[1]
[2]
れが案外希少だと気づいたのはいつだったか。
「さっきのヤツどう思う?」
たった今後にした村で、一番か二番目に大きい家の息子だった。
ニ日の滞在でガラシャと仲良くなったらしい。別れ際に花を一輪差し出した、ませたガキだ。ガラシャは左手に持っていたその花に目を落とした。
「やさしかった」
「…俺には優しくなかったけどな」
村にずっといてほしい、と言う少年に、いくら乱世とはいえ明智家の息女がこの村にずっといれるわけないと知っている孫市は傍観に徹していたが、ガラシャが「孫が行くからわらわも行く」と返したので、おいおい俺のせいかよと思ったら案の定、きつい視線を向けられたのだ。
少年よ、それは告白を流された八つ当たりというものだぜ。
「孫は、理由にされて嫌だったか?」
流した当の本人はその事実を分かっているのかいないのか。
「別に嫌じゃねぇよ。だからそんな顔すんな」
額をぴんと弾いてやると口を尖らせた。ぎゅう、と握りこまれた花がなんとなく、本当になんとなく不満で、孫なんて嫌いじゃとぶつぶつ言うのを無視してその花を掠め取る。
「なに」
「いいから」
取り返そうと伸びる両腕を片手で押し留めて、手にしたそれを少し迷ってから、髪飾りのそばに挿す。ガラシャの文句はぴたりと止んだ。白い花は驚くほど彼女の赤に映えた。
うし、いい仕事した俺、と孫市は満足げに頷く。ガラシャが花のある辺りへと手をさまよわせるので、「ここだ」とその手を持っていってやれば、孫市を見つめる大きな目がふ、と細められた。
「やっぱり孫は好きじゃ」
そう、花のように笑う。その言葉が両親以外に使われるのは自分くらいだということに気づいたのはいつだったか。懐かれたなぁと思った。案外、こういうのも悪くない。
「褒めても何も出ないぜ」なんて、冗談を言うと案の定、ガラシャは首を振って否定した。
「わらわが好きと言いたいだけなのじゃ」
あ、やっぱり悪い。
不意打ちはダメだろう。前触れなく襲う理屈じゃないその感じを、俺は確かに知っている。
「さっきのヤツどう思う?」
たった今後にした村で、一番か二番目に大きい家の息子だった。
ニ日の滞在でガラシャと仲良くなったらしい。別れ際に花を一輪差し出した、ませたガキだ。ガラシャは左手に持っていたその花に目を落とした。
「やさしかった」
「…俺には優しくなかったけどな」
村にずっといてほしい、と言う少年に、いくら乱世とはいえ明智家の息女がこの村にずっといれるわけないと知っている孫市は傍観に徹していたが、ガラシャが「孫が行くからわらわも行く」と返したので、おいおい俺のせいかよと思ったら案の定、きつい視線を向けられたのだ。
少年よ、それは告白を流された八つ当たりというものだぜ。
「孫は、理由にされて嫌だったか?」
流した当の本人はその事実を分かっているのかいないのか。
「別に嫌じゃねぇよ。だからそんな顔すんな」
額をぴんと弾いてやると口を尖らせた。ぎゅう、と握りこまれた花がなんとなく、本当になんとなく不満で、孫なんて嫌いじゃとぶつぶつ言うのを無視してその花を掠め取る。
「なに」
「いいから」
取り返そうと伸びる両腕を片手で押し留めて、手にしたそれを少し迷ってから、髪飾りのそばに挿す。ガラシャの文句はぴたりと止んだ。白い花は驚くほど彼女の赤に映えた。
うし、いい仕事した俺、と孫市は満足げに頷く。ガラシャが花のある辺りへと手をさまよわせるので、「ここだ」とその手を持っていってやれば、孫市を見つめる大きな目がふ、と細められた。
「やっぱり孫は好きじゃ」
そう、花のように笑う。その言葉が両親以外に使われるのは自分くらいだということに気づいたのはいつだったか。懐かれたなぁと思った。案外、こういうのも悪くない。
「褒めても何も出ないぜ」なんて、冗談を言うと案の定、ガラシャは首を振って否定した。
「わらわが好きと言いたいだけなのじゃ」
あ、やっぱり悪い。
不意打ちはダメだろう。前触れなく襲う理屈じゃないその感じを、俺は確かに知っている。
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意識が覚醒してきて真っ先に思ったのは、腹が減った、ということだ。
腹が減るのは駄目だ。腹が減っては戦もできぬ、身体も動かぬ、女も抱けぬの三重苦。
「はら、へったな」
思わず出た声は寝起きにしては掠れていた。予想外だ。天井から左へと目を向けるとなぜか桃の山。右へと向けるとなぜか目を丸くしたお嬢ちゃんがいた。あれ、お嬢ちゃん?うそだろ本物?これこそ、予想外も予想外だった。
「…なんでいるんだ?」
「桃ならあるぞ」
質問は綺麗に華麗に無視された。俺はあれだけ答えてやってたのに、と恩を仇で返された気分になったが、これ以上声を出すのも億劫だったので頷くことで肯定した。
いつもの手袋を外した、白くて細っこい腕が顔の上を通って桃の山をひとつ崩す。ご丁寧に皿と包丁も用意されていて、ガラシャは意外と手際よく林檎の要領で桃を剥いていく。
白い腕を持つ少女は顔も白かった。白いというか、青白い。疲れているように見えたし、眠っていないようにも見えた。どこか具合でも悪いのだろうか、そういえば。孫市は眉間に皺を寄せる。こんなに喋らない彼女も珍しい。
「どうした。顔色が、悪い」
「……」
「お嬢ちゃん?」
「ひとの心配を」
剥き終えた桃と包丁を皿に置いて、ガラシャは視線を孫市に落とした。涙も落とした。しぼり出す声すら涙にぬれる。
「わ、わらわの心配をする前に、自分の心配をせよ」
「え」
「起きた途端、腹減ったって…何なのじゃ、どれだけ、心配したと…」
自分は一体どれほど眠っていたのだろう。
手が桃の汁でぬれているためぬぐうこともできず涙を流し続けるガラシャに、孫市は眩しいものを見るかのように目を細めた。
桃よりも、空腹の欲求は彼女がいれば満たされる気がするのだ。
動かない手が憎い、なんて。
^^^^^^^^^^^^^
「あなたが倒れたと聞いてあの子が行くと言って聞かないものですから一緒に来てみれば一向に目を覚まさないので塞ぎこんでしまって、目覚めたときに食べられるよう桃でも用意しておいたらどうですと言ったらその日からあなたがいつ起きても食べられるように桃を毎日用意するものだから、腐ってしまうと勿体無いのでその前に食べてしまおうとここ最近食後にはあの子の剥いた桃が出るようになってました。だけどそれでもあなたは一向に目を覚まさないので日に日に消沈してしまって見ている私も心苦しく、周りが雑賀殿は大丈夫かと言うと必ず大丈夫だと答えるのに不安になってくるのか私にだけは『父上、孫は大丈夫かのう』とたずねてきたりして嬉しくもありあの子が心配でもありいっそあなたをそこの川に流してしまおうかとも思いましたが…
ようやく目が覚めたのですね」
「………」
「どうかしましたか?」
「…アンタ、意外と親馬「そんなに川に流されたいなら今すぐ叶えてあげましょう」
腹が減るのは駄目だ。腹が減っては戦もできぬ、身体も動かぬ、女も抱けぬの三重苦。
「はら、へったな」
思わず出た声は寝起きにしては掠れていた。予想外だ。天井から左へと目を向けるとなぜか桃の山。右へと向けるとなぜか目を丸くしたお嬢ちゃんがいた。あれ、お嬢ちゃん?うそだろ本物?これこそ、予想外も予想外だった。
「…なんでいるんだ?」
「桃ならあるぞ」
質問は綺麗に華麗に無視された。俺はあれだけ答えてやってたのに、と恩を仇で返された気分になったが、これ以上声を出すのも億劫だったので頷くことで肯定した。
いつもの手袋を外した、白くて細っこい腕が顔の上を通って桃の山をひとつ崩す。ご丁寧に皿と包丁も用意されていて、ガラシャは意外と手際よく林檎の要領で桃を剥いていく。
白い腕を持つ少女は顔も白かった。白いというか、青白い。疲れているように見えたし、眠っていないようにも見えた。どこか具合でも悪いのだろうか、そういえば。孫市は眉間に皺を寄せる。こんなに喋らない彼女も珍しい。
「どうした。顔色が、悪い」
「……」
「お嬢ちゃん?」
「ひとの心配を」
剥き終えた桃と包丁を皿に置いて、ガラシャは視線を孫市に落とした。涙も落とした。しぼり出す声すら涙にぬれる。
「わ、わらわの心配をする前に、自分の心配をせよ」
「え」
「起きた途端、腹減ったって…何なのじゃ、どれだけ、心配したと…」
自分は一体どれほど眠っていたのだろう。
手が桃の汁でぬれているためぬぐうこともできず涙を流し続けるガラシャに、孫市は眩しいものを見るかのように目を細めた。
桃よりも、空腹の欲求は彼女がいれば満たされる気がするのだ。
動かない手が憎い、なんて。
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「あなたが倒れたと聞いてあの子が行くと言って聞かないものですから一緒に来てみれば一向に目を覚まさないので塞ぎこんでしまって、目覚めたときに食べられるよう桃でも用意しておいたらどうですと言ったらその日からあなたがいつ起きても食べられるように桃を毎日用意するものだから、腐ってしまうと勿体無いのでその前に食べてしまおうとここ最近食後にはあの子の剥いた桃が出るようになってました。だけどそれでもあなたは一向に目を覚まさないので日に日に消沈してしまって見ている私も心苦しく、周りが雑賀殿は大丈夫かと言うと必ず大丈夫だと答えるのに不安になってくるのか私にだけは『父上、孫は大丈夫かのう』とたずねてきたりして嬉しくもありあの子が心配でもありいっそあなたをそこの川に流してしまおうかとも思いましたが…
ようやく目が覚めたのですね」
「………」
「どうかしましたか?」
「…アンタ、意外と親馬「そんなに川に流されたいなら今すぐ叶えてあげましょう」
ガチャガチャ、と金属がぶつかる音がして、ガラシャは部屋の中を覗いた。
「…孫?」
「おう。お帰り」
「ただいまなのじゃ。銃の手入れをしておったのか」
「そ。いざというとき使いもんにならなかったら意味ねぇからな」
大事にしていると分かる手つきで銃を扱う。ガラシャは側に寄っていって、隣に腰を下ろした。孫市がちらりと見遣ったが、じっとしているだろうと見当をつけたのか、何も言わずに作業を続けた。
「父上も銃が得意であったのう…」
「へえ」
「こうして手入れしているのをたまに見ておってな。触ろうとして、危ないからと注意されたものじゃ」
「…どうりで大人しくしてるわけだ」
くっくっと孫市が笑うので、銃を置いたのを見計らって目の前の左腕をぺち、と叩いたら、「悪かったって」とあっさり降参された。
「お嬢ちゃんが家族の話するの、珍しいな」
「思い出したからかもしれぬ。孫のも聞かせよ」
きらきらした目で笑いかけられて、孫市も「いいぜ、誰の話がいい?」と、笑い返した。
「…孫?」
「おう。お帰り」
「ただいまなのじゃ。銃の手入れをしておったのか」
「そ。いざというとき使いもんにならなかったら意味ねぇからな」
大事にしていると分かる手つきで銃を扱う。ガラシャは側に寄っていって、隣に腰を下ろした。孫市がちらりと見遣ったが、じっとしているだろうと見当をつけたのか、何も言わずに作業を続けた。
「父上も銃が得意であったのう…」
「へえ」
「こうして手入れしているのをたまに見ておってな。触ろうとして、危ないからと注意されたものじゃ」
「…どうりで大人しくしてるわけだ」
くっくっと孫市が笑うので、銃を置いたのを見計らって目の前の左腕をぺち、と叩いたら、「悪かったって」とあっさり降参された。
「お嬢ちゃんが家族の話するの、珍しいな」
「思い出したからかもしれぬ。孫のも聞かせよ」
きらきらした目で笑いかけられて、孫市も「いいぜ、誰の話がいい?」と、笑い返した。
女の子が好きになるのは父親に似たひとらしいと聞いたのは幼い頃。母上の寝物語だった。
「ガラシャの好きになる人はどんな人かしら」
幼い、けれど自由に結婚できる身ではないと理解しているくらいには成長した少女に、それでも恋愛はしてほしいと思っていたのだろうか。尋ねられた問いの答えは決まっていた。
「父上みたいなひとなのじゃ」
「あなたの父上はどんな人?」
「やさしくて、たまにきびしいけど頭を撫でてくれて、母上一人を大事にするひと」
「まあ…言ったらあの人は泣くかしら」
「どうしてじゃ?」
「嬉しくて」
「じゃあ明日手紙に書いてみようかのう」
「待ちなさいガラシャ、やっぱり悲しくてお泣きになるかも」
「…どうしてじゃ?」
「あなたがお嫁に行く日を想像して」
女の子が好きになるのは父親に似たひとらしいと聞いたのは、そんな幼い頃。事実、その頃からガラシャの理想は大好きな父上だった。
なのにおかしいのう、と前を行く男を眺める。町娘に声をかけていた男は視線を感じたのか振り返った。
「どうしたお嬢ちゃん」
「…孫は、結婚しても浮気しそうじゃな」
孫市は大袈裟なまでに笑みを浮かべて首を振る。
「そんなことないぜ、確かに世の女性は俺のもんだが、奥さんは大事にするさ」
それがまことなら、その大事にされる人がわらわならいいのにと、ガラシャは思った。
「ガラシャの好きになる人はどんな人かしら」
幼い、けれど自由に結婚できる身ではないと理解しているくらいには成長した少女に、それでも恋愛はしてほしいと思っていたのだろうか。尋ねられた問いの答えは決まっていた。
「父上みたいなひとなのじゃ」
「あなたの父上はどんな人?」
「やさしくて、たまにきびしいけど頭を撫でてくれて、母上一人を大事にするひと」
「まあ…言ったらあの人は泣くかしら」
「どうしてじゃ?」
「嬉しくて」
「じゃあ明日手紙に書いてみようかのう」
「待ちなさいガラシャ、やっぱり悲しくてお泣きになるかも」
「…どうしてじゃ?」
「あなたがお嫁に行く日を想像して」
女の子が好きになるのは父親に似たひとらしいと聞いたのは、そんな幼い頃。事実、その頃からガラシャの理想は大好きな父上だった。
なのにおかしいのう、と前を行く男を眺める。町娘に声をかけていた男は視線を感じたのか振り返った。
「どうしたお嬢ちゃん」
「…孫は、結婚しても浮気しそうじゃな」
孫市は大袈裟なまでに笑みを浮かべて首を振る。
「そんなことないぜ、確かに世の女性は俺のもんだが、奥さんは大事にするさ」
それがまことなら、その大事にされる人がわらわならいいのにと、ガラシャは思った。
ふと、背後が静かになったことに気づいた。
後ろを見遣れば少女はくうくうと眠っていて、孫市は苦笑する。果たして自分は何刻ほど考え込んでいたのか、と。
参陣要請は織田軍と争っている一揆衆からだった。引き受けたからには任務を遂行しなければならないが、如何せん、現状が分からないときた。一刻も早く大坂に入って探らねぇと、と思考に耽っていたのだ。
孫市が策をめぐらせているとき、ガラシャは基本話しかけてこなかった。その場を離れるか、あるいは側にいてじっと黙っている。
賢い少女だと思う。手間の掛かる子どものくせに、こういうときは大人以上に聡いので孫市は調子が狂う。どう扱っていいのか分からなくなるときがあるのだ。
んん、とガラシャが身じろぎしたので孫市は思わず構えたが、ガラシャはそのまま寝返りを打っただけだった。その様子に詰めていた息をそっと吐き出す。
飯に誘おうと思っていたのに困ったな、と内心呟いた。なんとなく起こせないではないか。
畳の上をにじり寄って、こちらを向いて横になるガラシャを見下ろす。眠りから呼び覚ましても怒らないで、むしろ早く食べに行こうと喜ぶかもしれないが、孫市はそれをせずに息を殺してただ見つめていた。
迷うということを孫市はしないようにしている。それは傭兵であるためであったけれど、戦国乱世に生きる者はみな心がけているかもしれない。一瞬の判断が命を揺るがすことを、体が理解しているのだ。
だからこそ、ガラシャをどう、というか、大人と子どものどちらに扱うべきかが分からないとき、孫市は決まって後者を選んだ。
(あと少ししたら、起こしてやるか)
頬の白さも唇の赤さも全て無視して判断を下す。その一瞬を誤れば命が揺らぐのだけれど、実際は、もう揺らいでいるのかもしれなかった。
後ろを見遣れば少女はくうくうと眠っていて、孫市は苦笑する。果たして自分は何刻ほど考え込んでいたのか、と。
参陣要請は織田軍と争っている一揆衆からだった。引き受けたからには任務を遂行しなければならないが、如何せん、現状が分からないときた。一刻も早く大坂に入って探らねぇと、と思考に耽っていたのだ。
孫市が策をめぐらせているとき、ガラシャは基本話しかけてこなかった。その場を離れるか、あるいは側にいてじっと黙っている。
賢い少女だと思う。手間の掛かる子どものくせに、こういうときは大人以上に聡いので孫市は調子が狂う。どう扱っていいのか分からなくなるときがあるのだ。
んん、とガラシャが身じろぎしたので孫市は思わず構えたが、ガラシャはそのまま寝返りを打っただけだった。その様子に詰めていた息をそっと吐き出す。
飯に誘おうと思っていたのに困ったな、と内心呟いた。なんとなく起こせないではないか。
畳の上をにじり寄って、こちらを向いて横になるガラシャを見下ろす。眠りから呼び覚ましても怒らないで、むしろ早く食べに行こうと喜ぶかもしれないが、孫市はそれをせずに息を殺してただ見つめていた。
迷うということを孫市はしないようにしている。それは傭兵であるためであったけれど、戦国乱世に生きる者はみな心がけているかもしれない。一瞬の判断が命を揺るがすことを、体が理解しているのだ。
だからこそ、ガラシャをどう、というか、大人と子どものどちらに扱うべきかが分からないとき、孫市は決まって後者を選んだ。
(あと少ししたら、起こしてやるか)
頬の白さも唇の赤さも全て無視して判断を下す。その一瞬を誤れば命が揺らぐのだけれど、実際は、もう揺らいでいるのかもしれなかった。