『地平線の向こうへ』<9>
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「な、何で、お前たちが!!」
驚きで震えそうになる声を叱咤し、アルフレッドは叫んだ。
メリッサを庇う様に立ちあがり、彼はきっと二人を睨みつける。
「ギルトのレコードを渡して貰うためなんだよね」
「レコード?ふざけるな!なんでお前たちに」
「落ち着けよ、今回は取引だ」
「お前たちと取引する気は無い!帰れ!!」
「――あの男、行方不明なんだってな」
さらり、と言ったスラムの声に、二人は電撃を打たれたように立ち竦んだ。
それに、スラムはにっと笑う。
「…調査通りみたいだな。おい、スリム」
「はい、スラム」
スラムが彼に手渡したのは、一枚の茶封筒。それを振り振り、彼はアルフレッドの方に示してみた。
「…ボス曰く、あのオンボロ飛行機の手がかりがこれに入ってるらしい」
「!!!」
「これと引き換えだ」
その言葉に、アルフレッドは息を呑んだ。
「…そ、そんなもの」
「欲しいだろう?」
彼の心を見透かすように、スラムはにっと嫌味に笑った。
「…――」
落ち着け。
ともすればヒートアップしそうな心臓の鼓動を押さえつけながら、アルフレッドは深呼吸する。
…あれが本物だとは限らない。
そもそも、ゼロ卿一味が公正な取引などというものをするなんて、信じられないのだ。
あれも中身が空、ということも、十分ありうる。
しかし今は、藁にもすがりたいほどの気分であることも確かだ。どんなにちっぽけな手がかりでもほしい。
それに――今回、レコードは。
「それに、今回お前たちには選択権がないんだもんね」
言って、二人は隠し持っていた銃を構える。
それにアルフレッドとメリッサはじり、と一歩後じさった。
「身体に風穴を開けられたくなかったら、レコードを渡せ」
「悪い話じゃないと思うよ。これを貰えるんだから。ボスって結構気前がいいんだよね」
「……」
――考えろ。
アルフレッドは思い、きゅ、と唇を引き結ぶ。
――考えろ考えろ考えろ。
自分がこいつらに殴りかかって行ったって、絶対勝てない。
モンタナが居たら、また状況は違うかも知れないけれど――彼はここには居ない。
探しに行くんだ。彼を。
メリッサは、走り出した。
だから僕の役目は。
「…――」
彼は顔をあげ、二人を睨みつける。
「レコードは、二階だよ」
「アルフレッド!」
「よし、スリム取りに」
「駄目だ、部屋が散らかっていてね。どれがどれだか僕じゃないと判らないよ」
「…判った、スリムは女を見張れ。手を挙げたまま二階へ」
「アルフレッド!駄目!嘘に決まってるじゃない!」
メリッサの言葉を尻目に、彼は手を挙げたままゆっくり二階へ登ってゆく。もちろん、スラムに銃口を突きつけられたままだ。
彼は本やら大量のレコードやらの積まれた自分の部屋に入り、一個の茶色の紙に覆われたレコード盤を取り出した。
「よこせ」
「駄目だ、一階であの茶封筒と同時に交換する」
「お前」
「…そうじゃなきゃこの場で踏んづけてレコード割るよ。…僕からは博士に連絡して、もう一度送ってもらうって手段もあるんだし。こっちも必死なんだ」
その言葉にスラムは面白くないように舌打ちし、一階へもう一度降りるように目で示す。
そして、アルフレッドは彼と共にもう一度階下に降りた。
「テーブルの上に載せろ」
「オイ、スリム」
「はい」
ぽん、と軽くテーブルの上に置かれる茶封筒。
アルフレッドも黙ってそのレコードを置いた。
「…取引成立だ」
スラムがレコードの包みを取る。
それを見、黙ってアルフレッドも茶封筒を取った。触った感触では、少なくとも中身は空ではないらしい。
「じゃあな、行くぞスリム!」
「待って、スラム~」
「ちょ、ちょっと貴方たち!!」
彼らは即座にレコードを手に、強引に店から出て行った。
慌ててメリッサがそれを追おうとする。――が。
「メリッサ」
「なにやってるのよ!レコードを」
「いいんだ。そもそも、レコードなんて今回無かったんだしね」
――言って、アルフレッドは笑って肩をすくめた。
彼女は呆然とアルフレッドを見た。
同時に彼は手近な椅子にへたり、と腰掛ける。
「…え?」
「…はは…なんか安心したら腰が抜けてきちゃったよ」
笑いながら、彼はテーブルに茶封筒を置く。それにメリッサは驚いたように目を瞬かせた。
「ここ暫く、レコードなんて来てなかったんだ」
「え…じゃ、じゃあ今の」
「ただのクラッシックのレコード。先週買ってきたんだけど、騒ぎで開封するの忘れてたんだよ」
つまり。…どうせ騙されるのなら、こちらもそれを覚悟で騙し返してやれ、と思ったのである。
「まあ、この場で中身を確認されたらどうしようかと思ったけどね。…ゼロ卿本人が来てたらどうだったかはわからないけど。あの二人だけだったのは幸いだった」
「アルフレッド…!」
それを聞き、メリッサは苦笑する。
…と。
「!!」
「何?メリッサ」
ふと彼女の顔から、血の気が引いた。
「…違うわ!来てたのよ!!」
「え?」
叫んで、彼女はばたばたと二階へ登ってゆく。
それを、アルフレッドはぽかん、とした顔でそれを見ていた。が、彼女が階下に戻ってきた時、手の中に埃をやや被った茶色の小包を持っていたのを見、目を丸くする。
「!!め、メリッサそれ!!」
「ごめんなさい、あの日ポストマンから預かってたのよ。…その後のごたごたですっかり忘れ去っていたけれど…チャダの部屋の無線机の下に落っこちてたままで」
「…」
今度はアルフレッドが呆然とする番だった。
そして―― 一瞬の後、思わず噴出す。
「ははははは…」
「ご、ごめんなさい」
「いや、もしかしたら良かったのかもしれないよ。…僕は嘘が苦手だからね。それを知ってたら態度に出て、ばれてたかもしれない」
「…で、でも緊急の用だったらどうしましょう」
「いや…まあ、とにかく聞いてみよう」
言って、茶封筒とそのレコードを持って、二階へ上がった。
そして、蓄音機にレコードをかける。いつもの音楽と共に、やたら渋い男の声――ギルト博士からの肉声が聞こえてきた。
「【“親愛なるわが弟子アルフレッド君と、モンタナ君、元気かね】」
いつもと同じフレーズで始まるレコード。
指令の内容は、エジプトの空港で、さる人物からある書類を受け取ってほしい、というものだった。
待ち合わせの日付は丁度、明日である。
「【彼の名はドクター・タラール。彼は現地のある村、チェリ村の秘密を告発したいと私に内密に手紙を送ってきたのだ。これが本当なら、考古学界にはかなり大きな影響を与えるだろう。詳しい事は現地で彼に聞いてもらいたい。
例によって行く先々には危険が待っている。君を守るのは君自身だ。成功を祈る】」
そこまで聞き、メリッサは慌ててレコードを蓄音機から外し、窓の外へ放り出す。一瞬の後、どかん!という景気の良い爆発音が窓の向こうで聞こえた。
「ねえ、これって」
「…ああ、モンタナが行方不明になった空域の近くだ」
言いながら、アルフレッドは茶封筒を空ける。
中から出てきたのは、一冊のカタログだった。
よくは判らないが――なにかのオークションの出品カタログ。彼の求めていた手がかりとは似ても似つかない。
「…クソ、やっぱり騙される所だった」
「…?アルフレッド」
しかし、ふとメリッサがその白い指でカタログの端を指差した。
そこには一枚のポストイット。
彼らは顔を思わず見合わせ、その頁を開き――
「!!」
そこには、――見覚えのある飛行機の写真が載っていた。
尾翼や羽の一部が欠けボロボロになっていたものの、いつも見ていたふたりにはわかる。
「け、ケティっ!!??」
「アルフレッド!ここ!」
指差されたその頁の端には、流麗な筆記体で文字があった。ケティの出品者に関する、情報が事細かに書き込まれている。
もちろん、それはモンタナではなく、全然知らない赤の他人のものであった。が――
「…チェリ!?この出品者の住所、チェリ村じゃない!!」
「メリッサ!」
アルフレッドの言葉に、メリッサは大きく頷く。
はっきりと、何があったかは判らない。
けれどただひとつ言えることは――エジプト・チェリでなにかが起きている。
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『地平線の向こうへ』<8>
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空っぽになった心に、次に生まれたのは悔しさだった。
悔しくて、悔しくて――どうしようもなかった。
自分が、ここまであの男にイカれているのが、はっきりとわかったからだ。
心の貯金箱の底までさらって行って、メリッサの心を空っぽにしてしまったのだ。
けれど、その男は生死不明のまま、10日以上も音沙汰なし。
つまりは、持って行き逃げされてしまったも同然の事態。
…まだ、頭の隅にあの朝の彼の言葉が引っかかっているものの、――今はそれすら、些細なことに思えた。
つまり。
「…アルフレッド!!行きましょう!」
「え」
店に突然飛び込んできたメリッサの言葉に、アルフレッドは驚き、顔を上げる。
「…直接。探しに行きましょう」
言って、彼女は微笑う。
「こうなったらコネでもなんでも使って、世界中探しましょ!」
帰ってこないなら、首根っこ掴んでもつれて帰るわ。
そう言って、彼女は立ち上がった。
「で、でも」
「アルフレッド。私はね貴方と違って、突然のギルト博士からの依頼とか何かで――途中から貴方たちを追いかけることにも慣れてるのよ。当然、探し出す事もね」
あれ、結構大変なんだから。
あっさりと言って、肩をすくめる。
それに、アルフレッドは戸惑ったように目を瞬かせた。
あのあと。
駅の化粧室に入って、顔を洗って化粧を直した。
そうしたら、急に腹が決まってしまったのだ。
探し出して――横っ面に一発、ビンタをお見舞いする。
そもそも、あの朝メリッサはそれをやるべきだったのだ。
やるべき事をしなかったから、食い違って、罷り間違って。…こうなってしまったのだ。
大体、『まずった』って何よ!
思って、彼女は拳を握り締める。
結局、彼は言い訳のひとつもしなかった訳だし。
彼女がいくら彼の事を好きといっても―― 一発くらい張り倒す権利くらいはあると思うのである。
「ハイ、航空券のチケット取ってきたわ。出発は明日一番だから、早起きしてね」
「メリッサ…」
準備の良い事で。彼の予定も聞かない内に彼女はチケットを勝手に取ってきていたのだ。
アルフレッド暫くぽかん、とした顔になっていたが、不意にその顔に微笑みを浮かべる。
…久々に心の底から毀れだした、笑顔。
「なんか…急に逞しくなったよね」
「ええ。いつも「今回は遠慮するわ」って時にも冒険に巻き込んでくれる誰かさんの所為で、すっかりね」
彼女は微笑って悪戯っぽく肩をすくめる。
それに応える様にアルフレッドも目を細め、チケットを受け取った。
「うん…そうだ、そうだね。探しに行こう」
言って、アルフレッドは立ち上がる。
カランカラン。
瞬間、後ろで店のドアベルが鳴った。
「すいません、今店は休業中で――」
それに彼らは同時にドアの方を振り向き――
「…ったく、なんで俺らがこんなとこに来なきゃいけねえんだよ」
「ボスの命令だからねぇ、仕方ないよスラム」
「……」
ドアの前にいたのは、二人の男。
悪く言えばチンピラ風の――よく言っても労務者風の、ガラの良くなさそうな凸凹コンビ。
「なに呆けてやがんだ。ギルトの弟子ども」
どういう理由で。何故ここに居るのか、さっぱりわからないが。
目の前に居るのは、…あの遺跡泥棒、ゼロ卿の部下。スリムとスラムだった。
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『地平線の向こうへ』Interval3
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へちゃり。
額に、何か冷たいものが当たった。
真っ暗だ。
…ここは、どこだ??
思って、彼は目を開けた。しかし、開いた目の前はやはり真っ暗で。
「…――」
何度か、瞼をゆっくりと瞬かせる。
視界の中に揺らめきながらも、段々はっきりと光が飛び込んできた。
煤けた石の天井。
見覚えの無い部屋の中に、自分が居るのがわかる。
ここは、一体。
言葉に出したつもりだが、声が掠れ、殆ど音にならない。
同時に、全身がかなりだるい事に気付いた。指一本動かすのも億劫だ。
「…《…~~~?》」
急に、横から声を掛けられる。
しかし、それは英語ではないようで、彼にはさっぱり理解できなかった。
「…英語で、しゃべ…ってくれ」
かすれる喉を叱咤し、彼は声の主にそう訴える。
「《~~~~》」
しかし、聞き取れなかったようで、声の主は彼の顔を覗き込んだ。
黒髪に褐色の肌の小柄な少年だ。黒曜石のような黒い綺麗な瞳。
「英語…」
「《~~?》…In English?」
「…そう、だ」
「英語…なら、すこし、できます。…だいじょうぶ、ですか?」
へちゃり。
また、額の冷たい感触が動く。
どうやら、水にぬらしたタオルを載せられていたようだ。少年はタオルを取り、彼ににっこりと微笑みかける。
少年には敵意が無いらしい。それに気付いて、彼はほっと息をついた。
「…ここは」
呟き、身を起こそうとする。しかし、次の瞬間、額と左肩に鈍い痛みが走った。
「うごかないで下さい。怪我、してます。3日、寝てた」
「…っつ」
「僕、カシムいいます…ここ、チエリ村。あなた、飛行機、堕ちた」
彼を押し留め、カシムは慌ててその身体を支える。
「ごめんなさい、ここ、病院、違います。十分な治療、できませんでした」
「いや…」
「でも、先生に診てもらいました。ドクター・タラール、立派なお医者様。だから、大丈夫」
片言で、しかし彼を安心させようと一生懸命喋る少年に、彼は弱々しいながらも微笑を返す。
するとカシムは嬉しそうな顔になった。
「…お前が、助けてくれたのか?カシム」
「はい、そうです。僕と、ドクター・タラールです。谷に飛行機が、落ちた」
「ありがとう、な」
しかし――3日?
思って、彼は息をつく。
あの日、嵐に巻き込まれて。予想外の横殴りの突風に煽られて操縦が効かなくなって。
頭を殴られるようながくん、という衝撃のあと、目の前が真っ暗になって。
…本当、自分は悪運が強いらしい。
とにかく、ボストンに連絡を取らねば。
砂嵐でよく判らなかったが――途切れ途切れの無線の向こうでは、皆心配していた。
「…ケティの…飛行機の無線」
「え?」
「…無線壊れてなきゃ、あれで連絡を…それか街で、電報かなにか…皆に」
――瞬間それを聞き、カシムは顔を強張らせた。
「…」
「おい…?」
それに、少年は辛そうに俯く。そして――言った。
「ごめんなさい…」
「…カシム?」
「…貴方、帰れない」
少年の言葉に、モンタナは息を呑んだ。
カシムは泣きそうな表情で彼の手を取る。
震える、小さな手。
「…貴方はここから出られない。――…ここは、チエリ村だから」
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『地平線の向こうへ』<7>
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「メリッサ、聞いてるかい?」
「…!」
掛けられた声に、メリッサは慌てて顔を上げる。そこには困惑した表情の、穏やかな青年の顔があった。
彼の名はヘンリー・ルバート氏。彼女と共に、新聞に取りざたされていた渦中の人だ。
ボストン市内のカフェで、彼らは何度目かの逢瀬をしている最中であった。
「…ええ、聞いているわ、ヘンリー」
「…さっきから、上の空だね」
なにか、あったのかい?
訊かれ、彼女は微笑んだ。
「なんでもないわ」
「なら良いけど」
言って、彼は手元のティーカップを取り、お茶を一口飲んだ。
彼女も彼に倣い、お茶を飲む。しかし、その味は今の彼女には全く判らなかった。
その顔を見、ヘンリーは小さくため息を付いた。
「…浮かない顔、してるね」
――言われ、彼女は顔を上げる。
「君にはそんな顔、似合わないよ」
「…」
「心に苦しい想いがあるなら、話してみないかい?」
少しは、楽になるよ。
言って、彼はやさしく笑った。
…ああ。
「……」
思って、つきりと胸が痛んだ。
こんなに優しい人が傍に居るのに、わたしは。
「――“……空ばかり見ている人は空に魅入られて、青さに取り込まれてしまう”」
「?」
「…だから、見上げすぎてはいけないんですって」
静かに、彼女は言った。
それを聞いて、ヘンリーは不思議そうに目を瞬かせた。
「……ヘンリーは、空が嫌い?」
「…嫌いって訳じゃないけど、取り込まれるまでは見上げた事は無いよ」
他にも見るべき物は沢山あるだろう?
言って、彼は苦笑しつつ肩をすくめた。
「まあ、空を見上げすぎて取り込まれるなんて、よっぽどの物好きだね。
…そう、思わないかい?」
ああ。
大人の顔だ。
彼女は、そう思った。
彼はいつまでも続く日常が、愛おしいと思える人。
平坦な道が、素晴らしいと思える人だ。
それが悪い事だとは、彼女は思わない。
大人になるということは、ありふれたことを幸せだと思えることで。
沢山の事を、幸せだと思えることで。
だけど。
「……」
――――『空と一つになれたら、最高だろうなあ』
――――『そうだろ?』
…だけど。
「…メリッサ?」
刹那、ヘンリーが、驚いたように目を見開く。
「――――…」
――――…彼女の瞳から、零れ落ちた涙の粒を見て。
彼は、沢山の小さな幸せでは満足できない人だった。
…いつも大きな、“たったひとつ”を望んでいた人だったのだ。
“たったひとつ”を空に見ていた人だった。
だから、――その横顔が、酷く彼女の目を奪って。
「メリッサ?どうしたの?」
涙を拭うどころか、身じろぎひとつせず涙をこぼす彼女を見、ヘンリーが慌てたような顔つきになるのがわかる。
しかし、彼女は魂の抜けたように、涙をこぼし続けた。
空から降ってきたように脳裏に蘇った彼の言葉。
それが、彼女の魂を持っていってしまったのだ。
ああ。
『……逃げるな』
声が、聞きたかった。
顔が、見たかった。
『…くそ…』
「―――…」
…あいたかった。
心も、思考も、なにもかも―― 一切合財持っていかれてしまった彼女が思ったのは、その事だった。
「メリッサ…」
あの朝。
開口一番――彼が言った言葉は。
『まずった』、だった。
本人は独り言のつもりだったのだろうが――それはばっちり、メリッサの耳に入っていたのである。
二回も言ったのだ。聞き間違えでは無い。
“まずった”。それは、失敗したとか、後悔している、という意味の言葉で。
つまりは――彼はメリッサと寝たことを後悔しているのである。
…今回の事は、酔いと、勢いと。それだけが引き起こした事故だったのだ。
だから、無かった事にしようと思ったのだ。
彼がそれを望んでいるのなら。
それを思うと胸が痛んだが、――後悔だけはしていなかった。
彼は、じぶんのすきなひとなのだから。…相手は自分のことをなんとも思っていないけれど。
それだけで――満足だ、と思ったのである。
だけど。
今、彼女の中は、空っぽだった。
彼女の中の一切合財を持っていかれているのだ。
全部が全部、悔しいけれども。持って行かれている。
…だから、顔が見たいのだ。
酷く――声が聞きたいのだ。
それで――失ったものを、補填しなければならなかったのだ。
そう。
補填しに行かなければならないのだ。
「――――」
顔を、上げる。
「一体…」
「ヘンリー」
彼女は、立ち上がった。
「私、帰る」
その青い目には迷いは無くて。
「メリッサ!」
「ごめんなさい、ヘンリー!」
振り向きもせず、お茶代をテーブルに置いて、彼女はハンドバックをつかみ、店を出た。
空は、青かった。
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『地平線の向こうへ』Interval2
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『離しなさいよ!』
『メリッサ!』
桟橋のところに来た時、メリッサは憮然とした顔でモンタナの手を振り払った。
それに、モンタナは珍しくむっとした表情を浮かべる。
『ったく、人が親切に…』
『別に、一人でも帰れたわよ、子供じゃあるまいし』
『ほぉ、じゃあお嬢様は帰るためにあんな所でひとりうろちょろしてた訳だ。…あの通り抜けたら反対方向いっちまうぜ?』
『…煩いわね!』
その皮肉を聞き、ぷい、と彼女は顔を逸らす。それに彼は肩をすくめた。
『全く…』
『放っておいてよ』
『ほら、帰るぞ』
言って、彼はもう一度、彼女の手を取ろうと手を伸ばす。
この辺りは暗い為、ハイヒールの彼女では躓く可能性が高いのである。
しかし、彼女はさっと身体を引いて、それを拒んだ。
『…一人で帰るわ』
『……まだヘソ曲げてるのかよ』
呆れたように、彼は言った。しかしその声が、逆にメリッサのカンに触る。
『モンタナが先に帰ったら私も帰るわ』
『馬鹿言うな、いい加減にしろ』
『…大丈夫よ、先に帰っ…!』
瞬間―― 一歩後じさったメリッサの身体が傾ぐ。
足元の桟橋の板が、釘が外れて一枚浮いていたのである。それに彼女のヒールが嵌ってしまったのだ。
彼女は大きく目を見開き――
『メリッサ!』
ガッ!!
刹那、彼女は勢いよくモンタナの方に引き寄せられ、水の中への墜落を免れる。
彼が咄嗟に彼女の身体を引き寄せたのだ。
『――…』
…暫しの沈黙の後、彼女は彼の胸元に寄せていた顔を少し離した。
どうしたら、いいのだろうか。
彼の言っている事は、正しい。それは頭ではわかっている。
だけど、――感情では、彼の正しさを肯定できないのだ。
普段の聡明な彼女では、考えられない事だ。
だが――…ついさっき、好きな相手に、全く自分のことに興味が無い、という発言をされたら。
どんな人間でも、知能は働きにくくなる、というものだ。
“――まんざらでもなかったんじゃねえのか”
“とっとと、おてんばは卒業してそいつの所にでも行くんだな。お嬢様”
…この場合、どういう心情でモンタナがこれらの発言をしたのか、という観点は、メリッサにはなかった。
ただ判るのは、彼女を拒絶している、という事実だけで。
…何も、この場に適した言葉が見つからない。
『…離してよ』
唇からは、お礼よりも先に、こんな言葉が出てきてしまった。
『……行くわ』
『待てよ、どこに』
『モンタナには関係ないでしょう!?』
思わず、声を荒げて彼の腕から無理矢理に逃れる。
とにかく、この場から逃げ出したかったのだ。
嫌だったのだ。
このまま、どんどん自分の口からみっともない――醜い言葉がはきだされるのが。
別に、彼とどうこうなりたいとかいうことは考えていない。
下手なしがらみや余計な関係を持つことは、自由な彼に最も似合わないことだから。
だけど、積極的に彼から拒否の言葉を聞くのも耐えられなくて。
だから、一分一秒一瞬でも早く――
『――!』
『……逃げるな』
……後ろから力強い腕に抱きしめられ、メリッサはその青い目を見開いた。
『…くそ…』
しっかりとした、腕。
背中には熱い体温が伝わってくる。
さっきよりも、ずっと――ずっと強い熱。
先程店で口にしたアルコールが一気に回ってきたかのように、熱で身体が痺れてくる。
背中から伝わってくる熱と、身体の芯から生まれる熱が混じりあう。
『……』
それからは。
頭の中は、もうぐちゃぐちゃで。
名前を囁かれても、彼がそのまま彼女を正面から抱きしめなおしても。さっぱり理解できなくて。
―――ただ、最後には彼の背中を抱きしめかえしてしまった事だけは、はっきりと覚えていて。
結局――
あの朝に、流れ着いてしまったのである。
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