modern lovers
その町を上空から見ると、廃屋と化した小さな教会を中心に新旧二つの町がちょうど集合の図形のように重なっているのがわかるに違いない。
かつてここにはふたつの勢力があった。先にここに定住し町を作った家と、外から流れ着いて力をつけた家と。彼らは長い間抗争を繰り返し、そして若い勢力のほうが生き残った、ここはそんな町だった。
旅人からは新しい家並みしか目に入らず、その先にあるはずの教会も鐘楼は半ば崩れ落ちて近くまで行かないとその使用目的すら判別できない。更に奥にあるのはゴーストタウンとしか呼べない廃墟だ。住人たちももう今ではそこに人が住んでいたことすら覚えてはいない。
彼らが旅の途中で立ち寄ったそここは、ちょっと大きな屋敷(ここの実力者ものものだ)と、その恩恵にあずかろうという人々の家で構成されていた。
町唯一の宿屋兼酒場には、雛にはまれな美人の歌姫がいた。
よくある話だ。その歌姫が旅人に声をかける。
「お願い、この町から連れ出して」
この場合、旅人がどういう反応をしようが、大抵は彼女のパトロンである実力者の反感を買うものである。彼は当然、プライドをかけて旅人の排除にかかる。
問題は歌姫ヘルヴァの目に止まった旅人というのが、――たとえ傍からそうは見えなくても――伝説の賞金首だった点にある。そして、町の住民全てが実力者ナイアルのファミリーだったことも。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードと関わる以上、全ての人に災いは降りかかる。それは道連れの他の三人も同様だ。彼と共にいる人間が幾ら無関係を主張しても、その意見が無駄になるのは判りきっているのだ。
かくして四人対住民の追いかけっこが始まった。のどかな声の「こんなのどっかの町でもありましたよねー」と言う発言に誰も何の意見も出せないほど慌しく。
土地鑑のない自分達に対し、地元民の相手ではあまりにも数が多い。追っ手から逃れるためにくじ引きで二手に分かれた。
そして。
「まさか町全体が一味だったとは、思っても見ませんでしたわね」
走りこんだ廃屋の壁にもたれて、息を整える。背後を数人の足跡が遠ざかっていった。
どうやら相手を撒くことには成功したらしい。メリルと同じく外を窺っていた黒衣の男もようやく緊張を解いた。
「まったくや。しかもあのダァホ、反撃せんと『逃げろ』言いよる」
心から残念がっているその様子におかしくなって、彼女はちょっとした意地悪を言ってみたくなった。
「ほんと、残念でしたわね。お相手が私で」
薄暗がりの中でもわかるほど、男はぎょっとしてこちらを向いた。
「バレとったんか!」
あの時戦力のバランスを取るために男女のペアに別れようと言い出したのは、確かに最初「逃げる」と言い出した男だった。それを受けてこの牧師がくじを作ったのだが……。
「……やっぱりね。あんなの作るのに妙に時間がかかるとは思ってましたわ。大方ミリイと……」
「っだーっちゃうちゃう! そんなっ、どっかにしけ込もうなんて、思っとらん!」
大慌てで否定したのが、かえって図星だったのを知らしめている。女は声を殺して爆笑するのに苦労した。
彼女の連れと、このウルフウッドは非常に仲が良い。それが本当に愛だの恋だのと呼べるものなのかについてはまだ決まったわけではないらしい。
少なくとも男のほうは『そういうこと』に長けているようなのだが、何しろ、
「あの子、ぼけぼけですからねぇ……」
頬に手を当てて、ふうとため息をひとつ。つられてウルフウッドもしゃがんだままはあぁぁと長い息を吐く。
「……そおやねえ……あそこまであっけらかんとされると、なんやこっちがほんま、キッタナイ大人なんやなぁって思い知らされるわ」
その言葉につい声が弾むメリルだった。
「まあ、その気はおありなんですのね。それでしたらあーゆータイプは真っ向勝負が基本ですわよ」
「おいおい嬢ちゃんー何なんやそらー」
そうやってしばらく情けない男の声に面白がっていたのだが、やはり女として、ミリイの先輩として言っておかなければいけない言葉もある。
「でも、もし泣かせたら承知しませんからね。よろしくて?」
最前とは打って変わって真剣な物言いである。
自分の持つ大きな十字架にそんな小さい銃なんかでは到底かなわないだろうに。ウルフウッドはくすりと笑った。あの娘は本当に大事にされている。
「あんた、そそのかしとんのか止めとんのかどっちやねん。ま、ええわ。ワイかてふざけとるつもりはあらへん。そのうち、な。全ては神のお導きや」
男はよっこいしょと身を起こし、外の様子を再び窺った。危機はまだ完全には過ぎ去っていないのだ。
そんな姿をメリルは眺めていた。どこまで本気なのか相変わらず読めない。
読めないといえば。もう一人、他人に本心を読ませない男がいる。此処にはいない、もうひとり……。
メリルのそんな思いに気付いたのか、殊更に明るい声が言った。
「そういえば、あっちはどうなっとんやろなぁ。なあ嬢ちゃん、ほんとはあんたも組み合わせが逆やったら良かったんと違うか?」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている。さっきの意趣返しのつもりか。
こうなるとこの男は格段と楽しそうになる。揚げ足を取られないようにしなければならない。
「わ、私では足手まといになってしまいますもの。それに、スタンガンなら必要以上には相手を傷つけませんし……」
手元の小銃に目がいってしまう。男も同じものを見ているらしかった。
「せやなぁ。あのバカでっかさで必要以上ってのは無理があるが、それでもトンガリも余計な目くじらたてんでええやろ。ただなあ……」
「ただ?」
「あの二人で建設的に会話ができるんかなあ? ボケが二人おってもなぁんにもならへんやろ。せやから組み合わせが逆や言うたんや。間違うとるか?」
熱弁を振るっているのがおかしかった。これはこれでこの男なりの慰め方かもしれない。
人間台風の不器用な生き方に対してやりきれない思いを抱いているのはこの男も同じなのだから。
しかし、また話題が元に戻ってしまうのはメリルにとっては不利以外の何ものでもない。案の定、
「それで? ヤツとはどうなんだ?」
「どうって……」
急に『どう』もへったくれもない。まだ、何もはじまってすらいないのだから、改めて訊かれても困ってしまう。黙り込んでしまったメリルに男は続けた。
「おおかた、目的をもって旅をしているヤツに余計なことを言って邪魔にされるんが怖いんやろ? せやなあ、まぁた置いてきぼりはいややもんなあ」
「何でそんなことあなたに言われなくちゃならないんですか? あなただっていざとなれば置いていかれるかも知れないんですのよ。私だってこれが仕事でなければ」
「なければ何やの。シゴトシゴト、ほんまご苦労なこっちゃ。あんた、仕事いう理由がなけりゃなぁんも動けへんな……ってこら、泣くな」
「泣いてません!」
まさに涙を堪えていたまま男をにらむ。いちいち言うことが当たっているだけに悔しい。しかしその悔しさの本当の原因が一体なんなのか自分でもわかっていないということに少し混乱したままでいると、さすがに言い過ぎたのか、ウルフウッドの声の調子が優しくなった。
「すまんかったな。ワイもこお、イラついとんのかな、言い方きつくなってしもて。アホなこと言うて悪かった」
窓の外は昼間の太陽がふたつ、容赦なく照り付けている。すでに半日以上逃げ回っていることになる。
合流地点ではもう二人は先にたどり着いているのだろうか。そこでは戦闘は行われているのだろうか。……あの人はまた無茶をして傷を負ってはいないだろうか。メリルの心に浮かぶのはそんなことばかりだ。
「あんたらまるで、お月さんみたいやな」
ふと、ウルフウッドが言った。
「誰かの回りぐるぐる回っとんねん。それが近すぎると重力に負けて落っこってしまうし、離れると遠心力で宇宙に飛ばされてしまう。丁度いいバランスで距離を保っていな、あかんねん」
そう言いながら顔を窓のほうからこちらに向ける。逆光になってその表情は窺えない。
「あんたら二人ともそんな感じや。お互い他人に気イ遣ってばかりやから、かえって肝心なとこで誰もそばに寄りつけへん。――ああ、二人ともそんなんやから、月ゆうよりも、あのふたつの太陽やね」
牧師に釣られてメリルも天井の向こうにあるはずの空を見上げた。確かに互いの重力に囚われている二重の太陽は自分達の姿に似つかわしい。下手に近づいて破滅を呼ぶよりも、安全を保つために必要な今の二人のポジションなのだろう。
男の言うことは少し癪に障るが、気分転換にはなる。大きく息を吸って、さっきまでのいやな気持ちと共に吐き出した。
「そうですわね、なるようになる、ですわ。別に急ぐこともありませんし」
「せやな。よっしゃ、行くで。走れるか?」
「はい! いつでもどうぞ。あ、ところで」
戸口で外の様子を窺っていた男に声をかけると、目を外に向けたまま「なんや」と応えた。そしてメリルはささやかな反撃を試みる。
――私だって心配なんですもの
「あなたの場合は、すこおし急いだほうがよろしいかもしれませんわよ」
その町を上空から見ると、廃屋と化した小さな教会を中心に新旧二つの町がちょうど集合の図形のように重なっているのがわかるに違いない。
かつてここにはふたつの勢力があった。先にここに定住し町を作った家と、外から流れ着いて力をつけた家と。彼らは長い間抗争を繰り返し、そして若い勢力のほうが生き残った、ここはそんな町だった。
旅人からは新しい家並みしか目に入らず、その先にあるはずの教会も鐘楼は半ば崩れ落ちて近くまで行かないとその使用目的すら判別できない。更に奥にあるのはゴーストタウンとしか呼べない廃墟だ。住人たちももう今ではそこに人が住んでいたことすら覚えてはいない。
彼らが旅の途中で立ち寄ったそここは、ちょっと大きな屋敷(ここの実力者ものものだ)と、その恩恵にあずかろうという人々の家で構成されていた。
町唯一の宿屋兼酒場には、雛にはまれな美人の歌姫がいた。
よくある話だ。その歌姫が旅人に声をかける。
「お願い、この町から連れ出して」
この場合、旅人がどういう反応をしようが、大抵は彼女のパトロンである実力者の反感を買うものである。彼は当然、プライドをかけて旅人の排除にかかる。
問題は歌姫ヘルヴァの目に止まった旅人というのが、――たとえ傍からそうは見えなくても――伝説の賞金首だった点にある。そして、町の住民全てが実力者ナイアルのファミリーだったことも。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードと関わる以上、全ての人に災いは降りかかる。それは道連れの他の三人も同様だ。彼と共にいる人間が幾ら無関係を主張しても、その意見が無駄になるのは判りきっているのだ。
かくして四人対住民の追いかけっこが始まった。のどかな声の「こんなのどっかの町でもありましたよねー」と言う発言に誰も何の意見も出せないほど慌しく。
土地鑑のない自分達に対し、地元民の相手ではあまりにも数が多い。追っ手から逃れるためにくじ引きで二手に分かれた。
そして。
「まさか町全体が一味だったとは、思っても見ませんでしたわね」
走りこんだ廃屋の壁にもたれて、息を整える。背後を数人の足跡が遠ざかっていった。
どうやら相手を撒くことには成功したらしい。メリルと同じく外を窺っていた黒衣の男もようやく緊張を解いた。
「まったくや。しかもあのダァホ、反撃せんと『逃げろ』言いよる」
心から残念がっているその様子におかしくなって、彼女はちょっとした意地悪を言ってみたくなった。
「ほんと、残念でしたわね。お相手が私で」
薄暗がりの中でもわかるほど、男はぎょっとしてこちらを向いた。
「バレとったんか!」
あの時戦力のバランスを取るために男女のペアに別れようと言い出したのは、確かに最初「逃げる」と言い出した男だった。それを受けてこの牧師がくじを作ったのだが……。
「……やっぱりね。あんなの作るのに妙に時間がかかるとは思ってましたわ。大方ミリイと……」
「っだーっちゃうちゃう! そんなっ、どっかにしけ込もうなんて、思っとらん!」
大慌てで否定したのが、かえって図星だったのを知らしめている。女は声を殺して爆笑するのに苦労した。
彼女の連れと、このウルフウッドは非常に仲が良い。それが本当に愛だの恋だのと呼べるものなのかについてはまだ決まったわけではないらしい。
少なくとも男のほうは『そういうこと』に長けているようなのだが、何しろ、
「あの子、ぼけぼけですからねぇ……」
頬に手を当てて、ふうとため息をひとつ。つられてウルフウッドもしゃがんだままはあぁぁと長い息を吐く。
「……そおやねえ……あそこまであっけらかんとされると、なんやこっちがほんま、キッタナイ大人なんやなぁって思い知らされるわ」
その言葉につい声が弾むメリルだった。
「まあ、その気はおありなんですのね。それでしたらあーゆータイプは真っ向勝負が基本ですわよ」
「おいおい嬢ちゃんー何なんやそらー」
そうやってしばらく情けない男の声に面白がっていたのだが、やはり女として、ミリイの先輩として言っておかなければいけない言葉もある。
「でも、もし泣かせたら承知しませんからね。よろしくて?」
最前とは打って変わって真剣な物言いである。
自分の持つ大きな十字架にそんな小さい銃なんかでは到底かなわないだろうに。ウルフウッドはくすりと笑った。あの娘は本当に大事にされている。
「あんた、そそのかしとんのか止めとんのかどっちやねん。ま、ええわ。ワイかてふざけとるつもりはあらへん。そのうち、な。全ては神のお導きや」
男はよっこいしょと身を起こし、外の様子を再び窺った。危機はまだ完全には過ぎ去っていないのだ。
そんな姿をメリルは眺めていた。どこまで本気なのか相変わらず読めない。
読めないといえば。もう一人、他人に本心を読ませない男がいる。此処にはいない、もうひとり……。
メリルのそんな思いに気付いたのか、殊更に明るい声が言った。
「そういえば、あっちはどうなっとんやろなぁ。なあ嬢ちゃん、ほんとはあんたも組み合わせが逆やったら良かったんと違うか?」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている。さっきの意趣返しのつもりか。
こうなるとこの男は格段と楽しそうになる。揚げ足を取られないようにしなければならない。
「わ、私では足手まといになってしまいますもの。それに、スタンガンなら必要以上には相手を傷つけませんし……」
手元の小銃に目がいってしまう。男も同じものを見ているらしかった。
「せやなぁ。あのバカでっかさで必要以上ってのは無理があるが、それでもトンガリも余計な目くじらたてんでええやろ。ただなあ……」
「ただ?」
「あの二人で建設的に会話ができるんかなあ? ボケが二人おってもなぁんにもならへんやろ。せやから組み合わせが逆や言うたんや。間違うとるか?」
熱弁を振るっているのがおかしかった。これはこれでこの男なりの慰め方かもしれない。
人間台風の不器用な生き方に対してやりきれない思いを抱いているのはこの男も同じなのだから。
しかし、また話題が元に戻ってしまうのはメリルにとっては不利以外の何ものでもない。案の定、
「それで? ヤツとはどうなんだ?」
「どうって……」
急に『どう』もへったくれもない。まだ、何もはじまってすらいないのだから、改めて訊かれても困ってしまう。黙り込んでしまったメリルに男は続けた。
「おおかた、目的をもって旅をしているヤツに余計なことを言って邪魔にされるんが怖いんやろ? せやなあ、まぁた置いてきぼりはいややもんなあ」
「何でそんなことあなたに言われなくちゃならないんですか? あなただっていざとなれば置いていかれるかも知れないんですのよ。私だってこれが仕事でなければ」
「なければ何やの。シゴトシゴト、ほんまご苦労なこっちゃ。あんた、仕事いう理由がなけりゃなぁんも動けへんな……ってこら、泣くな」
「泣いてません!」
まさに涙を堪えていたまま男をにらむ。いちいち言うことが当たっているだけに悔しい。しかしその悔しさの本当の原因が一体なんなのか自分でもわかっていないということに少し混乱したままでいると、さすがに言い過ぎたのか、ウルフウッドの声の調子が優しくなった。
「すまんかったな。ワイもこお、イラついとんのかな、言い方きつくなってしもて。アホなこと言うて悪かった」
窓の外は昼間の太陽がふたつ、容赦なく照り付けている。すでに半日以上逃げ回っていることになる。
合流地点ではもう二人は先にたどり着いているのだろうか。そこでは戦闘は行われているのだろうか。……あの人はまた無茶をして傷を負ってはいないだろうか。メリルの心に浮かぶのはそんなことばかりだ。
「あんたらまるで、お月さんみたいやな」
ふと、ウルフウッドが言った。
「誰かの回りぐるぐる回っとんねん。それが近すぎると重力に負けて落っこってしまうし、離れると遠心力で宇宙に飛ばされてしまう。丁度いいバランスで距離を保っていな、あかんねん」
そう言いながら顔を窓のほうからこちらに向ける。逆光になってその表情は窺えない。
「あんたら二人ともそんな感じや。お互い他人に気イ遣ってばかりやから、かえって肝心なとこで誰もそばに寄りつけへん。――ああ、二人ともそんなんやから、月ゆうよりも、あのふたつの太陽やね」
牧師に釣られてメリルも天井の向こうにあるはずの空を見上げた。確かに互いの重力に囚われている二重の太陽は自分達の姿に似つかわしい。下手に近づいて破滅を呼ぶよりも、安全を保つために必要な今の二人のポジションなのだろう。
男の言うことは少し癪に障るが、気分転換にはなる。大きく息を吸って、さっきまでのいやな気持ちと共に吐き出した。
「そうですわね、なるようになる、ですわ。別に急ぐこともありませんし」
「せやな。よっしゃ、行くで。走れるか?」
「はい! いつでもどうぞ。あ、ところで」
戸口で外の様子を窺っていた男に声をかけると、目を外に向けたまま「なんや」と応えた。そしてメリルはささやかな反撃を試みる。
――私だって心配なんですもの
「あなたの場合は、すこおし急いだほうがよろしいかもしれませんわよ」
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