Sweet Bitter Candy
彼の暮らす洋館にその若夫婦が来たのは、木々の色づき始めた季節だった。
男のほうは見覚えがある。彼はこの男を小さいときからよく知っていた。まだ幼かった彼がこの洋館に来たときの先客がこの男だった。
「やあ、ナイブズ、久しぶり。オレのこと覚えてる?」
(忘れてやれば良かった……)
彼はあまり思い出したくはなかったのだが、しょうがなく肯定した。やたらと物覚えが良いのも困りものだ。
”ナイブズ”という名は、ここに来たときにこの洋館の主人である女性がつけたものだ。『百万もの刃のように精悍に』という意味がこめられている。
(ヴァッシュ、お前も相変わらず脳天気そうだな)
ナイブズは鷹揚に頷く。しかし彼の目は兄弟同然に育ったヴァッシュのかげにたたずむ女性に向けられていた。
小柄で黒髪を短くした、初めて見る顔に警戒心が起こる。しかし相手に敵意はなさそうだ。
じっと向けられる視線に怯えて、女性はヴァッシュの陰に隠れるように寄り添ったが、ヴァッシュは逆に彼女を前に押し出した。
「ナイブズ、このひとはメリル。ぼくの、奥さんだ」
最後の『奥さん』という一言に照れが混じる。まだ結婚したばかりのはずだから、きっと呼び慣れていないのだろう。
「ちゃんと顔覚えててね。家族なんだから、追い返したりしちゃ駄目だぞ」
(「だぞ」、だとう……?)
その言いぐさに少しむっとしたナイブズだったが、
「はじめまして、ナイブズさん。メリルです。よろしくお願いしますわ」
彼女が丁寧な挨拶をしてくれたので、気を取り直して少しずつ近寄ってみた。
無表情な彼に硬直しているメリルのまわりを一周する。個体識別にはこれが一番なのだ。
「大丈夫だよ。ナイブズは気難しいけどいいヤツだから」
(「ヤツ」、だとう……?)
ますますヴァッシュに対して敵意をつのらせるナイブズだった。
彼はヴァッシュを無視することに決めて、関心をメリル一人に向ける。
「あら、ナイブズさん、ありがとう」
何かに気づいてメリルがかがむ。目線の高さを彼と同じにしてにっこりと微笑んだ。
「あーーーーッ! ナイブズったら短いくせに尻尾振ってやがる! オレには一度もやらなかったくせに!!」
「この子、ドーベルマンですわよね。よかったわ私を認めてくださって」
「こいつ、今までレムにしか振んなかったくせにー!やっぱオンナのほうがいいのか?」
ヴァッシュは大人気なく地団駄を踏んでいる。自分よりメリルを選んだのがよほど悔しいのだろう。
(当たり前だ。お前なんかよりもこの女のほうが礼儀を知っている)
横目でヴァッシュを見遣り、ナイブズはこれ見よがしにメリルになつき始めた。
「ヴァッシュさんたら、落ち付いてくださいな。こんなにおとなしい、いい子なのに」
「キミはだまされてるよ…。コイツ、なんであからさまになつくんだよ」
差し出された鼻筋をなでていたメリルはこの二人(一人と一頭)の確執を知らない。
「と、とりあえず、レムのところに行こう。ほらナイブズ、離れた離れた」
「そうですわね。ではナイブズさん失礼します」
そう言ってメリルが立ちあがろうとした時、ナイブズは行動した。
「あっ!!」
「きゃっ?」
彼はメリルの顔に鼻を押しつけ……
「なっ、ななな舐めたなーーーーーー! お前、メリルの、口、舐めたぁ!!」
(ほんの挨拶だ)
犬は親愛の情を示すとき、相手の口元を舐める。ナイブズはその本能に従っただけだったのだが、ヴァッシュにしてみれば気が気ではない。
「ちきしょーーーーーー! 負けるもんか!」
訳のわからない捨て台詞と共にメリルを引っ張って家の中に入ってしまった。
じっとそれを見送っていたナイブズだったが、そろそろ自分の夕食の時間が迫っている。二人を追って我が家へと向かった。
メリルをはさんだこの奇妙な三角関係は、若夫婦が新居に移るまでの二ヶ月間、毎日続いたのであった。
彼の暮らす洋館にその若夫婦が来たのは、木々の色づき始めた季節だった。
男のほうは見覚えがある。彼はこの男を小さいときからよく知っていた。まだ幼かった彼がこの洋館に来たときの先客がこの男だった。
「やあ、ナイブズ、久しぶり。オレのこと覚えてる?」
(忘れてやれば良かった……)
彼はあまり思い出したくはなかったのだが、しょうがなく肯定した。やたらと物覚えが良いのも困りものだ。
”ナイブズ”という名は、ここに来たときにこの洋館の主人である女性がつけたものだ。『百万もの刃のように精悍に』という意味がこめられている。
(ヴァッシュ、お前も相変わらず脳天気そうだな)
ナイブズは鷹揚に頷く。しかし彼の目は兄弟同然に育ったヴァッシュのかげにたたずむ女性に向けられていた。
小柄で黒髪を短くした、初めて見る顔に警戒心が起こる。しかし相手に敵意はなさそうだ。
じっと向けられる視線に怯えて、女性はヴァッシュの陰に隠れるように寄り添ったが、ヴァッシュは逆に彼女を前に押し出した。
「ナイブズ、このひとはメリル。ぼくの、奥さんだ」
最後の『奥さん』という一言に照れが混じる。まだ結婚したばかりのはずだから、きっと呼び慣れていないのだろう。
「ちゃんと顔覚えててね。家族なんだから、追い返したりしちゃ駄目だぞ」
(「だぞ」、だとう……?)
その言いぐさに少しむっとしたナイブズだったが、
「はじめまして、ナイブズさん。メリルです。よろしくお願いしますわ」
彼女が丁寧な挨拶をしてくれたので、気を取り直して少しずつ近寄ってみた。
無表情な彼に硬直しているメリルのまわりを一周する。個体識別にはこれが一番なのだ。
「大丈夫だよ。ナイブズは気難しいけどいいヤツだから」
(「ヤツ」、だとう……?)
ますますヴァッシュに対して敵意をつのらせるナイブズだった。
彼はヴァッシュを無視することに決めて、関心をメリル一人に向ける。
「あら、ナイブズさん、ありがとう」
何かに気づいてメリルがかがむ。目線の高さを彼と同じにしてにっこりと微笑んだ。
「あーーーーッ! ナイブズったら短いくせに尻尾振ってやがる! オレには一度もやらなかったくせに!!」
「この子、ドーベルマンですわよね。よかったわ私を認めてくださって」
「こいつ、今までレムにしか振んなかったくせにー!やっぱオンナのほうがいいのか?」
ヴァッシュは大人気なく地団駄を踏んでいる。自分よりメリルを選んだのがよほど悔しいのだろう。
(当たり前だ。お前なんかよりもこの女のほうが礼儀を知っている)
横目でヴァッシュを見遣り、ナイブズはこれ見よがしにメリルになつき始めた。
「ヴァッシュさんたら、落ち付いてくださいな。こんなにおとなしい、いい子なのに」
「キミはだまされてるよ…。コイツ、なんであからさまになつくんだよ」
差し出された鼻筋をなでていたメリルはこの二人(一人と一頭)の確執を知らない。
「と、とりあえず、レムのところに行こう。ほらナイブズ、離れた離れた」
「そうですわね。ではナイブズさん失礼します」
そう言ってメリルが立ちあがろうとした時、ナイブズは行動した。
「あっ!!」
「きゃっ?」
彼はメリルの顔に鼻を押しつけ……
「なっ、ななな舐めたなーーーーーー! お前、メリルの、口、舐めたぁ!!」
(ほんの挨拶だ)
犬は親愛の情を示すとき、相手の口元を舐める。ナイブズはその本能に従っただけだったのだが、ヴァッシュにしてみれば気が気ではない。
「ちきしょーーーーーー! 負けるもんか!」
訳のわからない捨て台詞と共にメリルを引っ張って家の中に入ってしまった。
じっとそれを見送っていたナイブズだったが、そろそろ自分の夕食の時間が迫っている。二人を追って我が家へと向かった。
メリルをはさんだこの奇妙な三角関係は、若夫婦が新居に移るまでの二ヶ月間、毎日続いたのであった。
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