with you
とにかく、彼女は頑固で意地っ張りなのだった。
ヴァッシュは、ため息をつきながら手にしたグラスの、半分溶けた氷をからからと揺らした。
「かっこわるー。女と喧嘩してやけ酒かいな」
あいている目の前のいすに腰掛けながら、ウルフウッドがちゃかすように声をかけてきた。
「別に。飲みたいから飲んでるんだよ」
「へーへー。そーゆーことにしといたろ」
言ったウルフウッドが、カウンターに向かって酒を頼む。ヴァッシュはグラスの中身をあおって、もう一杯、同じものを注文した。
もうかなり夜も更けているが、宿屋の食堂兼酒場はくだを巻く男や、相手をする女たちでにぎわっていた。
「にしても今日は派手にやったなあ。お前も何ムキになっとったんや? 笑って聞き流すんは得意技やないか」
頼んだグラスと酒瓶の到着を待って、ウルフウッドが口を開いた。
「別に」
先ほどより不機嫌な口調で、ヴァッシュは答える。
けっけっけ、と、得体の知れない笑い方をしたウルフウッドは、自分のグラスになみなみとついだウイスキーを一口すすった。
「ガキの喧嘩やあるまいし、とりあえずお前がおれたら丸く収まるで?」
「収めるだけなら簡単だけどさ」
ヴァッシュが頬杖をついて、アルコールくさいため息をついた。
「それじゃあだめなんだったら」
「……そもそも何が原因やったんや?」
ウルフウッドが何気なく首を傾げた瞬間、ばんっとテーブルを打ち鳴らしてヴァッシュがウルフウッドの方へ身を乗り出した。
「聞いてくれる? 聞いてくれよ! 聞くこと決定!」
「……おう」
しもた。
首つっこむんやなかったな、と、今更ながらウルフウッドは後悔したのだった。
とにかく彼は、ごまかすような作り笑顔であしらうのだ。
「何も先輩、あんな派手に喧嘩することなかったんじゃないですかあ?」
「……私だって、別にしたくてした訳じゃあ……」
シャワーで湿った髪をタオルで拭いながら、メリルはミリィの問いに困ったように答えた。
ミリィのお下がりである男物のシャツを一枚羽織っただけの姿で、彼女の割り当てである寝台に腰掛ける。
「でも珍しいですねえ。いつもは、ヴァッシュさん、言い返したりしないのに」
「そうですわね」
答えたメリルの声にとげとげしさがなかったので、ミリィは首を傾げた。タオルの隙間から見える口元には、笑みすら浮かんでいる。
「……先輩、喧嘩嬉しいんですか?」
「え!?」
メリルはあわてて口元を押さえた。
「……嬉しそうに見えまして?」
「ハイ」
こっくりとうなずくミリィ。
メリルはしばらく、困ったように押し黙っていた。頬が、ほんのりと染まっているのは、湯上がりのせいだけではあるまい。
「……だって、適当にあしらわれなかったんですもの……向かい合ってくれた証拠ですから……嬉しいの、かしら」
ミリィは微笑んだ。最近のメリルは、こんな風に、穏やかに笑うことが多くなった。
この任務に就くまでのメリルは、常に肩肘を張って、並み居る男性職員にも負けず劣らずの活躍をして……それを保つのに、また肩肘を張って。
「まるで、子どもですわね。気をひくために意地悪してるみたい」
苦笑混じりに呟く,その表情ですら柔らかかった。
ミリィはそれに笑顔を浮かべてから、立ち上がった。
「じゃ、私、のどかわいたんでホットミルクでももらってきますね」
「気をつけてね、きっと酔っぱらいの山でしてよこんな時間」
「はあい!」
元気に返事すると、ミリィは部屋の扉を背中で閉めた。
そのままドアに背中を預けて、ひとつため息をつく。よっこいしょ、とからだを起こすと、ミリィはてくてく歩き始めた。
「先輩も、ヴァッシュさんに、あーゆーふうに、笑って、あげれば、いいのに」
階段を下りながら、一歩ごとに区切りながら呟く。
「意地っ張りですねえ」
「……つまり、なんや具合の悪そうやった姉ちゃん気遣ったら突っぱねられたのが気にくわんと、そーゆーことやな?」
一通りヴァッシュの説明を聞き終えたウルフウッドは、5本目のタバコを灰皿に押しつけた。
「簡単に言うけどねえ! 平気です、何ともありません、はともかく、僕に心配されるいわれはないとか、人の心配してる暇があったら自分の心配しろとか、どーしてあの人は」
「とーぜんやろ」
ウルフウッドは新しいタバコに火をつけた。予想もしていないタイミングで話を遮られて、ヴァッシュは気がそがれたようにいすにもたれる。
「お姉ちゃんの立場からしたら、普通はそう思うやろ。お前が、なるべくならお姉ちゃんたちおいていきたい思てるんはバレバレなんやし、何か口実作るわけにいかんのやから」
今度はヴァッシュは黙り込んだ。
「そもそもやな、お姉ちゃんが頑固で意地っ張りなんはわかっとるんやから、気イ使いたいんやったらそれなりのやなあ」
「すごいです牧師さん! 先輩のことよっくわかってるんですねえ」
なにやら拍手とともに背後からした声に、ぎょっとしてウルフウッドが振り返る。
そこには、カップを片手に持ったまま、器用に拍手を続けるミリィが立っていた。
「……いつからおったん?」
ウルフウッドが多少ひきつって尋ねた。
カップを空いている席の前に置いて、ミリィはそこに腰掛ける。
「えっと、つまり、のあたりからです。原因、それだったんですねえ。先輩教えてくれなくって」
持参した、湯気の立ったカップを両手で包んで一口飲むと、ミリィはあち、と舌を出した。
「別に具合悪そうに見えなかったんですけど……どこかおかしかったですか?」
「……顔色は悪かったのに、手が熱かったから……」
ヴァッシュがぼそぼそ答える。
ミリィは首を傾げた。
「先輩、髪洗ってましたよ?」
「え? じゃあ、なんともないのかな」
ヴァッシュも首を傾げた。それなら、喧嘩する必要はなかったのに。
「か、無理してるかのどっちかやな」
ウルフウッドの突っ込みに、ヴァッシュとミリィの顔色が変わる。
あり得る……っ!
2人の顔にはありありとそう書かれていた。
しばらく、重苦しい沈黙があたりを支配した。
「……僕、ちょっと忘れ物」
言ってヴァッシュがそそくさと立ち去る。
その後ろ姿を見送りながら、ミリィはホットミルクをふうふう吹いてさましにかかった。
「……行かんでええんか?」
ミリィはにっこり微笑んだ。
「トマに蹴られて死ぬのはごめんです」
その答えに、ウルフウッドはカウンターにパンケーキを注文する。
「ひとつ疑問があるんやけどな」
6本目のタバコを灰皿に押しつけて、ウルフウッドは頬杖をついた。
「はい?」
「いつどこでなんのために、あいつ、お姉ちゃんの手なんか触ったんや?」
「……さあ?」
「保険屋さん? 起きてる?」
遠慮がちにドアをノックする音に、ぼうっと寝台に腰掛けていたメリルは、はじかれたように立ち上がった。
「起きてますわ、何か?」
「入っていいかな」
メリルは眉をひそめた。ミリィはいないし、すでに自分は寝間着姿だ。
「……どうぞ」
多少のためらいはあったが、メリルはそう答えた。
ひょっとして、昼間の件を気にして来たのだとしたら、ここで追い返すのは角が立つ。
メリルとしても、いつまでも怒っているわけにいかず、明日までこんな状態を持ち越したくはなかった。
ドアが開いて、ヴァッシュが顔を出す。
「……ごめん、もう眠るとこだった?」
「いえ、ミリィもまだですし……何かご用ですか?」
ドアを閉めて、こちらに歩いてくるヴァッシュに、メリルは問い返した。
ヴァッシュは無言のまま、右手の革手袋を外すと、そのてのひらをメリルの額にあてる。
「……!?」
突然の行動にしばらく突っ立っていたメリルが、我に返って後ずさったときには、ヴァッシュは顔をしかめていた。
「酒飲んでずっと手袋してた僕が熱いと思うんだから、結構高いよ、熱。……何で髪なんか洗ったの」
「べ、別に、何ともありませんったら」
メリルが、多少つっかえながらも反論する。
「それに髪ならもう乾いて……何で知ってるんですの?」
「君の相棒がね。乾いたらいいってもんでもないでしょ?」
少し険しい顔で、ヴァッシュはため息をついた。
「もうちょっと自分の身体いたわって……どうしてそう無理したがるかな」
「……したくてしてるわけではありませんわよ」
俯いたメリルが、低い声でそう呟く。
「無理しないと、あなたは私たちを放っていくじゃないですか」
痛いところをつかれて、ヴァッシュが黙り込む。それに気づかないまま、メリルは言葉を続けた。
「無理しないと、私、あなたに追いつけない……ついていけない。そのあなたが、私に、無理するなですって? ばかも休み休みいって下さい! 私が無理したいからしてるんです、余計な」
最後まで言わせずに、ヴァッシュはメリルの方へ手をのべて、その華奢な身体を抱き寄せた。小さな身体は、すっぽりと彼の胸の中に収まってしまう。
「……ヴァ、ヴァッシュさん……っ!?」
驚いたようにじたばたするメリルを抱き上げて、ヴァッシュは寝台に運んで、上掛けをめくった。そこにメリルを横たえて、上掛けをシッカリと押さえつける。
クロゼットから、余分においてある毛布も引っぱり出してきて、その上に掛けた。
呆気にとられたように自分を見上げているメリルの表情に、笑みが漏れる。
「暖かくして、眠って。薬は持ってる?」
「……もう、飲みましたから」
メリルの答えに、そう、とヴァッシュはうなずいた。
寝台の端に腰掛けて、頬にかかっている髪をそっと指で払ってやる。
「ついてくるなら、早く治さなくちゃ。君の相棒が戻ってくるまでいてあげるから、眠って」
安心させるように、にこ、と微笑みかける。とたんに、メリルが顔をしかめた。
「……ヴァッシュさんっていつもそう」
「え?」
だいぶ冷えたてのひらをメリルの額にあてながら、ヴァッシュは不思議そうに問い返した。
「そうやって、人を安心させようとして笑うでしょう? お心遣いは嬉しいんですけど」
言葉を区切ったメリルが、瞳を閉じる。
「でも、どこか痛いんですの……私が見たいのは、そんな笑顔じゃ、なくて……」
薬が効いてきているのか、眠たげに言葉を紡ぐ。
「そんな顔を、させたいんじゃなくて……」
メリルは、そのまま眠りについた。落ち着いた寝息が、静かな部屋にリズムを打つ。
しばらくヴァッシュはその寝顔を見つめていた。
微笑みが、浮かぶ。作ったものではなく、自然に。
意地っ張りで、頑固者で、でも誰より優しい人。
その優しさを表現する術を持たなくて、空回りしてしまう人。
ごめんね、と口の中で呟いて、そして気づく。この言葉じゃ、またきっと彼女は怒る。
「……ありがとう」
熱っぽい額に、唇を落とす。
ヴァッシュは、そっと髪を撫でてから、部屋の灯りを落とした。
とにかく、彼女は頑固で意地っ張りなのだった。
ヴァッシュは、ため息をつきながら手にしたグラスの、半分溶けた氷をからからと揺らした。
「かっこわるー。女と喧嘩してやけ酒かいな」
あいている目の前のいすに腰掛けながら、ウルフウッドがちゃかすように声をかけてきた。
「別に。飲みたいから飲んでるんだよ」
「へーへー。そーゆーことにしといたろ」
言ったウルフウッドが、カウンターに向かって酒を頼む。ヴァッシュはグラスの中身をあおって、もう一杯、同じものを注文した。
もうかなり夜も更けているが、宿屋の食堂兼酒場はくだを巻く男や、相手をする女たちでにぎわっていた。
「にしても今日は派手にやったなあ。お前も何ムキになっとったんや? 笑って聞き流すんは得意技やないか」
頼んだグラスと酒瓶の到着を待って、ウルフウッドが口を開いた。
「別に」
先ほどより不機嫌な口調で、ヴァッシュは答える。
けっけっけ、と、得体の知れない笑い方をしたウルフウッドは、自分のグラスになみなみとついだウイスキーを一口すすった。
「ガキの喧嘩やあるまいし、とりあえずお前がおれたら丸く収まるで?」
「収めるだけなら簡単だけどさ」
ヴァッシュが頬杖をついて、アルコールくさいため息をついた。
「それじゃあだめなんだったら」
「……そもそも何が原因やったんや?」
ウルフウッドが何気なく首を傾げた瞬間、ばんっとテーブルを打ち鳴らしてヴァッシュがウルフウッドの方へ身を乗り出した。
「聞いてくれる? 聞いてくれよ! 聞くこと決定!」
「……おう」
しもた。
首つっこむんやなかったな、と、今更ながらウルフウッドは後悔したのだった。
とにかく彼は、ごまかすような作り笑顔であしらうのだ。
「何も先輩、あんな派手に喧嘩することなかったんじゃないですかあ?」
「……私だって、別にしたくてした訳じゃあ……」
シャワーで湿った髪をタオルで拭いながら、メリルはミリィの問いに困ったように答えた。
ミリィのお下がりである男物のシャツを一枚羽織っただけの姿で、彼女の割り当てである寝台に腰掛ける。
「でも珍しいですねえ。いつもは、ヴァッシュさん、言い返したりしないのに」
「そうですわね」
答えたメリルの声にとげとげしさがなかったので、ミリィは首を傾げた。タオルの隙間から見える口元には、笑みすら浮かんでいる。
「……先輩、喧嘩嬉しいんですか?」
「え!?」
メリルはあわてて口元を押さえた。
「……嬉しそうに見えまして?」
「ハイ」
こっくりとうなずくミリィ。
メリルはしばらく、困ったように押し黙っていた。頬が、ほんのりと染まっているのは、湯上がりのせいだけではあるまい。
「……だって、適当にあしらわれなかったんですもの……向かい合ってくれた証拠ですから……嬉しいの、かしら」
ミリィは微笑んだ。最近のメリルは、こんな風に、穏やかに笑うことが多くなった。
この任務に就くまでのメリルは、常に肩肘を張って、並み居る男性職員にも負けず劣らずの活躍をして……それを保つのに、また肩肘を張って。
「まるで、子どもですわね。気をひくために意地悪してるみたい」
苦笑混じりに呟く,その表情ですら柔らかかった。
ミリィはそれに笑顔を浮かべてから、立ち上がった。
「じゃ、私、のどかわいたんでホットミルクでももらってきますね」
「気をつけてね、きっと酔っぱらいの山でしてよこんな時間」
「はあい!」
元気に返事すると、ミリィは部屋の扉を背中で閉めた。
そのままドアに背中を預けて、ひとつため息をつく。よっこいしょ、とからだを起こすと、ミリィはてくてく歩き始めた。
「先輩も、ヴァッシュさんに、あーゆーふうに、笑って、あげれば、いいのに」
階段を下りながら、一歩ごとに区切りながら呟く。
「意地っ張りですねえ」
「……つまり、なんや具合の悪そうやった姉ちゃん気遣ったら突っぱねられたのが気にくわんと、そーゆーことやな?」
一通りヴァッシュの説明を聞き終えたウルフウッドは、5本目のタバコを灰皿に押しつけた。
「簡単に言うけどねえ! 平気です、何ともありません、はともかく、僕に心配されるいわれはないとか、人の心配してる暇があったら自分の心配しろとか、どーしてあの人は」
「とーぜんやろ」
ウルフウッドは新しいタバコに火をつけた。予想もしていないタイミングで話を遮られて、ヴァッシュは気がそがれたようにいすにもたれる。
「お姉ちゃんの立場からしたら、普通はそう思うやろ。お前が、なるべくならお姉ちゃんたちおいていきたい思てるんはバレバレなんやし、何か口実作るわけにいかんのやから」
今度はヴァッシュは黙り込んだ。
「そもそもやな、お姉ちゃんが頑固で意地っ張りなんはわかっとるんやから、気イ使いたいんやったらそれなりのやなあ」
「すごいです牧師さん! 先輩のことよっくわかってるんですねえ」
なにやら拍手とともに背後からした声に、ぎょっとしてウルフウッドが振り返る。
そこには、カップを片手に持ったまま、器用に拍手を続けるミリィが立っていた。
「……いつからおったん?」
ウルフウッドが多少ひきつって尋ねた。
カップを空いている席の前に置いて、ミリィはそこに腰掛ける。
「えっと、つまり、のあたりからです。原因、それだったんですねえ。先輩教えてくれなくって」
持参した、湯気の立ったカップを両手で包んで一口飲むと、ミリィはあち、と舌を出した。
「別に具合悪そうに見えなかったんですけど……どこかおかしかったですか?」
「……顔色は悪かったのに、手が熱かったから……」
ヴァッシュがぼそぼそ答える。
ミリィは首を傾げた。
「先輩、髪洗ってましたよ?」
「え? じゃあ、なんともないのかな」
ヴァッシュも首を傾げた。それなら、喧嘩する必要はなかったのに。
「か、無理してるかのどっちかやな」
ウルフウッドの突っ込みに、ヴァッシュとミリィの顔色が変わる。
あり得る……っ!
2人の顔にはありありとそう書かれていた。
しばらく、重苦しい沈黙があたりを支配した。
「……僕、ちょっと忘れ物」
言ってヴァッシュがそそくさと立ち去る。
その後ろ姿を見送りながら、ミリィはホットミルクをふうふう吹いてさましにかかった。
「……行かんでええんか?」
ミリィはにっこり微笑んだ。
「トマに蹴られて死ぬのはごめんです」
その答えに、ウルフウッドはカウンターにパンケーキを注文する。
「ひとつ疑問があるんやけどな」
6本目のタバコを灰皿に押しつけて、ウルフウッドは頬杖をついた。
「はい?」
「いつどこでなんのために、あいつ、お姉ちゃんの手なんか触ったんや?」
「……さあ?」
「保険屋さん? 起きてる?」
遠慮がちにドアをノックする音に、ぼうっと寝台に腰掛けていたメリルは、はじかれたように立ち上がった。
「起きてますわ、何か?」
「入っていいかな」
メリルは眉をひそめた。ミリィはいないし、すでに自分は寝間着姿だ。
「……どうぞ」
多少のためらいはあったが、メリルはそう答えた。
ひょっとして、昼間の件を気にして来たのだとしたら、ここで追い返すのは角が立つ。
メリルとしても、いつまでも怒っているわけにいかず、明日までこんな状態を持ち越したくはなかった。
ドアが開いて、ヴァッシュが顔を出す。
「……ごめん、もう眠るとこだった?」
「いえ、ミリィもまだですし……何かご用ですか?」
ドアを閉めて、こちらに歩いてくるヴァッシュに、メリルは問い返した。
ヴァッシュは無言のまま、右手の革手袋を外すと、そのてのひらをメリルの額にあてる。
「……!?」
突然の行動にしばらく突っ立っていたメリルが、我に返って後ずさったときには、ヴァッシュは顔をしかめていた。
「酒飲んでずっと手袋してた僕が熱いと思うんだから、結構高いよ、熱。……何で髪なんか洗ったの」
「べ、別に、何ともありませんったら」
メリルが、多少つっかえながらも反論する。
「それに髪ならもう乾いて……何で知ってるんですの?」
「君の相棒がね。乾いたらいいってもんでもないでしょ?」
少し険しい顔で、ヴァッシュはため息をついた。
「もうちょっと自分の身体いたわって……どうしてそう無理したがるかな」
「……したくてしてるわけではありませんわよ」
俯いたメリルが、低い声でそう呟く。
「無理しないと、あなたは私たちを放っていくじゃないですか」
痛いところをつかれて、ヴァッシュが黙り込む。それに気づかないまま、メリルは言葉を続けた。
「無理しないと、私、あなたに追いつけない……ついていけない。そのあなたが、私に、無理するなですって? ばかも休み休みいって下さい! 私が無理したいからしてるんです、余計な」
最後まで言わせずに、ヴァッシュはメリルの方へ手をのべて、その華奢な身体を抱き寄せた。小さな身体は、すっぽりと彼の胸の中に収まってしまう。
「……ヴァ、ヴァッシュさん……っ!?」
驚いたようにじたばたするメリルを抱き上げて、ヴァッシュは寝台に運んで、上掛けをめくった。そこにメリルを横たえて、上掛けをシッカリと押さえつける。
クロゼットから、余分においてある毛布も引っぱり出してきて、その上に掛けた。
呆気にとられたように自分を見上げているメリルの表情に、笑みが漏れる。
「暖かくして、眠って。薬は持ってる?」
「……もう、飲みましたから」
メリルの答えに、そう、とヴァッシュはうなずいた。
寝台の端に腰掛けて、頬にかかっている髪をそっと指で払ってやる。
「ついてくるなら、早く治さなくちゃ。君の相棒が戻ってくるまでいてあげるから、眠って」
安心させるように、にこ、と微笑みかける。とたんに、メリルが顔をしかめた。
「……ヴァッシュさんっていつもそう」
「え?」
だいぶ冷えたてのひらをメリルの額にあてながら、ヴァッシュは不思議そうに問い返した。
「そうやって、人を安心させようとして笑うでしょう? お心遣いは嬉しいんですけど」
言葉を区切ったメリルが、瞳を閉じる。
「でも、どこか痛いんですの……私が見たいのは、そんな笑顔じゃ、なくて……」
薬が効いてきているのか、眠たげに言葉を紡ぐ。
「そんな顔を、させたいんじゃなくて……」
メリルは、そのまま眠りについた。落ち着いた寝息が、静かな部屋にリズムを打つ。
しばらくヴァッシュはその寝顔を見つめていた。
微笑みが、浮かぶ。作ったものではなく、自然に。
意地っ張りで、頑固者で、でも誰より優しい人。
その優しさを表現する術を持たなくて、空回りしてしまう人。
ごめんね、と口の中で呟いて、そして気づく。この言葉じゃ、またきっと彼女は怒る。
「……ありがとう」
熱っぽい額に、唇を落とす。
ヴァッシュは、そっと髪を撫でてから、部屋の灯りを落とした。
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