その音色に、多くの女性が夢を馳せる。
幸
せ
の
BELL
ここ数日、何かに取り憑かれたようにブツブツと独り言を呟いていた芹沢が大声で俺に宣言した。
「あたし決めた!!お嫁さん貰う事にする!」
「は?」
そのあまりの突拍子も無い発言に、俺は飲んでいたコーヒーのカップを危うく落とすところだった。
「お前、何言ってんだ?とうとうオツムやられたか?」
額の上で指先をくるくるやってやったら、お返しに素晴らしい肘鉄を頂いた。
辛うじてカップは死守したものの、飲んだコーヒーが鼻にこみ上げてきそうになる感覚に、思わずむせる。
「真面目よ真面目!あたしゃー大真面目なんだからね、この馬鹿!」
さも憤慨したと顔を真っ赤にして怒る芹沢に、俺の口元がひくりと歪む。
「お前、自分の性別分かってるのか?」
「当然!あたしはぴちぴちの乙女よぅ!でもお嫁さん貰うの。もーこれは決定事項ね。」
ふん、と鼻息荒くガッツポーズを決めると、芹沢は帰り支度を始めた。
「さー、準備しないと。あんたにゃ言わなかったけど、式は明後日なのよね。忙しいのよ。
だから溜まってた有給貰うから。ほい、これ有給申請ね。」
顔の前に突き出された有給申請書を引っ手繰るように取って、俺は立ち上がった。
「明後日に式って…女同士で貸してくれる教会なんぞあるのか?」
至極当然な問いにも、勝ち誇ったかのように今度はパンフレットを突きつけてくる。
それにはギリシア的な彫刻の施された柱に囲まれた、豪華な円形ドーム型のチャペルの写真がついていた。
そして、鼻が180度捻ってしまいそうに臭いキャッチフレーズ。
『二人の新しい人生の始発点。二人の愛はこの場所から始まる…。~南条コンツェルン提供~』
「あンの嫁売野郎…何考えてやがるんだ…。」
ふつふつとこみ上げてくる怒りを押し隠しながら、俺は芹沢を睨みつけた。
「お前、結婚したかったんじゃねぇのか?女同士じゃ籍も入れられねぇぞ。第一世間体が…。」
「べッつにー。籍なんて今のあたしにはもうどうでもいいのよね。世間体も然り。
あんたと仕事してる時点で世間体なんて無いも同じだし。大切なのは心なの、コ・コ・ロ!分かる??
それに南条君が『これからの時代は、様々な愛の形が増えていきます。ですので是非Ms.芹沢にその新しいタイプの結婚の最初の式を飾って欲しい』って頼まれちゃったしさ。
あんなに頭下げられちゃったら断れないしー。」
それを聞いて俺は頭がくらりとした。
「要するに実験台じゃねぇか。お前それでいいのか!」
次第に声が荒くなっていくのも止められず、俺は芹沢に詰め寄った。
芹沢はつーんとそっぽを向きながら、俺に目線だけ走らせる。
「人の好意は素直に受け取るタイプなのよね、あたし。どっかの誰かさんと違ってね~~。」
しらっと言いのける芹沢に、俺は拳を握りぐっと息を飲み込む。
「ま、あんたとあたしのよしみだし、式くらい呼んで上げるわよぅ。これ招待状。
いい、来なかったらぶっ飛ばす!」
シシュっとシャドウボクシングを見せてから、ぽいと、真っ白い封筒を俺に投げて遣すとさっさと玄関に向かう。
俺は最後の力を振り絞って、ややかすれた声で尋ねた。
「…相手は誰だ。…天野か?」
芹沢は扉に半分身を隠しながらにやっと笑った。
「ふふふー。それはねー、来てからのお楽しみ!びっくりするわよぅ?
すっごーい、可愛いお嫁さんだから!他の人も見たら確実に驚くわねぇ~!
でもきっとそれであたしが如何に激しい愛に生きる女であるか、みんな理解すると思うわよぅ?」
にっと白い歯を見せ、そのまま芹沢は出て行った。
…俺は頭を抱え込み、がっくりと椅子に座り込んだ。
そして三日後。その日は来てしまった。
芹沢に渡された招待状には、式場と開始時間しか記されていなかった。
お陰でこの三日間というもの、芹沢の相手が誰なのかが気になって気になって仕事どころではなかった。
酒とタバコもいつもの三倍近くを摂取してしまった。
自分が惚れた女が事もあろうかどこぞの女に盗られるなんて!
こんなことならもっと早くに唾なり種なりつけておくべきだった…と思ってもそれはもう後の祭りだ。
重たい足取りで南条コンツェルン所有のチャペルに向かう。
俺の服装が正装ではなく、いつものゴールドスーツのままなのはせめてもの抵抗だった。
ついでに招待状にあった開始時間から15分遅刻してやったのも、芹沢へのささやかな非難だった…。
パンフレットと同じ円形ドームの、鮮やかなステンドグラスで彩られた入り口は当然ながら既に閉ざされ、
その前にはいかついガードマンらしき男が二人、のっしりと立ちはだかっていた。
「失礼ですが、あなた様は…?」
ガードマンのサングラス越しの視線が派手な格好の俺をギロリと射る。
「俺はこの式の招待客だ。…おら、招待状だ。」
俺に手渡された封筒を開け、中身にささっと目を通すと、途端にガードマンの表情が変わる。
「嵯峨薫様ですか?」
「…そうだ。」
表沙汰に出来ない俺の本名を口にされ、やや不審に思いながらも俺は頷く。
「大変失礼いたしました!どうぞ、こちらの入り口にお回りください。」
そう言ってステンドグラスのある入り口からさらに10mほど先にある小さな通用門にゴツイ手を向ける。
遅刻者専用入り口か、と小さく溜息を付きながら俺はガードマンに礼を言いそちらの扉に向かった。
『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉を開けると、奥の方からパイオプオルガンの荘厳な音色が響く。
やはりもう、式が始まっているのか…と更に重くなる足取りの俺を呼び止めたのは、見知らぬ女の二人組みだった。
当然ながら俺のゴールドスーツに驚いていたようだったが、女の片割れが恐る恐る聞いてきた。
「あの…失礼ですが嵯峨薫様でいらっしゃいますか?」
「…そうだが…何の用だ。」
「ああ、良かった!圭様から聞いていたとおりでしたわ。ささ、お時間が押しています。
どうぞ、こちらへ。」
片方が俺の腕を掴み、片方が後ろからぐいぐいと俺を押しながら、パイプオルガンの聞える部屋から更に奥の部屋に連行される。
部屋の前には『衣装室』と記されたプレート。
…要するに俺がこの格好で来る事を南条は予測済みだったらしい。きちんとした正装に着替えろってことか。ったく、そんな下らねぇことに気が回るなら、人の女を他の女とくっ付かせようとするんじゃねぇ!
爆発しそうな南条への怒りで物凄い表情をしている俺にしり込みながらも、女二人組はてきぱきと仕事を始める。
俺を席につかせ、サングラスを外させ、アクセサリーも没収され今度は目をつぶれと言いやがる。
もうどうにでもなれと言われるままに俺は目を閉じ、身を投げ出した。
20分後、鏡の前には化粧を施され、三つ網にされたいかついオカマが…って、俺ですか!?がいた。
あまりのその酷い姿に目を見開き口をパクパクさせている俺を女達は狭い部屋に押し込める。
「これが衣装です。お時間がありませんので、ちゃっちゃと着てしまって下さいね。
あ、後ろのファスナーは私どもが閉めますのでお化粧と御髪が崩れないように気をつけてください。」
そう言って真っ白い塊を俺によこし、女は扉を閉めた。
まさか…よもや…と思いつつもとりあえずその服に袖を通す。
――――予感は的中した。
「なんじゃこらーーーーーーーーー!」
俺の叫び声に女どもはノックもせずに扉を開けた。
「まぁ素敵!!サイズもピッタリですわね!さ、ファスナー閉めて。
ああもうお時間だわ!はい、これ持って!ささ、行きましょう!!」
ちんまりとした物を押し付けられ、必死になって騒ぐ俺を完全にスルーし、女どもは俺をぐいぐいと押しながら大きな門の前に連行する。
門の前にはマイクを持った男と、ただぼんやりと立っている男。
そして、門の向こう側から、パイプオルガンの音色。
「止めろ、止めてくれ!これは一体何のつもりだ!!」
血管から血が噴き出そうになっている俺の、その口に女の一人が指を当てる。
もう一人は俺の髪を軽く直し始めた。
「お静かに、もう式は始まっていますのよ!ああ、それはこう持つんですのよ!」
ギロッと俺を睨んでから、髪を直していた女に目線を預ける。
女は満足そうに頷き、俺を黙らせた女はマイクを持った男に向かって大きく頷いた。
マイクを持った男はにやりと笑うと、ぼーっとしていた男に合図をする。
途端、男は表情が変わり、門のノブに手をかけた。
「お待たせいたしました。皆様、新婦の登場です。」
その悪夢のような言葉と同時に大きな門は、重たい音を立てながらゆっくりと開いた。
俺の目の前に現れたのは埋め尽くされた席と、真っ赤なバージンロード。
その奥に立っている神父、十字架に、俺に背を向けているスーツ姿の人間。
思わずしり込みしていると、先ほど入り口でガードマンをしていたはずの男の一人がそっと俺の背中を押す。
「前に進んでください。お客様も新郎もお待ちですよ。」
ギクシャクしながら前に進みながら客席についている顔をちらちらと見る。
天野に始め、諸悪の根源南条、黛、上杉、城戸、園村、トロ、青髪のボーズに黒髪のボーズ、金髪の娘っこ、それに達哉まで…。ついでに見知らぬピアスの男に顔にペイントした男、お下げにした金髪もいるが、どれもペルソナの気配がしている。…この街のペルソナ使いが総出ですか?
そんな事を考えながら、周防がいないことを神様に感謝しながらさらにバージンロードを歩く。
驚いた事にパイプオルガンを奏でていたのは桐島だった。
そして、俯いている神父の前に辿り着く。
俺の隣には、紫かかった紺のスーツをきちんと着込んだ、赤い髪が一人。
そっと俺の顔を見て、顔を赤らめて心底嬉しそうに目線を落とした。
…それだけで、この茶番も悪くはないか。と、思ったが!!
「…芹沢うらら。汝は病める時も健やかな時もこの者と共に生き、この者を終生愛する事を誓いますか?」
その言葉に俺は一気に冷水を浴びせられた気がした。
―――――!なんでお前が神父なんぞやってんだ、周防!!
そこには芹沢以上に顔を真っ赤にした周防がカチカチ震えながらバイブルを片手にこちらを見据えていた。
「誓います。」
ゆっくりと芹沢がそう言うと、周防は満足げに頷いて今度は俺を見た。
「嵯峨薫。汝は病める時も健やかな時もこの者と共に生き、この者を終生愛する事を誓いますか?」
そして、じっと、俺を見つめた。芹沢も俺を見ていることだろう。
いや、この場にいる全ての人間が今俺を見ているはずだ。背筋がぴりりとする。
あうあうと酸欠気味の金魚のように口を開閉していたが、俺は腹を括った。
「…ち、誓います。」
周防の顔が、ほっと弛んだ。芹沢は顔を両手で覆った。
会場の空気が一気に穏やかになり、俺の全身から力が抜けていった。
「それでは、指輪の交換を。」
渡された指輪を芹沢の左手の薬指に嵌めようとして、俺の指先が震えていることに気付く。
そして、それ以上に俺の薬指に指輪を嵌めようとした芹沢の手が、体が震えていることに気付いた。
目も赤くなっている。さっき、少し泣いたのだろう。俺は不思議な満足感で胸が一杯になった。
指輪の交換もすみ、やれやれだな…と一息ついたところに、最後のエアポケットは仕掛けられていた。
「最後に誓いのくちづけを。」
ぶふぅっと唾を噴かなかったのは、一重に日々の鍛錬の成果だと思いたい。
「ふ、ふざけるな…ッ」
と叫びかけた俺のこめかみをジャスティスショットが掠っていった。
「これは神聖な神への誓いの儀式だぞ。静かにしないか。」
そのまま出っ放しのヒューペリオンは俺に銃口を向け続ける。
俺は見世物じゃねぇ!と憤慨していたらぐいっと顔を引っ張られ、
瞳を閉じ、背伸びした芹沢の顔が俺に近づいて来た。
どうぞと言わんばかりに近づいて来たもんだからつい、つい……。
…これ以上は俺が恥ずかしいので勘弁してくれ。
結局、どうにかこうにか無事に式を終え、客に祝福されながらチャペルの正面玄関をくぐりぬける。
「うららっ!おめでとう!」
途端、飛びついてきた天野に抱きしめられて芹沢はすすり声を上げた。
「マーヤ…。あ、ありがと…。」
抱き合いながら震えている二人の姿から目をそらそうとした俺は、トントン、と肩を叩かれて振り返った。
そこにはいつものヘルメットと1番マフラーのお坊ちゃん、南条がいた。
「楽しんでいただけましたでしょうか、Mr.パオフゥ?」
心底楽しそうに口元を弓なりにし、俺の表情を伺う。
「悪くは無い余興だったが…何のつもりなんだ。」
わざと不機嫌そうに答えてやると、酷く生真面目な顔で南条は俺を見た。
「Ms芹沢が、桐島とこの前飲みに行ったのをご存知ですか?」
「あ?ああ、先月だっけか。」
「そう。その時にMs.芹沢は桐島に『今のままでは不安、けじめが欲しい』と言ったそうだ。
俺はそれを桐島から聞いて、南条コンツェルンで行き詰まっていた、とある新事業を思い出したんです。」
「それが、これなのか。」
南条の目線はまだ抱き合っている天野と芹沢に注がれた。
「その通り。これは立派なビジネスなんですよ。
Ms芹沢は何かけじめが欲しいと言った。俺はその手段の一つを提示した。
そして、互いの損得、発生するリスクを話し合った結果、今回の式が執り行われたわけですからね。」
悪くはなかったでしょう、と言う南条に、俺は俺自身がずっと考えつづけていた言葉をぶつける。
「結婚する気以前に、籍は無い。姿も怪しい。こんな男に女を幸せにできると思うか?
それは、あいつが…あいつの為になるとでも本気で思うのか?」
その言葉に、南条は軽く首を振る。
「俺には分かりません。でも、不安なのはあなたの気持ちでしょう。あなたが持っているコンプレックスだ。
Ms.芹沢はあなたに幸せにして欲しいから式を挙げたわけじゃありません。
それは―――あなたもご存知ではありませんか?」
「……」
フラッシュバックするセリフ。
いつのまにか芹沢は天野と離れ、俺に向かって手をこまねいていた。
「さ、そろそろブーケを投げないといけませんよ、Mr.新婦。新郎がお待ちです。」
「…その言い方は止めろ…。」
「新婦さーん、お嫁候補たちがこぞってブーケをお待ちよぅ!」
笑っている芹沢に近付き、その手の中に俺はブーケを押し付けた。
「何?」
「ブーケはな、本物の花嫁が投げないと意味がねぇだろがよ。」
「え、あ…それって…。」
「さっさと投げろ。」
「……うん。」
顔を赤らめて俯いている芹沢に俺は背を向ける。
「パオ。」
「何だ。」
「折角格好つけてるのに、ウェンディングドレス姿じゃ決まらないね。」
プフッという笑い声に俺の血液が一気に上昇する。
「いいから投げろ、阿呆!!」
「はいはい、分かってるわよぅ!」
ブーケは蒼天に吸い込まれるよう、うららの手から離れた。
チャペルの鐘は、ただ二人の未来の為に鳴り続けていた。
なんて素晴らしい、幸せの音色だろう。
幸
せ
の
BELL
ここ数日、何かに取り憑かれたようにブツブツと独り言を呟いていた芹沢が大声で俺に宣言した。
「あたし決めた!!お嫁さん貰う事にする!」
「は?」
そのあまりの突拍子も無い発言に、俺は飲んでいたコーヒーのカップを危うく落とすところだった。
「お前、何言ってんだ?とうとうオツムやられたか?」
額の上で指先をくるくるやってやったら、お返しに素晴らしい肘鉄を頂いた。
辛うじてカップは死守したものの、飲んだコーヒーが鼻にこみ上げてきそうになる感覚に、思わずむせる。
「真面目よ真面目!あたしゃー大真面目なんだからね、この馬鹿!」
さも憤慨したと顔を真っ赤にして怒る芹沢に、俺の口元がひくりと歪む。
「お前、自分の性別分かってるのか?」
「当然!あたしはぴちぴちの乙女よぅ!でもお嫁さん貰うの。もーこれは決定事項ね。」
ふん、と鼻息荒くガッツポーズを決めると、芹沢は帰り支度を始めた。
「さー、準備しないと。あんたにゃ言わなかったけど、式は明後日なのよね。忙しいのよ。
だから溜まってた有給貰うから。ほい、これ有給申請ね。」
顔の前に突き出された有給申請書を引っ手繰るように取って、俺は立ち上がった。
「明後日に式って…女同士で貸してくれる教会なんぞあるのか?」
至極当然な問いにも、勝ち誇ったかのように今度はパンフレットを突きつけてくる。
それにはギリシア的な彫刻の施された柱に囲まれた、豪華な円形ドーム型のチャペルの写真がついていた。
そして、鼻が180度捻ってしまいそうに臭いキャッチフレーズ。
『二人の新しい人生の始発点。二人の愛はこの場所から始まる…。~南条コンツェルン提供~』
「あンの嫁売野郎…何考えてやがるんだ…。」
ふつふつとこみ上げてくる怒りを押し隠しながら、俺は芹沢を睨みつけた。
「お前、結婚したかったんじゃねぇのか?女同士じゃ籍も入れられねぇぞ。第一世間体が…。」
「べッつにー。籍なんて今のあたしにはもうどうでもいいのよね。世間体も然り。
あんたと仕事してる時点で世間体なんて無いも同じだし。大切なのは心なの、コ・コ・ロ!分かる??
それに南条君が『これからの時代は、様々な愛の形が増えていきます。ですので是非Ms.芹沢にその新しいタイプの結婚の最初の式を飾って欲しい』って頼まれちゃったしさ。
あんなに頭下げられちゃったら断れないしー。」
それを聞いて俺は頭がくらりとした。
「要するに実験台じゃねぇか。お前それでいいのか!」
次第に声が荒くなっていくのも止められず、俺は芹沢に詰め寄った。
芹沢はつーんとそっぽを向きながら、俺に目線だけ走らせる。
「人の好意は素直に受け取るタイプなのよね、あたし。どっかの誰かさんと違ってね~~。」
しらっと言いのける芹沢に、俺は拳を握りぐっと息を飲み込む。
「ま、あんたとあたしのよしみだし、式くらい呼んで上げるわよぅ。これ招待状。
いい、来なかったらぶっ飛ばす!」
シシュっとシャドウボクシングを見せてから、ぽいと、真っ白い封筒を俺に投げて遣すとさっさと玄関に向かう。
俺は最後の力を振り絞って、ややかすれた声で尋ねた。
「…相手は誰だ。…天野か?」
芹沢は扉に半分身を隠しながらにやっと笑った。
「ふふふー。それはねー、来てからのお楽しみ!びっくりするわよぅ?
すっごーい、可愛いお嫁さんだから!他の人も見たら確実に驚くわねぇ~!
でもきっとそれであたしが如何に激しい愛に生きる女であるか、みんな理解すると思うわよぅ?」
にっと白い歯を見せ、そのまま芹沢は出て行った。
…俺は頭を抱え込み、がっくりと椅子に座り込んだ。
そして三日後。その日は来てしまった。
芹沢に渡された招待状には、式場と開始時間しか記されていなかった。
お陰でこの三日間というもの、芹沢の相手が誰なのかが気になって気になって仕事どころではなかった。
酒とタバコもいつもの三倍近くを摂取してしまった。
自分が惚れた女が事もあろうかどこぞの女に盗られるなんて!
こんなことならもっと早くに唾なり種なりつけておくべきだった…と思ってもそれはもう後の祭りだ。
重たい足取りで南条コンツェルン所有のチャペルに向かう。
俺の服装が正装ではなく、いつものゴールドスーツのままなのはせめてもの抵抗だった。
ついでに招待状にあった開始時間から15分遅刻してやったのも、芹沢へのささやかな非難だった…。
パンフレットと同じ円形ドームの、鮮やかなステンドグラスで彩られた入り口は当然ながら既に閉ざされ、
その前にはいかついガードマンらしき男が二人、のっしりと立ちはだかっていた。
「失礼ですが、あなた様は…?」
ガードマンのサングラス越しの視線が派手な格好の俺をギロリと射る。
「俺はこの式の招待客だ。…おら、招待状だ。」
俺に手渡された封筒を開け、中身にささっと目を通すと、途端にガードマンの表情が変わる。
「嵯峨薫様ですか?」
「…そうだ。」
表沙汰に出来ない俺の本名を口にされ、やや不審に思いながらも俺は頷く。
「大変失礼いたしました!どうぞ、こちらの入り口にお回りください。」
そう言ってステンドグラスのある入り口からさらに10mほど先にある小さな通用門にゴツイ手を向ける。
遅刻者専用入り口か、と小さく溜息を付きながら俺はガードマンに礼を言いそちらの扉に向かった。
『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉を開けると、奥の方からパイオプオルガンの荘厳な音色が響く。
やはりもう、式が始まっているのか…と更に重くなる足取りの俺を呼び止めたのは、見知らぬ女の二人組みだった。
当然ながら俺のゴールドスーツに驚いていたようだったが、女の片割れが恐る恐る聞いてきた。
「あの…失礼ですが嵯峨薫様でいらっしゃいますか?」
「…そうだが…何の用だ。」
「ああ、良かった!圭様から聞いていたとおりでしたわ。ささ、お時間が押しています。
どうぞ、こちらへ。」
片方が俺の腕を掴み、片方が後ろからぐいぐいと俺を押しながら、パイプオルガンの聞える部屋から更に奥の部屋に連行される。
部屋の前には『衣装室』と記されたプレート。
…要するに俺がこの格好で来る事を南条は予測済みだったらしい。きちんとした正装に着替えろってことか。ったく、そんな下らねぇことに気が回るなら、人の女を他の女とくっ付かせようとするんじゃねぇ!
爆発しそうな南条への怒りで物凄い表情をしている俺にしり込みながらも、女二人組はてきぱきと仕事を始める。
俺を席につかせ、サングラスを外させ、アクセサリーも没収され今度は目をつぶれと言いやがる。
もうどうにでもなれと言われるままに俺は目を閉じ、身を投げ出した。
20分後、鏡の前には化粧を施され、三つ網にされたいかついオカマが…って、俺ですか!?がいた。
あまりのその酷い姿に目を見開き口をパクパクさせている俺を女達は狭い部屋に押し込める。
「これが衣装です。お時間がありませんので、ちゃっちゃと着てしまって下さいね。
あ、後ろのファスナーは私どもが閉めますのでお化粧と御髪が崩れないように気をつけてください。」
そう言って真っ白い塊を俺によこし、女は扉を閉めた。
まさか…よもや…と思いつつもとりあえずその服に袖を通す。
――――予感は的中した。
「なんじゃこらーーーーーーーーー!」
俺の叫び声に女どもはノックもせずに扉を開けた。
「まぁ素敵!!サイズもピッタリですわね!さ、ファスナー閉めて。
ああもうお時間だわ!はい、これ持って!ささ、行きましょう!!」
ちんまりとした物を押し付けられ、必死になって騒ぐ俺を完全にスルーし、女どもは俺をぐいぐいと押しながら大きな門の前に連行する。
門の前にはマイクを持った男と、ただぼんやりと立っている男。
そして、門の向こう側から、パイプオルガンの音色。
「止めろ、止めてくれ!これは一体何のつもりだ!!」
血管から血が噴き出そうになっている俺の、その口に女の一人が指を当てる。
もう一人は俺の髪を軽く直し始めた。
「お静かに、もう式は始まっていますのよ!ああ、それはこう持つんですのよ!」
ギロッと俺を睨んでから、髪を直していた女に目線を預ける。
女は満足そうに頷き、俺を黙らせた女はマイクを持った男に向かって大きく頷いた。
マイクを持った男はにやりと笑うと、ぼーっとしていた男に合図をする。
途端、男は表情が変わり、門のノブに手をかけた。
「お待たせいたしました。皆様、新婦の登場です。」
その悪夢のような言葉と同時に大きな門は、重たい音を立てながらゆっくりと開いた。
俺の目の前に現れたのは埋め尽くされた席と、真っ赤なバージンロード。
その奥に立っている神父、十字架に、俺に背を向けているスーツ姿の人間。
思わずしり込みしていると、先ほど入り口でガードマンをしていたはずの男の一人がそっと俺の背中を押す。
「前に進んでください。お客様も新郎もお待ちですよ。」
ギクシャクしながら前に進みながら客席についている顔をちらちらと見る。
天野に始め、諸悪の根源南条、黛、上杉、城戸、園村、トロ、青髪のボーズに黒髪のボーズ、金髪の娘っこ、それに達哉まで…。ついでに見知らぬピアスの男に顔にペイントした男、お下げにした金髪もいるが、どれもペルソナの気配がしている。…この街のペルソナ使いが総出ですか?
そんな事を考えながら、周防がいないことを神様に感謝しながらさらにバージンロードを歩く。
驚いた事にパイプオルガンを奏でていたのは桐島だった。
そして、俯いている神父の前に辿り着く。
俺の隣には、紫かかった紺のスーツをきちんと着込んだ、赤い髪が一人。
そっと俺の顔を見て、顔を赤らめて心底嬉しそうに目線を落とした。
…それだけで、この茶番も悪くはないか。と、思ったが!!
「…芹沢うらら。汝は病める時も健やかな時もこの者と共に生き、この者を終生愛する事を誓いますか?」
その言葉に俺は一気に冷水を浴びせられた気がした。
―――――!なんでお前が神父なんぞやってんだ、周防!!
そこには芹沢以上に顔を真っ赤にした周防がカチカチ震えながらバイブルを片手にこちらを見据えていた。
「誓います。」
ゆっくりと芹沢がそう言うと、周防は満足げに頷いて今度は俺を見た。
「嵯峨薫。汝は病める時も健やかな時もこの者と共に生き、この者を終生愛する事を誓いますか?」
そして、じっと、俺を見つめた。芹沢も俺を見ていることだろう。
いや、この場にいる全ての人間が今俺を見ているはずだ。背筋がぴりりとする。
あうあうと酸欠気味の金魚のように口を開閉していたが、俺は腹を括った。
「…ち、誓います。」
周防の顔が、ほっと弛んだ。芹沢は顔を両手で覆った。
会場の空気が一気に穏やかになり、俺の全身から力が抜けていった。
「それでは、指輪の交換を。」
渡された指輪を芹沢の左手の薬指に嵌めようとして、俺の指先が震えていることに気付く。
そして、それ以上に俺の薬指に指輪を嵌めようとした芹沢の手が、体が震えていることに気付いた。
目も赤くなっている。さっき、少し泣いたのだろう。俺は不思議な満足感で胸が一杯になった。
指輪の交換もすみ、やれやれだな…と一息ついたところに、最後のエアポケットは仕掛けられていた。
「最後に誓いのくちづけを。」
ぶふぅっと唾を噴かなかったのは、一重に日々の鍛錬の成果だと思いたい。
「ふ、ふざけるな…ッ」
と叫びかけた俺のこめかみをジャスティスショットが掠っていった。
「これは神聖な神への誓いの儀式だぞ。静かにしないか。」
そのまま出っ放しのヒューペリオンは俺に銃口を向け続ける。
俺は見世物じゃねぇ!と憤慨していたらぐいっと顔を引っ張られ、
瞳を閉じ、背伸びした芹沢の顔が俺に近づいて来た。
どうぞと言わんばかりに近づいて来たもんだからつい、つい……。
…これ以上は俺が恥ずかしいので勘弁してくれ。
結局、どうにかこうにか無事に式を終え、客に祝福されながらチャペルの正面玄関をくぐりぬける。
「うららっ!おめでとう!」
途端、飛びついてきた天野に抱きしめられて芹沢はすすり声を上げた。
「マーヤ…。あ、ありがと…。」
抱き合いながら震えている二人の姿から目をそらそうとした俺は、トントン、と肩を叩かれて振り返った。
そこにはいつものヘルメットと1番マフラーのお坊ちゃん、南条がいた。
「楽しんでいただけましたでしょうか、Mr.パオフゥ?」
心底楽しそうに口元を弓なりにし、俺の表情を伺う。
「悪くは無い余興だったが…何のつもりなんだ。」
わざと不機嫌そうに答えてやると、酷く生真面目な顔で南条は俺を見た。
「Ms芹沢が、桐島とこの前飲みに行ったのをご存知ですか?」
「あ?ああ、先月だっけか。」
「そう。その時にMs.芹沢は桐島に『今のままでは不安、けじめが欲しい』と言ったそうだ。
俺はそれを桐島から聞いて、南条コンツェルンで行き詰まっていた、とある新事業を思い出したんです。」
「それが、これなのか。」
南条の目線はまだ抱き合っている天野と芹沢に注がれた。
「その通り。これは立派なビジネスなんですよ。
Ms芹沢は何かけじめが欲しいと言った。俺はその手段の一つを提示した。
そして、互いの損得、発生するリスクを話し合った結果、今回の式が執り行われたわけですからね。」
悪くはなかったでしょう、と言う南条に、俺は俺自身がずっと考えつづけていた言葉をぶつける。
「結婚する気以前に、籍は無い。姿も怪しい。こんな男に女を幸せにできると思うか?
それは、あいつが…あいつの為になるとでも本気で思うのか?」
その言葉に、南条は軽く首を振る。
「俺には分かりません。でも、不安なのはあなたの気持ちでしょう。あなたが持っているコンプレックスだ。
Ms.芹沢はあなたに幸せにして欲しいから式を挙げたわけじゃありません。
それは―――あなたもご存知ではありませんか?」
「……」
フラッシュバックするセリフ。
いつのまにか芹沢は天野と離れ、俺に向かって手をこまねいていた。
「さ、そろそろブーケを投げないといけませんよ、Mr.新婦。新郎がお待ちです。」
「…その言い方は止めろ…。」
「新婦さーん、お嫁候補たちがこぞってブーケをお待ちよぅ!」
笑っている芹沢に近付き、その手の中に俺はブーケを押し付けた。
「何?」
「ブーケはな、本物の花嫁が投げないと意味がねぇだろがよ。」
「え、あ…それって…。」
「さっさと投げろ。」
「……うん。」
顔を赤らめて俯いている芹沢に俺は背を向ける。
「パオ。」
「何だ。」
「折角格好つけてるのに、ウェンディングドレス姿じゃ決まらないね。」
プフッという笑い声に俺の血液が一気に上昇する。
「いいから投げろ、阿呆!!」
「はいはい、分かってるわよぅ!」
ブーケは蒼天に吸い込まれるよう、うららの手から離れた。
チャペルの鐘は、ただ二人の未来の為に鳴り続けていた。
なんて素晴らしい、幸せの音色だろう。
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秋も終わりを告げ、既に冬といえる季節の夜。そして深夜11時を回った時分。
ろくに明かりのない薄暗い道路を、一人の女が家路へと向かっていた。
「まったく、今日は本当についてないったらありゃしない。」
赤らんだ顔は、既にかなりの酒が入っている事を示している。
足元もふらふらよろよろの千鳥足で、どうにもこうにもおぼつかない。
それでも、電柱や所狭しと並んでいる路上駐車中の自動車の間をうまくすり抜けて行きながら、女はなにやら一人ごちていた。
「だいたいみんな薄情なのよぅ。今日が何の日かも忘れちゃってさ。」
グスンと鼻が鳴る。
「いいんだー、ふ~んだ。みんなが忘れててたって平気だもん。
アタシにはこれがあるもんねー。…どうせアタシなんてお酒とタバコが友達よぅ。」
その右手には、いつも彼女が愛用している仕事用バック。
左手にぶらさげた袋からは、ワインのビンが数本顔を覗かせている。
かなり酔っているように伺えるが、まだ飲み足りないらしい。
「随分といいワイン奮発しちゃったし、今日はこれ飲んで、寝るかぁ。」
小さく溜息をつき、女はひきずるような重い足取りでルナパレス港南へと消えていった。
静まり返ったルナパレス港南のエントランスには、酔ったうららの声が響き渡る。
「そもそも、克哉さんは仕方ないのよ。アポなしで声かけたアタシが悪かったんだもんねぇ。
モミアゲ長いけど、刑事だし、仕事忙しいし、マーヤと達哉君とニャンコ命だしさ~。
アイラービュゥーー!天野くぅ~~んvなんてぇー。お、似てる!あはははーーー。」
きゃっきゃっと楽しそうに笑いながら、酔いも手伝って悪口は徐々にエスカレートしていく。
「パオは・・・まぁ、いつものことよねぇ。
アタシなんてぇ眼中にないのよ、きっと。だけどぉ、阿呆ってのは失礼じゃないっ!?
あいつにとって大事なものなんてどうせ、半神グッズとかそんなもんぐらいなんだわ。しょうもない。
半神なんてどうせ今年も最下位よぅ。ザーマーミロよ、ばかったれー。」
見えないパオフゥに向かってあっかんべーをすると、少しすっきりしたように息を付いた。
そしてすぐに今度は頬を膨らませて、憮然とした表情になる。まるで百面相だ。
「でもね!マーヤまで!マーヤまで用事があるってどういうことなのよぉ~!
頼みの綱がこんなんじゃーアタシだって救われないわーー!愛はそこにはないのよぅ!
8年来付き合いなのにーーー。マーヤのばかあああああ。」
頭を振りながら、泣きに入ってしまったと同時に。
チーーーン。
タイミングよく、エレベーターが到着。
またもため息をついて、うららはエレベーターに乗りこんだ。
ゴゥンゴゥンと音を立てながら、ゆっくりとエレベーターは階上に向かっていく。
壁にもたれかかりながらふと、うららは今日の出来事を思い出していた。
事の顛末は、朝、舞耶から告げられた一言から始まった。
「うらら、ごめん!今日はちょっと編集長から呼び出しくらっちゃって。
どうしても一緒にお祝いできそうにないの。だから他の人、誘って?」
そう言って舞耶は手を合わせてきたのだった。
「えーー!ずいぶん前から約束してたじゃないのよぅ!
この日の為にアタシ休暇取ったのよぅ!」
舞耶のドタキャンにうららは大いに焦った。
「アタシ一人で過ごすの?崖ッぷち記念を?悲しいわよぅ~~!ひどいー!」
こんな急では他の人間が捕まるわけもない。
「ごめん!本当に御免うらら。埋め合わせは今度するから、ね?
それに一人くらい捕まるわよ!レッツポジティブシンキング!」
駄々をこねたところで、舞耶も仕事だから仕方ない。
文句をいってもどうにもなりはしない事をうららは良く知っている。
「…分かったわよぅ。他の人、誘うわ。」
力なく答えたうららは、頭の中で誘えそうな人間を数えていた。
「パーオ!」
甘えるようにうららはパオフゥに抱きつく。
「…なんだ?今日は休暇とってたんじゃねぇのか?」
キーボードを叩きながら、いつも通り、不機嫌そうに呟く。
「今日、暇じゃないかしら?」
精一杯の猫なで声で、うららは恐る恐る尋ねてみる。
「おめぇは馬鹿か?俺が暇なわけねぇだろう。こんなに仕事が山積みでよ。」
指差す先には資料の山。
「…」
「大人しく、家に帰ってな。」
「…」
何も答えることも出来ず、うららはすごすごとオフィスを後にした。
警察はあまり好きではないが、今回は仕方ない。
今日という日をたった一人で過ごすのはあまりにも寂しい。
勇気を出して、うららは受付の警察官に声を掛けた。
「あのぅ、周防警察官、いらっしゃいますか?」
…やはり、克哉も駄目だった。
今日は暇か聞いてみたんだけれど。やっぱり忙しいらしく。
どう断ろうかと、顔色が青くなったり赤くなったりする周防兄。気を使ってくれてるのが良く分かる。
しかもなぜか妙におどおどしていて、見てるだけで可哀想になってしまった。
早々に克哉を誘うのをあきらめて、うららはまた他の人間を探しに行った。
だが。
声をかけた人間はことごとく用事があり、エリーも仕事。南条君は不在。
結局、一緒に祝ってくれる人がいなく、うららはパラベラムでマスターを相手に
寂しく飲んで、この時間に至ったのだ――――。
以上、回想終わり。
チーン。
どこまでもタイミングよく、エレベーターが止まる。
静まり返った廊下には、彼女の声と足音とが響き渡った。
エレベーターの中でぐるぐると頭を使ったせいか、少しだけ酔いが覚めてきたようで。
うららは先ほどついた、たくさんの悪口に罪悪感を感じていた。
途端、今日の克哉の慌てふためいた表情が目の前を掠めていく。
「でも、なんだかんだ言って克哉さんてぇいい人よね~。
優しいし、誠実だし、ケーキ作るのうまいし、安定してる公務員だし!
ブラコンとネコフェチが玉に疵だけど…。まぁ、そんくらいは良しとして。
あーゆー人に愛されてるマーヤったら幸せ者よねぇ。うーらやーましぃー限りぃぃ~よぅ~。」
本当、可愛いわよねぇ、克哉さんて。
それに比べて、パオときたら…。誠実じゃないわ、酒呑みだわ、家事はしないわ!
そこまで考えみて、思わず笑いがこみ上げてくる。
それは、自分自身に対してだった。
「あ~あぁ~、そうですよぉーー。あんなヤサグレちゃった半神男でも好きなんですよぉー。
惚れちゃったんですよぉー、ごっめんなさいねぇーーーー」
そう。そんな男でも心底惚れている。他の誰よりも、自分はあの男を愛しているのだ。
それこそ、家族よりも友達よりも。
…友達、かぁ。マーヤは既に家族の位置付けよねぇ。
「マーヤなんてぇ、美人だし元気だし胸大きいしー。
この世の誰よりも愛してるのにーーー。ドタキャンなんてぇぇひどいったらないわよぅ。
きっときっと、アタシを置いてお嫁にいっちゃうんだわ。マーヤに捨てられるんだわ。
…ふん。それでもマーヤが結婚するまでは、ずーーっとずぅーーーーっと傍にいるもんね…。」
うららは大げさなほどのため息をいた。
そして、思い返してみる。
家事に疎いルームメイトを。
心優しい乙女刑事を。
皮肉屋の恋人を。その他、声を掛けてみた人々を。
何だかんだ言っても、全員、自分にとってこれからも大切にしていきたい掛け替えのない存在。
「まぁ、今回は独りでも仕方ないかぁ。」
くすっと笑うと、うららはバッグの中からキーを取り出した。
かちりと軽い音を立てて、玄関の鍵が開く。
キィィ。ゆっくりと扉を開ける。
うららの頬を冷たい空気が触れていく。明かりも火の気も一切ない。
「あれ?電気ついてない。…ってことはマーヤまだ仕事なのかしら。
編集長にまーだ絞られてんのかしらね。まったく、かわいそうに。」
舞耶に同情しながら真っ暗な部屋に一歩足を踏み入れた、そのとたん!
カッ!!
わずか一瞬でうららの視界は光で満たされていく。
「えぇっ!?」
同時にパーンパパーーンと何かが爆発する音。
「なななななな!?」
驚きと酔いが手伝って、うららは床にへたりこんでしまった。
良く見れば体中になぜか糸が絡み付いている。
い、糸??蜘蛛系悪魔!?ああああ悪魔!?戦闘開始!?
慌てふためいて、思わずペルソナを呼びそうになった瞬間。
「おめでとーーーー!!」
聞きなれた声のハーモニーがうららの耳に辿り着いた。
「え?え?…ええ???」
ようやく目も光に慣れてきて、眉間にしわを寄せながらも部屋の様子をなんとか伺う。
HAPPY BIRTHDAY
そう書かれた垂れ幕が、壁にぶらさがっている。
テーブルの上には湯気の上がるご馳走、ワイン、ウィスキー、バーボン、あらゆるお酒。
精巧なデコレーションの施された美しいケーキ。
窓と花瓶には色とりどりの花、花、花。
床にはなぜか割れたグラスとバーボンと氷。
驚きと喜びで目を白黒させながらあたりを見回せば、微笑んでいるなじみのメンバーの顔。
マヤ、克哉、パオフゥ、南条、エリー。…還ってしまった一人を除いた、あの時のパーティ。
全員が火薬臭いクラッカーを持ち自分を囲んで、笑っている。
「お誕生日おめでとう、うらら。」
―――うららは目頭が熱くなっていくのを感じた。
結局、パーティーは3時過ぎまで盛り上がりを見せ、疲れた人間から眠りにつくことでお開きになった。
最初にダウンしたのは克哉。その隣に舞耶がくっつくようにして眠っている。
南条君とエリーも並んで仲良く眠っているし、パオフゥはソファーに転がっている。
「うふふ。」
その様子を見るたびに、うららの顔に笑みが走る。
嬉しさと酒とでほてった顔を冷やすために、うららはそっとベランダへ出た。
程よく冷たい夜風は、優しく頬をなでていく。
タバコに火をつけて、ゆったりと夜空を見上げているとカタリと後ろで窓を開ける音がした。
カラン。
今度はグラスの中で氷が踊る音。
ちらりと左隣をうかがえば、そこにはうららが予想したとおりの人物が立っていた。
「あれ、パオ…起きてたんだぁ。」
パオフゥはバーボンを呷りながら、フッと笑う。
「あんくれぇの酒じゃあ、俺は酔わねぇよ。」
確かにねぇ。答えたうららはゆっくりと紫煙を燻らす。
やわらかな沈黙を破り、うららは口を開いた。
「今日のパーティー、ずいぶん前からマーヤと企画してたんだって?」
「パオって、そんなにマーヤと仲良かったかしら?」
意地悪そうに言ううららの顔も見ず、受け答える。
「あー、色々あったんだ。とにかく天野がうるさくて、なぁ。」
眉間にしわを寄せながら答えるパオフゥを尻目に、うららはけらけらと笑った。
「本当、アンタが祝ってくれるなんて思いもしなかったわよぅ。…凄く嬉しかった。」
心底嬉しそうなうららを、ひとしきり困ったように見つめてから、パオフゥはスーツのポケットから何かを取り出した。
「…どうかしたの?」
うららの問いには答えず、それを軽く握り締め、意を決したように呟いた。
「…ささやかだが、俺からのプレゼントだ。受け取りな。」
うららは、ポンと投げられた小さな包みを慌てて受け取る。
「あ、ありがとう。な、何かしら?」
早速、包みを解こうとしたうららをパオフゥは制止した。
「今開けるのは勘弁してくれ。柄にもねぇことしてこっちも恥ずかしいんだ。」
そう言って背を向けたパオフゥの顔は今までにないほど赤くなっていた。
つられてうららの顔も真っ赤になる。
「じゃ、後でゆっくり見させてもらうわ。」
もごもごと言ううららを振り返ったパオフゥの顔はだいぶ赤みがうせていて。
「まぁ、なんだ。崖っぷち突入おめでとう。」
バーボンのグラスを掲げ、にやりと笑ったパオフゥの腹に見事なストレートが収まる。
「崖ッぷちは余計よッ!」
憤然としていても、うららの顔はどこか嬉しそうで。
「っイテテテ…。あ、相変わらず、キレの良いパンチだ事で…。」
鳩尾をさすりながら皮肉を垂れるパオフゥの顔も、どこか嬉しそうで。
冷たい夜空を流れ星が一つ、そんな二人の目の前を通り過ぎていく。
「あ、流れ星!…キレイ。」
どちらからともなく、お互いの手は握り合われ重なってゆく。
そしてそのまま二人は寄り添うように空を見上げていた。
やがて、暗闇に溶けてしまいそうな小さな声。
「HAPPY BIRTHDAY うらら」
ろくに明かりのない薄暗い道路を、一人の女が家路へと向かっていた。
「まったく、今日は本当についてないったらありゃしない。」
赤らんだ顔は、既にかなりの酒が入っている事を示している。
足元もふらふらよろよろの千鳥足で、どうにもこうにもおぼつかない。
それでも、電柱や所狭しと並んでいる路上駐車中の自動車の間をうまくすり抜けて行きながら、女はなにやら一人ごちていた。
「だいたいみんな薄情なのよぅ。今日が何の日かも忘れちゃってさ。」
グスンと鼻が鳴る。
「いいんだー、ふ~んだ。みんなが忘れててたって平気だもん。
アタシにはこれがあるもんねー。…どうせアタシなんてお酒とタバコが友達よぅ。」
その右手には、いつも彼女が愛用している仕事用バック。
左手にぶらさげた袋からは、ワインのビンが数本顔を覗かせている。
かなり酔っているように伺えるが、まだ飲み足りないらしい。
「随分といいワイン奮発しちゃったし、今日はこれ飲んで、寝るかぁ。」
小さく溜息をつき、女はひきずるような重い足取りでルナパレス港南へと消えていった。
静まり返ったルナパレス港南のエントランスには、酔ったうららの声が響き渡る。
「そもそも、克哉さんは仕方ないのよ。アポなしで声かけたアタシが悪かったんだもんねぇ。
モミアゲ長いけど、刑事だし、仕事忙しいし、マーヤと達哉君とニャンコ命だしさ~。
アイラービュゥーー!天野くぅ~~んvなんてぇー。お、似てる!あはははーーー。」
きゃっきゃっと楽しそうに笑いながら、酔いも手伝って悪口は徐々にエスカレートしていく。
「パオは・・・まぁ、いつものことよねぇ。
アタシなんてぇ眼中にないのよ、きっと。だけどぉ、阿呆ってのは失礼じゃないっ!?
あいつにとって大事なものなんてどうせ、半神グッズとかそんなもんぐらいなんだわ。しょうもない。
半神なんてどうせ今年も最下位よぅ。ザーマーミロよ、ばかったれー。」
見えないパオフゥに向かってあっかんべーをすると、少しすっきりしたように息を付いた。
そしてすぐに今度は頬を膨らませて、憮然とした表情になる。まるで百面相だ。
「でもね!マーヤまで!マーヤまで用事があるってどういうことなのよぉ~!
頼みの綱がこんなんじゃーアタシだって救われないわーー!愛はそこにはないのよぅ!
8年来付き合いなのにーーー。マーヤのばかあああああ。」
頭を振りながら、泣きに入ってしまったと同時に。
チーーーン。
タイミングよく、エレベーターが到着。
またもため息をついて、うららはエレベーターに乗りこんだ。
ゴゥンゴゥンと音を立てながら、ゆっくりとエレベーターは階上に向かっていく。
壁にもたれかかりながらふと、うららは今日の出来事を思い出していた。
事の顛末は、朝、舞耶から告げられた一言から始まった。
「うらら、ごめん!今日はちょっと編集長から呼び出しくらっちゃって。
どうしても一緒にお祝いできそうにないの。だから他の人、誘って?」
そう言って舞耶は手を合わせてきたのだった。
「えーー!ずいぶん前から約束してたじゃないのよぅ!
この日の為にアタシ休暇取ったのよぅ!」
舞耶のドタキャンにうららは大いに焦った。
「アタシ一人で過ごすの?崖ッぷち記念を?悲しいわよぅ~~!ひどいー!」
こんな急では他の人間が捕まるわけもない。
「ごめん!本当に御免うらら。埋め合わせは今度するから、ね?
それに一人くらい捕まるわよ!レッツポジティブシンキング!」
駄々をこねたところで、舞耶も仕事だから仕方ない。
文句をいってもどうにもなりはしない事をうららは良く知っている。
「…分かったわよぅ。他の人、誘うわ。」
力なく答えたうららは、頭の中で誘えそうな人間を数えていた。
「パーオ!」
甘えるようにうららはパオフゥに抱きつく。
「…なんだ?今日は休暇とってたんじゃねぇのか?」
キーボードを叩きながら、いつも通り、不機嫌そうに呟く。
「今日、暇じゃないかしら?」
精一杯の猫なで声で、うららは恐る恐る尋ねてみる。
「おめぇは馬鹿か?俺が暇なわけねぇだろう。こんなに仕事が山積みでよ。」
指差す先には資料の山。
「…」
「大人しく、家に帰ってな。」
「…」
何も答えることも出来ず、うららはすごすごとオフィスを後にした。
警察はあまり好きではないが、今回は仕方ない。
今日という日をたった一人で過ごすのはあまりにも寂しい。
勇気を出して、うららは受付の警察官に声を掛けた。
「あのぅ、周防警察官、いらっしゃいますか?」
…やはり、克哉も駄目だった。
今日は暇か聞いてみたんだけれど。やっぱり忙しいらしく。
どう断ろうかと、顔色が青くなったり赤くなったりする周防兄。気を使ってくれてるのが良く分かる。
しかもなぜか妙におどおどしていて、見てるだけで可哀想になってしまった。
早々に克哉を誘うのをあきらめて、うららはまた他の人間を探しに行った。
だが。
声をかけた人間はことごとく用事があり、エリーも仕事。南条君は不在。
結局、一緒に祝ってくれる人がいなく、うららはパラベラムでマスターを相手に
寂しく飲んで、この時間に至ったのだ――――。
以上、回想終わり。
チーン。
どこまでもタイミングよく、エレベーターが止まる。
静まり返った廊下には、彼女の声と足音とが響き渡った。
エレベーターの中でぐるぐると頭を使ったせいか、少しだけ酔いが覚めてきたようで。
うららは先ほどついた、たくさんの悪口に罪悪感を感じていた。
途端、今日の克哉の慌てふためいた表情が目の前を掠めていく。
「でも、なんだかんだ言って克哉さんてぇいい人よね~。
優しいし、誠実だし、ケーキ作るのうまいし、安定してる公務員だし!
ブラコンとネコフェチが玉に疵だけど…。まぁ、そんくらいは良しとして。
あーゆー人に愛されてるマーヤったら幸せ者よねぇ。うーらやーましぃー限りぃぃ~よぅ~。」
本当、可愛いわよねぇ、克哉さんて。
それに比べて、パオときたら…。誠実じゃないわ、酒呑みだわ、家事はしないわ!
そこまで考えみて、思わず笑いがこみ上げてくる。
それは、自分自身に対してだった。
「あ~あぁ~、そうですよぉーー。あんなヤサグレちゃった半神男でも好きなんですよぉー。
惚れちゃったんですよぉー、ごっめんなさいねぇーーーー」
そう。そんな男でも心底惚れている。他の誰よりも、自分はあの男を愛しているのだ。
それこそ、家族よりも友達よりも。
…友達、かぁ。マーヤは既に家族の位置付けよねぇ。
「マーヤなんてぇ、美人だし元気だし胸大きいしー。
この世の誰よりも愛してるのにーーー。ドタキャンなんてぇぇひどいったらないわよぅ。
きっときっと、アタシを置いてお嫁にいっちゃうんだわ。マーヤに捨てられるんだわ。
…ふん。それでもマーヤが結婚するまでは、ずーーっとずぅーーーーっと傍にいるもんね…。」
うららは大げさなほどのため息をいた。
そして、思い返してみる。
家事に疎いルームメイトを。
心優しい乙女刑事を。
皮肉屋の恋人を。その他、声を掛けてみた人々を。
何だかんだ言っても、全員、自分にとってこれからも大切にしていきたい掛け替えのない存在。
「まぁ、今回は独りでも仕方ないかぁ。」
くすっと笑うと、うららはバッグの中からキーを取り出した。
かちりと軽い音を立てて、玄関の鍵が開く。
キィィ。ゆっくりと扉を開ける。
うららの頬を冷たい空気が触れていく。明かりも火の気も一切ない。
「あれ?電気ついてない。…ってことはマーヤまだ仕事なのかしら。
編集長にまーだ絞られてんのかしらね。まったく、かわいそうに。」
舞耶に同情しながら真っ暗な部屋に一歩足を踏み入れた、そのとたん!
カッ!!
わずか一瞬でうららの視界は光で満たされていく。
「えぇっ!?」
同時にパーンパパーーンと何かが爆発する音。
「なななななな!?」
驚きと酔いが手伝って、うららは床にへたりこんでしまった。
良く見れば体中になぜか糸が絡み付いている。
い、糸??蜘蛛系悪魔!?ああああ悪魔!?戦闘開始!?
慌てふためいて、思わずペルソナを呼びそうになった瞬間。
「おめでとーーーー!!」
聞きなれた声のハーモニーがうららの耳に辿り着いた。
「え?え?…ええ???」
ようやく目も光に慣れてきて、眉間にしわを寄せながらも部屋の様子をなんとか伺う。
HAPPY BIRTHDAY
そう書かれた垂れ幕が、壁にぶらさがっている。
テーブルの上には湯気の上がるご馳走、ワイン、ウィスキー、バーボン、あらゆるお酒。
精巧なデコレーションの施された美しいケーキ。
窓と花瓶には色とりどりの花、花、花。
床にはなぜか割れたグラスとバーボンと氷。
驚きと喜びで目を白黒させながらあたりを見回せば、微笑んでいるなじみのメンバーの顔。
マヤ、克哉、パオフゥ、南条、エリー。…還ってしまった一人を除いた、あの時のパーティ。
全員が火薬臭いクラッカーを持ち自分を囲んで、笑っている。
「お誕生日おめでとう、うらら。」
―――うららは目頭が熱くなっていくのを感じた。
結局、パーティーは3時過ぎまで盛り上がりを見せ、疲れた人間から眠りにつくことでお開きになった。
最初にダウンしたのは克哉。その隣に舞耶がくっつくようにして眠っている。
南条君とエリーも並んで仲良く眠っているし、パオフゥはソファーに転がっている。
「うふふ。」
その様子を見るたびに、うららの顔に笑みが走る。
嬉しさと酒とでほてった顔を冷やすために、うららはそっとベランダへ出た。
程よく冷たい夜風は、優しく頬をなでていく。
タバコに火をつけて、ゆったりと夜空を見上げているとカタリと後ろで窓を開ける音がした。
カラン。
今度はグラスの中で氷が踊る音。
ちらりと左隣をうかがえば、そこにはうららが予想したとおりの人物が立っていた。
「あれ、パオ…起きてたんだぁ。」
パオフゥはバーボンを呷りながら、フッと笑う。
「あんくれぇの酒じゃあ、俺は酔わねぇよ。」
確かにねぇ。答えたうららはゆっくりと紫煙を燻らす。
やわらかな沈黙を破り、うららは口を開いた。
「今日のパーティー、ずいぶん前からマーヤと企画してたんだって?」
「パオって、そんなにマーヤと仲良かったかしら?」
意地悪そうに言ううららの顔も見ず、受け答える。
「あー、色々あったんだ。とにかく天野がうるさくて、なぁ。」
眉間にしわを寄せながら答えるパオフゥを尻目に、うららはけらけらと笑った。
「本当、アンタが祝ってくれるなんて思いもしなかったわよぅ。…凄く嬉しかった。」
心底嬉しそうなうららを、ひとしきり困ったように見つめてから、パオフゥはスーツのポケットから何かを取り出した。
「…どうかしたの?」
うららの問いには答えず、それを軽く握り締め、意を決したように呟いた。
「…ささやかだが、俺からのプレゼントだ。受け取りな。」
うららは、ポンと投げられた小さな包みを慌てて受け取る。
「あ、ありがとう。な、何かしら?」
早速、包みを解こうとしたうららをパオフゥは制止した。
「今開けるのは勘弁してくれ。柄にもねぇことしてこっちも恥ずかしいんだ。」
そう言って背を向けたパオフゥの顔は今までにないほど赤くなっていた。
つられてうららの顔も真っ赤になる。
「じゃ、後でゆっくり見させてもらうわ。」
もごもごと言ううららを振り返ったパオフゥの顔はだいぶ赤みがうせていて。
「まぁ、なんだ。崖っぷち突入おめでとう。」
バーボンのグラスを掲げ、にやりと笑ったパオフゥの腹に見事なストレートが収まる。
「崖ッぷちは余計よッ!」
憤然としていても、うららの顔はどこか嬉しそうで。
「っイテテテ…。あ、相変わらず、キレの良いパンチだ事で…。」
鳩尾をさすりながら皮肉を垂れるパオフゥの顔も、どこか嬉しそうで。
冷たい夜空を流れ星が一つ、そんな二人の目の前を通り過ぎていく。
「あ、流れ星!…キレイ。」
どちらからともなく、お互いの手は握り合われ重なってゆく。
そしてそのまま二人は寄り添うように空を見上げていた。
やがて、暗闇に溶けてしまいそうな小さな声。
「HAPPY BIRTHDAY うらら」
はっきり言って、僕は嘘が苦手だ。
すぐに顔に出てしまうし、何よりも公僕たる者清廉潔白でなければいけない。
だが、今回ばかりはどうにかしてポーカーフェイスをキープしなくてはならない。
嘘を、付きとおさなければいけなくて。
…なぜなら僕はある約束をしたからだ。
Surprise Typhoon
side"k"
そもそもこんなことになったのは、先週の土曜日、天野君から電話があったことから始まったわけで。
あれは…12時くらいだったか?
そろそろ昼食に行こうかと思っていたところに、ケータイが鳴ったんだ。
どうせ電話を掛けてくるのは同僚くらいだと思っていたから、僕は相手の確認を怠ってしまったのだけれど、これは少々まずかったようで。
「はい、周防。」
意気込んで答えると、柔らかな声音が響いた。
「もしもし、克哉さん?天野ですけど、わかります?」
僕はうれしさで卒倒しそうだった。天野君から電話がかかってくるなんて!!
「もももももちろんだよ!!ききき今日はどうかしたのかい?」
仕事中だということも忘れて、僕は舞い上がってしまった。
周りから受ける冷たい目線と、あたりに響き渡る黄色い嬌声なんて気付きもしなかった。
声が上ずっていた挙句、挙動不審だったと、あとで仲間に冷やかされるなんて思いもしなかった。
…僕にとって、そんなことは心からどうでも良かったんだ。
天野君が言うには、
「実はね、30日はうららの誕生日なのよ。それで、お願いがあるんだけど・・・」
あああああああ。
どうして天野君のお願いを僕が叶えられないわけがあるのか。
言ってくれ、言ってくれ。ジャンジャン言ってくれ!!
そう叫びたいのを必死にこらえ、平静を保ちながら僕は尋ねる。
「一体、なんだい?」
「実はね…」
話を聞いてもちろん、僕は二つ返事でOKしたさ!ああそうさ!
計画自体、とても素敵なものだったし、僕自身ホームパーティーが好きだったからね。
天野君のリクエストに応じたケーキを3つほど焼いて、達哉にも別に2つほど焼いて(えらく嫌がってはいたが)食べさせもした。
準備は万端!!味ももちろん自信アリ!!
けれど、僕はすっかり忘れていたんだ。一番、重要な問題を。
僕は嘘が苦手な事を、それがすぐに顔に出てしまうことを!!
30日当日。やはり12時頃だったかな。
署に芹沢君がきたんだ。
最初、なぜ彼女が署に来たのかが分からなくて、
「珍しいね、どうかしたのかい?」
って、聞いたんだ。
そうしたらものすごく申し訳なさそうに、
「今日、暇?」
と僕に聞いてくるじゃないか。
それで、僕は理解したんだ。
けれど天野君とのあの約束がある手前、うかつに答えられはしなくて。
だから、はぐらかすように答えたんだ。
「え、僕かい?急にどうしたんだい?」
今日が何の日か分かっててこんなことを言う僕は、なんて白々しくていやらしいのだろうと思ったよ。
「え、あ、なんか一緒に飲みたいなー、なんて思ってさ。」
困ったように、ぼそぼそと芹沢君が言う。
…やっぱり。
でも、計画の事を考えるとはっきり断るわけにはいかなくて。
仕方なしに僕は素知らぬ振りで、尋ねた。
「ぼ、僕がお相手でいいのかな。嵯峨は一緒じゃないのかい?」
ああ!僕の発言のなんとわざとらしかったこと!
「や…そのぅ、パオは『おめぇは馬鹿か?俺が暇なわけねぇだろう』って…。」
そう言って、彼女は苦笑いをした。
そりゃそうだ。ナイショで彼女を驚かせる準備があるんだから。
けれどそれを言うことは出来ないし、でも一人にさせるのは可哀想だし、どうしたものかと思案していたら、彼女は慌てたようにこう言ったんだ。
「あ、あ、ごめんごめん。そんな悩ませるつもりはなかったのよぅ。無理しないで!…ご免ね?」
それは本当に寂しそうな声と表情で。
全身に罪悪感が走ったよ。僕は叫びたかったよ。顔にも間違いなく出ただろう。
嘘ついてごめんなさい!!すいません!勘弁してください!!!!
ってね。…なのに、その言葉は言うのを許されないわけで。
芹沢君が小さくため息を付いたのを僕は見逃さなかった。
「忙しいトコ、ごめんねぇ。…それじゃーねぇ。」
そのまま彼女は帰っていってしまったけど、その後ずっと僕は申し訳ない気持ちで一杯だった。仕事もろくに手がつかなかったよ。
犯罪を犯したあとってこんな風に感じるのかな…と思ったよ。
そして、夜。
芹沢君を待つ部屋の中で天野君と嵯峨が、なにかごそごそとやっているじゃないか。
桐島君と南条君は飾り付けに気を取られていて気付いていなかった様だが。
あの二人が共謀して何かやっているなんて珍しいな、と思ったから僕は声を掛けたんだ。
「天野君。嵯峨と二人して、一体何しているんだい?」
振り返った彼女の手にはヘッドフォン。そこから聞こえるのは…芹沢君の声??
そして、嵯峨のジュラルミン製のいつものケースの中にはなにやらものものしい機材が溢れ返っている。
「そそそそれは、一体???」
僕はびっくりして天野君に尋ねた。
少しだけ、困ったように、そしていたずらが見つかった子供のように彼女は答えた。
「実はね、――パオフゥと共同っていうのはすっっっごく不愉快だったんだけど。
今日のうららの行動をどうしても知りたくって、うららのバックに盗聴器、仕掛けちゃったv」
てへっ☆っと天野君が爽やかに笑う。
な、なんていうことおおおおおおおおおおおお!
僕は、自分の目が丸く見開いていくのを、感じた。
「そっ、それは犯罪じゃないのかい!?」
あたふたと、天野君に問う。
「レッツポジティブシンキング~~♪克哉さんv」
軽く、その質問を流す天野君。
「いや、でもね僕はその、ほら、現役の刑事だし…。」
言いよどむ僕の顔に天野君の唇が近づく。
「まあまあ、いいじゃないの、克哉さん。そんなカタいこと、い・わ・な・い・で?」
僕の耳の辺りに彼女の暖かな吐息が掛かる。
…はい。もう言いません。この口が裂けても。
そう思っていた矢先、ヘッドフォンから溢れ出したのは大音量での芹沢君の声。
それまで気付いていなかった南条君と桐沢君もこちらを振り返る。
『でも、なんだかんだ言って克哉さんてぇいい人よね~。
優しいし、誠実だし、ケーキ作るのうまいし、安定してる公務員だし!
ブラコンとネコフェチが玉に疵だけど…。まぁ、そんくらいは良しとして。
あーゆー人に愛されてるマーヤったら幸せ者よねぇ。うーらやーましぃー限りぃぃ~よぅ~。』
いいいいきなり、なんてこと言うんだい、芹沢君!しかもミュージカル調で!
僕は体中の血の気が一気にひいてしまった。
南条君と桐島君は顔を見合わせ、困ったよう笑いながら僕を見ている。
嵯峨はあの皮肉ったらしい笑みを浮かべたまま、目線だけ僕に向けてくる。
…か、肝心の天野君は??
おそるおそる、右隣にいる天野君に視線を向ける。
うつむいている彼女の顔は…赤い?照れている?
ま、満更じゃない!?
やふーーーーー!!!
と叫びたい気持ちを抑えて、でも何かしたいからこっそりとガッツポーズ。
芹沢君の愚痴は更に続く。
『あ~あぁ~、そうですよぉーー。あんなヤサグレちゃった半神男でも好きなんですよぉー。
惚れちゃったんですよぉー、ごっめんなさいねぇーーーー』
もはや、愚痴なのかノロケなのか。相変わらずのミュージカル口調で。
左隣の男を覗き見ると、こちらも顔が赤い。驚いた!嵯峨が照れているのか。
―――いいね、微笑ましいね。幸せそうだね。僕らもそうなりたいね。
そう思って、もう一度天野君に目を向けると今度は顔色がよくない。
なんだか握り締めた拳がぶるぶると震えている気すらする。一体どうしたんだろう?
徐々に部屋に近づいているためか芹沢君の声がよりクリアーに聞こえてくる。
『マーヤなんてぇ、美人だし元気だし胸大きいしー。
この世の誰よりも愛してるのにーーー。ドタキャンなんてぇぇひどいったらないわよぅ。
きっときっと、アタシを置いてお嫁にいっちゃうんだわ。アタシ、マーヤに捨てられるんだわ。
…ふん。それでもマーヤが結婚するまでは、ずーーっとずぅーーーーっと傍にいちゃうもんね…。』
そのセリフに、天野君が心底嬉しそうに笑う。
「…うららったら。うふふ。私も愛してるわよー!傍にいてくれるなんて、大歓迎よー!」
女性の友情は美しいんだなぁ。僕はハンカチでそっと涙を拭いた、その途端。
ばきり。…ガチャン。
グラスの割れ落ちる音。
驚いて発生源を目で追うと、うつむいた嵯峨の手から血が溢れていた。
その周りの床には、砕けたガラスの破片と琥珀色のバーボンが散っている。
一体全体、なんでグラスが割れたんだ??何が起きたのかは分からなかったが、とにかく手当てをせねば。
「さ、嵯峨?大丈夫かい?」
慌てて、尋ねてみれば
「…うるせぇ。」
いつも以上に、ぶっきらぼうな返事。
「そんなこといったって、その手は大丈夫じゃないだろう!」
僕がさっきまで涙を拭っていたハンカチを渡そうとすると、
「平気よ克哉さん。私がディアかけるわ。」
そう言って微笑んだのは、なんだか上機嫌な天野君。
あぁ・・・君は間違いなく女神だよ。アルテミスだよ!僕は彼女の優しさに確信を抱いた。
彼女はそのまま嵯峨の方へ歩いていった。
嵯峨が嫌がっているのかなんなんかは分からなかったが、二人はなんだか悶着していて。
その合間に、靴の音が部屋の前に辿り着き、やがて鍵をがちゃがちゃとさせる音が聞こえた。
「Be quiet!お静かに!Ms.うららがいらっしゃいましたわ!」
桐島君の一声で天野君と嵯峨を含め、皆がいっせいに押し黙る。
僕らはそれぞれ、クラッカーを携えて彼女がこの部屋にやってくるのを待った。
キィィと、軽い音を立ててドアが開く。そして、人の気配。
いよいよと、僕はクラッカーの紐をきつく握った。
驚かした後、嘘をついたことを謝ろう。
さあ。
パーティーのはじまりだ!!
すぐに顔に出てしまうし、何よりも公僕たる者清廉潔白でなければいけない。
だが、今回ばかりはどうにかしてポーカーフェイスをキープしなくてはならない。
嘘を、付きとおさなければいけなくて。
…なぜなら僕はある約束をしたからだ。
Surprise Typhoon
side"k"
そもそもこんなことになったのは、先週の土曜日、天野君から電話があったことから始まったわけで。
あれは…12時くらいだったか?
そろそろ昼食に行こうかと思っていたところに、ケータイが鳴ったんだ。
どうせ電話を掛けてくるのは同僚くらいだと思っていたから、僕は相手の確認を怠ってしまったのだけれど、これは少々まずかったようで。
「はい、周防。」
意気込んで答えると、柔らかな声音が響いた。
「もしもし、克哉さん?天野ですけど、わかります?」
僕はうれしさで卒倒しそうだった。天野君から電話がかかってくるなんて!!
「もももももちろんだよ!!ききき今日はどうかしたのかい?」
仕事中だということも忘れて、僕は舞い上がってしまった。
周りから受ける冷たい目線と、あたりに響き渡る黄色い嬌声なんて気付きもしなかった。
声が上ずっていた挙句、挙動不審だったと、あとで仲間に冷やかされるなんて思いもしなかった。
…僕にとって、そんなことは心からどうでも良かったんだ。
天野君が言うには、
「実はね、30日はうららの誕生日なのよ。それで、お願いがあるんだけど・・・」
あああああああ。
どうして天野君のお願いを僕が叶えられないわけがあるのか。
言ってくれ、言ってくれ。ジャンジャン言ってくれ!!
そう叫びたいのを必死にこらえ、平静を保ちながら僕は尋ねる。
「一体、なんだい?」
「実はね…」
話を聞いてもちろん、僕は二つ返事でOKしたさ!ああそうさ!
計画自体、とても素敵なものだったし、僕自身ホームパーティーが好きだったからね。
天野君のリクエストに応じたケーキを3つほど焼いて、達哉にも別に2つほど焼いて(えらく嫌がってはいたが)食べさせもした。
準備は万端!!味ももちろん自信アリ!!
けれど、僕はすっかり忘れていたんだ。一番、重要な問題を。
僕は嘘が苦手な事を、それがすぐに顔に出てしまうことを!!
30日当日。やはり12時頃だったかな。
署に芹沢君がきたんだ。
最初、なぜ彼女が署に来たのかが分からなくて、
「珍しいね、どうかしたのかい?」
って、聞いたんだ。
そうしたらものすごく申し訳なさそうに、
「今日、暇?」
と僕に聞いてくるじゃないか。
それで、僕は理解したんだ。
けれど天野君とのあの約束がある手前、うかつに答えられはしなくて。
だから、はぐらかすように答えたんだ。
「え、僕かい?急にどうしたんだい?」
今日が何の日か分かっててこんなことを言う僕は、なんて白々しくていやらしいのだろうと思ったよ。
「え、あ、なんか一緒に飲みたいなー、なんて思ってさ。」
困ったように、ぼそぼそと芹沢君が言う。
…やっぱり。
でも、計画の事を考えるとはっきり断るわけにはいかなくて。
仕方なしに僕は素知らぬ振りで、尋ねた。
「ぼ、僕がお相手でいいのかな。嵯峨は一緒じゃないのかい?」
ああ!僕の発言のなんとわざとらしかったこと!
「や…そのぅ、パオは『おめぇは馬鹿か?俺が暇なわけねぇだろう』って…。」
そう言って、彼女は苦笑いをした。
そりゃそうだ。ナイショで彼女を驚かせる準備があるんだから。
けれどそれを言うことは出来ないし、でも一人にさせるのは可哀想だし、どうしたものかと思案していたら、彼女は慌てたようにこう言ったんだ。
「あ、あ、ごめんごめん。そんな悩ませるつもりはなかったのよぅ。無理しないで!…ご免ね?」
それは本当に寂しそうな声と表情で。
全身に罪悪感が走ったよ。僕は叫びたかったよ。顔にも間違いなく出ただろう。
嘘ついてごめんなさい!!すいません!勘弁してください!!!!
ってね。…なのに、その言葉は言うのを許されないわけで。
芹沢君が小さくため息を付いたのを僕は見逃さなかった。
「忙しいトコ、ごめんねぇ。…それじゃーねぇ。」
そのまま彼女は帰っていってしまったけど、その後ずっと僕は申し訳ない気持ちで一杯だった。仕事もろくに手がつかなかったよ。
犯罪を犯したあとってこんな風に感じるのかな…と思ったよ。
そして、夜。
芹沢君を待つ部屋の中で天野君と嵯峨が、なにかごそごそとやっているじゃないか。
桐島君と南条君は飾り付けに気を取られていて気付いていなかった様だが。
あの二人が共謀して何かやっているなんて珍しいな、と思ったから僕は声を掛けたんだ。
「天野君。嵯峨と二人して、一体何しているんだい?」
振り返った彼女の手にはヘッドフォン。そこから聞こえるのは…芹沢君の声??
そして、嵯峨のジュラルミン製のいつものケースの中にはなにやらものものしい機材が溢れ返っている。
「そそそそれは、一体???」
僕はびっくりして天野君に尋ねた。
少しだけ、困ったように、そしていたずらが見つかった子供のように彼女は答えた。
「実はね、――パオフゥと共同っていうのはすっっっごく不愉快だったんだけど。
今日のうららの行動をどうしても知りたくって、うららのバックに盗聴器、仕掛けちゃったv」
てへっ☆っと天野君が爽やかに笑う。
な、なんていうことおおおおおおおおおおおお!
僕は、自分の目が丸く見開いていくのを、感じた。
「そっ、それは犯罪じゃないのかい!?」
あたふたと、天野君に問う。
「レッツポジティブシンキング~~♪克哉さんv」
軽く、その質問を流す天野君。
「いや、でもね僕はその、ほら、現役の刑事だし…。」
言いよどむ僕の顔に天野君の唇が近づく。
「まあまあ、いいじゃないの、克哉さん。そんなカタいこと、い・わ・な・い・で?」
僕の耳の辺りに彼女の暖かな吐息が掛かる。
…はい。もう言いません。この口が裂けても。
そう思っていた矢先、ヘッドフォンから溢れ出したのは大音量での芹沢君の声。
それまで気付いていなかった南条君と桐沢君もこちらを振り返る。
『でも、なんだかんだ言って克哉さんてぇいい人よね~。
優しいし、誠実だし、ケーキ作るのうまいし、安定してる公務員だし!
ブラコンとネコフェチが玉に疵だけど…。まぁ、そんくらいは良しとして。
あーゆー人に愛されてるマーヤったら幸せ者よねぇ。うーらやーましぃー限りぃぃ~よぅ~。』
いいいいきなり、なんてこと言うんだい、芹沢君!しかもミュージカル調で!
僕は体中の血の気が一気にひいてしまった。
南条君と桐島君は顔を見合わせ、困ったよう笑いながら僕を見ている。
嵯峨はあの皮肉ったらしい笑みを浮かべたまま、目線だけ僕に向けてくる。
…か、肝心の天野君は??
おそるおそる、右隣にいる天野君に視線を向ける。
うつむいている彼女の顔は…赤い?照れている?
ま、満更じゃない!?
やふーーーーー!!!
と叫びたい気持ちを抑えて、でも何かしたいからこっそりとガッツポーズ。
芹沢君の愚痴は更に続く。
『あ~あぁ~、そうですよぉーー。あんなヤサグレちゃった半神男でも好きなんですよぉー。
惚れちゃったんですよぉー、ごっめんなさいねぇーーーー』
もはや、愚痴なのかノロケなのか。相変わらずのミュージカル口調で。
左隣の男を覗き見ると、こちらも顔が赤い。驚いた!嵯峨が照れているのか。
―――いいね、微笑ましいね。幸せそうだね。僕らもそうなりたいね。
そう思って、もう一度天野君に目を向けると今度は顔色がよくない。
なんだか握り締めた拳がぶるぶると震えている気すらする。一体どうしたんだろう?
徐々に部屋に近づいているためか芹沢君の声がよりクリアーに聞こえてくる。
『マーヤなんてぇ、美人だし元気だし胸大きいしー。
この世の誰よりも愛してるのにーーー。ドタキャンなんてぇぇひどいったらないわよぅ。
きっときっと、アタシを置いてお嫁にいっちゃうんだわ。アタシ、マーヤに捨てられるんだわ。
…ふん。それでもマーヤが結婚するまでは、ずーーっとずぅーーーーっと傍にいちゃうもんね…。』
そのセリフに、天野君が心底嬉しそうに笑う。
「…うららったら。うふふ。私も愛してるわよー!傍にいてくれるなんて、大歓迎よー!」
女性の友情は美しいんだなぁ。僕はハンカチでそっと涙を拭いた、その途端。
ばきり。…ガチャン。
グラスの割れ落ちる音。
驚いて発生源を目で追うと、うつむいた嵯峨の手から血が溢れていた。
その周りの床には、砕けたガラスの破片と琥珀色のバーボンが散っている。
一体全体、なんでグラスが割れたんだ??何が起きたのかは分からなかったが、とにかく手当てをせねば。
「さ、嵯峨?大丈夫かい?」
慌てて、尋ねてみれば
「…うるせぇ。」
いつも以上に、ぶっきらぼうな返事。
「そんなこといったって、その手は大丈夫じゃないだろう!」
僕がさっきまで涙を拭っていたハンカチを渡そうとすると、
「平気よ克哉さん。私がディアかけるわ。」
そう言って微笑んだのは、なんだか上機嫌な天野君。
あぁ・・・君は間違いなく女神だよ。アルテミスだよ!僕は彼女の優しさに確信を抱いた。
彼女はそのまま嵯峨の方へ歩いていった。
嵯峨が嫌がっているのかなんなんかは分からなかったが、二人はなんだか悶着していて。
その合間に、靴の音が部屋の前に辿り着き、やがて鍵をがちゃがちゃとさせる音が聞こえた。
「Be quiet!お静かに!Ms.うららがいらっしゃいましたわ!」
桐島君の一声で天野君と嵯峨を含め、皆がいっせいに押し黙る。
僕らはそれぞれ、クラッカーを携えて彼女がこの部屋にやってくるのを待った。
キィィと、軽い音を立ててドアが開く。そして、人の気配。
いよいよと、僕はクラッカーの紐をきつく握った。
驚かした後、嘘をついたことを謝ろう。
さあ。
パーティーのはじまりだ!!
今日はお茶に誘ってくれて、ありがとう!それで、用ってなぁに?
え?何ですって?
どうして私がうららの誕生日パーティーにパオフゥを呼んだかですって?
う~ん。それはね、確かに色々考える所があったんだけれど、大きく分けて理由は二つかしらね。
一つ目はやっぱり、うららの気持ちを尊重したかったの。
ほら、うららってイベントとか好きじゃない?『歳食うのはイヤ~』なんて言ってたけど。
ん~、私は別にうららと私の二人きりでも良かったのよ。…でも、ねぇ?
うららの性格を考えてみれば、一番喜ぶのは何かなんて一目瞭然でしょ?
あんな胡散臭い男でも、うららの想い人なわけだし。
(そんなこと私は絶対認めないけど)
ん?なになに?え、ヤダ、私は何も言ってないわよ!空耳よ、ソラミミ☆
…ね?
とにかく、私としては少しでも多めにうららに喜んでもらいたくって…。
だからみんなを呼んで大掛かりにしたわけなのよ。
でも本当は迷惑じゃなかったかしら?あんなにキレイなケーキや料理作ってもらったり…。
気にしてない?あ、良かったぁ。じゃ、今度は私の誕生日のときにもお願いしてもいいかしら?
あはは、本当に?じゃあ、是非お願いするわね!わ~ぉ、楽しみぃ~☆
…え?じゃあなんでパオフゥと二人きりにしてあげなかったのか、ですって?
そう!ソレが二つ目の理由なのよ!
あの男とうららを二人きりにしたくなかったからなの。
だって、考えてみて?
あの男とうららを二人っきりにしたりしたら、野蛮な狼にか弱い羊をリボン付きで送るようなものよ!
うららが危険なのなんて目に見えてるじゃない!そう思わない?
ね、ね、思うでしょう。それだけは幾らなんでもダメよ、許せないわよ。
愛するうららをわざわざ身の危険に晒させるような真似、できやしないわ!
(…いざとなったらこの手でチョメチョメする準備はできてるけどネ)
ん?何か聞こえた?やーだ、きっと幻聴だゾ!忙しすぎて疲れてるんじゃないかしら?無理は禁物だゾ☆
結局、今回のパーティー作戦はいいかんじで幕を閉じたと思うんだけど、どうかしら。
あはは、そう言ってもらえると企画した甲斐があったわ~~~~☆
そうね、私自身にとっても色々と実りの多い、素敵なパーティーだったわ。うふふ☆
また機会があれば、ああやってみんなで飲むのも悪くないわよね。
そうだ!今度二人で飲みに行きません?すっごく素敵なバーを見つけたの!ちょっと遠いけど…。
あら?
…ど、どうしたの?顔、真っ赤よ?
+++++++++++++++++
おう、お前か。こんなトコに来るなんて珍しいじゃねぇか。一体何の用だぁ?
芹沢?ああ、まだ来てねぇよ。今日は遅番だからな。
何、そんなこた知ってる?…てめぇ、俺をおちょくってんのか。
あ?この前のパーティーについて一言だと?
ふん。そもそも俺はあんな騒がしい集まりってのは好きじゃねぇんだ。
天野がぎゃいぎゃいと五月蝿いからとりあえず出てやっただけだ。
ったく、あの女はどうにかならんもんかね。俺のことをまるで悪魔かなんかのように考えてるみてぇだぜ。
こっちからすりゃあ、堪ったもんじゃねぇし、第一いい迷惑だ。
いろんな意味でタチが悪い女だな、ありゃぁよぉ。
よくもまぁ芹沢はあんな女と同居して…って、おい!銃こっちに向けるんじゃねぇ!あぶねぇじゃねぇか!
…わ、分かった分かった。お前にとっては天使だもんなぁ。天野は。
あー、そうだなぁ。
酒は上物ばかりだったし、他にもまぁ、…悪くはなかったがな。へへへ。
あん?ケーキはうまかったかだと?
悪いな。俺は酒とケーキは一緒に食わない主義なんでね。一口も食ってねぇ。
それによ、甘いもんなんて漢の食うもんじゃねぇしな。
…っだからっ!銃ちらつかせるんじゃねぇ!そのうち職権濫用で訴えるぞ!
また機会があったら食ってやらなくもねぇがな。まっ、そんな機会はもう二度とねぇだろうがよ。
は?ベランダで渡してた小箱の中身は何かだとぉ?
なっ、なんでお前さんがそんなことを知ってるんだ!?
何ぃ、見てやがっただと!?
お前、寝てたんじゃねぇのか、天野と仲良く並んで…ん?ってこたー、ありゃあ確信犯かぁ?
ほぉー。顔が赤くなりやがったな。あん時も実は起きてたのか。
…ふん、図星か。
甘ちゃんなりに頑張ってんだなぁ。へへへ、たいした進歩だ!
まぁ、これからもその調子でいけや。
ああ?チッ、またその質問か!さぁなぁ、知らねぇなぁ。
…うるせぇ。何だっていいだろぅがよ。お前には関係ねぇ!!
ああ、しつこいしつこいシツコイ!
俺はこれから仕事があるんだ!外回りがあるんだ!
お前も仕事に行くなり、弟の面倒見に行くなりしやがれ!
しっかり働けよ、公務員!
なんだと、今日は休みだと?へっ、そんなの俺の知ったこっちゃねぇ!
いいからとっとと出てけ!!じゃーな!
+++++++++++++
ああ、こっちよ、こっち!チャーオ!
大丈夫、私も今付いた所よぅ。ほら、ケーキもまだ手をつけてないでしょ?
ここのケーキおいしいのよぉ。オススメだから食べてみてね。コーヒーもすぐに来るわよ。
うふふ、この前はありがとうね!
みんなであんな企画考えてくれてたなんて知らなかったわよぅ!
驚きのあまり腰抜けちゃったわ~。正直な話、悪魔の乱入かと思ったくらいだし。
アタシが署に行ったとき変に焦ってたのは、隠してたからなのねぇ。
やだ、謝らないでよぅ!すっごく、嬉しかったんだから!
え、左腕のチェーンブレス良く似合うって?
ほ、本当?どうも有り難う…。
ア、アタシもこれすッごく気に入ってんのよぅ。
アタシの肌と髪の色にあわせて、ホワイトゴールドとルビー!
うふふ。素敵でしょ?オッチョコチョイだからなくさないようにしないとねぇ。
え、誰かからのプレゼントかって?な、な、なんだってそんなこと急にっ。
や、やだ、アタシの顔が赤いって?そ、そんなハズは…。
ま、まぁそんなことどうだっていいじゃないのよぅ…。
この件に関しては似合ってるってことだけで勘弁して~。
そうだ!ところでさっ!どうやらマーヤと上手くいってるみたいじゃない?
アタシ、見ちゃったのよねぇ。うふふふーー。
え、何を見たかって?アラヤダぁ、そんなことこの場で言っても良いわけぇ?
ふふふ…あのねぇ、何見たかっていうとぉ2~3日前の夜9時頃に、鳴海区のホ…
だ、大丈夫?何、ケーキのどに詰まった??大変!!
コ、コーヒー…ってブラックは飲めないって言ってたじゃない!アタシったらバカ!
あわわ。すいませーん!大急ぎでお冷、いただけますかーー?
ケーキ取れた?なに、もう平気?あー、良かったぁ。
ぷっ。はははははは!
あー、面白かった!ほーんと、ウブなのねぇ。大丈夫、誰にも言わないわよぅ。
そういや、この前の夜も二人仲良く並んで眠っちゃっててさぁ、あ、覚えてるわけないか。
あらら、赤くなったわね。もしかして記憶あったのかしら?
ま、これ以上はツッコまないけどねぇ。なんにしても、よかった良かった!
あっ、そろそろ仕事の時間だわ。
アイツが腹空かせて待ってるだろうから、行かないと。
ん?何?
えーと、アイツに『もしかしなくてもパパラチャ?』って、伝えればいいの?
一体何のこと?えー、秘密ぅ?まーっケチねぇ。
…まぁ、いいわ。そう言えばアイツにも分かるのね?
OK、OK!ちゃーんと伝えておくから安心して!
それじゃ、ね。
嵯峨薫の横顔を見ている。
あの趣味の悪いサングラスを取ると意外と目が大きいなあとか、そんな他愛も無い事を考えては恥かしくなって憎まれ口を叩いてしまう。
本当はうららにも分かっている。憎く思っているならこの男は他人を傍に置いたりしないし、こんな駄目な所だらけの手の掛かる女は元々趣味なんかじゃないのだと。嵯峨薫は捻くれ者だ。皮肉屋だし擦れたオヤジだ。でも凄く有能だ。有能だからこそ無能な人間を見極める手管に長けている。うららは時折それに気後れする。自分が駄目だと分かっているから、直そうと思っているけど何時だって裏目に出てしまうから、何時かさよならを言われてしまうのではないかと怯えている。開き直れないのは惚れた弱味だ。比べられる事を恐れている。過去に愛した女はさぞかし有能だったのだろう。背伸びをしたくて必死になる。それでも嵯峨薫に釣り合う女には未だなれない。
私にはやっぱり無理なのかな、と時折うららは涙を零す。酷い事を言われる訳でもされる訳でもない。嵯峨薫の有能さに追い付けなくなるからだ。好きよ、好きだよなんて言葉を彼が好まない事は分かっている。こうして傍に居てくれる事が何よりの証なのだと分かっている。分かっていたってうららは確実な形が欲しい。ただ一度、好きだの一言が欲しいのだ。そうでないとうららは不安定で此処に居ていいのか分からなくなってしまう。けれど此処で抱く抱かないの話に持ち込むのは自分があまりに惨めだった。それに過去に通り過ぎて行った男達と嵯峨薫を対等に見るような気がして許せない。其処まで惚れている男に形を求めてしまう自分が情けない。情けないから泣きたくなる。こんなみっともない自分を見られたくないと思う。今度こそ愛想を尽かされたって文句は言えないと何時でもそう思っている。だから素直に本音を見せて泣いて縋る事も出来ない。本当はその胸で泣きたいのに、何時でも友達の胸を借りてしまう。悪循環で嫌になる。そうしてうららはまた思う。私にはやっぱり無理なのかな。無理にしているのは自分自身だ。分かっている。
嵯峨薫はうららを好いてくれている。憎からず思っている、より一歩踏み込んだ感情を向けてくれているだろう。うららにも何となくそれは感じて取れるのだ。それでも信じ切る事が出来ないのは偏に自分が狭量だからだ。きっと美樹さんは違ったんだろうな、と思うと嫉妬と自己嫌悪で死にたくなる。馬鹿馬鹿しい、きっとこんな事を思ってるなんて知れたら嵯峨薫は軽蔑するだろう。過去の女に縛られるなと思う癖に、自分が一番過去の女に囚われている。嵯峨薫の人生を変えてしまった浅井美樹と云う女が羨ましく、妬ましかった。他人に”もう終わった事なんだしさ”などと軽々しく言って来た自分を恥じた。彼女は私を見たらどう思うだろうか。知りもしない女の事など考えても仕方が無い。それに彼女も私などに懐われたくはないだろう。また自分が駄目な女に思えて来る。こんな時好きの一言があったなら、どんなに救われるか知れないのに。こうやってあたしは相手を責めてしまうから恋が崩れてしまうのだ。行き場がない。とても切ない。
「背伸びするなぃ」
嵯峨薫は煙草の煙を吐き出しながら呆れたようにうららに言う。咎めている訳ではないと分かっているのに、優しさなのだと分かっているのにうららは言葉に詰まってしまう。舞耶のような強さもエリーのような純粋なひたむきさも持てない自分が悲しかった。彼女達の恋に比べれば自分なんてよっぽど恵まれているのに。気付くとこうしてうららはまた比べてしまう。幸福など他人と較べて決めるものではないと分かっている。分かっているけど基準がないと不安で堪らない。好きと言って抱き締めて満たしてくれれば傾ぐ心を体が支えてくれる。けれど求めてしまえば見限られる気がしている。恋人なんて、愛を囁いてキスをして抱き合うものだと思っていた。本当はそんな幻想を今でも胸に抱いていて、現実との隔たりに失望している。うららの孤独はきっと誰にも理解出来ぬ。こんなもの、誰でも心の裡には持っていて、つまらなくて有り触れていて、だからこそ誰も口にはしないからだ。
「だって背伸びしなくちゃ怖くて立ってられないの。」
どうしてその一言が言えないのだろう。だからと言って相手を責めるのは責任転嫁だ。助けてなんて甘く縋る事も今更出来ず、片意地を張って頑張るしかない。それでも嵯峨薫の傍に居たい。好きなのだ。あんな男。ろくでなしと思いながら、矢張りうららは嵯峨薫が好きなのだ。惚れている。傍に居たい。辛くたって怖くたってあの男の訳の分からない突っ張りを傍で見守っていてやりたい。そして冷たい夜にその背中が一人ぼっちであるならば、傍らで笑っていてやりたいと思うのだ。
「おい」
とりとめもなくそんな事を考えて二人分の夕食を作っていると、草臥れたソファから聞き慣れた声が響いて来る。おめぇ仕事場で所帯染みた匂いさせんなよ、と文句を付けながらも出来立ての料理なら全て腹に収めてくれるのが嵯峨薫と云う男だ。長らく放置されていた所為で化石化していた簡易キッチンでナポリタンを作っていたうららは、生返事でフライパンの中身を掻き混ぜる。
「なぁにー」
きっと嵯峨薫はうららのこんな拙い本音になど気付いている。気付いていて知らぬ振りをしてくれているのだろう。本当はあたしはそんな愛情に包まれてるのかも知れないな、と、うららは偶に思うのだ。大抵がネガティブ思考になりがちな彼女も、友人の影響を受けて時折そんなポジティブ思考になったりする。問題なのはそれが持続しない事だが。
「今度の日曜、おめぇ時間空けとけや」
ケチャップの焼ける匂いが香ばしい。好きな男の為に何かが出来る事はとても嬉しい。もっとその気持ちに素直に取り組めればいいのに。好きな男が日替わりで違っていた高校生のあの頃は、熱病のような恋心にあんなにも純粋でいられたのに。大人になると其処にちょっとした打算や駆け引きが生まれてしまって、あたしを愛してくれない男は嫌いなんて馬鹿みたいな意地まで生まれてしまう。違うのだ。本当はもっと単純に、
「えー? なんでぇ?」
「…何でもだよ。それとももう何かあんのか。」
ただ、好きなだけなのだ。
「別にないけど~。 …はい、出来たー。 うららさん特製ナポリタン!」
皿を持って応接用のローテーブルに向かうと、嵯峨薫は何だか渋い顔をしていた。変な男。と思いながらナポリタンを盛り付ける。すると彼は皿を覗くや開口一番こう言った。
「何だぃこのスパゲッティは。ピーマン入ってねぇじゃねぇかよ」
これにはうららもカチンと来る。
「何よぅ、うちは昔からナポリタンには玉葱とベーコンとマッシュルームなの! つかスパゲッティって言わないわよ今時。やばいからそれ。」
「はぁ?おめぇまさか缶詰のマッシュルーム入れたんじゃねぇだろうな」
「入ってるけど。それが何か?」
「…俺ぁ水煮のキノコとコーンは食わねぇ主義なんだ。おめぇ食えや」
「ぶっ! 何それ!あんたね、子供じゃないんだから好き嫌いしてんじゃないわよ!」
「あ、入れんなこっちに! 馬鹿、人間な、固体に合わないモンが嫌いなモンなんだ。それを無理して食うなんざ下らねぇ」
「屁理屈こくな!好き嫌いすると栄養が偏るんだからっ!」
「だから入れんなっ!キノコなんざ食わなくても死にゃぁしねぇよ!」
「何よぅ!アタシのマッシュルームが食べられないってわけぇ!?」
「お前が作ったんじゃねぇだろ!」
「つべこべ言うなっ!」
…攻防が続くこと五分弱。
すっかり冷えてしまったナポリタンを啜りながら、うららはちらりと嵯峨薫の顔を盗み見る。
どうしてもっと甘い雰囲気になれないのだろう?こんな触れ合いしか出来ないのはきっと自分の所為だ。それでも眉を顰めながら、一缶まるごと分盛り付けられたマッシュルームをちびちびと食べている姿が愛おしい。ナポリタンにはピーマン派だと分かった事が素直に嬉しい。こうして少しずつ知って行けたらいいと思う。
「…ね、 今度の日曜、何なの?」
「 …ぁん?」
「仕事だったらブッチね。」
「…… 違ぇよ。」
未だ嵯峨薫の隣で自信を持つ事は出来ないだろう。でもうららにはそれを上回る恋しさがある。…そうだ。うららが自信を持てる事と言えばそれではないだろうか?
有能とは言えないかも知れない。可愛くもないかも知れない。でも嵯峨薫がとても好きだ。出来るなら彼の傷に寄り添っていたいと思う。その気持ちはきっと、きっと誰にも負けぬ。
「… ま、 ちっと付き合えや。」
ふぅん、と分かったような分からないような返事で勿体付けたうららが、ある女の墓前に花を供えるのは数日後の日曜の事だ。
そして嵯峨薫と云う男が彼女が思っているよりずっとずっと彼女に心を明け渡していたのだと知るのも。