数日前から滞在しているホテルの一室で、気心を知り尽くした長年の相棒同士がバドワイザーを片手にラフなやりとりをすれば、今日の報告と明日の予定は10分もかからずまとまった。
それをクラークがメールにして、本隊に送信するのにかかった時間がもう5分。朝から晩まであくせく働いて、時には命懸けの綱渡りまでした1日が、たかがそれだけの時間で片付いちまうんだなと2人して苦笑いして、それで今日の任務は全て完了だった。
時計の針は22時を指している。クラークはバドワイザーの缶をくずかごに放り込むと、ノートパソコンの電源を落としもせず、「もう少し飲みたいからバーにいますよ」とだけ言い残して出て行った。
気を使いやがって、とラルフは1人になった部屋で思う。
今日はラルフの誕生日だ。だが2人は任務の都合で、本隊から遠く離れた異国に出向している。2人だけでだ。
少し寂しいな、とは思っていた。レオナはバックアップに回っていて、本隊と一緒に待機中だ。誕生日に、恋人が傍にいない。傍にいることができない。それはこの歳になったラルフでも、やはり少し寂しい。
だがそれは、こういう仕事をしていれば仕方のないことだ。むしろ戦場でドンパチやらかしている最中よりはマシ。それは良くわかっている。
それじゃあせめて、メールのやりとりぐらいしたらどうですか――クラークはそのつもりで出て行ったのだろう。点けっぱなしのパソコンを見てもそれに気付かないほど、ラルフは鈍感ではない。
ラルフは素直に、その好意に甘えることにした。あの感情表現が苦手な若い恋人が、気の効いたメッセージなんか送ってきているとは思えないが、こちらから他愛のない一言二言を送るのも悪くない、と思った。
ブラウザを立ち上げ、フリーメールのログイン画面を呼び出す。任務に関わるメールは何重にもセキュリティをかけた専用のアドレスを使うが、プライベートなら話は別だ。もちろん送信する内容には細心の注意を払うことになるが。
スパムが何件かと、見覚えのあるメールアドレスからのメッセージが1件届いていた。
レオナからだ。添付ファイルが付いている。拡張子を見ると動画らしかった。
ダウンロードして、ファイルをダブルクリックする。プレイヤーが画面いっぱいに立ち上がって、その真ん中に小さく動画が開いた。メールで送信するために、解像度を小さくしたのだろう。
動画には何も映っていない。声だけが聞こえる。「ほら、こっちに来てください!」とか「これを見るんです、これを」とか……ああ、こりゃウィップの声だな。
ややあって、いきなりオリーブ色の何かが画面に大写しになった。「そうじゃなくて、もう3歩下がって」。その声に従って、オリーブ色の塊が、画面から遠くなっていく。これはうちの戦闘服か?、とラルフが気付いたのと、画面の中に見間違えようもない青色が映り込んだのが同じ頃。レオナの髪だった。
なんとか画面の中に上半身を収めたレオナが、困った顔でこちらを見上げている。が、目線がいまいち合っていない。ウィップもそれに気付いたようだ。
「目線はここですからね。カメラちゃんと見てくださいよ――はい、OKですね。それじゃあ、どうぞ」
「どうぞ……って何を……?」
「何言ってんですか! 大佐への誕生日祝いに決まってるでしょう? メッセージの一言ぐらいないんですか?」
「え……その……誕生日おめでとう……?」
「なんで疑問系なんですか! だいたい、もうちょっと何とかあるでしょう? 名前を呼ぶとか、愛してるって言うとか!」
「……ラルフ大佐。お誕生日おめでとうございます……これでいい?」
「だからなんで私に訊くんですか!? それにまさか先任、普段も階級つけて呼んでるんじゃないでしょう? もっといつも通りに! 硬くならずに!」
「何やってんだお前ら、ぐだぐだじゃねえかよ……!」
このあたりで、ラルフはたまらず突っ伏した。笑いが止まらない。
たぶんウィップが気を利かせたつもりで、動画をメールに添付しようと言い出したのだろう。ファイルの作成時刻を見てみると、現地時間の今朝早くだ。ブラジルと、この国の時差は14時間。現地時間の25日朝に撮影すれば、14時間早く日付が変わるこの国にいても、25日のうちにメッセージを受け取ることができる。
と、そこまで計算してるとしたら、クラークも一枚噛んでるな。何やってんだ、と繰り返してラルフは腹を抱える。そこまで手を回しているなら、もう少しスマートに撮影しろよ、スマートに。
ラルフが笑っているうちに短い動画は終わり、また最初からループし始めた。動画を画面いっぱいに広げると、解像度の荒い画像の中で、レオナが戸惑いながら囁く。あ、良く見たらちょっと顔が赤いでやんの。「誕生日おめでとう」。巻き戻す。「誕生日おめでとう」。何度も、何度もラルフはそれを繰り返す。
繰り返すうちに、ラルフの笑いが止まった。
「はは……遠い……遠いよなあ……」
画面の中ではレオナが戸惑いながら、でも僅かに微笑んでいて。何日かぶりで声もこうして聞くことができて。例えば今、何でもいいから理由をつけて国際電話を掛ければ、もっと自然な声を聞くこともできるだろうし、ビデオチャットなんてものを使えば、この瞬間の表情だって見ることができる。時代は世界の距離をそんなにも近くした。
だが、それだけだ。手を伸ばしても触れられない。ひんやりと肌の感触も、稼業の割には痛みが少ない髪のなめらかさも、吐息の意外な熱さも、画面越しには伝わらない。触れることもできなければ、抱きしめることもできない。
急に2人の間の本当の距離を思い知らされて、ラルフは突っ伏したまま頭を振った。ったく、俺はどれだけあいつにベタ惚れしてるんだ。たかが数日、離れているということが寂しくて堪らないだなんて。
10代のガキじゃねえんだぞ。こちとら来年には40だ。それなのに、締め付けられるような寂しさで胸が苦しいなんて思ってる。それをこんな形で、こんな日に思い知らせるなんて、とんだプレゼントだ。
「ばーか、これじゃちっとも祝ってることにならねえよ」
ラルフはそう言って、画面の斜め上あたり、たぶんウィップがその辺りに立っているのだろうという辺りを指を軽く弾いてやった。帰ったら見てやがれ。
ぶつくさ言いながら、ラルフは短い返信のメールを送った。サンキュー、嬉しかった。でも帰ったらもう一度、今度は目の前で言ってくれ――「抱き返すこともできない距離からじゃ寂しすぎる」とは、さすがに照れ臭いし、万が一ウィップに読まれたらと思うと付け加えられなかったが。
それが終わると、ラルフはパソコンの電源を落として部屋を出た。バーでクラークが待っている。
エレベーターを待ちながら、ラルフは1人呟く。
「片棒担いだんだ、1杯奢れよ。誕生日祝いも兼用だ」
「1杯じゃ済まないでしょうに」と、笑いながらクラークが答える声が聞こえた気がする。
それをクラークがメールにして、本隊に送信するのにかかった時間がもう5分。朝から晩まであくせく働いて、時には命懸けの綱渡りまでした1日が、たかがそれだけの時間で片付いちまうんだなと2人して苦笑いして、それで今日の任務は全て完了だった。
時計の針は22時を指している。クラークはバドワイザーの缶をくずかごに放り込むと、ノートパソコンの電源を落としもせず、「もう少し飲みたいからバーにいますよ」とだけ言い残して出て行った。
気を使いやがって、とラルフは1人になった部屋で思う。
今日はラルフの誕生日だ。だが2人は任務の都合で、本隊から遠く離れた異国に出向している。2人だけでだ。
少し寂しいな、とは思っていた。レオナはバックアップに回っていて、本隊と一緒に待機中だ。誕生日に、恋人が傍にいない。傍にいることができない。それはこの歳になったラルフでも、やはり少し寂しい。
だがそれは、こういう仕事をしていれば仕方のないことだ。むしろ戦場でドンパチやらかしている最中よりはマシ。それは良くわかっている。
それじゃあせめて、メールのやりとりぐらいしたらどうですか――クラークはそのつもりで出て行ったのだろう。点けっぱなしのパソコンを見てもそれに気付かないほど、ラルフは鈍感ではない。
ラルフは素直に、その好意に甘えることにした。あの感情表現が苦手な若い恋人が、気の効いたメッセージなんか送ってきているとは思えないが、こちらから他愛のない一言二言を送るのも悪くない、と思った。
ブラウザを立ち上げ、フリーメールのログイン画面を呼び出す。任務に関わるメールは何重にもセキュリティをかけた専用のアドレスを使うが、プライベートなら話は別だ。もちろん送信する内容には細心の注意を払うことになるが。
スパムが何件かと、見覚えのあるメールアドレスからのメッセージが1件届いていた。
レオナからだ。添付ファイルが付いている。拡張子を見ると動画らしかった。
ダウンロードして、ファイルをダブルクリックする。プレイヤーが画面いっぱいに立ち上がって、その真ん中に小さく動画が開いた。メールで送信するために、解像度を小さくしたのだろう。
動画には何も映っていない。声だけが聞こえる。「ほら、こっちに来てください!」とか「これを見るんです、これを」とか……ああ、こりゃウィップの声だな。
ややあって、いきなりオリーブ色の何かが画面に大写しになった。「そうじゃなくて、もう3歩下がって」。その声に従って、オリーブ色の塊が、画面から遠くなっていく。これはうちの戦闘服か?、とラルフが気付いたのと、画面の中に見間違えようもない青色が映り込んだのが同じ頃。レオナの髪だった。
なんとか画面の中に上半身を収めたレオナが、困った顔でこちらを見上げている。が、目線がいまいち合っていない。ウィップもそれに気付いたようだ。
「目線はここですからね。カメラちゃんと見てくださいよ――はい、OKですね。それじゃあ、どうぞ」
「どうぞ……って何を……?」
「何言ってんですか! 大佐への誕生日祝いに決まってるでしょう? メッセージの一言ぐらいないんですか?」
「え……その……誕生日おめでとう……?」
「なんで疑問系なんですか! だいたい、もうちょっと何とかあるでしょう? 名前を呼ぶとか、愛してるって言うとか!」
「……ラルフ大佐。お誕生日おめでとうございます……これでいい?」
「だからなんで私に訊くんですか!? それにまさか先任、普段も階級つけて呼んでるんじゃないでしょう? もっといつも通りに! 硬くならずに!」
「何やってんだお前ら、ぐだぐだじゃねえかよ……!」
このあたりで、ラルフはたまらず突っ伏した。笑いが止まらない。
たぶんウィップが気を利かせたつもりで、動画をメールに添付しようと言い出したのだろう。ファイルの作成時刻を見てみると、現地時間の今朝早くだ。ブラジルと、この国の時差は14時間。現地時間の25日朝に撮影すれば、14時間早く日付が変わるこの国にいても、25日のうちにメッセージを受け取ることができる。
と、そこまで計算してるとしたら、クラークも一枚噛んでるな。何やってんだ、と繰り返してラルフは腹を抱える。そこまで手を回しているなら、もう少しスマートに撮影しろよ、スマートに。
ラルフが笑っているうちに短い動画は終わり、また最初からループし始めた。動画を画面いっぱいに広げると、解像度の荒い画像の中で、レオナが戸惑いながら囁く。あ、良く見たらちょっと顔が赤いでやんの。「誕生日おめでとう」。巻き戻す。「誕生日おめでとう」。何度も、何度もラルフはそれを繰り返す。
繰り返すうちに、ラルフの笑いが止まった。
「はは……遠い……遠いよなあ……」
画面の中ではレオナが戸惑いながら、でも僅かに微笑んでいて。何日かぶりで声もこうして聞くことができて。例えば今、何でもいいから理由をつけて国際電話を掛ければ、もっと自然な声を聞くこともできるだろうし、ビデオチャットなんてものを使えば、この瞬間の表情だって見ることができる。時代は世界の距離をそんなにも近くした。
だが、それだけだ。手を伸ばしても触れられない。ひんやりと肌の感触も、稼業の割には痛みが少ない髪のなめらかさも、吐息の意外な熱さも、画面越しには伝わらない。触れることもできなければ、抱きしめることもできない。
急に2人の間の本当の距離を思い知らされて、ラルフは突っ伏したまま頭を振った。ったく、俺はどれだけあいつにベタ惚れしてるんだ。たかが数日、離れているということが寂しくて堪らないだなんて。
10代のガキじゃねえんだぞ。こちとら来年には40だ。それなのに、締め付けられるような寂しさで胸が苦しいなんて思ってる。それをこんな形で、こんな日に思い知らせるなんて、とんだプレゼントだ。
「ばーか、これじゃちっとも祝ってることにならねえよ」
ラルフはそう言って、画面の斜め上あたり、たぶんウィップがその辺りに立っているのだろうという辺りを指を軽く弾いてやった。帰ったら見てやがれ。
ぶつくさ言いながら、ラルフは短い返信のメールを送った。サンキュー、嬉しかった。でも帰ったらもう一度、今度は目の前で言ってくれ――「抱き返すこともできない距離からじゃ寂しすぎる」とは、さすがに照れ臭いし、万が一ウィップに読まれたらと思うと付け加えられなかったが。
それが終わると、ラルフはパソコンの電源を落として部屋を出た。バーでクラークが待っている。
エレベーターを待ちながら、ラルフは1人呟く。
「片棒担いだんだ、1杯奢れよ。誕生日祝いも兼用だ」
「1杯じゃ済まないでしょうに」と、笑いながらクラークが答える声が聞こえた気がする。
PR