―陽の当たる場所―
ギアが襲来し、激戦地と化した中国のとある一角。
女性と六、七歳ぐらいの幼い少女が、息も切れ切れ走っていた。二人はだった。爆発に
よる轟音を背に、ただひたすら逃げていた。人類共通の敵であるギアから、そして人間
の追っ手から。
母子の髪、両の瞳さえも、ぬばたまの漆黒だった。肌は黄色味を帯びた白で、顔は堀
が浅かった。完全なるモンゴロイド。さらに言えば、絶滅危惧人種―――ジャパニー
ズ。だから、母子は逃げていた。本来味方であるはずの、人間をも敵として。もし捕ま
れば、保護という名のもとに施設に入れられ、自由のない生活を送る事となる。は見え
ていた。それなら、せめて何もらないこの子の為にも逃げなければ。
「ギィシャヤアアア!!」
母子は足を止めた。突然、目の前にギアが現われたのだ。咄嗟に母親は、我が子を物
陰に隠し“気”を使った防御結界を施す。
「いい、。何があっても、ここから出ちゃだめよ」
こくっ、と少女は頷く。幼いながらも状況を理解したようだ。それを確認し、自分は
ギアの眼前に立つ。ギアが反応するように法力をその身に纏って。
ギアは、人類が最大の武器とする法力にはむしろ驚くほどに反応し、攻撃目標とす
る。しかし中国発祥の“気”には、全くの無反応だ。だから少女には“気”を使った術
を施し、自分には法力の術を使ったのだ。
私は囮。
あの子の為なら、それで十分よ。
始めから戦うつもりなどさらさらない。そもそも使えるといっても、本当に初歩の初
歩程度の術しか使えない一般人が、戦えるわけがない。しかしもし逃げようものなら、
母子ともども殺されてしまう。だったら、せめてまだ未来あるあの子にだけは生きてほ
しい。
意を決した漆黒の瞳で、母親は朗々と言った。
「さあ、索敵なんかしてないでさっさといらっしゃい。ここには私一人だけよ。人一
人ぐらい、簡単でしょう……?」
人を素体としないギアは、人語を解さない。しかし、まるで言葉を理解したかのよう
に炯々とその紅眼を光らせる。ふと背鰭が蒼白く発光し、その大きく裂けた口に法力
が、瞬く間に収束していく。
カッ、と一瞬口が輝った。
そう思った次の瞬間には、蒼白い光線が吐き出されていた。
視界が、あっという間に白くなる。ああ死ぬんだな、と意外にも冷静に想った。自分
で決めたことだ。当然といえば、そうなのかもしれない。同時に、幼い我が子を心配す
る気持ちも湧いてはいた。だが、一種安心もしていた。
“気”を使って、防御結界を少女に施したあの時。同時に呼応術と、記憶隠蔽術を施
していたのだ。
信頼できる人物に、少女を託すために。
日本人という枷を忘れて、呼応した人物と新しい生活が出来るように。
呼応した人物。
あの人なら、きっとあの子を守ってくれる。
虚ろう頭で確信めいたように思う。
ジェリーフィッシュ快賊団頭領、ジョニー。
祖父の居合いの弟子だった。
自分がまだ幼かった頃は、よく遊んでくれた。子が出来た時は、名付け親にもなって
くれた。
楽しげな優しい笑顔。
あの人なら、必ず。
そうして、確信に思う。
だんだんと、意識が薄れていく。視界はもう、真っ白だ。
。
いい子にするのよ。
我儘を言って、あの人を困らせないでね。
そして―――――、
「おかあさあぁぁぁん!!」
幼い少女の叫び声が聞こえた。少女が母親を自分をそう呼ぶのも、これが最後。自
分は死に、あの子は名前と歳以外は総て忘れてしまうのだから。
不意に涙が零れる。情けなくてたまらない。
―――――お母さんを、許して。
こんな事でしか、あなたを助けられない弱いお母さんを許して。
明惟。
大地に、爆音と轟音が鳴り響く。
物が、がらがらと崩れていった。
『―――こちら第四小隊、こちら第四小隊』
ガガッ、という通信メダル特有の雑音を孕んで、カイのメダルから受信した声が発せ
られる。どこか切迫したような声色だ。
どうしました?」
怪我人に治癒法を施し終え、カイは内心訝しみながら応答した。
司令塔であるギアを屠り、残りのギアの掃討も終えたこの状況、緊急事態などほとん
どありえないのである。だからこうして、戦地であった街から少し離れた森にあった洞
穴に野営地を構え、怪我人の治癒を手伝っているのだ。それは、別の場所に一時退避し
ている第四小隊だって同じである。
だから、メダルから聞こえた問いの答えを聞いて、カイは我が耳を疑ったのだ。
『大変です、大隊長! 第一地区にて、新たな大型ギアが出現しました。司令塔なし
にして行動出来ていることから、自立型かと思われます。至急、援軍をお願い致しま
す!』
大型の自立型ギア。
司令塔の役割を担っていたギアとは別に、もう一体。索敵機器には、そんなもの居な
かった。
ではなぜ。
問はふつふつと沸き上がったが、迷っている暇はない。酷な話だが、索敵機器に反
応しない新手であろうギア相手に、一小隊が勝てるとは思えない。
幸いカイ率いる第一大隊は、激戦であったにも関わらず怪我人が少なくて済んだ。な
かには、まだ法力を十分に保持している団員もいる。それに一時退却してから、もう三
時間半程経っているのだ。体力もそれなりに回復しているだろう。十分に援軍を組める
情勢だ。
カイは決断した。
「わかりました。直ちに援軍を組み、そちらへ参りましょう。今は落ち着いて、攻撃
体制を執っていてください」
『はい!』
次期団長候補である大隊長の、冷静な声音にいささか安堵したらしく、還ってきた声
は存外明るかった。その返答を聞き届け、カイはすくっと立ち上がった。声変わりをし
てもなお、よく通る少し高めの声を張り上げる。
「第四小隊より、第一地区にて新たな大型の自立型ギアが出現した、との一報があり
ました!」
それほど音の無かった洞穴内が、あわや騒然となる。カイの声が岩壁に反射して、わ
んわん鳴っていく。
「直ちに援軍を組みます。余力のある者は至急、戦闘準備を!」
そう檄を飛ばし、カイは自らも準備を整えていく。洞穴内は慌ただしく、行く者と行
けぬ者とに瞬く間にざっと分かれていった。
集ったのは、総勢約二五十名。約小隊一隊分の人数だ。本当ならもう少し欲しいとこ
ろだが、手負った後の援軍だ。このくらいが妥当というものだろう。
カイは集まった者をそれぞれ見渡すと、身に纏う空気を一気に張り詰めさせた。
「それでは、いざ!」
紡がれた言葉は、いっそ厳かに響く。子供とは思えない程の、威厳と存在感。それが
僅か十五歳にして、次期団長候補に抜擢される少年の一つの姿だった。
そうしてカイは団員達を率い、再び戦地へと赴いていくのであった。
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本来無機質であるはずの、鋼鉄で出来た飛空艇。中々どうしてだろう、けれど漂う空
気は華やぎ、楽しげな談笑さえ聞こえるのである。
だが、それはそれ程に謎な事柄ではない。なんてったって、原因は単純に明白なのだ
から。男という男が居ないのである。乗艇しているクルー達は、全員女なのだ。しか
も、ちょうど年頃でそこそこ器量の良い子ばかりが、よく集めたなと思えるくらいの沢
山の人数で乗っている。これだけ居れば、嫌でも画面が華やぐというものだ。しかした
だひとつ、その中に異質な存在があった。
黒色のコートに鐔の広い帽子、そしてサングラス。全身黒ずくめの、それでいて重い
雰囲気を纏わないのは、所々に施された金の装飾と、本人のその軽快な気質の所為であ
ろう。そう、この並々ならぬ数の女の子の中、たった一人だけ男がいた。名を、ジョ
ニーという。
ジェリーフィッシュ快賊団の頭領であり、この飛空艇の総括者。また一年前、ギアに
よって壊滅したジャパンの抜刀術の使い手でもある。
今、彼の乗る飛空艇ジェリーシップは快賊団の本部艇だ。だから、ただでさえ多いク
ルーがやたらと沢山いるのだ。そしてギアと対戦した後だというのに空気が明るいの
も、その所為である。
ともあれ、そんなハーレム状態の中で、ジョニーは法力で点けた煙草を悠々と吹かし
ていた。
「ねえねえ、ジョニー」
不意に向かいの席から、声がかかる。視線を寄越してみると、テーブルに両肘を立
て、その上に顔を乗せるという、可愛らしい姿勢で座っているクルーの小さな女の子が
いた。ジョニーは今度は身体ごとクルーに向けると、実にゆったりとした口調で答え
た。
「ん、なんだい? エイプリル」
反応が返ってきて嬉しかったのか、エイプリルはえへへと笑うと、首を振った。
「うんん、ちょっとよんでみただけ」
「呼びかけに答えただけでレィディーを喜ばせるなんて、俺様もなかなか罪なものだ
なぁ」
嘆願の共に零れた言葉はいっそつっこむのが嫌になる程、ナルシズム溢れるものだが
エイプリルは気にしない。こんなこと日常茶飯事だし、生半可な男ならともかく彼が言
うなら納得できるし。だから、エイプリルは馬鹿にする訳でもなく楽しげに笑った。
「あははっ。じゃあ、いっぱいよぉぼうっと。ジョニージョニージョニー☆」
「おうおう、」
助けて。
あの子を、助けて。
お願いです。
あの子を―――――――
「……――――!!」
脳に直接響く声。
懐かしい“気”の気配。
呼応術。
何かの気配を感じたのか、突然ジョニーは黙りこくってしまった。先刻まで微笑んで
いたサングラスの下の青の双眸が一転、険しいものに変わる。
「……どしたの……?」
「すまねぇなあ、エイプリル。ちょいと、ヤボ用ができちまったみたいだ」
不安にジョニーの顔を覗き込むエイプリルに、ジョニーは微笑んで詫びた。そうし
て、吸っていた煙草を灰皿に押しつけて揉み消し、立ち上がった。
その様子を茫と見ながら、エイプリルは何の気のしなく訊く。
「……ようじがすんだら、またあそんでくれる?」
その問いにジョニーはつい、と帽子を上げると軽快に笑った。
「ああ、もちろんさ」
「じゃあ、きをつけていってらっしゃい」
言って、エイプリルはひらひらと手を振った。期待を裏切らない返答に、満足した笑
顔で。ジョニーもまた、背中越しに手を振る。そうして静かに、部屋を辞した。
いた。
黒い鱗に覆われた、トカゲを素体とし、後に法力で巨大化させられたのであろうギア
を見つけて、カイは単純に思った。
瓦礫が積もって高台となった場所。見晴らしのいいそこに、カイ達はいた。今居るの
は、カイを含め二十四名だ。それは大人数となっていた援軍を、それぞれ細かい班に分
けた所為である。
ギアの動きからして報告通り、自立型の大型ギアだ。報告を疑っていた訳ではない
が、出来れば嘘であってほしかった。自らで判断を下し行動する自立型ギアは、様々あ
るギアのタイプの中で最も厄介な型なのだ。天才と神童と、謳われるほどの実力を持つ
カイも、なるたけ相手にしたくないタイプであった。そんなこんなで、らしくもなく内
心顔を顰めながら、戦法を頭で組み立てている時。
晧と蒼白く、ギアのその刺々しい背びれが輝った。
法力が増大している。光線でも放つ気か。
カイは思って振り返り、後ろで待機している団員に指示を飛ばした。ギアの意識が下
に向いていることからして、こちらが直接被害を被ることはないだろう。しかしこの距
離だと、爆風や飛び散った瓦礫の威力は侮れないものがある。
「法支援部隊、防護結界を」
「はっ」
ギアが攻撃準備をしている状況に気付いていたのか、団員はすでに円陣を組んでい
た。円を組むことによって、互いの法力を高め合い、少ない消費量で威力の高い術を放
出するのである。
ただカイは少し不満だった。
なぜわざわざ私の指示を待つのか、と。
その名の通り、法力での補助を旨とする部隊、判断力にも長けているはずである。的
確な瞬間に、適当な術を施さなければならない法支援部隊。それならば、なぜ大隊長の
指示を待つ。
答えは考えるまでもない。
候補とはいえ、ほぼ確実に次期団長となるカイに尻尾を振っているのだ。カイの指示
を従順に聞いて、自分達の株を上げようとしている。子供だと侮っているのかその態度
はあからさまで、で憤慨するのも馬鹿らしくなるほどだ。だからカイは冷たく想う。
大人なんか嫌いだ。
“子供”だと嘲るくせに、地位や名誉の為ならその“子供”にさえ媚びへつらう。
全く愚かで大嫌いだ。
しかしそんな大人たちを、本当の意味で認めさせられない“子供”な自分もカイは大
嫌いだった。
白い純粋にある、暗い闇の底。
それなのに、カイの身を包んでいく防御結界は、何物にも染まることのない透き通っ
た白色ののカーテン。耀きの亡い蒼緑の双眸で、カイは茫といっそ神聖なまでのそれ
を、ただただ見つめていた。
………そろそろだな。
ギアの大きく裂けた口が、晧々と蒼白く輝っていた。法力が収束しきったのだ。蓄め
られた法力は、強大なものとなっていた。この大きさだと相当な威力だろう。カイは法
力を使い、かかっていた防護結界を強化した。他の団員にも、それを施す。ただし、先
程の法支援部隊にはかけず、こっそりと。全く狡賢いことに、彼らは自分にはそれなり
に強度を持った術を施している。そんな事、漂う法気量を見れば一発で理解る。
心底呆れて、カイはこれ以上ないというくらい冷ややかに嘲ってやった。
けれど、痛くてたまらない。
緋く黒い想いに駆られた表情を、読み取られないようにするために、カイはを垂れ
た。その瞬間、不意に本来あってはならない光景が目に飛び込む。
ギアの眼前に、長い黒髪の女性。
微弱ながら法力を、その身に纏って。
そんなことをしたら、真っ先に標的となるというのに。
なぜ。
しかしカイがその疑問を解決することはなかった。気がついたときにはもうすでに瓦
礫の山を滑り落ち、救けに向っていたからだ。
「大隊長!」 「カイ様!」
驚いた団員達が、口々に喚く。しかしカイの耳には虚しくも届かない。否、カイが総
て無視したのだ。単独行動がどうの言っている暇などない。今は一刻も早く、人命救助
をせねば。
瓦礫の山を降り切る。実にしなやかな動きでカイは立ち上がって、女性の元へと走
る。
カッと、ギアの大きく裂けたその口が輝った。
「危ない……っ!!」
カイは叫んだ。庇おうと、咄嗟に踏み込む。一挙に放出され、迫る輝り。
あまりの明るさに、視力を奪われる。しかし、女性の漆黒の髪だけはなぜかよく見え
た。艶やかな長く黒い髪。
あと少し。あと少しで――――
「うわあっ!?」
猛烈な爆風に、カイはその身を弾き飛ばされた。瓦礫の山に思いきり身体を叩きつけ
られる。低い呻き声を上げて、カイはそのまま蹲った。しかし、高等な防御結界を施し
ておいた所為、背中を強打した感覚こそありすれど、怪我はなかった。偶然とはいえ、
備えあれば憂いなし、とはまさにこの事である。
感覚はあるのに痛みがない、という不可思議な実感に襲われながら、はっとカイは目
を開けた。
――――――あの女性は。
不意に、奪われた視力が徐々に回復していく。霞む目の前、黒い塊がちょんとあっ
た。
「…………っ!!」
カイは思わず、目をぎゅっと瞑った。その黒塊の正体が、知れたのだ。しかし意を決
し、それでも恐る恐るカイはその双眸を開いていった。
ああ……やはり。
それが当然の理のようにカイは想った。しかし、その白く細い手は小刻みに震えてい
た。目の前にあった黒い塊。それは紛れもない、先刻の女性の屍だった。
ギアの強大な光線をもろに浴びたあの状況、解ってはいたが遺体を目前にするとなる
と、さすがにきついものがある。いくら幼い頃から戦火の最中にいたとはいえ、慣れる
ものではない。いや寧ろ、人として慣れてはいけないものである。
そうしてカイはとりあえず立ち上がると、上着の留め具を外した。ぱさりと、女性の
遺骸に上着をかける。胸の前で十字を切り、せめてもの冥福を心の中で祈る。
「キシャアオォッッ!!」
今まで様子を窺うように大人しくしていたギアが、突如咆哮を上げる。その大きく裂
けた口に、再び蒼白い輝りが産まれる。法力の集積具合からして、先刻のものよりは若
干威力は落ちるだろうが、このまま食らえば確実に死を看ることになるだろう。
すくっと、カイは立ち上がった。腰に提げた封雷剣をベルトから外し、そのを片手に
握る。そして十字を胸の前で切り、今は刀身のない丸いフォルムの鍔の先端に手を当
て、それを一挙に引く。すると手の動きを追うように、蒼白い耀きが産まれる。そして
最後までそれが達した瞬間。耀きは細身の刀身となった。
剣を構える。
埃臭い風が唸った。舞う、焦げた死臭。
蘇る幼い記憶。
動かない命。その意味を知らず、縋りついたあの日。
――――――やめてくれ。
想い、出したくない。
カイは振り切るようにを振った。そしてキッと眼前のギアを睨み、駆け出した。射程
範囲まで一気に間合いを詰めていく。法力を溜め、法文詠唱に持ち込む。そうして円を
描くように印を結ぶ。射程距離に入る。カイは叫んだ。
セイクリッドエッジ!!」
途端、巨大な雷剣が出現する。カイはそれを投げつけるように、手を思いきり振っ
た。
――――不意に、何かが閃く。
カイは気づかない。
次の瞬間、ギアの首が飛んだ。溜められた法力が散逸し、細かい光線が空を斬り裂
く。不測の事態への驚きと戸惑いが、カイの集中力を途切れさせる。その瞬間巨大な雷
剣は散り、法術は未完成のままに終わった。そのためにカイは膨大な法力をその身に置き
去りにしてしまった。体内で法力が暴走し、全身が痺れ弾け飛びそうになる。
「……っくそ………!!」
カイは地面に封雷剣を突き刺し、それをアース代わりに法力を飛ばしていく。雷に具
象化した後だ、散らすのは簡単だった。けれど溜め込んだ法力量の多さの所為で反動は
大きく、カイは立つこともままならずにその場にへたりこんでしまった。絶大な疲労に
息を荒げながら、それでもカイは状況を把握しようとギアの居た方を仰いだ。だがギア
はすでに居なく、今は光となって消え失せていくところだった。
「……なぜ―――――?」
ほろりと疑問が零れ落ちる。その問いに答える者はいるはずもない。だが今しがた確
かに、カイの放たんとしていた法術はギアに当たることなく散逸した。それだというの
に、ギアは消え失せた。
「なぜなんだ………?」
「それは、この俺様がギアを斬ったからさ」
カイの再びの問いに、答えが返ってくる。あるはずのない事に驚いて振り返ると、そ
こには全身黒ずくめのサングラスの男がいた。
「―――――あなたは………」
誰だかわからなくて、カイは言葉に詰まった。すると男はそれに特に気を害すること
もなく、あくまで飄々と笑った。
「直接顔を合わせるのは、初めてだったかい? カイ=キスク団長」
はっと、その低く渋い声と独特な口調で、誰だか判る。そうして何度も話したことが
あるのに、とカイは少し申し訳なさそうに苦笑した。
「そうですね。お会いするのは初めてです。いえ一瞬どなたかと……申し訳ありませ
ん」そう言ってカイは立ち上がり、礼をした。そして言い加える。
「それと私は団長ではありませんよ、ジョニー快賊団団長」
「ほう、そいつぁ悪かったな。クリフの爺さんから、次期団長はアンタだって話を聞
いていたんでなあ」
「クリフ様から……?」
「ああ」
驚いた顔を見せるカイにジョニーは短く答えると、
「さて―――、」
そこに何物が存在するかのように、ある瓦礫の山に一直線に足を向けた。一見何もな
さそうだが、何かあるらしい。カイは気になってジョニーの後についてみた。
「お、いたいた」
向かった瓦礫の山に、何かを見つけてジョニーが座り込む。何だろう? とカイが後
ろから覗き込むと、その瓦礫の陰、まだ幼い少女がいた。
「この少女は―――?」
「知り合いの子でね。引き取りにきたんだ」
「引き取るって、どういう……」
カイがほろりと訊ねた。いつもは深く事情などは聞かない彼がそうしたのは、しかし
嘘のあるはずもない言葉に違和感を覚えたからだ。
なにせ場所が場所だ。引き取るなら、なぜこんな場所にするのか。そして似たような
風景のなか、なぜすぐに少女の居場所がわかったのか。そして――――。
不思議で奇妙な違和感。
このおかしな感覚に、カイは我知らず顔を歪めた。それに気づいたのか、ジョニーの
青の双眸が一瞬困ったを示した。この勘の鋭い相手を誤魔化しきれるか、と。
「まあ、色々事情ってもんがあるのさ。……あまり深入りしないでくれないかな?」
「しかし、」
言いかけて、はたとカイは口を噤んだ。まだ物言いたげに口をもごもごさせている
が、人には言えない事情の一つや二つ持っているものだと、自分を納得させたようだ。
「―――――じょにー……?」
ふと、幼い少女がぼんやりと呟いた。するとジョニーは嬉しそうに微笑んで、少女を
抱き上げた。暗くてよく見えなかったその容姿が、陽の下に曝される。その大きな漆黒
の瞳は枯れた涙に濡れていて、輝りが灯っていなかった。再起不能といったような瞳
の。漆黒の肩口まである長い髪。
漆黒の。
まさか。
「おお、ちゃん。そうさ、この俺様がジョニーだ。よーく覚えておきなぁ?」
「………うん」
何も映らない瞳。少女はこくりと頷いた。
先刻の女性とは親子―――?
漆黒の瞳と同色の髪。東洋系の顔。少女の茫洋とした眼。
漂う違和感。何処かで感じたことのあるような……。
カイの脳裏に様々な思案が巡る。しかし、答えを持つ人物は待ってくれない。
ジョニーは天を仰ぎ見、飛空艇を発見すると少女に笑いかけた。
「よおし。それじゃ、行こうかね。明惟ちゃん」
不思議で奇妙な感覚。埃舞い散る戦場。隣には師と仰いだ老兵。
この感覚、もしかして。
はっ、と答えにカイは辿り着く。漂う違和感は少女の纏う“気”の気配。“気”を用
いた術の痕跡だ。
東洋人の編み出した、法力とはまた違った“気”の術。非常に原理が不可思議である
ため、発祥地であるチャイナでさえ高等な気術を使える者は数少ない。そして西洋人で
は、現聖騎士団団長でありカイの師であるクリフ=アンダーソンただ一人である。
だとしたら、あの少女は。
一纏の可能性。見逃すわけにはいかない。
「――――待って下さい」
「ん。なんだ、まだ何かあるのかい?」
振り返ったジョニー。今まさに安全な着地ポイントを見い出し、降りてくる飛空艇の
方へ足を運ばんとしているところだった。
「その少女を引き取るのなら、遺伝子鑑定を済ませてからにして下さい」
ギアにより壊滅したジャパンにも、高等な“気”の使い手は居たという。だとすれ
ば。
「……それはまた、どうしてだ?」
「その少女の容姿、身に纏う高等な気術の気配。そして先程あなたが話していた言語
からして、ジャパニーズの可能性があります」
「この子の両親の出身は、ジャパンの隣国チャイナだ。似てるのは当然さ」
あくまで飄々とジョニーは答える。が、その裏の意味は明白だった。可能性が確信に
変わった瞬間、カイは無意識に拳を握り締めていた。疑心暗鬼が、心の中を駆け巡る。
「しかし、その黒髪に黒い瞳。平坦な顔に黄色い肌。ジャパニーズの典型的な特徴を
有しています。ですから」
絶滅危惧人種ジャパニーズ。見つけ次第、直ちに保護すべし。
それが、聖騎士団を発足させた国連の意向だった。それを聖騎士団と共に戦う快賊団
団長が、知らない訳がない。それでも協力してくれないのは、よっぽど事情があるから
だろう。そんな事ぐらい、カイでも解る。だからあの時、口を噤んだのだ。それをこの
目の前の黒い男は知っている。それなのになぜ、こんな分かり切った嘘をつくのか。
顔を合わせるのは初めてだったが、通信メダルでのやりとりはそれなりにあった。立
てる作戦もなかなかのものであったし、その寛大な人柄も好きだった。だから、信頼も
していた。それなのに。
裏切られたと思うのは、間違いか?
「………お願いです、ジョニー賊団長。嘘は……つかないで下さい」
痛切に歪む蒼緑の瞳。けれど、顔には決して出さない。
この人も大人だから。
やっぱり信用なんてしてはいけなかった。
カイのその様子に、ジョニーは少しの哀れみ色の溜め息を漏らすと、カイの双眸を
真っすぐ見て言った。
「――――じゃあ、百歩譲ってもしこの子がジャパニーズだとしたら、アンタはこの
子を保護施設に入れるのかい?」
ジョニーの視線をささやかに睨み返し、決然とカイは答える。痛切な表情は、もうそ
こにはない。
「もちろんです。絶滅危惧人種であるジャパニーズを、野放しになんて出来ません」
「それはアンタ自身の本心か……?」
常人なら多少なりとも怯むきつさで睨まれてもなお、真っすぐなサングラス越しの青
い瞳。あまりに真剣で、逆にこっちが逸らしたくなる。
それでもカイは視線を曲げることなく頷いた。
「―――ええ」
「施設の現状を知らないわけじゃあないだろう?」
いつか視察したジャパニーズ保護施設。
変わり映えなく思えた人々。その扱いは、絶滅危惧“動物”を飼うかのようだった。
食物はそれなりに与えられても、綺麗とは言えない狭い部屋に閉じ込められ、そこでほ
ぼ一日を過ごす。他の部屋の仲間と話す機会は皆無に等しく、話す相手といえば一緒に
暮らす家族や友人といった具合だった。
死人より死んだ眼。思い出して、ぞっとする。
「………はい」
こんなに幼い身寄りのない子を、あんな保護とは名ばかりの施設に入れるんだ。ア
ンタはそれで、いいのかい?」
施設での生活は幸せだったかい?
言外にそう問われているように、カイには思えた。つい四年前、カイが孤児院で生活
していたという事をジョニーは知らないというのに、だ。
単なる被害妄想。
そうだ。今日は法力を消耗しすぎて、気が滅入っているだけだ。
不意に風が吹く。少し寒く感じる。上着を着ていない所為だ。
黒き塊と化した母親。遺された幼い子供。
入れられた孤児院で、一緒に遊んだ似た境遇の子達。決して良いとは言えなかった環
境。
それでも、楽しくやっていた。
襲いくる責苦と恐怖の闇夜に、日に日に自覚していく情けなさと弱さに、
耐えながら………。
「……―――――っ」
巡りくる記憶に、カイはとうとう視線を逸らした。俯いて、ぎゅっと目を閉じる。瞼
が震えた。
「ここはひとつ、俺に任せてくれないかな」
ジョニーはサングラスを外し青の双眸を晒して、静かにそう言った。するとゆっくり
とカイは頷いた。ただ、顔は伏せたままに。
「…………わかりました。お任せしましょう……」
「すまんなぁ。それじゃ、失礼するよ」
そういってジョニーは軽く手を振ると、もうすでに着陸していた飛空艇へ颯爽と消え
ていった。
「……………………」
カイは飛空艇の飛びゆく空の青さをその蒼緑の双眸に映して、ただただぼんやりして
いた。忘れていた旧い記憶に心を揺らし、胸に淑やかな痛みの雨を降らしながら。
瓦礫の山の頂上に取り残された団員達が、口々に喚きながら大隊長を迎えに降りてき
たのは、それからまもなくのことだった。
その時知ったことだが、ギア出現の一報は何者かによる偽情報だったらしい。では、
あのギアは何だったのか。光線の被害はきちんとあるが故、存在は否定できない。きっ
と“力”のある人間でないと見えない不可視の特殊ギアでしょう、と片付けられたが、
果たしてどうなのか。謎は尽きない。
それならいっそ、幻であってほしい。
カイは想った。
-----------
「……次はここか。これで最後だな」
澄み切った青空の下。カイは、整備の為に今はへ降りているジェリーフィッシュ快賊
団が一飛空艇メイシップのメインゲート前にい た。
小高い丘にいる所為か、季節柄そうなのか。柔い風が絶えず吹き、ときたま強い風が
駆け抜ける。その度に碧い草原がさざめき、カイの、陽光を縒り集めたような金髪が揺
れ、彼の身に纏う黒の裾の長いブレザーコートがはためいた。
不意にザザアッと強風が吹いて、手に持った指名手配書が飛ばされそうになる。慌て
てカイは手放すまいと、手配書を持つ手に力を入れる。しかし手袋をした手だ、いかん
せん滑りがいい。手配書はあっという間に吹き飛ばされ、風に乗って舞いゆきてしまっ
た。
「あ―――――」
反射に手を伸ばすが、届くはずもない。カイは溜め息をついて、しかしメインゲート
に向き直る。そして、目的の人物の名を口の中で紡ぐ。
「ジェリーフィッシュ団のメイ」
そう、今日は義賊という名の空賊を一斉検挙しにきたわけではない。指名手配システ
ムが何らかの異常をきたし、一種策略めいた指名に磨り変わっていた。その事実関係
や、指名者の関連性の調査をしに、カイは赴いたのだ。ただし、国際警察機構内部から
生じた問題であることから調査は極秘。だから本来なら、連れているはずの部下達も今
日はいないのだ。警察機構の最高官が、たった一人で敵陣に足を踏み入れるのは危険極
まりないのだが、相手が相手だ、そう心配することもないだろう。
そういえば、あの時の少女の名も“メイ”といったな。
ふと、聖戦時代に出会った幼い少女の名を思い出す。母親を亡くし、快賊団団長であ
るジョニーに引き取られていったあの少女。今は元気にしているだろうか。
「うちのお姫様に何か用かな」
不意に声がかかる。その独特の口調。声の方を見なくても、誰だか判る。けれどカイ
はそちらへ向いて、その蒼緑の瞳に男を映す。少しの驚きを交えて。
「……なぜわかったんですか? 私がその“お姫様”に用があると」
「これさ」
もしここが闇でも溶け込まないであろう黒を持つ男―――快賊団団長ジョニーは、飛
空艇の艇体に寄り掛かり、手に持った紙切れをひらひらさせた。よく見ると、それは先
刻風に吹き飛ばされてしまった指名手配書だ。
「それは……っ」
「最新の指名手配書、だろう? 何をしにきたのか知らんが、そのわかりやすい格好
でうろつかんでくれんかなあ」
そう言うとジョニーはカイの手を取り、持っていた手配書を渡した。離れていると見
えなかったサングラス越しのその青い双眸が、少し困ったようなを見せていた。
確かに、カイの着ている服は一目で職業の判るものだった。
黒の、裾の長い金色の縁取りのなされたブレザーコート。同色のスラックスにブー
ツ。両肩につけられた帽入れの右肩から脇にかけては、金の編み紐が巡り通され、その
先端には大粒の深紅のウッドビーズが飾られていた。そして白いワイシャツには、臙脂
のネクタイが映えるように締めてあり、上にはブレザーコートと同色のベストが重ねて
あった。細くけれど大きな手にはめた手袋は白い、全体を覆う形だ。左腕には銀色のピ
ンで留められた、黒と赤の地に金縁のある幅広の国際警察機構の腕章。その記章は二つ
の同心円の中に、十字と×字の形に配置されたラインの上、紅と白に互い違いに色分け
された四つ部屋の盾の右上に、ロゴ化されたIPM―――International Police
Mechanism―――の文字が刺繍されたものだった。
それが国際警察機構の制服であり、只今カイが着用しているものである。ただし、腰
の緩く斜めにつけたやや太めの二本のベルトに提げてある、今は刀身のない封雷剣は、
カイだけのオプションだが。
カイは手配書を受け取ると、短く礼を述べてから、生真面目な面持ちで言った。
「ですが、これも仕事です。ご承知願いたい」
「ま、アンタがわざわざ一人でここまで来たんだ。よっぽどのことだろうなぁ」
「ええ。ここ数日で、あなた方への懸賞金が十倍になっています」
カイの言葉を聞いた途端、いつも纏うある種軽いものから真剣な重いものへと、ジョ
ニーの眼のが変容する。話に興味を持ち、またそれが重要なものだと察知したらしい。
「それで?」
けれどその軽妙な口調は変わらず、ジョニーは先を促した。
「この裏には何かの陰謀が……」
そう言って、カイは賛同を求めるようにジョニーの眼を見やった。しかし、蒼緑の瞳
と青の双眸が出会うことはなかった。ジョニーが、合わせようとしないからだ。つまり
は
「団のことは団で処理する。陰謀があってもなくても、アンタとは敵同士だからな」
協力はしないということだ。ただし俺に勝ったら協力してやろう、と言外にジョニー
は言った。ただ表情はいたって愉快極まりない様子である。今度はカイが困る番だっ
た。早く調査を終えて、本部に戻らなければならないというのに。紡がれた言葉は本当
だろうが遠回しに、ついでだから手合せをしよう、と言っているのだ。
調査が出来なくては、ここまで来た甲斐が水の泡だ。とりあえず、カイは合わせるこ
とにした。
「ちがいありませんね。ならば、腕尽くで聞くまでです」
「よく言った」
真剣ななかに混ざる、歓楽の声色。
ああ、やっぱり。
カイはこれ以上ないというくらい大きな溜め息をつき、封雷剣をベルトに吊していた
留め具を外す。そうして飛空艇メイシップから離れて、それぞれの得物を構える。ジョ
ニーは鞘に入れたままの東洋の刀を。カイは刀身を引き出した封雷剣を。
風が、鳴く。草が、散る。青い空、碧い丘。
生きた沈黙、死んだ緊迫。見せぬ隙、絡む視線。
鳥が、翔んだ。
「―――いきます!」
カイが駆け出す。ジョニーは突っ立ったまま動かない。さえ持たず、口元は笑みを象
る。段々に間合いが詰まる。カイは一挙に意識を収束させ、封雷剣に法力を孕ませる。
途端、一瞬にして細身の刀身が具現化した雷電を纏う。身を捩り、遠心力を利用して勢
いをつけ、足元を薙払う―――が、しかし。
「足元注意!!」
ジョニーが目にも留まらぬ速さで抜刀する。
「くっ……」
咄嗟にカイは空中に高く跳んだ。ブレザーコートの裾を、刀の切っ先が掠める。ぞく
りとカイの背に寒気が走る。あまりの速さに和刀の刄が見えなかったのだ。それでもカ
イが跳んだのは、ジョニーの言葉と彼自身の類い稀なる反射神経のおかげである。
これは本当に、手合せ兼交換条件か?
カイは思う。だが、それにしてはジョニーは本気になりすぎだ。
ということは、やはり――――
一瞬不意にジョニーの身に隙が見えた。カイはそれを見逃さず、先刻具象化した法力
をいったん抽象体に戻す。そしてすかさず巨大な雷弾に変換し、ジョニー目がけて一気
に放った。
「そこだ!!」
しかし強力な分、弾速は遅い。
「おっと」
ジョニーは後方へ下がり、ひらりと雷弾を躱した。草の焼けた青臭さが空を舞う。に
靡くジョニーの、一本に結わえられた長い金髪が不意に紅く発光する。そうしてその紅
き発光は彼の全身を包み、ただならぬ威圧感を纏わせた。けれど、ジョニーの青いその
双眸はいつもと変わらぬ軽妙さ。たっぷりの余裕。それがサングラス越しに垣間見え
て、カイはらしくもなく舌打ちをした。軽妙ではないが、似た男を思い出す。暗褐色の
長髪に、紅味の茶の双眸。この上なく大嫌いな紅い緋い焔の――――
脳裏に浮かぶ人物に、カイは顔を顰める。しかし突如慌てて法文を紡ぎ、防護結界を
張る。翠の光球がカイを覆い、飛来したジョーカーのトランプを弾き飛ばす。ほっとす
るのも束の間、炎の柱が眼前を過る。カイは防御したまま着地すると、雷弾を威嚇発射
し、後方に下がった。そして雷弾をジョニーが躱したその瞬間、
―――勝機。
勢いよくスライディングし、足元を掬う。素早くカイは倒れたジョニーに馬乗りにな
り、その喉元に剣の切っ先を突き立てた。
「勝負、あったようですね」
「ああ。アンタの勝ちだ」
ジョニーの降参の言葉を聞いた途端、カイは特大の溜め息をついた。纏っていた緊張
が、一気に消え失せる。
「それにしても」
剣と自らを退ぞけ、カイは立ち上がった。
「いろいろと一言多いようですね、あなたは」
そして汗で顔に貼りついた髪を掻き揚げて、地に手をついて座り込んでいるジョニー
を見遣った。負けたというのに、ジョニーの眼は楽しげに笑い余裕さえ見せていた。
“あいつ”といい、眼前の黒い男といい、なぜそんなに余裕があるのだろうと、カイは
しみじみ思う。やはり年の功というものか。もしそうだとしたら、何となく嫌である。
「そういうアンタも、ちょいと緊張感が足りないんじゃあないかい?」
言いながらジョニーは立ち上がって、鐔広の帽子をついと上げた。そして視線でカイ
を見下ろす。身長はジョニーの方が若干高い為、自然とそうなるのだが今回ばかりは自
分の事を棚に上げたこの蒼緑の双眸の若造を、揶揄した意味も込められていた。それに
気がついてカイは苦笑いすると
「……そうですね。これからは気をつけるとしましょう」
そして
「しかし」
先程とはまた違った緊迫感がカイの身を包む。
「あなたほどの男がここまで本気になるのは……」
見えなかった刄。瞬く間の追撃。“力”を持ったジョーカーのトランプ。
メイという名の少女。聖戦の記憶。
ジョニーが人差し指を立て、軽く自らの口元にあてる。
「その先は言わないほうがいいぜ」
変わらない瞳の。けれどその奥はとてつもなく鋭くて。カイは息を呑んだ。それでも
言葉を紡ぐことはやめない。
「では、これは独り言です」
蒼緑の双眸が、ほんの少しだけ笑う。これなら問題ないでしょう? と言わんばかり
に。
「ジャパニーズの保護政策は元から反対でしたが……これではっきりしました」
ごうと風が唸る。二人の服がそれぞれの方向にはためく。いっそ聞き流せばいいもの
を、ジョニーは興味深げに静聴していた。言って欲しいなら始めから止めなければいい
のに、そうカイは思った。ここにはあの時のように、隠す必要も聞かれては困る人物も
いない。しかしどんな形であれ、結果的には止められているわけではないから、カイは
話し続けた。
「保護という題目で、誰かがジャパニーズを集めている。いずれよからぬ目的でしょ
う」
「警察機構を顎であやつるやつらだ」
独り言のはずなのに、何時の間にかジョニーが口を挟む。意外な展開に驚いたカイが
ぽかんとしていると、
「俺達は外からそいつを潰す」
俺も独り言だ、とジョニーが視線で還してきた。
「では私は中から追いつめることにしましょう」
表情は真剣としたふうに繕ったままカイは笑い、気を取り直して言った。独り言にし
ては、上手くいきすぎているくらいのタイミングでジョニーが続く。
「そして俺達はここで会わなかった」
カイは目で頷くと、急に表情をえた。いつになく緊張したものとなる。
「早くこのごたごたを片づけます」
緩やかに風が吹く。青い空を雲が流れていく。碧草の、焦げた臭いはもうしない。
「そうすればあなたたちを逮捕できますから」
それは終わりを知らないイタチゲームの挑戦状。内容は切迫していても、きっと楽し
くなるだろう。なぜなら
「ああ、捕まえられるもんならな」
相手は沢山の余裕と、心憎いほどの軽快さを持った笑みを湛える洒落者なのだから。
カイは天を仰いだ。整備を終え、飛び立った飛空艇が今は小さい。
「憎むべき輩が身内にいて敬うべき友が敵である、か……」
闇をも脅かす深き黒を従えた男、ジョニー。
未熟すぎたあの頃、その彼に不信を抱いた。
今はもうそんなものはない。それは単なる自分の無知と心の脆さにあり、誤りだった
と気づいたから。
そう、あれからカイは師であるクリフが使い手ということも手伝って、気術について
いくつか学んだのだ。その時に“記憶隠蔽術”という術があり、施術後数日は新しい記
憶を植えつける期間の為、邪魔な言葉は決して耳に入れてはいけないことを識った。そ
して、あの幼い少女メイにそれが施されていたことも。それからというもの、カイと
ジョニーは極めて友好的である。
黒と蒼の共生。今日の天候は、まさにそんな感じだ。
燦然と照る太陽が創った、濃く黒い影。遥へ行くほど青から蒼へと移ろう広大な空。
吹く翠の風。
陽の耀きを縒ったような金色の髪が、風に揺られながら輝りを反射する。凪ぐことの
ない丘で囁いて、穏やかな笑みを湛える。
「……ときおり聖戦が懐かしくなるな」
弱く脆い、幼かったあの頃。人類総てが団結して戦ったあの戦い。
それが今は嘘のように
「善悪の狭間を知る前の、あの頃が……」
想うと、懐かく温かい。
カイは目を閉じて、ひとしきり風を聞くと身を翻し、碧い丘を辞した。
雲は真っ白に流れ、風は息吹くように確実に時を重ねていく。
その無限なる一瞬一瞬で人は成長し、生命は輝きをもちそして没する。
けれど、彼ら彼女らには陽を浴びて耀くべき場所がある。
何人たりとも、犯すことの出来ない居場所。
そう、それが
陽の当たる場所。
―END―
ギアが襲来し、激戦地と化した中国のとある一角。
女性と六、七歳ぐらいの幼い少女が、息も切れ切れ走っていた。二人はだった。爆発に
よる轟音を背に、ただひたすら逃げていた。人類共通の敵であるギアから、そして人間
の追っ手から。
母子の髪、両の瞳さえも、ぬばたまの漆黒だった。肌は黄色味を帯びた白で、顔は堀
が浅かった。完全なるモンゴロイド。さらに言えば、絶滅危惧人種―――ジャパニー
ズ。だから、母子は逃げていた。本来味方であるはずの、人間をも敵として。もし捕ま
れば、保護という名のもとに施設に入れられ、自由のない生活を送る事となる。は見え
ていた。それなら、せめて何もらないこの子の為にも逃げなければ。
「ギィシャヤアアア!!」
母子は足を止めた。突然、目の前にギアが現われたのだ。咄嗟に母親は、我が子を物
陰に隠し“気”を使った防御結界を施す。
「いい、。何があっても、ここから出ちゃだめよ」
こくっ、と少女は頷く。幼いながらも状況を理解したようだ。それを確認し、自分は
ギアの眼前に立つ。ギアが反応するように法力をその身に纏って。
ギアは、人類が最大の武器とする法力にはむしろ驚くほどに反応し、攻撃目標とす
る。しかし中国発祥の“気”には、全くの無反応だ。だから少女には“気”を使った術
を施し、自分には法力の術を使ったのだ。
私は囮。
あの子の為なら、それで十分よ。
始めから戦うつもりなどさらさらない。そもそも使えるといっても、本当に初歩の初
歩程度の術しか使えない一般人が、戦えるわけがない。しかしもし逃げようものなら、
母子ともども殺されてしまう。だったら、せめてまだ未来あるあの子にだけは生きてほ
しい。
意を決した漆黒の瞳で、母親は朗々と言った。
「さあ、索敵なんかしてないでさっさといらっしゃい。ここには私一人だけよ。人一
人ぐらい、簡単でしょう……?」
人を素体としないギアは、人語を解さない。しかし、まるで言葉を理解したかのよう
に炯々とその紅眼を光らせる。ふと背鰭が蒼白く発光し、その大きく裂けた口に法力
が、瞬く間に収束していく。
カッ、と一瞬口が輝った。
そう思った次の瞬間には、蒼白い光線が吐き出されていた。
視界が、あっという間に白くなる。ああ死ぬんだな、と意外にも冷静に想った。自分
で決めたことだ。当然といえば、そうなのかもしれない。同時に、幼い我が子を心配す
る気持ちも湧いてはいた。だが、一種安心もしていた。
“気”を使って、防御結界を少女に施したあの時。同時に呼応術と、記憶隠蔽術を施
していたのだ。
信頼できる人物に、少女を託すために。
日本人という枷を忘れて、呼応した人物と新しい生活が出来るように。
呼応した人物。
あの人なら、きっとあの子を守ってくれる。
虚ろう頭で確信めいたように思う。
ジェリーフィッシュ快賊団頭領、ジョニー。
祖父の居合いの弟子だった。
自分がまだ幼かった頃は、よく遊んでくれた。子が出来た時は、名付け親にもなって
くれた。
楽しげな優しい笑顔。
あの人なら、必ず。
そうして、確信に思う。
だんだんと、意識が薄れていく。視界はもう、真っ白だ。
。
いい子にするのよ。
我儘を言って、あの人を困らせないでね。
そして―――――、
「おかあさあぁぁぁん!!」
幼い少女の叫び声が聞こえた。少女が母親を自分をそう呼ぶのも、これが最後。自
分は死に、あの子は名前と歳以外は総て忘れてしまうのだから。
不意に涙が零れる。情けなくてたまらない。
―――――お母さんを、許して。
こんな事でしか、あなたを助けられない弱いお母さんを許して。
明惟。
大地に、爆音と轟音が鳴り響く。
物が、がらがらと崩れていった。
『―――こちら第四小隊、こちら第四小隊』
ガガッ、という通信メダル特有の雑音を孕んで、カイのメダルから受信した声が発せ
られる。どこか切迫したような声色だ。
どうしました?」
怪我人に治癒法を施し終え、カイは内心訝しみながら応答した。
司令塔であるギアを屠り、残りのギアの掃討も終えたこの状況、緊急事態などほとん
どありえないのである。だからこうして、戦地であった街から少し離れた森にあった洞
穴に野営地を構え、怪我人の治癒を手伝っているのだ。それは、別の場所に一時退避し
ている第四小隊だって同じである。
だから、メダルから聞こえた問いの答えを聞いて、カイは我が耳を疑ったのだ。
『大変です、大隊長! 第一地区にて、新たな大型ギアが出現しました。司令塔なし
にして行動出来ていることから、自立型かと思われます。至急、援軍をお願い致しま
す!』
大型の自立型ギア。
司令塔の役割を担っていたギアとは別に、もう一体。索敵機器には、そんなもの居な
かった。
ではなぜ。
問はふつふつと沸き上がったが、迷っている暇はない。酷な話だが、索敵機器に反
応しない新手であろうギア相手に、一小隊が勝てるとは思えない。
幸いカイ率いる第一大隊は、激戦であったにも関わらず怪我人が少なくて済んだ。な
かには、まだ法力を十分に保持している団員もいる。それに一時退却してから、もう三
時間半程経っているのだ。体力もそれなりに回復しているだろう。十分に援軍を組める
情勢だ。
カイは決断した。
「わかりました。直ちに援軍を組み、そちらへ参りましょう。今は落ち着いて、攻撃
体制を執っていてください」
『はい!』
次期団長候補である大隊長の、冷静な声音にいささか安堵したらしく、還ってきた声
は存外明るかった。その返答を聞き届け、カイはすくっと立ち上がった。声変わりをし
てもなお、よく通る少し高めの声を張り上げる。
「第四小隊より、第一地区にて新たな大型の自立型ギアが出現した、との一報があり
ました!」
それほど音の無かった洞穴内が、あわや騒然となる。カイの声が岩壁に反射して、わ
んわん鳴っていく。
「直ちに援軍を組みます。余力のある者は至急、戦闘準備を!」
そう檄を飛ばし、カイは自らも準備を整えていく。洞穴内は慌ただしく、行く者と行
けぬ者とに瞬く間にざっと分かれていった。
集ったのは、総勢約二五十名。約小隊一隊分の人数だ。本当ならもう少し欲しいとこ
ろだが、手負った後の援軍だ。このくらいが妥当というものだろう。
カイは集まった者をそれぞれ見渡すと、身に纏う空気を一気に張り詰めさせた。
「それでは、いざ!」
紡がれた言葉は、いっそ厳かに響く。子供とは思えない程の、威厳と存在感。それが
僅か十五歳にして、次期団長候補に抜擢される少年の一つの姿だった。
そうしてカイは団員達を率い、再び戦地へと赴いていくのであった。
---------
本来無機質であるはずの、鋼鉄で出来た飛空艇。中々どうしてだろう、けれど漂う空
気は華やぎ、楽しげな談笑さえ聞こえるのである。
だが、それはそれ程に謎な事柄ではない。なんてったって、原因は単純に明白なのだ
から。男という男が居ないのである。乗艇しているクルー達は、全員女なのだ。しか
も、ちょうど年頃でそこそこ器量の良い子ばかりが、よく集めたなと思えるくらいの沢
山の人数で乗っている。これだけ居れば、嫌でも画面が華やぐというものだ。しかした
だひとつ、その中に異質な存在があった。
黒色のコートに鐔の広い帽子、そしてサングラス。全身黒ずくめの、それでいて重い
雰囲気を纏わないのは、所々に施された金の装飾と、本人のその軽快な気質の所為であ
ろう。そう、この並々ならぬ数の女の子の中、たった一人だけ男がいた。名を、ジョ
ニーという。
ジェリーフィッシュ快賊団の頭領であり、この飛空艇の総括者。また一年前、ギアに
よって壊滅したジャパンの抜刀術の使い手でもある。
今、彼の乗る飛空艇ジェリーシップは快賊団の本部艇だ。だから、ただでさえ多いク
ルーがやたらと沢山いるのだ。そしてギアと対戦した後だというのに空気が明るいの
も、その所為である。
ともあれ、そんなハーレム状態の中で、ジョニーは法力で点けた煙草を悠々と吹かし
ていた。
「ねえねえ、ジョニー」
不意に向かいの席から、声がかかる。視線を寄越してみると、テーブルに両肘を立
て、その上に顔を乗せるという、可愛らしい姿勢で座っているクルーの小さな女の子が
いた。ジョニーは今度は身体ごとクルーに向けると、実にゆったりとした口調で答え
た。
「ん、なんだい? エイプリル」
反応が返ってきて嬉しかったのか、エイプリルはえへへと笑うと、首を振った。
「うんん、ちょっとよんでみただけ」
「呼びかけに答えただけでレィディーを喜ばせるなんて、俺様もなかなか罪なものだ
なぁ」
嘆願の共に零れた言葉はいっそつっこむのが嫌になる程、ナルシズム溢れるものだが
エイプリルは気にしない。こんなこと日常茶飯事だし、生半可な男ならともかく彼が言
うなら納得できるし。だから、エイプリルは馬鹿にする訳でもなく楽しげに笑った。
「あははっ。じゃあ、いっぱいよぉぼうっと。ジョニージョニージョニー☆」
「おうおう、」
助けて。
あの子を、助けて。
お願いです。
あの子を―――――――
「……――――!!」
脳に直接響く声。
懐かしい“気”の気配。
呼応術。
何かの気配を感じたのか、突然ジョニーは黙りこくってしまった。先刻まで微笑んで
いたサングラスの下の青の双眸が一転、険しいものに変わる。
「……どしたの……?」
「すまねぇなあ、エイプリル。ちょいと、ヤボ用ができちまったみたいだ」
不安にジョニーの顔を覗き込むエイプリルに、ジョニーは微笑んで詫びた。そうし
て、吸っていた煙草を灰皿に押しつけて揉み消し、立ち上がった。
その様子を茫と見ながら、エイプリルは何の気のしなく訊く。
「……ようじがすんだら、またあそんでくれる?」
その問いにジョニーはつい、と帽子を上げると軽快に笑った。
「ああ、もちろんさ」
「じゃあ、きをつけていってらっしゃい」
言って、エイプリルはひらひらと手を振った。期待を裏切らない返答に、満足した笑
顔で。ジョニーもまた、背中越しに手を振る。そうして静かに、部屋を辞した。
いた。
黒い鱗に覆われた、トカゲを素体とし、後に法力で巨大化させられたのであろうギア
を見つけて、カイは単純に思った。
瓦礫が積もって高台となった場所。見晴らしのいいそこに、カイ達はいた。今居るの
は、カイを含め二十四名だ。それは大人数となっていた援軍を、それぞれ細かい班に分
けた所為である。
ギアの動きからして報告通り、自立型の大型ギアだ。報告を疑っていた訳ではない
が、出来れば嘘であってほしかった。自らで判断を下し行動する自立型ギアは、様々あ
るギアのタイプの中で最も厄介な型なのだ。天才と神童と、謳われるほどの実力を持つ
カイも、なるたけ相手にしたくないタイプであった。そんなこんなで、らしくもなく内
心顔を顰めながら、戦法を頭で組み立てている時。
晧と蒼白く、ギアのその刺々しい背びれが輝った。
法力が増大している。光線でも放つ気か。
カイは思って振り返り、後ろで待機している団員に指示を飛ばした。ギアの意識が下
に向いていることからして、こちらが直接被害を被ることはないだろう。しかしこの距
離だと、爆風や飛び散った瓦礫の威力は侮れないものがある。
「法支援部隊、防護結界を」
「はっ」
ギアが攻撃準備をしている状況に気付いていたのか、団員はすでに円陣を組んでい
た。円を組むことによって、互いの法力を高め合い、少ない消費量で威力の高い術を放
出するのである。
ただカイは少し不満だった。
なぜわざわざ私の指示を待つのか、と。
その名の通り、法力での補助を旨とする部隊、判断力にも長けているはずである。的
確な瞬間に、適当な術を施さなければならない法支援部隊。それならば、なぜ大隊長の
指示を待つ。
答えは考えるまでもない。
候補とはいえ、ほぼ確実に次期団長となるカイに尻尾を振っているのだ。カイの指示
を従順に聞いて、自分達の株を上げようとしている。子供だと侮っているのかその態度
はあからさまで、で憤慨するのも馬鹿らしくなるほどだ。だからカイは冷たく想う。
大人なんか嫌いだ。
“子供”だと嘲るくせに、地位や名誉の為ならその“子供”にさえ媚びへつらう。
全く愚かで大嫌いだ。
しかしそんな大人たちを、本当の意味で認めさせられない“子供”な自分もカイは大
嫌いだった。
白い純粋にある、暗い闇の底。
それなのに、カイの身を包んでいく防御結界は、何物にも染まることのない透き通っ
た白色ののカーテン。耀きの亡い蒼緑の双眸で、カイは茫といっそ神聖なまでのそれ
を、ただただ見つめていた。
………そろそろだな。
ギアの大きく裂けた口が、晧々と蒼白く輝っていた。法力が収束しきったのだ。蓄め
られた法力は、強大なものとなっていた。この大きさだと相当な威力だろう。カイは法
力を使い、かかっていた防護結界を強化した。他の団員にも、それを施す。ただし、先
程の法支援部隊にはかけず、こっそりと。全く狡賢いことに、彼らは自分にはそれなり
に強度を持った術を施している。そんな事、漂う法気量を見れば一発で理解る。
心底呆れて、カイはこれ以上ないというくらい冷ややかに嘲ってやった。
けれど、痛くてたまらない。
緋く黒い想いに駆られた表情を、読み取られないようにするために、カイはを垂れ
た。その瞬間、不意に本来あってはならない光景が目に飛び込む。
ギアの眼前に、長い黒髪の女性。
微弱ながら法力を、その身に纏って。
そんなことをしたら、真っ先に標的となるというのに。
なぜ。
しかしカイがその疑問を解決することはなかった。気がついたときにはもうすでに瓦
礫の山を滑り落ち、救けに向っていたからだ。
「大隊長!」 「カイ様!」
驚いた団員達が、口々に喚く。しかしカイの耳には虚しくも届かない。否、カイが総
て無視したのだ。単独行動がどうの言っている暇などない。今は一刻も早く、人命救助
をせねば。
瓦礫の山を降り切る。実にしなやかな動きでカイは立ち上がって、女性の元へと走
る。
カッと、ギアの大きく裂けたその口が輝った。
「危ない……っ!!」
カイは叫んだ。庇おうと、咄嗟に踏み込む。一挙に放出され、迫る輝り。
あまりの明るさに、視力を奪われる。しかし、女性の漆黒の髪だけはなぜかよく見え
た。艶やかな長く黒い髪。
あと少し。あと少しで――――
「うわあっ!?」
猛烈な爆風に、カイはその身を弾き飛ばされた。瓦礫の山に思いきり身体を叩きつけ
られる。低い呻き声を上げて、カイはそのまま蹲った。しかし、高等な防御結界を施し
ておいた所為、背中を強打した感覚こそありすれど、怪我はなかった。偶然とはいえ、
備えあれば憂いなし、とはまさにこの事である。
感覚はあるのに痛みがない、という不可思議な実感に襲われながら、はっとカイは目
を開けた。
――――――あの女性は。
不意に、奪われた視力が徐々に回復していく。霞む目の前、黒い塊がちょんとあっ
た。
「…………っ!!」
カイは思わず、目をぎゅっと瞑った。その黒塊の正体が、知れたのだ。しかし意を決
し、それでも恐る恐るカイはその双眸を開いていった。
ああ……やはり。
それが当然の理のようにカイは想った。しかし、その白く細い手は小刻みに震えてい
た。目の前にあった黒い塊。それは紛れもない、先刻の女性の屍だった。
ギアの強大な光線をもろに浴びたあの状況、解ってはいたが遺体を目前にするとなる
と、さすがにきついものがある。いくら幼い頃から戦火の最中にいたとはいえ、慣れる
ものではない。いや寧ろ、人として慣れてはいけないものである。
そうしてカイはとりあえず立ち上がると、上着の留め具を外した。ぱさりと、女性の
遺骸に上着をかける。胸の前で十字を切り、せめてもの冥福を心の中で祈る。
「キシャアオォッッ!!」
今まで様子を窺うように大人しくしていたギアが、突如咆哮を上げる。その大きく裂
けた口に、再び蒼白い輝りが産まれる。法力の集積具合からして、先刻のものよりは若
干威力は落ちるだろうが、このまま食らえば確実に死を看ることになるだろう。
すくっと、カイは立ち上がった。腰に提げた封雷剣をベルトから外し、そのを片手に
握る。そして十字を胸の前で切り、今は刀身のない丸いフォルムの鍔の先端に手を当
て、それを一挙に引く。すると手の動きを追うように、蒼白い耀きが産まれる。そして
最後までそれが達した瞬間。耀きは細身の刀身となった。
剣を構える。
埃臭い風が唸った。舞う、焦げた死臭。
蘇る幼い記憶。
動かない命。その意味を知らず、縋りついたあの日。
――――――やめてくれ。
想い、出したくない。
カイは振り切るようにを振った。そしてキッと眼前のギアを睨み、駆け出した。射程
範囲まで一気に間合いを詰めていく。法力を溜め、法文詠唱に持ち込む。そうして円を
描くように印を結ぶ。射程距離に入る。カイは叫んだ。
セイクリッドエッジ!!」
途端、巨大な雷剣が出現する。カイはそれを投げつけるように、手を思いきり振っ
た。
――――不意に、何かが閃く。
カイは気づかない。
次の瞬間、ギアの首が飛んだ。溜められた法力が散逸し、細かい光線が空を斬り裂
く。不測の事態への驚きと戸惑いが、カイの集中力を途切れさせる。その瞬間巨大な雷
剣は散り、法術は未完成のままに終わった。そのためにカイは膨大な法力をその身に置き
去りにしてしまった。体内で法力が暴走し、全身が痺れ弾け飛びそうになる。
「……っくそ………!!」
カイは地面に封雷剣を突き刺し、それをアース代わりに法力を飛ばしていく。雷に具
象化した後だ、散らすのは簡単だった。けれど溜め込んだ法力量の多さの所為で反動は
大きく、カイは立つこともままならずにその場にへたりこんでしまった。絶大な疲労に
息を荒げながら、それでもカイは状況を把握しようとギアの居た方を仰いだ。だがギア
はすでに居なく、今は光となって消え失せていくところだった。
「……なぜ―――――?」
ほろりと疑問が零れ落ちる。その問いに答える者はいるはずもない。だが今しがた確
かに、カイの放たんとしていた法術はギアに当たることなく散逸した。それだというの
に、ギアは消え失せた。
「なぜなんだ………?」
「それは、この俺様がギアを斬ったからさ」
カイの再びの問いに、答えが返ってくる。あるはずのない事に驚いて振り返ると、そ
こには全身黒ずくめのサングラスの男がいた。
「―――――あなたは………」
誰だかわからなくて、カイは言葉に詰まった。すると男はそれに特に気を害すること
もなく、あくまで飄々と笑った。
「直接顔を合わせるのは、初めてだったかい? カイ=キスク団長」
はっと、その低く渋い声と独特な口調で、誰だか判る。そうして何度も話したことが
あるのに、とカイは少し申し訳なさそうに苦笑した。
「そうですね。お会いするのは初めてです。いえ一瞬どなたかと……申し訳ありませ
ん」そう言ってカイは立ち上がり、礼をした。そして言い加える。
「それと私は団長ではありませんよ、ジョニー快賊団団長」
「ほう、そいつぁ悪かったな。クリフの爺さんから、次期団長はアンタだって話を聞
いていたんでなあ」
「クリフ様から……?」
「ああ」
驚いた顔を見せるカイにジョニーは短く答えると、
「さて―――、」
そこに何物が存在するかのように、ある瓦礫の山に一直線に足を向けた。一見何もな
さそうだが、何かあるらしい。カイは気になってジョニーの後についてみた。
「お、いたいた」
向かった瓦礫の山に、何かを見つけてジョニーが座り込む。何だろう? とカイが後
ろから覗き込むと、その瓦礫の陰、まだ幼い少女がいた。
「この少女は―――?」
「知り合いの子でね。引き取りにきたんだ」
「引き取るって、どういう……」
カイがほろりと訊ねた。いつもは深く事情などは聞かない彼がそうしたのは、しかし
嘘のあるはずもない言葉に違和感を覚えたからだ。
なにせ場所が場所だ。引き取るなら、なぜこんな場所にするのか。そして似たような
風景のなか、なぜすぐに少女の居場所がわかったのか。そして――――。
不思議で奇妙な違和感。
このおかしな感覚に、カイは我知らず顔を歪めた。それに気づいたのか、ジョニーの
青の双眸が一瞬困ったを示した。この勘の鋭い相手を誤魔化しきれるか、と。
「まあ、色々事情ってもんがあるのさ。……あまり深入りしないでくれないかな?」
「しかし、」
言いかけて、はたとカイは口を噤んだ。まだ物言いたげに口をもごもごさせている
が、人には言えない事情の一つや二つ持っているものだと、自分を納得させたようだ。
「―――――じょにー……?」
ふと、幼い少女がぼんやりと呟いた。するとジョニーは嬉しそうに微笑んで、少女を
抱き上げた。暗くてよく見えなかったその容姿が、陽の下に曝される。その大きな漆黒
の瞳は枯れた涙に濡れていて、輝りが灯っていなかった。再起不能といったような瞳
の。漆黒の肩口まである長い髪。
漆黒の。
まさか。
「おお、ちゃん。そうさ、この俺様がジョニーだ。よーく覚えておきなぁ?」
「………うん」
何も映らない瞳。少女はこくりと頷いた。
先刻の女性とは親子―――?
漆黒の瞳と同色の髪。東洋系の顔。少女の茫洋とした眼。
漂う違和感。何処かで感じたことのあるような……。
カイの脳裏に様々な思案が巡る。しかし、答えを持つ人物は待ってくれない。
ジョニーは天を仰ぎ見、飛空艇を発見すると少女に笑いかけた。
「よおし。それじゃ、行こうかね。明惟ちゃん」
不思議で奇妙な感覚。埃舞い散る戦場。隣には師と仰いだ老兵。
この感覚、もしかして。
はっ、と答えにカイは辿り着く。漂う違和感は少女の纏う“気”の気配。“気”を用
いた術の痕跡だ。
東洋人の編み出した、法力とはまた違った“気”の術。非常に原理が不可思議である
ため、発祥地であるチャイナでさえ高等な気術を使える者は数少ない。そして西洋人で
は、現聖騎士団団長でありカイの師であるクリフ=アンダーソンただ一人である。
だとしたら、あの少女は。
一纏の可能性。見逃すわけにはいかない。
「――――待って下さい」
「ん。なんだ、まだ何かあるのかい?」
振り返ったジョニー。今まさに安全な着地ポイントを見い出し、降りてくる飛空艇の
方へ足を運ばんとしているところだった。
「その少女を引き取るのなら、遺伝子鑑定を済ませてからにして下さい」
ギアにより壊滅したジャパンにも、高等な“気”の使い手は居たという。だとすれ
ば。
「……それはまた、どうしてだ?」
「その少女の容姿、身に纏う高等な気術の気配。そして先程あなたが話していた言語
からして、ジャパニーズの可能性があります」
「この子の両親の出身は、ジャパンの隣国チャイナだ。似てるのは当然さ」
あくまで飄々とジョニーは答える。が、その裏の意味は明白だった。可能性が確信に
変わった瞬間、カイは無意識に拳を握り締めていた。疑心暗鬼が、心の中を駆け巡る。
「しかし、その黒髪に黒い瞳。平坦な顔に黄色い肌。ジャパニーズの典型的な特徴を
有しています。ですから」
絶滅危惧人種ジャパニーズ。見つけ次第、直ちに保護すべし。
それが、聖騎士団を発足させた国連の意向だった。それを聖騎士団と共に戦う快賊団
団長が、知らない訳がない。それでも協力してくれないのは、よっぽど事情があるから
だろう。そんな事ぐらい、カイでも解る。だからあの時、口を噤んだのだ。それをこの
目の前の黒い男は知っている。それなのになぜ、こんな分かり切った嘘をつくのか。
顔を合わせるのは初めてだったが、通信メダルでのやりとりはそれなりにあった。立
てる作戦もなかなかのものであったし、その寛大な人柄も好きだった。だから、信頼も
していた。それなのに。
裏切られたと思うのは、間違いか?
「………お願いです、ジョニー賊団長。嘘は……つかないで下さい」
痛切に歪む蒼緑の瞳。けれど、顔には決して出さない。
この人も大人だから。
やっぱり信用なんてしてはいけなかった。
カイのその様子に、ジョニーは少しの哀れみ色の溜め息を漏らすと、カイの双眸を
真っすぐ見て言った。
「――――じゃあ、百歩譲ってもしこの子がジャパニーズだとしたら、アンタはこの
子を保護施設に入れるのかい?」
ジョニーの視線をささやかに睨み返し、決然とカイは答える。痛切な表情は、もうそ
こにはない。
「もちろんです。絶滅危惧人種であるジャパニーズを、野放しになんて出来ません」
「それはアンタ自身の本心か……?」
常人なら多少なりとも怯むきつさで睨まれてもなお、真っすぐなサングラス越しの青
い瞳。あまりに真剣で、逆にこっちが逸らしたくなる。
それでもカイは視線を曲げることなく頷いた。
「―――ええ」
「施設の現状を知らないわけじゃあないだろう?」
いつか視察したジャパニーズ保護施設。
変わり映えなく思えた人々。その扱いは、絶滅危惧“動物”を飼うかのようだった。
食物はそれなりに与えられても、綺麗とは言えない狭い部屋に閉じ込められ、そこでほ
ぼ一日を過ごす。他の部屋の仲間と話す機会は皆無に等しく、話す相手といえば一緒に
暮らす家族や友人といった具合だった。
死人より死んだ眼。思い出して、ぞっとする。
「………はい」
こんなに幼い身寄りのない子を、あんな保護とは名ばかりの施設に入れるんだ。ア
ンタはそれで、いいのかい?」
施設での生活は幸せだったかい?
言外にそう問われているように、カイには思えた。つい四年前、カイが孤児院で生活
していたという事をジョニーは知らないというのに、だ。
単なる被害妄想。
そうだ。今日は法力を消耗しすぎて、気が滅入っているだけだ。
不意に風が吹く。少し寒く感じる。上着を着ていない所為だ。
黒き塊と化した母親。遺された幼い子供。
入れられた孤児院で、一緒に遊んだ似た境遇の子達。決して良いとは言えなかった環
境。
それでも、楽しくやっていた。
襲いくる責苦と恐怖の闇夜に、日に日に自覚していく情けなさと弱さに、
耐えながら………。
「……―――――っ」
巡りくる記憶に、カイはとうとう視線を逸らした。俯いて、ぎゅっと目を閉じる。瞼
が震えた。
「ここはひとつ、俺に任せてくれないかな」
ジョニーはサングラスを外し青の双眸を晒して、静かにそう言った。するとゆっくり
とカイは頷いた。ただ、顔は伏せたままに。
「…………わかりました。お任せしましょう……」
「すまんなぁ。それじゃ、失礼するよ」
そういってジョニーは軽く手を振ると、もうすでに着陸していた飛空艇へ颯爽と消え
ていった。
「……………………」
カイは飛空艇の飛びゆく空の青さをその蒼緑の双眸に映して、ただただぼんやりして
いた。忘れていた旧い記憶に心を揺らし、胸に淑やかな痛みの雨を降らしながら。
瓦礫の山の頂上に取り残された団員達が、口々に喚きながら大隊長を迎えに降りてき
たのは、それからまもなくのことだった。
その時知ったことだが、ギア出現の一報は何者かによる偽情報だったらしい。では、
あのギアは何だったのか。光線の被害はきちんとあるが故、存在は否定できない。きっ
と“力”のある人間でないと見えない不可視の特殊ギアでしょう、と片付けられたが、
果たしてどうなのか。謎は尽きない。
それならいっそ、幻であってほしい。
カイは想った。
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「……次はここか。これで最後だな」
澄み切った青空の下。カイは、整備の為に今はへ降りているジェリーフィッシュ快賊
団が一飛空艇メイシップのメインゲート前にい た。
小高い丘にいる所為か、季節柄そうなのか。柔い風が絶えず吹き、ときたま強い風が
駆け抜ける。その度に碧い草原がさざめき、カイの、陽光を縒り集めたような金髪が揺
れ、彼の身に纏う黒の裾の長いブレザーコートがはためいた。
不意にザザアッと強風が吹いて、手に持った指名手配書が飛ばされそうになる。慌て
てカイは手放すまいと、手配書を持つ手に力を入れる。しかし手袋をした手だ、いかん
せん滑りがいい。手配書はあっという間に吹き飛ばされ、風に乗って舞いゆきてしまっ
た。
「あ―――――」
反射に手を伸ばすが、届くはずもない。カイは溜め息をついて、しかしメインゲート
に向き直る。そして、目的の人物の名を口の中で紡ぐ。
「ジェリーフィッシュ団のメイ」
そう、今日は義賊という名の空賊を一斉検挙しにきたわけではない。指名手配システ
ムが何らかの異常をきたし、一種策略めいた指名に磨り変わっていた。その事実関係
や、指名者の関連性の調査をしに、カイは赴いたのだ。ただし、国際警察機構内部から
生じた問題であることから調査は極秘。だから本来なら、連れているはずの部下達も今
日はいないのだ。警察機構の最高官が、たった一人で敵陣に足を踏み入れるのは危険極
まりないのだが、相手が相手だ、そう心配することもないだろう。
そういえば、あの時の少女の名も“メイ”といったな。
ふと、聖戦時代に出会った幼い少女の名を思い出す。母親を亡くし、快賊団団長であ
るジョニーに引き取られていったあの少女。今は元気にしているだろうか。
「うちのお姫様に何か用かな」
不意に声がかかる。その独特の口調。声の方を見なくても、誰だか判る。けれどカイ
はそちらへ向いて、その蒼緑の瞳に男を映す。少しの驚きを交えて。
「……なぜわかったんですか? 私がその“お姫様”に用があると」
「これさ」
もしここが闇でも溶け込まないであろう黒を持つ男―――快賊団団長ジョニーは、飛
空艇の艇体に寄り掛かり、手に持った紙切れをひらひらさせた。よく見ると、それは先
刻風に吹き飛ばされてしまった指名手配書だ。
「それは……っ」
「最新の指名手配書、だろう? 何をしにきたのか知らんが、そのわかりやすい格好
でうろつかんでくれんかなあ」
そう言うとジョニーはカイの手を取り、持っていた手配書を渡した。離れていると見
えなかったサングラス越しのその青い双眸が、少し困ったようなを見せていた。
確かに、カイの着ている服は一目で職業の判るものだった。
黒の、裾の長い金色の縁取りのなされたブレザーコート。同色のスラックスにブー
ツ。両肩につけられた帽入れの右肩から脇にかけては、金の編み紐が巡り通され、その
先端には大粒の深紅のウッドビーズが飾られていた。そして白いワイシャツには、臙脂
のネクタイが映えるように締めてあり、上にはブレザーコートと同色のベストが重ねて
あった。細くけれど大きな手にはめた手袋は白い、全体を覆う形だ。左腕には銀色のピ
ンで留められた、黒と赤の地に金縁のある幅広の国際警察機構の腕章。その記章は二つ
の同心円の中に、十字と×字の形に配置されたラインの上、紅と白に互い違いに色分け
された四つ部屋の盾の右上に、ロゴ化されたIPM―――International Police
Mechanism―――の文字が刺繍されたものだった。
それが国際警察機構の制服であり、只今カイが着用しているものである。ただし、腰
の緩く斜めにつけたやや太めの二本のベルトに提げてある、今は刀身のない封雷剣は、
カイだけのオプションだが。
カイは手配書を受け取ると、短く礼を述べてから、生真面目な面持ちで言った。
「ですが、これも仕事です。ご承知願いたい」
「ま、アンタがわざわざ一人でここまで来たんだ。よっぽどのことだろうなぁ」
「ええ。ここ数日で、あなた方への懸賞金が十倍になっています」
カイの言葉を聞いた途端、いつも纏うある種軽いものから真剣な重いものへと、ジョ
ニーの眼のが変容する。話に興味を持ち、またそれが重要なものだと察知したらしい。
「それで?」
けれどその軽妙な口調は変わらず、ジョニーは先を促した。
「この裏には何かの陰謀が……」
そう言って、カイは賛同を求めるようにジョニーの眼を見やった。しかし、蒼緑の瞳
と青の双眸が出会うことはなかった。ジョニーが、合わせようとしないからだ。つまり
は
「団のことは団で処理する。陰謀があってもなくても、アンタとは敵同士だからな」
協力はしないということだ。ただし俺に勝ったら協力してやろう、と言外にジョニー
は言った。ただ表情はいたって愉快極まりない様子である。今度はカイが困る番だっ
た。早く調査を終えて、本部に戻らなければならないというのに。紡がれた言葉は本当
だろうが遠回しに、ついでだから手合せをしよう、と言っているのだ。
調査が出来なくては、ここまで来た甲斐が水の泡だ。とりあえず、カイは合わせるこ
とにした。
「ちがいありませんね。ならば、腕尽くで聞くまでです」
「よく言った」
真剣ななかに混ざる、歓楽の声色。
ああ、やっぱり。
カイはこれ以上ないというくらい大きな溜め息をつき、封雷剣をベルトに吊していた
留め具を外す。そうして飛空艇メイシップから離れて、それぞれの得物を構える。ジョ
ニーは鞘に入れたままの東洋の刀を。カイは刀身を引き出した封雷剣を。
風が、鳴く。草が、散る。青い空、碧い丘。
生きた沈黙、死んだ緊迫。見せぬ隙、絡む視線。
鳥が、翔んだ。
「―――いきます!」
カイが駆け出す。ジョニーは突っ立ったまま動かない。さえ持たず、口元は笑みを象
る。段々に間合いが詰まる。カイは一挙に意識を収束させ、封雷剣に法力を孕ませる。
途端、一瞬にして細身の刀身が具現化した雷電を纏う。身を捩り、遠心力を利用して勢
いをつけ、足元を薙払う―――が、しかし。
「足元注意!!」
ジョニーが目にも留まらぬ速さで抜刀する。
「くっ……」
咄嗟にカイは空中に高く跳んだ。ブレザーコートの裾を、刀の切っ先が掠める。ぞく
りとカイの背に寒気が走る。あまりの速さに和刀の刄が見えなかったのだ。それでもカ
イが跳んだのは、ジョニーの言葉と彼自身の類い稀なる反射神経のおかげである。
これは本当に、手合せ兼交換条件か?
カイは思う。だが、それにしてはジョニーは本気になりすぎだ。
ということは、やはり――――
一瞬不意にジョニーの身に隙が見えた。カイはそれを見逃さず、先刻具象化した法力
をいったん抽象体に戻す。そしてすかさず巨大な雷弾に変換し、ジョニー目がけて一気
に放った。
「そこだ!!」
しかし強力な分、弾速は遅い。
「おっと」
ジョニーは後方へ下がり、ひらりと雷弾を躱した。草の焼けた青臭さが空を舞う。に
靡くジョニーの、一本に結わえられた長い金髪が不意に紅く発光する。そうしてその紅
き発光は彼の全身を包み、ただならぬ威圧感を纏わせた。けれど、ジョニーの青いその
双眸はいつもと変わらぬ軽妙さ。たっぷりの余裕。それがサングラス越しに垣間見え
て、カイはらしくもなく舌打ちをした。軽妙ではないが、似た男を思い出す。暗褐色の
長髪に、紅味の茶の双眸。この上なく大嫌いな紅い緋い焔の――――
脳裏に浮かぶ人物に、カイは顔を顰める。しかし突如慌てて法文を紡ぎ、防護結界を
張る。翠の光球がカイを覆い、飛来したジョーカーのトランプを弾き飛ばす。ほっとす
るのも束の間、炎の柱が眼前を過る。カイは防御したまま着地すると、雷弾を威嚇発射
し、後方に下がった。そして雷弾をジョニーが躱したその瞬間、
―――勝機。
勢いよくスライディングし、足元を掬う。素早くカイは倒れたジョニーに馬乗りにな
り、その喉元に剣の切っ先を突き立てた。
「勝負、あったようですね」
「ああ。アンタの勝ちだ」
ジョニーの降参の言葉を聞いた途端、カイは特大の溜め息をついた。纏っていた緊張
が、一気に消え失せる。
「それにしても」
剣と自らを退ぞけ、カイは立ち上がった。
「いろいろと一言多いようですね、あなたは」
そして汗で顔に貼りついた髪を掻き揚げて、地に手をついて座り込んでいるジョニー
を見遣った。負けたというのに、ジョニーの眼は楽しげに笑い余裕さえ見せていた。
“あいつ”といい、眼前の黒い男といい、なぜそんなに余裕があるのだろうと、カイは
しみじみ思う。やはり年の功というものか。もしそうだとしたら、何となく嫌である。
「そういうアンタも、ちょいと緊張感が足りないんじゃあないかい?」
言いながらジョニーは立ち上がって、鐔広の帽子をついと上げた。そして視線でカイ
を見下ろす。身長はジョニーの方が若干高い為、自然とそうなるのだが今回ばかりは自
分の事を棚に上げたこの蒼緑の双眸の若造を、揶揄した意味も込められていた。それに
気がついてカイは苦笑いすると
「……そうですね。これからは気をつけるとしましょう」
そして
「しかし」
先程とはまた違った緊迫感がカイの身を包む。
「あなたほどの男がここまで本気になるのは……」
見えなかった刄。瞬く間の追撃。“力”を持ったジョーカーのトランプ。
メイという名の少女。聖戦の記憶。
ジョニーが人差し指を立て、軽く自らの口元にあてる。
「その先は言わないほうがいいぜ」
変わらない瞳の。けれどその奥はとてつもなく鋭くて。カイは息を呑んだ。それでも
言葉を紡ぐことはやめない。
「では、これは独り言です」
蒼緑の双眸が、ほんの少しだけ笑う。これなら問題ないでしょう? と言わんばかり
に。
「ジャパニーズの保護政策は元から反対でしたが……これではっきりしました」
ごうと風が唸る。二人の服がそれぞれの方向にはためく。いっそ聞き流せばいいもの
を、ジョニーは興味深げに静聴していた。言って欲しいなら始めから止めなければいい
のに、そうカイは思った。ここにはあの時のように、隠す必要も聞かれては困る人物も
いない。しかしどんな形であれ、結果的には止められているわけではないから、カイは
話し続けた。
「保護という題目で、誰かがジャパニーズを集めている。いずれよからぬ目的でしょ
う」
「警察機構を顎であやつるやつらだ」
独り言のはずなのに、何時の間にかジョニーが口を挟む。意外な展開に驚いたカイが
ぽかんとしていると、
「俺達は外からそいつを潰す」
俺も独り言だ、とジョニーが視線で還してきた。
「では私は中から追いつめることにしましょう」
表情は真剣としたふうに繕ったままカイは笑い、気を取り直して言った。独り言にし
ては、上手くいきすぎているくらいのタイミングでジョニーが続く。
「そして俺達はここで会わなかった」
カイは目で頷くと、急に表情をえた。いつになく緊張したものとなる。
「早くこのごたごたを片づけます」
緩やかに風が吹く。青い空を雲が流れていく。碧草の、焦げた臭いはもうしない。
「そうすればあなたたちを逮捕できますから」
それは終わりを知らないイタチゲームの挑戦状。内容は切迫していても、きっと楽し
くなるだろう。なぜなら
「ああ、捕まえられるもんならな」
相手は沢山の余裕と、心憎いほどの軽快さを持った笑みを湛える洒落者なのだから。
カイは天を仰いだ。整備を終え、飛び立った飛空艇が今は小さい。
「憎むべき輩が身内にいて敬うべき友が敵である、か……」
闇をも脅かす深き黒を従えた男、ジョニー。
未熟すぎたあの頃、その彼に不信を抱いた。
今はもうそんなものはない。それは単なる自分の無知と心の脆さにあり、誤りだった
と気づいたから。
そう、あれからカイは師であるクリフが使い手ということも手伝って、気術について
いくつか学んだのだ。その時に“記憶隠蔽術”という術があり、施術後数日は新しい記
憶を植えつける期間の為、邪魔な言葉は決して耳に入れてはいけないことを識った。そ
して、あの幼い少女メイにそれが施されていたことも。それからというもの、カイと
ジョニーは極めて友好的である。
黒と蒼の共生。今日の天候は、まさにそんな感じだ。
燦然と照る太陽が創った、濃く黒い影。遥へ行くほど青から蒼へと移ろう広大な空。
吹く翠の風。
陽の耀きを縒ったような金色の髪が、風に揺られながら輝りを反射する。凪ぐことの
ない丘で囁いて、穏やかな笑みを湛える。
「……ときおり聖戦が懐かしくなるな」
弱く脆い、幼かったあの頃。人類総てが団結して戦ったあの戦い。
それが今は嘘のように
「善悪の狭間を知る前の、あの頃が……」
想うと、懐かく温かい。
カイは目を閉じて、ひとしきり風を聞くと身を翻し、碧い丘を辞した。
雲は真っ白に流れ、風は息吹くように確実に時を重ねていく。
その無限なる一瞬一瞬で人は成長し、生命は輝きをもちそして没する。
けれど、彼ら彼女らには陽を浴びて耀くべき場所がある。
何人たりとも、犯すことの出来ない居場所。
そう、それが
陽の当たる場所。
―END―
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