今でこそラルフの口喧嘩の相手はウィップ、もっと昔ならクラークと相場が決まっているが、その頃ラルフの舌鋒の攻撃を受けるのは、もっぱらレオナだった。
仕方あるまい。ラルフのような人間にとって最も気に障るのは、レオナのようなタイプだ。無口で陰気で堅物で、融通も利かないし冗談も通じない。戦場に出ることなんか怖いとも辛いとも思っていないという素振りをするくせに、いつもどこか鈍い痛みを堪えるような顔をしている。
実はそれはレオナの義父であるハイデルンにも通じるものだが、そちらはラルフの許容範囲内だ。上官だから、という理由で盲目的に許容しているわけではない。ハイデルンにあってレオナにはまだないもの、それがラルフの中で決定的な差になっている。
信念。あるいは意志の力。覇気と言い換えてもいいし、生命力のようなものと言ってもいいかもしれない。そういうものが、ハイデルンにはあってレオナからは欠落しているのだ。
もちろん、まだ若い上に短い人生の2/3の記憶は失われていて、精神年齢だけで言ったら十にも満たないであろうレオナに、ハイデルン並のそれを期待するのは間違いだということは承知の上だ。承知の上で苛立つのは、子供は子供らしく泣いたり叫んだりしながら成長すればいいものを、レオナの気質がそれすら押し殺しているせいもある。そういうところがひどくラルフの気に障るのだ。
そんな訳で、ラルフはよくレオナに突っかかった。口喧嘩と言ったが、実際は少し違う。ラルフが勝手に突っかかり、勝手に文句を言い、勝手に終わる。いつもそうだ。
そして最後にはたいてい、この台詞が出る。
「そんなんじゃ嫁の貰い手もねえぞっ!!」
ラルフはどちらかと言えば古いタイプの人間で、女性に対してもそういう考えが見え隠れする。結婚したら仕事は辞めて家に入れと叫ぶほどには時代錯誤ではないが、恋愛や結婚が女性にとっての幸福の最終形態だと考えている節はあった。
とにかく、この台詞の後、ったくもうとかなんとかラルフが口の中でごにょごにょいって終わるのが定番なのだが、その日は少し違った。
いつも理不尽に言われっぱなしで、レオナも少しばかり腹を立てていたのかもしれない。
「貰い手なら、一人は確保してるわ」
それまでラルフの一人騒ぎなど馬耳東風に受け流していたレオナが、不意にそう答えたのである。
「……お前、今のもう一度言ってみろ」
「だから、貰い手なら確保してる。少なくとも一人は」
その時のラルフの顔色を、後にクラークはこう語る。信号機だってあんなに早くは赤から青には変わらない、と。その上目を白黒させているのだから、なんともカラフルだ。
「えーと、レオナ。その相手ってのは、あれか? 俺らも知ってる人間か?」
「ええ、良く知ってると思う」
「KOFで会った連中か? それとも部隊の誰かか?」
「部隊内の人間よ」
「……嘘だろぉ」
それきり、絶句だ。
当然だ。レオナとは公私共にかなり近い位置にいるラルフの気付かぬところで、レオナとそこまでの関係を結んだ男がこの基地の中にいるというのだ。いや、ことレオナのことに関しては娘可愛さにリミッターが外れる性質のハイデルンが、そんなことを知ったら絶対にただでは済まさない。つまり、その男はハイデルンの目さえ誤魔化しているということになる。どんな高度な隠密行動を取ったらそんなことが可能なのか。
「そいつ、諜報機関あたりに放り込んだら相当使えるだろうなあ」
ふとそんなことを考えた瞬間、ラルフは反射的に長年の相棒を見た。基地内でレオナと接触する機会が多く、割と突っ込んだ付き合いをしていて、しかも情報局出身で隠密行動に長けている。そんな男が、ラルフの視線の先で書類をタイプしていた。
「――何を誤解してるんです」
口をぱくぱくさせるラルフの視線に気付いたクラークは、顔を上げ憮然とした口調で言った。
「そうだよなあ、そりゃそうだよなあ」
そうしてラルフの思考は再び混乱のスパイラルに戻る。
もしかしたらレオナのことだから、嫁の貰い手だなんだと言ってもそこまでの関係にはなってはいなくて、子供がするように指切りして「○○くんのお嫁さんになります」とやっただけかもしれない。精神年齢のことを考えたらそちらの方が妥当だ。ああそうだ、きっとそうに違いない。それに、その辺りから人生やり直すのが、レオナには丁度いいだろう。誰か知らんが教官に殺されない程度に頑張れよ、とラルフはその勇者のために祈った。
そんな上官の気持ちを知ってか知らずか、少女は何事もなかったように、自分に割り当てられた書類の山に向かっている。その素っ気無い横顔と、世界の終わりをいきなり告げられたようなラルフの顔を見比べて、クラークはついに吹き出した。
「ラルフ、お前いい加減この手の遣り口に慣れろよ。嘘は言わないが、本当のことも全部は言わないってのは基本のセオリーだろうが」
「は?」
「レオナ、いい加減許してやれ。これだけ驚かせりゃ気も済んだだろ?」
「……そうね」
なおも合点が行かない顔のラルフに、レオナは短く告げた。
「私、『嫁の貰い手』だなんて一言も言ってない」
「というわけだ。確かにレオナは一回貰われてるし、それが今も継続中だからな。『少なくとも一人、貰い手を確保している』で嘘は言っていないがな」
そこまで言われて、ラルフはやっと理解した。
嫁の貰い手、ではなくて義娘の貰い手。確保している、と言うか現在進行形の、その相手はハイデルンだ。
「お……お前なあ……いや確かにお前は教官に貰われたって言うか拾われたって言うか、そうかもしれねえけどよ……それは反則だろ反則!」
「喚くなラルフ。今回はお前の負けだ。悔しかったらもう少し、悪口のバリエーションを増やせ」
「だからってお前……!」
「レオナ、こっち書類揃ったから、教官のところに持っていってくれ」
「了解」
書類は方便だ。これ以上この二人を一緒にしておいたら煩くてかなわんと言うのが、クラークの正直なところだろう。
机越しに渡された書類を手に、レオナは音もなく立ち上がる。そのまま出て行こうとするレオナの背に、諦めきれないラルフが叫んだ。
「糞ッ、真剣に可愛げねえな、お前! そんなんじゃお前、本当に嫁の貰い手――」
「別に、そんなものは要らないもの」
今度は皆まで言わさず、レオナは首だけ振り返ってその言葉を遮った。
「誰かに貰われるのなんて、一生に一度でいいわ」
少しばかり頭の古い上官は今度こそ絶句し、勘の良い方の上官は少しばかり複雑な顔をした。
その二人を置いて、少女は彼女の人生にたった一人の貰い手の元へと向かう。その足取りは、普段より少しだけ軽かった。
PR