3.内緒話し
「それでね、伯爵ったら、やけに見栄張っちゃって、可愛かったんだから!」
クスクスクス。いかにも楽しそうにペッポはジャニナの茶を口に運びながらお喋りをする。話題は最近、伯爵がモルセール家を訪れた時の話だ。伯爵とベルッチオが出かけたのを良いことに、残りの皆で伯爵の話に花を咲かせているのである。何でも、アルベールとの約束に遅れそうだから慌しく馬車を突っ走って来ただの、いきなり部屋を暗くして登場したいと駄々をこねられただの(照明担当はペッポだったらしい)、皮肉に皮肉で返すだの、フェルナンと微妙に見栄張り大会を慣行しただの、まぁ出るわ出るわ。そして必ず、可愛いわよね、と締めるのだ。
「可愛いって言うのかよ、お前…。」
優雅な仕草とは程遠い感じで紅茶を啜りながら伯爵のもう一人の家来、バティスタンが呟く。
「やぁねぇ、大人の男って、可愛い所あるのよ~。あんたも頑張ったら?そのままだとお調子者で終わるわよ?」
話題の運び、悪戯っぽい目、可愛い表情。ペッポはどこからどう見ても女の子なのだが、彼女は何と男性なのだ。バティスタンは正直、伯爵がフランツに向けてついた嘘だろうと思ったのだが、どうにも本当らしい。少しばかり可愛いなと感じていた彼にとってやるせない重いものを背負ってしまい、それ以来どうも…彼女は苦手だ。
そこまで考えて、ちらとエデを見やる。彼女は穏やかに、しかし楽しそうにペッポの話に耳を傾けていた。誰かから聞く伯爵の話がそんなに嬉しいものなのだろうか。相槌を打ち、笑い、そしてたまに先を促す。小悪魔っぽい活動的なペッポと、気高く大人しいエデでこんなに盛り上がるとは意外だった。良い友達になれるのかもしれない…などと、もうペッポが女の子であるように考えてしまっている自分に対して呆れ返る。
「エデも来れば良かったのに。あんなにお留守番してたら退屈だったでしょう?」
「はぁ!?ひい様、お留守番だったんですかい!?」
「ええ…。」
ちょっと待て、話では伯爵は子供達と茶を飲み、アルベールにモルセール家を紹介され、家族と晩餐をして、更に元婚約者と語ったというのだ。その間ずっとこの少女を待たせたというのか。ベルッチオも待機組だったが、彼は馬車の運転の任務があったから良い、エデには何の用もないまま、憎い男の家庭に置いていたというのが解せない。
「そりゃあねえだろう!?何も用がないのなら俺たちと一緒に屋敷に来れば良かったじゃねぇスか!?ひい様が可哀想ってもんだ!」
自分は伯爵に忠誠を誓っているし、一生仕えてゆく覚悟もある。だがエデの扱いだけはバティスタンの解らない世界だった。大切なら大切にすれば良い、でも何で、ここ一番ってところで扱いが荒いのだろう?伯爵なりの複雑な心境があるのだろうが、それでも、辛いものがあった。そこだけが主人への不服なところなのだ。
「わたくしは、伯爵の傍に居ることが幸せなのですよ?」
エデはそんなバティスタンを咎めることもなく、柔らかく微笑んで諭す。ああ、こんな良い姫君なのに、伯爵の馬鹿。それとも主人と奴隷だからこれで良いのか。無性に腹が立ってしまう、茶で酔っ払ったのか、ここに伯爵がいないからか、思わず暴言が出てしまう。
「ひい様も言わなきゃいけませんよ!何で置いていくんですか伯爵の馬鹿とか、乙女心が解らんとか、ゴーイングマイウェイ過ぎですよとか、置いてくならちゃんと理由言ってくださいとか、そんなぞんざいに扱うとワタシ出て行きますよとか!伯爵は言わなきゃ解らない石頭な所があるからー……」
二人の目線が自分からやや上に向けられたことに気付いて喋るのを止める。…心なしか、後ろが寒い。
「ほぅ?それはそれは、痛み入る言葉だな。」
低い夜闇の声が響く。バティスタンは体中で絶叫した。軋む音が聞こえてきそうなくらいぎごちなーく首を回すと、この世のものとは思えない美しい微笑を湛えながらモンテ・クリスト伯が佇んでいた。目が全然笑っていないのが怖い。
「…私はパリに来てすぐ、あの男などにエデを会わせたくないから、暫く待ってもらっただけなのだが?」
「あら伯爵?お帰りなさいませ☆」
「お帰りなさいませ、伯爵。」
「……いえ…あー…っ。」
この様子だと全部聞かれていただろう。いつから帰って来たんだ、タイミングが良すぎる。よもやずーっと前から扉の方にスタンバイしていたんじゃなかろうか。ありえそうで怖いなどとガクガク考える、自分の体も震えている。伯爵はそれを面白そうに眺めている…が、勿論目は笑っていない。ゆっくりと手を伸ばし、家来の肩に触れると、それだけでバティスタンは大きく跳ねた。
「伯爵、わたくし…。」
何か言いかけたエデに目くばせをして、片方の手で静かに、というポーズを取る。
「安心しなさいエデ。私が仕置きなどという無意味なことをするわけないだろう?バティスタンは純粋にお前を心配しただけに過ぎないのだから。ただ、少し剣の稽古に付き合って貰うだけさ。」
聞いてもいないのに『仕置き』なんて言葉が飛び出している。バティスタンの顔が伯爵と張り合えそうなほど青くなった。
「手加減はするな?バティスタン?」
低い声で優しく囁き、にっこりと何の淀みも無い極上の笑みで家来をの目を見る…の割に手が家来の肩を鷲掴みしているために表情と仕草が合わない。何か怖い。
「や…す、すみませんでした伯爵!!勘弁して下せぇって!うわ!おっかねぇ!!ぎゃあああああ……ッ!!」
その不思議な体制のまま主に引きずられエデの部屋を後にするバティスタン。情けない断末魔の叫びをお茶を片手に聞きながら見送る。やがて完全に聞こえなくなったところで二人顔を見合わせ、苦笑する。
「…こりゃ間違いなくお仕置きだわね。うーん、伯爵のようなタイプは怖いわ~、純粋さがねじくれまがっているから。」
伯爵の姿が見えなくなってから、ペロっと舌を出してそんな事を言う。要領の良い子だ、バティスタンと違う。
「わたくし…傷の手当ての準備をしたほうが良いでしょうか?」
「そうかしら?何も動かない方が良いと思うわ。伯爵のただの嫉妬でしょ?あなたがそれほど大切ってことよ。素敵じゃない。」
その言葉を聞いて、まずきょとんとし、ハっとして、最後に白い頬がみるみる赤く染まる。ペッポはこの微妙な二人が可笑しいらしく、またクスクスと笑う。何故だか幸せそうだった。
「まったく、可愛いわよね。」
PR