今日は2月3日節分だ。
一応、豆と太巻きを買っておいて、豆まきの用意をする。今年の恵方は南南東だ。
遥は、楽しそうに枡に入った豆を指でさらさらかき混ぜながら、「ねえねえ、誰が鬼の役?」
と目をきらきらさせて聞く。
別に鬼を設定せずに、適当に「鬼は外、福は内」で済ませようと思っていたのだが、とっさに「そりゃ、桐生の役だな」と答える。
遥くらいの年の女の子に豆をぶつけられる役なんて、役だと割り切っていてもなんだか悲しくなってしまう。
だが、桐生も同意見だったようで、
「ええ、俺だって嫌だぜ」
と断固拒否の構えだ。
「じゃあ、適当に撒くか?」
と仕切り直したのだが、桐生が突然、
「あ、じゃあ、錦のところ行こうぜ!! 俺、節分はいつもあいつと対決してたから」
とか言い出す。何だ? 対決って?
嫌な予感がしたのだが、遥は
「わあ、錦山さんも一緒に豆まきするの?」
とキャッキャと喜んでいる。
桐生はさっさと携帯を取り出し、「これから向かう。到着時にワンコールする。それが勝負の合図だ」とか言っている。
節分ってそんなんだったか? と思ったのだが、桐生は真剣な様子で拳を握ったり、ポケットの全てに豆を入れたりしている。
よくわからないまま、車を走らせる。
後部座席で桐生は感慨深げに話し出した。
「伊達さん……聞いてくれるか」
「いや、あんまり聞きたくねえけど、どうせ言うんだろ?」
「俺と錦はヒマワリではいつも鬼を押し付けあって、お互いに豆まきで対決し合ってたんだ……今のところ、白星黒星は交代で全くの互角だ……だが、今年は……違う気がする……遥やあんたについててもらってんだ……今年は、余裕で勝てる気がする」
「いや、桐生? 豆まきってそういうものか?」
よくわからない話をしながら、錦山組に到着。桐生が携帯でワンコールすると、振り向きざまに言った。
「遥、伊達さん、俺の後ろに隠れて、一歩も動かないでくれ!! 俺が守りきってみせる!!」
えらくかっこよくキメてくれるが、それはこれから豆まきを行う男の台詞ではない。
遥もガーン!! という表情を浮かべ「こんなの豆まきじゃない」と言っている。
俺も全く同じ意見だ。
自動ドアを潜り抜け、しんとしたフロアに入る。
誰もいない。
「おかしいな、いつもは組員が挨拶してくれるはずが……」
俺がそう言い終わらないうちに、視界の隅でささっと影が動いた。
「そこか!!」
桐生が手首のスナップを利かせて豆を投げつける。
窓ガラスにいくつか当たった豆がガラスをひび割らせた。その威力はとても豆まきのそれとは思えない。
「ウグ!!」
豆の当たった男がうずくまる。頭部を直撃したようだ。
ていうか、豆まきじゃないって、これ。
男に駆け寄った桐生の目が見開かれる。
「ハッ……お前は……シンジ」
「うう……兄貴……」
桐生が豆で倒した男はなんと桐生の舎弟のシンジだった。
「お、俺は構いません……兄貴にやられたなら、本望です……そ、それより奥の部屋はヤバい……あ、荒瀬さんのアレは……」
「シンジ!! シンジーーー!!!」
がっくりと桐生の腕の中で気を失うシンジ。
ていうか、荒瀬とか言ってたな。他の組員もこんなことに参加しているのだろうか。
「帰ろう。遥」
「うん」
遥の手をとって、元来たドアに向かうとロックされていた。何なんだこれは。混乱していたら、いきなり部屋の中にアナウンスが鳴り響いた。
『お久しぶりです。桐生の伯父貴』
「新藤!!」
もう、わけがわからない。
新藤はどうやら監視カメラを見て、しゃべっているらしかった。
『非戦闘員を引き連れてのお出ましとは……堕ちましたね。そんな作戦をするとは……』
「この二人は関係ねえ!! 錦に会わせろ!!」
『親父はこの奥の部屋でいつもどおりにしていらっしゃいますよ。ただ、そこに辿りつくまでに、自分と荒瀬がご挨拶をさせて頂きますがね……』
「新藤。錦に伝えろ? てめえのその作戦の方がよほど地に堕ちたとな!」
「あの、俺ら関係ねえから、帰っていいか?」
「普通の豆まきはー?」
『ああ。すみません。怪我すると危ないのでこの部屋でいらして下さい』
アナウンスが切れた。取り合えず、因縁の対決らしいので、桐生に勝手に行ってもらうことにするが、桐生は、
「何言ってんだ? そんなこと言ってあんたらが人質にでもとられたら!」
と掛け合ってくれない。
仕方なく着いていくことに。
まず、ドアを一つ開けると、長い廊下が続いている。
「とりあえず伊達さんたちは隅の方に……」
言いかけて、桐生が俺と遥を突き飛ばした。激しい爆音。
荒瀬がキャビネットから飛び出し、豆が装填されたガトリング銃を乱射したのだ。
そこまでして改造することに何の意味が?
「ぐっ!!」
桐生が呻き顔を押さえる。目をやられたようだ。
「おじさん!!」
遥が心配そうに叫ぶが、桐生は顔を押さえたままで、物陰に身を隠そうとする。
だが、そこには新藤が潜んでいた。「恨まないで下さい」
「恨むなら、ゴーグルも着けずに討ち入ったご自分の浅はかさをお恨みください」
新藤が銃(多分、豆入り)を桐生に突きつける。
「ダメッ!!」遥がたたっと走って桐生の前に躍り出た。
新藤が怯む。
遥は躊躇することなく、持参した豆を新藤にぶつけた。
「鬼は外っ!!」
「うわ!!」
ぱらぱらと豆が零れ落ちる。
「豆に当たってしまった……俺は死んでしまった……」と新藤が小声で呟く。
そんなルールかよ。と思わず心の中で叫んだ。それなら桐生ももう死んだことになってんじゃねえのか? と思ったが、桐生は錦山との一騎打ちだから、まあ免除のような感じだ。
しかし、これ、本当に豆まきじゃねえぞ。
「じゃあ、俺はリタイヤしますが、伊達さんと遥さんはどこかに隠れてた方がいいですよ。荒瀬はウキウキしてますから」
新藤がそういい残して消えて言った。
確かに荒瀬は遥はともかく、俺くらいなら嬉々として撃ちそうな気がする。
「仕方ねえなあ。桐生も休憩中だし、少し手を打つか」
「え? どうするの?」
「遥も協力してくれよ?」
「う、うん」
とりあえず、机の上のマジックを取り、壁に「南南東はこちらです→」と大きく書く。
その下に土産の太巻きを置いておいた。
「こんなので大丈夫なの?」
ソファの影に遥と一緒に隠れているが、実はけっこう不安だ。
こんなバカバカしい手に、曲がりなりにも、錦山組の若中が引っかかるだろうか。
そう思った矢先に紅いコートの男が植木の陰から出てきて、銃は片手から離さないが、太巻きを切らずにそのまま、もぐもぐと南南東を向いて食べ始めた。
お茶はねえのかよー、気ぃ利かねえなー、もうー。とか言ってる。
うるせえな、太巻き喰えるだけでもありがたいと思え。それ近所の寿司屋にわざわざ並んだんだぞ。
「えい、鬼は外!!」
遥がぴょこん、と飛び出して荒瀬に豆をばちばちぶつけた。
「あだだだ!! ギブギブギブ!!!」
荒瀬は死んでしまった。
「お前、こんな手に引っかかってて大丈夫なのか? この組?」
「いやあ、我慢できなくて……あ、桐生の伯父貴復活してる」
桐生は目をごしごし擦りながら、落ちている豆をポケットに補充して錦山の待機している部屋へと進んだ。
「とりえあず見届けるか?」
と遥に聞くと、
「そうだね。ここまで来たんだし」
と同じくゆるい感じだった。
桐生の後に続く。
部屋では二人が対峙していた。
「随分遅かったじゃねえか? 桐生。疲れてんだろ?」
錦山はゆっくりと、歩きながらそう言っているが、右手をポケットに入れ豆を握りこんでいる。そして間合いを徐々に詰めつつある。
桐生は既に構えている。おそらく錦山が投げのモーションにかかった時を勝負にするのだろう。
「そうでもないぜ」
その言葉が引き金になった。
お互いが身を翻し、豆を投げ合う。
机の上のファイルが飛び、ガラスの割れる音が響いた。
そのうち、バウンドした豆の一つが遥のおでこに飛んだ。
「痛ッ!!」
遥がおでこを押さえる。
「遥!!」
俺が遥に被さるようして抱きかかえると、二人の男が同時に手を止めた。
遥の肩を抱いたまま、二人を振り返る。「……お前ら」
「もう、いいじゃねえか? そんな勝負事……。お前らはいま、遥のために手を止めた。それは、勝ち負けよりも大事なもんがあるって、二人とも気づいてんだろ?」
「伊達さん……」
二人に同時に名前を呼ばれる。
遥も俺の腕を抜け出し、
「そうだよ。みんなで豆と太巻きと、恵方巻きスイスロール食べようよ」
と提案する。
いつの間にか駆けつけた、リタイヤ組みが拍手しだす。
おお、いい流れだ。
だが、
「ちょっと待てよ! 桐生の投げた豆が遥に当たったんだ!! 桐生、てめえ遥に謝ってからじゃねえと、何も喰う資格ねえぞ!!」
「ざけんなよ! 錦!!! 方向からして、どう考えてもてめえが投げた豆だろうが?!」
と今度はどつきあいの喧嘩になる。
はからずも原因となってしまった遥は「えっ? 私のせい?」とおろおろしている。
「いや、全然、もう、さっさと喰っちまおう」
新藤にお茶を入れてもらって、みんなで南南東を向いて太巻きと恵方巻きスイスロールを食べた。
豆を年の数食べる予定だったが、既に銃撃戦で使ってしまってたので無理だった。
奥の部屋からは、何かが割れる音とか、投げられる音が聞こえてきたが、並んで買っただけあって、太巻きもスイスロールも美味かった。
一応、豆と太巻きを買っておいて、豆まきの用意をする。今年の恵方は南南東だ。
遥は、楽しそうに枡に入った豆を指でさらさらかき混ぜながら、「ねえねえ、誰が鬼の役?」
と目をきらきらさせて聞く。
別に鬼を設定せずに、適当に「鬼は外、福は内」で済ませようと思っていたのだが、とっさに「そりゃ、桐生の役だな」と答える。
遥くらいの年の女の子に豆をぶつけられる役なんて、役だと割り切っていてもなんだか悲しくなってしまう。
だが、桐生も同意見だったようで、
「ええ、俺だって嫌だぜ」
と断固拒否の構えだ。
「じゃあ、適当に撒くか?」
と仕切り直したのだが、桐生が突然、
「あ、じゃあ、錦のところ行こうぜ!! 俺、節分はいつもあいつと対決してたから」
とか言い出す。何だ? 対決って?
嫌な予感がしたのだが、遥は
「わあ、錦山さんも一緒に豆まきするの?」
とキャッキャと喜んでいる。
桐生はさっさと携帯を取り出し、「これから向かう。到着時にワンコールする。それが勝負の合図だ」とか言っている。
節分ってそんなんだったか? と思ったのだが、桐生は真剣な様子で拳を握ったり、ポケットの全てに豆を入れたりしている。
よくわからないまま、車を走らせる。
後部座席で桐生は感慨深げに話し出した。
「伊達さん……聞いてくれるか」
「いや、あんまり聞きたくねえけど、どうせ言うんだろ?」
「俺と錦はヒマワリではいつも鬼を押し付けあって、お互いに豆まきで対決し合ってたんだ……今のところ、白星黒星は交代で全くの互角だ……だが、今年は……違う気がする……遥やあんたについててもらってんだ……今年は、余裕で勝てる気がする」
「いや、桐生? 豆まきってそういうものか?」
よくわからない話をしながら、錦山組に到着。桐生が携帯でワンコールすると、振り向きざまに言った。
「遥、伊達さん、俺の後ろに隠れて、一歩も動かないでくれ!! 俺が守りきってみせる!!」
えらくかっこよくキメてくれるが、それはこれから豆まきを行う男の台詞ではない。
遥もガーン!! という表情を浮かべ「こんなの豆まきじゃない」と言っている。
俺も全く同じ意見だ。
自動ドアを潜り抜け、しんとしたフロアに入る。
誰もいない。
「おかしいな、いつもは組員が挨拶してくれるはずが……」
俺がそう言い終わらないうちに、視界の隅でささっと影が動いた。
「そこか!!」
桐生が手首のスナップを利かせて豆を投げつける。
窓ガラスにいくつか当たった豆がガラスをひび割らせた。その威力はとても豆まきのそれとは思えない。
「ウグ!!」
豆の当たった男がうずくまる。頭部を直撃したようだ。
ていうか、豆まきじゃないって、これ。
男に駆け寄った桐生の目が見開かれる。
「ハッ……お前は……シンジ」
「うう……兄貴……」
桐生が豆で倒した男はなんと桐生の舎弟のシンジだった。
「お、俺は構いません……兄貴にやられたなら、本望です……そ、それより奥の部屋はヤバい……あ、荒瀬さんのアレは……」
「シンジ!! シンジーーー!!!」
がっくりと桐生の腕の中で気を失うシンジ。
ていうか、荒瀬とか言ってたな。他の組員もこんなことに参加しているのだろうか。
「帰ろう。遥」
「うん」
遥の手をとって、元来たドアに向かうとロックされていた。何なんだこれは。混乱していたら、いきなり部屋の中にアナウンスが鳴り響いた。
『お久しぶりです。桐生の伯父貴』
「新藤!!」
もう、わけがわからない。
新藤はどうやら監視カメラを見て、しゃべっているらしかった。
『非戦闘員を引き連れてのお出ましとは……堕ちましたね。そんな作戦をするとは……』
「この二人は関係ねえ!! 錦に会わせろ!!」
『親父はこの奥の部屋でいつもどおりにしていらっしゃいますよ。ただ、そこに辿りつくまでに、自分と荒瀬がご挨拶をさせて頂きますがね……』
「新藤。錦に伝えろ? てめえのその作戦の方がよほど地に堕ちたとな!」
「あの、俺ら関係ねえから、帰っていいか?」
「普通の豆まきはー?」
『ああ。すみません。怪我すると危ないのでこの部屋でいらして下さい』
アナウンスが切れた。取り合えず、因縁の対決らしいので、桐生に勝手に行ってもらうことにするが、桐生は、
「何言ってんだ? そんなこと言ってあんたらが人質にでもとられたら!」
と掛け合ってくれない。
仕方なく着いていくことに。
まず、ドアを一つ開けると、長い廊下が続いている。
「とりあえず伊達さんたちは隅の方に……」
言いかけて、桐生が俺と遥を突き飛ばした。激しい爆音。
荒瀬がキャビネットから飛び出し、豆が装填されたガトリング銃を乱射したのだ。
そこまでして改造することに何の意味が?
「ぐっ!!」
桐生が呻き顔を押さえる。目をやられたようだ。
「おじさん!!」
遥が心配そうに叫ぶが、桐生は顔を押さえたままで、物陰に身を隠そうとする。
だが、そこには新藤が潜んでいた。「恨まないで下さい」
「恨むなら、ゴーグルも着けずに討ち入ったご自分の浅はかさをお恨みください」
新藤が銃(多分、豆入り)を桐生に突きつける。
「ダメッ!!」遥がたたっと走って桐生の前に躍り出た。
新藤が怯む。
遥は躊躇することなく、持参した豆を新藤にぶつけた。
「鬼は外っ!!」
「うわ!!」
ぱらぱらと豆が零れ落ちる。
「豆に当たってしまった……俺は死んでしまった……」と新藤が小声で呟く。
そんなルールかよ。と思わず心の中で叫んだ。それなら桐生ももう死んだことになってんじゃねえのか? と思ったが、桐生は錦山との一騎打ちだから、まあ免除のような感じだ。
しかし、これ、本当に豆まきじゃねえぞ。
「じゃあ、俺はリタイヤしますが、伊達さんと遥さんはどこかに隠れてた方がいいですよ。荒瀬はウキウキしてますから」
新藤がそういい残して消えて言った。
確かに荒瀬は遥はともかく、俺くらいなら嬉々として撃ちそうな気がする。
「仕方ねえなあ。桐生も休憩中だし、少し手を打つか」
「え? どうするの?」
「遥も協力してくれよ?」
「う、うん」
とりあえず、机の上のマジックを取り、壁に「南南東はこちらです→」と大きく書く。
その下に土産の太巻きを置いておいた。
「こんなので大丈夫なの?」
ソファの影に遥と一緒に隠れているが、実はけっこう不安だ。
こんなバカバカしい手に、曲がりなりにも、錦山組の若中が引っかかるだろうか。
そう思った矢先に紅いコートの男が植木の陰から出てきて、銃は片手から離さないが、太巻きを切らずにそのまま、もぐもぐと南南東を向いて食べ始めた。
お茶はねえのかよー、気ぃ利かねえなー、もうー。とか言ってる。
うるせえな、太巻き喰えるだけでもありがたいと思え。それ近所の寿司屋にわざわざ並んだんだぞ。
「えい、鬼は外!!」
遥がぴょこん、と飛び出して荒瀬に豆をばちばちぶつけた。
「あだだだ!! ギブギブギブ!!!」
荒瀬は死んでしまった。
「お前、こんな手に引っかかってて大丈夫なのか? この組?」
「いやあ、我慢できなくて……あ、桐生の伯父貴復活してる」
桐生は目をごしごし擦りながら、落ちている豆をポケットに補充して錦山の待機している部屋へと進んだ。
「とりえあず見届けるか?」
と遥に聞くと、
「そうだね。ここまで来たんだし」
と同じくゆるい感じだった。
桐生の後に続く。
部屋では二人が対峙していた。
「随分遅かったじゃねえか? 桐生。疲れてんだろ?」
錦山はゆっくりと、歩きながらそう言っているが、右手をポケットに入れ豆を握りこんでいる。そして間合いを徐々に詰めつつある。
桐生は既に構えている。おそらく錦山が投げのモーションにかかった時を勝負にするのだろう。
「そうでもないぜ」
その言葉が引き金になった。
お互いが身を翻し、豆を投げ合う。
机の上のファイルが飛び、ガラスの割れる音が響いた。
そのうち、バウンドした豆の一つが遥のおでこに飛んだ。
「痛ッ!!」
遥がおでこを押さえる。
「遥!!」
俺が遥に被さるようして抱きかかえると、二人の男が同時に手を止めた。
遥の肩を抱いたまま、二人を振り返る。「……お前ら」
「もう、いいじゃねえか? そんな勝負事……。お前らはいま、遥のために手を止めた。それは、勝ち負けよりも大事なもんがあるって、二人とも気づいてんだろ?」
「伊達さん……」
二人に同時に名前を呼ばれる。
遥も俺の腕を抜け出し、
「そうだよ。みんなで豆と太巻きと、恵方巻きスイスロール食べようよ」
と提案する。
いつの間にか駆けつけた、リタイヤ組みが拍手しだす。
おお、いい流れだ。
だが、
「ちょっと待てよ! 桐生の投げた豆が遥に当たったんだ!! 桐生、てめえ遥に謝ってからじゃねえと、何も喰う資格ねえぞ!!」
「ざけんなよ! 錦!!! 方向からして、どう考えてもてめえが投げた豆だろうが?!」
と今度はどつきあいの喧嘩になる。
はからずも原因となってしまった遥は「えっ? 私のせい?」とおろおろしている。
「いや、全然、もう、さっさと喰っちまおう」
新藤にお茶を入れてもらって、みんなで南南東を向いて太巻きと恵方巻きスイスロールを食べた。
豆を年の数食べる予定だったが、既に銃撃戦で使ってしまってたので無理だった。
奥の部屋からは、何かが割れる音とか、投げられる音が聞こえてきたが、並んで買っただけあって、太巻きもスイスロールも美味かった。
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年始の挨拶も一段落終え、大吾は我が家に帰宅した。年初めの行事の締めくくりを皐月をはじめ、家族みんなで行おうと思ったからだ。
玄関の扉を開けると、そこに皐月がいた。
大吾が来るのを待ち望んでいたのだろう、好奇心にキラキラ輝く瞳をそのまま大吾にぶつけている。
「仕度出来てんのか?早くしねーと置いて行くぞ」
「皐月、ちゃんとできてるもん。できてないのは、おばあちゃんとママと薫おねえちゃんなの。お化粧パタパタずっとしてるの」
「何塗ったって変わりゃしねーから、やめとけって言って来い。金と時間の無駄だってな」
「ちょいと、大吾。無駄とはなんだい、無駄とは。こういうのはね、身だしなみって言うんだよ。人様の前に出るのにスッピンじゃ申し訳ない大人としてのマナーじゃないか」
「素顔で歩くには犯罪になっちまうってことだろ?」
「大吾!!」
弥生の叱責を笑って流しながら、遥や薫、桐生が来るのを玄関先で待つ僅かな間、久し振りの愛娘とのじゃれあいを楽しんでいた。
「パパ、パパ。わたがしなの。わたがしかってなの」
参道には色々な出店がひしめき合っていた。その殆どがいい匂いのする食べ物屋ばかりで、食いしん坊の皐月は中々前に進まない。
瞳を輝かせてはやれあっちのたこ焼き屋さんに行きたいの。こっちのりんご飴屋さんの方がさっきのお店より大きいのと、終始食べ物屋に目移りをさせては、その都度大吾のズボンの裾を引いては立ち止まらせる。
仕舞いには、桐生に肩車をされ強制連行される始末だ。
「桐生のおじいちゃん、高いの!おろしてなの!!」
急に高くなった目線にさすがの皐月も怖くなったのだろう。桐生の肩にかけた足をバタバタさせ、降ろせと騒ぐ。
「お前に合わせてたら、明日になっちまうからダメだ」
「あ~ん、わたがし屋さん~」
名残惜しげに振り返り、振り返り言う皐月に、
「お参りが終わったら、俺が買ってやる。だから今は我慢するんだ」
優しい言葉が下から響いた。見下ろせば、桐生が真っ直ぐな目をして優しく頷く。
「ぜったい?やくそくなの」
「ああ、約束だ。どの綿菓子がいいか決めておくんだぞ」
「わぁい!じゃあね、あのいろんないろがあるやつがいいの!」
どうやら皐月はカラフルな三色綿菓子がお気に召したらしい。桐生は大きく頷く。
「分かった。お参りが済んだらな」
約束をして皐月を降ろそうと桐生が屈もうとすると、今度はさっきと反対に降りたくないと駄々を捏ね始めた。
「降りなくていいのか?怖いんじゃないのか?」
「いいの。こっちの方がらくちんなの。それに、ここからだとずっとずっと遠くの方まで見えるの。エヘヘ、桐生のおじいちゃんがいつも見ているのと一緒なの」
「何一人だけ楽してんだよ。桐生さん、こんなガキそこら辺に投げ飛ばしてもかまわねーよ」
「そんなことしたら皐月が可愛そうだろう」
「そやで。皐月ちゃんは堂島家のお姫様なんやから」
なぁ?と言って、薫は皐月に笑いかけた。
――お姫様。
その女の子なら誰しも憧れる単語を自分に向けられて、皐月は更に上機嫌だ。満面の笑みでうんっと大きく頷く。
実際のところ、堂島家だけでなく東城会のお姫様的ポジションだったりするのだが。
人当たりのいい遥の血を引いているお陰か、本部詰めの構成員どころか幹部にも皐月は中々受けがいいのだ。何と言ってもあの真島とも『お友達』の仲なのだ。人当たりの良さは遥以上かもしれない。
ようやく拝殿の前に進み出る事が出来た。
「皐月ちゃん、やり方分かるかい?」
お賽銭用の小銭を皐月に渡しながら弥生が尋ねると、皐月は小さく頭を振った。
「いいかい。二回お辞儀をして、二回手をパンパンッて叩いて、お願い事を言ったら、もう一度お辞儀をするんだよ」
弥生が説明をするも、皐月はピンッと来ない顔で見つめている。
「分からなかったら俺達がするのを真似すればいい」
「そやで、ゆっくりやるしな。お姉ちゃんの真似するんやで」
「うん」
大人達がゆっくりとやる動作を一生懸命真似しながらも、皐月は何とか付いて行っている。
「えっと、パンッパンッなの」
小さなもみじの手で、真剣にお祈りをする皐月の姿を横目で微笑ましく大人達が見守る。
「神さんにちゃぁんとお願い事を言うんやで」
柏手を打ち終わった皐月に、そっと薫が告げる。
皐月は力強く頷いて、あらん限りの声を張り上げた。
「かみさま、かみさま、あのね!!皐月、赤ちゃんがほしいの!!くださいなの!!ぜったい、ぜったいほしいの!!できたらおんなのこがいいの!!やくそくなの!!」
「皐月!!」
「パパにおねがいしたらダメって言われたの!だからかみさまにおねがいするの!どうか、皐月に赤ちゃ……」
全て言い終わらない内に皐月は大吾に横抱えにされて、その場から強制連行させられた。
何て事を大声で言ってんだ。大吾は走った時に出た汗と冷や汗が混じったものを手で拭った。
並んでいる後ろの人達から、忍び笑いが洩れ聞こえた。きっと結構後ろまで聞こえていたに違いない。
「大吾さん、はい、お神酒。皐月は甘酒ね。熱いからふうふうするのよ」
「一馬の分ももろうて来たで」
遅れてやって来た女性群は、神社で配っているお神酒と甘酒を持って来た。それを受け取りながら、大吾は膝上で遥から渡された甘酒をのん気に啜っている皐月の後頭部を軽く叩いた。
「お前なぁ、寿命が縮んだじゃねーか。ああいう事を大声で、言うんじゃねーよ」
小突かれた皐月は不満気な目で、振り返った。
皐月にしてみれば、お願い事を言えと言われたから言ったまでの事で怒られる要素はどこにもないのだ。
パパもダメ、神様もダメ。ダメダメ尽くしではどうしようもないではないか。
皐月は俄かに顔を曇らせた。
そんな皐月を見ながら、桐生と大吾は顔を見合わせながらお神酒を口に運んだ。お互い、苦笑いが頬に落ちた。
「じゃあ、皐月が赤ちゃんつくるの!どうやったら赤ちゃんできるの?」
怒られ、しょげて、甘酒をじっと見つめていた皐月が思いついたように顔を上げた。
散々悩んだ結果導き出された彼女の結論は、『皆ダメならいっそう、自分で作ってしまえ!』であった。それを聞いた男達は文字通り吹き出した。
ありがたいお神酒が口から間欠泉のように吹き出る。
「ねぇ、ねぇ。どうやって赤ちゃんつくるの?パパ」
「お、まっ……な、なにぃ?」
焦って咳き込む大吾に構わず、皐月は問い掛ける。
「桐生のおじいちゃん、どうやったらいいの?」
自分に振られる前に消えようと思っていた桐生は、浮かし掛けた腰のまま固まる。
逃げんなよ。大吾は皐月に聞かれぬようそっと小声で悪態を吐く。
皐月は桐生の心情を知っているのかいないのか、大吾の膝の上から元気に飛び降り、桐生のズボンの裾を掴んでせがんだ。
キラキラと純粋な瞳を向けられ、桐生は押し黙る。
何と言って聞かせたらいいのやら……。まさか具体的に教える訳にもいくまい。
あー。だの、うー。だの声にならない声を出し、もしかしたら最強の敵かもしれない者と対峙している。
大吾は面倒くさ気に乱暴に頭を掻いた。
そして、おもむろに立ち上がりスタスタと歩き出した。
「だ、大吾逃げる気か!?」
一人取り残された焦りからか、大吾の背中に声をぶつけた。大吾は特に慌てる風でもなく、チラリと後を振り返り、
「皐月、綿菓子もリンゴ飴も焼きそばも、クレープ屋も閉まるぞ。買わなくていいのか?」
ぞんざいに告げた。
その言葉にハタと皐月は我に返る。
赤ちゃんも欲しいが、目の前にある出店の食べ物の誘惑の方が強い。
桐生のズボンの裾を振り解くと、危なっかしい足取りでトテトテと大吾の後を追いかける。
「パパ、かってくれるの?」
「あ~、お前がいい子にしているんだったらな」
さっきはダメって言ったのに。大吾の変わり身に皐月は歓喜の声を上げる。
直ぐに桐生達も追い付いた。
約束通り綿菓子を買って貰い、リンゴ飴もベビーカステラも買って貰った。大事そうに抱え込み車の中で皐月は眠ってしまった。些かはしゃぎ過ぎた様だ。
大吾の膝を枕にして小さく眠る皐月に、大吾は優しく背中を撫でた。
皐月を挟んだ向こう側で遥が、思い出し笑いを零しているのを横目で睨み付けた。
大吾はチラリと視線を下に動かす。小さな寝息を立てて幸せそうに眠る娘。
なんの夢を見ているのだか、時折口をムニャムニャと動かしている。
「赤ん坊か……」
大吾は口の中で呟く。
欲しくない訳ではないが、こればっかりは自然の事でどうにもならない。
この今はまだ小さい皐月に赤ん坊が宿るのは何時の事か、そしてその相手は?そう考えると何故だか無性に腹ただしくなった。
思わず、車の中だという事を忘れ前の助手席のシートを蹴っ飛ばした。
「六代目!?」
「大吾さん?」
運転手と遥が大吾の突然の行動に目を剥いた。
大吾はその言葉にハッとし、罰が悪そうに口許に手を当て外の景色を見る振りをした。その中でも皐月は目覚めない。
随分、大したタマだな。心中で苦笑いを零しながら、皐月の将来出て来るであろう顔も分からない男に対して、明確な殺意をこの時抱いた。
黒紋付袴姿に黒礼服の男達でその場はひしめき合っていた。どことなく緊張感を漂わせているのは、今日が年の初めの大事な顔合わせの日だからだろう。
本部の奥、座敷の間で東城会の幹部等が集まり、会長である堂島大吾に一年で初めての挨拶をする大事な日だ。
小波の様な囁きごとが、ある瞬間をもってピタリと静まる。
衣擦れの音、床を踏みしむ足音。
六代目東城会会長のご登場である。
「新年、明けましておめでとうございます」
一人の男の口上を皮切りに、男達は一斉に頭を下げ挨拶をする。それはまるで、大波がうねりをあげ岩に勢い良く打ち上げるような感覚だ。
「六代目……」
男が顔を上げて次の言葉を続けようとした時、男の口は止まった。否、正確には口だけではない。全ての体の器官と男の周りの時が止まったと言ったとしても決して過言ではない筈だ。
挨拶を上げるべく代表者がいつになっても何も言わないのを不審に思って、他の男達も窺うようにそろりそろりと上目で上座を盗み見る。
そして、同じく時を止まらせた。
上座に座っているのは東城会六代目会長堂島大吾。ではなく、赤の振袖を着てちんまりと布団の上に置物の様に収まっている。
「うん。あけましておめでとうございます、なの」
上座に座るそれは、恐らく誰かに教わったのだろう。丁寧に三つ指をついて深々と頭を下げた。拍子にお尻が上に突き上げてしまったのは、愛嬌なのかもしれない。
「……六代目、ずいぶん可愛らしく小さくなって……」
動揺を隠し切れずに発した言葉は震えていた。
呆然とする男達の中、誰より先に覚醒した男がいる。柏木修である。
彼はすっくと立ち上がり、上座に座っている皐月に近付いた。なんだって、こんな所に皐月がいるのか……。彼は軽い眩暈を覚えながら、皐月の前で膝を折った。
「皐月ちゃん」
柏木は小声で話しかける。
怒りを面に出さないよう、極力注意を払いながら。
「柏木のおじいちゃん、あけましておめでとうございます。なの」
「あ、うん。明けましておめでとう。大吾はどうしたのかな?」
皐月はちょこんと可愛らしく首を傾げる。
「パパ、おでんわ中」
このクソ忙しい時に。内心舌打ちをしつつ、柏木は優しく問い掛ける。
「誰にか、分かるかい?」
「龍司おじちゃんなの。なんかね、すっごくおこってるの。皐月、龍司おじちゃんだいすきだから、おこっちゃいやなの……」
――近江に?まさか、あいつ喧嘩を仕掛ける気なんじゃないだろうな。
ようやく昔ほどではないにしろ、基盤も固まって来たという時に喧嘩を仕掛ける様な能無しではこの先、トップとしては失格だ。
形作る大変さを大吾は身に染みて分かったと思っていたが、どうやら自分は大吾を買い被り過ぎたようだ。
柏木は震える手で拳を作った。
「せっかく、皐月がとうじょうかいに『ゆうし』してあげようとおもったのに……」
が、この言葉に柏木は目を見開く。いや、柏木だけでない。幼児の口から思いもかけずに出た『ゆうし』という言葉に皆耳を疑い、上座に視線を一斉に向けた。
『融資』という言葉を漢字では言えていないにしろ、どうやら皐月が言っているのはこの『融資』で間違いないらしい。
皐月はませた仕草で、腕を胸の前で組んだ。
「とうじょうかいはお金がなくてたいへんって、龍司おじちゃんが言うから。皐月、おとしだまもらったからとうじょうかいに『ゆうし』するの。そしたらパパ達、おしごとできるんでしょ?」
子供のお年玉位で、東城会の資金が回ったらそれは世の中安泰である。
事の成り行きを全て理解した男達は、怒りに震える手で拳を握る。
これがあの男なりの冗談だと分かってはいるが、こんな小さな子に言うべき話ではない事位少し考えれば分かる筈である。
馬鹿にされた悔しさを抑えギリギリと唇を噛み締める男達の背中には、肉眼で見ることが出来ない青白い炎が昇り立つ。
「あんの、近江のクソガキャァ……」
「よりにもよって、六代目のお嬢さんになんて事吹き込むんだ」
「馬鹿にしやがってぇ」
各々思い思いの言葉を吐いている所へ、龍司への電話が済んだ大吾がようやく姿を現した。
不穏な空気が満ちている部屋に、訝しげに思いながら入ると、自分が座るべく上座に皐月がチョコンと座っているのを目にした。
「お前!」
「パ……」
「六代目!!」
大吾が皐月への説教を始めようと口を開いた所で、幹部の一人に遮られた。その声音は、尋常でないほどに怒気を含んでいる。
自分を見つめる目も、正月早々血走っている。
男は、にじり寄る様に大吾へと膝を進めた。
「六代目、今年こそ近江をぶっ潰しましょう!」
「はぁ?」
「ここまで馬鹿にされて、黙っていられるかってんだ!なぁ?」
一人が賛同を求めると、全員が一斉に頷く。
皆、気持ちは一緒らしい。
「何の話を……」
「金がない。金がない。っていつまでも昔の事をネチネチと」
一人が呟いた言葉を大吾は聞き逃さなかった。
元凶は未だ、座布団の上に主然として座っている皐月の様である。
皐月は、男達のただならない気配を感じオロオロとしている。どうやら、子供心にも大好きなパパ達と龍司達が喧嘩をしようとしている分かった様だ。
「パパ……」
不安気に瞳を揺らし大吾を見上げて来る皐月に、大吾は微苦笑を浮かべながら、
「お前のせいだっつーの」
額を指で弾いた。
東城会今年の年始は、『打倒近江』に一致団結する男達の熱い姿で幕を開けた。
夕飯を食べ終え、そろそろ風呂にでも入るかと重い腰を上げた時、大吾の膝上に座っている皐月と目が合った。
何となく言わなくてはいけないような気がして、
「一緒に風呂に入るか?」
返事はきっと決まっている。
大きな瞳を輝かせて、『うんっ』と元気に言う筈だ。
皐月を風呂に入れるのは面倒でもあったが、たまの家族サービス。普段、触れ合いたくとも中々出来ない皐月とのスキンシップだ。
「やっ!皐月、パパと入らないの」
しかし、返って来た言葉は大吾の予想を大きく外してくれた。
「何でだよ」
大吾は振り向いた皐月の額を指で軽く弾く。
その場にいた全員は皐月の急な父親離れに呆気に取られているようだ。固唾を飲んで親子の遣り取りを見守っている。
皐月は弾かれた額を撫でながら、頬を膨らませた。
「だって、パパきたないんだもん」
「なっ……」
「あしたから、皐月のおようふくパパといっしょにあらわないでね。あらったらメッ!!なの」
まるで女子高生のような事を言う皐月に、大吾は信じられない者を見るような目で皐月を見つめる。
今の今まで大吾の後を付いて歩いて、幾ら大吾が邪険に扱おうともチョコチョコと付いて回る。しかも嬉しそうな笑みを浮かべて。
そんな大吾大好きな皐月が、いったいどんな心境の変化だ?と皆が皆訝しく思っている中、大吾は荒々しく席を立った。
「ああ、ああ、汚くて悪かったな。頼まれてもお前とはもう一緒に風呂なんか入ってやらねーからな!!」
「うん。けっこうなの」
威勢よく捨て台詞を吐いた大吾だったが、皐月の無情な一言によろけて柱に頭をぶつけてしまった。
風呂から出て寝酒の一杯でもやろうかと冷蔵庫からビールを出し、リビングへと向かった。その足が、リビングに入る手前でピタリと止まる。
「よぉ、大吾。ひっさしぶりやのぅ?」
気軽に右手を挙げて挨拶をする、大阪訛りの大柄な男。
まるでこの家の主だと言わんばかりにソファーの真ん中に陣取って、皐月を膝に乗せて寛いでいる。
どうやってここに来たのか?誰が家に上げたのか?この男も自分と同じで、正月は何かと忙しい筈だ。
「お前、どうやって来たんだ?」
大股で近付き、男の胸倉を掴んで無理矢理立たせた。
家の主の様な顔をしてふんぞり返っているのも気に食わなかったが、それよりなにより、皐月をまるで自分の娘の様に膝の上に乗せているのが気に食わなかったのだ。
「パパ、龍司おじちゃんいじめちゃメッ!」
「そやで。未来の息子に対して、あんまりな扱いやんか。なぁ?皐月」
聞き逃せない単語を拾い、胸倉を掴んだまま力任せに龍司を揺すぶった。
「な、誰が『未来の息子』だ!テメー、っざけたこと言ってんじゃねーー!!」
「いやいやいや、お義父さん。ホンマのホンマにわしと皐月の仲を認めて貰おう思って、こうして新年早々、東京にわざわざ来てまんのや」
「認める訳ねーだろ!!何で俺が、同い年の野郎に『お義父さん』って呼ばれなくちゃなんねーんだ!!」
「パパ、龍司おじちゃんと皐月……みとめてくれないの?」
「誰が認めるか!!」
冗談にしては性質が悪過ぎる。否、真実であるなら尚更悪い。
体中から嫌な汗が出て来る。
「大吾。ここで皐月ちゃんと郷田が結ばれれば、日本の極道の頂点にお前はなれるんだぞ」
どこから入って来たのか、柏木・桐生がいつの間にか大吾の後ろに立っていた。
「ふざけんな!娘犠牲にして、取った頂点なんざ嬉かねーよ!!――大体、桐生さんあんただって、皐月が嫁に行くのは嫌だろうが」
桐生に話を振ると、桐生は目に手を当て、何かに耐えるように歯を食いしばりながら、
「お、俺は……皐月が幸せならそれで……」
肩を震わせながら、搾り出すように言った。
泣いてんじゃねーか。半ば呆れながら、大吾は昔憧れた男の背中を見つめた。
「とにかく、絶対に俺は反対だからな!!反対だ、反対!!どうしてもって言うなら、俺を殺してからにしろ!!」
「パパ、おとなげないの」
「しゃあないなぁ、皐月。ほな、駆け落ちでもしよか?」
「かけおち!?」
「そや、わしと二人手に手を取って大阪の近江本部まで駆け落ちや」
「うわーーい!!かけおちなの!龍司おじちゃんといっしょなの!!」
「こら、待て、皐月。誰が龍司なんかにやるって言った!?」
大吾の怒号を背に受けながら、二人は仲良くスキップしながら堂島家の玄関から出て行った。
スキップ?関西の龍が幼女とスキップだって?色々な意味で夢であって欲しいと祈りながら、大吾は消えて行く二人の背中に向かって絶叫する。
「待てコラ、皐月ぃぃぃぃぃぃ!!!!!」
「……ぜ、たい……。嫁になんか、行かせない、からな……」
「パパ、パパ、おきてなの。おこたでおネンネしてると、おかぜひいちゃうの」
小刻みに揺す振られて、大吾は跳ね起きた。
目を開けた先に、皐月がいた。自分を心配そうに見下ろしている。思わず、手を伸ばして力任せに抱き締めた。
「夢、かよ」
ホッと胸を撫で下ろす。
夢であって良かった。否、あんな事は夢以外に有り得ない。それを現実と思ってしまっていた自分の愚かさに涙が出て来る。
「パパパパ、くるしいの!桐生のおじいちゃんたすけてなの!!」
「桐生の、おじいちゃん?」
桐生という単語を聞いて、瞬時に頭が覚醒した。ガバッと勢いよく体を起こして辺りを見渡すと弥生に遥、桐生に柏木に薫までいる。恐らく年始の挨拶に来たついでに、皐月の顔を見に来たのだろう。柏木と桐生はすっかり、皐月のおじいちゃん振りが板に付いている。
皆が何故だか生温い視線を自分に向けているのは気のせいだろうか?
「まぁ、大吾も年始の挨拶やら何やらで忙しかった訳ですし、姐さんここは一つ大目にみてやって下さい」
「娘を手放す気持ちが少しは分かった様だな、大吾?」
「それにしても、うちのお兄ちゃんと皐月ちゃんが結婚やなんて……。お兄ちゃん何気にロリコン設定されてるし」
いや、まさか。夢の中で言っていた事、まんま寝言で言っていたわけないよな……。額からと言わず全身から嫌な汗が噴出して来る。今度こそ現実に。
「あのね、パパ。皐月、龍司おじちゃんだいすきだけど、もっともっとパパのことだいすきだからおよめには行かないの」
大吾はがっくり肩を落とした。
やっぱりすべて寝言で言っていたらしい。それもこの面子の前で。
新年早々最悪の事態に、最早何を言う気力もない。
「まさか、これが初夢って言う訳じゃないよな……」
滅相にもないことを口の中で呟き、力なく笑う。が、どうにもこうにも払拭出来ない思いを抱え、大吾は深く項垂れる。
一体、どこからが夢なのかそこからしてあやふやだ。
「皐月、一緒に風呂に入るか?」
まさかと思いつつ、勇気を振り絞って聞いてみる。
これで嫌だと言われた日には、どうしようもない。皐月は桐生の膝の上に座り、窺うように桐生を見上げた。
何だか分からないが、とてつもなく嫌な予感がする。
「悪いな、大吾。皐月はさっき俺と風呂に入ったんだ」
「そうなの。桐生のおじいちゃんとはいったの。だから、パパとはいっしょにはいらないの」
「さっき、あんたが炬燵でうたた寝している時に入ったんだよ。皐月ちゃんがあんたを一生懸命起こしたのにあんたは起きやしなかったからね」
「またこんど、いっしょにはいってあげるから泣かないでパパ」
「泣いてねーっつーの!!」
しかもまたもや、上から目線。
あの夢といい、今年も皐月に振り回されそうな一年になりそうだ。
「あけまして、おめでとうございますなの」
この日の為に弥生が買った赤い晴れ着を身を纏い、皐月は行儀良く三つ指ついて挨拶する。が、如何せんそこは幼児だ。頭を下げると代わりにお尻が持ち上がる。
思わず噴出しそうなのを堪えて、上座に座る大吾は神妙な顔を作る。
「おめでとう」
大吾は神妙な顔のまま、皐月を手招きする。
着慣れない着物に手こずりながらも、皐月は大吾の目の前に進む。
着物の袂をまさぐり、白い小さい袋を大吾は差し出した。皐月はキョトンとした目でその袋を見守る。どうやら皐月にとって、それは生まれて始めてのお年玉のようだ。
受け取っていいものかどうか、悩んでいるようでもある。
「どうした?いらねえのか?」
いつまで経っても、受け取らない皐月に怪訝な声を掛ける。
「もらってもいいの?」
皐月の言葉に大吾は面食らったように目を見開いた。こういったことは自然、知っていくものではなかったか、そうでなければ母親か誰かが教えるものではなかったか。
皐月は大吾の返事をもじもじしながら大人しく待っている。
大吾は小さく息を吐いた。
そして、
「ああ、いいんだ」
膝の上に置いてある小さな手を取り、その手の平にぽち袋を握らせてやる。
「大事に使うんだぞ」
「?ありがとうなの」
またお尻を突き出したお辞儀をして、皐月は小さな足音を立てて弥生の許へと駆けて行った。弥生は食べ終わったおせちの片付けをしていた。
皐月の手に握られている小さなぽち袋を見つけると、前掛けで手を拭いて皐月の目線と合わせるべく膝を折った。
「おばあちゃん、パパにもらったの」
「あらぁ~、皐月ちゃん良かったねぇ」
うんっと頷く皐月の目はキラキラ輝いている。本当に、この時期の子供の目は皆一緒である。
弥生の手伝いで一緒に片付けをしている若い者も、皆微笑ましく皐月を見つめている。
「それじゃあ、私も」
着物の袂からこちらは皐月が大好きな猫のキャラクターが描かれたぽち袋を取り出した。
「キリィちゃんなの!」
皐月の目がさらに輝く。
小躍りしながら受け取って、今まで手に持っていた大吾からのお年玉をそこら辺に放り投げた。
ギョッとしたのは大人達だ。今の今までお年玉を放り投げる子供は見た事がない。慌てて若い者が皐月が落としたお年玉を拾い上げる。
「お嬢、大事に使いませんといけませんよ」
「つかうの?なにを?」
皐月はキョトンとした目を向け、小首を傾げる。
「え?何をって……」
「お嬢、それ、何だか分かってますよね?」
ぽち袋に視線を移し、暫し沈黙した後、
「キリィちゃんのふくろ」
見たまんまの答えを出す皐月に、その場にいた者は全員ずっこける。
お年玉はその袋の中にこそ意義があるものだ。しかし、人生初体験の皐月にはそれがまだ分かっていないようである。
ただ、袋の可愛さ豪華さにその意義を見出してしまったようだ。
「おやおや。皐月ちゃんにはお年玉を教えていなかったかねぇ」
コロコロと笑いながら、弥生はぽち袋の中身を見せた。中からは五千円。幼児にあげるにしては少し多い金額である。
初孫という事もあって、大分奮発したようだ。
「おかね?」
「そうだよ。これはね、皐月ちゃんが大きくなって必要になった時の為に貯金をしとくんだよ」
「そう言って、俺、母ちゃんに年玉巻き上げられたわ」
「俺も」
「で、後で通帳見ると微妙に減ってんだよな」
「そうそう!貯金すらされてなかったりとかな」
「そうなの?」
若い者のお年玉談義を耳にした皐月は俄かに不安そうに瞳を揺らす。
余計な事を言うんじゃないよ!と言わんばかりの剣幕で、睨み付け若い者を眼光一つで黙らせる。まだまだ弥生の威厳は東城会に確かに存在している。
「そんなことしないよ。これは皐月ちゃんにあげたお金だからね、皐月ちゃんが好きなように使いな」
「いいの!?」
「ああ、いいよ。好きな物を買うもよし、お菓子を買うもよし。好きにお使い」
「うん!皐月、好きにする!!」
「何をだよ?」
面倒な年始の挨拶をこれからする大吾はやや不機嫌だ。
折角の正月、ゆっくりのんびりと過ごしたいところだが、この特殊な稼業はそうもいかない。義理だなんだとをやたらと重んじるのだ。
悪い事だとは思わないが、面倒だと思うことは暫しである。
「あ、パパ!あのね皐月ね、お年玉ね、皐月の好きにしていいっておばあちゃんが言うから、好きにするの!」
「はぁ?」
皐月の話す事は内容が見えない。
腕を組み、憮然と見下ろす大吾に皐月は貰ったばかりのお年玉を全て大吾へ渡した。
「何だよ?俺にくれるのか?」
だとしたら、親として少しだけ嬉しい事かもしれない。
まぁ、煙草銭位にはなるかもな……。そんな事をぼんやりと思いながらも、親として後でちゃんと貯金しといてやろうと考えていると、
「ううん。これね、とうじょうかいにあげるの。でねでね、これね、ゆうしするからね。あとで利息付けて返してなの」
「はあ?」
「とうじょうかいはおかねがなくてたいへんなんでしょ?だから、皐月これとうじょうかいにあげるの。でも、あとでかえしてくれないとこまるの。これって『ゆうし』っていうんでしょ?」
「ど、どこでそんなこと聞いた?」
大吾の頬が目に見えて痙攣を始める。
気付いているのかいないのか、皐月は嬉々として犯人の名を口にした。
「龍司おじちゃんなの。おじちゃん、とうじょうかいしんぱいしてたの。やさしいね?」
「ど・こ・が・だーー!!」
大吾の怒声が元日の堂島家に響いた。
その後、凄い剣幕で大阪の近江連合に電話をし、その結果年始の挨拶行事にものの見事に遅刻をし、正月早々柏木に説教された大吾の姿が東城会の会長室で見られたとかなんとか。
勿論、皐月の東城会への融資の話は丁重にお断りをされた。