぐ消える。音が混じりすぎて、もう命中か叩き落されたのかもわからない。
 頬に、風を感じた。風はクラークの小さな呟きを乗せていた。
「これで、晴れるな」
 その通りだった。煙幕が風に流されて、視界が晴れていく。
 徐々に明らかになる視界の中、ラルフは何事もなかったかのように悠然と立つハイデルンを見た。あれだけの粉塵に巻かれていたというのに、その痕跡すら完璧な制服姿のどこにも残っていない。呼吸すら穏やかなままだ。
 やっぱりこの人は化け物だ。その化け物を相手に、ラルフは身構える。
 沈黙があった。ハイデルンも、それを取り囲む傭兵達も、どちらも動かない。
 ラルフはそっと腰に手をやって、残弾を確かめた。残り少ない。だが、やれない数ではない。どちらにしても、もう戻れないのだ。
 何が何でもこの一撃、決めてやる。
 その気配に気付いたか、ハイデルンの視線がラルフに向けられた。まだ誰も動けない。動けないまま、二人をじっと見ていることしかできない。氷のように冷たく硬い緊張だけが膨れ上がっていく。
 呆気ないほど軽い音が、その氷の空気を打ち砕いた。
 どろりと粘性の染みが、ハイデルンの背に広がる。それはみるみる広がって、ついに地面にこぼれた。
「レオナ」
 戦鬼とも死神とも呼ばれ、戦場にいるものならその名を畏れぬ者はないとまで言わしめた隻眼の傭兵隊長は、ゆっくりと彼の義娘を振り返る。凄腕の傭兵数十人がかりでも成し得なかった一撃を義父の背に加えた青い髪の少女の目には、熱も興奮も狂乱もなく、ただいつもの表情のない顔で立ち尽くしていた。
 片手に、生卵を持ったまま。
「状況の説明を」
 義娘からいきなり、背中に生卵をぶつけられたハイデルンは短く訊いた。
 答えも短かった。
「誕生日だから、と」
「……そうか」
 ブラジルには、卵と小麦粉をぶつけて誕生日を祝うという奇習がある。
 この地を本拠地とするこの傭兵部隊にも、もちろんその習慣は浸透していて、部隊の人間は誰でも一度は卵と小麦粉まみれにされている――ただ一人、ハイデルンを除いては。
 無理もない。ハイデルンとある程度親しい古参の兵士は、彼を襲った悲劇を知っているだけにそういう強引な明るさの中に彼を引き込むことを恐れ、新参の兵士はハイデルンの、ある一定以上の距離に踏み込ませない雰囲気に気圧されて近付けなかった。
 それでもラルフは過去に2回、卵を手にハイデルンに近付いたことがある。ハイデルンの長い復讐が終わった一昨年と、彼に養女がいたという比較的明るいニュースがあった去年のことだ。
 復讐も終わった。新しい家族も得た。それならいい加減に暗い顔を少しは引っ込めて、馬鹿みたいな騒ぎに笑ったっていいじゃねえか。そういう風に変わったっていいんじゃねえか? その方があの人のためじゃねえのか? それがラルフの言い分だ。
 未遂に終わった理由は、単に実力の差だった。ラルフの実力を持ってしても、ハイデルンの不意をついてに卵を投げつける隙を見つけられなかったのである。
 だが、それで諦めるラルフではない。元々お節介な性質でもあるし、基本的に熱しやすい。そのラルフが2回の失敗を重ねて、ムキにならないはずがなかった。
 今年こそ、何が何でもあの人に卵をぶつけてやる。それの意気込みに周りの人間、つまりお祭り好きの気のいい傭兵たちも加担した。それでこの騒ぎだ。
 ハイデルンやラルフへの好意だけで参加した者だけではないだろう。ハイデルンに卵をぶつけたらどんな顔をするだろう、そんな好奇心が理由の者もいた。弾が生卵とはいえ、あのハイデルンを奇襲して一撃を加えた、そんな箔付けが欲しい者もいた。度胸試しの者もいたに違いない。とにかく、その人数は部隊の半分近くに膨れ上がった。
 相手がハイデルンであるということが、また騒ぎを増長した。普通に卵を投げつけてもきっと避けられる。それじゃあ皆で一度に投げよう。いや、それじゃ足りない、煙幕で目隠しでもしなけりゃ無理だ。それなら煙幕じゃなくても小麦粉でいいじゃないか。どうせ小麦粉もメニューに入ってる。そうだフォーメーションも決めようぜ――ここまで来ると、むしろ職業病か。
 そこまでしても、結局は不可能だった。
 ラルフは無数の卵が落ちて潰れ、しかもそこらじゅう粉塗れという悲惨な状況の中、義父と向き合う青い髪の少女を見ながら苦笑いした。
 こういう冗談は理解できないだろうと計画から外され、外した以上はそこから計画が漏れては困ると完全に情報から遮断されていたレオナが、歴戦の傭兵たちが本気で挑んでも不可能だったことをやってのけた。その皮肉な結末に、首謀者としては笑うしかない。
「レオナ」
 ハイデルンはもう一度、義娘の名を呼んだ。
「これからの予定はどうなっている?」
「15分後に会議が入っています。が、先程、開始時刻を30分遅らせるよう連絡を入れました。その後のスケジュールも全て調整済みです」
「他には?」
「シャワー室と、換えの制服の用意が」
「そうか」
 見ている方が不安になるほど淡々と問うハイデルンに、レオナも淡々と答える。
「レオナ」
「はい」
「後ろに下がれ」
「了解」
 義娘を後ろに下がらせ、ハイデルンが傭兵たちに向き直る。
 ただでは済むまい。飛んでくるのはクロスカッターかムーンスラッシャーか、はたまたブリンガーか。この馬鹿騒ぎの代償は、決して安くはないだろう。最初から覚悟していたことだが、全員2~3日はまともに動けなくなるかもしれない。
 誰かが、ごくりと唾を飲んだ。
「――で、続きはどうした?」
 その言葉の意味を理解するまでの傭兵達の一瞬の空白は、ひどく長く感じられた。
「祝ってくれるのだろう?」
 ふとハイデルンの口元が緩み、耳が割れるような歓声が上がる。
 ああ、と思った。ラルフがずっと、ハイデルンにさせてみたいと思っていたのは、こんな顔だったのだ。
 だが、そうさせたのはラルフではない。きっかけを投じたのはラルフかもしれないが、そうせたのはレオナだ。
 つまり、レオナだけなのだ。レオナだけが、ハイデルンの心の奥底に沈みこんだ暖かいものを掬い上げることができる。それに思い至って、ラルフはもう一度浮かびかけた苦笑を別の笑顔で誤魔化した。苦笑いはこの場には相応しくない。
 ラルフは残った卵をありったけ掴む。大きな手の中には3つも入った。それを、草野球で鍛えたフォームで振りかぶる。
 卵が砕ける軽い音は、更に大きくなった歓声にすぐかき消された。
hrr
 
 今でこそラルフの口喧嘩の相手はウィップ、もっと昔ならクラークと相場が決まっているが、その頃ラルフの舌鋒の攻撃を受けるのは、もっぱらレオナだった。
 仕方あるまい。ラルフのような人間にとって最も気に障るのは、レオナのようなタイプだ。無口で陰気で堅物で、融通も利かないし冗談も通じない。戦場に出ることなんか怖いとも辛いとも思っていないという素振りをするくせに、いつもどこか鈍い痛みを堪えるような顔をしている。
 実はそれはレオナの義父であるハイデルンにも通じるものだが、そちらはラルフの許容範囲内だ。上官だから、という理由で盲目的に許容しているわけではない。ハイデルンにあってレオナにはまだないもの、それがラルフの中で決定的な差になっている。
 信念。あるいは意志の力。覇気と言い換えてもいいし、生命力のようなものと言ってもいいかもしれない。そういうものが、ハイデルンにはあってレオナからは欠落しているのだ。
 もちろん、まだ若い上に短い人生の2/3の記憶は失われていて、精神年齢だけで言ったら十にも満たないであろうレオナに、ハイデルン並のそれを期待するのは間違いだということは承知の上だ。承知の上で苛立つのは、子供は子供らしく泣いたり叫んだりしながら成長すればいいものを、レオナの気質がそれすら押し殺しているせいもある。そういうところがひどくラルフの気に障るのだ。
 そんな訳で、ラルフはよくレオナに突っかかった。口喧嘩と言ったが、実際は少し違う。ラルフが勝手に突っかかり、勝手に文句を言い、勝手に終わる。いつもそうだ。
 そして最後にはたいてい、この台詞が出る。
「そんなんじゃ嫁の貰い手もねえぞっ!!」
 ラルフはどちらかと言えば古いタイプの人間で、女性に対してもそういう考えが見え隠れする。結婚したら仕事は辞めて家に入れと叫ぶほどには時代錯誤ではないが、恋愛や結婚が女性にとっての幸福の最終形態だと考えている節はあった。
 とにかく、この台詞の後、ったくもうとかなんとかラルフが口の中でごにょごにょいって終わるのが定番なのだが、その日は少し違った。
 いつも理不尽に言われっぱなしで、レオナも少しばかり腹を立てていたのかもしれない。
「貰い手なら、一人は確保してるわ」
 それまでラルフの一人騒ぎなど馬耳東風に受け流していたレオナが、不意にそう答えたのである。
「……お前、今のもう一度言ってみろ」
「だから、貰い手なら確保してる。少なくとも一人は」
 その時のラルフの顔色を、後にクラークはこう語る。信号機だってあんなに早くは赤から青には変わらない、と。その上目を白黒させているのだから、なんともカラフルだ。
「えーと、レオナ。その相手ってのは、あれか? 俺らも知ってる人間か?」
「ええ、良く知ってると思う」
「KOFで会った連中か? それとも部隊の誰かか?」
「部隊内の人間よ」
「……嘘だろぉ」
 それきり、絶句だ。
 当然だ。レオナとは公私共にかなり近い位置にいるラルフの気付かぬところで、レオナとそこまでの関係を結んだ男がこの基地の中にいるというのだ。いや、ことレオナのことに関しては娘可愛さにリミッターが外れる性質のハイデルンが、そんなことを知ったら絶対にただでは済まさない。つまり、その男はハイデルンの目さえ誤魔化しているということになる。どんな高度な隠密行動を取ったらそんなことが可能なのか。
「そいつ、諜報機関あたりに放り込んだら相当使えるだろうなあ」
 ふとそんなことを考えた瞬間、ラルフは反射的に長年の相棒を見た。基地内でレオナと接触する機会が多く、割と突っ込んだ付き合いをしていて、しかも情報局出身で隠密行動に長けている。そんな男が、ラルフの視線の先で書類をタイプしていた。
「――何を誤解してるんです」
 口をぱくぱくさせるラルフの視線に気付いたクラークは、顔を上げ憮然とした口調で言った。
「そうだよなあ、そりゃそうだよなあ」
 そうしてラルフの思考は再び混乱のスパイラルに戻る。
 もしかしたらレオナのことだから、嫁の貰い手だなんだと言ってもそこまでの関係にはなってはいなくて、子供がするように指切りして「○○くんのお嫁さんになります」とやっただけかもしれない。精神年齢のことを考えたらそちらの方が妥当だ。ああそうだ、きっとそうに違いない。それに、その辺りから人生やり直すのが、レオナには丁度いいだろう。誰か知らんが教官に殺されない程度に頑張れよ、とラルフはその勇者のために祈った。
 そんな上官の気持ちを知ってか知らずか、少女は何事もなかったように、自分に割り当てられた書類の山に向かっている。その素っ気無い横顔と、世界の終わりをいきなり告げられたようなラルフの顔を見比べて、クラークはついに吹き出した。
「ラルフ、お前いい加減この手の遣り口に慣れろよ。嘘は言わないが、本当のことも全部は言わないってのは基本のセオリーだろうが」
「は?」
「レオナ、いい加減許してやれ。これだけ驚かせりゃ気も済んだだろ?」
「……そうね」
 なおも合点が行かない顔のラルフに、レオナは短く告げた。
「私、『嫁の貰い手』だなんて一言も言ってない」
「というわけだ。確かにレオナは一回貰われてるし、それが今も継続中だからな。『少なくとも一人、貰い手を確保している』で嘘は言っていないがな」
 そこまで言われて、ラルフはやっと理解した。
 嫁の貰い手、ではなくて義娘の貰い手。確保している、と言うか現在進行形の、その相手はハイデルンだ。
「お……お前なあ……いや確かにお前は教官に貰われたって言うか拾われたって言うか、そうかもしれねえけどよ……それは反則だろ反則!」
「喚くなラルフ。今回はお前の負けだ。悔しかったらもう少し、悪口のバリエーションを増やせ」
「だからってお前……!」
「レオナ、こっち書類揃ったから、教官のところに持っていってくれ」
「了解」
 書類は方便だ。これ以上この二人を一緒にしておいたら煩くてかなわんと言うのが、クラークの正直なところだろう。
 机越しに渡された書類を手に、レオナは音もなく立ち上がる。そのまま出て行こうとするレオナの背に、諦めきれないラルフが叫んだ。
「糞ッ、真剣に可愛げねえな、お前! そんなんじゃお前、本当に嫁の貰い手――」
「別に、そんなものは要らないもの」
 今度は皆まで言わさず、レオナは首だけ振り返ってその言葉を遮った。
「誰かに貰われるのなんて、一生に一度でいいわ」
 少しばかり頭の古い上官は今度こそ絶句し、勘の良い方の上官は少しばかり複雑な顔をした。
 その二人を置いて、少女は彼女の人生にたった一人の貰い手の元へと向かう。その足取りは、普段より少しだけ軽かった。
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