忘れるつもりなんかなかった
できれば忘れたくなかった
ねぇ
知りたいと思うのは変なの…?
「ジョニーのバカあぁぁ!!」
「…っ、メイ!」
怒鳴るように呼び止める声を背に、着地中のシップからメイが飛び降りたのは、まだ昼過ぎの事だった。メイシップの乗組員達全員を振り返らせるほどの大声で叫び、すた、と身軽な動作で地面に降りる。後ろではまだ、保護者的存在であるジョニーが何か言っているのだが、メイは無視して走った。
「何だよっ…ジョニーなんて、何にも分かってないじゃないか…!」
目を潤ませ、ぐす、と鼻を啜りながら、メイは町の一角まで走りとおした。公園の、人目に付きにくい木の茂みに隠れて、膝を抱える。
「ジョニーの…バカ…。」
事の発端は、メイの一言。
「ねえ、ボクって何なの?」
たったそれだけだった。それだけの言葉だったのだが、ジョニーはひどく困惑した表情を見せた後、「気にする事じゃないさ」と言ったのだ。そんな表情でそんな事を言われたら、気になるのが人の常。メイは、教えてくれるようにしつこくせがんだ。すると、ジョニーはサングラスの向こうの目をすぅっと細めて、メイが嫌う言葉の一つを言った。
「子供は知らなくていい事だ。」
と。ただ一言。そのまま背を向けて、シップ内の食堂に向かおうとした背中に向かって、メイは思い切り叫んだ。
「ジョニーのバカあぁぁ!!」
そして、今に至るわけだが。メイは、小さな溜め息をついた。
「…駄目だ。こんなんじゃ、また子ども扱いされちゃう。」
ジョニーの一言に腹を立てて、シップを飛び出してきてしまうほど子供なら、言われても仕方がないことだ。メイは、その細い腕で乱暴に涙を拭うと、木に手をつきながら立ち上がった。帰ろ、と小声で呟いたその時。
公園に、どこかで見たような人物が入ってきた。上半身の肉体をさらけ出し、扇でばたばたと自分の顔を扇いでいる。メイは、その顔を見た途端に顔を綻ばせた。
「おじさん!」
「…。誰だ、俺をおじさんなんて呼ぶ奴ぁ。」
言葉では怒りながらも、呼びかけた人間の事をもう分かっているかのように、その男は意地の悪い笑みを浮かべながらメイを見た。姓は御津、名は闇慈。彼の人は、走りよって来るメイの頭に手を置いた。
「おじさんはやめろって、前言っただろ。」
「あはは!ごめんね、おじさん?」
メイに笑い飛ばされ、闇慈は額に手を置く。だからなぁ、と言いかけて、闇慈は言葉を止めた。身を屈めてメイの顔を覗き込む。
「…泣いてたのか…?」
闇慈に言われて初めて、メイは自分の目が真っ赤になっていることに気付いた。それに気付いてしまうと、また胸の中が痛くなる。また泣き出しそうなメイを見て慌てたのか、闇慈は彼女の手を取り、先ほど座っていた木の茂みに連れて行った。二人で並んで座り、また涙を流し始めたメイを、闇慈は黙って見つめていた。話を始めるのは泣き止むのを待ってから、と決めているらしい。
が、メイは泣き止む前から、嗚咽交じりに話し出した。
「ジョニーが…っく、ボクが何なのか、教え…っ、くれな…。」
「…?俺にも分かる言葉で話してくれるかい?」
メイは、小さく頷いて、今までのいきさつを話した。ジョニーに拾われる前の記憶が自分にはないから、それを知りたいと聞いたこと。知らなくていい、と言われた事。そしてそれに腹を立てて、飛び出してきてしまった事。全部を話した。
闇慈は黙っていた。ぱちん、と扇を閉じて、メイを見る。彼女は、俯いて目を擦っていた。そんなに、悲しい事だろうか。闇慈は、ずり落ちてきた眼鏡を押し上げながら、メイに語りかけた。
「お前さんの気持ちも分かるが、ジョニーって奴が言った言葉も正しいぜ。」
「……え……?」
闇慈の言葉に、メイは目を見開いた。その表情を見た闇慈は、真剣な、ほんの少し厳しい目をしていた。
「お前さんが今欲しいのは、励ましの言葉じゃねぇんだろ?」
言葉の意味がわからない。そんな様子を悟ったのか、闇慈は「自分ですぐ分かるさ」と言いながら、静かに話し始めた。
「知りたいと思うのはいい事だ。だがな、知ったら壊れちまうものもあるんだよ。」
お前さんが壊れちまったら、皆悲しむだろう?
壊れたお前さんは、結局何を得る?
「ジョニーは、お前さんの心を守りたかっただけだ。」
「…。でも…。」
闇慈の言葉は厳しく、だが決して突き放すようなものでもなく。メイは俯いた。何故か、闇慈の目を直視できない。逸らされた視線の意味も、闇慈にはよく分かっているようで。敢えて、合わせてこようとはしなかった。ぱっと、扇を広げる。暑そうに自分を扇ぎ、メイを扇いでやりながら、「とはいっても」と闇慈は苦笑した。
「そりゃあまあ、忘れちまってるって事実が痛い事もあるよな。」
ようやく見せた笑顔。メイが顔を上げた。
「ねぇおじさん、ジャパニーズって何?」
唐突なメイの問いかけに、闇慈が面食らった。最初は質問の主旨を計りかねたものの、すぐにその理由を悟ったらしく。闇慈は、メイに顔を寄せると、小声で呟いた。
「時が来たら、ジョニーが教えてくれるだろうさ。焦るなよ。」
「え…うん…。」
「おぅし、いい子だ。」
闇慈が、メイの頭を優しく撫でた。再び、メイの目が潤んでくる。慌てた闇慈の前で泣きながら、メイは「ずるい」と半ば叫ぶように言った。何がずるいのか、それは勘のいい闇慈にも分からず。そんな闇慈をよそに、メイは更に言葉を続ける。
「あんな事言った後に、そんな優しい事するの、反則!」
絶対ずるい、と言い張るメイに、闇慈は頭を掻いた。別にそんなつもりではなかっただけに、困惑する度合いもかなり大きい。なんなら、困惑ついでに昼食でも奢ってやろうかと考えた矢先。闇慈の目は、公園に駆け込んできた人物を捕らえていた。その人物は、誰かを探しているようで。きょろきょろと、周囲を見回している。闇慈は、メイの肩に手をやった。ぽんぽんと叩いてから、その人物を親指で指し示す。
「ほら、あれ。迎えじゃねぇのか?」
「え…?あ、ジョニー!」
違ったらどうしようとか考えていた闇慈が、安堵に溜め息を漏らす。そして、立ち上がったメイに言葉をかけた。
「忘れてる時期を楽しんどけよ。俺の知り合いにな、忘れたい思い出も目的を果たすまでは忘れたくないって姐さんがいるんだ。」
結構苦労してるよ、という言葉を、メイは笑って受け止めた。自分だって苦労していないわけではないのだが、そんなに苦痛を感じてはいないし。この忘却が幸せとは思わないが、だから今の自分があるのだから、それには感謝できる。彼女は、闇慈に手を振りながら、木の茂みから離れていった。
「ありがと、おじさん!今度、デートぐらいならしてあげるよ!」
「はは…。」
闇慈の苦笑いを目に焼き付けて、メイはジョニーに向かって走っていった。彼女に気付いたジョニーが、名前を呼んでくれる。そんなジョニーに、メイは飛びついた。
「ごめんねジョニー!もう困らせないから。」
「そうしてくれるとありがたいぜ、ベイベー。」
ジョニーに頭を撫でられて、メイは薄く微笑んだ。この忘却の過去と、上手く付き合えることを祈って。
ねぇ
ボクは何?
今は封印された過去
いつか目覚める忘却の夢…
fin
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