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             『地平線の向こうへ』<7>


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「メリッサ、聞いてるかい?」
「…!」

掛けられた声に、メリッサは慌てて顔を上げる。そこには困惑した表情の、穏やかな青年の顔があった。



彼の名はヘンリー・ルバート氏。彼女と共に、新聞に取りざたされていた渦中の人だ。
ボストン市内のカフェで、彼らは何度目かの逢瀬をしている最中であった。


「…ええ、聞いているわ、ヘンリー」
「…さっきから、上の空だね」

なにか、あったのかい?
訊かれ、彼女は微笑んだ。


「なんでもないわ」
「なら良いけど」


言って、彼は手元のティーカップを取り、お茶を一口飲んだ。
彼女も彼に倣い、お茶を飲む。しかし、その味は今の彼女には全く判らなかった。
その顔を見、ヘンリーは小さくため息を付いた。



「…浮かない顔、してるね」


――言われ、彼女は顔を上げる。





「君にはそんな顔、似合わないよ」
「…」
「心に苦しい想いがあるなら、話してみないかい?」

少しは、楽になるよ。
言って、彼はやさしく笑った。



…ああ。

「……」

思って、つきりと胸が痛んだ。


こんなに優しい人が傍に居るのに、わたしは。















「――“……空ばかり見ている人は空に魅入られて、青さに取り込まれてしまう”」











「?」



「…だから、見上げすぎてはいけないんですって」


静かに、彼女は言った。
それを聞いて、ヘンリーは不思議そうに目を瞬かせた。









「……ヘンリーは、空が嫌い?」
「…嫌いって訳じゃないけど、取り込まれるまでは見上げた事は無いよ」




他にも見るべき物は沢山あるだろう?
言って、彼は苦笑しつつ肩をすくめた。




「まあ、空を見上げすぎて取り込まれるなんて、よっぽどの物好きだね。
…そう、思わないかい?」










ああ。
大人の顔だ。

彼女は、そう思った。




彼はいつまでも続く日常が、愛おしいと思える人。
平坦な道が、素晴らしいと思える人だ。

それが悪い事だとは、彼女は思わない。



大人になるということは、ありふれたことを幸せだと思えることで。
沢山の事を、幸せだと思えることで。








だけど。





「……」











――――『空と一つになれたら、最高だろうなあ』




――――『そうだろ?』





…だけど。













「…メリッサ?」


刹那、ヘンリーが、驚いたように目を見開く。

















「――――…」



――――…彼女の瞳から、零れ落ちた涙の粒を見て。
























彼は、沢山の小さな幸せでは満足できない人だった。
…いつも大きな、“たったひとつ”を望んでいた人だったのだ。


“たったひとつ”を空に見ていた人だった。
だから、――その横顔が、酷く彼女の目を奪って。














「メリッサ?どうしたの?」

涙を拭うどころか、身じろぎひとつせず涙をこぼす彼女を見、ヘンリーが慌てたような顔つきになるのがわかる。
しかし、彼女は魂の抜けたように、涙をこぼし続けた。





空から降ってきたように脳裏に蘇った彼の言葉。
それが、彼女の魂を持っていってしまったのだ。










ああ。


『……逃げるな』








声が、聞きたかった。
顔が、見たかった。





『…くそ…』



「―――…」







…あいたかった。










心も、思考も、なにもかも―― 一切合財持っていかれてしまった彼女が思ったのは、その事だった。



「メリッサ…」







あの朝。
開口一番――彼が言った言葉は。


『まずった』、だった。




本人は独り言のつもりだったのだろうが――それはばっちり、メリッサの耳に入っていたのである。
二回も言ったのだ。聞き間違えでは無い。

“まずった”。それは、失敗したとか、後悔している、という意味の言葉で。



つまりは――彼はメリッサと寝たことを後悔しているのである。
…今回の事は、酔いと、勢いと。それだけが引き起こした事故だったのだ。




だから、無かった事にしようと思ったのだ。
彼がそれを望んでいるのなら。

それを思うと胸が痛んだが、――後悔だけはしていなかった。
彼は、じぶんのすきなひとなのだから。…相手は自分のことをなんとも思っていないけれど。

それだけで――満足だ、と思ったのである。



だけど。

今、彼女の中は、空っぽだった。





彼女の中の一切合財を持っていかれているのだ。
全部が全部、悔しいけれども。持って行かれている。

…だから、顔が見たいのだ。
酷く――声が聞きたいのだ。

それで――失ったものを、補填しなければならなかったのだ。




そう。
補填しに行かなければならないのだ。








「――――」








顔を、上げる。



「一体…」
「ヘンリー」

彼女は、立ち上がった。


「私、帰る」



その青い目には迷いは無くて。




「メリッサ!」
「ごめんなさい、ヘンリー!」


振り向きもせず、お茶代をテーブルに置いて、彼女はハンドバックをつかみ、店を出た。
空は、青かった。








 
 

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