4.お茶会
柔らかく、湯が流れる音がする。
クッションの傍らで座り込みながらエデが茶の支度を進めていた。洗練された、何の淀みもなく動くその姿は、思わず見惚れるような美しさだった。
普段なら茶の支度はベルッチオの役目だった。だから珍しくエデが進んで茶を煎れるというのだから、伯爵は彼女が何か想う所があるのだろうと緩く考えた。やがて慎ましく東洋の湯のみを白魚のような手で差し出される。湯の色は、どこまでも透明な金色。東方宇宙の茶特有の淡く、それでいて濃厚な香りは…伯爵の知らないものであった。
「………これは?」
「桃花茶と言って、古代宇宙での秘茶です。毎年、決められた最高級の桃の実を100日の間干して乾かし、茶の葉と化せしめるのです。」
ほぅ、と感心したような呟きを一つ。そしてゆらゆらと陶器の湯を揺らす、まるでワインか何かを楽しむように。エデはさり気なく、伯爵のそんな様子を幸せそうに眺める。彼女は飲み物を飲んでいる伯爵がとても好きだった。伯爵はもう眠ることも無く、食事を取ることも無い。人として当然のことが無いということは、とても哀しいことだから。だから、せめて、と。いつも主には「せめて」「せめて」でしか、力にはなれないのだから。
エデは微笑みながら、目の前の主人に、心の中で呟く。
あなたの御友人が、これ以上あなたを切り裂きはしないよう。どうか、わたくしの気休めを、お許しください。
…伯爵、桃花茶には、飲用した者に降りかかるあらゆる不幸を追い払うことが出来るそうですよ?
***********
伯爵が飲んで消えないかだけ心配です。
柔らかく、湯が流れる音がする。
クッションの傍らで座り込みながらエデが茶の支度を進めていた。洗練された、何の淀みもなく動くその姿は、思わず見惚れるような美しさだった。
普段なら茶の支度はベルッチオの役目だった。だから珍しくエデが進んで茶を煎れるというのだから、伯爵は彼女が何か想う所があるのだろうと緩く考えた。やがて慎ましく東洋の湯のみを白魚のような手で差し出される。湯の色は、どこまでも透明な金色。東方宇宙の茶特有の淡く、それでいて濃厚な香りは…伯爵の知らないものであった。
「………これは?」
「桃花茶と言って、古代宇宙での秘茶です。毎年、決められた最高級の桃の実を100日の間干して乾かし、茶の葉と化せしめるのです。」
ほぅ、と感心したような呟きを一つ。そしてゆらゆらと陶器の湯を揺らす、まるでワインか何かを楽しむように。エデはさり気なく、伯爵のそんな様子を幸せそうに眺める。彼女は飲み物を飲んでいる伯爵がとても好きだった。伯爵はもう眠ることも無く、食事を取ることも無い。人として当然のことが無いということは、とても哀しいことだから。だから、せめて、と。いつも主には「せめて」「せめて」でしか、力にはなれないのだから。
エデは微笑みながら、目の前の主人に、心の中で呟く。
あなたの御友人が、これ以上あなたを切り裂きはしないよう。どうか、わたくしの気休めを、お許しください。
…伯爵、桃花茶には、飲用した者に降りかかるあらゆる不幸を追い払うことが出来るそうですよ?
***********
伯爵が飲んで消えないかだけ心配です。
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3.内緒話し
「それでね、伯爵ったら、やけに見栄張っちゃって、可愛かったんだから!」
クスクスクス。いかにも楽しそうにペッポはジャニナの茶を口に運びながらお喋りをする。話題は最近、伯爵がモルセール家を訪れた時の話だ。伯爵とベルッチオが出かけたのを良いことに、残りの皆で伯爵の話に花を咲かせているのである。何でも、アルベールとの約束に遅れそうだから慌しく馬車を突っ走って来ただの、いきなり部屋を暗くして登場したいと駄々をこねられただの(照明担当はペッポだったらしい)、皮肉に皮肉で返すだの、フェルナンと微妙に見栄張り大会を慣行しただの、まぁ出るわ出るわ。そして必ず、可愛いわよね、と締めるのだ。
「可愛いって言うのかよ、お前…。」
優雅な仕草とは程遠い感じで紅茶を啜りながら伯爵のもう一人の家来、バティスタンが呟く。
「やぁねぇ、大人の男って、可愛い所あるのよ~。あんたも頑張ったら?そのままだとお調子者で終わるわよ?」
話題の運び、悪戯っぽい目、可愛い表情。ペッポはどこからどう見ても女の子なのだが、彼女は何と男性なのだ。バティスタンは正直、伯爵がフランツに向けてついた嘘だろうと思ったのだが、どうにも本当らしい。少しばかり可愛いなと感じていた彼にとってやるせない重いものを背負ってしまい、それ以来どうも…彼女は苦手だ。
そこまで考えて、ちらとエデを見やる。彼女は穏やかに、しかし楽しそうにペッポの話に耳を傾けていた。誰かから聞く伯爵の話がそんなに嬉しいものなのだろうか。相槌を打ち、笑い、そしてたまに先を促す。小悪魔っぽい活動的なペッポと、気高く大人しいエデでこんなに盛り上がるとは意外だった。良い友達になれるのかもしれない…などと、もうペッポが女の子であるように考えてしまっている自分に対して呆れ返る。
「エデも来れば良かったのに。あんなにお留守番してたら退屈だったでしょう?」
「はぁ!?ひい様、お留守番だったんですかい!?」
「ええ…。」
ちょっと待て、話では伯爵は子供達と茶を飲み、アルベールにモルセール家を紹介され、家族と晩餐をして、更に元婚約者と語ったというのだ。その間ずっとこの少女を待たせたというのか。ベルッチオも待機組だったが、彼は馬車の運転の任務があったから良い、エデには何の用もないまま、憎い男の家庭に置いていたというのが解せない。
「そりゃあねえだろう!?何も用がないのなら俺たちと一緒に屋敷に来れば良かったじゃねぇスか!?ひい様が可哀想ってもんだ!」
自分は伯爵に忠誠を誓っているし、一生仕えてゆく覚悟もある。だがエデの扱いだけはバティスタンの解らない世界だった。大切なら大切にすれば良い、でも何で、ここ一番ってところで扱いが荒いのだろう?伯爵なりの複雑な心境があるのだろうが、それでも、辛いものがあった。そこだけが主人への不服なところなのだ。
「わたくしは、伯爵の傍に居ることが幸せなのですよ?」
エデはそんなバティスタンを咎めることもなく、柔らかく微笑んで諭す。ああ、こんな良い姫君なのに、伯爵の馬鹿。それとも主人と奴隷だからこれで良いのか。無性に腹が立ってしまう、茶で酔っ払ったのか、ここに伯爵がいないからか、思わず暴言が出てしまう。
「ひい様も言わなきゃいけませんよ!何で置いていくんですか伯爵の馬鹿とか、乙女心が解らんとか、ゴーイングマイウェイ過ぎですよとか、置いてくならちゃんと理由言ってくださいとか、そんなぞんざいに扱うとワタシ出て行きますよとか!伯爵は言わなきゃ解らない石頭な所があるからー……」
二人の目線が自分からやや上に向けられたことに気付いて喋るのを止める。…心なしか、後ろが寒い。
「ほぅ?それはそれは、痛み入る言葉だな。」
低い夜闇の声が響く。バティスタンは体中で絶叫した。軋む音が聞こえてきそうなくらいぎごちなーく首を回すと、この世のものとは思えない美しい微笑を湛えながらモンテ・クリスト伯が佇んでいた。目が全然笑っていないのが怖い。
「…私はパリに来てすぐ、あの男などにエデを会わせたくないから、暫く待ってもらっただけなのだが?」
「あら伯爵?お帰りなさいませ☆」
「お帰りなさいませ、伯爵。」
「……いえ…あー…っ。」
この様子だと全部聞かれていただろう。いつから帰って来たんだ、タイミングが良すぎる。よもやずーっと前から扉の方にスタンバイしていたんじゃなかろうか。ありえそうで怖いなどとガクガク考える、自分の体も震えている。伯爵はそれを面白そうに眺めている…が、勿論目は笑っていない。ゆっくりと手を伸ばし、家来の肩に触れると、それだけでバティスタンは大きく跳ねた。
「伯爵、わたくし…。」
何か言いかけたエデに目くばせをして、片方の手で静かに、というポーズを取る。
「安心しなさいエデ。私が仕置きなどという無意味なことをするわけないだろう?バティスタンは純粋にお前を心配しただけに過ぎないのだから。ただ、少し剣の稽古に付き合って貰うだけさ。」
聞いてもいないのに『仕置き』なんて言葉が飛び出している。バティスタンの顔が伯爵と張り合えそうなほど青くなった。
「手加減はするな?バティスタン?」
低い声で優しく囁き、にっこりと何の淀みも無い極上の笑みで家来をの目を見る…の割に手が家来の肩を鷲掴みしているために表情と仕草が合わない。何か怖い。
「や…す、すみませんでした伯爵!!勘弁して下せぇって!うわ!おっかねぇ!!ぎゃあああああ……ッ!!」
その不思議な体制のまま主に引きずられエデの部屋を後にするバティスタン。情けない断末魔の叫びをお茶を片手に聞きながら見送る。やがて完全に聞こえなくなったところで二人顔を見合わせ、苦笑する。
「…こりゃ間違いなくお仕置きだわね。うーん、伯爵のようなタイプは怖いわ~、純粋さがねじくれまがっているから。」
伯爵の姿が見えなくなってから、ペロっと舌を出してそんな事を言う。要領の良い子だ、バティスタンと違う。
「わたくし…傷の手当ての準備をしたほうが良いでしょうか?」
「そうかしら?何も動かない方が良いと思うわ。伯爵のただの嫉妬でしょ?あなたがそれほど大切ってことよ。素敵じゃない。」
その言葉を聞いて、まずきょとんとし、ハっとして、最後に白い頬がみるみる赤く染まる。ペッポはこの微妙な二人が可笑しいらしく、またクスクスと笑う。何故だか幸せそうだった。
「まったく、可愛いわよね。」
2.伝えたいこと
(エデ7歳くらいで宜しくお願いします。慣れて来た子エデって事で。)
それはファラオン号が中継ステーションから離れ、再び星の海に乗り出したときだった。
ふわりと一瞬体が浮かぶような錯覚、次には外の世界は完全に暗闇と星だけになる。淡い光を放つ柱はその色を濃くし、豪華で美しい東洋的な船室は、一層幻想的な色合いを増す。船が動き出したのだと、幼い少女は思った。外を眺めていなければ、とても今自分が宇宙船に乗っているとは思えない。その考えは今でも変わらない。
「エデ。」
主から声をかけられた。どこか悲しげな微笑で少女を見つめている。エデはそれが幸せでもあり、また切なくもあった。東方宇宙の着物に身を包んだ主人は、窓を目で差し「あれをご覧。」と優しく言った。そこには白を基調とした美しい星々の大河が横たわっていた。あまりの美しさに、エデは感嘆の声を小さく上げる。
「古代東洋で“天の川”と呼ばれていたものだ。知っているか?」
「はい。私の国にもその名と伝説がありました。ですが、こんなに間近で見たことはありませんでした。とても、とても美しいものですね…。」
音も無い世界、絹色の闇が支配する世界。二人は黙ってその天の川を眺めていた。
「伯爵はわたくしに幸せになって欲しいのですか?」
エデは小さく質問する。伯爵に届いたようだが、彼はゆっくりと目を伏せただけで、何も言わなかった。たとえ一時エデを絶望の淵から救ったのが自分とはいえ、再び更なる絶望に彼女を放り投げるのもまた自分なのだ。だから答えない、だから目を伏せるしかない。エデもそれを全て理解するにはまだ幼すぎたが、伯爵が自分を想っていることだけは感じることが出来た。だからこんな質問をして、答えがないのは肯定の意だと理解し、可憐な花のように微笑む。大人びた笑み、だがそれは無理して作られたものではない、だからこそ不思議に気高く美しく、見る者を惹きつける微笑だった。
「伯爵が幸せになって下されば、わたくしはもっと幸せです。」
二人は雑談をすることなどは滅多になかった。傍に居れれば良いのだ。だから唐突に見える会話も、彼等の間では普通なものだった。
「伯爵が幸せなら、皆も、わたくしも、幸せなのですよ。」
…やがて根負けしたように主が溜息を一つ零す。心地良い諦めの色が滲んでいた。愛し子の頭にそっと手を当て撫でてやる。少女は背が少し伸びていた、成長しているのだ。
想いや幸せなど復讐の刃を鈍らせるだけ。それが解っているから斬り捨てて生きてゆこうとしている反面、それを望み、湾曲した形で求めている自分に呆れてしまう。そして居るだけでそれを望むまま与えてくれる、家来やこの少女が本当に大切な存在だった。
いずれその想いすら打ち壊し、彼等に破滅と絶望を与えてしまう事が解っていても、救われないような別れをすることが解っていても。今は、せめて今だけは、彼等と少女の幸せを願ってやりたかった。そう思って出てきた声色はこれ以上ないくらい穏やかなもので、伯爵は心の中で驚いた。
「お前がそう思ってくれるという幸せがあるのに、これ以上どうやって幸せになれと?」
途端、エデの頭の中が目を覚ました。伯爵が自分に対し幸せについて意見を求めている。これは…良い機会かもしれない。エデは少し前からずっと考えていた“お願い”を、主に対して進言する。
「ではベルッチオの料理を食べて下さいませ。」
「…ほぉ。」
想像しなかった事を言われ、弛緩した思考も手伝い、多少間の抜けた声が漏れてしまった。しかし愛し子は真剣そのもので、具体案まで考えている。
「まずは皆で晩餐を囲みましょう、それに慣れたら朝起きたときに軽く食べるようにして、仕上げにその真ん中にまた食べる習慣をつけたら良いのです。」
エデの持論で、薬が喉を通るなら、頑張れば食事だって通るはずとゆうのがあるらしい。それはありえないのだと自分の体について説明するのは、この幼い子には残酷であろうとためらわれて…そうなると、やはり苦笑するしかないのだ。
「伯爵はご存知ないかもしれませんが…ベルッチオが食事を下げ厨房に行くと、溜息を一つ、とてもやるせないのをつくのですって。わたくしバティスタンから聞きました。」
あの家来は本当にどうしようもない話題しか少女にしないらしい。
「機会があれば厨房を覗いて下さいませ、これもバティスタンから聞いたのですが、いつもベルッチオは料理を作るときにお願いごとをするんだそうですよ。」
あの屈強な男がお願いごと…いや差別する気は無いが、凄いメルヘンタッチで全然想像が出来ない、どんな光景だ、それは。伯爵が苦笑の表情のままで固まっていると、エデは「よろしければ今日一緒に覗いてみましょう。」と言ってきた。普段は大人しいのだが、やろうと決めたら聞かない子だとは知っていたので、小さい手に引っ張られながら、お忍びよろしく、ベルッチオが厨房に入るのを見計らって一緒に覗く。
「ベルッチオがいますよ伯爵、静かにしていましょうね。」
エデはとても楽しそうだ。いくら大人びているといったって幼子には違いない、わくわくしているのだろう。伯爵としてもベルッチオが料理を作っている所なんて見たことがないので珍しいと言えばそうなのだが…。
ベルッチオはてきぱきと5人分の晩餐を作っているらしい。格別怪しいことはないが、包丁で食材を切っている時に何かブツブツ言っている。包丁の小気味良い音でうまく聞こえないが、伯爵の聞こえが良い耳にはきちんと届いたようだった。
『食料廃棄が今日こそ一人分なくなりますように』
「………。」
伯爵はゆるりと隣にいるエデに顔を向ける。エデには残念ながら“お願いごと”を聞き取れなかったが、伯爵の表情で察しがついたようだった。
「ね。伯爵に食事をしてほしいと、お願いごとしていましたでしょう。」
自分の予想が当たったことでほんのり喜ぶ幼い少女の隣で、伯爵は青白い顔を一層青白くして微笑んだ。
「…今日くらいは善処しよう。」
主の精一杯の譲歩を聞いて、エデは普段通り控えめではあったが、嬉しさで顔を輝かせた。
******
『得意分野はマーシャルアーツ(て何?)と料理!!しかし主人は食事しません!!』
…これは絶対切ないって…涙出るって。敬愛する主に得意なもので貢献出来ないって。
しかも本編でメルセデスのブイヤベースは食べたと言うんだから、悲劇性拡大!(笑)
頑張れエデ、伯爵は君には少し弱い筈だ。伯爵に強く進言できるのはアルと君くらいだ!
1.ほんのりと紅い
どこのホテルに長期滞在をするにしても、この気紛れな大富豪、モンテ・クリスト伯爵の行動は一緒だった。
一番高い階を丸ごと買い上げ、元など解らないくらい改装してしまう。古代西洋を中心に、ありとあらゆる贅を尽くしたその場所だけ、物語の王宮から抜けでたような、夢のような美しさを誇る。バティスタンはその徹底ぶりに毎度の事ながら口笛を吹いてしまうくらいだ。
何かと秘密主義で放任主義でもある伯爵家では、例えホテルだろうと、家来にも奴隷にも部屋が個別に与えられている。エデは与えられたその部屋で、ゆったりと美しい曲線を描く椅子に腰かけ、ただただ琴を奏でていた。ふと気配を感じて扉の方を見やると、主人が佇んでいた。仕事から帰ってきていたらしい。淡く、消え入りそうな微笑を浮かべ少女は囁く。
「お帰りなさいませ、伯爵。」
「相変わらず美しい調べだな、エデ……。」
やや疲れが堪っているのか、伯爵の声には美しさはあれど冴えはなかった。エデはそれを悲しく思ったがあれこれ問いただすことは無く、少しでも主人の安らぎになればとまた琴を奏でる。それがありがたくもあるのだが、同時に辛く思うこともあった。
不運な彼女の境遇を作ったのはフェルナンだが、彼女を傍目人形の様に扱っているのは自分で…少女から自由を奪っているのに間違いなく加担しているのだ。自分に心を許してくれているのも解る、そして進んで自分の人形になろうとしている事も。彼女と共にパリへ降り立つ日が来たなら言ってみようか、自由に生きてご覧と。命令ではない自分の意志で。私には未来は無いのだから。
だがそれも、幼い彼女にはまだ先の話…。
「エデ。」
もう一度声をかけて近寄る。不思議そうに見上げるエデの前に、ふわりと赤い薔薇の花が舞った。伯爵が買ってきたらしい(買わせたのかもしれないが、まぁそんな事はとりあえずどうでも良い)。
「まぁ…!」
幻想的で美しいその光景に少女が目を見張ると、主人の真紅と黄金の瞳がうっすらと微笑む。
「綺麗だろう?お前の国ではあまり見られない花だと思ったが。花言葉はhaidee…お前の名と同じ意味だ。」
それを聞いてふわーとエデがほんのり紅くなる。その可愛らしさに、演技ではなく口元が綻んだ。
「エデ、外には素晴らしい世界がある。お前はまだ曇りない目を持っている。今は私と一緒でも、いつか…」
「伯爵。」
くい、とエデが伯爵の袖を持つ。か弱い力ではあったが、強い意志が伝わった。そして笑う、人形のように美しく。でも瞳には意思の色を湛えて。
「わたくしは伯爵にお遣え出来て幸せなのです。」
ああ、だからいけないというのに。仕方ないなと苦笑をしながら、こちらを真っ直ぐに見つめてくるエデの額に、伯爵は軽い口付けを落とした。
****************
「エデ(heidee)」と言う名は貞節、純潔、無垢という意味だそうですね、素敵な名です。そして赤い薔薇(貞節)、その蕾(純潔)、葉(無垢の美しさ)で花言葉が網羅出来るそこらへんでも素晴らしい名です(笑)。他に薔薇と言えば情熱的な愛系統の花言葉もありますがね。
どこのホテルに長期滞在をするにしても、この気紛れな大富豪、モンテ・クリスト伯爵の行動は一緒だった。
一番高い階を丸ごと買い上げ、元など解らないくらい改装してしまう。古代西洋を中心に、ありとあらゆる贅を尽くしたその場所だけ、物語の王宮から抜けでたような、夢のような美しさを誇る。バティスタンはその徹底ぶりに毎度の事ながら口笛を吹いてしまうくらいだ。
何かと秘密主義で放任主義でもある伯爵家では、例えホテルだろうと、家来にも奴隷にも部屋が個別に与えられている。エデは与えられたその部屋で、ゆったりと美しい曲線を描く椅子に腰かけ、ただただ琴を奏でていた。ふと気配を感じて扉の方を見やると、主人が佇んでいた。仕事から帰ってきていたらしい。淡く、消え入りそうな微笑を浮かべ少女は囁く。
「お帰りなさいませ、伯爵。」
「相変わらず美しい調べだな、エデ……。」
やや疲れが堪っているのか、伯爵の声には美しさはあれど冴えはなかった。エデはそれを悲しく思ったがあれこれ問いただすことは無く、少しでも主人の安らぎになればとまた琴を奏でる。それがありがたくもあるのだが、同時に辛く思うこともあった。
不運な彼女の境遇を作ったのはフェルナンだが、彼女を傍目人形の様に扱っているのは自分で…少女から自由を奪っているのに間違いなく加担しているのだ。自分に心を許してくれているのも解る、そして進んで自分の人形になろうとしている事も。彼女と共にパリへ降り立つ日が来たなら言ってみようか、自由に生きてご覧と。命令ではない自分の意志で。私には未来は無いのだから。
だがそれも、幼い彼女にはまだ先の話…。
「エデ。」
もう一度声をかけて近寄る。不思議そうに見上げるエデの前に、ふわりと赤い薔薇の花が舞った。伯爵が買ってきたらしい(買わせたのかもしれないが、まぁそんな事はとりあえずどうでも良い)。
「まぁ…!」
幻想的で美しいその光景に少女が目を見張ると、主人の真紅と黄金の瞳がうっすらと微笑む。
「綺麗だろう?お前の国ではあまり見られない花だと思ったが。花言葉はhaidee…お前の名と同じ意味だ。」
それを聞いてふわーとエデがほんのり紅くなる。その可愛らしさに、演技ではなく口元が綻んだ。
「エデ、外には素晴らしい世界がある。お前はまだ曇りない目を持っている。今は私と一緒でも、いつか…」
「伯爵。」
くい、とエデが伯爵の袖を持つ。か弱い力ではあったが、強い意志が伝わった。そして笑う、人形のように美しく。でも瞳には意思の色を湛えて。
「わたくしは伯爵にお遣え出来て幸せなのです。」
ああ、だからいけないというのに。仕方ないなと苦笑をしながら、こちらを真っ直ぐに見つめてくるエデの額に、伯爵は軽い口付けを落とした。
****************
「エデ(heidee)」と言う名は貞節、純潔、無垢という意味だそうですね、素敵な名です。そして赤い薔薇(貞節)、その蕾(純潔)、葉(無垢の美しさ)で花言葉が網羅出来るそこらへんでも素晴らしい名です(笑)。他に薔薇と言えば情熱的な愛系統の花言葉もありますがね。
その日エデの部屋を訪ね、ふと壁を見ると…
鞭が掛かってあった。
■Q. die Qual/試練、責め苦
多少戸惑ったが微笑を浮かべ、ゆっくりと問題の品を指してエデに訊ねる。
「エデ…。あれは何だ?」
「鞭ですよ。」
少女は儚げに微笑みながらもはっきりと答える。
…それは解る、そうじゃなくて…いや違う、私の質問がおかしいのか。
「何故ここに鞭があるのだ?」
「テレザから頂きましたの。」
テレザ。……ルイジ・ヴァンパの情婦だな。獲物をいたぶる事が趣味のサディスティックな美女だ。
ルナでの冒険劇で悪役を演じさせた時、男爵がもう少し遅かったらアルベールは間違いなく傷物だっただろう、演技でも何でも手加減が出来ない女だから。私が内心どれ程慌てたかあの少年二人は解っていないに違いない。パリに着てからもヴァンパ一味には復讐の仕込みをある程度任せているし、屋敷に時折出入りしているのも知っている。が、何故にエデへ鞭など贈ったのだろうあの女は。
「鞭がどういう用途で使われているか知っているのか?」
「動物の調教道具、罪人への拷問具、中世の貴族には躾として用いた事もあるとか。テレザはそれを快楽の為に使うと言っておりました。」
そこまで理解していて掛けてあるのか。呆然とエデの顔を眺め、鞭を眺める。少女がコレを嬉しそうに振るう姿とか全然想像が出来ない。私の想像力が貧困というより、意図的に想像することを止めているのだろう。そんな私の背中にエデがまた説明をかぶせる。
「少し手ほどきを受けたのですが、とても難しくて話にならず、彼女に笑われました。…今度は短い鞭を持ってきてくれると約束して頂きましたの、その服では振るいにくいからと、コルセットも作ってくださるそうですわ。」
丁重にお断りなさい。服は自分の個性を理解してこそ映えるもので、お前には心底似合わないと思う。首を回る音が聞こえてきそうなくらいゆぅったりとエデに顔だけ向けて、本題に入る。
「何故、鞭の手ほどきなど?」
すると少女は伯爵を穏やかに見つめながら、ゆっくりと答えた。
「『アンタは受身過ぎるから、いつか伯爵が逃げてしまうよ。体の良いように可愛がられ理屈をつけられ最後には捨てられるんだ。あのデコの怪物にも一度徹底的に痛い目、遭わせてやりな。』と。テレザはわたくしを心配して、わたくしに自己を表現する術を教えようとしたのでしょう。」
ぼんやりとその説明を反復させる。言葉を紡ぐエデの表情の、何と消え入りそうな事か。
成る程、テレザの言う事は間違いではない。少女も彼女の言葉が真実だと解っているのだろう。
宜しい、宜しい。全て解ったよ愛しい子。しかしすまないが巌窟王と私は同じ身体に入っているので『徹底的に痛い目』に遭うのは一緒なのだよ。
「で、お前は私にコレを使いたいのか?」
「まさか、わたくしは使いません。」
エデは年不相応の決意を滲ませた声で答えた。
「伯爵は本当に心を決めた時、きっとわたくしが何をしようと受け入れて下さらないでしょうから。」
縛ろうが叩こうが、閉じ込めようが何をしようが、誰も彼を留めて置けないのだ。彼自身ですら。
「貴方の心の中にある鈍く光る刃の鋭さ、冷たさ、そして強靭さ。わたくしは解っているつもりです。」
伯爵は何も答えない。彼は黙って、姫君の言葉を聞いている。
「この果てにあるものは決して穏やかな幸せではないことも理解しています。それに向かい歩む事が傍目からどんなに痛々しく映るかも。けれどそれで良いのです。わたくしは運命に沿いたいのではなく、貴方に添ってゆきたいのですから。」
嗚呼。なんというかわいそうな子だろうか。あまりの痛々しさに目を細める。
14歳。たったの14歳だ。だのにこの悲痛なまでの決意はなんだ。
不幸は少女を、歪みにすら近い形で大人にしてみせた。でもそれすら、自分と共にあれるのなら不幸ではないと、事ある毎に微笑んで言って来る。それはとても哀しく痛々しい、だからこそ愛おしく、己の愚かさを認めていながら傍らに置くのだろう。
ありがとう。お前の存在は、お前が考えている以上に私にとってかけがえのないものだよ。
「…それが望みなら、いくらでも側にいるが良い。」
胸の内に溢れる言葉は口にすると随分素っ気無いものだった。
しかし少女は、全てを解っているとでも言うように、嬉しそうに微笑むのだ。
「でも折角教わったのですから、ちょっと苦しい事があった時に試しにしてみようかとも思いますね。」
…そうだな、そのくらいの遊び心は必要だ。だが試しでヒトをしばくものではないぞ。
伯爵は一層青褪めた顔で微笑み、無言のまま、「止めて」とエデに訴えた。
***********
伯爵はエデがどんな運命にも負けない子になって欲しいとは思うだけれど、
彼女にとっては復讐鬼として生きる伯爵こそが「とんでもない運命」なので、
何と言うか愚かで愛しくて哀れで、せめて強く在って欲しいと考えるけど、
だからって鞭で男を手懐けるような女にはなって欲しくない複雑な心境。
…だと、良いな。もうそろそろオフィシャルの原型留めていません(元々☆)
25/07/2006.makure