魔女の城
― 戦い始めてからもうどれくらいになるのか。
相手が倒れない。
それはひどく珍しいことだった。
この衝撃波に耐えられるのは国警では九大天王くらいのものかと思っていた。
相手の能力とこちらの能力、その相性もあるかもしれない。
放った衝撃波を太刀で打ち消され、思わず眉をひそめる。
ここで殺らなければ、こちらが殺られる。
相手が傷の痛みでバランスを崩す、その一瞬。
横腹めがけ衝撃波を叩き込む。
と、それをも剣で凌ぎきられた。
― 殺すには惜しい腕だ。
だが、容赦はしない。もう一度は防げまい。これで終わる。
その瞬間肩に当たる飛礫。
― 銭
邪魔が入った。
マントをはためかせ佇む人影。次期リーダー殿のお出ましか。
アルベルトの様子を見に来てみれば、そこには自身の見知った顔。
今は敵同士だが、昔弟弟子と共に、懇意であったその人物。
樊瑞は、この人物の気高さが好きであった。
― どんな経緯で国警にいるかは知らないが、元は相当な名家の子女のはず。
縁を切っていたとしても、圧力くらいにはなるだろう。それは我々の利となること。
そう考えアルベルトに、人質としてBF団支部につれて帰るよう説く。
アルベルトはそんな樊瑞を愚かと思いつつ、一丈青扈三娘に目を移す。
― これだけの猛者、なかなか出会えんな。それがしかも女とは。
珍しく自分以外に興味を持った。
その強さと気高さに。
ただ、それだけの事。
BF団支部の一室に入れられた扈三娘は、「殺せ」という言葉以外口にしなくなった。
今回の戦いでBF側も痛手を被った。死んだ者も少なくない。
国警への負の感情。それがここにいる扈三娘に注がれている。
一触即発。
樊瑞はその中で奔走していた。
国警との交渉と、BF団の感情緩和。扈三娘の説得。
傍から見れば何の事はない。
なんとかしてこの人物を助けたいのだとよくわかる。
しかし当の本人は気づいていない。
ただBFの利を思い奔走している。
鈍い男だった。自身の秘めた気持ちにすら気づけない。
だからこそ簡単に揺らぐ事もない。
主に対する絶対的な、盲目的とも言える信頼と信仰。それが樊瑞という男にはあった。
これがカワラザキが樊瑞を次期リーダーに推す理由であった。
そんな樊瑞の様子を離れた場所から見ている人影が二つ。
「さすが、次期リーダー殿よ。」
可笑しそうに笑うセルバンテス。
なぁ、と話をふられた相手、アルベルトは浮かぬ顔で、
それを見とめたセルバンテスはさらに笑う。
「何が可笑しい。」
気に障ったらしい。
― 何が だって?
「君が素直じゃないからさ。」
そう言って笑うと、
もうこれ以上話す事はないという風に、葉巻を口に銜え顔を逸らしてしまった。
「しかし、まぁめずらしい事もあったもんだ。」
なおも話を続けようとするセルバンテスを残し、アルベルトは歩き出す。
―やれやれ嫌われたかな?
セルバンテスも後を追い、香だけをそこに残し、闇に消えた。
「馬鹿な・・・っ」
樊瑞は慌てた。
一丈青扈三娘の姿がない。
争った跡もない。
そもそも自分が目を離したのはほんの一瞬の事で。
しかし次の瞬間、そこにあるべき姿は消えていた。
逃げ出せるわけはない。
では、誰かが連れ出したのか。
自分と警備の目を盗み侵入し、且つ人一人を連れ出す事が出来る人間。
つまりは―
「十傑集か。」
樊瑞の背中を嫌な汗が伝う。
「そっとしといてやんなよ。今頃二人でお楽しみさ」
ふいに背後から気配が現われる。漂う独特の甘い香り。
「貴様か眩惑・・・」
「私は捕らわれの姫を逃がしただけ。おとぎの国の魔法使いというわけさ。」
くすくすと、さも可笑しそうに笑いながら、
― 姫が君を選ばなくて残念だったねぇ。
そう耳元で囁くと、眩惑使いは闇に溶けた。
明かりの中には混世魔王ただ一人。
一丈青扈三娘がBF団側についた。
十傑集衝撃のアルベルトの妻に収まり、二人には子もいるらしい。
そんな噂がBF団で囁かれるようになった頃、樊瑞は正式に十傑集のリーダーとなっていた。
国警からは、扈三娘の事で再三非難を受けたが、
どうにもならない。
またどうにかする気もない。
あるのは扈三娘が自分の元を去った、その事実のみ。
噂では、アルベルトは生まれた子供と縁を切ったという。
その裏にどんな理由があろうとも、自分には到底出来ぬ事。
自分の子ならば、抱き上げ、頬を摺り寄せ、手元に置いておきたい。
そう思うのが親というものではないのか。
アルベルトと自分では違いすぎる。
そして扈三娘は、そんなアルベルトを選んだ。
彼女は と、ふと思う。
彼女は縁を切った事をどう思っているのだろう。
聞いてみたい気がした。
聞いてどうにかなるわけでもないのに。
声だけでも聞きたいというのは、やはり未練だろうか。
耳に残っているのは「殺せ」と迫る彼女の叫び。
「酷いものだ。」
皮肉な笑みが漏れる。
― 失って初めて気づくとはよく言ったもの。
と、突然部屋の扉が開かれ、我に返る。
珍しい客だった。
そこ立っていたのはアルベルトで、その腕には幼子が抱かれている。
彼が任務の報告以外で樊瑞の城を訪れたことは終ぞない。
その彼が今目の前に立っている。
突然の訪問の理由が任務の報告のわけはなく、抱えているのは噂の子供らしかった。
訪問者の意図を図りかねていると、向こうからこう切り出した。
「扈三娘が死んだ。」
それはまるでいつもの挨拶か何かのようだった。
訃報というものは、なぜいつもこう突然なのか。
「そうか。」
― 死んだ、と。
その言葉に、現実が伴わない。そこにあるのはただ虚無のみ。
そんな樊瑞の様子に気を止める事なく、アルベルトはさらに言葉を継ぐ。
「こいつの面倒をお前に見て欲しい。」
アルベルトは幼子を示し、そして言った。
「っつ・・・何を・・・」
― この男は、一体何を言っている。
目の前がくらりと回る。
この子は、扈三娘の子で、自分の子ではないか。
気まぐれに奪った者が、その形見はいらぬとでも言うのか。
しかもその形見を奪われたこの自分に託すなど。
正気の沙汰とは、思えない。
アルベルトは続ける。
「死に際、扈三娘にこいつの事を頼まれた。だが、わしは子供が苦手でな。」
言いながら、抱えていた幼子をそっと床に下ろし、自分から離れるよう促す。
この男は不器用だ。
それは短からぬ付き合いで知っている。
この男の感情の表現はいつも激しい。
それが生まれ持った性か作り上げられたものかはわからない。
その凶暴な感情は衝撃の二つ名そのままに、研ぎ澄まされた刃のように人の心や体を容易に切り裂いてしまう。
愛情の表現の仕方なぞ知る由もない。
そんな自分には、子を育てる資格も価値もありはしないと思っているのだろう。
― だが
― それでも
「お前は父親だろう。」
そう言うが早いか、
樊瑞は、アルベルトの顔めがけ、思い切り拳を叩き込んだ。
鈍い音が部屋に響いて、そして消えた。
夕闇迫る中、訪れる沈黙。
日暮の音だけが部屋に響く。
鎮魂歌に相応しい、もの悲しくも優しい音色。
ふと、視線を感じ目をやれば、自分を見つめる瞳が二つ。
その瞳の主は、ただじっと殴られた父と殴った自分を見つめていた。
父親譲りの赤い瞳で、泣きもせず、怯えもせず、
ただじっと。
― それでも
切れた唇を拭いながらアルベルトが口を開く。
「それでも、頼む。」
搾り出すような声。
そこにあるのは、強く深い赤の瞳。
その瞳はまっすぐ樊瑞だけ見ている。
瞳の中で行き交い暴れる様々な感情の渦。
樊瑞はその中に一瞬悲しみの色を垣間見た。
― この男、悲しくないわけではないらしい。
その事に少し安堵する。
しかし愛していたとはこの男、口が裂けても言いはすまい。
普段ならこんな姿すらも、決して人には見せぬ男だ。
その男が真剣に頼んでいた。小さな瞳も健気にそれに倣っている。
そこまで思いをめぐらせて、
― 頷くしかないではないか。
樊瑞は結論を出した。
「後見人、そんな立場でいいなら引き受けよう。」
そう言った。
父親なんぞになれはしない。
この幼子の父親は一人きり。
二人を結ぶ赤い瞳。
「礼を言う。」
そう言い、アルベルトは幼子を置き、立ち去った。
部屋には樊瑞と幼子が残される。
「主、名はなんと言う?」
「サニー」
赤い瞳の幼子は、静かに、しかしはっきり自分の名を言った。
赤い瞳に決意を込めて。
「おいで、サニー」
名を呼び、その胸に抱きしめる。
あたたかい幼子の体。
そのぬくもりは、なれぬせいかむず痒い。
この感覚に戸惑うあの不器用な男を想像し、樊瑞はくくっと笑う。
その様子を赤い瞳が不思議そうに見上げてくる。
扈三娘、この子は強いな。
さすが、君らの子だよ。
今日からは、儂がこの子を守る城になろう。
そう決意して、樊瑞は赤い瞳の幼子をもう一度優しく抱きしめた。
この日、赤い瞳の幼い姫は、自分の城を手に入れた。
難攻不落のその城は姫のため、一層守りを堅くする。
その影に潜むは、姫を手放した騎士の姿。
人知れず、夕闇の中微笑む魔法使い。
おとぎ話をしてあげようか?
それとも魔法をかけようか?
― でも決して末永く幸せになんて祈ってはいけないよ?
食べられてしまうから。
まぼろしは君が堕ちてくるのを、口をあけて待っている。
― 戦い始めてからもうどれくらいになるのか。
相手が倒れない。
それはひどく珍しいことだった。
この衝撃波に耐えられるのは国警では九大天王くらいのものかと思っていた。
相手の能力とこちらの能力、その相性もあるかもしれない。
放った衝撃波を太刀で打ち消され、思わず眉をひそめる。
ここで殺らなければ、こちらが殺られる。
相手が傷の痛みでバランスを崩す、その一瞬。
横腹めがけ衝撃波を叩き込む。
と、それをも剣で凌ぎきられた。
― 殺すには惜しい腕だ。
だが、容赦はしない。もう一度は防げまい。これで終わる。
その瞬間肩に当たる飛礫。
― 銭
邪魔が入った。
マントをはためかせ佇む人影。次期リーダー殿のお出ましか。
アルベルトの様子を見に来てみれば、そこには自身の見知った顔。
今は敵同士だが、昔弟弟子と共に、懇意であったその人物。
樊瑞は、この人物の気高さが好きであった。
― どんな経緯で国警にいるかは知らないが、元は相当な名家の子女のはず。
縁を切っていたとしても、圧力くらいにはなるだろう。それは我々の利となること。
そう考えアルベルトに、人質としてBF団支部につれて帰るよう説く。
アルベルトはそんな樊瑞を愚かと思いつつ、一丈青扈三娘に目を移す。
― これだけの猛者、なかなか出会えんな。それがしかも女とは。
珍しく自分以外に興味を持った。
その強さと気高さに。
ただ、それだけの事。
BF団支部の一室に入れられた扈三娘は、「殺せ」という言葉以外口にしなくなった。
今回の戦いでBF側も痛手を被った。死んだ者も少なくない。
国警への負の感情。それがここにいる扈三娘に注がれている。
一触即発。
樊瑞はその中で奔走していた。
国警との交渉と、BF団の感情緩和。扈三娘の説得。
傍から見れば何の事はない。
なんとかしてこの人物を助けたいのだとよくわかる。
しかし当の本人は気づいていない。
ただBFの利を思い奔走している。
鈍い男だった。自身の秘めた気持ちにすら気づけない。
だからこそ簡単に揺らぐ事もない。
主に対する絶対的な、盲目的とも言える信頼と信仰。それが樊瑞という男にはあった。
これがカワラザキが樊瑞を次期リーダーに推す理由であった。
そんな樊瑞の様子を離れた場所から見ている人影が二つ。
「さすが、次期リーダー殿よ。」
可笑しそうに笑うセルバンテス。
なぁ、と話をふられた相手、アルベルトは浮かぬ顔で、
それを見とめたセルバンテスはさらに笑う。
「何が可笑しい。」
気に障ったらしい。
― 何が だって?
「君が素直じゃないからさ。」
そう言って笑うと、
もうこれ以上話す事はないという風に、葉巻を口に銜え顔を逸らしてしまった。
「しかし、まぁめずらしい事もあったもんだ。」
なおも話を続けようとするセルバンテスを残し、アルベルトは歩き出す。
―やれやれ嫌われたかな?
セルバンテスも後を追い、香だけをそこに残し、闇に消えた。
「馬鹿な・・・っ」
樊瑞は慌てた。
一丈青扈三娘の姿がない。
争った跡もない。
そもそも自分が目を離したのはほんの一瞬の事で。
しかし次の瞬間、そこにあるべき姿は消えていた。
逃げ出せるわけはない。
では、誰かが連れ出したのか。
自分と警備の目を盗み侵入し、且つ人一人を連れ出す事が出来る人間。
つまりは―
「十傑集か。」
樊瑞の背中を嫌な汗が伝う。
「そっとしといてやんなよ。今頃二人でお楽しみさ」
ふいに背後から気配が現われる。漂う独特の甘い香り。
「貴様か眩惑・・・」
「私は捕らわれの姫を逃がしただけ。おとぎの国の魔法使いというわけさ。」
くすくすと、さも可笑しそうに笑いながら、
― 姫が君を選ばなくて残念だったねぇ。
そう耳元で囁くと、眩惑使いは闇に溶けた。
明かりの中には混世魔王ただ一人。
一丈青扈三娘がBF団側についた。
十傑集衝撃のアルベルトの妻に収まり、二人には子もいるらしい。
そんな噂がBF団で囁かれるようになった頃、樊瑞は正式に十傑集のリーダーとなっていた。
国警からは、扈三娘の事で再三非難を受けたが、
どうにもならない。
またどうにかする気もない。
あるのは扈三娘が自分の元を去った、その事実のみ。
噂では、アルベルトは生まれた子供と縁を切ったという。
その裏にどんな理由があろうとも、自分には到底出来ぬ事。
自分の子ならば、抱き上げ、頬を摺り寄せ、手元に置いておきたい。
そう思うのが親というものではないのか。
アルベルトと自分では違いすぎる。
そして扈三娘は、そんなアルベルトを選んだ。
彼女は と、ふと思う。
彼女は縁を切った事をどう思っているのだろう。
聞いてみたい気がした。
聞いてどうにかなるわけでもないのに。
声だけでも聞きたいというのは、やはり未練だろうか。
耳に残っているのは「殺せ」と迫る彼女の叫び。
「酷いものだ。」
皮肉な笑みが漏れる。
― 失って初めて気づくとはよく言ったもの。
と、突然部屋の扉が開かれ、我に返る。
珍しい客だった。
そこ立っていたのはアルベルトで、その腕には幼子が抱かれている。
彼が任務の報告以外で樊瑞の城を訪れたことは終ぞない。
その彼が今目の前に立っている。
突然の訪問の理由が任務の報告のわけはなく、抱えているのは噂の子供らしかった。
訪問者の意図を図りかねていると、向こうからこう切り出した。
「扈三娘が死んだ。」
それはまるでいつもの挨拶か何かのようだった。
訃報というものは、なぜいつもこう突然なのか。
「そうか。」
― 死んだ、と。
その言葉に、現実が伴わない。そこにあるのはただ虚無のみ。
そんな樊瑞の様子に気を止める事なく、アルベルトはさらに言葉を継ぐ。
「こいつの面倒をお前に見て欲しい。」
アルベルトは幼子を示し、そして言った。
「っつ・・・何を・・・」
― この男は、一体何を言っている。
目の前がくらりと回る。
この子は、扈三娘の子で、自分の子ではないか。
気まぐれに奪った者が、その形見はいらぬとでも言うのか。
しかもその形見を奪われたこの自分に託すなど。
正気の沙汰とは、思えない。
アルベルトは続ける。
「死に際、扈三娘にこいつの事を頼まれた。だが、わしは子供が苦手でな。」
言いながら、抱えていた幼子をそっと床に下ろし、自分から離れるよう促す。
この男は不器用だ。
それは短からぬ付き合いで知っている。
この男の感情の表現はいつも激しい。
それが生まれ持った性か作り上げられたものかはわからない。
その凶暴な感情は衝撃の二つ名そのままに、研ぎ澄まされた刃のように人の心や体を容易に切り裂いてしまう。
愛情の表現の仕方なぞ知る由もない。
そんな自分には、子を育てる資格も価値もありはしないと思っているのだろう。
― だが
― それでも
「お前は父親だろう。」
そう言うが早いか、
樊瑞は、アルベルトの顔めがけ、思い切り拳を叩き込んだ。
鈍い音が部屋に響いて、そして消えた。
夕闇迫る中、訪れる沈黙。
日暮の音だけが部屋に響く。
鎮魂歌に相応しい、もの悲しくも優しい音色。
ふと、視線を感じ目をやれば、自分を見つめる瞳が二つ。
その瞳の主は、ただじっと殴られた父と殴った自分を見つめていた。
父親譲りの赤い瞳で、泣きもせず、怯えもせず、
ただじっと。
― それでも
切れた唇を拭いながらアルベルトが口を開く。
「それでも、頼む。」
搾り出すような声。
そこにあるのは、強く深い赤の瞳。
その瞳はまっすぐ樊瑞だけ見ている。
瞳の中で行き交い暴れる様々な感情の渦。
樊瑞はその中に一瞬悲しみの色を垣間見た。
― この男、悲しくないわけではないらしい。
その事に少し安堵する。
しかし愛していたとはこの男、口が裂けても言いはすまい。
普段ならこんな姿すらも、決して人には見せぬ男だ。
その男が真剣に頼んでいた。小さな瞳も健気にそれに倣っている。
そこまで思いをめぐらせて、
― 頷くしかないではないか。
樊瑞は結論を出した。
「後見人、そんな立場でいいなら引き受けよう。」
そう言った。
父親なんぞになれはしない。
この幼子の父親は一人きり。
二人を結ぶ赤い瞳。
「礼を言う。」
そう言い、アルベルトは幼子を置き、立ち去った。
部屋には樊瑞と幼子が残される。
「主、名はなんと言う?」
「サニー」
赤い瞳の幼子は、静かに、しかしはっきり自分の名を言った。
赤い瞳に決意を込めて。
「おいで、サニー」
名を呼び、その胸に抱きしめる。
あたたかい幼子の体。
そのぬくもりは、なれぬせいかむず痒い。
この感覚に戸惑うあの不器用な男を想像し、樊瑞はくくっと笑う。
その様子を赤い瞳が不思議そうに見上げてくる。
扈三娘、この子は強いな。
さすが、君らの子だよ。
今日からは、儂がこの子を守る城になろう。
そう決意して、樊瑞は赤い瞳の幼子をもう一度優しく抱きしめた。
この日、赤い瞳の幼い姫は、自分の城を手に入れた。
難攻不落のその城は姫のため、一層守りを堅くする。
その影に潜むは、姫を手放した騎士の姿。
人知れず、夕闇の中微笑む魔法使い。
おとぎ話をしてあげようか?
それとも魔法をかけようか?
― でも決して末永く幸せになんて祈ってはいけないよ?
食べられてしまうから。
まぼろしは君が堕ちてくるのを、口をあけて待っている。
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