傭兵部隊にとっては、クリスマスも正月もあってないようなものだ。365日どんな日でも世界のどこかで紛争は続いているし、テロもどこかで起きている。いつどこで何が起きるか分からないから待機。これが部隊の基本スタンスだ。
だが、家族の元に戻って祭日を祝う連中もいないわけではない。だからそういう日は、いつもより少しだけ基地の中が普段より静かで、居残り組みはしみじみと今日が祭日であることを思うのだ。
さてこの居残り組だが、大別すると2種類に分けられる。ひとつは新年をそれほど重視しない連中、つまり1月1日よりも、感謝祭やクリスマス、あるいはこの先の春節に休める方が嬉しいという者たち。そしてもうひとつは、そういうものを共に祝う家族を持たない者たちだ。
そう言うとひどく寂しい身の上のようだが、その筆頭であるラルフは少なくとも、そう考えてはいない。例えば基地にいたって、感謝祭には七面鳥、クリスマスにはプティング、春節には中華菓子と、ささやかな祝いの料理が並ぶ。厨房からのちょっとした気遣いだ。それを仲間と共に突付くのは悪くない祭日だと思う。
今年の新年もそんな料理が振舞われた。
肉である。豪快にして豪勢。茹でた肉の塊だ。
メインは牛だが、鶏や豚、ソーセージもあった。その回りにはマスタードやら岩塩やらイタリア風の緑のサルサソースやら、ガーリック風味のソイソースやら、中華風の赤いタレやら、とにかくありとあらゆる味付け用のアイテムが添えられている。
「ボッリートって言うんだ」
それを作ったイタリア人が胸を張った。いつも厨房を預かっている炊事手が、今年は新年の休みを選んだのである。それで元々料理好きのイタリア人が調理役を買って出て、それが許可された。さすがに年明けからAレーションでは侘しい。
「肉を水から茹でるだけなんだけどな、薄く切って好きな味を付けて食べると美味いんだ」
その説明に、わっと喜びの声が上がった。
部隊は基本的に男所帯で、男というのはえてして肉が好きなものである。肉食を崇拝してるんじゃないかとさえ思うこともある。その定義に当てはまる男どもにとっては、これ以上ないご馳走だった。
ラルフも塊肉を少しナイフで切り取って、塩を付けて食べてみた。確かに美味い。良く煮込まれた肉は口の中でほろりと崩れるし、脂身もとろけるようだ。
問題は、ラルフの部下にはその肉が大の苦手という少女がいることだ。見れば案の定、レオナは皿の前で戸惑っている。
野菜はある。これを作ったイタリア人もレオナが肉が苦手なことは知っているし、皆だって肉ばかりではさすがに飽きるということぐらいは考えていた。だから鍋には大ぶりに切られたにんじんや、皮を剥いて丸ごとのじゃがいもや玉葱も放り込まれ、それらも美味そうに煮えて皿の上に並んでいる。
いや実際美味いだろう。これだけの肉の滋味が溢れたスープで、ことことじっくり煮られた野菜だ。
だが残念ながら、レオナにはその肉の味がキツい。野菜にたっぷり絡んだ肉の脂が苦しい。どうもそこまでの配慮は、イタリア人には思いつかなかったようだ。
「おい大丈夫かレオナ。食えそうになかったら無理せずに、いつものレーション貰って来い」
ラルフが言うのは、ベジタリアン向けのレーションのことである。レオナはほとんどいつも、それの世話になっていた。
だが、レオナはいいえと首を振る。
「大丈夫よ」
金色に煮えた玉葱を、レオナは小さく切って口に運ぶ。そしておろおろと見守るラルフに、レオナは小さく微笑みながらこう言った。
「美味しい」
ほっと胸を撫で下ろすラルフの前で、レオナはまた一口、玉葱を口に運んだ。
それから1時間ほど後のことである。
ラルフは廊下の向こうから歩いてくるレオナを見かけて足を止めた。向こう側は医療部のあるフロアで、レオナには特に用はないはずだ。
ラルフがちょっと不思議に思うのと、レオナが手にしていた小さな何かを後ろに隠すのが同時だった。
「お前今、何隠した?」
「……なんでもないわ」
「何でもないなら見せてみろよ」
口にかけても百戦錬磨のラルフにそう言われて、上手く誤魔化せるほどレオナは世慣れていない。
レオナが諦め顔でラルフに差し出したそれは、医療部の薬袋だった。但書は胃薬である。
「やっぱりもたれたか。俺ですら脂っこいと思ったもんなあ」
どうやら肉そのものは食べなくても、その脂だけで充分レオナには苦しかったようだ。
「だから無理して食うな、って言ったのに」
「いいの、覚悟の上だったし」
「覚悟って、そこまでして食うか普通」
「普通なら食べない」
「ならどうして」
「今日はお祝いだから」
あ、なるほど、とラルフはそこで合点した。
皆が喜んで食べている中、自分だけがレーションを抱えていては周りが興醒めする。それを気にして、レオナは苦手な肉の脂と格闘していたのだ。
そんな気配りを、この少女はいつの間にか覚えていたらしい。
「お前にしちゃ上出来だ。良くやった」
お前にしては、のところでレオナが反応した。
「満点ではないのね。改善すべき点は?」
「その胃薬だな。それぐらいは自室に置いとけ。そしたら誰にも見られないで済む」
「今回余った分はそうするつもりよ」
「それで満点だ」
ラルフはレオナの頭をよしよしと撫ぜてやる。幼い子供相手のようだが、これが何となく癖になってしまった。レオナの方もされるがままになっているから、いつまでもその癖は抜けそうにない。
だがレオナも少しずつ、だが確かに成長している。笑顔を覚え、仲間への気配りを覚え、そしていずれは頭を撫でるラルフの手を振り払うだろう。子供じゃないんだから、とか何とか抗議して。
……それはちょっと寂しいな、とラルフは思う。願わくばそんな日はもっと後に――って、それは普通なら父親辺りが考えることだよな、とラルフは苦笑した。俺は確かにこいつの上官だが、保護者になったつもりはねえぞ、と。
そんなラルフの様子を見ていたレオナが首を傾げた。
「何を1人で百面相してるの?」
こんなことも、きっと昔のレオナなら気付かなかった。畜生、余計なことまで気が付くようになりやがって。ラルフは照れ隠しに、つい乱暴な調子になる。
「何でもねえよ。ほら、他のヤツに見付かる前に部屋に戻れ!」
ラルフはレオナの肩を掴んで、強引に回れ右させると背中をどんと押した。レオナはその勢いで一瞬つんのめりかけて、だが上手くバランスを取り直して歩き出した。無茶な上官に文句も言わないあたりがレオナらしい。
それを見送りながらラルフは思う。基地に居残りだって、共に祝う家族がいなくたって、ほら今年も悪くない正月だ、と。
だが、家族の元に戻って祭日を祝う連中もいないわけではない。だからそういう日は、いつもより少しだけ基地の中が普段より静かで、居残り組みはしみじみと今日が祭日であることを思うのだ。
さてこの居残り組だが、大別すると2種類に分けられる。ひとつは新年をそれほど重視しない連中、つまり1月1日よりも、感謝祭やクリスマス、あるいはこの先の春節に休める方が嬉しいという者たち。そしてもうひとつは、そういうものを共に祝う家族を持たない者たちだ。
そう言うとひどく寂しい身の上のようだが、その筆頭であるラルフは少なくとも、そう考えてはいない。例えば基地にいたって、感謝祭には七面鳥、クリスマスにはプティング、春節には中華菓子と、ささやかな祝いの料理が並ぶ。厨房からのちょっとした気遣いだ。それを仲間と共に突付くのは悪くない祭日だと思う。
今年の新年もそんな料理が振舞われた。
肉である。豪快にして豪勢。茹でた肉の塊だ。
メインは牛だが、鶏や豚、ソーセージもあった。その回りにはマスタードやら岩塩やらイタリア風の緑のサルサソースやら、ガーリック風味のソイソースやら、中華風の赤いタレやら、とにかくありとあらゆる味付け用のアイテムが添えられている。
「ボッリートって言うんだ」
それを作ったイタリア人が胸を張った。いつも厨房を預かっている炊事手が、今年は新年の休みを選んだのである。それで元々料理好きのイタリア人が調理役を買って出て、それが許可された。さすがに年明けからAレーションでは侘しい。
「肉を水から茹でるだけなんだけどな、薄く切って好きな味を付けて食べると美味いんだ」
その説明に、わっと喜びの声が上がった。
部隊は基本的に男所帯で、男というのはえてして肉が好きなものである。肉食を崇拝してるんじゃないかとさえ思うこともある。その定義に当てはまる男どもにとっては、これ以上ないご馳走だった。
ラルフも塊肉を少しナイフで切り取って、塩を付けて食べてみた。確かに美味い。良く煮込まれた肉は口の中でほろりと崩れるし、脂身もとろけるようだ。
問題は、ラルフの部下にはその肉が大の苦手という少女がいることだ。見れば案の定、レオナは皿の前で戸惑っている。
野菜はある。これを作ったイタリア人もレオナが肉が苦手なことは知っているし、皆だって肉ばかりではさすがに飽きるということぐらいは考えていた。だから鍋には大ぶりに切られたにんじんや、皮を剥いて丸ごとのじゃがいもや玉葱も放り込まれ、それらも美味そうに煮えて皿の上に並んでいる。
いや実際美味いだろう。これだけの肉の滋味が溢れたスープで、ことことじっくり煮られた野菜だ。
だが残念ながら、レオナにはその肉の味がキツい。野菜にたっぷり絡んだ肉の脂が苦しい。どうもそこまでの配慮は、イタリア人には思いつかなかったようだ。
「おい大丈夫かレオナ。食えそうになかったら無理せずに、いつものレーション貰って来い」
ラルフが言うのは、ベジタリアン向けのレーションのことである。レオナはほとんどいつも、それの世話になっていた。
だが、レオナはいいえと首を振る。
「大丈夫よ」
金色に煮えた玉葱を、レオナは小さく切って口に運ぶ。そしておろおろと見守るラルフに、レオナは小さく微笑みながらこう言った。
「美味しい」
ほっと胸を撫で下ろすラルフの前で、レオナはまた一口、玉葱を口に運んだ。
それから1時間ほど後のことである。
ラルフは廊下の向こうから歩いてくるレオナを見かけて足を止めた。向こう側は医療部のあるフロアで、レオナには特に用はないはずだ。
ラルフがちょっと不思議に思うのと、レオナが手にしていた小さな何かを後ろに隠すのが同時だった。
「お前今、何隠した?」
「……なんでもないわ」
「何でもないなら見せてみろよ」
口にかけても百戦錬磨のラルフにそう言われて、上手く誤魔化せるほどレオナは世慣れていない。
レオナが諦め顔でラルフに差し出したそれは、医療部の薬袋だった。但書は胃薬である。
「やっぱりもたれたか。俺ですら脂っこいと思ったもんなあ」
どうやら肉そのものは食べなくても、その脂だけで充分レオナには苦しかったようだ。
「だから無理して食うな、って言ったのに」
「いいの、覚悟の上だったし」
「覚悟って、そこまでして食うか普通」
「普通なら食べない」
「ならどうして」
「今日はお祝いだから」
あ、なるほど、とラルフはそこで合点した。
皆が喜んで食べている中、自分だけがレーションを抱えていては周りが興醒めする。それを気にして、レオナは苦手な肉の脂と格闘していたのだ。
そんな気配りを、この少女はいつの間にか覚えていたらしい。
「お前にしちゃ上出来だ。良くやった」
お前にしては、のところでレオナが反応した。
「満点ではないのね。改善すべき点は?」
「その胃薬だな。それぐらいは自室に置いとけ。そしたら誰にも見られないで済む」
「今回余った分はそうするつもりよ」
「それで満点だ」
ラルフはレオナの頭をよしよしと撫ぜてやる。幼い子供相手のようだが、これが何となく癖になってしまった。レオナの方もされるがままになっているから、いつまでもその癖は抜けそうにない。
だがレオナも少しずつ、だが確かに成長している。笑顔を覚え、仲間への気配りを覚え、そしていずれは頭を撫でるラルフの手を振り払うだろう。子供じゃないんだから、とか何とか抗議して。
……それはちょっと寂しいな、とラルフは思う。願わくばそんな日はもっと後に――って、それは普通なら父親辺りが考えることだよな、とラルフは苦笑した。俺は確かにこいつの上官だが、保護者になったつもりはねえぞ、と。
そんなラルフの様子を見ていたレオナが首を傾げた。
「何を1人で百面相してるの?」
こんなことも、きっと昔のレオナなら気付かなかった。畜生、余計なことまで気が付くようになりやがって。ラルフは照れ隠しに、つい乱暴な調子になる。
「何でもねえよ。ほら、他のヤツに見付かる前に部屋に戻れ!」
ラルフはレオナの肩を掴んで、強引に回れ右させると背中をどんと押した。レオナはその勢いで一瞬つんのめりかけて、だが上手くバランスを取り直して歩き出した。無茶な上官に文句も言わないあたりがレオナらしい。
それを見送りながらラルフは思う。基地に居残りだって、共に祝う家族がいなくたって、ほら今年も悪くない正月だ、と。
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