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春潮

生まれる前から聞き慣れた波濤を全身で感じながら、少年は夜の海に対峙した。
柔らかな月光が、不安定なリズムで揺れる波間にきらきらと弾かれている。
時折、大きくうねる波が投げ出した裸足の足に海水の粒を投げかけた。初めはつま先に当たる程度だった波が、やがて足首を浸し始める。
その冷たさを感じながら、吹き付ける潮風に含まれた塩で固まってしまったかのように、少年は海から目が離せない。
それは世界でもっとも巨大な存在だった。
少年の凛としたかんばせは、まるで死人のように酷く青白い。

しばらくして、少年はようように立ち上がった。しかしその足取りは悪い酒でも煽ったかのようにおぼつかない。
そのまま着衣をばさばさと脱ぎ置いて、黒に染め抜かれそうなまでに真っ暗に色づいた海に、倒れこむように身を投じた。
生き返る。と、切に感じながら。

陸酔い。というけったいな病が重度だと感じるようになったのは最近だ。
幼い頃から薄々感づいてはいたが、まさかここまでひどくなるとはお頭、兵庫第一協栄丸でさえ予期していなかった。
「おめぇは、海子だからなぁ」そう語る、苦虫を噛みつぶしたような複雑な表情は忘れられそうにない。
黒い影が蠢くような海の底を適当に潜っていると、だいぶ気分も落ち着いた。いったん海面へと顔を出す。
「ぷ、はっ!」
いくら海水や潮風に洗われようと、みどりにあやなす豊かな黒髪を無造作に掻き上げて、身体を波に任せながら欠けたとこのない月をしばし眺めやった。
「………………」
陸に上がり、動かぬ大地を歩むたびに感じる、頭痛と、嘔吐感。
一言で表すなら、これは拒絶だ。と、少年は何遍となく巡らせた思考をもう一度繰り返した。
だからといって、この強大な海に受け入れられている。などという大それた実感を持つことなど、彼には出来ない話だった。
知らずにため息が漏れた。

「一人で夜間水泳たぁ、元気だな、蜉蝣!!」

「!?」
その漠然とした思考を打ち砕いたのは、本人にとっては普通にしゃべっているつもりでも脅しつけるようにとられてしまう胴間声。
「……っ!!うるせーよ、てめぇこそ何しに来やがった!!疾風!!」
驚きに躊躇したのは一瞬のことで、すでに条件反射のように口から言葉が飛び出してきた。
浜に目を送れば、先ほど自分が座り込んでいた辺りで仁王立ちでいる、同い年の相棒の姿。
その表情はよく分からなかったが、何となく「笑ってはないだろうな」と、蜉蝣には判断がついた。なんだかだ言っても、すでにそれなりの長いの付き合いである。
浅瀬に近づいてみると、疾風の手に持つものに気がついた。半身が出る程度の場所で立ち足になる。

「俺の服を返せ。こんのビビリ野郎」
「誰がビビリだ!けっ、褌一丁で水軍館まで帰りやがれ」
「何怒ってんだ、おめぇは。さては、幽霊にでも会ったか?」
「……んなわけねぇだろ!気味の悪ィぬれおなごならここにいるけどよ」
「それは俺のことか?あぁ!?」
ざぶざぶと波に押され押し返されそうになりつつも、疾風のもとに蜉蝣は近づいていく。
その間も二人の口げんかは止まらない。
「他に誰もいねぇだろうが。かー、綺麗なねぇちゃんなら、いくらバケモンでも目の保養にはなるんだがよぉ」
「抜かせ。その前にちびって、腰抜かすだろ」
「ああん!?もいっぺん言ってみろ!」
「何度でも言ってやらぁ。てゆうか、服返しやがれ!」
「さーて、どうしてやるかな?」
疾風ならともかく。と、他の兄役達から見れば驚くほどのの、蜉蝣の罵詈雑言の数々である。
このガラの悪い同僚の前では、礼儀も愛想も遙か彼方に吹っ飛ぶのである。蜉蝣も地はこちらである。言い合ってすっきりする。
海水が膝丈あたりまでになって、疾風の表情もやっと分かるようになった。
いつもと同じに笑っている。
「…………………」
何となく違和感にも似た苛立ちがある。それは蜉蝣自身気づかない程、小さなものだったが。

不意に、ピンっと常にない悪巧みが蜉蝣の脳裏に頭をもたげた。
失敗したところで別にたいしたこともない他愛ないものであるが、何となく仕掛けてみたくなった。
ざっと、距離やら何やらを目算する。
「--返さねぇなら、力ずくでってか?いいぜ。最近、暴れたりねぇみたいだしな」
足を止め、ガラの悪い笑みを深めて蜉蝣がそう言い放った。
いつになく好戦的な相棒の姿にやや驚きつつも、疾風も同じく笑う。
基本は、殴られたら殴り返す。そんな関係でここまで来たふたりであった。
蜉蝣が一歩足を踏み出す。ゆっくりと右の方へ。
そうすれば、疾風は一直線上に向かい合うために左に歩を進める。
読み通りだった。
このままいけば、あと3歩、2歩。
年相応のくだらないともいえるような喜びが、心を躍らせる。
そして、もう一歩。

ぐちゃ

「……あ?」
右足の踏み抜いた、海水とも、砂とも、泥とも言えない感触に疾風は眉をひそめた。
その瞬間。蜉蝣が爆笑した。
「ひっかかりやがったな、疾風!悪いが、さっきそこで吐いたんだよ、阿呆!!」
「なっ!!??」
それはつまり。
踏んだものの正体を理解した疾風の背を、寒気と痒みが混合したものが這い回り、全身が粟だった。
これは夜だったのが、幸なのか、不幸なのか。
「て、てめぇ、このオレにゲロ踏ませやがったのか!!」
ぶっ殺す!!と、顔を茹で蛸よろしく真っ赤にした疾風は、名の如しのスピードで蜉蝣に向かって駆けだした。
「はっはっは」
もちろん、蜉蝣とて名に恥じぬ動きでくるりと向きを変えると、魚のようにと形容するにはまだまだ未熟な泳ぎで水中へと逃げを打った。
その後を追って、疾風も海に。

「あ、てめ、服は置いとけよ!」
「うるせえ!」
邪魔になる蜉蝣の服を海面に投げ捨て、まだ発達途中の薄く筋肉の付いた細長い四肢を、精一杯伸ばして水中で追い掛け合う。
追う側たる疾風が服を着たままなので圧倒的不利ではあるが、蜉蝣も服が流されてしまうのはたまったものではない。
流されていた服を何とかすべてひっ掴み、本気で疾風がぶち切れる前に捕まってやることにした。
疾風に後ろから抱え込まれて、ごぽりと空気を吐き出す。そのまま、不安げに薄ら光る波間に浮上していく泡沫を、追うようにふたりで浮上した。
『っは!』
ごんっ!!
二人揃って大きく息を吸った直後、疾風が蜉蝣の背後を片手で捉えたまま、残る手で拳を落とした。
「汚ねーもん踏ませやがって!こん野郎!!」
「くっくっく」
「笑いすぎだ!!」
「はっはっ、悪っ……」
殴られた痛みなんかより、何だか非常におかしい。
憮然とした表情の疾風と対照的に、蜉蝣はなかなか笑いが収まらない。いつものふたりとは逆の構図である。

笑いすぎ故の涙が目尻にうっすらと浮かんでは、打ち寄せる海水に同化していく。
「……っ……は」
ようやく収まった笑いの発作の後に残ったのは海のように巨大で重い沈黙。
沈黙を厭う少年が、何かを言いたげに口を開くが、言いたい言葉はこの海水のようにするりと心の手をすり抜けていってしまう。
言葉を引っかけられずに、疾風は波にゆらゆらと揺られながら、知らず蜉蝣の後ろから回した腕に力を込めた。
「……………………」
背中に額をを押しつけられた感触があって、蜉蝣は僅かに振り返る。だが、俯いた疾風の表情は見えない。
「…………疾風?」
「るせぇ……陸酔い野郎」
背に張り付いた髪の毛に顔を埋め、もごもごと呟かれた言葉に蜉蝣は苦笑した。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……海で、生まれた子は陸酔いがひでぇんだとよ」
「?」

「この前、俺が15になった時、お頭が教えてくれたんだ」
「何をだよ」
「……俺の父は臨月の母を連れて、密航しようとしたらしい」
「…………!!」
ばっと、疾風は顔を上げる。すでに蜉蝣は正面を向いて、表情を見せてはくれなかった。
兵庫水軍内ではどれだけ近しい間柄であろうとも、過去を詮索することを良しとしない風潮がある。
それはふたりにとっても同じことで。
だから、初耳、だった。
話は静かに続いていった。

「俺が生まれて、ばれちまった。そのまま……」
ふっと、遠くを見るように、痛ましいように目を細める。
波濤の音に混じって、聞こえてくる赤ん坊の鉄火の泣き声。
「死んだか、いや殺されたか……」
あの、お頭の表情を見れば何となく予想が付いた。
女性を船に乗せるは禁忌。しかもお産には穢れが付きまとう。
「俺は流石に殺すに忍びなかったのか、船霊様が女性の神様だから赤ん坊を殺すのは縁起が悪かったのかもしれねぇが……生かされて、お頭に拾われた」
生粋の水軍育ち。そう、自負はある。
だがそれは決して誇らしいものではなかったのだ。

「………………」
背後で絶句する疾風に、蜉蝣はもう一度苦笑した。
「辛気くさい話だけどよ、いきなりだろ?それに、親の記憶がないと……悲しむに悲しめねぇとこもあるな……。もう、海が親みたいなものになっちまってるからよ」
だが、海はあまりにでかいから。と、蜉蝣は心中で続ける。
俺だけを愛するわけにも、怒るわけにも、許すわけにもいかない。

二度目の沈黙。
伸びかけの髪がべったりと皮膚に張り付いた感触、海水をたらふく吸った服の重さ、深夜の海の冷たさ、頬を撫でる微かな風。不安定な海の律動。
普段なら気にとめないことが、何故だか異様に確たる感覚でもって責めてくる。
「って」
突然、ぐいと、髪をひっぱられて眉をひそめる。蜉蝣が振り返ると、そこにはいつもと違う真面目な表情をした相棒がいた。
「………………蜉蝣」
「何だよ……っと」
引き寄せられて、今度は肩口に顔を埋められ面食らった。そんな蜉蝣に対して、唇を悔しそうに歪めて、疾風は言葉を絞り出す。

「…………ひとりで、勝手にいつもいつも、よぉ………この阿呆が」

その響きに、胸が痛くなるのを感じて、蜉蝣も僅かに俯いた。
「……すまねぇな……」
「オレのことなんてどうでもいいのかよ?」
「そんなわけないだろ!」
だが、あまりの的はずれの言葉に、ばっと体の向きを変えて蜉蝣は疾風を正面から見据えた。
その両の目は、いつもながらの海のような深さに、秘めた炎をまとっていて。疾風は思わずほっとした。
この目が好きだ、と思う。
常に自己完結をする嫌いのある相棒が、気分が悪くなったらここに来ることは知っていた。だが、声を掛けたことはなかった。
だが今日はいつもとは何かが違った。
不意に姿を消した相棒を追ってきたこの浜辺で、相棒はまるで魔物に魅入られたように海を見つめていた。
その姿がひどく危うくて、思わず声を掛けてしまったのだが。

オレは普段みたいに、うまく笑えていただろうか。
海の他に何も目に入らない、あの目は嫌でたまらねぇ。

頭が良くて冷静なのは蜉蝣。勘が良くて行動力があるのは疾風。いい組合せじゃないか。
だが、名前通りに生き急ぐ必要はねぇんだぞ、お前達は。

第一協栄丸の言葉が不意に思い出された。
勝ち喧嘩の最中に頬にでかい傷を作ったことを自慢したら、ぶん殴られた後に何でか蜉蝣と一緒に説教された。
その最後の締めの言葉である。
そのすで時に、ふたりの関係は決定されていたような気がした。
ごろつきどもの掃き溜めみてぇなとこで、明日をも知れぬ生活をしていた自分を拾ってくれたのはお頭で、こんな短気で喧嘩っ早い自分を諫めたのも、時折便乗したのも、この同い年の相棒。
たいそう扱いにくい馬鹿な餓鬼だったろうに。そんな自分の傍にずっといてくれたのだ。
頭はいいけど、どこか不器用な生き方をしている相棒の弱さをもっと知ってやりたい。
自分を救ってくれたように、出来ることなら救ってやりたい。とも、思う。
そしてなにより、ずっと一緒にいたい。いるだけでも、いい。
最後まで。

自分でも知らずに引き寄せるように抱きしめてしまった。蜉蝣が驚いたように、息を詰める。
だが、ぐっと回された腕に力が込められたのを感じて、困ったような顔はそのまま、微かに笑うようにふうと息を吐き出した。
服を持っていないほうの片手を回された腕に添えて、どこか切なげに蜉蝣は声を掛ける。
「……疾風……」
顔は上げずに、疾風は応えた。
「どこにも行くなよ」
「ん」
「…………一緒に、海でいきてぇなぁ…………」

「生く」とも「逝く」ともとれるその言葉。。

「ああ……一緒に、な」
たとえどちらでもあれ、コイツとならいいか。蜉蝣はそう思う。
生身の相手なら怖い者知らず。だが、実はすこぶる怪談話の類が苦手で、ひとりで夜の海に近づくのは出来る限り遠慮している相棒がここにいることで、充分ではないか。
親代わりの海はあまりにでかくて、自分ひとりに関わってはいられない。

だから。
愛されたいのよ、ただひとりに。
怒って欲しいんだ、ただひとりに。
こんな愚かな自分を許して欲しい。
ただ、ひとりに。

3度目の沈黙は、とても心地よいもので。
不安定な波の音でさえ、柔らかな子守歌に聞こえてくる。

沈黙を破って、最初に口を開いたのは蜉蝣であった。
「……そろそろ戻るか……」
「だいぶ、流されたしなぁ……」
にっと、疾風が先ほどまでの重い空気を吹き飛ばすように笑った。
「競争しねぇか。勝った方がこの服の洗濯だ」
言うが早いか、笑い声をひとつ残してざぶんと水中に消える。
「いよしっ!!」
蜉蝣も笑って、手に持つ服を適当に身体に巻き付け、今度は追う側となって疾風の後に続く。

15の春であった。



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