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うろほろぞ
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 乾いた音に誰もが動きを止めた。叩いた張本人のジョニーでさえ、じんじん痺れる己の掌を、知らぬ生き物であるかのごとく見つめた。
 メイはメイで、叩かれた右頬を押さえ、呆然とジョニーを見上げた。だがすぐに鼻声で叫ぶ。
「ジョニーのバカ!」
 全身が燃え立つように熱かった。泣きそうな自分が悔しかった。視界が何重にも歪んでしまう。
 それでも一度堰を切った感情は留まるところを知らない。ジョニーにしがみつくディズィーに焦慮は増大し、両足は逃げ場を求めて震えだす。
「だいっ嫌いだ!」
 弾かれた足は止まらなかった。他のクルーたちの制止を振り切って、メイは一目散に飛行艇の扉を駆け抜けた。










 時折思う、どうしてボクはボクなんかに生まれちゃったんだろう。道端の小石を蹴って、メイは垂れてきそうな鼻をすすった。水掛け論だと理解していても、どうしてこんな性格で、容姿で、生きているのかと思えば途端に自分が嫌になる。
 例えば。すれ違った男と女、互いの手を絡め合ってゆったり歩いている。女のほうは妊婦らしく大きな腹に手を当てて、これから父親になる男が労わるように見守っている。今夜の夕飯に使うのか、男の反対の手に掛けられた袋の中には、数種の野菜が頭を飛び出させていた。
 例えば、舗道の反対側を歩く少年と少女。ぎこちなく手をつないで、どちらの顔もほんのりと赤い。
 例えば、先を行く老夫婦。足の不自由な夫のために、真っ白な紙をした婦人が懸命に支えている。
 いいな、みんな幸せそうで。他人を羨望する自分が離れない。
「どいてくださーい!」
 かん高い声に、メイはぎょっと目を剥いた。いっぱいに飛び込んできた筋肉質の男。後方にうつる小さな青い影に追われているらしい必死の形相と、汗と光りによって輝く男のスキンヘッド。つやつやとしたそれが迫って来るさまにに、メイはみるみる青ざめ無我夢中になって突き飛ばした。
「いやぁぁぁああああ!」
「ごへぇ!?」
 細腕が鳩尾に直撃し、男は奇怪な声を発して大の字に倒れた。
「ああああああの、ごめんなさいっ、大丈夫!?」
「……てめえ、このガキ!」
 痛む腹を押さえ付け、男が立ち上る。どうすべきかと目を回すメイをよそに、男は歯を剥き出しにして岩のような拳を振り上げた。周囲から次々と悲鳴が上がる。
「ロジャー!」
「がぷっ!?」
 再びかん高い声が空気を一掃し、腕を挙げたまま男がどうと倒れた。後頭部にはファンシーなぬいぐるみが貼り付いている。起き上がる気配はなく、意識を失ったらしい男に、メイは頭を直視しないようつとめながら胸を撫で下ろした。
 続いてぱたぱた現れた少年が、ぬいぐるみを拾い上げほこりを払う。大丈夫ですか、少女と間違えられかねない姿が首をかしげた。
「あれ、えーと、メイさん?」
「うん久しぶり、奇遇だね」
 青いケープを腰に掛けた輪で止め、ブリジットは愛らしく手を振った。










***










 サニーレタスと黒胡椒をまぶした生ハムのクラブサンド、バジルの利いたチリソースピザ、紫芋のニョッキ、大豆のポタージュ、イチジクのコンポートが並んでいる。海鮮サラダとパエリア、マーマレード入りクロワッサンを運んできたウェイターが失笑したのに気付き、メイは俯いて赤面した。くるくると鳴り続ける腹が恨めしい。
「さあどうぞ! ここのごはん、おいしいですから」
 賞金首だった男を警邏に突き出したあと、ブリジットはあたたまったふところを叩いた。彼に連れられたメイの下で出来立ての香りがそよいだ。
「食べないんですか? その、迷惑でしたか?」
「う、ううん、いただきます!」
 手近にあった皿を引き寄せ、パエリアの一匙を口に運ぶ。朝から何も食べていなかった胃袋がまたたく間に吸収する。食欲を刺激する芳香に促されてスプーンが走る。少しずつ、やがて急ぐように、メイは一皿を完食した。にこにこしたブリジットが差し出す果実水で喉を潤して、クラブサンドをわし掴む。
 昼下がりのカフェテラスは賑わいもひとしおで、メイが口を拭う頃には満席になっていた。
「今日はおひとりなんですか?」
「ふぇ?」
 掛けられた声に、パスタで膨らませていた口腔を、ブリジットがいることを思い出して慌てて飲み込んだ。
「えーっと……たまには、かな」
 ひとり。頭の中で繰り返される。
 そうだ、ジョニーとケンカして、出て来ちゃったんだ。スプーンが止まる。
 原因は小さな小さな、忘れてしまいそうなことであった。ディズィーという新たな仲間が加わった日のことだ。迫害から逃れて森で過ごしてきた彼女にとって、メイらの飛行船は大きすぎた。彼女からすれば見たこともないほどの人の多さだったのだろう。ディズィーは怯え、過剰に萎縮した。そんなディズィーを庇護したのがジョニーであったのだ。
「ケンカしちゃったんですか?」
「え……?」
 頬づえをついて、ブリジットがはにかんでいた。丸い童顔には、満面の慈しみがこめられていた。メイはしばし黙っていたが、やがて小さく頷いた。
 本当はね、仲よくしたかっただけなんだよ。それだけ。自分を叩いたジョニーの目。責め苛んだあの目。頬の熱が蘇る。嫌味を言って、飛び出して。叩かれて当然だった。
「ボク、最低だね」
 ジョニーがディズィーを庇った時、メイは彼女のほうが大切なのだと勘違いした。それから散々に罵ってディズィーを追い詰めた。
「仲よくしたいって思ったのに」
「メイさん……泣かないで」
 テーブル越しにのびた繊手がメイの頬に触れる。そこはあたたかく濡れていた。
 カフェテラス変わらない喧騒。ざわめき食器のぶつかる音。メイは押し殺した声で泣く。彼女のすわるソファに席をうつし、ブリジットは少女の方を優しく抱きしめた。涙の一粒ずつに手を握りしめ、背中を撫でた。何度もしゃくり上げてから、メイは乱暴に顔をこする。大きな瞳はすぐにでもまた涙を流しそうだった。
「あは……ごめんね、迷惑掛けちゃって」
「メイさん!」
「わっ、な、何?」
「遊びましょう! 悲しいことがあったら楽しくするにかぎりますよ!」
 唐突に立ち上がり、ブリジットは困惑したままのメイの腕を取った。
 昼もすぎた頃合だろうか、快晴の元に清涼の風が吹く。色とりどりの花が咲き誇り、目抜き通りを華やかに仕立てた。散歩中の犬が駆け回り、素性の知れぬ小鳥たちがさえずった。
 ブリジットは博識で、話に絶えることはなかった。道中でのおかしな出来事や人々について、時にはヨーヨーの特技を披露して、メイをいつまでも飽きさせなかった。それでも締めつけるようなため息が増えていく。少年に悪いと感じつつ、メイはいつも俯き加減であった。
「はーい、デザートです」
「ありがとう、おいしそうだね……」
 クレープを手渡され、公園のベンチに腰掛ける。笑顔でクレープを頬張るブリジットを横目にメイは足をすり合わせた。生クリームがどろりと溶ける。
 心は今すぐにでも飛行艇に戻り、頭を下げたい衝動で一杯だった。このままでいていいの? 自問した指がクレープに食い込んだ。公園の中央に備わった噴水から吹き上がる水が、針のようにみなもに還る。
「あ……のさ、ブリジット」
「はい?」
 立ち上がる。ブリジットが見つめ返してくる。そのエメラルドグリーンの瞳に、メイはふっとディズィーを想起した。
 自分の居場所はあるのだろうか、置いていかれたのではないか、不安は深く絡み付いていた。きつく目を瞑った。罪悪感が、後悔の念が、雄叫びを上げて蔓延する。もしこのまま見放されてしまったら、それはとてもとても悲しいことだ。もう間に合わないかもしれない。まだ間に合うかもしれない。叱責されたことを思い出した。頬を張られた痛みはジョニーのものであったことも。クレープが地面に落ちる。とろけたクリームが砂と混ざった。
「ごめん……ボク、帰らなきゃ!」
 広場で鬼ごっこをしていたこどもたちからいくつもの歓声が上がる。










***










「なァんでおまえさんが乗ってんの。俺の船は男子禁制なんだけど」
「むう、そんなこと言っていいんですか。メイさんはウチが連れて来たんですよ?」
 飛行艇の甲板からメイとディズィーのはしゃぎ声がする。合わせて「ちょっとメイ、ディズィー! 何時だと思ってるの、うるさいよ!」と、非難も聞こえてくる。
 開け放たれたドアに視線を遣りながら、ジョニーは淹れたてのコーヒーのカップをブリジットの前に置いた。
「メイさんを慰めたのも、わざとデートに誘って帰りたいと思わせたのも、ぜーんぶウチがやったんですから」
「下心ある奴の科白だな、ま、礼くらいは言っといてやるさ」
「だってメイさんのほっぺ叩いたのってジョニーさんなんでしょ? 怒ってますよ、恋敵なんだから」
「恋敵?」
 寄せたジョニーの眉間にいつになく険しい皺が寄る。ブリジットはコーヒーに砂糖を足しているところだった。かわいいですよねメイさんって。ウチ、負けませんから。堂々と顎を引き、真正面からジョニーを見据えてくる。
 夕食を終えた食堂はがらんとしたもので、両者の影を色濃くした。メイとディズィーの笑い声も消えている。サングラスを外し、ジョニーは離れた椅子に腰を下ろす。その短い距離に一種緊張がよぎった。ジョニーが口を開く瞬間。
「ジョニー! 仲直り出来たよ!」
 食堂に飛び込んできたのはメイだった。あまりの勢いに、本人ですら止まりきれずに数歩よろける。だがそれを気にするわけでもなく、彼女は寝間着のまま満面の笑みを浮かべた。
「お~う、それはよかったな」
「うん! それでねそれでね、今度みんなで海に行こうよ! ディズィーってば見たことないんだって!」
「そいつぁまた急だぁ~が、そうだな、構わないぜレェディ?」
 余程嬉しいのか、メイは手足を大仰に振りまわして快活な笑顔を撒き散らす。ジョニーは手招きするなりそんな少女の頬に触れた。頬は熱を帯びても腫れてもいなかった。ジョニーの記憶ではそれまで一度だって叩いたことのない場所だった。
「ジョ、ジョジョジョジョニー!」
「ん、なんだい?」
「く、くち……あたってる、よぉ」
 頬に触れたジョニーの唇頭に、まごまご口ごもるメイ。途端ブリジットの目が鋭くなる。どちらの様子に対しても含み笑いをちらつかせ、ジョニーは更に少女を引き寄せた。
「叩いちまったのは、こっちだったな」
「あう、じょにぃ……ってばぁ……」
「痛みが引きますように、それから、おまえさんが今日みたいに俺から離れませんように」
 ちゅっと、わずかばかりに音を響かせて与えられた口づけに、メイはとうとう湯気が出そうなほど真っ赤になった。ぱくぱく開閉する口から声は漏れない。メイの柔肌を浅く吸い、名残惜しげに離れる。それだけでメイは恍惚とし、半眼になった。騒ぎ暴れる心臓をなだめようと精一杯胸を押さえる。
 ブリジットはかわいらしい童顔をひくちかせてカップを置いた。金髪をかき上げてジョニーを睨む。彼の膝にもたれて立っていたメイの腕を掴む。熱の冷めないメイの体が呆気なく傾いた。
「ジョニーさんだけずるいです! ウチもします!」
 怒鳴るなり、ブリジットは反対の頬にキスを落とした。情熱的なジョニーとは異なり、ついばむ口づけにメイはくすぐったそうに笑った。
「な、なんなのさ、ふたりとも……?」
 火照った双眸が焦点を失い始める。かろうじてうつったのは、火花を散らすジョニーとブリジットの様子であった。
「別になんでもないですよ」
「そ、おまえさんがみんなに愛されてるってだけの話さ、メイ」


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